第330話


「フランツ様、カイリ様。この度はようこそお越しくださいました」


 フュリー村に着くと、村の者達が総出で出迎えてくれた。中にはひざまずく者までいて、カイリは動揺してこっそりフランツを見上げる。

 だが、彼はやはり団長で貴族だ。受け止める態度は堂々としていて頼もしい。


「顔を上げてくれ。俺は、そういう堅苦しいのは苦手でな。息子のカイリも同じだ。なあ?」

「はい。良ければ、普通に接して下さい。その方が助かります」

「……は。そこまで言われるのであれば」


 集団の先頭にいた青年が、代表して顔を上げた。彼が立ち上がると、次々と控えていた者達もならう。

 彼が、この村の長なのだろう。ルーラ村とは違い、若い。利発そうな顔立ちで、オーラがみなぎっていた。


「呪詛で雨が降らない不遇の中、よく畑を守った。大半は乗り越えたそうだな」

「はい。みんなが協力して守ってくれたおかげです。ねえ?」

「っはは。でも、気が立つことが多くて、衝突することも多かったですけどね」

「でも、若が率先してよく仲立ちしてくれたので。何とか深刻には至らなかったんです」

「何を言うんです。みんなが、未熟な俺を支えてくれたから、乗り越えられたんです。……それに、今回、ルーラ村の人達が俺達を受け入れてくれたおかげで、俺達も息を吐くことが出来ました。ありがとうございます」


 若、と呼ばれた青年が背後にいた者達に振り返る。

 今日は、ルーラ村の者達もこのフュリー村に来ている様だ。恐らく、雨乞いの儀式を見るためだろう。


「何の何の。お互い、誤解も解けて良かったのう」

「おりゃあ、てっきりフュリー村ばかり贔屓ひいきされてると思ってたしよ」

「いやいや。こっちだって、ルーラ村ばっかり問題をすぐ解決してくれて、って不満抱いていたし、カリカリしていたさ」

「問題が解決して良かったのう。しかし、話を聞いているとフュリー村の村長のヒューイ殿は、なかなか気前が良くて革新的じゃの。わしも、そろそろ若い者に地位を譲るべきかと前向きに検討しておるのじゃ」


 ほほほ、とルーラ村の村長が朗らかに笑う。村人達が「村長!」「まだ早い!」とたしなめていて、仲の良さが窺えた。

 フュリー村の方も、良好な関係を築いている様だ。先程「気が立つことが多い」と言っていたのは、呪詛の影響だろう。ホテルの方でも、呪詛が仕掛けられていた場所でだけよく衝突が起きていたと聞いたし、実際目の当たりにした。

 それを何とかまとめられたのは、ヒューイと呼ばれた村長が優秀で、感情を制御出来るほとに器が大きいからだ。上に立つ人は凄いと、改めてカイリは感じ入る。



「しかし、カイリ様。やはり、貴方様はカーティス様の血縁者だったのですね。あの方にこれほどまでにご立派なご子息がいらっしゃったとは……歓喜に耐えませぬ」



 ルーラ村の村長が、涙ぐむ様に握手を求めてきた。カイリは少し気後れしたが、彼の手をしっかり受け止める。


「はい。黙っていてすみませんでした。改めて、カイリ・ラフィスエム・ヴェルリオーゼと言います」

「おおお……、……そうですか。そういう形で。……貴方のお父様も、地位にこだわらず我らと接して下さり、時に知恵を貸して下さったりと色々助けて頂きました。貴方様がこの村を引き継いで下さったとのこと。感謝致します」

「俺も、父と縁のあるこの村と付き合っていけることを嬉しく思います。とは言っても、俺は領主となるフランツさんの補佐なんですけど」


 村を引き継ぐ時に聞いた話だが、この世界では当主の子供まで爵位を名乗れるらしい。フランツは伯爵なので、カイリも伯爵と名乗れるそうだ。

 故に、領地の管理は領主となったヴェルリオーゼ当主のフランツが行うが、息子のカイリも補佐として関わることになるという。経営管理なども勉強しなければと、気合を入れた。

 そんなカイリの思考は露知らず、ルーラ村の村長が懐かしそうに目を細める。


「はい、……はい。フランツ様のことも、カーティス様からよく。何でも悪友だとか」

「……カーティスの奴。あいつの方が悪戯小僧の悪友だったというのに。これは、あの世に向かってお灸を据えねばならんな。手始めに、きゅうりでもそなえるか。苦手な匂いで地獄を味わうが良い」

「……フランツさん、小さいです」

「ぬごおっ!?」


 カイリが呆れて突っ込むと、大ダメージを受けた様にフランツが胸を押さえてのけ反った。カイリからすれば、フランツも父もどっちもどっちに聞こえる。

 そんなやり取りを、村長が笑って見守っていた。急に恥ずかしくなって、カイリは誤魔化す様に頬を掻く。


「あの、普段の主な管理は元ラフィスエム家の屋敷にいるセバスさん達にお願いしています。何か報告がありましたら、そちらへ。問題が起こった場合は、セバスさん達でも俺達の方でも、どちらでも良いです。遠慮なく来て下さい」

「承知致しました」

「あの、フュリー村の方も、フランツ様とカイリ様が引き継がれるのですよね? 改めまして、村長のヒューイと申します。今回の件、多大なるご尽力を賜りまして心から感謝致します」

「いや。改めて、よく持ち堪えてくれたな。これからよろしく頼む」

「今回事件を解決出来たのは、ここにいる皆さんがたくさん頑張った結果です。あと、俺はまだまだ統治とか色々経験が無いので迷惑をかけると思いますけど、どうか忌憚きたんなく意見を述べて下さい。よろしくお願いします」

「い、いえ! こ、こちらこそ!」


 カイリが軽く頭を下げると、ヒューイが泡を食って更に深く頭を下げる。

 フランツが苦笑して、カイリの肩を軽く小突いた。注意する様な叩き方に、カイリは顔を上げる。


「こら、カイリ。頭を下げるのは構わないが、あまり丁寧過ぎると彼らが困ってしまうぞ」

「え? ……、あ」


 フランツに指摘されて、カイリはホテルでの一件やセバスに告げられた忠告を思い出す。相手に舐められるなどの理由以外にも、低姿勢だとこんな風に民が困る部分もあるのだろう。

 とはいえ、カイリは長年村で育ってきた人間だ。すぐに改めるのは難しそうである。敬語を止めるつもりはないが、加減は覚えようと心に決めた。


「ふっ、まあ良い。上に立つ者としての振る舞いも、少しずつ学んで行けば良いだろう。カイリらしく在っても大丈夫な様にな」

「フランツさん……」


 腕を組んで力強く促してくれるフランツは、眩しいほどに輝いていた。やはり普段は茶目っ気がたっぷりでも、いざという時は上に立つ者としての風格を放つ。

 カイリが尊敬をこめて仰いでいると。



「まあ。正直、俺は堅苦しくて嫌いだがな。上に立つ者の振る舞いなど、肩が凝る」

「フランツさん……」



 思ったそばから、フランツが意見を引っくり返した。

 今度の「フランツさん」には、白い視線が混じってしまう。


「仕方がないだろう。形式ばったことは昔から嫌いでな」

「……フランツさんらしいですけど」

「そうだろう? 団長だからな」


 威張ることじゃない。


 腰に手を当てて胸を張る彼に、カイリは更に視線を白く染めた。

 だが、そんな呆れは露ほども気にせず、フランツは感慨深げに苦笑する。



「だが、まさか、再び領地を持つことになるとは。……人生、何が起きるか分からんな」



 お前といると退屈しないと、フランツが笑いながらカイリの頭を撫でる。その触れ方は優しく、どこか遠くを見ている様な仕草だった。

 そういえばカイリは、妻のことは聞いているが、両親のことなど彼のルーツを聞いたことはほとんどない。両親が馬車で亡くなったことくらいだ。そのことに関係しているのだろうかと、ぼんやり推測した。



「おお、カイリ君、フランツ君! 遅くなってしまって申し訳ないのだよ」



 和やかに歓談を楽しんでいると、遠くからきらびやかな人々が近付いてきた。

 気さくに片手を上げる男性は、王子であるロイスだ。その隣には、兄と同じく気品が零れ落ちるローブを纏うライナス王子が並んでいる。

 そして、更に二人の背後には、真っ赤なドレスを華奢きゃしゃに流すジュディスの姿もあった。その脇は、ハーゲンやパーシヴァルといった面々が固めている。ハーゲンが若干気まずそうなのは、カイリとしては苦笑しつつもそのままにしておく。――更にしょぼんとする姿に胸が痛くなったので、軽く会釈だけはした。途端、ぱああっと、後光が差した様な笑顔になった変化に、目が遠くなる。カイリの周りは、反応が大きい人ばかりだ。


「ロイス殿下、ライナス殿下、ジュディス殿下、この度はご足労頂きありがとうございます」

「もちろんだとも! 我が愛しの妹ジュディスの伴侶!」

「は、伴侶!?」

「――になるかもしれないこの野郎許せんだがしかしうーむ、にっくき友人カイリ君が、遂に歌を歌うということだからね! 当然駆け付けるとも!」

「兄上。本音と葛藤がだだ漏れです。せめて口をチャックして縫い付けてから喋って下さい」


 滅茶苦茶な要求をするライナスに、ロイスは「なるほど!」と即行で手を打っていた。


「おお、それは良い案だ! では早速、……。……カイリ君! 我が妹に何てことを仕出かしてくれたのだね! 我は、認めたくないがしかしカイリ君は認めても良いかもしれないと少しばかり思っているのも事実だが、やはり妹はやりたくないのだよ!」」

「は、はい?」

「兄上。ぜんっぜん縫い付けていないので、少し沈んでいて下さい」


 ライナスが遠慮なくロイスを頭からぶん殴り、彼は見事に地面にめり込んだ。おうふっと、断末魔が聞こえた気がしたが、カイリは取り敢えずスルーした。



「申し訳ありません。この馬鹿兄は、少々頭が沸いているのです」

「あら。お兄様の頭が沸いているのはいつものことだわ。ねえ、イモ騎士?」



 肯定できるわけないだろ。



 流れる様に同意を求められ、カイリは口元を引くつかせた。この兄弟は三人揃うと凶悪でしかない。


「ジュディス殿下も来られたんですね」

「そうよ。だって、イモ騎士が聖歌を歌うって言うじゃない。さぞかし素晴らしい歌を披露してくれるんでしょう?」

「……いや、それは」

見物みものだわ。途中でどもったりしないでちょうだいね」

「……胸に留めておきます」


 相変わらずの皮肉の笑みに、カイリは辟易へきえきするしかない。どうして素直に「頑張れ」くらい言ってくれないのだろうか。流石はあの腹黒リオーネと親戚である。


「そういえば、レインは? 早く挨拶がしたいわ」

「彼なら、もう少しで……あ」

「おーい、団長、カイリ!」

「まあ! レイン! 待っていたわ!」


 残りの第十三位の仲間が来たところで、ジュディスは一目散にレインに向かって駆け出した。足元まであるドレスをひらりと華麗に操り、どーんと彼の胸に飛び込んで行く。


「お姫様まで来てたのか。久しぶりだな」

「本当よ! 会いたかったわ。まったく、わたくしに会いに来ないなんて不敬罪だわ」

「いんや? とんでもない。恋の駆け引きってのは、こういう焦らしが重要なんだぜ」

「……ふふ。相変わらずつれないわね。でも、そんなところが好きよ」


 黒い笑みが飛び交う二人に、カイリは堂々と身を引く。ジュディスのあれは演技だとレインが言っていたが、是非とも演技ではなく、事実に昇格して欲しい。カイリは巻き込まれたくない。


「ふん、まったく。浮かれすぎですわ」

「レイン兄さん、モテるっすねえ。ボクも、いつかリオーネさんと……」

「あら。私と何ですか?」

「え! ……もももももももももももちろん! リオーネさんとボクのランデブー! 最高のめくるめく熱き想い出の真夏の夜を花火と共に! 『エディさん……』って頬をほんのり赤らめながら恥じらうリオーネさんはボクが守るっす!」

「あら。私はカイリ様とランデブーがしてみたいです」

「――はっ!?」

「……新人。相変わらず、抜け目が無いっすねえ……そろそろ本気で死を見た方が良いっすよ? 手始めに、ボクの銃弾なんてどうっすか?」

「だから! 俺は何も言ってない! やめてくれ!」


 エディがぱきぽきと拳を鳴らしまくるのに、カイリは本気で恐怖を覚えた。シュリアも白い目で傍観せずに、少しは助けて欲しい。リオーネが素晴らしく清々しい笑みでエディの暴走を放置しているのを、たしなめるくらいの友情はあった方が良いと切に思う。



「……相変わらず、貴殿の周りは騒がしいな」



 パーシヴァルが呆れた様に嘆息してきたが、彼も我関せずだ。大人らしく手を差し伸べて欲しいと、カイリはじとりと半眼になってしまった。


「俺のせいではないです」

「冗談を。どこからどう見ても貴殿のせいだろう」

「え? 今の会話のどこを聞いてですか?」

「……、……自覚が無いのが一番恐ろしいな」

「そうでしょうそうでしょう。カイリはいつだって、可愛く愛らしい天使ですからな。可愛くもいざとなれば誰よりも勇ましく、凛々しく天に向かって羽ばたく天使に、自覚は無用。こうやって最強の階段を上り詰めていくカイリは、いつだってカッコ良く可愛い。最高です」

「……。……フランツ殿の頭が一番残念だということはよく分かった」


 フランツが実に自慢げに胸を張る姿に、パーシヴァルは眉間にしわを寄せて今までで一番深い溜息を吐き出した。カイリとしても、フランツのいつもの過度な称賛には困り果てているので、もっと突っ込んで欲しい。



「――さて! お楽しみのところ悪いが、役者も揃ったのだよ! カイリ君、一発頼むよ!」

「え! ……は、はい!」



 色々と会話を楽しんでいると、いつの間にか地面から華麗に復活したロイスが、カイリに後をぶん投げる。

 途端、村人を含めた視線が一斉にカイリに集中し、全身穴だらけになりそうな重圧を覚えた。改めて注目されると、かなり苦しい。

 それに。



 ――雨。



 水。水の音。

 カイリは克服出来ただろうか。ケントと歌い、フランツとも雨の歌を歌って大分改善されたが、最後の雨の日の朝も、少し息苦しくなった。

 このまま歌えば、確実にカイリは雨に濡れるだろう。ぎゅうっと、胃が冷たい手に掴まれた様に縮んだ気がした。

 カイリの怯えが、周囲に少しでも伝播でんぱしてしまったのだろう。村人達がいぶかしげに見つめてくる。


「……、では。……これから、雨の歌を、……」


 胸の前で手を握り締めて、カイリは言葉を詰まらせる。焦れば焦るほど喉がつっかえて、上手く声にならない。

 どうしようと、カイリが焦燥で立ち往生していると。



「――カイリ」

「――」



 ぱんっと、頭上で乾いた音が鳴った。



 見上げると、空には鮮やかな蒼い布が広がっている。

 綺麗な銀色の骨が頂点から幾重にも広がり、その蒼い生地を支えていた。


「……フランツさん」

「雨が降るのだろう? ならば、やはり傘は必要だと思ってな」


 フランツがカイリの隣に立ち、堂々と傘を差している。

 雨から守るだけではない。彼は、心を打ちつけようとする恐怖からも守ってくれているのだと知って、カイリは下唇を噛んだ。泣きそうになるのをぐっと力を入れて堪える。


 ――俺には、支えてくれる人がいる。


 振り向けば、シュリア達もいつの間にか傘を差して近くに佇んでいた。紫や桃色などカラフルな色が並んでいて、気分が弾む。

 彼らが一緒にいてくれる。それだけで、恐怖が雪解けを迎えた様に溶けていった。


 ――大丈夫。


 胸を張って、カイリは喉を整える。軽く出した声はいつも通りの調子を取り戻していた。

 気候に負けずに力を合わせて戦っていたフュリー村。

 悲劇に負けずに立ち直ろうと戦っているルーラ村。

 この二つの村が今、手を取り合ってつどっている。

 それは、誰もが持つ力であり、勇気であり、優しさだ。



 だからこそ、この歌が相応しいとカイリは思う。



 両手を胸の前で重ね、カイリは決意を込めて前を見据えた。



【――あめあめ ふれふれ かあさんが】



 息を吸い込み、青空に歌を乗せる。

 弾んだ足取りで旋律は空に舞い上がり、微笑む様にのびやかに泳ぐ。



【じゃのめで おむかい うれしいな】



 この歌に描かれているのは、仲良く傘を差して並ぶ親子。優しい優しい、温かみに満ち溢れた光景だ。

 それはきっと、何処ででも見られる光景かもしれない。

 けれど、決して当たり前では無い景色でもある。

 ある日突然、失われてしまうこともある。最初から、奪われていることもある。繋がれているはずなのに、手酷く切られてしまうこともある。そんな理不尽に溢れた世の中だ。

 けれど。



【ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン】



 だからこそ、誰かと共に在る時間は。

 とても尊く、優しい光景なのだとカイリは強く願った。



【かけましょ かばんを かあさんの

 あとから ゆこゆこ かねがなる】



 ぱたっと、頭上で何かが弾ける音がする。

 村人達が、気付いた様に空を見上げた。



【ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン】



 さあっと、涼やかな、けれど静かで温かい音が辺りに満ちていく。

 おおっと歓声が響くのには目を伏せて、カイリは思いを乗せて歌に託した。



【あらあら あのこは ずぶぬれだ

 やなぎの ねかたで ないている】



 水を恐れ、恐怖に溺れていた時。

 助けてくれたのは、フランツ達だった。

 支えてくれたのは、ケントだった。

 一緒に歌って、雨の音を楽しんでくれて、カイリは心から救われた。

 どんなにずぶ濡れになって、うずくまって、例えもう駄目だと絶望したとしても。



 決して、この音は恐怖だけでは彩られない。



【ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン】



 喜びを、幸せを運んでくれる。

 音は、歌は、共にいる人と人とを繋ぐ、大切な絆の架け橋だ。



【かあさん ぼくのを かしましょか

 きみきみ このかさ さしたまえ】



 村の者達が、互いに認め合い、助け合った様に。

 カイリが苦しい時、支えてくれた様に。

 雨というキッカケが優しさを生み、人の輪を広げ、また大切な日々を積み重ねていく。

 苦難を乗り越えた先には、優しい雨が明けた先には、必ず輝かしい空が待ち望んでいるから。



【ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン】



 だから、きっと。

 この雨も、新たな幸せの恵みをもたらしてくれると。

 そう、信じている。



【ぼくなら いいんだ かあさんの

 おおきな じゃのめに はいってく】



 だから、どうか。

 この雨が、新たな彼らの始まりとなります様に。

 そして、どうか。



【ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン】



 この雨が、カイリ達の新しい未来への一歩であります様に。



 そう、切に願う。



 カイリが歌い終え、閉じていた目を開く。

 村には静謐せいひつな明るい雨が、彼らの元に降り注いでいた。さあっと、流れる様な綺麗な音に、カイリは耳を澄ませる。

 あの時の様な、暴力的な音ではない。フランツ達と共に聞く音は、笑う様に、踊る様に、嬉しそうに歌っている。

 そんな風に思える様になった自分が、どうしようもなく嬉しかった。無意識にフランツを見上げれば、彼と目が合う。同じ様に喜びに溢れた眼差しになっていた。



「――おめでとう!」



 傘を差す向こうで、ルーラ村の者達が、フュリー村に拍手喝采を送っていた。

 感極まって抱き合う者達もいる。涙を流し、それにハンカチを差し出す者達もいた。

 本当に優しい光景だ。カイリがずっと望み、見たかった景色だ。

 フランツが、カイリを労う様に背中を叩く。その触れ方も温かく、カイリはまた笑みを零した。


「……雨は、こんなに優しい音をしていたんですね」


 カイリが零す独り言を、フランツは受け止める。



「ああ。俺も、初めて気付いたことだ」



 幸せな時間だな。

 フランツの囁きに、カイリも寄り添う様に同意する。雨の音を聞きながら、目を閉じた。

 もう、水の音に恐怖は無い。これからは、大切な想い出の一つとしてカイリの記憶に溶け込むだろう。



 いつしか雨が上がり始めた空の先では、七色の鮮やかな架け橋が祝福する様に輝いていた。


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