第312話


『……父さん、何してるの?』


 幼いカイリは、植物で分からないことを尋ねようと父の部屋を訪れて、呆れ返ってしまった。

 視線の先では、ベッドを引っ繰り返して何やらごそごそと作業をしている父がいる。かがんでこちらに背を向けている姿は、コソ泥にそっくりだ。怪しさ満載で、正直引き返そうかと迷ったくらいである。

 しかし、カイリが声をかけたら、ぱっと豪快に笑って振り返ってきた。いつだって、父はカイリを優先してくれる。それを知って、何だか泣きたくなったのを覚えている。


『おお、カイリか。見つかってしまったなあ。流石はカイリ。父さんの天使! 秘密を暴いてしまうくらいの洞察力は流石だぞ!』

『母さんが、部屋でばったんごっとん音がしているし、万が一倒れていたら大変だから、用事のついでに見てきてちょうだいって言ってたよ』

『おおう! 流石はティアナ。俺のことをいつでも心配してくれるその優しい笑顔は女神そのもの! 女神の子供であるカイリが天使なのも道理というわけだな。流石は俺の妻と子供。可愛すぎる……大好きだぞ! カイリ!』

『む、ぎゅうううううっ! く、くる、し……!』


 感動しながらいきなり抱き着いてくる父を、カイリはまるで避けきれなかった。こういう時、父の俊敏さは天下一品だと感心する。感心している間に窒息しそうだ。


『とう、さん、くるし……し、しぬ!』

『おお、カイリ。可愛い息子! 天使なお前がいるところは、どんな地獄の業火に打ち払われた場所でも、たちまち天国になるという素晴らしき息子! そんなお前が父さんの隠れ家に迷い込んだというのなら、父さんのとっておきの秘密を教えてあげるぞ!』

『いらない。それより、教えて欲しいことがあるんだけど』

『むごおっ! ……カイリの反抗期もまた可愛らしいな。まだ十歳だというのに、この可愛らしさ。……大きくなったら、どれだけ可愛く愛らしく凛々しく、そして見目麗しく神々しい天使の様に育ってしまうのか。父さんは心配だ』


 ――俺は、父さんの頭が心配だ。


 胸に手を当てて片膝を突き、天上に向かって何かを捧げる様な姿勢を取る父に、カイリは本気で不安になる。母もそうだが、この両親はカイリを美化し過ぎだ。

 けれど。



 嫌ではない。



 いつだって全力で愛していると伝えてくれる二人を、カイリも愛している。いつだって心が春の陽気の様にぽかぽかして、この二人の子供で良かったと思えるのだ。

 だから、カイリは少し意地悪をしてしまったが、父を大切にしたいと思う心を見せることにした。秘密というのも少し気になっていたのは内緒だ。


『……それで? 父さんの秘密って?』

『……! おお! カイリも気になるか? そうだろうそうだろう! ……昔、父さんも気になったんだよなあ』

『は?』

『ははっ。……いや、これはな。昔一度だけ、ある人に教わった父さんの大事な思い出なんだ』

『思い出……?』

『ああ。……だから、カイリもいつかこの方法を使う時が来たら、父さんとの大事な思い出だと思ってくれたら嬉しいぞ』

『父さんとの……』


 父の言うことはよく分からなかったが、家族と過ごす日々がいつだって大切な思い出としてカイリの心に降り積もっている。

 だから、この父との秘密の共有も大切な思い出となるだろう。

 素直にわくわくした表情は出せなかったが、父には伝わってしまったらしい。溢れ出す様な笑顔を咲かせる父に頭を撫でられ、カイリはくすぐったくて目を閉じる。

 そうして、父に教えてもらった秘密に目を丸くしたのも懐かしい。面白いし、嬉しいな、と純粋に感動もした。



 ――ああ。何故、今になってあの時のことを思い出すのだろうか。



 その理由を、カイリはもう知っている気がした。











 先程案内された隣の部屋にある、鍵のかかった部屋。

 そこに、何があるというのか。

 そもそも、鍵がかかっていたら入れないはずだ。

 それなのに、ネイサンは椅子から立ち上がる気配もなく、ただただ重々しく鎮座しながら続ける。



「あそこは、わしと、掃除をするのを許可した使用人しか入れん。当然、息子達も入ったことはない」

「――」

「え、……父上? 何故、その部屋のことを、今?」

「カーティスのことを知りたいのだろう? ならば、入ってみろ」

「ネイサン殿……」

「まあ、入れれば、だがな。……こそこそと家の中を嗅ぎ回っている奴らとやってみるが良い」

「――っ」



 全部見抜かれている。



 ネイサンの言葉に、カイリは心臓が嫌なくらい大きく跳ねた。フランツも隣でわずかに気配をとがらせる。

 カイリ達の反応に、ネイサンが初めて相好を崩す。初めて見た変化は、かなり意地が悪い表情だった。


「って、き、貴様ら……! まさか、不法侵入までしているというのか⁉」

「それは大問題ですよ! 犯罪ではないですか!」


 がたん、と派手な音を立ててレナルドとフィリップが椅子を蹴り倒して噛み付いてくる。

 まずい、と思った時には遅かった。


「これは由々しき事態だろう! だいたい、貴様の暗殺の疑惑までかけられ、二つの村の事件にも色々と関与しているとまで疑われるとは、濡れ衣もいいところだというのに! あまつさえ、無断で我が屋敷を物色しているとは!」

「今すぐこの者達を追い出しなさい! ……良いですね、父上!」

「……。好きにしろ」

「っ、ネイサン殿!」


 ネイサンが相変わらず無のままに了承した。同時に、控えていた腕に覚えがありそうな者達がにわかに動き始める。

 最初からそれを狙っていたのかとカイリは焦って身構えた。フランツも腰の大剣に手を添えて臨戦態勢に入る。

 だが。



「――その必要はありませんよ。捜索の許可を出したのは、僕なので」

「――、え」



 涼し気な声が、カイリのすぐ隣から飛んできた。同時に、鮮やかな色が流れる様に現れる。

 振り向いた先に凛然りんぜんと佇んでいたのは、この聖都の教会では実質、ほぼ頂点にいる第一位団長だった。

 胡桃くるみ色の髪と、利発ながらも冷徹な瞳をした青年は、紛うことなくケントだ。まさか、すぐ傍にいたとは。全然気付けなかった自分に打ちのめされながらも、心強い援軍に感謝する。


「……ケント。来てくれていたのか」

「もちろん! カイリのためだもん! 迫真の演技、お疲れ様! 可愛かったよ!」

「……おい」


 ケントが輝かんばかりの笑みで労いをかけてきた。同時に、抱き締めたいと言わんばかりに両手を広げてきたので、じと目で見ておく。

 だが、そんな風にケント節が全開でも、次に見せた横顔は完璧に団長のものだった。器用だなとある意味感心する。


「お久しぶりですね、ネイサン殿。息子殿達も、ご安心を。強制家宅捜索の許可は、僕が出しています。ほら、ここに書類もありますよ」

「な、な、な、……い、いやっ。それよりも、何故……け、ケント殿がここにいらっしゃるのですか?」

「馬鹿なっ。第一位団長が、この様な……」

「無断で侵入したことは謝罪しましょう。ですが、必要なことだったので。これは『強制』なので、拒否権はありませんよ」


 いけしゃあしゃあと言ってのけるケントに、レナルドもフィリップも顔色が一気に悪くなっていく。この追い詰め方は流石だなと、カイリは感嘆するしかない。


「というわけで、貴方達には僕を、ひいてはカイリ達を追い出すことは不可能です。ネイサン殿、ご了承ください」

「……。好きにしろ」

「ち、父上! それはあんまりです!」

「だ、だが! ……い、いや、そう。……私達に、特に何もやましいことなど」

「あるでしょう。……ベルーという名前。聞き覚えがないとは言わせませんよ」

「……っ、いいや。聞き覚えなど」

「それがあるんですね。だって彼って、貴方達の間者ですから。晩餐会の警護を第十三位に話すっていう大事な会議の内容、貴方達に流したのは彼ですよね?」

「……っ、いいや」

「しらを切るんですか。まあ、良いです。……だって、もう言い逃れは無理ですからね」


 ケントは一歩前に出て、かちっと手にしていた万年筆のクリップのある部分を押した。

 途端、ざざっと、割れた雑音と共に声が流れてくる。



『申し訳ありません申し訳ありません申し訳ありません申し訳ありません――』



「――――――――」



 壊れた機械の様に、男性の声が謝罪を繰り返す。

 その異様な雰囲気に飲み込まれそうになって、カイリは思わず胸元を握り締めた。とんっとフランツが肩を叩いてなだめてくれたおかげで、何とか揺らがずにすむ。

 恐らくこれは、尋問の最中の録音だ。分かってはいたが、やはりカイリが見たことの無い世界を、ケントは多く目にしているのだと知る。


『ら、らららら、ラフィスエム家の、む、ご子息二人、に、わ、わわわ私が、流しました』

『……何を?』

『ひうっ!』


 対面しているのはケントだ。

 彼の背中が頑なにカイリに向くのを拒んでいる気がする。彼が決して振り向こうとしないのが良い証拠だ。

 この声の主に尋問しているのが、ケントだということ。

 それをカイリに知られるのは、彼にとってかなり勇気が必要だっただろう。植木鉢の件でさえ、カイリを利用したと知られた時、彼は絶望した様な表情になっていた。

 この尋問や、囮にしたという事実だけで、カイリが彼を嫌いになると思っているのか。穢い部分を見て欲しくないと願っているのか。



 ――馬鹿だな。



 思って、カイリはケントの背中を強めに押した。叩くのを止めたのは、今が大事な時だからだ。万が一噎せられたら困る。

 それに、これを聞かせてくれたということは、少しは二人の距離も前進したのだろう。囮作戦で怒ったことに効果があったと、カイリの胸が少しだけ震えた。



『……は、あ、……会議の、内容。か、カイリ殿が、参加することも。全て、です』

『どうして』

『……、……か、か、か、か、彼、彼が』

『うん?』

『……っ! か、彼……カイリ殿が、邪魔だからって! 彼の行動については逐一ちくいち報告をしろと! ファルエラとの大事な取引がかかっている今、彼の存在は鬱陶しい以外の何者でもないと!』



 かちっと、ケントが万年筆をもう一度押す。

 かなり乱暴な尋問だったことが窺えるが、白状はしたということだ。ケントがどんな手段を用いたかは聞かないことにする。


「まあ、尋問からの自白が取れたのと、その内容がかなり重要な事実を含んでいたので、家宅捜索の許可を出すことが出来ました。ゼクトール卿達、枢機卿陣の許可も取ってあります」

「え、おじ……ゼクトール卿の許可も?」

「うん。……で、どうせだから僕が直接乗り込んだという次第です」

「……ならば、正式に真正面から訪問して下されば良かったではないか! 何故、姿を消してまでこそこそとっ」

「ああ。カイリが、ネイサン殿とお話をしてみたいようでしたので。それを優先させたまでです」

「……はあっ?」


 レナルドとフィリップが、信じられないと言った風に顔を歪める。さしものネイサンも、微かにだがちらりとケントを見やった。

 カイリも、ケントの思ってもみなかった言葉に顔を上げる。

 だが、当人は視線の集中砲火を浴びても軽く肩を竦めるだけだ。何故分からないと、小馬鹿にする様に薄く笑う。



「だって、大親友であるカイリが、貴方達家族からお父上の話を聞きたいようだったので」

「――」

「例えどんなに辛い内容だったとしても、カイリならお父上の話も、お父上に繋がる家族の話も、直接当人達から聞きたいだろうと思いました。それなのに、真正面から捜索だーって言って乗り込んだら、そんな悠長な話、聞けなったでしょう?」



 ケントの吐露に、カイリは目を見開いた。レナルドやフィリップも表情が凍っているが、あんぐりと口を開けたそうな雰囲気をかもし出している。

 当然だ。正規の手続きが踏めるくらいの手がかりがあったのならば、そちらの方が良いに決まっている。先程ケントも言っていたが、何の拒否権もなく強制で踏み込んで事情聴取をしたり家宅捜索が出来るのだ。抜き打ちの方が、証拠だって隠滅される可能性が少ない。


 それなのに、こんな風にわざわざ邪道を取ったのは、カイリのためだと言い放った。


 彼らには理解出来ないかもしれない。そんなデメリットばかりが多い手法を取るなど考えられないだろう。ましてや、他国との戦争の危険をはらんでいるのにと、正気を疑うはずだ。

 しかし。


「……カイリ。捜索している間に、自分達で攪乱かくらんして時間を稼ぐって言ってたの。きっと、そうしたいっていう気持ちもあったからじゃないの?」

「……っ。……いや。でも、あの時は無我夢中で」

「あったんだよ、無意識にでも。だから、僕はこの方法を許可したんだ。家族の話は、……自分のルーツの話は、聞ける時に聞いておいた方が、後悔が少ないだろうからね」


 にぱっと笑顔で振り向いてくるケントに、カイリは胸をど突いた。ぐふっと痛そうなうめきを彼は上げたが、照れ隠しだ。我慢して欲しい。

 ケントをどついた拳が震える。


 ――家族の話を聞きたい。


 彼に、最初から見透かされていたのが悔しい。そして、それに気付けなかった己の愚かさが悲しい。

 だが。



 国の一大事が迫っている中でも、カイリの心に配慮してくれた彼には感謝しかない。



 馬鹿だな、と思うと同時に優しいな、と泣きたくなる。

 おかげで、カイリは父の話を少しだけでも聞けた。結果的に悲しいことばかり判明してしまったが、それでも父の昔話を――フランツでも知らない家族との想い出を聞けたことが、何よりの成果だった。


「……ケント。ありがとう」

「うん。……ま、後はフランツ殿達に任せますよ。当然、証拠は自信満々に宣言した通り、見つけましたよね?」

「……、……」

「当然、見つけていますよね?」


 にっこりととても良い笑顔で念押ししてくるケントに、フランツは、思い詰めた様に黙りこくっていた。腕を組んで、じっと何かを考え込む様な深い表情だ。

 ケントは、もう証拠が見つかったから出てきたのではなく、本当にあくまでカイリが追い出されそうになったから出現したのか。どこまでもカイリ一筋である。頭が痛くなった。

 そんなやり取りに、レナルドもフィリップも生気を取り戻したらしい。勝ち誇った様に高笑いをする。


「か、間者の自白くらいで、証拠とは言えるか! その者が、助かるために嘘を吐いて、我らを陥れている可能性もあるだろう!」

「その通りです。私達が本当にファルエラと何か関与して悪事を企んでいると言い張るのならば、確固たる証拠を示して頂きたい」


 眼鏡のブリッジを上げて、フィリップが真っ当なことをぶつけてくる。

 確かに、物的証拠が無いからこそ、今の今までカイリ達は手を焼いていた。間者の自白程度では、疑惑は濃厚になっても、確定にはならない。結局状況証拠なのだ。だからこその家宅捜索である。

 フランツは動かない。ぼそっと何かを呟いた気がしたが、カイリには聞き取れなかった。

 どうしたのか、と問おうとしたところで。



「――はあっ。さっきから、何をぼさっとしていますのっ」

「――」



 またも誰もいないはずの後方から、聞き慣れた声が飛んでくる。

 背中を蹴り上げる様な鋭い凛とした声音は、いつだってカイリの勇気を奮い立たせてくれた。

 震えそうになる唇を引き結んで振り向けば、空気に色が付く様に鮮やかな紅藤と凛とした黒の色が、その場を舞い踊る様に現れる。

 その姿は、気高き一人の騎士。ここにはいないとカイリが思っていた人。



「シュリア……!」

「まったく! さっきから聞いていれば、何ですの! 脱線ばかりですわ! 面倒ですわ! 腹が立ちますわ! いい加減にして下さいませ!」

「な、何だよ! いきなり」

「良いですか。あなたが今することは何ですの? ここでぼけっとしている暇がありましたら、さっさと隣の部屋とやらに行きなさい!」

「――っ。あ……」



 シュリアに指摘され、カイリはネイサンに言われたことを思い出す。

 そうだ。つい先程、案内された隣の部屋へ行ってみろとネイサンに示唆しさされたばかりだ。捕まりそうになったり、ケントの出現で、すっかり頭からすっぽ抜けていた。情けない。


「で、でも、鍵がかかっているんだよな? 開けられる人っているのか?」

「鍵なんて壊せば良いんですわ。それで扉が開かなくとも、全員で蹴り破れば良いのです」

「……シュリア殿って、本当、力技しか能が無いんですかね」

「うっさいですわ! あなたにも協力してもらいますわよ!」

「はいはい。カイリのためにしか動きたくないですから、カイリにお願いされれば動きますよ」


 呆れた白い目を向けるケントに、シュリアは射殺す様に睨み返す。どこででも変わらない二人に、カイリは少しだけ安堵した。

 しかし、シュリアがさっさと行けと促したということは、その部屋には父以外にも理由があるということか。

 例えば。



〝だから、カイリもいつかこの方法を使う時が来たら〟



 ――まさか。



 一度だけネイサンを振り向けば、彼は目を閉じて腕を組んでいた。口も一文字に引き結び、無言を貫いている。

 この期に及んで、カイリはまだ彼に期待するというのか。今の発言だって、カイリ達を罠にかけるために放たれたものかもしれないのに。

 けれど。


「……っ、フランツさん、行きます」

「分かった。……シュリア、レイン達は?」

「もうとっくに行っているんじゃありませんの? わたくしは、ずっとここにいたので知りませんわ」


 シュリアの言葉に、カイリは目をみはる。

 ずっとこの部屋にいたということは、カイリの発言の一部始終を聞かれていたということか。恥ずかしさで悶死しそうだ。

 同時に、彼女もケントも本当に気配の消し方が上手いと感心する。精進しなければと、奮い立った。


「――、待て、貴様! さっきから生意気ばかりな上、まだ勝手に家を踏み荒らすというのか⁉ ふざけるな!」

「おや、レナルド殿。言ったでしょう? 僕が許可したと。それとも、何かやましいことでもおありで?」

「ぐ、う……っ! い、いや、どうせ何も出てこない! 我々は、ただガルファン殿に脅されただけなのだからな!」

「そうですか。じゃあ、それも含めて、今日この場で決着を付ければ良いだけですね」


 さらっと毒を吐くケントに、レナルドは悔しそうに歯噛みしながらも、どこか勝ち誇った様な笑みを浮かべている。

 カイリはそれを横目で見ながら、今は部屋に急ぐことにした。レナルドの反応が気になるが、きっとケントも気付いているし、後回しだ。

 そうして二階に駆け上がり、問題の部屋に行くと既にレイン達が待機していた。姿を堂々と見せているということは、カイリ達の会話を彼らも聞いていたのだろう。


「レインさん! エディ、リオーネ!」

「お疲れ様です、カイリ様」

「遅いっすよ! フランツ団長から聖歌語で連絡もらっているっす!」

「……しっかし、この家宅捜索がケント殿達の正々堂々のお墨付きとはなー。第一位団長殿は相変わらず根性が悪いようで」

「嫌ですね。僕はカイリのしたい様にしてもらっただけです。カイリの望むことは、望むままに叶える。それが、僕のアイデンティティですから」

「へーへー。それよりも……この鍵、結構面倒なんだよなー。ピッキング慣れてるオレでも、複雑過ぎてきついんだわ。ちょっと時間かかるぞ」


 レインが珍しくげんなりした様に鍵と向き合っている。むしろ、レインが鍵開けに慣れているという事実にカイリは驚きだ。いや、ある意味「らしい」のかもしれない。


「でも、レイン兄さんが無理だったら、誰も出来ないんじゃ……」

「あら、エディさん。根性がありませんね。知っていますか? 根性が無いのは、自分は弱いって自ら大声で叫んでいるのと同じなんですよ?」

「ぬおおおおおおおお! リオーネさんに強いボクを見てもらうために! ボクが鍵を壊すっす!」

「やめろ。これ、壊したら部屋が崩れる仕掛けだ」

「げ……」

「……なるほど。シュリア殿。貴方の脳筋作戦は失敗の様ですよ」

「うっさいですわ!」


 淡々と茶化すケントを、シュリアがぎんっと刺し殺す様に睨み付けた。どんな時でも彼らは彼らである。

 ネイサンが「開けられるものなら」と言い放つわけだ。この鍵の向こうに、彼の意地悪い笑みが見える様だ。

 しかし、壊したら部屋が崩れる仕掛けか、とカイリは遠い記憶に出会う。



〝カイリも気になるか? そうだろうそうだろう! ……昔、父さんも気になったんだよなあ〟



「……、レインさん」

「おう? 何だよ」

「それ、失敗しても、大丈夫ではあるんですよね?」

「ん? ああ。さっきから何度か失敗してっからな。……」

「俺にやらせてもらえませんか。……お願いします」



 震えそうになる声を抑えながら、カイリはレインに頼み込む。彼もそう言って来る気配を察知したのだろう。目を細めながら、「いいぜ」とあっさりどけてくれた。

 エディやリオーネが驚いた様に目と口を丸くしていたが、シュリアやケントは静かに見守ってくれている。まるで、空気で背中を押してくれる様だ。


「……カイリ。出来そうか?」

「……、分かりません。でも、……やってみます」


 フランツの確認に、カイリは声が掠れる。失敗したと舌打ちしたくなったが、ぽんっと肩を叩かれて緊張をいでくれた。

 レインから細い針金を受け取り、カイリは鍵穴に向かい合う。

 ドアノブは無い。ただ、他の扉だと取っ手がありそうな場所に丸い鍵穴と、その周りに一から九までの番号のボタンがある。

 そう。



 ――父さんのベッドの下にあった仕掛けと、同じだ。



〝ははっ。……いや、これはな。昔一度だけ、ある人に教わった父さんの大事な思い出なんだ〟



 ――父さんっ。



 喉が鳴りそうになって、慌てて飲み込む。気を抜いたら、何かが目や口から零れ落ちそうだ。

 今の今まであの時の思い出を忘れていたことを悔いる。今も村の、父が鍵をかけた床の下は無事だろうか。今度機会があったら、見に行きたい。後でそうフランツに伝えてみよう。

 震える指先で針金を握り締め、カイリは鍵穴に通す。

 父にまつわる数字は、ちゃんと覚えている。予想ではあるが、父の部屋にあった鍵の方が、より複雑だったに違いない。

 そう。



 この仕掛けは、その人にとっての思い出そのものなのだ。



 父にとっては、大切な家族の数だった。

 そして、ここがネイサンにとって、父をどう思っていたかという答えだというのならば。


「……」


 きっと、この答えで間違いない。


「……9」


 最初に数字のボタンを押し、次に、鍵穴に通した針金を「5」の方向へと向ける。


「7、2……、4、1……1」


 そうしてボタンと針金を交互に操り、カイリはゆっくりと、慎重に進めていった。瞬きすら忘れて、ひたすらにカイリは解除に集中していく。

 張り詰めた空気に息をするのも忘れそうになりながら、カイリは間違いの無いように確認しながら両手を動かし。

 そして。


「……5」


 ボタンを押し、針金は「9」の方へと向けた。

 直後。



 ――かちりっ。



「――――――――」



 鍵が開く、音がした。一様に息を呑む音が大きく響く。

 ああ、とカイリは思う。

 これは、定めた数字を、ボタンは前から、針金は最後から順番に数えていくものだ。

 今試した数字は、カイリが想像した通りのものだった。



 聖歴974年。11月25日。



 父の、生まれた日。



〝……だから、カイリもいつかこの方法を使う時が来たら、父さんとの大事な思い出だと思ってくれたら嬉しいぞ〟



 ――これは、実の父親に教えてもらった仕掛けだったんだね、父さん。



 祖父母の話はほとんど出来なくても、父も母もカイリに星を散りばめる様に、彼らとの思い出を残してくれていた。語ってくれていたのだ。

 聖都に来て、そのことに一つずつ気付いていく。カイリは本当に、最初の頃に家族に会うことを怖がっていたことを後悔した。


「……。……教えていたか」

「――、はい」


 いつの間にか近くに来ていたネイサンに、カイリは振り返らずに答える。

 何故だろうか。今までずっと無表情だったはずの彼の気配は、顔を見なければとても感情が豊かに思える。初めて彼の思いに触れられた気がして、胸が痛くなった。

 だが、感傷に浸っている余裕はない。

 カイリは顔を上げ、扉に手を添える。取っ手が無いのだから、後は押すだけだ。

 ぐっと押すと、扉は今までの重々しい雰囲気に反して簡単に開いていく。

 手が、みっともなく震える。それでも、懸命に力いっぱい押し開けた瞬間。



「――――――――っ」



〝おお、カイリ! お帰り!〟



 かつての、父の明るくて優しい声が、その部屋からはっきりと聞こえてくる様だった。


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