第317話
「あ、カイリ。僕、ちょっと父さんと話してくるから、先にルーシー殿のところへ行っててくれる?」
カイリ達がルーシーの元へ行こうとするのを確認してから、ケントは声をかける。
フランツ達の目には一瞬警戒が混じったが、カイリはすぐに頷いた。
「分かった。……ゆっくり話してくれ」
「うん。ありがとう!」
最後のカイリの声には、案じる響きが微かに含まれていた。
恐らく、父の心境を
カイリの初任務の時。父がガルファンについて憂慮を示していたのを彼は耳にしている。
だから、父がガルファンについて淡々と何でも無い風に話をするのを、先程も気にしていた。
カイリは底抜けなまでに優しい。
だが、必要以上に深く踏み入らない。クリスを心配しながらも、きちんと線引きをする。強引になる時とそうしない時を
その保たれる距離感が、ケントには心地良い。父も言わずもがなだろう。
だから、ケントが父に踏み入るのだ。ケントにとってガルファンはどうでも良い存在だが、父は大切な家族である。少しでも寄り添いたい。
「父さん。入るよ」
父の執務室に到着して、ケントは返事を待たずに扉を開ける。用意する時間など与えてやらない。そういう意気込みで近付いても、整えてしまうのが父だからだ。
案の定、父は扉側へと振り返って穏やかに笑っていた。決して背を見せようとはしない。
背中は、雄弁に物語る。
いつか、父がケントに零したことがあった。どれだけ表情や雰囲気は取り繕えても、背中というのはなかなかに誤魔化しにくい一面なのだと。
先程、カイリ達から立ち去った父の背中は、フランツ達では見抜けなかっただろう。
息子だから。彼の一瞬
「おやおや。来てしまったのかい? 心配性だね」
弱った様に眉尻を下げる父の表情は完璧だ。きっと、他人からすれば大して弱っていない、至っていつも通りの父に振る舞えている。
だが、息子には通用しない。どれだけ長い年月を共に生きていると思っているのか。
父が息子であるケントの異変に容易く気付く様に、ケントだって父の異変くらい見抜ける。
父の言葉には何も返さず、ただ無言で近付く。大股で距離を飛び越え、ぎゅっと真正面から抱き着いた。
ぎゅうううううっと、めいっぱい抱き締めれば、父は困った風に溜息を吐く。その吐息が微かに震えているのをケントは聞き逃さなかった。
「カイリ君にも見抜かれてしまっていたみたいだね。……話をしている間、ずっと心配そうに見てきていたから」
「当然。カイリは人の心の機微には聡いよ。……あそこにいた誰よりもね」
「そうだね。……それでも、必要以上に踏み込んではこない。こちらから口を開かない限り、待ってくれている。正直、……」
甘えそうになるよね。
ぽつりと零された一言は、確かに父の弱音だ。
カイリはそういう部分がある。無理に聞き出そうとしない。話すまで待ってくれている。伝えたいことを伝えた上で、寄り添ってくれる。
それで良いのだと。相手を否定しないで認めて、受け入れてくれる。
ケントが相手だと強引な部分もあるけれど、基本の姿勢は同じだ。自分の言葉や在り方を、ありのまま受け入れてくれる相手はとても心地が良い。
父は、ケントに似た部分がある。だからこそ、カイリに惹かれるのかもしれない。
「ゆっくり話してこいってカイリが言ってくれたからね。ぎりぎりまでここにいるつもりだよ」
「ルーシー殿の件は丸投げする気かい?」
「当然。カイリの方が適任だよ。……相手と一番良い距離を保ちながら、言いにくいことを話す。カイリほど相応しい人はいない」
ルーシーは善人だ。カイリとも相性が良そうだし、上手く彼女の協力を得られるだろう。
ケントだと、どうしても腹の探り合いになるし、相手の弱みに付け込む様な話の持って行き方になってしまう。少々黒い交渉の経験を積み過ぎたかもしれない。
ぎゅうっと尚も抱き締め続けていると、父も苦笑を落として抱き締め返してくれた。
いつもの様な強い抱き締め方ではない。弱っている姿を見せない様にしているのだろう。まだ完全には頼ってもらえない事実が悲しかった。
「俺にはね。むかーしむかし、たった一人だけ親友がいたんだよ」
いきなり何の話だろうか。
今の流れのどこにそんな昔話が挟まる要素があったのか。ケントにはさっぱり理解出来なかったが、大人しく続きを待つことにした。
「本当に遠い昔の話なんだけどね。どうしても輪からは外れてしまいがちな俺に、気さくにずけずけと物怖じせずに突っ込んでくる人がいたんだ」
「へえ……。カイリみたい」
「そうだね。お前にとってのカイリ君みたいな存在かな。彼は、時々辛辣に俺にも突っ込んでくれるから、嬉しいよ」
「うん。カイリ、セバスチャンにも突っ込むし。良いよね」
「うんうん。……まあ、俺の親友は、カイリ君とは性格も口調も大分違ったけど」
面白そうに喉を鳴らす父の声は、少しだけ明るくなった。
カイリのことを思い出してなのか、その親友を思い出してなのか。恐らく両方なのだろうと推測しながら、ケントはぐりっと額を父の肩に押し当てる。
「……その親友は、前世の頃のこと?」
「うん。……彼とは、立場とか種族とか関係なく本当に色々なことを話せたよ。馬鹿な話もいっぱいしたし、かと思えば真剣に政治の議論もしたり。……楽しかったなあ」
しみじみと感じ入る様に零す父に、ケントは少しだけ嫉妬する。
どう足掻いたって昔の父のことをケントは知ることが出来ない。しかもその親友には会えないはずだから、昔の父の話を聞くことも出来はしないのだ。
ぷくっと膨れた空気が伝わってしまったのだろう。父がおかしそうに頭を撫でてきた。
「ケントは俺の大切な息子。お前だって、カイリ君が大切で仕方がないくせに」
「それはそれ。これはこれ、だもん」
「甘えん坊だなあ。……ああ。俺は今世で、お前達家族に出会えて本当に幸せだよ。今世ではもう、大切なものは出来ないと思っていたから」
遠い目をする様な声で、父はケントを抱き締める。優しく宝物を包み込む様な抱き締め方は、本当にケントを大事にしてくれているのが染み入るほどに伝わってきた。
ケントは果報者だ。ケントだって、今世でここまで大切な存在が出来るとは思っていなかった。
カイリさえいれば良い。
そんな風に思っていた前世の自分が見たら、想像出来ない腑抜けぶりかもしれない。
でも、それで良いと思える自分がいる。――少しずつ、少しずつ、願い事が変わってきていて、それを叶えたいと頑張ろうとする自分が目覚め始めたからだ。
「……でも。俺には、今世では友人と呼べる人は出来なかった」
宝物を抱き締めながら、父がふっと心の
息子であるケントの前で、ここまで弱音を吐く父は見たことがない。
それほどまでに弱っているのか、それともケントをある程度大人扱いしてくれているのか。少しだけ混乱しながらも、「うん」と相槌を打つ。
「カイリ君は友人だと思っているけどね。……その前に、息子の親友、という認識が前に出てきてしまうから」
「……それでも友人だと思いたい?」
「……。……俺へのカイリ君の意識は、やっぱりケントの父親っていうものだろうからね。だから正確には、友人の様な存在、かな」
淋しいなあ、とにこやかに父が頭をケントの肩に落としてくる。
確かに、カイリの中では父はケントの父親という認識が強いだろう。距離は初対面よりかなり近くはなっているだろうが、誰かに父を紹介するならば、やはり友人という言い方はしない気がする。
だが、カイリは父が友人だと伝えている時、それを否定したり恐縮したりはしない。父が思っているよりは、すんなり受け入れている気もする。
とはいえ、それは本人がカイリと話して納得した方が良いだろう。故に、肯定も否定もせずに続きを待った。
「俺に寄ってくる人は、地位や権力や金目当てばかり。俺が本当に近付いても良いかな、と思える人は、いつも遠慮して結局去っていく」
「……」
「助けて欲しいなら、助けて欲しいって言えば良いのに。……、カイリ君もいたのに。……どうして、たった一度で諦めてしまったのかなあ……」
最後の独白は、名前が無くても分かる。ガルファンのことだ。
父はそれなりに招待客を絞ったパーティには、いつも彼を呼んでいた。彼もそれに驕ることなく、父と仲良く接していた様にケントの目にも映っていた。
それでも、彼は父に助けを求めることはついぞ無かった。
たった一度、という言い方をしていた。ケントが知らないだけで、彼は誰かに助けを求めようとして失敗したのかもしれない。
けれど、結局その後何もしなかったから、こういう結果になった。父もこれだけカイリや国を揺るがす様な事態に発展した以上、容赦はしないだろう。
ガルファンの他にも、何人か父と友人に近い関係になりかけた人物はいる。
だが、全員何かしらの事件に巻き込まれ、関係は断絶されていった。そのどれもが、父に最後の最後で微妙に遠慮した様な形だったのをケントも知っている。
貴族で、特に高位にある者は、本当の友を得にくい。
ケントにはカイリがいる。
もし彼がいなかったらと思うと、ケントもそのひっそりとした孤独にぞっとした。
父は今、虚無に近い脱力感に襲われているのかもしれない。
想像して、ケントは更に父に抱き着く。絶対に独りにはさせない。誓って、父に触れた箇所から全力で伝えていった。
「ケント。お前には、親友が出来た。その縁を大事にしなさい。絶対に離さない様にしなさい」
「……、うん」
「俺には出来なかったから。……前世でも、親友が本当の本当に望んでいたことを知りながら、俺はそれを叶える選択をしなかった。……彼も、それが正しいと思っていたから、俺に
謎かけの様な話だ。
けれど、父は後悔している。淋しそうな声の響きには、隠しきれない悔恨が滲み出ていた。
それでも、父はその時の選択を間違っていたとは思っていないのだろう。その証拠に、父の目は声とは違って強い信念を絶やさずに灯らせていた。
「今はまだ出来なくとも、お前はお前の心の内をいつかきちんとカイリ君に話しなさい。無理だと思っても、叶わない夢だと諦めそうになっても、絶対に話しなさい。全て丸裸にして曝け出しなさい」
「……父さん」
「カイリ君は、きっと応えてくれる。……俺達は、既に互いに道を決めてしまっていたし、曝け出すことを選ばなかったから離れ離れになってしまったけれど。だからこそ、お前達は一人で道を決めるのではなく、全てぶつけ合ってから二人で決めなさい」
穏やかに話す声音は、包み込む様に柔らかい。
ケントは、父も踏み出せなかった勇気や苦悩を秘めているのだと初めて知った。
いや、本当はもっと前から知っていたはずだ。父だって人間だ。完璧で先回りも出来て全てにおいて上手く事を運べる人間など、一人もいるわけがない。
今の父の強さや孤高の在り方は、それまでに歩んできた積み重ねから形作られている。失敗した後悔も、理解されない孤独も、救えなかった絶望も、共に歩めなかった痛みも、数えきれないほど経験してきたのだろう。
だからこそ父は、ケントやカイリ達を諭し導く立場に在れる。
ガルファンという、気にしていたはずの人物を救えなかったのは、父の弱さであり落ち度。
だが一方で、父は線引きもしていたのかもしれない。父はどうしても上に立つ者だ。過剰な肩入れをすれば、どこかで
父にとって絶対に守るべき大切な存在であるケントにも、一定以上の干渉はしない。己で導き出すべき答えを、安易に教えたりはしないのだ。助言はしても、最終的に選択するのは自分達なのだと、正しく態度で教えてくれる。
だから、ここでケントが父の助言を無視したならば、それはケントが選んだ愚かな結末だったというだけだ。父はその結果を苦しく思いながらも受け入れるだろう。
けれど。
「……、うん。分かった」
先人の教えは、必ず根拠があり、意味がある。
今のケントにはまだ覚悟がなくとも、この父の言葉は胸に抱き締めて忘れはしない。
「僕は、……どのタイミングであったとしても、必ず。カイリにちゃんと全部話すよ」
「それは駄目だ」
「えっ」
「手遅れになる前に話しなさい。……絶対に俺の様な後悔をしてはいけないよ。カイリ君にさせてもいけない」
「――っ」
父は厳しいくせに、変なところで甘やかす。
父は、ケントが最初に求めていた結末を選ばせようとはしない。恐らく無理矢理にでも捻じ曲げて無かったことにしようとするだろう。
ケントもケントで迷いが生じ始めた。その隙に付け入る様に、父はどんどん攻めて来る。
ケントも頑固だが、父は輪をかけて頑固だ。父を出し抜くなど果たして出来るだろうか。
けれど。
――そんな人生も悪くない。
そう思う時点で、きっとケントの負けだ。
ずっと勝ち続けなければならなかった人生だった。敗北すれば、どう足掻いてもカイリを失う。そういう道を常に歩いてきた。
だが、今はどうだろうか。
「……父さんは、自分が落ち込んでいても、僕を優先するよね」
「当然。お前達家族より優先すべきものは無いからね」
胸を張って言い切られ、ケントは思わず噴き出す。苦笑に見せたかったが、きっと喜びが滲み出ていただろう。父の顔は先程よりも晴れやかだった。
「分かったよ。……ちゃんと、カイリに話す」
「是非そうしなさい。ぐずぐずしていたら、父さんがカイリ君に全部暴露しちゃうからね」
「そ、それは駄目! 分かったから!」
茶目っ気たっぷりにウィンクされたが、恐らく本気だ。
父の覚悟を見せつけられ、ケントは慌てながらもそれでも良いと思う自分がいることを嬉しく感じた。
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