第247話


「カイリ……っ」


 気を失ったカイリを抱き締めながら、ケントは青い顔で周囲を見渡す。

 彼がひどい無茶をしたのは嫌と言うほど実感した。この一角だけ、嫌な気配がざっと潮が引く様に霧散したのだ。

 だが、まだ一角だけ。つまり、牙城のほんの一角を崩しただけだ。雨がまだ外側に流れて来ないのが良い証拠である。

 それでも、カイリは一部を崩せたのだ。確実に何かを掴み取っただろう。

 ならば、後は彼を安全な場所に連れて行くのがケントの使命だ。もう一つの村が見れなくなったが、収穫があったならば引くべきである。

 それに。


 後は、頼む。


 彼は、気を失う直前に託してきた。信頼をたがえるなど、ケントには天地が引っ繰り返ってもありえない。


「まったく……本当に、無茶をしてくれるよね」


 言いながらも、ケントの口元が醜く歪むのが分かる。

 彼は無茶をして気絶している。血を吐いて、死にそうなほど苦痛に悶えていた。彼が虚ろな目で見上げてきた時は、心臓が止まるほどに恐怖で震えた。

 それなのに、彼が自分を全面的に信頼し、倒れるほどの無茶をしたのが心の底から嬉しいのだ。

 彼が、頼ってくれる。彼が、信頼してくれている。



 彼が、自分に命を預けてくれている。



 そのことに、歓喜が震えながら奥底から湧き上がってくるのを感じた。

 歪んでいる。本当に、ケントは人として大切なものが欠けているのだ。こんな時に思い知らされる。――自分は本当に、カイリの親友としては失格なのだと。

 けれど。



「……渡さない」



 誰にも、『神』にだって渡さない。

 彼は、ケントにとって大切な存在だ。前世からつながる光だ。彼を失うなんて、考えただけで世界が閉ざされた様に真っ暗になる。

 だから。


「……ねえ、出てきなよ」


 暗い底から招く様に、ケントは命令を発する。びりっと、近くの空気が裂ける様に振動した。

 数秒だけ時間を置いて、遠く離れた木の影から数人が姿を現す。全員正体を隠す様に布で顔を覆っている。特定するにはがすしかない。

 だが。


「君達、……は主犯なんかじゃないよね。下っ端っぽいもん」

「……、そいつを寄越せ」


 寄越せと来たか。


 カイリが目的、というよりは、彼が村を覆う『何か』を破ったことに驚いているのだろう。それが遠くからでも感じられるということは、彼らはただの野盗ではない。

 だが、狂信者の様な雰囲気も感じられない。騎士とも違う匂いがする。ケントも流石に判断材料がとぼし過ぎて推測を立てにくかった。

 しかし、ケントには関係ないことだ。



「よりによって、『そいつ』呼ばわりするなんて。――身の程知らずだね」

「――」



 ケントの笑みが、真っ暗に深まっていく。獰猛どうもうな牙を剥く様な心地で見れば、相手が一瞬凍り付いたのが見えた。

 すぐに体勢を立て直してはいたが、容赦などしない。カイリを甘く見た彼らには、裁きを与えなければならないのだから。


「お前達が何者だって、僕には興味ないけどね。……ああ、でも」


 カイリは、情報を欲している。


 それに、カイリがしたことをラフィスエム家に知られるのも厄介だ。

 ならば、ここで逃がすのは得策ではないし、殺すことはもってのほかだ。カイリが一番嫌う方法である。

 くつっと、笑みが歪む様に喉で鳴る。数人の野盗達が後ずさりしそうなほど怯えていたが、それでも踏み止まったのは矜持きょうじか。それとも、逃げても同じ末路を辿るからか。

 しかし、ケントには心底どうでも良い。

 痛めつけて自害をされても困るし、死ぬことさえ忘れるほどの恐怖で支配するのが一番だろうか。


「……」


 ちらっとカイリを見下ろすと、彼は苦しそうにまぶたを閉じている。

 彼に聞かれるのだけは避けたかったが、この様子だと心配はなさそうだ。

 温度の無い視線を、真っ平らに彼らに投げ付ける。彼らが得物えものを懐から取り出す前に、ケントは素早く胸元の短剣を引き抜いて投じ、全て叩き落としてやった。その際、足元にも短剣を放り投げ、服の裾ごと地面に縫い付けるのも忘れない。


 逃がしはしない。吐けるだけ吐いてもらおう。


 軽く目を伏せて息を吸い、ケントは相手を薄く睥睨へいげいした。

 そして、声を吐き出す。黒くたゆたう旋律に乗せて。



うさぎを追え、軽やかに】



 地を這う様に、ざわりと周囲が震える。

 草が、木が、大地が、空が。

 うねる様に不穏にうごめき、全ての秩序を折り曲げながら彼らを囲う。

 そして。



小鮒こぶなを捕えよ、速やかに】



 敵と看做みなした世界の全ては、彼らを閉じ込め、獰猛どうもうに牙を剥いた。



「――ひっ!?」

「な、何だ……⁉ 何なんだ、これはっ⁉ ひいっ! 取れな……!」

「ひいいいっ! い、あ、……い、く、くく来る、な! 来るなあ! 化け物! ぎゃあああっ!」

「いやああああああああああああああああああっ!! 誰か、……誰かああああ!」



 突如、彼らが周囲を見渡して悲鳴を上げる。頭を抱えてうずくまり、這いつくばってもんどりうつ。

 ケントの目には、何も映らない。相変わらず雨だけが、ただただ無慈悲に降り注ぎ続けているだけ。

 当たり前だ。



 この聖歌は、彼らに幻覚を見せるためだけに歌っているのだから。



 きっと今頃、彼らに見える世界は悲惨極まり無いものだろう。

 空は真っ暗にひしゃげ、大地は割れ、木々は倒れ伏し、彼らを刺す様にあらゆる有象無象が次々と襲っているに違いない。

 鳥も、草も、風も、雨も、木々も、何もかもが彼らを捕える縄となり、貫く凶器となる。

 ぐえっと潰れた様な悲鳴を上げて、一人が首を押さえて転げ回っていた。一人は「許して許して許して許して」と馬鹿みたいに同じ言葉を呟いている。別の者は腹をひたすら見下ろして絶叫し、更に別の者は壊れた様に笑っていた。

 そろそろ仕上げか、とケントは淡泊に地獄絵図を眺めながら、続きを紡いだ。



【夢は潰え、道は途絶え】



 彼らの人生に終止符を打とう。



【忘れがたき、今は故郷ふるさとよ】



 文字通り、彼らをこのまま帰すはずもない。

 歌い終え、ケントは辺りを見渡す。

 狂った様に笑い続ける者や、よだれと涙をひたすら垂れ流して項垂うなだれる者、痛みにあえぎ続ける者など様々だが、効果は覿面てきめんだった様だ。

 今頃どんな悪夢を見ているのやら。ケントは嘲笑と共に指を鳴らす。


 途端、はっと彼らが我に返った様に一斉に目を見開いた。


 荒く息を吐き出し、胸を押さえて恐怖を必死に逃がしている。

 きょろきょろと見回す彼らの滑稽こっけいさに心底軽蔑しながら、ケントは聖歌語を軽く放った。



【動くな。お前達は今から、僕の質問に必ず答えなければならない】

「――――――――」



 聖歌語が、彼らの脳に浸透していくのがありありと見える。

 彼らは一瞬恐怖に目を見開いたが、次第にとろんと溶ける様に焦点がぶれていった。催眠にかかった証拠だ。

 何とも御しやすい。直前に痛めつけていたとはいえ、抵抗の欠片かけらも見られないのは肩透かしだ。


 ケントの周囲にいる者は、どいつもこいつも骨が無い者ばかりで退屈である。


 無茶な要求をしても、冷酷な判断を下しても、誰も抵抗らしきものもしないし、従順で盲目だ。

 ケントが聖歌騎士だから。その中でもトップに立てるほど強いから。

 だから騎士達はどれだけ不条理な命令でも、不満を抱えても、それが教会のためだと信じて――ケントのためだと信じて動くのだ。

 そして、己で解決せずに頼りっぱなしになる。依存する。

 流石はケント様だと。ケント様がいれば間違いがないと。ケント様に不可能は無いと。

 濁った目でひたすら仰いでくるのだ。異を唱えずに、いさめることもなく。



 つまらない。――ああ、つまらない。



〝俺の方が魔除けの力が強いなら、俺がやらなきゃ〟



 ――カイリとは大違いだ。



 結局そこに行き着くのだと、ケントはおかしくなる。

 彼は、自分に出来ることは出来るだけ自分でしようと突っ走る。無茶をして、周りに心配をかけて、それが分かっていながらも誰かに頼りっぱなしになることを嫌う。

 結局無茶をし過ぎてぶっ倒れてしまうカイリは愚かだとは思うけれど、それ以上に誇らしかった。

 だから、ケントはここにいる者達を許しはしない。


「……お前達は、こんな村の片隅で何をやっているの?」


 我ながら冷たい声だと、苦笑する。

 だが、カイリを傷付けようとした輩に配慮はしない。そもそも配慮する気もなかった。


「……、……この村に、働きかける力を、解こうとする、……奴や、探る奴を、見張っていた」

「見張って、見つけたらどうしていたの?」

「……、捕えて、報告」

「誰に」

「……、……よく、……分からない」


 分からない。

 今の彼らの状態で、嘘や誤魔化しは無理だろう。何より、ケントの目から見ても彼らは正常では無い。こちらの意のままに催眠状態に入っているのは、彼らの目を見れば一目瞭然だ。


「分からないのは、どうして?」

「……我々は、命令を受けて、取引相手であるフュリーシアの、誰かの遣い、と、やり取りをしている」

「……ふーん。それで?」

「定期的にやってくる、そいつらに、報告している。変わったことがあれば、それも、逐一、伝書鳩、で」

「定期的に、ね。いつ頃やってくるの? 最後に伝書鳩で報告したのは?」

「……。……週末。大体、土曜日。伝書鳩、は、一週間、前」


 土曜日となると、昨日。

 つまり、次に罠を張って仕掛けるためには一週間待たなければならない。

 もう少し早く行動出来れば良かったのかもしれないが、カイリは体力の回復に専念していたし、第十三位も謹慎処分中だ。無いものねだりではある。


「相手が誰だかは、分からないんだ?」

「……、その通り」

「じゃあ、お前達に命令した人は、誰?」


 彼らは一瞬の空白を置く。

 その反応に、もしかしたら躊躇いを持ったのかとケントは驚いた。催眠は完璧なのに、それでも躊躇するとなるとかなりの機密情報かもしれない。

 そして、ケントが予想すると同時に、正解がもたらされた。



「……、……我らが、……じょ、じょ、……じょ、お、う」

「……え?」

「――ファルエラの、女王」

「――――――――」



 ファルエラ。

 しかも、女王。



〝ケント。食事が終わったら――〟



「……ちっ」



 嫌な国の名前と前世での不快な声が同時に脳裡を掠め、ケントは知らず舌打ちする。存外大きな音になって、相手が一斉にびくりと肩を揺らした。


 まさか、私事で極秘裏に調べていた者の国が関与しているとは。


 その上、女王という大物がこの村の一件に関わっている。

 明かされた事実に、ケントは帰ったら即行で第二位を締め上げることを決意した。他国の諜報員らしき者を野放しにしただけでは飽き足らず、この国に危害を与えているかもしれない者達を放置するとは、たるんでいる。

 思わぬ収穫だ。

 しかし、解せない。確かにフュリー村の特産物は貿易の要の一つと言えば一つだが、そこまで大きな占有をしているわけでもない。わざわざこの村を選んだ理由は何だろうか。


「女王からは、どんな命令を受けているの?」

「……、よくは、分からない。だが、……相手と取引すれば、見返りがあると、言っていた」

「見返り、ねえ」


 この村を管理しているラフィスエム家が手引きをしているのか。

 だとすれば、の家は教会に仇為あだなそうとしている危険因子かもしれない。ファルエラの女王も、何かを企んで有力貴族と接したことになる。

 全ては憶測だ。

 しかし、国境の街を管理する父も、ファルエラはきな臭いと以前ぼやいていた。無関係とも思えない。


「分かった。他には何かある?」

「……、無い。これで、全て」

「そう。じゃあ、……そうだなあ」


 彼らをどうするべきか。

 ここで処分をすると、尻尾を捕まえるのが面倒になる。相手にも悟られたことが知れ渡って益々厄介だ。

 かと言って放置すれば、カイリに辿り着いてやはり手を打たれてしまうだろう。

 だったら、一つしかない。



【この三時間で見聞きしたことを、お前達は全て忘れろ】

「――――――――」



 もう一度、ケントの聖歌語が彼らの脳髄に沁み込んでいく。

 彼らは一瞬、びくんっ! と雷に撃たれた様に全身を跳ねさせ、へたり込んでしまった。びくっびくっと小さく痙攣けいれんする姿に、ケントは冷めた眼差ししか送れない。何の感慨も湧かなかった。

 ちらりと、腕の中で気を失っているカイリを見下ろす。

 彼は、未だ苦しげに微かに眉根を寄せていた。あれだけの無茶をしたのだ。血も吐いたし、そんなに簡単に回復はしない。しばらく目覚めることは無いだろう。



 ――せめて、痛みを和らげる聖歌を歌えれば良かったのに。



〝いざとなったら、一緒に歌ってくれると嬉しい〟



「――――――」



 歌。

 カイリと一緒に今まで歌った歌。

 カイリと、よく歌っていた、――歌。



 初めてカイリと出会った時に、彼がケントに歌ってくれた歌。



「……、……カイリ」


 それは、ケントにとっては救いの歌。

 カイリとどこまでも歌っていたかった、歌。



【……、……うさぎ追いし、かの山】



 気付けば、口遊くちずさんでいた。

 懐かしい。彼との出会いは、この歌が無いと始まらない。

 そうだ。



〝うさぎおいし、かのやま〟



 カイリと自分との関係は、全てここから始まった。



【小鮒釣りし、かの川】



 落とす様に、零れる様に、ケントは『故郷ふるさと』を紡ぐ。

 彼の優しい歌声を思い出しながら、ただただ一心に歌い続けた。



【夢は今も、巡りて】



 ――けれど。



【忘れがたき、故郷】



「――……っ」

「――、カ……」


 腕の中で、カイリがわずかに身じろぐ。

 その顔には、はっきりと苦痛が歪んでいた。歌に反応する様に、カイリが小さくあえぐ。

 目の前に視線を走らせれば、へたり込んだ不審者達も怯える様に後ずさっていた。

 みんな、怯える。みんな、喘ぐ。

 誰も、ケントの歌で安らかになったりはしない。

 そう。



 これが、ケントの歌だ。



 真っ黒な憎悪、憤怒に塗り潰された暴走、抜け出せない慟哭どうこくに、絶望に呑まれた地獄絵図。

 ケントが紡ぐ聖歌には、暗くて耳を塞ぎたくなる様な感情がぎっしりと詰め込まれていた。

 ケントは、歌に優しさを込められない。相手を思いやる温もりも、幸せを願う笑顔も。何もかもが、ケントからはかけ離れた感情だったからだ。


 前世からずっとそうだった。ケントには、およそ光に分類される感情が皆無だった。


 家にいても、学校にいても、ケントはいつだって孤独だった。

 家では義母に排斥され、父に異常な執着を持たれ、弟や妹も忌避きひすべき存在だった。

 学校でだって、そう。自分に寄ってくるのは、見かけの明るさに寄ってたかる害虫の様な存在ばかり。

 誰も、ケントのことを見てくれない。ケントのことを見ようともしてくれない。

 だから。



〝――立てるか?〟



 カイリだけが、光だった。

 カイリだけが、ケントの唯一の居場所だった。

 どれだけ冷たくされても、どれだけ嫌われても――本当に嫌われていないと確信を持っていたからこそ、ケントはどれだけ邪険にされても彼に付きまとった。



 彼がいたから、――自分は生きようと思えたのだ。



「ねえ、カイリ。僕ね、君に初めて出会った日。本当は、死ぬつもりで家を出てきたんだよ」



 小学校に上がる前、ケントは保育園にも幼稚園にも行けなかった。

 義母は金がもったいないと吐き捨て、父はケントを手元に縛り付けるために彼女の意見に賛同した。

 そんな生活が嫌だった。家にいたら、ケントはすり潰されて、その内すぐに無くなってしまう。

 どうせ亡き者にされるのだったら、自分で道を断ちたかった。

 だからあの日、家を出た。

 逃げたのだ。

 走って、走って、走って、追い付かれまいと必死に逃げて。

 そして。



〝どうして、こんなところにいるんだ?〟



 カイリに、出会った。



 子供の遊び場となっていた公園から外れた場所。積み上げられた木材の奥に、ケントは膝を抱えて隠れていた。

 遠くでは、子供達が元気に駆け回っている声が微かに聞こえていた。

 ケントが隠れていたその場所は、普通なら誰も覗きには来ない場所だった。

 それなのに。



〝おれ、カイリっていうんだ。きみは?〟



 鬱陶しくて、無視をした。耳を塞いで隅で丸くなっていたケントに、それでもカイリはりずに話しかけてきてくれた。

 あの日から、ケントにとってはカイリが世界だった。彼といられれば、彼が笑ってくれれば、それで良かった。

 それなのに。



「ねえ、カイリ。……ごめんね」



 この世界に転生してきた時、最初、自分の聖歌は童謡唱歌にしようと思っていた。

 カイリとの想い出が詰まった歌。

 例え彼が追いかけてきてくれなくても、一生彼に会えなくても、この歌を紡ぐだけで彼との想い出がよみがえると思ったから。

 彼との想い出を大事にしたかった。抱えて生きていきたかった。

 それなのに。



 ケントには、使いこなせなかった。



 存在を拒絶されたかの様に、この歌はまるで効果を発揮しなかったのだ。

 他の歌ならいくらでも力が乗るのに、何故か童謡唱歌だけはケントの思い通りにはならなかった。外向そっぽを向く様に、ケントに対して冷たかった。

 それはまるで。



 カイリに、突き放された様な衝撃だった。



「――っ、……ねえ、カイリ」



 カイリは、本当に自分を嫌っていなかったのか。

 本当に自分を大切な幼馴染だと思ってくれていたのか。

 疑問が、心の隙を突く様に牙をいてせせら笑ったのを覚えている。



 だって、あんなに突き放されていたのに。

 あんなに嫉妬されていたのに。

 あんなに、――拒絶されていたのに。



〝……最後まで感謝とか、大切な友人だったとか、言えずじまいだったんだよな〟



 それでも、彼は転生してきた後にも「大切な友人」だと伝えてくれた。



 彼が、『最期』を覚えていないからだろうか。

 だから、彼はそんなことが言えるのだろうか。

 いや。

 違う。――違う。



〝――俺が、最後まで付き添う〟



 ――カイリの心を疑うなんて。最期を覚えているからこそ、出来るはずがない。



「……っ、本当に、カイリは馬鹿だなあ……っ」



 こんな自分を大切だなんて、正気の沙汰ではない。



 どうして、大切だって言ってくれたのだろう。

 どうして、いつもお弁当の卵焼きを残してくれていたのだろう。

 どうして、転んでしまったら手を差し伸べてくれたのだろう。

 どうして、追いかけることに怯えると、立ち止まって待ってくれていたのだろう。

 どうして、――どうして。



〝だって、もう、俺はお前の友達じゃないから。――顔も見たくないんだ〟



 自分は、あんなに酷いことを言わせて。



〝ケント、待ってろ! 絶対、迎えに行く! 必ず、――必ず……っ‼〟



 自分は、酷い仕打ちをしてしまったのに。



「……君との想い出の歌。僕は、こんな形でしか残せなかった……っ」



 カイリに聞かれたら一発で分かってしまう。

 ケントの聖歌は、童謡唱歌を醜く歪めた歌なのだと。

 地獄絵図を描き、血で這いつくばる様な凄惨な世界を映し出した歌なのだと、知られてしまう。

 それだけは。



〝これ、おれのすきなうたなんだ〟



 それだけは――。



「……ははっ」


 己の弱さに、ほとほと呆れる。笑いたくもないのに、笑いが口からあふれて止まらない。

 ぶれてはいけないのに。転生した目的を、願いを、忘れてはいけないのに。

 どうしても、願ってしまう。



〝鬱陶しそうにする俺にりずに話しかけたり、笑ったり、……救われてたよ〟


〝えっと、はい。初めまして、カイリです。ケント、君の、友人です〟


〝だったら、穢くない。……ケントは、穢くないよ〟


〝そんなの、いつもだよ。……ずっと、それこそずっと前から〟


〝言っただろ、出かける前に。誕生日までには戻って来るって〟



 ――彼と共に、おじいちゃんになっても、友として生きていきたいと。



 最初は、カイリに嫌われてでも計画を遂行するつもりだった。転生した目的を果たすつもりだった。

 しかし、この世界に来て、家族という大切な存在に巡り会えて、――カイリに出会ってしまって。

 彼らと過ごす日々が、ケントの中で静かに幸せとして降り積もっていってしまった。

 最大の誤算だ。

 家族に出会ったこと。



 大切だと、再会したカイリに言ってもらえたこと。



 もう、何も持っていなかった頃には戻れない。

 こんなに弱くなっては、いけないのに。



「……僕は、君のヒーローでいなきゃいけないのに」



 それが、彼に出来る唯一の償い。

 どんなに苦しくても、どれだけ死にたくなっても、彼の前では笑って、弱音など一切吐かず、常に強く在ろうとした。

 実際ケントは、前世の頃はカイリよりもずっと頭も良くて運動神経も抜群だった。教師からの人望もあったし、生徒達からも羨望の眼差しを受けていた。

 幸い亡き母に似て顔も良く、色々兼ね備えたケントは嫉妬や妬み以上に人気を集めることが出来た。

 ケントの目論見通り、誰もが自分にすり寄ろうとした。本気で外面そとづらしか見てこないから、誰もが害虫以下にしか映らなかったが、それでも良かった。

 そういう存在になれば。

 誰もが無視出来ない存在になれば。



 ケントは、カイリの盾になれると思ったのだ。



 ケントが傍にいることで、カイリを少しでも悪意から守れるならば、喜んでピエロになろうと『あの日』決めた。

 故に、ヒーローになりたかった。彼にとって盾で在れる様に。

 彼に邪険にされようと、どれだけ突き放されようと知ったことではない。カイリが本気でケントを嫌っていないのは知っていたし、何より彼の傍にいたかった。

 ケントは、彼のヒーローで在り続けようとしたのだ。

 けれど。



〝――分かった〟



 ケントが死んだその日。

 全てを話そうと決意し、放課後に相談したいと告げたらカイリは二つ返事で承諾してくれた。

 正直拍子抜けした。絶対に面倒くさがられるか、ごねられると思っていたからだ。

 それなのに。


〝俺の家で良いか?〟


 例え、嫉妬が混じっていても。

 どんな理由で突き放している相手でも、カイリは決してすがる手を振りほどいたりはしない。

 あの時、どれだけ彼が眩しく映っただろう。目が潰れてもおかしくないほどの輝きが降り注いでいる様に見えた。

 自分がヒーローになると言いながら、とんだ茶番だ。



 ケントにとって、彼は間違いなく自分のヒーローだった。



 思い出してしまったからだろうか。

 あの日封じ込めたはずの、たった一つの願いが、今になって氾濫はんらんしながら吹き荒れる。

 手が、自然と彼に伸びてしまう。



「ねえ、……カイリ」



 お願い。



〝――――にちょっかい出すから、こうなったんだよ〟



 ――僕と、一緒に。



 そう、求めたかったのに。

 カイリが不意に、苦しそうにうめく。その声が拒絶の様に響いて、ケントは伸ばしかけた手を引っ込めてしまった。


「ああ、……そうだよね」


 これは、罰だ。

 前世から続く、ケントへの罰だ。

 そして。



 彼との大切な想い出である童謡唱歌を、あろうことか絶望で塗り潰してしまった、ケントのあがなえぬ罪だ。



 ならば、ケントはやはりカイリのために目的を果たさなければならない。

 カイリを守り抜くため。そのためだけに生きると決めた。


〝じゃあ、父さんの願いを叶えなきゃね。……多分、カイリ君も同じことを願うんじゃないかな〟


 不意に、父の言葉が脳裡をよぎったが、見ないフリをする様に目を閉じる。



「……ねえ、カイリ」



 ――僕は、君に『その時』まで友人と見てもらえるかな。



 どうか、叶うなら友人でいさせて欲しい。

 例え、いつか別れる時が来たとしても、最後の最後まで友人でいたい。

 最初の強固な願いが、少しずつ形を変えていっているのは理解している。本当は駄目なことも分かりきっている。

 だが、それでも願ってしまう。

 ケントは、カイリと友人のまま、最後まで全うしたい。

 彼の傍にいたい。彼と笑っていたい。



〝俺にとっても誇りってことだよ〟



 彼の、誇れる友人で在りたい。



 だから、どうか。



「――僕の願い、……叶えられるくらい強くなってね」



 いつか、きちんと話せる日が来ることを祈って。

 ケントはしばらくカイリを抱えたまま、動けずにうずくまっていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る