第224話


 カイリの問いに、フランツ達はすぐには答えなかった。

 当然だ。カイリ達にとっては、下手をしたらパーシヴァルが打ち明けてきた以上の致命傷になる。普通は手の札を見せたりなどしないだろう。愚かだと嘲笑されそうだ。

 けれど。


「……カイリ」


 カイリが冷静に思考を巡らせていると、フランツが静謐せいひつに呼びかけてきた。声が硬いのは、動揺を凍らせているからだろう。腕を組み、ともすれば睨んでいると錯覚しそうな難しい顔で問いかけてくる。



「お前は、パーシヴァル殿がそれだけ信用に値すると考えている。そう判断したということか?」

「いえ、違います」



 即答すると、フランツの顔がわずかに崩れた。レイン達も一瞬目を丸くして変な顔になる。

 カイリでもそんな反応をするだろうなと反省しながら、とつとつと考えを述べていく。


「パーシヴァル殿との付き合いは浅いです。俺なんかは、今回を除いて一回言葉を交わしただけですし。おまけに、このやり取りを見ても本当に謝罪に来ただけかというと怪しいって、俺は思っています」

「……お前、本人を前によく言うなー」

「でも、パーシヴァル殿。きっと、違いますよね?」


 本人に確認すると、いささか意表を突かれた様に彼も表情を崩していた。今までの堅物が服を着て歩いている様な空気を崩せたと、少しだけおかしくなる。


「……。……謝罪に来たのは本当だが」

「でも、俺がどんな風にこの願い事を使うかは見極めたかった。……ファル殿を、俺にけしかけた様に」

「……」


 今度こそ押し黙った。深い溜息は認めたのと同義である。

 王女のスパイという情報を渡してくれた点は、誠意も混ざっているかもしれない。

 しかし、やはり表面上だけを受け取るには、カイリに有利過ぎる条件だ。いくらカイリが聖歌騎士で、その身を危うくし過ぎたと言っても、団長という責任ある立場の人間が思惑も無しに提案するとは思えない。

 だとするならば、やはり彼の行動基準はジュディスなのではないかと推察する。彼は彼女について語る時は、声が微かに柔らかくなった。演技だとしたらそれまでだが、その点は本物の気持ちだと信じたい。

 彼には弱点があって、そして少なからず今の教会の体制を良く思ってはいない。フランツが前に話してくれた。



 故に、彼を引き込む。



 その理由を述べるために、カイリは懸命に言葉を紡いだ。


「第十三位にとって、パーシヴァル殿に俺達の目的を語るのは非常に危険だと理解しています。ハイリスクハイリターンで、ハイリスクの可能性の方が高いということも。だからこそ、みんなの意見を仰ぎたいんです」

「……」

「俺は、……父の悲願でもあり、……俺自身が村にいた頃からずっと抱いていたこの疑問を、絶対解消したい。フランツさん達と共に、本当の意味で未来を歩くためにも」


 それに予感がする。カイリは、この世界の謎を絶対に解き明かさなければならないのだと。

 きっと、ケントも世界の謎に気付いている。全てを知っているかは定かではないが、カイリに何から何まで話しているわけではない。



 だからこそ、「強くなったらいつか、願いを聞いてくれないか」と言ったのではないだろうか。



 強くならなければ、死ぬ確率が少しでも低くならなければ、話せない何かがあるのではないか。カイリは根拠が無いながらも考察している。

 ケントが何を成そうとしているのか。カイリに何を求めているのか。

 それも含め、この世界に転生した意味が必ず眠っている。どこがキッカケかは分からないが、疑問は尽きない。

 日本語が聖歌語なこと、前世の記憶を持っていること、記憶が強ければ強いほど聖歌が強いこと、日本に伝わる文明がレベルは滅茶苦茶でもこの世界にも備わっていること。

 偶然なわけがない。秘密が世界の底に眠っている。

 それがパンドラの箱なのか、はたまた全く見当違いのものなのか。

 知るためにも、カイリは――カイリ達は前を向いて、慎重でありながらも賭けをし続けなければならない。



「俺達に足りないのは、人手です」

「……っ」



 フランツが隣で微かに息を呑む。レイン達もわずかに眉根を寄せた。

 きっと、彼らだって痛感しているはずだ。教皇の事件で痛いほど身に沁みた。カイリ達には、絶対的に頼れる人間が少な過ぎるのだと。


「情報を集めるにも、俺達は自由に動けない。誰か一人でも危機に陥ったら、途端にこの国での活動が危うくなる。今回はクリスさんやケントがいたからどうにかなりましたけど、……もし二人がいなかったら、俺は……俺達は、もうこの国にはいられなかったんじゃないですか?」

「――」


 フランツ達は何も答えなかった。沈黙が雄弁に肯定してくれる。

 つまり、クリスやケントと縁を繋いでいたから、カイリ達は今回ぎりぎりの線で切り抜けられたのだ。本当に感謝しかない。

 第十三位にとって、外で活動出来る人間は、今のところパーリー一人だけだ。一人で同時に他国全てを渡ることは不可能である。

 パーシヴァルに伝手つてがどれだけあるか分からない。

 だが、今まで輪を閉じていた第十三位よりはよほど網を巡らせていそうだ。ジュディスの味方をしているのなら尚更。


「パーシヴァル殿が裏切る可能性もあります。だから、これは俺達にとって、本当に賭けです。……ここで彼を引き込むのは、諸刃の剣かもしれない。理解しています」

「……」

「でも、それだけの価値があると、俺は思います。……少なくとも、第十三位以外の味方、もしくは縁を繋ぐのは、必ず俺達にとって利点がある。選択肢が増えるんです。今回の教皇の件の様に」


 第十三位の外に味方がいたから、カイリ達は首の皮一枚でつながった。

 ならば、更に増えたらどうだろうか。足をすくわれる可能性は高くなるかもしれないが、同時にいざという時の助けが増える可能性も跳ね上がる。


「大丈夫です。せっかくパーシヴァル殿が、『無条件』で、お願いを聞いてくれるんです。きっと、『無条件』で、二つ返事で承諾してくれます。どんな意図が隠されていても、『無条件』で、言うことを聞かざるを得ない弱点を教えてくれました。俺達も弱点を教えることになりますが、きっと、『無条件』で、黙ってくれるはずです」

「……。おー。お前、……ほんっとうに良い性格してるよなー」

「レインさんほどではないと思います」

「ほんっと、よく言うぜ。……見ろよ。パーシヴァル殿、割と唖然あぜんとしてるからよ」


 レインに示唆しさされて彼の人差し指を追いかけると、確かにパーシヴァルは表情が固まっていた。今までの顔の筋肉が動かない、という風ではなく、何かに気圧された様な微動だにのしなさである。

 一矢を報いれたのならば、カイリとしては満足である。謝罪と言いながら試しに来たのだから、これくらいの無礼は許して欲しい。

 それは、さておき。

 そろそろ答えを出したいのだが、フランツ達は難しい顔で考え込んだままだ。時折フランツからは唸る様な声も聞こえる。

 躊躇うのは至極当然なので、根気強く待つことにした。もしかしたら、この場で結論は出ないかもしれない。

 一度、パーシヴァルにはお帰り頂こうかと考え始めた時。



「ボクは構わないっすよ」

「――」



 最初に賛同したのは、エディだった。

 淡々とした口調ではあったが、瞳は真剣そのものだ。真っ直ぐ貫く様な視線に、カイリは胸を小突かれた様な衝撃が走る。


「エディ……」

「新人の言う通り、今回で痛感しました。……ボク達だけで出来ることは限られてるって。……それなら、危険を冒してでも網目を巡らせるのは悪くないと思うっす」

「……っ」

「それに、何が起こったって、今度こそ。ボクが新人を守ります。――ずっとずっと強くなって、絶対に守り抜いてみせる」


 毅然きぜんとした宣言に、カイリは目を丸くした。

 彼の言葉は遥か先を見据えている。カイリを見つめながら、どこまでも突き進む様に、先へ先へと意識が向いているのが伝わってきた。


「例えパーシヴァル殿が裏切って、今回みたいなことになっても、ボクが守ります。新人が、ボクを守ってくれた様に」

「え。……いや、俺、守れてなんて」

「新人は確かに武では下の方っす。まだボクにも及ばない。……でも、本当の強さは、誰かを守る力は、武力だけじゃない。……武力だけじゃ限界がある」


 斜め下に放った視線は、自嘲気味な笑みを湛えていた。

 何を指しているのかは分からない。

 だが、彼の中でははっきり見据えて掴んだ真理があるのだと強く心に響いてくる。


「武力が無ければ守れないものもある。でも、武力だけではない守り方もあると、新人が教えてくれました。……ボクを救ってくれたのは、そして色んな守り方があると教えてくれたのは、間違いなく新人、あんただ」

「……エディ……」

「だから、……ボクを守ってくれた新人の進む選択を、ボクは信じてみます。もちろんまずいと思った時や、間違った発言をしそうになったら、全力で突っ込むっすけど」

「……っ、うん。もちろん、そうして欲しい。俺の考えが、他人から見て絶対正しいとは思わないから」

「任せるっす! ……フランツ団長を差し置いて、最初に返答してすみません。でも、ボクの意見は変わりません。後の判断はみんなに任せるっす」


 エディが一歩下がる様に、目を伏せる。文字通り引いた形となって、またも沈黙が下りた。

 だが、今度の沈黙は長くは続かない。


「私も……カイリ様に一票入れます」

「……リオーネ」


 意外だ、と言ったら失礼だろうか。

 しかし、彼女は周りに対して人一倍警戒心が強いはずだ。第十三位の中では群を抜いていると記憶している。

 カイリの疑問を晴らす様に、にっこりとリオーネはしたたかに笑って見せた。


「これは、パーシヴァル様への信頼ではありません。カイリ様への借りを返すためのものです」

「え、借り?」


 特に何も貸してはいないし、むしろ借りっぱなしな気がする。

 だが、カイリの疑惑はを無視してリオーネは続けた。


「カイリ様のおかげで、仲直り出来た人がいます」

「……仲直り」

「正確にはそこに至れそう、というだけですけれど。カイリ様を全面的に信用するわけではないですし、反対する時はしますけれど。……今は、乗ってみるのも良いかもしれないと判断しました」


 以上です、と可愛らしく終わらせる。語尾に「♪」が見えるのは決して気のせいではないだろう。

 だが、仲直り、というと一人しか思い浮かばない。

 リオーネと『彼女』の関係をカイリはよく知らなかった。馬車で移動中の時も、最初は険悪に見えたくらいだ。

 それでも、どこかで違和感を覚えたのも事実。もし本当に仲直り出来たのなら、カイリとしてもこれほど喜ばしいことはない。

 ほっこりと頬を緩ませていると、リオーネが苦笑しているのが視界の端に入った。何故だろうと首を傾げたが、疑問が解消される前にシュリアが大きく溜息を吐く。


「まったく……ほんっとうにあなたは、突拍子もないことばかり言いますわね」

「……自覚はしてる」

「ですが、今回ばかりは賛成してあげますわ」

「え」


 更に賛成の票が入った。あまりに珍しいことが起きて、カイリはぱちぱちと瞬く。

 すると、シュリアは不機嫌そうな顔を更に不機嫌極まりない風に歪ませ、噛み付く様に牽制してきた。


「何ですの。何が不満ですの」

「いや、不満じゃない! ……でも」

「守りの手は多い方が良いですわ」

「え? 守りの手?」

「っ、いえっ。……手数は多い方が良いということです。それ以上でも以下でもありませんわ!」

「は、はあ」

「とにかく! 選択肢が一つでも増える。これは喉から手が出るほど欲しいものでもあります。ですから、非常に不本意ではありますが、賛成してあげますわっ」

「あ、ありがとう、……?」


 喧嘩を売る様に肯定を叩き付けられ、カイリは首を傾げながらも礼を言った。何故シュリアはいつも怒る様に喋るのだろうか。疲れないのかなと不思議である。

 だが、これで残るはフランツとレインのみだ。第十三位の団長と副団長である。

 どんな判定を下すかと、正直恐ろしいものがあったが。


「……まったくな」


 がしがしとフランツが頭を搔く。

 その顔には疲れが見え隠れしている。心に負担をかけてしまったと、カイリは申し訳なくなった。


「あの……」

「説教をされたばかりだったのだがな。……クリス殿がお前を買う意味が、より強く突き付けられた気がするぞ」

「え? クリスさん?」


 何故、彼の名前が出てくるのだろうか。

 言葉なく問いかけてみるが、フランツはそれには答えずに目を伏せて笑った。その笑みには、どこか決意を固めた様な色が乗っている。


「分かった。団長として許可する。その三つの願い事は、お前が思う通りに言ってみろ」

「……っ、フランツさん」

「レイン。良いな?」

「へーへー。……オレらより、こいつの方が先を行ってるってのが腹立つけどなー」

「え」

「……いや。……最初から、こいつの方がオレらより勝ってるものはあったよな」

「レインさん……」


 何やら彼らは彼らだけで納得した様だ。カイリには何の話かさっぱりである。

 蚊帳かやの外に追いやられた気分になるが、口を割ってはもらえなさそうだ。ねたい。

 だが、仕方がない、とカイリは頭を切り替えてパーシヴァルに向き直った。お待たせしました、と前置きして、カイリは人差し指と中指を突き立てる。



「今、パーシヴァル殿にお願いすることは、二つです。一つは保留にします」

「……なるほど。何だろうか」

「一つは、これから……いえ。これからずっと。貴方の命が尽きるまで。俺達第十三位が今日だけではなく、明日からも話したことを、俺達第十三位の許可なく誰かに話すことを禁じます」

「――」



 パーシヴァルの顔から、すっと表情が全て削ぎ落される。

 代わりに浮かび上がってきたのは、緊張と警戒だ。何を話されるのかと身構えたのが、ひしひしと伝わってくる。


「この条件、きついですか?」

「いや、……。……私から言い出したことだ。しかし、破ったらどうなる?」

「……。……卑怯だとは思いますけど、貴方が話してくれた先程のスパイという話を、上に伝えます。具体的にはケントとかクリスさんに」

「……。最強の切り札だな」

「はい。それだけのことと心得て頂ければ」


 ここで彼らの名前を出すことは、カイリにとっては罪悪感でしかない。力を借りるのも一つの道ではあるが、結局彼らの肩書を何度も利用してしまっていると、己の不甲斐なさに落ち込む。

 思っていると、パーシヴァルが「駄目だ」とすぐさま否定してきた。え、とカイリは強制的に顔を上げさせられる。


「そこで罪悪感をよぎらせるな」

「――っ」

「ポーカーフェイスは完璧だったが、空気が揺れた。……貴殿は、少し真っ直ぐ過ぎるな」

「……。……すみません」

「いや、……私が言えたことではないが」


 ちらりとパーシヴァルがフランツの方を見上げる。フランツの方も苦笑しながら、彼から目を離さずカイリの肩を叩く。


「カイリの美点です。……あまり変えようと俺自身は思っておりませんな」

「甘やかすと足元を掬われると思うが」

「だが、カイリの長所は、今までの第十三位にはない掛け替えのない長所でもあります。……そういった脅しは俺達が担当することが多くなるとは思いますが、彼はその点を履き違えたりはしない。全て己の責任として受け入れていくでしょう」


 だから、大丈夫だ。


 そう手の平越しにぽんぽんと伝えてくれた気がして、カイリの頭が下がる。本当に交渉事は下手くそだなと泣きたくなった。

 それでも、それで良いと認めてくれる嬉しさが上回って、カイリは大きく息を吐き出す。

 本番はここからだ。

 どくどくと、血が溢れ出す様に心臓が早鐘を打つ。

 本当に、彼は約束を守ってくれるのか。本当に、話してしまって大丈夫なのか。



 フランツ達を、結局更なる危険に巻き込むだけではないのか。



 そんな風にぐるぐると嫌な想像が駆け巡る。

 フランツ達に大きな口を叩いておきながら、結局カイリだって恐い。人に己の望みや弱点を打ち明けることほど恐ろしいものはないのだ。

 前世の頃からずっとそうだった。

 人が恐かった。信じてもらえなかった。どんな言葉を尽くしても届きはしなかった。

 けれど。



〝カイリー! おはよう! 今日もむっすりしてるね! 笑って笑って!〟



 そんな風に恐れていたから、カイリはずっと傍にいてくれた人を傷付け続けてしまった。

 裏切りは何処にでも転がっている。世の中良い人間ばかりでもない。

 相手の内側に踏み込めば、相手に傷付けられる可能性だってあるし、己だって取り返しの付かない過ちを犯すこともあるだろう。

 だが。



 そんな風に一歩も動かなかったら、何も変わらない。



 両手に抱えきれないほどの愛を注いでくれた両親。

 喧嘩をしても屈託なく笑い合えた友人達。

 決まり事を作ってでも、カイリを守ろうと奮闘してくれた村の人達。


 彼らが育ててくれたから、カイリは頑張ろうと思えた。

 彼らの教えがあるからこそ、カイリは救われた。

 人を信じる尊さを教えてくれたから、カイリはもう一度ケントと向き合う勇気を持てた。

 ここからと、顔を上げることが出来た。


 第十三位でもう駄目だと思っても、諦めずに立ち向かえた。

 フランツ達と今の関係があるのは、彼らが優しかったのと、カイリが関係を諦めなかったからだと思える。

 だから。


「……パーシヴァル殿に、二つ目のお願いです」

「ああ。聞こう」


 恐くても、自分から。

 カイリは、心を開いていく。



「第十三位が目指す到達点。この世界の謎を解き明かすことに、どうか協力して下さい」

「――――――――」



 静かに、けれどどこまでも通る様に腹に力を入れ、カイリはパーシヴァルに願いを差し出した。


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