第205話


 雷の様に強く弾ける衝撃と共に、カイリは勢い良く教皇の下から引っ張り出された。


 そのまま力強く抱き込まれた背後で、教皇のくぐもった悲鳴が上がる。

 何が何だか分からない。起こったことを確認しようと仰ぐと。



「……お、じい、さん?」



 カイリを抱き込んでいたのは、ゼクトールだった。厳しい顔をして、一心不乱に教皇を凝視している。

 ふーっふーっと、荒く息を吐いた姿は鬼気迫っていて、カイリは何故か胸を突かれた。苦しいほど、胸の奥がぎゅうっと締め付けられる。


「……どう、して?」

「だめ、だ、……エイベルっ」

「……え?」

「それ、だけは……、……それだけは……っ」


 ぐっと更に強く抱き締め、ゼクトールが苦し気に吐き出す。

 エイベル、という名にはカイリも聞き覚えがあった。

 だが、頭の中がぼんやりした状態で、上手く思考が回らない。一体どこでだったかと思い出そうとしていると。


「――。聖、書、……っ」

「……、え?」

「……な、ぜ。ここ、に」


 カイリの声には答えず、ゼクトールはようやくわずかに視線を上げる。

 釣られる様に振り向けば、宙には見覚えのある書物が光り輝きながら浮かんでいた。ふわふわと穏やかに辺りを照らす様な優しさに、カイリは目をみはる。



「……俺の、聖書」



 大切な、村の形見。

 ここに来た時には既に無くなっていた聖書が、今、目の前に存在を主張しながら浮かび上がっている。

 先程の雷は、この聖書のものだったのだろうか。目まぐるしく変わっていく現状に、カイリは知らず手を伸ばす様に聖書を見上げる。

 すると。


 ふわっと、カイリの元に聖書が下りてきた。


 優しく頬を撫でる様に触れ、そしてゆっくりと眠る様にあるべき場所へと収まっていく。

 腰のベルトが、しゅるっと聖書に巻き付き、カイリの元へと戻っていく。

 聖書の暖かな温もりが衣服越しに伝わってくる。胸元のパイライトも、呼応する様に控えめにきらめいていた。

 一筋の道を照らす様に、聖書が、パイライトが、カイリの下で星の様に瞬く。



 諦めるなと。大丈夫だと。そう、背中を押す様に励まされている気がして。



 村のみんなが、笑って頭を撫でてくれた様な気がして。



「……っ、……うんっ」



 カイリは、ぐっと足に力を込めた。押される様に決意する。



「……カイリ、……ゼクトールっ。これは、どういうことだっ」



 教皇の怨嗟えんさが迫ってくる。頭を振り、ショックから立ち直ってカイリの方へと向かってきていた。

 何故、ゼクトールが助けてくれたのかは分からない。

 だが、彼の世話になるわけにはいかなかった。ここにカイリを連れて来たのは、他ならぬ彼だ。

 それに。


 ――自分の足で立たなければ、帰る場所など掴めるはずもない。


 カイリは、ただ助けを待つお姫様などではない。

 カイリは、第十三位の一員だ。聖歌騎士だ。

 自分の帰る場所には、自分の足で帰る。



「――っ、……【動け】っ!」



 聖歌語を己にかけ、カイリは無理矢理足を動かした。

 少しだけ体力が回復したらしく、聖歌語が弱々しくも力を持つ。カイリの足を軽くし、背を押される様にゼクトールから抜け出して部屋を飛び出した。


「――貴様っ! 待てっ!」

「……カイリっ……!」


 教皇とゼクトールの声が追いかけてくるが、カイリは構わず元の部屋に飛び込んだ。

 当然、近衛騎士達が行く手を阻んでくる。

 だが、負けはしない。屈しはしない。

 例え、ここで押さえ付けられても、何度でも叫ぶ。立ち向かう。


「俺は、……【俺はっ! 帰るべき場所へ! フランツさん達の所へ帰る!】」


 びりいっと、激しく空気に亀裂が走る。

 一瞬、騎士達がおののいた様に身を引いたが、すぐにまた動き出した。カイリを押さえようと迫ってくる彼らに、負けじと力強く宣言する。



【どけっ! 今すぐ道を開けろ! 俺の道は、俺が! 俺の意思で決める!】

「――――――――」



 途端。

 今度は、とどろく様な衝突音が部屋中に響き渡った。

 思わず騎士達が膝を折り、後ろからゼクトールや教皇のうめきが聞こえてくる。

 隙が出来たのを確認し、カイリは素早く騎士達の合間を縫って駆けた。どんっと、体当たりをして扉を叩き開け、そのまま廊下に転がり出る。


「……っ、つ……」


 思い切りが良すぎたのか、右肩がじんじんと痛い。足ももつれて、小刻みに震えて上手く動かなかった。

 けれど。


「……、頼む。……【動いてくれ】」


 今を逃せば、好機が消える。

 故に、カイリは鞭打って足を無理矢理奮い立たせた。とっくに限界を超えた足が、痛みを押し殺して走り出す。

 だが、実際はよろよろと歩く程度の速度だ。当然、簡単に追い付かれる。


「……貴様っ! どこまでも、わしを、虚仮こけに、するっ!」

「っ!」


 教皇が、怒りに震えてカイリの頭を鷲掴わしづかみにする。

 そのまま、壁に叩きつけてきた。額に強烈な痛みが走る。


「う、あ……っ!」

「許さぬ。……許さぬ許さぬ、許さぬっ! ゼクトール、責任、取れ。まず、爪をげ」

「……猊下」

「邪魔をした責任、取れ。……ああ、戻ってきた。洗脳も、やる」


 ざっざっと、無機質な足音が規則正しくカイリ達の方へと向かってくる。

 その正体を知り、カイリは絶望的な気持ちになった。

 彼らは、今カイリを囲んでいる騎士達と同じ。近衛騎士だ。ゼクトールが先程、外に出ている半数を呼び戻したと言っていたのを思い出す。

 その中に。



「……ギル、殿……っ」



 新しく現れた近衛騎士達の中には、ギルバートの姿もあった。

 しかし、瞳がひどく虚ろだ。彼の普段の闊達かったつさはどこにも存在しない。他の者達と同じく、どこを見ているかも分からないほど意思が感じられなかった。


「ギル殿、……ギル殿!」


 呼びかけてみるが、反応はない。

 ぎりっと歯を噛みしめていると、教皇が愉快そうに背後で忍び笑う。吹きかかる息に、ぞわりと悪寒が走った直後、カイリは床に縫い付けられた。


「い……っ!」

「知り合いか。……ちょうど良い。お前、やれ」

「……っ!」


 ギルバートを指名し、教皇が縄を適当に解いてカイリの右手を床に押さえつける。

 必死にもがくが、びくともしない。元々体力も残されていなかったから、抵抗もままならなかった。

 ギルバートは、無感動にカイリの前に歩み寄って来る。そのまましゃがみ込み、真っ平らな視線でカイリの右手を見下ろした。


「爪の前に。まず、手、刺せ」

「……っ、や、め……」

「お前、やれ。……知り合いに、刺される。良い気味。わしを虚仮にした、罰」

「――っ」

「猊下……っ。やはり、それ以上は」

「殺しはしない。……ゼクトール、黙っていろ」


 暗い笑みを落とされ、カイリは震えたくもないのに震え上がった。かりっと、怯えて床を引っ掻いてしまう。


「……っ、まだ、か……っ」


 ゼクトールから落とされた呟きに、カイリは微かな違和感を感じるがそれどころではない。

 ギルバートはカイリの想いになど構わず、命令に従って腰にいた剣を抜いた。そのままカイリの右手に狙いをつけ、構える。

 見上げた先の彼の瞳は、相変わらず虚ろだ。



 ぽっかりと、穴の開いた様な暗い瞳。



〝……オマ、エえぇぇ……! 邪魔を、するなあッ!〟



 かつて、ルナリアで女性にがむしゃらに殺意を抱いていたパリィと、同じだ。

 あの時彼は、怯えていた。

 震えていた。

 抗っていた。


〝あ、あああああ、あああああああああああああっ、カ、イ、……リ、……だ、めだ、……あああああああっ!〟


 洗脳と理性の狭間で、それでも止められない殺意の手を、カイリに振り下ろして絶望していた。

 今のギルバートは、完全に洗脳されている様に見える。

 それでも、もし何かがキッカケで今、理性を取り戻したら。



〝――っ! か、……カ、イ、……っ‼〟



 あの時の、パリィの様に。



「……っ、く、そ……っ」



 駄目だ。



〝にこにこ笑っていたら、幸せがくるって頑張って。あの暗い孤児院から抜け出せたと思っていたんですけど。……やっぱ、どこかで沼にハマってんのかなー……〟



 ――駄目だっ!



 彼に、そんなことをさせてはいけない。

 笑って、弱って、でもそれでも何とか笑って前を向いている彼に、酷いことはさせられない。

 彼は、洗脳されている時のことは覚えていないのだろう。

 しかし、例え覚えていなかったとしても、どこかで必ず記憶には残る。それがどんな風に表面化してくるかは分からないが、気付いた時、彼はきっとさいなまれるはずだ。

 予感がした。


 いつだって、笑うことにしたと言っていた彼だからこそ。


 どれだけくじけそうになっても、穢いことに手を付けず、真っ当に這い上がってきた彼だからこそ。

 もし、この事実を知ってしまったら、死ぬまで苦しむことになる。

 それだけは、絶対にさせない。

 させてはいけない。


「ギル殿! ……ギル殿っ!」

「……」

「俺です、カイリです! 見て下さい! 貴方の目で、俺を見て下さい! 俺が、分かりませんかっ!」


 反応は無い。

 けれど、動きもしなかった。そのことに一縷いちるの望みを託し、カイリは必死に叫び続ける。


「まだ、たった二回しか会ったことないですけど! 俺達、知り合いですよね! 一回目はあまり話せなかったけど、二回目は色々お話出来て! その時、俺、貴方に、――っ、えっと、……っ!」


 上手い言葉が見つからない。

 本当に、たった二回しか邂逅かいこうしていないのだ。お互いのこともろくに知らない。一体それで何を訴えろというのか。

 ギルバートは微動だにしない。れた教皇の空気が膨れ上がっていくのが分かる。

 時間が無い。


「ギル殿は、えー、あー、……えー……、……!」


 だが、色々考えまくった末、何も見つからず。



「そ、そう! えー、あー、……ぎ、ギル殿は! ケントのことが大好きで付き纏っているんですよねっ⁉」

「――」



 一瞬ギルバートの空気が固まった。気がした。

 カイリも何故それなんだと頭を抱えたくなる。

 だが、口にしてしまったものは仕方がない。そのまま突っ走ることにした。


「ケントが、えっと、困っている時に追い払ってくれたのが嬉しくて! だからケントと仲良くしたくて付き纏っていて! でも、無理だって心のどこかで思っていて。だからこそ、ケントと仲良くやってる俺に嫉妬していたって。そう言っていましたよね!」

「……」

「それなのに、ギル殿は俺がケントと仲良いのは嬉しいって言ってくれました。嫉妬してるのに、それでも俺のこと凄いって言ってくれました。……あの時、俺、ああ、この人、色んな感情をきちんと自分のものとして認めているんだなって。何て凄いんだろうって……そう思ったんです!」

「……」

「小さい頃から色々あって、ぐちゃぐちゃで、そんな中でも諦めずに、足掻いて、這い上がって、騎士になって。いつだって、笑おうとしてっ」

「……」

「貴方が俺のことを凄いと言ってくれた様に! 俺も! ギル殿のことは凄いって思っているんです! 本当です!」


 一体何を言っているのだろう。支離滅裂だ。何を言いたいのかも分からない。この前と同じことを伝えて何になるというのか。

 けれど、何でも良い。キッカケが欲しい。


 どうしてもギルバートに目を覚まして欲しかった。


 諦めずに笑って上を向き続けたからこそ、彼は努力が実った。

 ならば、彼はこんなことのために――人を傷付けるために騎士になったわけがない。

 始まりはどんな感情からのものだったとしても、彼は騎士として胸を張って歩いていたはずだ。決して、誰かを傷付けるために騎士になったわけがない。

 ケントとの仲に嫉妬していたのに、それでもカイリを凄いと言って、仲良く話そうとしてくれた彼は、とても素直で、真っ直ぐで、優しい人だと信じている。

 見上げるギルバートは、未だ無言だ。

 けれど、剣をかざした手は動かない。じっと、カイリを見つめる瞳は真っ平らだったのに、その奥に微かに彼がいる様な気配を感じた。


「……どんなに理不尽な目に遭っても! どんなに嫉妬しても! どんなに挫けそうになっても! ギル殿は、真っ直ぐ生きる人だ! だから、……ギル殿は、こんな風に誰かに操られる様な人じゃない! それで満足する人じゃない!」

「……、貴様、うるさい」

「ぐっ、……っ! おねがい、ですっ。ギル殿っ、……負けないで……っ! ギル殿が歩いてきた道を、否定する様な真似、しないでっ! 後悔する道を、選ばないで下さい! だって、ギル殿は……っ!」

「本当に、うるさい。黙れ」

「が……っ!」


 教皇に殴られ、カイリは一瞬意識が飛びそうになる。


「ギル、どの……っ!」

「何、している。早く、しろ」

「――……」


 足掻く合間に、ギルバートの手が持ち上げられた。そのままカイリの右手に狙いを定め、目を見開く。


「――っ、……ギル殿……っ!」


 必死に叫ぶが、ギルバートの目に光は戻らない。

 そのまま、一気にギルバートは剣を振り下ろしてきた。切り裂く様な風の音に、カイリはぎゅうっと目を瞑る。歯を食い縛って、悲鳴を噛み殺そうとした。



 ――だんっ! と物凄い轟音が地面を殴る。



 えぐる様な音に、カイリは芯から破裂する様に震えて身がすくんだ。

 しかし、いつまで経っても痛みはやってこない。


「……、……?」


 疑問に思って恐る恐る目を開けると、カイリの右手は無事だった。

 何故、と息を短く吐き出して視線を前にずらすと。



 代わりに、目の前で別の手が剣で串刺しにされていた。



 真っ赤な血が溢れる様にその手を濡らし、指がびくっ、びくんっと痙攣けいれんする様に震えている。


「……っ! ひ、……っ!」

「……ほ、んと、……にっ」


 苦し気に唸りながら、目の前の手が動く。同時に、ずるりと剣が抜き取られる。

 ごぱっと、また血が流れ落ちていくのにカイリは震えたが、それでも見上げずにはいられなかった。

 その先に、いたのは。


「……カイリ、殿、は。無茶、言います、よ、ね……」

「……っ、……ギル殿……!」

「った、くっ。……本当、……こんなつもりじゃ、無かった、のに……!」


 痛みに耐える如く、ぶちいっと唇を噛み千切り、ギルバートは右手を大きく振りかぶる。

 そして。



「――っ! ぐああああああああああああっ⁉」



 目の前の教皇の右肩を思いきり突き刺した。

 金切り声の様な悲鳴がとどろく。一緒に、カイリを押さえつけていた重さが一瞬で消えた。


「カイリ、殿!」


 剣を握り締めたまま、ギルバートがカイリを連れ去る様に引っ張り上げる。

 だが、すぐ近くの壁に放り投げ、剣を振り抜いた。がぎゃっと、ひどく乱暴な金属音がいくつも上がる。


「ギル殿! ……っ!」

「は、……なんなんだ、ろう、これ。……頭、めっちゃ痛い、し、同僚達、変だし……っ」

「……っ、あ、……っ」

「教皇、まで、やば、……っ、これ、殺されるん、じゃ、……っ!」


 愚痴を垂れ流しながらも、ギルバートは剣を振るい続ける。動きは鈍くて、明らかに本調子でないことは丸分かりだ。

 それなのに、ギルバートは懸命にがむしゃらに剣を振り続けてくれている。カイリを守る様に立ちはだかり、明らかに尋常じゃない力を見せ付ける騎士達をさばいてくれていた。

 けれど。


「……っ、うあ……っ!」

「ギル殿っ!」


 複数に一度に斬りかかられ、ギルバートは力負けして倒れ込んだ。受け身は取っていたが、怪我をした左手を床に突いた途端、ギルバートはがくっと腕を折ってしまう。

 その隙を見逃さず、騎士達がギルバートに襲い掛かろうとしていた。

 教皇も立ち直りつつある。その瞳は憎悪に燃えていて、視線だけで射殺す威力があった。


「カイリ、ど、の。……に、げ……っ」


 カイリが中途半端に正気に戻したせいで、彼を危険にさらしてしまった。

 それなのに、彼は守ろうと動いてくれている。


「……っ、……嫌だ……っ」


 ギルバートを、死なせたくない。

 目の前で、誰かが死ぬのを見たくない。

 カイリは、もう二度と村の様な悲惨な出来事を繰り返さないと誓った。

 それなのに、無情にも騎士達が一斉に剣を振りかぶる。

 ギルバートも立ち向かおうとしていたが、多勢に無勢だ。明らかに分が悪すぎる。


「……、……だめ、だ」


 駄目だ。――駄目だ。


「……やめろ……っ」


 死なせない。――死なせない。

 ギルバートも。

 ギルバートだけではなく。同僚である騎士達も、みんな。



 みんな、――絶対に。



【……やめろっ! 殺すな! 全員、――止まれええええええええっ‼】

「――――――――」



 ありったけの願いをこめて、カイリは彼らに向かってぶつける様に叫ぶ。

 途端、びたりっと、不自然な形で騎士達が動きを止めた。まるで人形の様に指一つ動かさない。


「……なっ……! ……聖歌語、が、……⁉」

「……何故。洗脳、聖歌語、効かない。はず。……カイリっ、貴様……っ!」

「は、……は……っ、……………………っ」


 息が苦しい。目がかすむ。

 力が、体から零れ落ちる様に抜けていく。

 だが、このままでは駄目だ。同士討ちなどさせはしない。ギルバートも死なせない。

 この状況はカイリが作り出した。ならば、途中で放り投げて脱落するなど論外だ。

 カイリは、ギルバート以外の教皇騎士達が、普段どんな人なのか知らない。

 けれど。


 これから先、友人なんですと、同じ教皇騎士をギルバートが紹介してくれる日がくるかもしれない。


 もしかしたら、ギルバートとケントが仲良く話す日だってやってくるかもしれない。

 それは希望で。もしかしたら、永遠にこないかもしれない。



 だが、全ての可能性は、命があるからこそ広がる選択肢だ。



 死ねば、そこで終わってしまう。

 それ以上、その人自身が縁を繋ぐことは出来なくなってしまう。未来を思い描けなくなってしまう。

 彼らを知る機会も、無くなってしまう。


「……っ、生き、て……」


 両親の様に、友人達の様に、村の人達の様に。

 死なないで。生きて。

 生きて、心から幸せに笑って。

 何より。



 ――俺がっ。もっと、彼と、彼らと話がしてみたい。



 笑って、話がしてみたい。

 一緒に、生きて幸せになりたい。



〝カイリが、進みたいと思う道を歩いて。苦しんでいる人を助けたいと思うのなら、後悔の無い様に生きて〟



 そのためには。



〝それでも、自分は駄目だと諦めないこと。カイリ、お前に必要なのはそれだけだ〟



 そのためには――。



 彼らに背を押され、カイリは動く。

 悔いの無い道を生きるために。

 今、目の前にいる人達を助けたい。

 胸元に在るパイライトが、優しく光り輝いているのを確かに感じながら。



【……雪やこんこ、あられやこんこ】



 カイリの口が、聖歌を口ずさむ。

 静かに、頼りなく、けれどどこまでも通る様に祈って。



【降っては降っては、ずんずん積る】



 彼らの荒れ狂う殺意を、絶望に落ちそうな心を。

 どうか、真っ白に塗り替え、すくい上げてくれます様に。



【山も野原も、綿帽子わたぼうしかぶり】



 どうか。――どうか。



枯木かれき残らず、花が咲く】



 どうか、彼らの行き先に、笑顔に満ちた真っ白な光を。



「……あ、……あああ、ぐっ、……あああああっ⁉」

「は、あ、……あああああああああああっ‼」



 騎士達が一斉に悶え苦しみ始める。

 ギルバートもひどく顔を歪め、何かに耐える様に頭を押さえた。

 しゃがみ込んでうずくまる騎士もいれば、剣を取り落とす騎士もいる。涙を流し、天を仰いでえる者もいる。

 誰もがもがき、悶え始めるその姿に、教皇も顔を潰す様に歪ませた。


「きさ、……かー、てぃ、す! は、……カ、……カイ、リ、……ラフィスエ、ムウウウウウウううぅぅぅゥゥゥゥぅううウウウウ……ッ!」

「………………カイリ……っ」


 教皇の怨嗟えんさほとばしる横で、ゼクトールが呆けた様にささやく。

 ゼクトールがどんな思いでいるのか、カイリには分からない。見通すことも出来はしない。

 けれど、彼は先程教皇の手から助けてくれた。

 仮にカイリの父に――それを通してカイリにどんな恨みがあったとしても。今まで彼と過ごしてきた思い出が、ほんの少しでも嘘でなかったのならば嬉しい。――彼もどうか救われてくれたならば、これ以上の喜びは無い。

 それに。


〝……っ、……カー、…………ス、よく、……似……っ、…………――〟


 あの時の教皇の姿を、カイリは忘れることが出来ない。

 彼は、本当は何者なのだろうか。あれはカイリが知る教皇だったのだろうか。

 分からない。知らない。今はもう何も考えられない。

 それでも。



 もし、あの時に垣間見せた一面が、教皇の本当の姿なのだとしたら。



 この歌を、その『彼』に、届けたい。


「……は、あ、……っ」


 息が途切れる。目がくらむ。力がどんどん抜けていく。

 だが、負けるわけにはいかない。



【……雪や、こんこ、あ、られやこんこ】



 騎士達が。ゼクトールが。教皇が。

 彼らが、彼らの意思で動いていないというのならば。どうか、本当の自分を取り戻して欲しい。



【降、って、も降っ、ても、ま……だ降、りやまぬ……】



 今の真っ暗に支配された世界を、真っ白に戻して。

 どうか、本当の自分自身の道を歩いていって欲しい。



【い、ぬはよ、ろこ、び、庭、け、まわり、っ】



「貴、様……っ、……その歌を、やめろ……っ」



【ね、……こ、はこた、……で、ま……くなる】



「――っ! ……やめろと言っている……っ‼」

「……っ、――」



 だんっと、頭から押さえつけられる。カイリはもはや悲鳴さえ上げられなかった。

 息が続かない。胸が苦しい。指一本動かせない。今、カイリがどこにいるのかももはや分からなかった。

 けれど、負けはしない。絶対に負けてなどやらない。

 カイリは、最後まで自分の道を貫くと決めた。決して屈してなどやりはしない。


「どこま、でも……、虚仮こけに、し、て……っ! ゆる、さん!」

「……っ、……おも、い……どお、……に、なんて、……っ」

「無駄っ! ……お前、わしを虚仮こけにしたっ。洗脳して、たっぷり可愛がる」

「――っ!」


 宣言と共に、もう一度床に叩き付けられた。腕や背中を蹴られ、カイリの意識が次第に朦朧もうろうとしていく。

 だが、それこそ無駄だ。カイリは折れたりしない。

 カイリは、カイリだ。第十三位の聖歌騎士で、カーティスとティアナの息子で、――フランツの息子だ。

 だから。



「……ぜった、い。……洗脳、され、な、い」



 例え、ここで命尽き果てても。

 大好きな聖歌を、悪用しないためにも。



〝お前がもし狂信者に捕まったら、どうなるんだろうな? 教皇に捕まったら? 利用されるだけされて、お前は保身のために聖歌を悪用したりするのかね?〟



 レインとの約束を通して、己の誓いを果たすためにも。



〝レインさんが、俺が聖歌を悪用するかもしれないって思ったその時は。貴方が、俺を殺して下さい〟



 ――自分は、最後まで抗うのだ。



 暴力を浴びせられ、カイリの意識がいよいよ落ちそうになったその時。



 がしゃああああああんっ! と、けたたましい破砕音が近くで響き渡った。


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