第167話
「ただいま戻りました」
「戻ったっす!」
エディと昼食を終え、パンをたらふく買い込んだ後、カイリは第十三位の宿舎に戻ってきた。
程なくして、ばたばたとフランツが出迎えに来てくれる。嬉しさと安堵が入り混じった様な表情に、カイリはむず
「お帰り、二人共。道中、何も無かったか?」
「はい。ただいま、フランツさん」
「大丈夫っすよ! ボクもいましたしね!」
「ああ。エディ、ありがとう。ちょうど、お茶を淹れたところなのだ。二人共、飲むか?」
「「もちろん、いただきます」」
同時にハモってしまい、フランツが声を上げて笑う。カイリもエディと顔を見合わせて、噴き出してしまった。
靴を脱いで食堂に行くと、一足先にシュリアが茶を
「お帰りなさいませ。全く、騒々しいですわ。お茶くらい静かに飲ませて下さいませ」
「ただいま。良いじゃないか、俺は賑やかな方が好きだし」
「ただいまっす、シュリア姉さん! 気を付けるっす!」
「……はあ。全く、どいつもこいつも生意気ですわ」
苦虫を潰した様にシュリアが嘆息する。
それ以上何も言ってこないところを見ると、もはや諦めてくれたらしい。彼女はなかなか疲れそうな日々を過ごしているなと、カイリは苦笑した。
そんなカイリの考えを見透かした様に、ぎろりと睨まれるのも慣れてしまった。日常とは恐ろしい。
「あ、そうだ。フランツさん、シュリア、お土産です」
抱えていた紙袋を揺らすと、フランツの顔が柔らかく緩んだ。
「うむ。二人とも、随分と大きな紙袋を持っているなと思っていたが、お土産か。嬉しいな。何だ?」
わくわくとした顔つきで、フランツが湯呑を持ってくる。興味津々といった表情は子供の様で、カイリも悪戯が成功した様な気分になった。シュリアも気になるのか、少しだけ乗り出す様な格好をする。
「パンです。メモリーズっていうお店の」
「ほう? メモリーズか。知る人ぞ知る、隠れ家的な店だったか」
「そうなんですか? 大通りを歩いていたら、すごく美味しそうな匂いがしてきて。たくさん買っちゃいました」
「新人、全種類買う勢いでしたからね。止めるの必死だったっす」
やれやれといった風に、エディがパンの袋をテーブルの中央に置く。
それを見て、シュリアが呆れた様に嘆息した。
「この人、本当に食い意地張り過ぎですわ。まさか、買い占めたんじゃありませんわよね」
「そ、そんなことはしないぞ! いらないなら、シュリアのパンも俺が食べるけど」
「食べないとは言っていませんわ。貴方は食い意地が張り過ぎてはいますが、舌は確かな様ですので」
言いながら、いそいそと紙袋の中をシュリアが覗き込む。結構意外な評価だったが、カイリの舌を認めてくれるのは嬉しい。少しだけ頬が緩んだ。
「三時のおやつに、と思って。少し早いですけど。明日の分もあります。フランツさんも好きなのをどうぞ」
「おお、それは良いな。感謝する。レインやリオーネにも帰ってきたら教えないとな」
「ふん。こんな時にいない二人が悪いのです。さっさといただきますわ」
好きなパンを見つけたのか、シュリアがいつの間にか出していた皿に乗せていく。ケーキ風クリームパンとウサギのパンを手にしたのを見て、やっぱり甘いのが好きなのだなと納得した。
カイリはカメのパンとアザラシのパンを選んだ。どちらも可愛くてしばらく見つめ合いになりそうで困るが、どうしても他が選べなかった。
けれど、この動物パンもただ可愛いだけではなく、それぞれ全て違うクリームが入っているということだった。おみくじみたいだな、と今から中身が楽しみだ。
フランツやエディも好みのパンを選び取り、楽しそうに見下ろしていた。
「では、いただくか」
「頂戴いたしますわ」
「はい、どうぞ。いただきます」
「いただきまっす!」
全員で手を合わせ、それぞれがぱくりとパンを口にする。フランツは豪快に、エディは元気良く、シュリアは上品にと、それぞれ特徴が出ているのが面白いとカイリは密かに感嘆した。
そして。
「……うむ。美味いなっ。これは癖になりそうだ」
「……確かに、後を引く味ですわね。人気になるのも分かる気がします」
「そうっすよね! 流石新人。美味しい食べ物を見つける嗅覚は一流っす」
「はは、ありがとう。……うん。美味しい! これ、豆? えんどう豆のクリームだ!」
食べてみて、カイリは驚きのあまりまじまじと中身を凝視してしまう。
カメの形は可愛らしくファンシーで、甲羅の部分は淡い黄緑色の格子の線で彩られている。
緑といえばお茶と思い、てっきり抹茶味を想像していたのだが、見事に予想を裏切られた。中から覗いたのは鮮やかで綺麗な黄緑色のクリームだ。ぎっしりといっぱいに詰まっており、ボリュームも満点である。
もう一口頬張れば、ふわりと口の中で雪解けの様にクリームが広がっていく。豆のほのかな甘みも絶妙だ。しつこ過ぎず、けれどしっかりとした味わいで、何個でも食べられそうである。
「美味しい! 凄い! わー、やっぱり全部買えば良かった……」
「新人。新人。楽しみを取っておくのも大事っすよ」
「うっ。……そうだよね。うん、次は他のも買おう」
「……ほんっとうに食い意地張っていますわね」
「ふ……っ。流石はカイリ。食べる姿も可愛いな。幸せそうな顔も最高だ。ここに、食べる天才の天使がいる……」
パンを持ったまま、じーんと感慨深げに目を閉じるフランツを、シュリアが「馬鹿ですわ」と一刀両断した。エディは「相変わらずっすね」と呆れて食事を再開し、カイリは照れ臭くて
何だかんだと会話をしながら、みんなの食べる手は止まらない。もう一個と手を伸ばす三人の姿に、本当に買ってきて良かったと胸を撫で下ろす。
しかし。
〝ただ、その……息子は見ての通りただのパン屋の息子ですからね。聖歌語も使えないということで、時折この店に色々嫌がらせをしてくる人達がいるんです〟
このパン屋で聞き知った出来事は、カイリの心に小骨が引っ掛かった様に取れない。
実際に起きた現場を見ていないから何が事実かは判断出来ないが、嫌がらせを本当に受けているのなら何とかしたい。特に情報収集は必要だろう。
「あの、フランツさん」
「うん、何だ?」
「フランツさんは、メモリーズっていうお店を知っているんですよね?」
「ん? ああ、名前だけはな。あまり俺は行かない通りだが、人気だとは聞いているぞ」
「……あの店、教会騎士達に嫌がらせを受けているみたいなんです。フランツさんは、何か知りませんか?」
カイリの問いに、む、とフランツの顔つきが真剣なものに取って代わる。シュリアも嫌そうに顔を
「何ですの、それは。これほどなかなかの味のパン屋に嫌がらせとは」
「そうだな、シュリアの言う通りだ。……確かにあの通りでは、騎士達の顔をよく見かけるそうだが……そんな話は出回ってはいないな。しかし、……何故嫌がらせを?」
「えっと、あそこのお店の息子さんが教会騎士みたいなんですけど。パン屋の息子で、聖歌語も使えないから馬鹿にされている? らしくて」
はっきりとは断言しなかったが、雰囲気的には合っているだろう。エディも訂正をしてこない。
そういえば、息子の名前を聞くのを忘れてしまった。フランツ達なら知り合いかもしれないのにと、己の機転の
フランツは、ふむ、と
「教会騎士が嫌がらせ、か。だとすると、訴えても却下されている可能性も高いな」
「え」
思ってもみない答えを打ち返され、カイリは絶句してしまう。
そんなカイリの頭を少しだけ慰める様に撫でてから、フランツも口をへの字に曲げて忌々し気に続ける。
「腹立たしいことこの上ないが、聖歌騎士以外にも、身分差というのは少なからず存在する。相談する窓口でも、人の当たりが悪ければ、嫌がらせをする人間が貴族だった場合握り潰される」
「……そんなっ」
「俺達第十三位も扱いは酷いし隅っこに追いやられてはいるが、普段は陰口くらいで済んでいるだろう?」
「あ。そういえばそうですね……」
「団長である俺が貴族だというのと、リオーネという聖歌騎士がいるからだ。今はカイリという貴族で聖歌騎士もいる上、第一位団長のケント殿とも親交がある。これで俺達全員が平民でただの教会騎士だったら、もっと酷い立場に追いやられていただろうな」
「……そうなんですね……」
第十三位はあれだけ堂々と悪意をぶつけられているが、それでもマシな扱いなのか。改めて暗い世界を見せ付けられ、カイリの心も
考えてみれば、前世でだって孤立したことを教師に相談したら、ただ笑って流されてしまった。つまり、そういう話なのだろう。
世の中は本当に善悪がはっきりくっきりと区別が成されている。あまりの理不尽さにカイリの頭が沸騰しそうだ。
「まあ、騎士だというのならば、後は実力ですわね」
シュリアのさらっとした補足に、カイリは要領が掴めずに首を傾げる。
「実力? 武術が強い、とか?」
「そうですわ。例えば、わたくしとレインは双璧という異名があるほど恐れられています。それだけの実力があれば、ちょっかいを出す勇気もなかなか出ない、ということです」
「ああ、なるほど。二人に喧嘩を吹っ掛けたら、半殺しになりそうだもんね」
「……。何だか腹が立ちますが、その通りですわ。……あなたが第一位と試合をする羽目になった時、その前にレインへ暴行を加えられましたが。あれは、あくまで非難の取っ掛かりを得るという例外です。下手をしたら殺されると分かっている相手に、自分から突っ込むことほど自殺行為なことはありません」
ずずっとお茶を
ささやかでも綺麗なものを目にすると、少しだけ沈んだ心が癒される。カイリは密かに彼女に感謝した。
しかし、どんな場面でも実力は無駄にはならないと知る。カイリもその域を目指そうと密かに意気込んだ。
「まあ、話を戻そう。要は、そのパン屋の息子だという教会騎士も、苦しい立場にいるのだろう。実家まで嫌がらせを受けているということは、シュリアやレインほどの実力……は流石に難しいか。とにかく、周囲を黙らせるほどの力を持つまでには至っていないということだ」
「……。……つくづく穢い人間の一面ですね」
「……そんな顔をするな。カイリはそういう一面を穢いと思える。それはとても尊い心だ。俺はそんなお前を息子に持てたことを誇りに思うぞ」
「フランツさん……」
「ああ。やはりカイリは天使だな。可愛すぎる。……どんな小さな悪事も見逃さず、立ち向かおうとするその正義感に溢れた真っ直ぐな心根! 俺の元に祝福を授けに訪れた可愛らしい天使は、他の者達にも同じ心根を持ってぶつかる! 流石だ、カイリ! 最高だ!」
「……馬鹿ですわ」
「本当、親馬鹿っすねえ」
途中から話が物凄く
もう天使天使と言うのを止めて欲しいが、第十三位内だと慣れてしまった自分もいる。シュリアやエディも簡単に流す様になった。由々しき事態かもしれない。
「あー、うむ。まあ、カイリが天使という真理は置いておいてだ」
「どこが真理ですの……」
「メモリーズというこのパンは、評判に違わず美味い。……俺も少し気に留めておこう。事実であるならば、対処はしなければならない。総務長にもそれとなく話を通しておこう」
「あ、ありがとうございます」
カイリの話に耳を傾けてくれた上、対処にも乗り出してくれる。フランツはやはり頼もしいなと、尊敬の眼差しを送った。
「営業妨害の可能性があるのでしたら、法で裁かなければなりませんわ。……まあ、総務長はともかく、他が握り潰したらそれまでですが」
「いや。今はカイリがいる。今までは握り潰した奴がいたとしても、流石に聖歌騎士の言葉は無視は出来んはずだ。嫌がらせをしている中に聖歌騎士がいたなら、聖歌の強い者同士の対決にはなるが」
「ああ、なら大丈夫ですわね。彼、聖歌だけは馬鹿みたいに強いですから」
「……他は全然っていう風に聞こえるんだけど」
「事実ですわ。精進なさい」
ざっくりと痛いところを突いてくるシュリアに、カイリはぐうの音も出ない。
だが、聖歌の力の強さは認めてくれている。そのことは純粋に嬉しい。
次に足を運ぶ時は、もしかしたら少しは良い報告が出来るかもしれない。相談して良かったと、カイリは胸を撫で下ろした。
「フランツさん、シュリア、ありがとうございます。少しだけ楽になりました」
「うむ。これからも何かあれば相談しろ」
「一人で抱えることほど愚かなことはありませんわ。あなた、弱いのですから」
「うぐっ。……精進するよ」
「シュリア姉さんは、本当に素直じゃないっすよねえ……」
「はあ? パシリ。目と耳が腐りましたの?」
「く、腐ってないっす!」
ぎらっとシュリアに眼光を向けられ、エディが千切れんばかりに首と手を振りまくる。彼は何故いつもこんな役回りなのだろうか。
だが、そういえばもう一つ気にかかる点があったのだ。丁度良いのでまとめて質問しようと口を開く。
「……そういえば、フランツさん。あの、……俺に手紙とか届いていませんでしたか?」
あざらしのパンとの睨めっこを終えてから、カイリは切り出した。
途端、フランツの顔が爽やかに晴れ渡る。実に清々しい、青空の様な笑顔に、カイリが疑問を持つ間もなく。
「ああ。あったぞ。処分した」
「……、はい?」
「見事にこなっごなに破り捨てたぞ」
とても良い笑顔で宣言され、カイリは目を点にした。
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