第59話
――あの時の、前世で初めて孤立した時のことを思い出す。
〝見た? さっき、泣いてるエミちゃんのこと、笑ってたよ〟
〝さっきドッジボールした時、わざとトモキにぶつけてたし。ひどいよねー〟
いつからそんな悪評が広まったのだろうか。突然、だった気がする。
ある日学校に登校したら、既にクラスメートが総出で待ち構えていたのだ。
あまりに異様な雰囲気に、何事だろうとただただ驚いていたら。
〝お前、トモキにひどいことしたんだってな〟
昨日一緒に遊んだ友人が、今日は物凄い形相で睨みつけてきた。
何を言っているのだろう。訳が分からない。
そんな風に反論しようとしたのに。
〝ひでえやつ。母さんが言ってたとおりだ〟
〝そうそう。カイリ君って、おやのケンリョクかさにきてるって。私のお父さんも言ってた!〟
〝だからだよなー。何してもいいって思ってんだろ!〟
〝だって、ぜーんぶカイリ君のお父さんとお母さんが、コネを使ってつぶしちゃうの!〟
〝エミちゃんのこと笑うなんてひどい! 何でそんなひどいことするの!?〟
〝親がえらければ、きずつけてもいいのかよ!〟
次々と浴びせられる罵倒。畳み掛けられる嘘だらけの非難。
どうしてそんなことを言われるのかと、カイリは混乱して。
そして。
〝――カイリ君。もう、学校に来ないでよ〟
最後に、あの少女が、見下した様に笑って突き飛ばしてきた。
当時クラスのボスだったあの少女の言うことは絶対だった。クラスのみんながどこまで信じていたのか。今のカイリでもよく分からない。
けれど、あの時はそれが全てで、カイリの味方は誰もいなかった。
どうして。
言っていない。そんなこと思っていない。
違う。どうして、やってもいないことを信じるの。
だが、言いたかった言葉は、集団で突き付けられた刃に切り捨てられた。言葉は届かないまま、カイリは彼らから
教師に助けを求めた。誤解を解いて欲しいと訴えた。
けれど。
〝カイリ君。良い子だから、みんなと仲良くしましょうね〟
そんな、簡単な一言で全ては終わった。
両親はいつも家にいなくて、相談すら叶わなかった。
誰もいない。誰も自分の言葉なんて聞いてくれない。
どうして。
そんな疑問ばかりがぐるぐる渦巻いて、いつしかもう、誰も信じられなくなっていた。
けれど。
それは前世の話だ。
生まれてからは、両親が暑苦しいほどに愛してくれた。友人達も、時には喧嘩をしてしまったけれど、それでも笑って一緒に過ごした。村の大人達も、時に厳しく、時に優しく、根気強く見守ってくれた。
温かい人達ばかりだった。信じられる人もいるのだと、カイリはこの世界に生まれ落ちて初めて知った。
それなのに。
どうして、ここでも同じことが起きるのだろう。
エディとリオーネが、憎悪を叩き付ける様に睨みつけてくる。あの時と、同じ様に。
自分が、一体何をしたのだろう。どうして、言ってもいないことを言ったと決め付けるのだろう。
「……、俺。本当に、言って、……っ」
声がみっともなく震える。
エディが真っ向から決め付けてくる。リオーネが憎しみの目で刺す様に見つめてくる。
近くでずっと見守ってくれているシュリアが、今、どんな目をしているのか。見るのが恐くてカイリは
恐かった。本当は、今すぐに逃げ出したかった。
だが。
〝カイリー! おはよう! 今日もむっすりしてるね! 笑って笑って!〟
それでも。
今度こそ。
「……、……俺、言ってないっ」
拳を握り締め、
恐い。信じてもらえないかもしれない。あの時みたいに、結局誤解されたまま終わるかもしれない。
けれど。
〝――カイリっ!!〟
相手が、いつまでも生きているなんて限らない。
言いたいことを言えないまま、ある日突然関係が終わる。
そんな後悔は、もう二度と、したくない。
だから。
「そんなこと、……二人のこと、第十三位のこと、悪くなんて言ったことないっ!!」
もう諦めないと、カイリは決めた。
だからこそ、力いっぱい腹から声を出して否定する。
「はあっ!? そんなわけ……!」
「何で俺が言ったって決め付けるんだ! エディは、俺が誰かに何かを言ってたところでも見たのかよ!」
「っ、それは……!」
「だったら、何でそっちを信じるんだよ! 俺が言ったところを見てもいないのに、何で俺が言ったって思うんだ!」
悔しい。――悔しい。
一緒に過ごしたカイリではなく、
悔しくて悔しくて堪らなかった。
「俺は言ってない! 言った証拠だって無いくせに、勝手に決め付けるな!」
「……開き直るとか、良い度胸っすね! 現に! あんたのせいで、嫌な噂がそこらじゅうに広まってるんすよ! あんた以外誰が言うって……!」
「知らない! 開き直ってない! 俺は言ってない! そんなこと言い触らしたって、俺には何の利点もない!」
「っ! この……っ!」
「それにな!」
ぐっと、カイリはエディの両肩を
一瞬、彼が震え上がる様に
すぐに虚勢を張って睨みつけてきたが、その反応でどれだけ彼が暴力を受けたのか痛いほど伝わってくる。
先程見せられた、赤黒い
そんな風に酷い目に遭っていたのに。ずっと一人で――二人で苦しんでいたのに。
それなのに。
「……どうして、言ってくれなかったんだ」
「……、え?」
怒りで声が震える。頭が焼き切れそうになる。
彼を通して相手を睨みつける様に、カイリは大声で怒鳴り付けた。
「どうして、……どうしてもっと早く言わなかったんだ! こんな大事なこと!」
「――」
エディが目を零れんばかりに見開いた。リオーネも雷に撃たれた様に硬直してしまう。
そんな二人の姿が、痛くて痛くて堪らない。何を馬鹿な、と言わんばかりの態度に腹立たしささえ覚えた。
「待ち伏せされてたって、殴られてたって、……どうして言わなかったんだ!」
「……、は? そ、……そんなの、言ったって無駄でしょうがっ」
「は? 何でだよ! 殴られたんだぞ! 恐い思いしたんだぞ! 無駄とか……!」
「……知った様な口をっ! そもそも、あんたが元凶でしょうが! 無駄なことするほど、ボク達も暇じゃないんすよ!」
「……っ、だから!」
「それに!」
どんっと、エディがカイリを思い切り突き飛ばす。あまりに強すぎてたたらを踏んでしまった直後、
「ボク達は第十三位なんすよ! 誰も、……誰も! 聞いてくれるわけがないっ!!」
「――――――――」
血を吐いた様に見えた。少なくとも、カイリの視界には真っ赤な血飛沫が飛び散った様な錯覚に陥る。
エディの絶叫に、リオーネも苦しそうに
エディの言葉は、まるで第十三位の泣き声の様だ。
第十三位だから。
たったそれだけの理由で、誰も聞いてくれない。信じてはくれない。
そんな悲しいことを、カイリは言わせてしまった。荒れ狂う後悔が津波の様に押し寄せてくる。
だが、同時に激怒する様に真っ赤な感情が燃え盛るのも感じた。
――誰も、聞いてくれない。
そんなこと、あるはずが無い。それこそ馬鹿な思い込みだ。
だって、ここには。
「……無駄じゃ、ない」
ここには、聞いてくれる人がいる。
「無駄なんかじゃ、ないだろ」
「……は? 何言って……」
「だって、……っ」
〝エミちゃんのこと笑うなんてひどい! 何でそんなひどいことするの!?〟
〝親がえらければ、きずつけてもいいのかよ!〟
だって、カイリの時は誰も聞いてはくれなかった。あの時は、みんな敵に回ってしまって、誰も耳を貸してはくれなかった。
けれど、ここには、みんながいる。
少なくとも、第十三位の人達が。聞いてくれるはずの、仲間達が。
カイリの時とは、全く違う。
「……ここには! フランツさんが! シュリアが! レインさんが! いるじゃないかっ!」
殴り付ける様に、カイリは絶叫する。
そうだ。聞いてくれる。
エディやリオーネが声を出せば、聞いてくれる人達がいる。
それが、カイリにはとても羨ましい。
同時に、ひどく腹立たしかった。
声を出せば、受け取ってくれる人達がすぐ近くにいるのに、声を出さなかったこと。無駄だと諦めたこと。決め付けたこと。
まるで、かつてのカイリを見ている様で、ひどく腹立たしくて――悲しかった。
「フランツさんは! エディやリオーネの声に耳を傾けない様な人なのかよ! そんな薄情な人なのかよ!」
「っ、はあ? そんなわけ……!」
「だったら! 言えば良かったじゃないか! 俺のこと悪者にしてでも何ででも! 殴られたって、酷いこと言われたって、……どうして良いか分からないって! 声を上げれば良かったじゃないか!」
「――っ」
悔しい。――悔しい。
声を上げれば、すぐ近くに助けてくれる人がいるのに。
それさえ選べなかったことが、――そこまで追い詰められていたことが。腹立たしくて、悔しくて、泣き叫びたかった。
「それに、シュリアだって、いつも皮肉とか嫌味ばっかり言ってるけど! それでも、本当に苦しんでいる人達を見捨てる様な人じゃない! レインさんだって面倒見が良いし、流す様な人じゃない!」
「……、そ、れは」
「少なくとも、ここにいる第十三位の人達は、みんな聞いてくれる! 何とかしようと動いてくれる! そうじゃないのか! そんなの! ……二人が一番よく分かっているじゃないかっ!」
「――っ、……なっ」
かっと、エディの顔に朱が走る。
胸倉を再度掴み上げられ、首が絞め上がった。苦しくて顔を
「なん、で……っ、……何で! あんたにそんなこと言われなきゃならないんすか!」
「何で、って。エディが、言わないからだろ!」
「うるさい! あんたに! あんたなんかに! フランツ団長達の何が分かるって言うんすか! 聞いてくれる? 動いてくれる? ボク達が一番よく分かってる? ああ、そうっすよ。ボク達が一番分かってるっすよ! あんたに言われるまでもなく!」
「っ、だったら!」
「そう、……全部定番なお言葉っすよね。安っぽい優しさっ」
「……っ、え」
「今までの奴らも、上辺だけの優しさばっかりだったっすよ。――ほんっとう、そっくり」
「――」
嘲笑を間近で叩き付けられる。
カイリの頭がまた真っ白になった。本音が、彼の分厚い警戒心の前で砕け散っていく。
伝わらない。――伝わらない。
懸命に叫んでも、心から挑んでも。
彼に、何も伝わらない。
思い知らされて、悲しくて、足元から力が抜けそうになった。
けれど。
「……あんたは、第十三位じゃないっ」
「……っ、エディっ」
「だって、ボク達は……第十三位なのに、……あんたが、……あんたが……っ! そんな心配、してくれるはずがないっ!」
「――」
睨みつける憎悪が、怯えの様に映る。
それに気付いてしまって、カイリはぶんぶんと首を振った。
違う、違うと。伝わって欲しいと、心だけが急いて上手く言葉が出ない。
「エディ……っ、俺はっ」
「……っ、分かった風な口
「……っ、フリじゃ、な」
「あんたが元凶のくせに! あんたが悪評流したくせに! ……あんたが、第十三位を追い詰めたくせに! そんなあんたが、フランツ団長達のことを偉そうに……っ。物知り顔で説教するな!」
「っ、俺は、本当に!」
「うるさい! ボクが誰に何を言おうと言うまいと! あんたには……第十三位じゃないあんたには! 関係ない!」
「――――」
関係ない。
突き放された瞬間、カイリの頭の何処かで何かが切れる音がした。ぷっつんと、綺麗な音がするのだな、と他人事の様に感懐を抱く。
「関係、無いって、……」
関係無いわけがない。
こうして今、カイリは無実の罪を着せられて。実際そのせいでエディやリオーネは傷付いて。第十三位が窮地に陥って。
深く巻き込まれているのに、関係が無い。
そんな無責任なことを言うエディに、どうしようもなく腹が立つ。足元から怒りが噴火する様に巻き上がった。
「……っ、関係ないわけないだろう! ふざけるな!」
エディの胸倉を掴み返して、カイリは怒号を叩き返す。
エディが怯んだ様に目を丸くしていたが、その反応が更にカイリの怒りを煽って仕方が無かった。
「エディに! リオーネに! こんなに噓吐きだの演技だの出て行けだの言われてるのに、関係ないって何だ!? 関係あるからこうなってるんだろ!」
「……、はっ? あんた」
「しかも、シュリアに言われるまで、全然理由話してくれないし! 相談できる相手がいるのに相談もしないし! そのくせ、俺が本音でぶつかったら、演技だの噓吐きだの悪魔だの! フランツさん達に相談すれば良かったって言ったら、今度は関係ない? そんな風に全部閉ざされて、俺にこれ以上どうしろって言うんだよ……!」
出来ることをせずに、立ち上がることもせずに、――ぶつかってくれることさえしてくれずに。ただただ、全て跳ね除けられる。
信頼が無い。信じられない。彼らにだって、きっと様々な葛藤があって、どうしようもなく追い詰められていたのだろう。
けれど。
――それでも。
〝うるさい! ボクが誰に何を言おうと言うまいと! あんたには……第十三位じゃないあんたには! 関係ない!〟
どれだけ本音でぶつかっても、全く相手に届かない。
虚しさと悲しさで頭も心もぐちゃぐちゃになり、ただただ感情だけが爆発した。
「相談できるのにしなくて! 俺に言われたら逆上して! ……無駄だとか、第十三位だとか色々言い訳して! 訴えることすら諦めて! ……そんな臆病な奴らに! 俺が言っただの言わないだの関係ないだの、……どうこう言われたくないっ!」
「――っ!」
エディの目が、一線を越えた様に見開かれた。ぶんっと勢い良く拳を振り上げられる。
襲ってくるだろう痛みに震え、ぎゅっとカイリが目を閉じると。
――ばしゃあっ!!
「「――――――――っ」」
頭上から、勢い良く凍える様な冷たさが襲ってきた。
あまりの寒さに震え上がり、カイリは思わず体を抱き締める。
「れ、レイン兄さん……っ」
エディの声が、微かに震えていた。それは寒さだけでないことは、カイリにも分かる。
びっしゃりと水浸しになった己を見つめてから、カイリは隣を見上げた。
そこには、バケツを持って呆れた眼差しで見下ろしてくるレインがいた。からん、と床に乱雑に落とし、蹴り飛ばす。
「頭は冷えたか?」
真っ平らな声音は、彼の怒りの深さを表していた。
カイリは、彼の顔をまともに見れない。俯いてしまい、
恐らく、今聞いた噂は彼も耳にしていたのだろう。
昨夜の言葉が、まざまざと
〝まだ一ヶ月も経ってないしな。闇雲にお前を信じるとか無理だろ〟
あの言葉は、こういう意味だったのだ。
確かに、出会って一ヶ月も経っていない関係であれば、カイリを信じるには無理があるだろう。
彼も、こんな気持ち悪くなる様な悪意を聞いていたのか。それなら、カイリに探りを入れても仕方がない。
それに。
〝あー、……ちょーっとおいたをしてきたやんちゃな坊主を軽くいなしただけだ〟
昨夜、レインが痛めていた左腕は、エディと同じ理由ではないだろうか。
唐突に閃いた昨夜の言葉に、カイリは青褪める様に絶望した。
カイリが発端で、第十三位の仲間に暴力が振るわれていたというのなら、彼はどんな気持ちだっただろうか。頑張れ、と背中を押してくれる時、どんな思いを抱えていたのだろうか。
急激に様々なことに思い至り、カイリの呼吸が細くなっていく。がたっと、震える体を止められなかった。
「――っ、あ、の」
「カイリ、風呂入ってこい」
「……、……え」
「風邪引くぞ」
思わず見上げれば、ぽん、と軽く頭を叩かれる。
彼のルビーの瞳に、探る様な色は無い。昨夜と同じ、優しい眼差しだった。
自分のせいで痛めつけられたのに、彼はまだ背中を押してくれるのか。頑張れ、と厳しく、優しく、応援してくれるのか。
カイリの側に、立ってくれるのか。
「――……っ」
ぐっと、込み上げてくる目の奥の熱を噛み潰し、カイリは震える声を絞り出す。
「……っ、はい。ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げて、カイリはこの場を後にする。
「って、レイン兄さん、ボクは」
「お前はこの水浸し全部始末してからだ」
「はあっ!? 何でっすか……!」
「――聞けねえのかよ?」
「……っ」
背後から、そんなやり取りが聞こえてきた。
その意味を考えるには、今の消耗しきったカイリでは無理だ。
しかも。
すれ違う時、シュリアと目がばっちり合ってしまった。
澄み切ったアメジストの瞳は、真っ直ぐにカイリを見つめていた。
逃すまいとするかの如く、ただただ真正面からカイリのことを見据えていた。
それがあまりに
カイリは、自ら目を逸らしてしまった。そのままお礼も言えずに通り過ぎてしまう。
もし、今、彼女に軽蔑する様な言葉を飛ばされたら、もう立ち直る自信が無かった。
けれど、軽蔑されても仕方がないことをしたのは間違いない。
――エディに、言い過ぎちゃったな。
拳を振るおうとしたエディを思い出しながら、カイリは今更ながらに後悔する。
一生懸命違うと訴えようとしただけなのに、最終的には喧嘩腰になってしまった。「臆病」だなんて、傷付いた彼に言うべきでは無かったのに。激情に任せて人を傷付けるなんて、最低だ。
どうして、いつもカイリは下手ばかり打つのだろう。今度こそ完全に嫌われたと、泣きたくなった。
みんなのことが、好きだった。受け入れてくれて、感謝していた。
なのに、自分はそんな大好きな人達を傷付けてばかりだ。
前世の時から、ケントの件から、何も変わっていない。全く成長していない自分に絶望した。
――ああ。本当に。
泣きたいな。
背後で未だに響くやり取りを背中で流しながら、カイリは
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