第271話


『カイリ。ここにいたのか』


 あれは、カイリがまだ十三歳だった頃の記憶。

 村の少し端の方にある大木の下でカイリが座っていると、父が静かに声をかけてきてくれた。

 大木の幹に預けた背を少しだけ離し、カイリは顔を上げる。どうせもう泣いていたことは分かってしまっているだろう。隣にどっかりと座り、くしゃくしゃと頭を撫でてくれる父の手に素直に甘える。


『ライン君が目を覚まして良かったな』

『……うん』

『カイリに思い切り泣かれてしまったと、ライン君が申し訳なさそうにしていたぞ』

『……っ。だって』


 ラインが、大木のてっぺんから落ちた。


 それを家で聞いた時、カイリは生きた心地がしなかった。頭が真っ白になって、両親の制止も聞かずにすぐさま飛び出して行ったのは記憶に新しい。

 その日、カイリは体調の悪い母の代わりに家事をするため、ライン達と遊びに行けなかった。ラインも年長のカイリが一緒にいないため、無茶はしない様に行動していたらしい。

 けれど、リックが地面に落ちてしまっていた小鳥を見つけ、親鳥の元に返してやろうとラインが大木に登ってしまったのだ。

 六歳になったばかりのラインは、まだあどけない子供にも関わらず身体能力に優れていた。木登りもお手の物だったし、実際その日も大木の上まで登り切ってしまった。

 巣に戻し、ホッとした直後。



 ラインがバランスを崩して、落ちた。



 よりによって、カイリが一緒にいない日にとは、何と言う神の悪戯だろうか。ミーナとリックが泣きながら大人達の元へ駆け付け、あっという間に大騒ぎになった。おまけに打ち所が悪かったらしく、目を覚まさないという最悪の事態に陥ったのだ。

 しかもそんな時に限って外から旅人が来てしまい、カイリは絶対に外に出ない様にと両親に厳命されてしまった。歌を歌ってはいけないという言い付けは普通にあったが、会ってはいけないというのはあまり無い例だったので、流石に巡り合わせを呪った。見舞うことすら叶わず、両親にはどれだけ慰められたか知れない。


 一週間の峠を越え、ラインが目を覚ましたと聞いた今日。両親からも許しをもらえ、ようやくカイリは彼の元に駆け付けられたのだ。


 ぼろぼろ泣きながらラインの手を握るカイリに、彼は珍しく困った様に眉尻を下げて「ごめん」と何度も謝ってきた。少し大人びた顔だなと思ったが、あまりにカイリが泣きまくって子供の様になってしまったからだろう。これではどちらが年上か分かったものではない。

 でも、良かった。本当に、良かった。


〝――カイリっ‼〟


 あの時みたいに。ケントみたいに。

 大切な友人が、死ななくて良かった。


『……っ』


 思い出して、またぼろっと目から熱いものが零れ落ちる。嗚咽おえつを必死に堪えるカイリの頭を、父は力強く撫でてくれた。


『……。……こういう時に、あまりする話ではないかもしれないが、……カイリ。聞いてくれるか』

『……、……なに?』


 返す言葉はひりついて、ひどく掠れたものになってしまった。

 それでも届いたのか、父は穏やかに、けれどはっきりとした声で切り出す。



『カイリ。この先、もしどうしようもない選択を迫られて、……それが必要であるのならば。思い出や死者よりも、目の前に生きる者を優先するんだ』

『……え?』



 唐突な話に、カイリは面食らう。よく分からない願いをされて、軽く混乱した。


『えっと……。父さん、どういう意味?』

『うん。突然に聞こえるだろうな。……父さん自身、そう思うが。……今回、ちょっと考えさせられたことがあってな』

『今回? ラインのこと?』

『いや、……うむ、ああ。ライン君のことと言えば、ライン君のことではあるか……』


 断言はしない。歯切れが悪く、父にしてはかなり言いにくそうにし、選択する言葉を迷っていた。ラインのことではないが、ラインが関係している。そんな感じだろうか。


『年齢を考えれば、当然、父さんや母さんの方が、お前より先に死ぬだろう。それは分かるな?』

『……っ。……い……』

『ああ! いいいいいいいや、大丈夫だ! 別に、俺達が今、不治の病にかかっているとか、そういうことはない! そう! これは例え話だ! だから泣かないでくれ!』


 慌てて父が言い募る。その姿が必死過ぎて、カイリはまた出そうになった涙が引っ込んだ。

 そんなカイリの様子にあからさまに胸を撫で下ろす父に、大切にされているなと実感する。

 ごほんっと咳払いをし、父は一生懸命真面目な顔に戻した。あまりに全力で努力をするので、カイリも父にならって静かに聞く態勢になる。


『思い出を支えにするのは良い。亡くなった大切な人を、心の拠り所や生きる糧にするのだって構わない。……父さんだって、それらがあるから今、強く生きていけている』

『……うん』

『だがな。……支えや拠り所にするのと、固執するのは違う』


 一瞬、父の横顔がさみし気にかげった。

 一体どうしたのだろうと気になったが、すぐにいつもの表情に戻して続ける。


『思い出や亡くなった者ばかりを見ていると、視野は狭くなる。……傍にいるはずの大切な人や、助けなければならない目の前の命をおろそかにする選択を、知らず知らずの内にしてしまうんだな』

『う、ん? ……父さん。よく分からないんだけど』

『んー……そうだな。まだ、難しいか。……極論を言うなら、父さんや母さんが死んでいたとして。……俺達を復活させてやるから、目の前で助けを求めている命を見捨てろって言われたら、俺達を選んでしまう、という様な感じと思えば良い』

『……え。極論過ぎない? 死者を生き返らせるなんて……無理だよ』


 最後はトーンが落ちた。

 もし大切な者が生き返ることが出来るのならば、どれだけ幸せなことだろう。それこそ前世で言うならケントが再び生を受けたなら、どれほど喜んだか。

 カイリが考え込んだ理由を、薄々察したのだろう。父がぽんぽんと慰める様に頭を撫でてくる。



『……父さんな。それで、一度失敗したことがあるんだ』

『え? 父さんが?』



 いつだって頼もしい父が、失敗したことがある。

 少し考えれば当たり前のことだ。父だって人間だ。最初から大人だったわけではない。若気の至りという事件だってあっただろうし、もっとやんちゃだった時期もあったかもしれない。

 ただ、「失敗」を口にした時の父の横顔が、泣いてしまうのではないかと思った。悲しみが痛いほど伝わってきて、ぎゅうっと胸が締め付けられる。


『ああ。……本当は分かっていたんだ。思い出は、もう既に思い出でしかないことを』

『思い出でしかない……』

『そうだ。だが、……父さん、どうしても諦めきれなくてな。……思い出の方ばかりを信じて、目の前の現実を見ることが本当の意味では出来ていなくて、……。……結果的にたくさんの人が死んでしまった。……死なせてしまったんだ』

『え、……』


 予想以上に重い過去に、カイリの息が一寸詰まる。どくどくと心臓がうるさいくらいに暴れて、血が震える様に体中の皮膚を叩く。

 一体どんな事件があったのだろうか。父は、何を後悔しているのか。

 けれど、今カイリがしたいのは、質問することではない。



 ぎゅっと、父をめいっぱい抱き締める。



 驚いた様に父が目をみはった気配がしたが、構わずにカイリは抱き着いた。ぎゅううっと懸命に己の熱を分け与える様に腕を回す。

 父に、そんな辛そうな顔をして欲しくない。少しでも、痛みを和らげたい。

 肩代わりは出来ないけれど、傍にいて苦しみを軽くしたい。

 いつも、父や母がカイリにしてくれる様に。カイリだって、彼らの力になりたい。

 言葉なく抱き締めていると、やがて父がふっと口を緩める音がした。がっしりと、カイリを力強く抱き締め返してくる。


『すまないな。変な話をしてしまった』

『ううん。……まだ、よく分からないけど。……ちゃんと考えてみるよ。父さんが言った意味』

『ああ、ありがとう。……、……お前は間違うなよ』

『父さん……』

『もし必要なら、今を一緒に生きている命を選べ。……ちゃんと、生きる人達と一緒に未来を見るんだぞ』


 抱き締めながら父が優しく、穏やかに背中を撫でてくれる。

 顔は見えなかったけれど、その言葉は涙の様にカイリの心に落ちた感触がした。











「それで、カイリ。先程の総務の話を聞こうか。一体何をしに行くのだ?」


 ケントとレミリアがたっぷりと牡蠣のペペロンチーノを満喫し、宿舎を辞した後。

 フランツが待ち構えていた様に、どっしりとカイリに聞き出した。シュリア達も茶を楽しみながらも、一斉にカイリの方へと視線を向けてくる。視線に物理的な威力があったら、今頃カイリは体中に穴が開いていそうだ。

 少し――否、ひどく緊張する。気を抜けば、体がすぐにでも震えてしまいそうだ。

 この話をすれば、絶対に反対されるだろう。

 だが、ラフィスエム家は今回の任務でいよいよきな臭くなってきた。手を打たないわけにはいかない。


「その前にフランツさん……聞きたいことがあります」

「うむ。何だ?」

「父さんって、駆け落ちをした時にラフィスエム家と断絶したことになっているんでしょうか。戸籍とかどうなっているかって分かりますか?」


 カイリの問いに、フランツはいぶかし気に腕を組んだ。確かに唐突な内容だし、面食らうのも理解出来る。

 だが、それでもフランツは誠実に答えてくれた。


「いや……戸籍からは抹消されていないはずだ。まあ、亡くなったことは知れてしまったから、鬼籍に入っているかもしれんが……」

「……。……そうなんですね……」

「兄二人は消せ、恥だと叫んでいた様だったが、当主のネイサン殿がそれを受け入れなかったと聞いている。一応体面だとか何とか言っていたが、真相は分からんな」

「ネイサン殿って……俺の、祖父ですか?」

「ああ。ちなみに、ティアナ殿も戸籍はロードゼルブ家にきちんと残っているぞ。あそこは、元々家族仲が良かったしな。……今は微妙にぎくしゃくしている様だが」

「そうですか……」


 取り敢えず、両親が二人とも実家から排除されていなかったことに胸を撫で下ろす。

 同時に、益々カイリが考えている手段が有効に思えてきた。


〝カイリ〟


 不意に、優しく名を呼んでくれる父の顔がよみがえる。あまりに温かな笑顔だったので、カイリの心がきしむ様にねじれた。

 覚悟を決めたはずなのに、自然と頭が下がる。薄情じゃないか、と引き返す様に別の己の声が聞こえた。

 しかし。



〝―― ク、イ……ッ! ニ……、…………イイイイイイイイイィィィィィイッ‼〟



 フュリー村の結界の一部に触れた時に聞こえた、あのどす黒い怨念。

 あれを二ヶ月も浴び続けている村の人達を放置するなんて、もってのほかだ。

 それに、一瞬だったが、あの黒い怨念の向こう側に遠く、本当に遠くに別の声が聞こえた気がした。

 村の人達を助けるためにも、あの怨念の正体を突き止めるためにも、くじけるわけにはいかない。


「フランツさん。ラフィスエム家に調査の許可を取れる確率、低いって思っているんですよね?」

「……ん? う、む、まあ、………………うむ」

「それで、許可を取れる策が全然思い付いていないんですよね?」

「……………………。……、……うむ」

「……みんなも、正直手詰まりだと思っているんですよね?」

「………………………………」


 フランツの弱り切った顔に続き、シュリア達も各々視線を外したり困った様に微笑んだりしていたが、全員同意見の様だ。

 つまり、ラフィスエム家はそれだけ強制捜査をするのが難しい家だということに他ならない。

 ずっしりと、心の重みが増した気がした。頭の中に一瞬空白が生まれる。

 だが、気付かないフリをして、カイリは淡々と――あくまで淡白に聞こえる様に切り出した。



「一つだけ、確実に効果がある方法があります」

「……ふむ。さっきの総務のことか。……聞こう」

「永久相続放棄と、永久血縁断絶。……総務に、この書類をもらいに行きたいんです」

「―――――――――」



 瞬間。

 ごっとーん、とテーブルの端で重々しい音が跳ね上がった。

 慌ててそちらを見やると、フランツが湯呑をテーブルに落として固まっているのが見えた。だばだばーっと湯呑ゆのみからは綺麗な緑の液体が流れ出ているのに、目を見開きながらカイリを真っ直ぐに必死に呆然と凝視してくる。


「え、……あの、フランツさん? お茶が」

「か、カイリ……っ。……そ、……そそそそそんなに、俺との家族関係が、いいいいいい嫌、だったの、……か……?」

「は?」


 ぶるぶると震えながら絞り出したフランツの声に、カイリは一瞬呆け――次の瞬間飛び上がった。


「え、……えっ⁉ ち、違います! フランツさんと家族になれたのはすっごく嬉しいです! 幸せです!」

「し、しかし、……け、け、け、……けつえんだんぜつ……」

「あ、ああああ! そ、それは! ら、ラフィスエム家に持って行くための書類です! 断じてフランツさんに差し出すものじゃありません!」

「――」


 声の限りに叫んで全力で否定すれば、フランツの目が現実に戻ってきた。既に中身が流れ切ってしまった湯呑を置き直し、傍にあった雑巾でのろのろ拭き始める。

 だが、誤解が解けたのは良かったが、今度は複雑そうな視線が集中砲火してきた。あまりに圧の強い視線の束に、カイリは身をすくめて縮こまる。


「……カイリ」

「……はい」

「何故、その書類が必要だ。……いや。そもそも、何故二つなのだ?」


 腕を組んで凄んでくるフランツに、カイリはあまりの気迫で押されそうになる。

 だが、ここで怯むわけにはいかない。カイリの考えを理解してもらうためには、言葉に尽くすしかないのだ。


「ラフィスエム家にとって、俺は邪魔なんですよね? いない者として扱っていると何度も聞きました」

「……うむ。だが」

「彼らにとっては、俺が相続権を持っているだけで疎ましい。いつか権利を狙って近付いてくるんじゃないかと危険視している。権利も富も万が一にでも手に渡ったらと思うととんでもない、そんな風に思っている。しかも、俺が聖歌騎士だから尚更、飛び越えて孫の俺が継いでもおかしくない……そういう可能性が出てくる。……だったら、その二つの書類は、喉から手が出るほど欲しいものですよね」

「……そう、かもしれん……が」

「だったら、もし調査の許可を頑として拒否してきた場合。その二つを餌に、交換条件で許可を引き出せるかもしれません」


 カイリの存在を理由に、村の調査を断られるかもしれない。



 だったら、最初からカイリの存在を無かったことに出来るこの書類は、絶大な効力を発揮するはずだ。



 何より、存在するだけでフランツ達の足を引っ張るのはご免だ。隣のファルエラも関与しているかもしれないと考えると、今回の任務は絶対に成功させなければならない。調査で二の足を踏むなど言語道断だ。

 それに、王族との信頼関係にも影響が出る。世界の謎に迫るためにも、ここでしくじるわけにはいかない。


「……。カイリ。答えになっていない。何故、二つ必要だ?」

「……」

「突き出すにしても、永久相続放棄の方だけで良いはずだ。何故、永久血縁断絶の書類まで取りに行く。必要ない」

「いいえ。必要です。……永久相続放棄は、本当の意味では『永久』ではないから」

「――っ」


 カイリが切り込めば、フランツが怯んだ様に眉尻を跳ね上げる。エディは交互に忙しなく視線を彷徨さまよわせ、レイン達は苦虫を噛み潰した様に黙り込む。

 永久相続放棄はその名の通り、家督や財産を一切放棄し、相続権を永久に放棄するというものだ。例え相続権第一位にあったとしても、無かったことにされ、第二位以降に譲られていく。


 だが、この法律は実は絶対ではない。


 正確には、他の全ての相続人が死亡したり、相続の資格無しと判断されて相続欠格になったりした場合、永久相続放棄をした人間の相続権が自動的に復活してしまうのだ。

 ラフィスエム家がカイリを心の底から妬ましく思い、疎んでいるのならば、自分達が相続出来なくなった時、カイリが相続してしまうと考えるだけで腸が煮えくり返るのではないだろうか。――前世で法律を独学で学んでいた時、金や権力というものがどれだけ人を狂わせ、醜くさせるかを思い知らされたものだ。判例を読み込み、具合悪くなったこともある。


 だからこその、永久血縁断絶なのだ。


「永久血縁断絶は、本当の意味でその家と無関係になる法律です。……相続放棄の方と違って、こちらは永遠に効力が保障される。そうですよね?」

「……っ。ああ」

「その分、認められるのは難しいし、手続きが煩雑みたいですけど。……そもそも最初から血縁関係になかったのだから、相続権だって持っていないということになります」


 日本には無かった法律だ。本当の意味で家族でなくなるという制度を書物で読んで知り、本当に驚いた。

 まさか、自分が提案することになるとは思わなかったが。



〝もし必要なら、今を一緒に生きている命を選べ〟



 ――父さん。



 きっと父は、こうなる未来を予見していたのではないだろうか。

 実家と仲が悪いまま別れたのだ。カイリがもし村の外に出たら、実家の厄介ごとに巻き込まれると予想していたに違いない。父は頭が良かったから、命を狙われる危険性だって考慮していただろう。

 こんな風に使うことになるとは思わなかったかもしれないが、この制度が必要になる日が来るかもしれないと考えたから、昔、あの話をしたのではないだろうか。

 そうでなければ、――思い出や死者より生きる者を優先しろとは、きっと、言わない。


「フランツさん。もし、他に策が無いなら、この書類を使いませんか」

「……っ」

「もう、時間もありません。……本当はもう少し時間をかけて色々やるつもりでしたけど、……日曜日にラフィスエム家がパーティを開く。明日の調査次第ですけど、もしかしたらそれまでに決着をつけなければならないかもしれないんですよね」


 だとすると、土曜日に許可を取って、その日一日で調査と結界の解除をしなければならなくなるかもしれない。

 ファルエラの間者の件だってある。例え両者を捕縛したとしても、証拠を押さえられずに肝心な部分が分からないまま終了したら、国としても大ダメージだ。許可を取るのにもたついている暇はない。

 フランツはがしがしと頭を掻き回し、獣の様に低く唸る。あまりに苦し気なうめきに、カイリの胸も何故か震えた。


「だがなっ! ……分かっているのかっ? ラフィスエム家と縁を切る、ということは……籍が残っているカーティスとの縁も切るということだ」

「……。はい」

「つまり! 表向き、二度とあいつを『父』とは呼べなくなる! ……『父さん』と表で呼んだだけで、下手をすれば通報される。そうだ、……『父さん』、と呼ぶだけで詐欺罪として逮捕されるのだぞ!」

「……。……、……はい」


 そうだ。永久血縁断絶は強力だ。



 縁を切った者を、二度と家族と呼べなくなるのだから。



 もし、カイリがカーティスを父として話せば、それだけで詐欺罪になってしまう。かなり強力で厄介な法律でもある。故に、当事者と複数の証人が必要となるのだ。

 父は既に故人だ。養子縁組などの救済手段も取れないから、カイリは永遠に父とは呼べなくなる。

 しかし、だからこそこの法律は、これ以上ないほど今回は有効な手段となる。


「やはり、駄目だ。許せん」

「……フランツさん」

「お前がそれで良いと言ったとしても! 俺は嫌だ! お前があいつと親子でなくなるなど……冗談じゃない!」

「フランツさん」

「あいつからの手紙でお前を知った時、俺は本当に良い親子だと思った! こんな親子が羨ましいと、楽しそうだと、読んでいる俺まで幸せになる様な関係だった! そんなあいつから俺は大事なお前を託されたし、それに!」


 だんっ! と、テーブルを叩き付ける音は泣いていた。

 その響きに、カイリは驚くよりも喉が震えそうになって苦しくなる。


「……それにっ! 何より、お前にそんな酷い決断をさせたいと思う親がどこにいるっ⁉」

「……っ」

「お前は俺にとって、大切な息子だ! カーティスから託されたというだけではない! 大事な大事な、……誰でもない俺の! 息子だ! そんなお前に、この先絶対に苦しむのが分かっている決断をさせるわけにはいかん!」

「……。……じゃあ、他にどんな策があるんですか?」


 努めて冷静に聞き返せば、フランツは切り替えせずに言葉を詰まらせた。ぐっと拳を握り締め、ぶるぶると体を戦慄わななかせている。

 フランツが、ここまで怒って叫んでくれている。カイリのことを思って、苦しんでくれている。

 それだけで、充分だ。

 そう。



〝カイリ。……愛しているよ。父さんも母さんも〟



 充分――っ。


「……っ、……俺にとって、ラフィスエム家は元々縁の無い人達だったんです」

「カイリっ!」

「……元々、村から出なければ会うはずもなかった人達で、会っても歓迎もされない。だったら、最初から、……」


 家族じゃないと思った方が。


 続けようとして、一瞬喉が重苦しく縮まった。声を発することが出来なくなる。

 表情は全く変わらなかったと思う。カイリの頭はやけに静まり返っていて、客観的に己の顔の筋肉も把握出来る。ただ、喉が重く沈んだ原因が分からないだけだ。

 大丈夫。縁を切ったって、本当の意味で父が父で無くなるわけではない。

 だから。



「総務に、書類を取りに行かせて下さい。フランツさん」



 困っている人を救うために、この道を進もう。


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