第166話


「あ……」


 エディと昼食を取り、宿舎へと戻る帰り道。

 不意に、ふわりと漂ってきた香ばしい匂いに、カイリの足が無意識に止まる。


「どうしたっすか?」

「これ、パンの匂いだ」

「え? ……ああ、そういえばそうっすね」


 商店街を見渡すが、一見するとパンを売っている様な店は見当たらない。花に肉に魚に野菜にケーキにと、様々な食べ物は威勢良く売りだしているが、パンはもう少し先に行かないと無かったはずだ。

 しかし、実際にふわふわと食欲をくすぐる様な匂いが舞っている。

 どこからだろう、と匂いを辿り、別の路地に続いていることに気付いた。今歩いている大通りより少し細くなっており、薄暗くは無いが別段明るくもない。

 だが、人の影はちらほら見える。空気的に危険は感じないが、カイリではまだ判別が難しい。


「ねえ、エディ。こっちの路地って、危なかったりする?」

「……いえ、こっちは方角的にも歓楽街にはつながっていませんし、貴族街へと辿る道っすね。……ボクはこっちは通ったこと無いっすけど」

「そうなんだ」


 この商店街だけで街一つ分はある。行き慣れた道というのもあるだろう。どれだけ長く暮らしていても、知らない場所はあるものだ。


「じゃあさ、ちょっと行ってみても良いかな?」

「……、……良いっすよ。……新人の胃袋は本当に底なしっすね」


 苦笑しながらエディが先陣を切ってくれる。

 万が一を考えてくれているのが分かって、カイリは頼もしさを覚えた。彼はやはり先輩なのだな、と尊敬の眼差しになるのも当然だろう。

 そうして歩いて一分くらいの場所に、パン屋らしき店舗てんぽを発見した。

 玄関口は全面ガラス窓になっており、外からもどんなパンが置いてあるかしっかり見える様になっている。普通の食パンやバターロールにクロワッサンのものから、可愛らしい花に動物といった子供が好きそうなパンに、ケーキっぽいパンまで様々だ。


「わあ、凄い。たくさんあるな」

「そうっすね。そこまで大きい店じゃないっすけど、お客さんも結構入っているっす」


 エディの言葉が示す通り、確かに店の規模はそこまで大きなものではない。

 だが、店内には子供から主婦、壮年の男性やお年寄りまで老若男女が揃い踏みだった。種類によっては無くなっているパンもあり、人気なことが窺える。

 見上げた看板には、「メモリーズ」と書かれていた。思い出、という意味だろうか。なかなか率直でカイリは惹かれた。


「エディ。入ってみない? みんなにもお土産としてどうだろう」

「はいはい。そう言うと思ったっすよ。ボクも……今なら大丈夫だと思うし」

「――」


 間を置いた意味深な発言に、カイリはエディが今までこの路地に入らなかった理由があると知る。

 以前、レインやリオーネに聞いた。エディが、カイリと二人きりでは出かけてくれない理由を知らないかと。

 二人は困った様に言葉をにごしていたが、エディの過去を聞いた今なら思い当たることが一つだけあった。



 エディのことを、未だに過去の傷をえぐる様な目で見ている人がいるのかもしれない。



 万が一、エディの過去を図らずもカイリが聞き知ってしまったらと想像したのだろうか。もし恐れる事態に陥りかけても、レインやフランツがいれば上手くいなして流せるだろう。

 この路地は、教会騎士やエディを知る人間が通りやすい場所なのかもしれない。

 そう考えると、長居はしない方が良いだろう。もっと早く気付くべきだったと後悔する。


「えっと。やっぱり」

「行くっすよ」

「え」

「……こんな美味しそうなパン屋見逃していたんです。悔しいでしょう」


 緩やかに微笑むエディの顔には、小さな決意が潜んでいた。いつもの闊達かったつな笑い方とも、茶化されて抗議する快活さとも違う。彼の中に眠る静かな強さが顔を出している。

 カイリに話して吹っ切れたのか。少しでも支えになれたら良いと願って、カイリは素直に頷いた。


「うん。行こう」

「新人、本当食い意地張ってるっすからね」

「食事は一日の基本だからね」

「はいはい」


 軽口を叩き合いながら、カイリとエディは扉を開く。

 からんからん、と綺麗で涼やかな鈴の音が響き、「いらっしゃいませー」と奥から茶色の髪を頭に結い上げた妙齢の女性が出てきた。手には焼き立てらしいパンがこんもり乗ったお盆を持っている。丁度良い時間に来たと、カイリは嬉しくなった。


「こんにちは。美味しそうですね」

「あら、新顔ですね。いらっしゃい。どう? 試食してみませんか?」

「え、良いんですか?」

「もちろん! うちの店のファンになって欲しいですから」


 茶目っ気たっぷりにウィンクされ、カイリも笑って「はい」と返す。気さくな彼女は目尻にしわが刻まれていたが、それもまた魅力として彼女を彩っていた。

 パンを手際良く棚に置き、「どうぞー!」と爪楊枝つまようじに刺した一切れのパンをカイリとエディに手渡してくれる。ありがとうございます、と受け取って、カイリはパンを口に近付けた。

 途端、ふわんと優しい香りがカイリを包み込む。食べる前からもう匂いだけで美味しい。パン特有の香ばしさに、優しい甘さが香ってくる。


「美味しそう……っ、いただきます」


 はむっとパンを口に入れ。



「んー……っ! 美味い!」



 とろける様にカイリの顔が緩む。

 嗅ぐだけでも美味しかった香りが、口に含んだ途端口の中だけではなく、体全体に行き渡っていく。濃厚な香ばしさなのに、控えめに広がる柔らかな甘さが最高だ。

 しかも、噛むとふわんふわんと弾力が面白い。ふわふわとたおやかなのに、弾力もきちんと備わっていて、噛み締めるごとに味が染み出してくる。

 特に果物や肉などで味付けされた感じはしない。これは、パン本来の美味しさを最大限に引き出した傑作だ。


「美味しい! エディ、これ、買おう!」

「うん、確かに美味いっす。けど、……本当に新人、幸せそうな顔するっすねえ」

「もちろん! 美味しいパンは、人を幸せにする!」

「はいはい。確かに、新人は幸せそうっす」


 おかしそうに笑いながら、エディが入り口にあったトングとトレイを持ち出した。「はい、新人」と渡されて、我に返る。

 周囲を見渡すと、にこにと優しい笑みで他の客に見守られていた。あまりに良い笑顔なので、かああっとカイリの顔が火照ってくる。恥ずかしい。


「す、すみません。騒いでしまって……」

「いえいえ、良いんですよ。そこまで喜んで頂けると主人も喜びます」

「主人? あ、旦那さんが作っているんですか?」

「そうです! うちの主人のパンは美味しいって評判なんですよ」


 えっへん、と腰に手を当てて胸を張る女性に、カイリは微笑ましくなる。本当に誇りを持ってパンを売っているのだと伝わってきた。

 ひょっこりと、奥の工房から様子を見る風に顔を出した男性が夫なのだろう。ぺこりと頭を下げてきたので、カイリも笑って頭を下げた。


「本当に美味しいです。ちょっと、色々見てみますね」

「ええ。ごゆっくり」


 ぺこりと頭を下げて、女性が戻っていく。ちょうどお会計に並んだ客の相手をし始めた。

 店員は彼女一人なのだろうか。なかなかの客の入り様だ。一人で切り盛りは大変そうだと感嘆してしまった。


「これ、みんなの分も買わない? 明日の朝ごはんのお供とか」

「ああ、良いっすね。ちょうどボクが当番ですから、メニュー考えますよ」

「やった! 楽しみが増えた」

「……新人って、やっぱり時々ビックリするくらい子供になるっすよね」

「良いんだ。美味しい食事は心を満たすから。エディのご飯も楽しみだ」

「……はいはい」


 呆れた風を装いながら、少しエディの声が弾んでいる。何に喜んだのか疑問がよぎったが、すぐに目の前に陳列されたパンに心を奪われた。


「わあ。本当にたくさんあるな。どれも欲しい」

「……新人。胃袋がたくさんあるのは良いことっすけど、ボク達新人ほど入らないっすからね?」

「んー。あ。明日の昼食も、ここのパンにしようかな。あ! シチューパンだって。すごい、パンをくり抜いてそこにシチューを入れるとか、喫茶店とかで見るメニューだよね」

「そうっすね。しかも美味しそうっす」

「えーと、『家で美味しく召し上がる方法』っていうメモ書きまである」

「へえ、……ふむふむ。……料理魂をくすぐられる……! ボクもこれ、明日の昼食にするっす」

「それなら、フランツさん達にも買っていかない?」

「ああ、良いっすね。それぞれで食べるでしょうし。……断られても」

「俺が食べる」

「ですよね」


 分かってました、と呆れた様に肩をすくめられた。仕方がない、食べることが好きなのだからとカイリは開き直る。

 そうして、可愛い花の中央にルビーの様なイチゴジャムが乗っているものをリオーネにとか、宝石をちりばめた様なマフィンを三時のおやつにとか、色々物色していると。



「あ。うさぎとかめがいる」

「お、本当っすね。一緒に並んでいて可愛いっす」

「ね」



 それは、にっこり笑ったうさぎと、うさぎに仲良く寄り添う亀が並ぶパンだった。特に一体化しているわけではなく、他にも横にクマや犬や猫やふくろうやあざらしなど色んな動物が並んでいる。この棚は動物シリーズらしい。

 しかし。


 ――うさぎとかめ、か。


 ルナリアの孤児院で歌ったことを思い出す。彼らはこの歌を、大層喜んでくれた。

 今も元気にしているだろうかと懐かしくなり、不意に口をついて旋律が流れる。

 だが。



「もしもし、パンよ、パンさんよ。世界のうちで、お前ほど」

「……、え」

「美味しいパンは、知らないよ。どうしてそんなに美味いのか」



 懐かしさと先程食べたパンの味を思い出し、感情が欲望と一緒に溢れ出してしまった。思わず替え歌になってしまう。

 エディが「え」ともう一度呆けた様に凝視してきて、カイリは照れ臭くなって口早になってしまった。


「えっと。パンが美味しかったから」

「……それって、『うさぎとかめ』だったっすよね?」

「うん。だから、『美味しいパン』っていう替え歌にしてみた」

「……。……へえ。そんな歌い方もあるんすね。初めて知りました」

「え」


 半ば感心した様にエディが頷くので、カイリは首を傾げた。

 前に同じ曲で別の想像を働かせると全く別の効果が表れるとは教えられたが、同じ旋律で全く違う歌詞を歌う、というのは珍しいのかもしれない。前世では普通だったが、この世界では前世の普通は普通ではないのだ。


「えーと。変かな?」

「いいえ。むしろ面白くて好きっすよ。……というより、歌詞が本当に新人っす」

「わ、悪かったな! 良いだろ、歌は楽しい方が!」

「まあ、そうっすね」


 見守る様な生暖かい笑みを向けられ、カイリは、むぐうっと膨れる。ついつい口走ってしまった己が恨めしい。

 未だ面白そうに笑うエディを睨みつけてから、別のパンを物色しようと振り返る。

 すると。



「……、え」



 店内の人々が、揃って全員カイリを凝視していた。



 呆然とする者、口をあんぐり開けている者、パンを持ったまま固まっている者など様々だが、一様にカイリを見つめている点だけは全員同じだ。

 思わず救いを求めてエディの肩を叩くと、彼も不思議そうに振り返った後、え、と固まった。何事か、と声なく呟いているのが顔を見なくても感じ取れる。


「俺、変なことした?」

「いえ、別に……。……あ」


 歌、と吐息の様にエディがささやく。

 指摘され、カイリもすぐに異変の正体に思い至った。

 そういえば、この世界では歌は一般的ではない。限られた者しか歌えない上に、普段は神聖なものとして崇められて馴染みがないのだ。

 それをこの一般人が集う店内で、しかも替え歌という遊びの様な歌を披露してしまったのだ。それは彼らも驚くだろう。

 しかし。



 ――もっと、身近なものになれば良いのに。



 歌えない者が大半だということは知っている。村でも両親やライン、ミーナを除いては全員歌うことはしなかった。

 けれど、彼らも歌うことはしなかったが、リズムを取ったり手拍子したりと、日常的に楽しんでいたのだ。みんなで笑って、輪になって歌っていた。

 歌は、決して騎士だけのものではない。それが当たり前になって欲しいとほのかに願う。

 だが。



「……お客さん、もしかして教会騎士なんですか?」



 先程接客をしてくれた女性が、驚いた様に話しかけてくる。

 そこで、彼らの反応はカイリが思っていたのとは少し違うと初めて気付いた。

 今のカイリとエディは、騎士服ではなく普段着だ。エディが制服から着替えたので、カイリもならってそうした。

 だから、見かけ上は騎士には全く見えなかったのだろう。

 居心地が良かっただけに、今の店内の何とも言えない異様な空気に罰が悪くなった。


「……はい。そうです」

「そうですか……。むす……、あ、いや」


 何かを言いかけて、女性は困った様に口をつぐむ。

 何だろうと疑問符が浮かんだが、店内の空気は更に半分に割れた。おお、と目が輝く人達と、少しだけ身を引く様に怯える人達だ。

 今まで商店街では、騎士だと知られても特に態度を変えることなく接してくれた人達ばかりだった。故に、こうも反応が分かれたことに驚きを禁じ得ない。


「すみません。もしかして、騎士が来ては行けない店だったんでしょうか」

「ああ、いや! そうじゃないですよ。ただ、その……ちょっと、その……」


 言いにくそうに頬をく女性に、益々ますますカイリは首を傾げる。夫だという男性がいつの間にか女性の隣に並んでいたことに益々違和感を覚えた。

 先程は、エディがこの通りに来たがらなかった理由は教会騎士の姿をよく見かけるからだと推測した。

 だが、違うのだろうか。

 混乱していると、エディが納得した様に溜息を吐いた。



「もしかして、嫌がらせでも受けてるっすか?」

「えっ⁉」



 エディの淡々とした確認に、カイリは飛び上がらんばかりに驚く。

 だが、女性も男性も目を丸くはしたが、否定はしない。むしろ更に困った様に眉根を寄せて苦笑いした。


「まあ、はい。ちょっと色々あって。……息子が教会騎士なんですけど」

「え、そうなんですか」

「ただ、その……息子は見ての通りただのパン屋の息子ですからね。聖歌語も使えないということで、時折この店に色々嫌がらせをしてくる人達がいるんです」

「え……」


 告げられた内容の酷さに、カイリは絶句した。表情も落ちたのが自分でも分かる。

 パン屋の息子で、聖歌語が使えない。

 ただそれだけで、嫌がらせをする人間が出てくるのか。

 とんでもない難癖だが、今の教会の体制を知る身としては、信じられないとは思えない。前世でも、あまりに不条理な言いがかりを付けてくる輩もいた。

 だが。


「……聖歌語が使えない、っていうのは……聖歌至上主義だから分かるけど。何でパン屋の息子で?」

「あー……新人。一応、身分っていうものがあるっす」

「……。……うん。分かった」


 簡潔なエディの説明で、カイリも理解した。

 つまり、貴族だの一般市民だので区別を付けたがる輩もいるということか。頭が一気に痛くなった。

 カイリは曲がりなりにも貴族の息子になっているし、聖歌騎士でもある。そういう差別とは無縁の世界にいることを、溜息を吐くほど痛感した。


「……えっと、訴えとかは……」

「一応出してはいるんですが。……息子が余計なことするなと言うので、あまり足を運べてはいないんです」

「……そうですか」

「でも、こうして応援して下さる方が多いですし。それに、あからさまに店を壊したりといったことはしてこないので。大丈夫です」


 強気な笑顔を見せる女性だが、その奥に見えるのは疲労だ。

 どれほどの頻度か分からないが、いつ来るかと考えるだけでも精神的な負担は大きい。現に、周囲の人達でさえ顔が曇っている。特に子供は母親の陰に隠れて、カイリという騎士を遠巻きにしていた。良い印象は全く持たれていない。

 カイリも何とかしたいが、実際に現場を見たり証拠を押さえないと力にはなれないだろう。巡回するにしてもカイリ一人では出来ないし、無責任なことは言い出せない。せいぜい誰かに相談するくらいだろう。現時点では引き下がるしかなかった。

 しかし。


 ぐるっと、もう一度カイリは辺りを見渡す。


 ほかほかと美味しそうな匂いを香らせるパンの数々。形も実に工夫を凝らされていて、大人から子供までみんなが楽しめるパンが並んでいる。

 実際味も一級品で、カイリは食べた瞬間幸せな気持ちになった。

 それは、この店の主人が心を込めて、そして真剣に日々努力をしてパンを作っているからだ。決してカイリ達には真似出来ない匠の域である。


「……俺は、その嫌がらせをしている騎士と同じ教会騎士です。だから、上手く伝えられないかもしれないですけど」


 それでも、何も言わなければ伝わる可能性すら無くなる。

 カイリはトレイに乗せたパンを持ち上げて、女性に告げた。


「俺、この路地に来るの初めてなんです。今日ここに来れたのは、大通りにまでここの美味しそうなパンの匂いが漂ってきて、気になって仕方なかったからです」

「……っ」

「実際、この店に入ったらみんな楽しそうで、笑っていて、とても素敵な空間でした」


 店に入った人達が、みんな笑顔でいること。

 それは、とてもささやかなことかもしれないが、尊い場所だと感じ入る。



「パンはすっごく美味しくて幸せな気持ちになれたし、俺の大切な人達とも一緒に分かち合いたいって思いました。……それって、誰にでも出来ることじゃないって、俺は思います」

「――」



 美味しくて、心のこもったパンは、食べた人にもきっと届く。

 このメモリーズの店のパンは、そういう素敵なパンだ。

 だから。


「えっと、……つまり! 教会騎士の中にも、ここのパンのファンの騎士もいるってことです!」

「――」

「まだ一口しか食べていないですけど、本当に美味しかったから! たくさん買って、もっと幸せになります! ね、エディ!」

「え? あ、ああ、そうっすね。……新人、やっぱりビックリするほど子供っすよね」

「えっ⁉」


 何でそうなる、と強く抗議したかったが、その前にぶはっと目の前で噴き出された。

 見ると、女性がおかしそうに口元を押さえて震えている。何故だ、とカイリの目と口が棒になった。


「いえ、すみません。……やっぱり、最初の印象って凄いなあって思っていたんです」

「え? 印象?」

「騎士っぽくないですね」


 それって、褒め言葉なんだろうか。


 それともけなされているのか。何とも微妙な評価に、「良い意味でですよ」と女性が補足してくる。男性は無言でこくこく頷いていた。無口な人なのかもしれない。


「パンを褒めて下さって、ありがとうございます。……すみません、私情を挟んでしまって」

「いえ。……嫌なことをされたら、やっぱり同じくくりで嫌だって思うのは当然です」

「……お客さん」

「だから、俺やエディはここのファンだっていうのを、信頼と共に積み重ねていこうと思います」


 ぐっと拳を握って宣言すれば、もう一度女性が噴き出した。解せぬ。

 ようやく笑いが収まったのか、女性が目を細めて頭を下げた。


「ありがとうございます。失礼して申し訳ありません」

「え! い、いえ、別に失礼だなんて思いませんでしたから!」

「……。……あの子の傍に、貴方みたいな子がいてくれていたら……」

「え?」


 頭を下げながらの女性の呟きが、よく聞き取れなかった。

 すぐに「何でもありません」と、女性が笑顔を作る。今までと違って取り繕った笑みの奥は、一抹の哀しみが混じっていた。

 彼女は、明るい笑顔の奥にどれほどの苦しみを抱いているのだろう。

 出会って間もない。深く踏み込み過ぎるのも無礼に当たる。

 だから。



「また、ここにパンを買いにきますね」

「……はい。お待ちしております!」



 ただ、もう一度会う約束を取り付けよう。

 今のカイリに出来るのは、ただそれだけだ。

 エディも何も言わずに静かに微笑んでいる。いつの間にか、店内の緊迫した空気も和らいでいた。隠れていた子供も、少しだけだが体を前に出し、じーっと目を逸らさずカイリを見つめてきている。

 嫌がらせを受けていることを知っても、ここにいる人達はこの店にパンを買いに来る。それは、本当にこのパン屋が好きだからだろう。


 分かるからこそ、カイリはこの出会いを大切にしたいと願った。


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