第246話
「んー。やっぱり村まで結構長いよねー」
「そうだな」
高台から飛び降りて、フュリー村へ向かっていたカイリとケントは、なかなか近くまで辿り着かないことに気付く。
当然だ。高台はその名の通り、結構な高さがある。上から見下ろしたらそれなりに近い様に見えるかもしれないが、縮図として目に映っているのだ。かなりの距離があるのは子供でも分かる。
時間は有限だ。なるべく多くのことを調査したいのだから、もう少し距離を素早く縮めなければならない。
「仕方ないなあ。聖歌語で駆けようか」
「やっぱりそうなるか……。村の人達や……もし見張りがいたら気付かれないかな?」
「雨が降っている範囲は、村からかなりの距離を取って円状に広がっているから、人影には気付かないはず。見張りは……まあ大丈夫だよ」
後半が少しケントにしては曖昧な気がするが、大丈夫だと言うのなら間違いはないだろう。
故に、カイリはぐっともう一度予備の傘を握る。ぱんっと小気味良い音を立てて開いた色は、空を思わせるほどに透き通った水色だった。
先程は恐怖と混乱のせいで気付かなかったが、本当に綺麗だ。雨の中でも気分が晴れ渡っていく。
「カイリ、平気?」
「ああ。……大丈夫だ」
「そっか。……じゃ、行くよ! せーの、――【走れ】!」
「……っ、――【駆けろ】っ!」
ケントの聖歌語に呼応し、カイリも無我夢中で聖歌語を放つ。
びゅんっと、風になった様にカイリは勢い良く駆け抜けた。教会に初めて来た時に使ったことはあるが、あの時よりも遥かに早い。通常では考えられない速度に、カイリは呼吸が苦しくなった。
だが、すぐにケントが手を引っ張って強引に足を止めてくる。ずりっとぬかるんだ地面の上で滑ったが、何とか体勢を立て直してカイリは踏ん張った。
「うんうん、よーし! 着いたね!」
「え? 着いたって、――」
天候とは対照的なケントの晴れやかな笑みに、カイリは
地平線の端の方に、豆粒くらいだが村が静かに鎮座しているのが見えた。視認できるくらいにまで近付いたのだと知り、きょろっと思わず辺りを見回してしまう。
すると、カイリ達は既に雨が降るか降らないかのぎりぎりの境界線にいた。今さっきはかなり距離があったはずなのにと、カイリは思わず元来た道と見比べてしまう。
「え、……そんなに走ったか?」
「走ったよ! ……うーん、やっぱり」
やっぱりって何だ。
そう問いかけようとしたが、ケントが
「ねえねえ。カイリって、最近急激に聖歌語の威力とか上がってる?」
「え、……どうなんだろう。でも、……そういえばこの前聖歌を歌ったら、威力が上がってるって言われた様な」
体力が戻ってきて久々に『ゆりかごの歌』をみんなに向けて歌ったら、シュリアにそう指摘された気がする。
あの時はそうかと軽く流していたが、教会に来た頃に比べると、今の聖歌語で走った距離が段違いだ。当時は本当にごくごく短い距離しか聖歌語の力が持続しなかった。
「そっかー。じゃあ、一度色々試しておいた方が良いよ! 自分の聖歌語の力を把握しておかないと、いざって時に加減とか調整とかしにくくなるよ!」
「……そうだな。分かった、ありがとう」
ケントの忠告に、カイリは素直に頷く。
今回は遊びに来たという
それに。
――不謹慎だけど、わくわくする。
雨のことは差し置いても、ケントと何かをする、というのが楽しい。時々食事を一緒にしたり遊びに行ったりはしていたが、共同作業というのは初めてかもしれない。クリスの屋敷の警護は、最後に少しだけだったし、本格的ではなかった。
ちらりとケントを
「うーん。……今、僕達が立っているところは雨が降っているけど」
「……二歩先は、降っていないな」
本当に綺麗に線が引かれたかの様だ。ここまで規則正しい一線の引き方は逆に不気味である。
「……。何か、嫌な気配を感じるなあ」
「え、……そうなのか?」
「うん。カイリは感じないんだね。……カイリが鈍いのか、巧妙に隠されているのか、判断しにくいなあ」
「……悪かったな。鈍くて」
確かにカイリは、まだまだケント達に比べて実戦経験も実地調査の回数も少ない。彼らと比較して、勘や経験則が足りないのは否めなかった。
今一度村の方向へ意識を凝らしてみるが、カイリにはやはり何も感じ取れない。ケントの言う通り鈍いのだろうかと地味に傷付く。
「仕方ないや。特に罠は見当たらないし、中側に入ってみようか」
「分かった」
ケントと顔を合わせ、カイリは雨に濡れていない大地に同時に一歩を踏み出す。
途端。
足元が、一気に温かくなった。
「え、っ?」
「カイリ、平気?」
「ああ、うん。ケントは?」
「僕も、……まあ平気だよ。……何か、……雨を物凄く毛嫌いするみたいに拒んでいるね」
ケントは胸を押さえながら、眉根を寄せる。カイリも足元を見下ろし、自然と眉間に
濡れていたはずの足は、雨が降らない大地に下ろした途端、あっという間に乾いていく。傘から垂れた滴も地面に吸い込まれた途端、みるみる内に跡形もなくなっていった。かなりの蒸し暑さだ。
明らかに異常な気配に、カイリは思わず遠くの村を凝視してしまった。こんな異常気象を毎日見せつけられて、さぞ心が乱れていることだろう。心中を察するに余りある。
だが、異変はすぐ近くでも起きていた。
「……ごめん、カイリ。ちょっと、……っ」
「――、え?」
ケントが、ずるっと倒れ込む様に後退した。
どさっと崩れ落ちる彼に、カイリはざっと血の気が引く。
「おい、どうしたんだ? ケント!」
「……っ、平気。ちょっと、気分が悪いだけ。……雨の方にいれば大丈夫だから」
「雨の方って、……それ」
反射的に村の方へ振り返る。そういえば、ケントは嫌な気配がすると言っていた。十中八九それが原因だろう。
荒い息を吐くケントの顔色は悪い。立ち上がるのも億劫の様だ。たった数秒でここまで具合が悪くなんてと、身震いしてしまう。
しかし、今カイリは動けるのだ。
ならば、と。カイリは意を決し、もう一度雨を避ける大地へと踏み出してみる。
よくよく意識を集中してみると、
だが、カイリに感じられるのはその程度だ。ケントの様に崩れ落ちるほどの不快感には見舞われない。
確認してから雨の方へ戻れば、ケントの顔色が少しだけ良くなっていた。回復の速さにホッと胸を撫で下ろし、ポシェットに入れていた水筒を取り出す。
「……ケント。水、飲むか?」
「うん。……カイリは平気なんだね」
「ああ、今も特にはな。……多分、この石のおかげなんじゃないかな」
胸元を見下ろすと、パイライトが淡く発光していた。少しだけ熱い感触に触れて、その石が効果を放っているのだと気付く。
パイライトはゼクトールの家、つまり母の実家の家宝の一つだ。この石は強い魔除けの効果があり、カイリ自身も魔除けの力を持っているからこそ選んだのではないかとゼクトールが教えてくれた。
ケントがここまでダメージを受けるとなると、やはり村には何らかの悪い作用が働いていることになる。
「はあ、……ごめんね、カイリ。楽になったよ」
「本当か? あんまり無理はするなよ」
背中をさすりながら顔を覗き込むと、ケントは幾分白い顔を、にぱっと輝かせた。
「大丈夫! さて、――【我は我】」
胸に手を当てて、目を
ぱしんっと小さく何かが鳴った。彼の周囲に透明な
「……今のは?」
「魔除け簡易版。何があろうと自分は自分って強く念じておくとね、精神的な攻撃とかもある程度弾けるんだよ。だから、こういう場合にも……ほらっ!」
とん、と軽やかにケントが村の方へと踏み出す。
カイリは慌ててしまったが、彼はすこぶる元気だ。ほらほらっとはしゃぎながらステップを踏み、くるんとターンまでこなす。
「平気でしょ!」
「……ああ、本当だ。凄いな」
「そうでしょそうでしょ! カイリも出来るよ、やってみる?」
「そうだな。えっと、……【俺は、俺】」
目を閉じて強く念じれば、すうっと己の周りに薄い膜が流れていくのを感じた。
まるで何かに守られている様な感覚に、カイリは首を傾げる。流れを辿ってみると、とても緩やかに空気が笑っている様で不思議な心地がした。
「これ、俺がやったんだよ、な?」
「んー……。……うん、そうなんじゃないかな?」
「そっか。……ひとまず、ぐるっと一周してみるか。結構歩くかもしれないけど」
「そうだね! そうしよ!」
行こう行こう、とケントが傘を差しながら意気揚々と歩き出す。カイリも慌ててそれに続いた。
迷いはしたが、カイリは結局雨の降っているぎりぎりのラインを歩くことにした。あまり悪い気に当たり続けると、いざという時に動けなくなるかもしれない。それだけは避けたかった。
しかし、いくら歩いて周囲や地面を目を皿にして観察しても、何も見当たらない。カイリが見落としているだけかとも思ったが、ケントも一周をしたところで首を傾げた。
「んー、地面に何か書いてあるって感じもしないね!」
「そうだな。特に埋めた跡とか怪しい部分もなかったよな」
「もう少し捜索範囲を広げれば何か見つかるかもしれないけど。範囲が広いから、二人だと厳しいね。それにもし、仕掛けが村の中なら、今日は無理だし」
「そうか……」
この境目が怪しいからと言って、境目部分に仕掛けがあるとは限らない。視野が狭くなっていたと反省する。
だが、もしケントの推測通りなら収穫は無しだ。いや、境目には何も無いというのが収穫と言えば収穫か。
とは言え、あまりにも成果が無さ過ぎる。他に何か情報は無いだろうかと必死にカイリは首を捻った。
「うーん……、……なあ。こういう変な悪い気が漂っている場合って、聖歌とか関係あるのか?」
「聖歌、ねえ。……んー、どうだろうね。僕としては、この雨の降らない場所は、聖歌を歌えない人達への影響はどうなんだろうって気になったんだけど」
「え? 歌えない人に対してか?」
どうしてまた、とカイリが疑問視して――何となく話が見えてきた。
あまりに不可解な符号に、
「そう。だって、僕は、村側に入ったらすぐに気分が悪くなったんだよ? カイリだって魔除けの力を発揮しているから平気だけど、入ったら嫌な気配は感じられたでしょ」
「……ああ。そうだな。でも」
「そ。村の人達って、何とかしてくれって助けに出て来れるくらいには元気なわけでしょ」
「……。少なくとも、健康で、正常な思考ってことだな」
「そうそう! それに、野菜だって二ヶ月間何とかして持たせてたっていうし。……ということは、野菜とかには別に影響ないんだよね。村人にも、もしかしたら影響はないのかも?」
ケントが語る推測に、カイリは反論が出来ない。憶測でしかないが、ケントが具合が悪くなるくらいの影響を毎日浴び続けていたら、普通はすぐに動けなくなりそうだ。
それなのに、村人達は動ける上に、助けを何度も求め、野菜も持たせようと日々
雨を避けるという以外にも、何かこの村に対策が施されているのであれば。
「……教会騎士、もしくは聖歌騎士を弾きたいってことか?」
「そうかもしれないってこと。問題解決に動くとしたら、やっぱり僕達騎士だしね。特に聖歌騎士は厄介でしょ。……あー、フランツ殿達が動ければなー。試すこと出来たのに」
「無いものねだりはするなよな」
「分かってるよ。だけど、僕達二人共聖歌騎士だからね。これ以上の推測が立てられないよ」
はあっと大袈裟にケントが溜息を吐く隣で、カイリは顎に手をかけて思案に沈む。
そういえば、ケントの様に具合が悪くなったことが、カイリには二度ある。遠い記憶だが、彼の様子を見て思い出したのだ。
そう。
一度目は、初めて教会に来た時。街中で流れる聖歌を読み解こうとした時だ。
あの時は、フランツに言われて聖歌の内容を把握しようとした。
しかし、聖歌の中身を理解するのを禁じるかの如く、脳が激しく拒絶した。猛烈な吐き気に襲われて、カイリはしばらく
二度目は、ミサで聖歌隊の聖歌を聞いた時だ。周りは平気だったのに、カイリだけ気持ち悪くなって懸命に意識を逸らしていた。
今回のケントの反応は、程度の違いはあれ、同じに映った。そして、状況としては街中の聖歌の方が近い。
――まさか。
一つの結論に辿り着き、カイリの額に嫌な汗が浮かぶ。
ただ、街中の聖歌は、ケント達聖歌騎士でも意味を読み取ろうとしなければ影響はないのは証明されている。実際、ケントや他の騎士達が街中で具合悪くなっているのを目撃したことはない。カイリも日常を過ごすには何ら支障はなかった。
だが、フランツ達はあの街中の聖歌を「あまり良い気分はしない」と断言していた。
もし、あのからくりが、この村にも使われているとしたら。
「……」
今は、耳をいくら澄ませても聖歌は聞こえない。
だが、同じ様な『何か』が潜んでいる可能性はある。
「……、ケント」
「うん? 何?」
カイリは村の雨の降っていない方へと再び一歩を踏み出した。体が範囲内に入ったことを確認して、ケントの方へと振り返る。
神妙な顔つきになっていたのだろう。ケントの方も真顔になった。
「……カイリ、どうしたの?」
「ケント。俺、一つだけ思い当たる節があるんだ」
「え? この現象を見たことがあるの?」
「ああ。……でも、どう説明して良いか分からなくて……だから、今からちょっと探ってみる」
「探る?」
ケントが不可解に眉を
正直、またあの激しい嫌悪や吐き気に見舞われるかもしれないと思うと気が滅入る。
だが、二の足を踏んでいる場合ではない。原因が突き止められるのならば、何でも試す必要がある。
「俺もケントみたいになったことがあったんだ。初めて聖都に来た時に」
「聖都? ――」
「原因は聖歌だった。それで、今回も聖歌かもって」
「……、カイリ」
「聖歌が、悪い方法で使われているかもしれない。だったら、……俺はそれを止めたいんだ」
「……」
途中からケントの顔にも真剣な色が走った。目つきが冷徹に細まるのを目の当たりにして、やはり彼は団長だなと感銘を受ける。
そして、聖都に来た時という単語と、聖歌という単語を組み合わせて、予想に行き着いたのだろう。複雑そうに視線を下に向けた。
「とは言っても、読み解く自信はあまり無いんだ。かなり気持ち悪くなる可能性が高いし、無理して探り続けたら倒れると思う」
「……カイリ。でも」
「俺の方が魔除けの力が強いなら、俺がやらなきゃ。……もし、手掛かりを得る上で不都合が起きたら、任せたい」
「……」
「……頼んでも、良いか?」
我ながら無茶な要求だと思う。
だが、有力な証拠を得られるのならば、逃したくはなかった。
真剣な願いを感じ取ってくれたのだろう。ケントは困り果てた顔をしながらも、はあっと溜息を吐いて了承してくれた。
「良いよ! カイリは本当に無茶ばっかりだね!」
「お前に言われたくないけどな。……でも、頼む」
言うが早いが、カイリは目を閉じて気配を探る。己を空気に落とし込む様に漂わせ、じわりじわりと周りへ浸透させていった。
視界を遮断し、耳を澄ませる。五感の内の一つでも閉じると、他の感覚が敏感になるからだ。
そうして、どれくらいが経っただろうか。十分、二十分、もしかしたらもっと長い時間が経ったかもしれない。
切れそうな集中力を掻き集め、必死に聴覚や触覚を研ぎ澄ませていると。
―― ……、…………ヨ…………。
微かに――本当に微かにだが。
遥か遠くから、音らしきものが届いてきた。
「――っ!」
集中しなければ、音かどうかも分からないほどに微量な大きさである。
だが、逃すわけにはいかない。焦らず、ゆっくりと、音がする方向へと体を動かす様に気配を向けた。
先へ先へと、緩やかに自分を滑らせていく。逸る気持ちを必死に抑え、一歩、いや半歩よりも短く、本当に少しずつ距離を縮めていった。
慎重に、だが着実に向かっていると、音の鳴る方向が絞られてくる。
あと少し。――あと少しと、手で触れる様に耳で音を捕えた。
直後。
―― ク……ナ、…………! …………ネエエエエエエッ‼
猛烈な激痛が、耳から心臓へと一気に突き破った。
「――っ‼ あっ⁉ が、は……っ‼」
「――カイリっ!」
激痛は突き破っただけでは飽き足らず、体中のあちこちを暴れ狂う。内側から外側へ、外側から内側へと縦横無尽に駆け回った。
体を何度も真っ二つに引き裂かれる様な衝撃に、カイリは堪らず地面に倒れ込む。
「あ、がっ! あ、……あぐっ!」
「カイリ! カイリ、しっかり! カイリっ!」
「あ、……は、ぐっ! ……ああああああああああああああああああっ!!」
胸を掻きむしりながらカイリは痛みを必死に逃す。痛みで滅茶苦茶に暴れるカイリを、ケントが強く抱き締めてくれた。
「は、……はっ、……ぐううっ!」
ぎりっと、彼の腕を掴みながらカイリは耳を更に澄ませる。痛みで朦朧とした意識を、死に物狂いで遠くへ伸ばした。
―― ……サ、マア……、……アアアッ。
音が、聞こえる。闇よりも真っ暗な、触れたら最後、永遠に叩き落されそうな音だ。
けれど、一度掴んだのだ。ここで逃してはいけない。
それに。
声が聞こえる、気がする。
この呪詛の様な塊の音を受け入れてはいけない。聞いてもいけない。
でも、放置してもいけない。
カイリにも理由は分からなかった。
だが、どす黒くて一寸先さえ見通せないその真っ黒な塊の向こうには、何か別の声が潜んでいる気がしてならないのだ。
だから。
絶対に、離しはしない。
その先の何かを求める様に、がむしゃらにしがみ付く。
「こ、……のおおおおっ!」
―― ク、イ……ッ! ニ……、…………イイイイイイイイイィィィィィイッ‼
「ぐ……、あっ!」
どんっと、何度も心臓を貫く衝撃を受ける。
途切れ途切れの上、まだ微かでしかないはずなのに、何故かはっきりと言葉として殴り付けられる。真っ黒な熱が絶えずカイリを
それは、強烈な感情だ。
いや、感情、なんて生易しいものではない。
これはもう、感情を超越した負の塊だ。
―― ホ、ロ……ヨ、……――、――キシ、フゼ……ガアアアアアアアアッ!
「あ、がっ⁉ ごほっ! は……っ!」
「カイリ! もう良い! カイリ、やめて! このままじゃ」
駄目だ。あと少し。
ケントが何かを叫んでいるが、カイリは触れた音に必死に手を伸ばす。
―― シ、……シ シ シ シ シ シ シ シ シシシシシシシシシシシシシシシシシ。
何かを繰り返し呟いているのが分かる。どうお世辞に取っても好意的ではなく、敵意だらけのものだが、それでも逃がすわけにはいかない。
だから。
――見つけたっ!
気配の指先が、その音に遂に触れた。歯を食い縛って強く握り締める。
途端。
―― シ ネ ――
「――――――――」
真っ黒な塊が、カイリの心臓にばっくりと食らいついた。
「あ、……あ? ……あああああああああああああああああああああああっ‼」
「カイリッ‼」
全身が滅茶苦茶に引き裂かれる様な激痛を立てる。
ぶちぶちいっと、嫌な音を立てて命が刈り取られていく。容赦なく食らい尽くし、余すことなく
「あ、……あああ、あっ!」
抵抗しても一向に収まらないおぞましさに、だんだんとケントを掴む手に力がこもらなくなっていく。
まずい。このままでは。
死――。
「――……っ」
死ぬのは恐い。痛いのも嫌だ。早く楽になりたい。
けれど。
『……ああ。お可哀相に』
「――――――――」
その、遥か遠くから聞こえた『声』を聴いた途端。
カイリは恐怖を遥かに
ぱちぱちっと真っ暗な夜空に星が次々と瞬く様に、何かが
『貴方は結局、――の死を――にしたのですよ』
かつて。
大切なものを失った時の、絶望。
目の前で願いを踏み潰された、虚無。
【自分が死】んでも、【何も変わらなかった】という真実。
ここで死んだら、【また】。
また、自分は。
――冗談じゃない。
何のために、自分はここに来た。
何のために、【―――を追いかけてきたと思っている】。
そうだ。まだ、何も成し遂げていない。
それなのに。
誰が。
――こんなところでっ!
「――――――――っ、……い、……っ!」
本当の【意】味で追いつ【くまで】。
――死んで、たまるか……っ‼
「カイリ! ……カイリ……っ!」
「――っ! ――お、……おれ、……は……っ!」
――【俺は】!
「……【俺は、――生きる】っ! 絶対に、【生き続けてやる】! 【貴様の、好きには、……させない】っ!」
「――」
「勝手に、……【勝手に、俺を殺すな】っ!!」
力という力を――それこそ残りカスさえ残らないほど全身から振り絞り、跳ね返す様にカイリは吠えた。
ありったけの意思を塊にぶつけるのと、カイリのすぐ傍で音が弾けるのは同時だった。
ばあんっと、爆発する様な音が耳元で破裂する。同時に、命を食い破っていた衝撃も爆ぜて消えた。
「……っ! ……ごぼっ!」
「カイリッ‼」
「……は、あ! ――っ!」
「……っ、……カイ、リ……っ」
ケントが、苦しそうにカイリを抱き上げてくる。
今にも泣きだしそうな顔に手を伸ばしたかったが、もはや体は言うことを聞かなかった。ごほっと、何かが口から零れ出て、ケントが震える様に唇を
大丈夫だ、と。せめて声に出して伝えたかったが、意識が急速に落ちて行く。
「――、……あ、……ご、め、……――」
後は、頼む。
そう言いたかったのに、言葉にならないまま。
カイリは、ごとんっと事切れる様に意識を落とした。
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