第313話


 父の声が、聞こえる。


 厳重に鍵をかけられた扉の先から、父が笑いかけて、カイリを招く様に手を伸ばしてくれている。

 足を踏み入れた先のこの部屋は、かつてカイリが住んでいた家が、そっくりそのままよみがえったかの様な雰囲気に包まれていた。

 当然だ。見た瞬間、カイリはあの村に迷い込んだ様な錯覚にさえ陥ったのだ。


 窓際の近くには、ベッド。窓の横には勉強机。幅広い本棚に、大きめのクローゼット。


 ああ、そうだ。懐かしい。



〝どうした、そんなところに突っ立って。よーし、そんなお前には、ただいまのむぎゅーをしてやろう! むぎゅーっ!〟



 ――村に住んでいた時と同じ。父さんの部屋と同じ配置だ。



「……父さん……っ」



 今だって、目を閉じれば父が腕を広げて笑顔でカイリを迎え入れてくれる姿が鮮やかに浮かぶ。

 もちろん、差異はある。この部屋の壁は真っ白だが、村の父の部屋は温かな木造造りだった。広さも、この部屋の半分くらいだっただろう。

 全てが同じではない。

 けれど。


「……父さんにとって、やっぱりここは、大切で大好きな家だったんだね」


 家具を同じ配置にしたのは、間違いなく父の意思だ。きっと母も知っていただろう。もしかしたら、母の部屋も実家にあった自室と同じ造りになっていたのかもしれない。

 その事実だけで、充分過ぎるほど父の想いが伝わってきた。

 それに。



 ――ネイサン殿も、同じだったんだ。



 だからこそ、この部屋がある。

 誰にも荒らされぬ様、鍵までかけて守り抜いたのだ。


「ち、父上……っ?」

「な、何故です? ここは、……あのカーティスの部屋と、同じっ」

「も、燃やしたのではなかったのか! 家具も、本も、何もかも、……全てっ!」


 レナルドとフィリップが、部屋を見渡して青褪めている。恐怖に震える姿が滑稽過ぎて、カイリはもう彼らの言動に何も感じなくなってきていた。

 ただ、無言を貫くネイサンの心の中が少しでも覗けただけで、この家に来た意味はある。

 そして、この配置が村の時と同じであるのならば、一つの仮説が成り立つ。


「……。フランツさん、あのベッドをよけます。手伝ってくれますか」

「分かった。……レイン、エディ」

「あいよー」

「任せて下さいっす!」


 カイリの突然の提案にも、フランツ達は全く躊躇や驚きを見せない。カイリの意思を疑いもせずに汲んでくれる。その信頼が、ひどく照れくさくて嬉しい。

 見れば、レナルドやフィリップは、ケント達が抑え込んでくれていた。ネイサンはただただ静謐せいひつに見守るのみだ。

 その隙に、ベッドを移動させる。

 ベッドの下にあった絨毯も邪魔だったので、これも折り畳んで隅に追いやった。

 そうまでして出てきた床は、真っ平らで変哲もないものだ。普通に見ただけなら、特に疑問も持たずに通り過ぎるだろう。


「……カイリ。ここに、何かあんのか?」

「はい」

「断言かよ。……まあ、ありそうではあっけど……これも単純じゃねえな」


 レインが引っ張ったり押したりしているが、床はびくともしない。

 だが、こんこんと叩いてみると、空洞になっているのはよく分かる。他の床よりも音が軽くてよく響いた。


「もしかして、これも無理矢理開けようとすると壊れるやつか?」

「はい」

「……ラフィスエム家、どんだけ厳重なんすか」

「ははっ。……これ、面倒なんだけど、四方八方から一斉に押した後、引くんだよ」

「へ?」

「ほう。どこからでも良いのか?」

「あ、いえ。上下左右、それぞれの位置が近過ぎたら駄目なんです。まあ、一人で開けられなきゃいけないので、……これくらいですけど」


 カイリは両手をある程度広げて床に手を突く。腕も二の腕まで床にくっつけ、位置を確認しながら調整した。手が震えそうになったが、根性で抑える。

 手と腕で上下左右を網羅し、一度に押して引く。はたから見ると怪しさ大爆発で、外でやったら間違いなく通報されそうだ。


「って、新人。ボク達いるんですから、一緒にやりませんか?」

「え。……あ。そっか」

「おいおい。思い出に浸るのは良いけどよ。もう少し周りを頼ること覚えろよ」

「……っ。は、はい」


 レインに頭をわしゃわしゃ撫でられ、カイリは一瞬嬉しさのあまり言葉に詰まってしまった。

 何となく、レインに「頼れ」と言われたことに感動する。少しずつでも距離が縮まっているのだとこんな時に実感した。

 フランツが「先を越された……」とねていたのに笑いながら、四人で定位置に着く。



 父との思い出の先を、今は大切な仲間達と開く。



 その事実が、どうしようもなくくすぐったくて、笑みが零れるほどに胸が温かくなった。

 一度深呼吸をして、カイリは両手を床に添える。いつの間にか震えは止まっていた。


「……いきます」

「おーし」

「いつでもこい」

「せーのっ!」


 エディの掛け声で、カイリ達は一斉に中心に向かって床を押す。

 すると、先程までは硬かっただけの床がぐにゃっと不思議なほどの弾力で曲がった。フランツ達が驚いた様に目を丸くしていたが、カイリが「引っ張って下さい」と告げると、手際良く手を床ごと引く。

 途端。



 がたっと、曲がった部分の床が中央へと収縮した。



 そのまま綺麗に一段下へと下がった後、そのまま口を開ける様にスライドしていく。

 村にあった仕掛けと同じだ。どんな原理になっているのかを、カイリは知らない。受け継がないまま、父は死んでしまった。

 それでも、ここに父との思い出の残り香が――原点があると思うと、泣きたくなるほど高揚していく。


「……村では、床にさっきの扉の鍵の仕掛けがあって、その更に下にこの仕掛けがあったんです」

「なるほどな。二重セキュリティというやつか。……カーティスらしい」

「んで。……秘密の書類とのご対面ってな」


 レインが開いた床の下に手を伸ばし、いくつかの封筒を拾い上げた。

 年季の入った古い封筒と、真新しい封筒が二つ。古い方も気になったが、カイリ達が求めているのは新しい方だろう。フランツとレインが同時に新しい方の封筒を開いて中身を確認する。

 そして、一瞬フランツは眉を微かに――本当に微かにだがひそめた。

 あまりにも険しい変化だったのがカイリは気になったが、疑問を口にする前にフランツが言葉を切り出す。



「……。ケント殿。証拠を見つけました」

「――」



 フランツの静かで真っ平らな宣告に、レナルドとフィリップが哀れなほどに動揺した。

 ネイサンは徹頭徹尾無表情で無感動だ。ただひたすらに腕を組んで、成り行きを他人事の様に見守っている。

 ケントが歩み寄って、フランツから書類を受け取る。レインのものにも目を通し、溜息を吐いた後に少しだけ微笑んだ。


「ご苦労様です。これで、レナルド殿とフィリップ殿が、ファルエラと黒く繋がっていることが証明されました」

「――っ、な、何だと⁉」

「そ、そんな馬鹿な! そんな証拠、見つかるわけがないっ‼ でたらめだ!」


 ケントが冷たく言い放つと、レナルドとフィリップが色めきだってがなる。

 見つかるわけがない、という文言がカイリには引っかかったが、ケントは至って冷静に書類をかざして見せる。


「ここに書かれていますよ。レナルド殿とフィリップ殿、両名のサインと、ファルエラの……重要人物のサインがね」

「……っ!」

「要約すると、ファルエラとの利害の一致のために協力し合うこと。ファルエラの間者をフュリーシアに招き入れる手引きをすること。ファルエラの間者と連携を取り、彼らの望む状況を用意すること。逆も然り。……そして、ファルエラの目的が遂行された暁には、お二人が望む地位を国に用意する、と。そういうことですね。つまり、もうフュリーシアには見切りを付けていた、と」

「それから、もう一つの方には、ガルファン殿との二つの村を巡る契約が書かれていますな。……まさか、教皇の直筆で許可をもらっていたとは。通常は枢機卿陣を一旦通すはずですが、一体どのような手を使ったので?」

「ひ……っ」


 後を継いでフランツが凄みを利かせて迫れば、二人は情けないくらいに狼狽した。何というか、小悪党だなという感想が拭えない。

 この二人が、本当にカイリを暗殺しようとしたり、ファルエラと何かを企んだりした元凶なのだろうか。村の管理人のフリをするのは上手ではあったが、挑発に乗りやすいし、およそ黒幕陣営の重鎮というには器が足りな過ぎる。


 ――やっぱり、黒幕は……。


〝ありがとうございます。とても優しくて、貴方らしい歌だと思います〟


 二人が利用されている、としか思えないこの状況に、カイリは自然と暗い気持ちに落ちていく。片棒を担いだもう一方の人間の、優し気な笑顔と言葉を思い出して、胸が絞られる様に痛んだ。


「そ、それ、は……そ、そうです。ガルファン殿と、……そう! ファルエラに脅されまして……!」

「――脅されて、カイリを殺そうとしたんですか?」

「――っ! ひいっ!」


 ケントの声が床をぶち抜くほどに低まった。背中も黒く揺らいでいて、彼の周りだけ温度も明度も一気に下がったのが視覚だけで分かる。

 ケント、と背中を叩いてなだめていると。



「ああ。後は、わたくしがガルファン殿や間者とのやり取りの密書のコピーを回収しておきましたわ」

「――はっ⁉」

「ケムステルの絵画。その裏ですわ。……とても分かりやすかったですわね」

「え、……あの絵画に?」



 カイリが声を出して驚くと、シュリアがどこからともなく書類の束を両手で差し出す。

 むしろ、何故そんな重要な書類が、ケムステルの絵の裏に挟まれていたのだろう。

 カイリが混乱の境地に陥っていると、シュリアが書類を広げて淡々と読み上げていく。


「村の管理を引き渡しても、管理人の顔をして素知らぬフリをする。助けは適当に追い払え。晩餐会をグレワンで開け。そこに大勢の重要貴族や騎士を招待しろ。爆破をする予定。あらかじめ用意しおいた犯人を捕まえる手筈を整えておくので、そいつをファルエラの手の者として高らかに叫べ。……万が一計画が狂うとまずいので、……カイリ・ヴェルリオーゼを抹殺しろ」

「――」


 最後に、一瞬嫌そうな顔をしてシュリアが読み上げた。瞬間的にフランツ達の空気が黒く、凍える様に吹雪いていったので、カイリは嬉しいやら恐いやらで首をすくめる。


「罪状は大量ですね、お二方」

「――っ! き、……貴様! フィリップ! あれほどまでに大事な密書をたかが絵画に隠しておくことは何事だ!」


 だんっと床を踏み鳴らし、レナルドが憤怒の形相で怒鳴り散らす。語るに落ちるとはこのことだ。

 しかし、フィリップの方も血管がぶち切れそうになるほど青筋を顔中に刻み、がなり始めた。


「私が! そんなヘマをするはずないでしょうが! いつだって、懐にしまい込んでいましたよ!」

「何だと⁉ じゃあ、あれは何だ! 本物なのだろう⁉」

「兄上こそ! 何故、こんなところにあの契約書を、――……!」


 互いに顔を見合わせ、ばっと懐を探り出す。

 そうして、がさっと二人から紙が擦れる音が上がった。つまり、彼らは肌身離さず暗躍の証拠を隠し持っていたことになる。

 ならば、この部屋から出た書類や、絵画の裏の書類は一体何なのか。

 その答えは、すぐに判明した。



「……っ。……何故、基本、父上しか入れないはずのこの部屋に、契約書があったのです……?」



 フィリップの絶望に染まった声は、小刻みに震えていた。レナルドもはっと目を見開いて、愕然とする。

 その意味するところを、カイリ達も正しく理解した。信じられない気持ちで件の人物を振り向く。

 全員の視線の集中砲火を受けたネイサンは、しかし鉄の仮面をかぶった様に無表情だ。微動だにすらしない。


「……ち、父上……っ」

「まさか、……我らを、ハメたのですか……っ」

「否。……彼らが見つけた書類こそが本物だ」

「な、んですって……っ!」


 急いで懐から取り出し、レナルドとフィリップは書類を確認する。目は血走っており、いっそ哀れになるほど隅々まで黙読していた。


「馬鹿な……! これは、確かに、私達が契約した文章と相違ない!」

「否。……サインの横の捺印に分かりづらい細工をしてある。偽造書類だ」

「……っ!」

「だ、大体、どうやって、書類を盗んだ、というのですか? だって、私達は本当に、肌身離さず……」

「否。お前達だって手放す時があるだろう。そう。例えば……入浴の時などはな。湿気は大敵だろう」

「――」


 淡白に示唆しさするネイサンの声に、二人は声にならない悲鳴を上げた。認めたも同然の反応に、カイリも意表を突かれてばかりだ。

 確かに、どれだけ肌身離さず身に付けていようと思っても、紙は水にとてつもなく弱い。どうしたって、その間だけは手放さなければならないだろう。

 しかし、入浴の時間という短い期間の間に偽造書類を作ることなど可能なのだろうか。

 その疑問は、すぐに氷解した。


「毎日時間をかけて、ゆっくり作った。……わしの手足とも言える者にも手伝わせてな」

「……! この、使用人に……!」

「……旦那様のお言い付けでした。どうぞお許し下さい」


 老年の執事が、丁寧に腰を折って恐縮する。二人が掴みかかりそうになったが、とん、とケントが爪先で床を叩いただけで怯えて後ずさった。

 本当に小物にしか見えない。

 そして、それは正しく証明された。


「……し、仕方が無かったのだ! ふぁ、ファルエラの方から色々取引を持ちかけてきたのだぞ! 協力しなかったら、そ、その、……あらゆる手段を使って、つ、潰すと言ってきて!」

「そ、そうです! 村の領主権だって、ガルファン殿がファルエラの間者を通じて送ってきて! とんとん拍子に決まって、彼の屋敷で正式に手続きを踏んだだけです!」

「そうだ! それに、教皇のサインもあった! 本物だった! それをどうして断れる⁉」

「それに、……大体! そこのカーティスの息子を殺すのは反対だったのです! ですが、……ふぁ、ファルエラの女王が望んでいることだから! とか! 我々にとっても、邪魔になるから、丁度良いのではないかって、そう、……いつの間にか、そうっ。奴らは、言葉巧みに私達をその気にさせてきて……!」

「それに……私達はどうせ、この国ではこれ以上大きくなれない! 父上が、当主の座を渡す気がないのだからなっ‼」

「だったら! ファルエラと手を組み、恩を売って! ファルエラという新天地で権力を得てやり直せば良いと思ったのです! 歴史あるホテルを壊すのは少し気が引けましたが、小規模だと聞いていました! それならまだ……!」

「ああ。貴方達は知らなかったようですが。調査した結果、仕掛けられていた爆弾はホテル一つを吹き飛ばすほどの威力でしたよ。……恐らく、貴方達もろとも邪魔者や証拠を葬り去るつもりだった様ですね」

「な……!」


 ケントの冷たい切り捨て方に、レナルドもフィリップも絶句した。まさか最後の最後に自分達が消されるとは夢にも思わなかったのだろう。

 甘い。ファルエラは、既に死者を出している。恐らく、動いているのは平気で人を殺せる人種だ。カイリの暗殺は少し雑だった気がするが、それでも狂信者と同じで、人が死んでも何とも思わない人種な気がしてならない。

 しかし、レナルドとフィリップが怒涛の様に自白をしてくれた。これだけ証拠が出た以上、彼らの自白も間者の自白も、今なら全て証拠として取り扱われるだろう。



「く、う……っ! どうして、私がこんな目に……!」

「……ふぁ、ファルエラの女王がっ。是非、手を組みたいと言ってきたからっ。我々も乗ることにしたというのに……っ!」



 わなわなと、怒りのあまり全身で震え出すレナルドに、カイリはふと気になって口を開く。


「……あの、フランツさん。ファルエラの女王って、確か十歳になるかどうかという人でしたよね?」

「……。ああ」

「? フランツさん?」


 歯切れが悪いフランツの回答に、カイリは首を傾げる。

 ケントは溜息を吐いて、手にしていた書類をカイリに見せてきた。彼の表情もあまり喜ばしくない様な雰囲気で、益々疑念が深まる。


「えっと……、……これは、レナルド殿とフィリップ殿のサインだよな。そして、下がファルエラの、――」


 言いかけて、カイリは呆けた様に声を失った。シュリア達がいぶかし気に寄って来る。

 だが、彼女達も書類を覗き込んで一斉に目を見開いた。

 それもそのはずだ。ファルエラの女王だという名前には聞き覚えがあり過ぎた。



〝ふふ、ぜったいよ。また一緒にお話しましょうね!〟



「……ハリエット・ネヴィル・ファルエラ?」



 書類に流麗な文字で書かれていたサインは、ルナリアで助けた少女。ハリエットの名前だった。


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