第206話


 がしゃああああああんっ! と、けたたましい破砕音が近くで響き渡った。



 何が起こったのか、とカイリがぼんやり思っていると、近くで息を呑む音がした。自分を押さえつけている教皇だろう。

 助かったと思うべきか、判断に悩んでいると。



「あああ、もう! ほんっとうにこの馬、意味が分かりませんわ!」

「おいおい。本気で最上階まで駆け上がったぜ。カイリ、大好き過ぎんだろ」

「――」



 慣れ親しんだ声が、二つ。カイリの耳に触れてきた。

 その瞬間、カイリの心が喜びでにじむ。ぐっと、喉が情けなく鳴りそうなのを必死に堪えた。

 少し会えなかっただけなのに、とても懐かしい。もう何年も、何十年も顔を合わせていなかった気分に陥った。

 恋焦がれて止まなかった、居場所。

 カイリが帰る、――帰りたい場所。


「……シュリ、ア、……レイン、さ、ん!」

「――っ! カイリっ!?」

「おう、カイリ! 無事、――」


 だが、名を紡いだ直後。



 右肩を勢い良く踏み抜かれた。ばきっと、嫌な音が痛烈に上がる。



「――っ! あ、ぐ……っ!」

「喋るな。人形」

猊下げいかっ! これ以上は」

「ゼクトール、口を出すな。……【排除しろ】」


 教皇が無機質に命令した途端、ギルバートを除いた騎士達が一斉にシュリアとレインに向き直る。

 先程まで聖歌で苦しんでいたとは思えないほどの一糸乱れぬ行動に、カイリはうすら寒さを覚えた。激痛で滲む視界の中、統率の取れ過ぎた刃の如く、彼らは二人に突進していく。

 だが、彼らが迫っているというのに二人は全く微動だにしない。何故、とカイリが眉をひそめると同時。



「――わたくし、ちょっとブチ切れましたわ」

「奇遇だなー。オレも、ちーっとばかし本気出しますかね」



 静かな闘志が床を涼やかに這う。

 途端。



 びしっと、空気が割れた。



 裂け目が清冽せいれつに広がっていき、痺れるほどの殺意が廊下中を暴れ回る。

 熾烈しれつな殺気が、大きな津波の如く騎士達をあっという間に飲み込んだ。鋭い風が追い、じゃっと熱の様に駆ける。



「――誰に手を出したかっ」

「死ぬほど後悔すると良いですわっ!」



 痛快な打撃音と、苛烈かれつな一閃が無数に飛び交った。

 騎士達がそれを弾き飛ばすも、圧倒的な力の差に、次々と床に吹っ飛んで行く。起き上がろうとする彼らに、レインが鋭く刃を突き刺し、シュリアが渾身の力を込めてかかとを振り下ろした。

 鈍く、嫌な音がそこかしこから上がっていき、二人は容赦なく彼らを追い詰めていく。

 騎士達が必死に立ち上がるも、その端から二人が叩き潰す。立ち上がらなくなるまで叩きのめす姿に、カイリはふるっと体を震わせた。

 それを視界に収めたのか、レインもシュリアも少しだけ気まずそうにしたが、カイリは緩く首を振る。

 洗脳された騎士が、攻撃を受けても怯まず、骨を砕いても立ち上がり続けるのは、カイリも知っている。パリィで体験済みだ。

 故に、彼らは正しい。ましてや、カイリを助けに来てくれたのだ。恐怖はあるが、それ以上に喜びが心を満たしていった。


「……ったく。あいっかわらず洗脳騎士ってのは化け物じみてんな、おい」

「ですが、……城にいた時より手応えはありませんわ」

「確かにな。……って」


 さばき、薙ぎ、騎士達を地に伏している合間に、ちらりとレインがある一点に流し目をくれる。

 そこには、傷だらけのギルバートが息も絶え絶えに上半身を起こしているところだった。ってて、と頭を押さえて必死に痛みに耐えている。



「正気の奴がいるとは、驚きだぜ。あー、誰だ?」

「……ははっ、ギル、バート、です。おかげで、酷い目に、あいましたけ、ど」

「へー。……正気の奴がいるってことは、こいつら全員不調ってことか?」

「……っ、ああ、……同僚の、方はもしかしたら、……カイリ、殿が、……聖歌を、歌ったので」

「……あ?」

「そのせいで、みんな、もと、も、と変だったのが、また変、に、なって。……俺も、まだ頭、いた……っ」



 またもうめいてギルバートが突っ伏す。レインやシュリアが来たという安心感もあったのかもしれない。

 だが、直後にレインとシュリアが、何故かカイリを強く睨んできた様な気がした。視界が時折ぼやけて確かではないが、穴が開く様な視線を感じる。


「……そんなぼろぼろで、聖歌か、……っ」

「……呆れるほどの馬鹿ですわ……」


 声が皮肉気なのに、どこか泣いている様に響くのは気のせいだろうか。意識が朦朧もうろうとしている頭では、まともに推察も叶わない。

 けれど、案じてくれている暖かさを感じる。もう大丈夫だと、カイリは心から安堵しかけた。

 ――が。


「……っ!」


 気を緩ませた途端、ぞっとする様な寒気がカイリの全身を襲う。

 起き上がろうとしたが、もう遅い。ぬっと、自分を支配する様に恐ろしい手が間近に迫った。



「……愚か。どいつもこいつも」

「――っ、いっ!」



 教皇が、カイリの髪を掴んで抱き込む。再び荒い吐息が肌に触れ、カイリの背筋が悪寒ですくむ。

 レインとシュリアの殺意が、膨れ上がる様に押し寄せてきた。合わせて教皇が益々カイリを盾にする様に抱き込むのを、必死に顔を逸らしてもがく。


「――彼を離しなさい、下種げすが」

「黙れ。カイリ、……【わしのものに】」

「――【俺、は! 誰のものにも、……ならない】っ! ……シュ、リア! レイン、さん!」

「おうよ。……よく、踏ん張ったな」


 驚くほど優しい声が、頭を撫でる様に落とされた瞬間。



 瞬きをする間に、レインが眼前に現れた。



 どごおっと痛烈な打撃音が背後で上がる。それと同じくして、カイリはレインの腕の中に引き込まれていた。

 床に重く転がり落ちる音が、遠くで上がる。レインが後方に二度飛び、充分に彼らと距離を取った。

 流れる様に、まだ絡まったままだった手の縄をはぎ取ってくれる。鮮やかで無駄の無い手付きに、カイリはこんな時なのに圧倒的な実力差を感じて悔しくなった。

 もっと強くなりたい。一人でも、危地を脱出出来る様に。

 こんな風に助けられてばかりではなく、頼られる様に。



 彼らと、本当の意味で肩を並べられる様に。



 焦った彼らの顔を見上げながら、強くなりたいとこいねがった。


「……カイリ! 肩は!」

「折れてるに決まってんだろ。嫌な音したしな」

「……二人、とも、……あ、りがとう、ござい、ます」


 まだ呼吸をするのも苦しい。視界も力を入れないと鮮明にならない。

 それでも息も絶え絶えに何とか礼を告げれば、二人共揃って顔を歪ませた。迷惑をかけてしまったと、カイリは胸元から這い上がる様な息苦しさを覚える。

 ごほっと、せり上がってきたものを吐き出すと、レインの顔から表情が消えた。服を汚してしまったと、元々血の気が無かったカイリの顔から更に血が引く音が聞こえる。


「す、みませ、ん」

「いや、平気だ。……ただの水だ」

「……っ」


 水、という単語を耳にした途端、足元から震えが走る。

 カイリの様子を二人共いぶかしげに見下ろしてきたが、それ以上口には出来なかった。脳裏をよぎる映像を散らし、左手で胸元を握り締める。


「……ゼクトール、……捕えろ」

「……」

「ゼクトール!」


 教皇が苛立たしげに命令するが、ゼクトールは無言だ。ただ無心に、転がって起き上がろうとする騎士達を見下ろしている。

 何だか様子が変だ。

 意識にもやがかっているカイリでさえ引っかかるのだ。レインやシュリアなら尚更だろう。


「……教皇を倒す良い機会ではありますが」

「変だな。……もうちょい、障害になると思ったんだが」


 カイリを抱え直しながら、レインが胡乱気うろんげにゼクトールを見つめる。

 しばらく無言で見渡していたゼクトールは、やがて深く、底が抜ける様に息を吐き出し。



「……もう、その必要はありませぬ、猊下」

「……ぬ?」

「騎士も、ようやっと全員揃った。……っ、ここまでして、ようやっと……っ」

「……? お前、……何、を」

「……この時を、わしは待っていた。ずっと、……ずっと、――……ずっと」



 来なければ良いと、願いながら。



 吐息の様にささやいて。

 しゃっと、ゼクトールが腰から剣を抜く。

 窓から差し込む光を弾く剣身が、不気味に輝いた。その輝きは、まるでゼクトールの長年の鬱積を映し出すかの様に真っ暗で、カイリは腹の底で波打つ様な不安を覚える。

 教皇も同じなのか、無機質なその表情に、初めてはっきりと戸惑いが刻まれた。


「……ゼクトール。何を言う」

「エイベル。十七年前、お前がカーティスを殺そうとした時から。ずっと、――ずっと。この日を待ち望んでいた」


 カーティス。


 父の名が、ゼクトールの口から響き渡る。

 憎しみなど微塵も感じられない。むしろ、どこか懐かしくも切ない匂いが広がっている。

 その事実に、カイリは息を呑む。レインやシュリアも、虚を突かれたのか眉根を寄せていた。――当然、教皇も。


「……、な、ぬ? お前、カーティス、憎い」

「ああ、憎かったとも。娘を巻き込んでしまったカーティスを、逆恨みしたくなるほどに」

「ならば」

「だが、それ以上にお前が憎かったっ。……カーティスを殺そうとし、娘の幸せを奪おうとしたお前がな」


 かっと、ゼクトールが一歩教皇に近付く。


「二十年前、教皇に就いた途端に変わり果ててしまったお前が」

「な、ん……」

「わしとの幼き頃からの約束を違え続けたお前が。憎くて憎くて憎くて、……憎過ぎて」

「ゼ……」

「お前を止めるためだけに。――『かつてのお前』との約束を果たすためだけに、わしは今日まで生きてきたのだ」


 かつ、かつ、と。ゼクトールは一歩一歩、ゆっくりと、だが着実に教皇に迫っていく。

 静かな、平坦な、彼の独白の一つ一つが、廊下を暗く塗り替えていった。まるで彼の思いが走る様に、彼が歩いた道筋に暗い陽炎が立ちのぼっていく。


「ゼクトー、ル。……お前。……騎士達。あいつ、裏切った。早く、立て」

「……っ、……はっ」

「教皇猊下の、意のままに」


 教皇が慌てた様に命令すると、騎士達がはばむ様によろけながらも立ち上がる。

 だが、ゼクトールが怯むはずもない。

 静謐せいひつな構えから、鋭く剣戟けんげきを繰り出そうとした、その時。



【――全ては教皇猊下のために。眠れ、従順なる騎士達よ】



「――――――――っ」



 厳かに、それなのにどこかこの場に似つかわしくない明朗な声が駆け抜けた。

 途端、騎士達が糸が切れた様に崩れ落ちる。

 そのまま四肢を床に投げ出し、動かなくなった。ギルバートは元々先程力尽きていたのか、やはり動かぬままだ。

 何故、という気持ちと、聞き覚えのある声に、カイリがのろのろと顔を上げると。


「――カイリッ!」


 廊下の向こう側から、よく見慣れた姿が駆け寄って来る。ばたばたっと、足音が時々つまずいた様に不規則で、慌てっぷりが如実に伝わってきた。



 ――ああ。あいつも、来てくれたんだ。



 気付いた瞬間、カイリの目の端から、ぽろっと何かが零れ落ちた。



「カイリ! 無事!? 無事だよね! 無事だって言って!」

「……っ、……ケン、ト……」



 慌てた様に駆け寄ってくる親友に、カイリは気が抜けてしまった。手を伸ばして、心配そうにぺちぺちと頬を叩いてくる彼に弱々しく微笑む。本当は手を伸ばしたかったが、力が入らない。


「カイリ! 返事! 返事して!」

「……無事、だ。……二人が、助けてくれたからな」

「……そう。……そっか、……」

「ああ、……っ」

「……っ、……本当に良かった……」


 軽くカイリを抱き締めてから、ケントが俯く。どこか罪悪感がある様な表情に、カイリは首を傾げた。


「ケント?」

「……遅れて、ごめんね。ちょっと集めるのに手間取っちゃったから……、……――」


 急に黙りこくって、ケントがカイリの胸元や首にじっと視線を落としてくる。

 何だろうと疑問が頭をもたげたが、直後、レインが自分のコートをばさっとかけて隠した。


「取り敢えず、これで前隠しとけ。……ケント殿、安心しろよ。未遂だろ」

「……ええ。そうでしょうね。ええ。そうでしょうとも。そうでなければ、もう今この時に首をねていますよ」


 暗い沼を思わせる様なケントの低い声に、カイリは只事では無い気配を嗅ぎ取る。

 ケントはすぐに気付いて、危ない気配を引っ込めたが、それでも表情は歪んだままだ。カイリを真っ直ぐに見据えて、心を整える様に目を瞑る。


「……正直、僕の手で討ち取りたかったけど」

「……、……ケント?」

「まあ、いいや。……お二人共、カイリを連れて脱出して下さい。広場でフランツ殿達が首を長くして待っていますよ」

「あ?」


 素早く立ち上がり、ケントがカイリ達に背を向ける。

 あからさまに不満を醸し出すレインとシュリアに、しかしケントは譲らなかった。



「カイリがそろそろ落ちそうです。休ませてあげて下さい」

「……だがよ」

「教皇を何人倒したところで、この教会のシステムは変わりませんよ」

「――」



 あっさりと聞き捨てならない台詞を吐いたことに、カイリ達が目を見開く。

 だが、ケントはそれ以上語らない。そっと人差し指を唇の前に立て、不敵に微笑んで見せた。


「詳細は、後日話してあげますから。ここは僕に任せて行って下さい」

「……ほんとかよ」

「本当ですよ。ちゃんと現実教えてあげたおかげで、罪人にならなくて済んだでしょう? ほらほら」


 しっしっと犬を追い払う様に手を振られ、釈然としないながらも二人は従うことにした様だ。カイリを抱き上げたレインが、そして前にはシュリアがアーティファクトにまたがる。


「ケント……ありがとう」

「うん。……今は、ゆっくり休んで」


 頭を撫でる様な優しい声に、カイリは大人しく甘えることにした。

 本当はケントにもっと言葉をかけたかったが、上手く頭が回らない。それこそ後日、しっかり話し合うこととしよう。

 だが、まさかアーティファクトまで来てくれるとは思わなかった。カイリは彼に触れ、そろそろと視線で撫でる。


「……アーティファクト。ありがとう」

「ひんっ!」

「……って、三人乗せても大丈夫って。おかしいですわよ、やっぱり」

「ま、そこら辺は追々かね。……行こうぜ。ゼクトール卿の気が変わらない内にな」


 レインの言葉を合図に、シュリアが手綱を握ってアーティファクトを駆る――というよりは引っ張られた。そのまま、ぐあっと外に飛び出し、勢い良く壁を駆け下りる。

 物凄い力技に驚いたのもつかの間、伝わってくる振動が右肩や痛めた体に響き、カイリは思わず顔をしかめた。


「っ、……つっ……」

「何ですの! 痛みますの? アーティファクト、もっと優しくして下さいませ!」

「んなの出来るか……って、マジで振動小さくなったんだけど。ほんとにどうなってんだよ、この馬」


 シュリアの声に応えたのか、アーティファクトは速度を落とさないながらも、器用に揺れる強さを抑えてくれた。彼の頭の良さには感謝してもしきれない。

 しかし、壁を駆け下りるなんて凄い技能だ。人の言葉も分かる様に思えるし、謎である。

 だが、心強い味方であることは間違いない。


「……ありがとう、アーティファクト」

「ひひんっ!」


 当たり前だろ、と言わんばかりにアーティファクトがいななく。その声がとても嬉しそうに弾んで聞こえて、カイリは笑ってしまった。

 その様子にシュリアが「馬鹿ですわ」と溜息を吐き、レインが「こいつららしいな」と苦笑する。

 彼らが、彼ららしい。

 それだけで、カイリはどうしようもない安堵を覚えた。


 ――ああ、帰れるのだ。


 その事実が、カイリをどれだけ鼓舞してくれたか。彼らにはきっと、言葉を何万語費やしたって伝わりはしないだろう。

 だが、それでも良い。風を切る感触を肌に感じながら、心が先へ先へと駆けて行く。

 広場が、近付いてくる。フランツ達が待っていると、ケントも知らせてくれた。

 もうすぐ、カイリが帰りたかった人達が、集う。



「……ひひーんっ!」

「ぬおっ!?」

「ああ、もう! 少しは大人しく……って、あ、ありえませんわ……!」



 甲高くアーティファクトは声を上げ、思い切り空へと飛び上がった。

 シュリアもレインも、堪らずに手綱を必死に握り締めて態勢を整えるのがカイリにも分かる。カイリもレインにしがみ付いて、なるべく彼の負担を減らす様に努めた。

 そうして、長い浮遊感と共に空を泳いだ後。


 たんっと、軽やかに何かを蹴り上げ、また飛び上がる。


 そのまま、たん、たんっとステップを踏む様に何処かを飛びながら渡り、すたんっと華麗に地上に着地した。

 そうして、ぱっかぱっかと速度を落とし、やがて立ち止まる。

 ふわふわした意識と、体感した浮遊感に揺られ、カイリのまぶたがとろとろと下りていきそうになってきた時。



「……カイリっ!」

「――」



 ぱちっと、カイリのまぶたが再び開く。同時にレインがカイリを抱えてアーティファクトから下りた。

 名を呼んでくれた声は、ずっとカイリが聞きたかったものだ。

 本当の家族になろうと言ってくれた人。心配して抱き締めてくれた人。いつも大きな手で頭を撫でてくれた人。

 最後に聞いたのが、悲痛な叫び声だったことが悲しくて仕方が無かった。

 だから、――だから。



「……フランツ、さんっ!」

「――っ! カイリ、……カイリっ!」



 温もりにあふれた声で、ずっと名を呼ばれたかった。

 焦がれた居場所が、確かにここに在る。


「カイリ! ……カイリなんだな!」

「はい、……フランツさん。俺、です」

「よく、……よく、帰ってきてくれた……! 本当に、よく……っ!」


 ぎゅうっと所構わず抱き締められる。何だか周囲の視線が穴が開くほど集まっている気がしたが、今だけはこの温もりに包まれていたかった。


「あー、団長。右肩、骨砕けてるからな。気ぃつけろよ」

「……何だと?」


 レインの注意に、フランツの顔色が変わる。

 しかも、またも首に視線を落とされた。

 確かに今のカイリは、シャツを教皇に引き裂かれてしまったので、みっともない格好ではある。レインにもコートで前を隠せと言われたし、それが理由だろうか。

 そうこう考えている内に、みるみるとフランツの顔が憤怒に彩られていった。殺気が吹き荒れるその形相に、カイリはすくみ上がる。


「……おのれっ! 滅してくれる……っ!」

「ちょっと、フランツ団長! 新人、怯えてるっす!」

「あ、ああ、すまない」


 エディの慌てた声に、フランツが殺気を引っ込める。

 そんな彼の様子に苦笑しながら、エディとリオーネも駆け寄ってきた。


「新人! ……良かった。洗脳、されてないっすよね?」

「ああ、うん。……悔しがって、たから、多分、そうだと思う」

「良かったです。……カイリ様。本当に」


 泣きそうな顔でエディとリオーネが喜んでくれる。

 入ったばかりの頃なら、考えられなかった光景がここにある。カイリも、第十三位というこの居場所に、心の底から安堵する日が来るとは思っていなかった。

 けれど。


 今、ここに在れる自分が、素直に嬉しい。


 帰りたいと思う場所に浮かんだのが、村ではなく、ここだったことを。カイリはさみしく思いながらも、しみじみと噛み締める様に喜んだ。



 ――ああ。俺の今の故郷は、本当にここなんだ。



 よく見ると、三人ともボロボロだ。

 そこまで奮闘してカイリを救出しようとしてくれていたことが、嬉しいと同時に申し訳なくなった。


「……心配、かけて、すみません」

「何を言う」


 けれど、フランツが力強く首を振る。


「俺達が勝手に心配したんだ。……お前は、俺達の仲間で、俺の家族だからな」

「……っ」

「……お帰り、カイリ。……よく、戻って来てくれたな」


 震える様にフランツが抱き締めてくれる。ぽんぽんと、リズム良く撫でられる手の温もりが心地良い。

 その言葉に、その温もりに、その心に、カイリは崩れ落ちる様に安堵した。

 気がかりはまだある。これからどうなるのかも不透明だ。

 だが、今は。今だけは、この幸せに浸っていたい。

 ふわふわと、真綿に包まれた様な温もりが、今のカイリの幸せだ。



「はい。……ただいま、お父さん」

「――」



 無意識に零れ落ちた、幸せな響きと共に。

 カイリは、安心しながら意識を手放した。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る