第221話


 ケントやクリス、ゼクトールとの話し合いを終えた次の日。

 カイリは、ラッシーをころころと膝の上で転がしながら養生していた。きゅー、と鳴きながら、つぶらな瞳で見上げてくるアングルは最高だ。思わず抱き締めてしまう。ふわっふわで天に召されそうだ。


 だが、癒されているだけではいられない。


 世界のことや教皇のこと、カイリが寝た後の話のことなど、情報量は多い。一つずつ頭の中で整理しては、これからのことを考えていた。教皇近衛騎士達の洗脳を解くという話も、早く実現させたいと気がはやるが、今は我慢の時だ。

 しかし、ゼクトールとの関係も落ち着き、心に余裕が出来た故か。カイリは昨日の出来事を回想するたびに、もやっとした違和感を抱えて唸ってしまう。考えれば考えるほど違和感が肥大化し、抑えられない。

 それは、すなわち。



 ――ケントって、実は俺のこと覚えてるんじゃないか?



 この一言に尽きた。

 疑念を抱いたのは、ケントが転生する時のことを覚えているという件だ。

 カイリは、転生の時のことを覚えていない。

 だが、代わりに脳裏に過った光景で、カイリは必死に何かを叫んで誰かに手を伸ばしていた。

 手を離したくない。それなのに、離してしまった。

 強く後悔したという感情がよみがえったからこそ、カイリはあの時、咄嗟とっさにケントに手を伸ばしたのだ。まるで、覚えていないはずの光景と同じ過ちを繰り返さない様に、と。


 ――俺が転生する時、ケントはいたのかな。


 しかし、ケントはカイリよりも一週間早く亡くなっている。仮に同時に転生したとしても、彼と五歳も年齢が離れているのは奇妙だ。

 ならば、手を伸ばした先にいたのはケントではないのだろうか。


「いや、……っ」


 カイリがそれだけ強く手を伸ばす相手など、ケント以外には思いつかない。それに、直観ではあるが相手はやはりケントだった様に思う。

 それに、転生の時のことを覚えていないと知った時の彼の眼差しは、ひどくさみしそうだった。

 もしカイリの勘が当たっているのならば、ケントはカイリのことを覚えていることになる。

 けれど。



〝……すごい、驚いた。確かに僕の名前はケントだよ〟



 初対面の時、ケントはカイリを覚えていないとはっきり断言した。



 何故、そんな嘘を吐く必要があるのか。

 例え記憶が穴だらけで、カイリとの思い出をほとんど覚えていないとしても、知っていることくらい伝えても問題はなかったはずだ。

 しかし、それでもケントが隠しているというのならば、どんな意味があるのか。


「……っ」


 カイリには身に覚えがあり過ぎて、胸が苦しくなる。

 前世のカイリは、ケントにとってはあまり良い友人ではなかったはずだ。無視はするし、冷たくあしらうし、よくぞ彼は愛想を尽かさず離れなかったとむしろ感心する。

 だから、もし。


〝実はね。カイリっていう名前、懐かしいな、とは思ったんだ〟


 もし――。



「……くくっ」

「――」



 不意に、前方から押し殺した様な笑みが飛んできた。

 思考の海から浮かんで顔を上げると、レインが実に楽しそうに隣のベッドからカイリを観察してきていた。本を片手に片膝を立てる姿は、相変わらずぞんざいであるはずなのにさまになっている。顔が良いのは得だ。


「れ、レインさん?」

「いやあ。この十分で、文字通り百面相してたからなー。どんだけ顔が変わるんだって数えてたら、今のでマジで百通り目だぜ」

「え!」

「お前、ほんっと飽きねえな。流石はお兄さんが見込んだだけあるわ」

「どんな見込みですか……」


 明らかに面白がっているレインのにやけ面には、是非とも拳を叩き込みたい。

 事あるごとにいじってくる彼は、カイリにとっては時に天敵だ。世の女性は外面に騙されていると、ぷくっと少しだけ膨れた。


「……レインさんは本当に意地悪ですよね」

「何言ってんだよ。オレほど面倒見が良くて気の良いお兄さんはいないぜ? 現に、百通り目まで待ってやったしなー」

「それのどこが面倒見が良くて、気が良いんですか?」

「そろそろお前が思考のドツボにハマるだろうから、その前に引き上げてやろうっていう優しい気遣い」

「――」


 さらっと明日の天気を告げる様な口調で、レインが切り込んでくる。

 相変わらず、レインは聡い。というより、カイリが分かりやすすぎるのだろうか。


「お題はケント殿のことだろ」

「え!」

「あー、やっぱ図星か」

「な、何でそこまで分かって……」

「そりゃあ、お前。顔にでっかでかと『ケントケント』とか書かれてりゃあ、誰だって分かるってーの」

「え!」


 顔にまで書くほど没頭してしまったのか。

 一瞬レインに乗せられそうになったが、慌てて首をぶんぶん振る。いくらカイリが分かりやすすぎても、顔に文字として書かれるわけがない。


「……どうして分かったんですか?」

「そこでジト目かよ。ったく、可愛くねえなー」

「可愛くなくて結構です!」

「っはは。……ま、昨日の話し合いで、お前が転生の時のこと覚えてないだの話してただろ? あの時、結構長い間お前が悩んでた様に見えたからなー」


 少し考えりゃ、誰にだって分かるだろうよ。


 言い切られ、カイリはうぐっと声を詰まらせる。やはりカイリの言動は周囲には見抜かれやすい様だ。ポーカーフェイスの技能が欲しいと切実に願ってしまう。

 だが、今は幸いこの部屋にはレインしかいない。ラッシーがきゅうきゅう鳴いているのは、癒しだから問題もない。

 カイリの中で、一番相談しやすいのは彼だ。第十三位で最も冷静にドライに、かつ客観的に答えてくれるだろう。気持ち的にも楽だ。

 故に、遠慮なく彼に頼ることにした。



「……そうです。その、……ケントについて、疑問に思ったことがあって」

「何だよ?」

「……。……ケントは、前世の俺のこと、本当は覚えているんじゃないかって」

「――……」



 レインは馬鹿にした様に笑い飛ばさなかった。彼は普段は茶化す様な態度を取っても、大事な時には誠実に聞き役に徹してくれる。


「……昨日、転生の時のことを覚えていないって分かった時。それでも、俺の頭の中で、真っ暗な景色なのに、誰かに必死に手を伸ばしているのが見えた気がしたんです」

「ほー……」

「その相手は、ケントだったんじゃないかって。……ベッドからあいつが離れていく時、もう今度こそ離したくないって、強く思って。……その『今度』って、どこから来るものなんだろうって。……色々考えたら、強くフラッシュバックした、転生の時? にあったことなんじゃないかって、そう、思って、……」


 だとすると、ケントはやはりカイリを覚えていることになる。

 それとも、カイリとケントの転生の時期は予想通りズレていて、ケントが転生した時はカイリはその場にいなかったのだろうか。

 考えれば考えるほど、沼に足を取られる様に思考が動けなくなる。何が正しいのか、判断材料が少なすぎてもどかしかった。


「んー……。……でもよ。お前、その光景は辛うじて思い出したやつみてえだけと、それが『転生する瞬間』とは限らないだろ?」

「……。……はい」

「それに、実際ケント殿とお前の年齢は五歳も離れてる。だとすると、転生時期が一緒ってのは……計算が合わない気がすんだよなー」

「そうですよ、ね……」


 そこなのだ。

 同時に転生したのならば、五年も歳月が違うのはおかしい。

 以前レインと前世の話をした時、レインはゲームは知っていても、異世界転生という流行りを知らなかった。彼とは年齢も六歳離れているし、そう考えるのならば、前世で生きた時代が少しズレているのも納得がいく。

 だが、ケントはレインと一年しか違わない。それならば、カイリだってレインと一、二年しか違わなくてもおかしくはないはずだ。

 レインを含めて考えると、この年齢差が益々謎に包まれていく。


「……うう。頭がこんがらがってきました」

「まあなー。転生した時期や前世との時期の重なり方とか、よく分かってねえしな。……けど、お前がケント殿と同じ時代を生きて、かつほぼ同時期に転生したんだったら、オレとケント殿が一年しか違わないのに、お前とは五、六年違うのはちょっと変だな」

「……はい」


 やはり、突っかかるのはそこなのだ。レインも同じだったらしい。

 カイリがうんうん唸っていると、不意にレインは声を低めた。



「……。……お前さ。ほんとに、ケント殿が死んだ一週間後に死んだのかよ?」

「え?」



 思ってもみなかった指摘に、カイリは虚を突かれる。

 だが、レインの瞳は真剣そのものだ。冗談めかした質問ではないと、カイリの背筋が凍える様に伸びて固まる。


「え、っと」

「一週間で五年も歳月が違うんなら、オレとケント殿は正直もっと離れていても良さそうだろ。けど、実際は一年だ」

「……、……はい」

「まあ、転生する軸? っていうのか? そういうのが滅茶苦茶な可能性はあるけどよ。けど、もし一定だって言うなら……、五年も六年も離れているお前は、もっと長い年月を生きたんじゃねえか?」

「……。……でも、俺の記憶は、……」


 車にはねられた時点で止まっている。大人になった記憶も無いし、ぷっつりと途切れていた。

 それに、カイリの中ではあの時確かに『死んだ』と強く認識している。その事実に間違いは無い気がした。

 無い気はするのだが。


「……そう言われると、自信が無くなってきますね」

「だろうな。……オレもそうだけどよ、お前も前世のこと全部が全部覚えてるわけじゃねえだろ。どう足掻いても穴ぼこだ」

「……はい」

「なら、お前の思い出した光景も、転生とは全然違う時期の可能性もあるってこった。……何となく、世界の謎に迫るには、お前の記憶が重要な気がしてきたけど、焦っても良いことは何一つないぜ?」

「……焦る」

「ああ。ケント殿がお前を覚えているんじゃないかっていう推測もだけどよ。お前、色々焦って決め付けようとしてねえか?」

「――」


 突っ込まれて、カイリは何も反論出来なかった。

 確かにそうだ。ケントが転生の時のことを覚えていると言った瞬間、カイリはひどく焦燥に駆られた。

 彼の隣に早く並びたくて追いかけているけれど、カイリと彼との間では開きがまだまだあり過ぎる。自分は自分、ケントはケントと割り切れる様にはなったが、彼が何か抱えているかもしれないと思うと、やはり気持ちは逸るのだ。

 そこで、転生の時の話を持ち出され、知らない光景を思い出してしまい、カイリは不確かな確信を根拠に結び付けようとした。

 全くもって冷静ではない。穴があったら入りたいくらい顔が火照ってくる。


「……すみません。俺、確かに焦っていました」

「おーおー、素直なこって。……ま、オレとケント殿が一年しか違わないってのも、やっぱ変な気がするしよ。死んだ時期が滅茶苦茶近いのかもしれないが……色々検証することは大いにあるってな」

「そう、ですよね」

「それに、仮にケント殿がお前のこと覚えていたとしてもよ。隠してんなら、隠す理由ってのがあるんじゃねえの」

「理由……」

「そうそ。あんだけお前大好き大好きオーラ出してんだから、もしお前を騙してんならそれ相応の理由がありそうなもんだろうが」

「……そうでしょうか」

「……お前、変なところで自信無くなるよなー」


 呆れた様に肩をすくめるレインに、しかしカイリの心は晴れない。

 ケントが、カイリを覚えていないという可能性が高くなったのは理解出来た。

 だが、ケントがカイリを覚えていて隠す理由のポジティブさには、自信が地に墜落するほどに無い。



「……俺。前世で、本当に酷い人間だったんです」

「は? ひどい?」

「……。……俺、ケントに学力で嫉妬していて。話しかけてきても無視したり、邪険にしたり、……っ、……色々酷い態度を取っていて」

「……へー。お前が」

「はい。……それでも毎日毎日、何が楽しいんだっていうくらい笑って話しかけてくれました。お弁当を一緒に食べてくれて、いつだって傍にいてくれました。……凄く、感謝しています。でも、……」



 ケントは、確実に傷ついていたはずだ。



 立場を置き換えて想像すると、泣きたくなるほど胸が痛い。ケントは本当によく、りずにカイリの傍にいてくれたものだ。

 声が詰まりそうになって、それ以上続けられなくなっていると、レインが考え込む様にあごに手をかけた。


「……嫉妬して、ねえ……」

「……っ、はい。……軽蔑しましたか?」

「いや。人間なら、誰だって醜い一面はあんだろ。けど、……」


 じーっと真っ直ぐ貫く様にレインがカイリを凝視してくる。

 あまりに強い眼差しに、カイリは目を逸らせないまま、こくりと喉を鳴らした。



「れ、レインさん?」

「いや、……。……お前がたかだか嫉妬だけで、そこまでの態度取るかなーって思ってよ」

「……評価してくれるのは嬉しいですけど。でも、本当に俺は」

「大体、あのケント殿が、それでもお前に張り付いて来たんだろー? よっぽどのマゾじゃない限り、あいつが酷い態度取る奴に尻尾振る姿は想像出来ねえな」

「……いや。マゾじゃないですか。叩かれて喜んでいますし」

「お前限定な。あいつはマゾじゃねえよ。サドだ。生粋のな」

「えー……」



 果たして本当にそうだろうか。ケントは背中を叩かれるたびに、「痛い」と言いながらも嬉しそうな顔をするし、ケントの家族だって罵って欲しいと涙を流しながら懇願してくる。どう考えてもマゾだ。

 しかし、確かに父親のクリスは見ている限り、カイリ以外にマゾには見えない。ケントは、他人とあまり興味を持って話さないので断言しにくかった。

 考えれば考えるほど、レインの評価が正しく思えてくる。先ほどの、決め付けてないかという言葉が骨の髄まで染みた。


「う、うーん……」

「お前は確かに色々覚えているかもしれないけどよ。でも、やっぱケント殿ほどじゃない気がするんだよな」

「……そう、みたいですね」

「だったら、やっぱりケント殿にはケント殿の思惑があるんだろうよ。ついでに、お前がそういう態度取ってたことも、本当は違う理由があるかもしれねえ」

「……違う理由」

「あと、これだけは言っとくぜ」


 すうっと、レインが息を吸う音が聞こえた。

 何故、と思って顔を上げると、真っ赤なルビーの視線とかち合う。思わず息を吞んでしまった。



「レイ……」

「ケント殿は、お前がほんとに大好きだよ」

「……、え」

「それだけは疑ってやんな。無視した云々より、よっぽど傷付くと思うぜ」

「――」



 大きな声ではない。

 しかし、静かなのにやけに響くレインの諭しに、カイリは胸の奥を深く突かれた思いを味わった。

 ケントの気持ちを信じられない方が、彼が傷付く。

 確かにその通りだ。カイリだって、ケントが自分の大事な思いを理解してくれないとさみしい。もしそうなったとしても、前世の件があるから当然だと覚悟はしているが、それでも何も思わないわけではないのだ。


 カイリだって傷付くのに、ケントに対して同じことをしようとしていた。


 友人だって、屈託なく笑ってくれて。不甲斐ないところを見せても、力を貸して励ましてくれて。落ち込んでいる時は、背中をさすって支えてくれる。

 その彼の行動に、嘘は無い。分かっていたはずなのに、彼の好意に自信が無いなんて失礼だ。

 気付かされて、自分はつくづくまだ子供だと溜息を吐く。胸に手を当てて、ゆっくりと息を吐いた。


「……はい。そうですよね。前世を顧みるのも必要ですけど、……でも、今をしっかり見据えて歩いていく方がずっと大事です」

「そーそー」

「ありがとうございます、レインさん。俺、過去に囚われ過ぎて、とんでもない間違いを犯すところでした」

「おうよ。少しはすっきりしたか?」

「はい。……レインさんは、やっぱり大人ですよね」

「お。もっと褒めてくれても良いんだぜ?」


 ふふん、と前髪を掻き上げてウィンクするレインは、妙にカッコ良い。

 だから、カイリはにっこり笑って急所を突くことにした。


「あと、やっぱりレインさんは、フランツさん達よりも、前世のことを覚えていますよね?」

「……。あー?」

「今話していても、結構色々と世界について突っ込んだ疑問を持っているみたいですし。フランツさん達は、言われるまで気にしていなかったっていうことも多いみたいなのに」

「……元気になった途端、また良い性格が復活したなー。流石お兄さんが見込んだ奴だわ」


 半眼になって、レインがベッドに寝転がる。誤魔化す様に顔を隠すあたり、大人のずるさを感じた。


「レインさんは、やっぱり大人ですよね」

「はっはっは。……あー、何だろうな。今度のは褒め言葉には聞こえないなー」

「褒めていませんから」

「……。……ほんっと、良い性格してるぜ」


 ま、そうでないと、お前じゃないけどな。


 ぼそっと呟かれた評価に、カイリはレインの優しさを感じ取って破顔する。



 ――過去に囚われ過ぎるな。



 前にレインに諭された点を、再確認出来た。こういうことなのかもしれない、とカイリはしみじみ感じ入る。

 やっぱりレインに相談して良かった。

 そんな風に思えることが、嬉しくて堪らなかった。


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