第329話


「それで、結局シュリアとレインさんの合同誕生日会は、八月最後の日ってことで良いんですね?」


 カイリはフランツと街道を歩きながら、尋ねた。

 今、二人は馬車から降りてネット村を訪ねようとしている真っ最中だ。

 街道は綺麗に整備されており、のどかな田園風景が街道の両端から遠く向こうまで広がっている。大地の香りが漂ってきそうな風景は、カイリの住んでいた村を想起させて懐かしくなった。


「ああ。今月は色々あったからな。王族を護衛したり、教皇の事件があったり、王族から依頼があったり、他国が絡んで来たり。全く、我々の大切な憩いを邪魔するとは、どいつもこいつも許せん奴らばかりだ」

「フランツさん……。少し落ち着いて下さい」


 ふんっと腕を組んで怒気を撒き散らすフランツに、カイリは苦笑しながらなだめた。

 しかし、彼の言い分も分かる。カイリとしても散々な目に遭ったのだ。一年分は働いた気がするので、しばらくは休養したい。



「……フランツ様、カイリ様。ようこそいらっしゃいました」



 のんびりと緑豊かな景色を楽しみながら歩いていると、いつの間にか村の入り口へと到達していた。村の門番をしていたのか、入口に立つ二人の男性が硬い表情で出迎える。

 その視線には恐れが見え隠れしたが、敵意は感じられない。これは、前もってケントと、そしてガルファンと親交があったクリスが、今回の件はカイリを始めとする第十三位の働きがあってこそ、この地は事なきを得たと説明してくれていたからだ。

 このネット村は、ガルファンが元当主として治めていた地だ。今は、昨日略式で当主の座に就任したばかりのルーシーが引き継いでいる。


 ――あの騒動から、もう三日が経過している。


 本来ならもっとごたごたが大きくなっているだろう各方面が、一応の平穏を見せているのは、第一位団長のケント、ガルファンと親交があってファルエラとの国境付近に街を持つクリス、そしてゼクトールを始めとする枢機卿陣が迅速に対応したからだ。

 この土地は議論が紛糾した様だが、ケントの真っ黒な笑顔とゼクトールのしかめつらしい威圧感で、ガルファンの娘のルーシーが継ぐことに決定した。約束通り、娘に罪を着せないことももぎ取ってくれたと聞いている。

 だが、それには条件が付いた。

 それは――。



「ようこそ、フランツ殿、カイリさん」



 村を半ばまで進むと、畑仕事に精を出していた少女が笑って出迎えてくれる。

 民と一緒で作業着に身を包み、土とたわむれる姿は、とてもではないが領主には見えない。

 けれど、今まで見た中で一番表情が輝いている。


「こんにちは、ルーシーさん。それから……」

「ああ! えっと、カイリ様!」

「こんにちは!」

「っす!」

「こーら! 挨拶の仕方ー!」

「それと、フランツ様にもだろ! というか、フランツ様が先ー!」

「ああ、そうだった! フラ、カイ、……、……お、お二人とも! ようこそ!」


 ルーシーと一緒にいた男性四人が、村人に怒られながら慣れない敬語を使って挨拶をしてきた。注意をされてパニックになり、結局二人にまとめて挨拶しているあたり、本当に慣れていないのが見て取れる。

 あたふたとしている彼らに、ルーシーが「すみません」と頭を下げ、カイリは思わず頬が緩んだ。



 彼らは、ルーシーを誘拐した犯人達だ。



 クリスの計らいで、彼らはルーシーの護衛という形でネット村に住み込みで働くこととなった。ルーシーもその提案に是非にと飛び付いたと聞いている。

 村の者達には、クリスからの紹介としており、何でも屋という身分にしているらしい。ルーシーの救出に一枚噛んでいるという設定を受け入れさせると共に、誘拐犯とは死んでも口にするなというのが条件だ。

 カイリもどういう形で彼らの罰が決定するのかと思ったが、まさかこういう内容になるとは。クリスの目は確かだから、任せても大丈夫だと判断したのだろう。正直、ホッとした。

 彼らの様子を見るに、色々言葉遣いやしきたりなどは勉強中らしい。村の者達が指導しながら微笑ましそうに見守っているあたり、上手く溶け込めている様だ。ルーシーとも距離が適度ながらも近いし、良い関係が築けているのは一目で理解出来た。


「お二人とも、ありがとうございます。この方々を雇わせて頂いて」

「いいえ。これは、ルーシーさんと、そちらの四人が掴んだ結果です」

「……はい。まだまだマナーや言葉遣いは勉強中ですけど、仕事の物覚えが早くて、助かっています」

「そうか、良かった。……仕事の最中に申し訳ないな。一応、『これ』が条件なのでな」


 フランツが謝罪すると、ルーシーは穏やかに首を振った。戸惑う周りの民を振り返り、胸を張る。


「私達に、何もやましいことはありません。ですから、どうぞお気になさらず」

「ありがとう、ルーシーさん。……ここは、とても素敵な村ですね。村に来るまでに、色々な人達が見えました。色鮮やかな畑で、一生懸命仕事をしている人達が」

「彼らも、その者達に混じって仕事をするルーシー殿の姿も、とても輝いていたぞ。この村が、誇りなのだな」

「……はい! もちろんです!」


 ルーシーが笑顔で言い切る姿は、とても輝いていた。太陽よりも眩い煌めきに、カイリもフランツも笑みが零れ落ちる。

 それに、今の一言で周りの者達の緊張もほぐれた様だ。「ルーシー様」と涙ぐんでいる者までいた。



 彼女、ルーシーにこのネット村の統治を託す条件は、カイリ達第十三位が一月ひとつきに一度は監視に来ること。



 ガルファンの犯した行為は、妻と娘がファルエラの王族という点を伏せられ、ほぼ全て知らしめられることとなった。

 その際、『何者か』に脅迫を受けていたということ、そして『娘のルーシーは脅迫犯に誘拐された』ということにして、ガルファンの同情票も集めた。妻は事故死ではなく、実は脅迫犯に殺されており、娘の命が一層危機に晒されていたという話も付け加えた。

 もちろん、子供の命を奪われたルーラ村は激しい反感を抱いた。当然だ。直接の犯人はまだ行方を追っている『何者か』であっても、嘆願を無視された絶望は計り知れない。

 だが、彼らはカイリに少なからず恩を感じている。


 故に、カイリの名前を強調し、第十三位がガルファンの娘に監視の目を光らせるということで取り敢えず納得してもらったのだ。


 当然、娘に反意の影ありとなった場合、断罪はカイリ達第十三位が行うことになる。断罪の権利をカイリに持たせることで、反感を鎮めたのだ。

 ルーラ村をカイリ達が説得する際、共に説明に立ち会ったケントがガルファンの妻が殺された点を強調し、子供の命を奪われた者達を複雑な気持ちに落とした。絶妙なタイミングで挟んでくれたため、カイリも説得がしやすくなったのは記憶に新しい。感謝しかない。



 一方で、ガルファンやルーシーからの謝罪などをつづった手紙を、彼らは読まなかった。



 しかし、二人はこれからも定期的に手紙を書くと言う。受け取られなくても、破り捨てられても、書き続けると。

 遺族の心が癒される時間は険しく長いかもしれないが、いつか互いに向き合える様になることをカイリは願いたい。エリックに向き合えなかった後悔を、彼らにはして欲しくなかった。


「あの。……父は、今、どうしていますか?」

「あの夜より元気そうですよ。ケントは昨日会って、俺も出かける前に会ってきました。もう、自分から死のうという気は無いみたいです」

「娘によろしくと言っていた。……会わせることは出来ないが、言葉くらいなら届けてやれる。手紙があるなら、預かるが」

「いいえ」


 フランツの申し出に、しかしルーシーはきっぱりと辞退した。

 その力強さに、カイリもフランツも少し目を丸くする。


「お父様は、罪を犯しました。どんなに言い繕っても贖い切れない罪です。だから、きちんと反省して、牢の中で償って、……いつか、処刑ではなく、もし外に出ることを許される日が来たら。言葉ではなく、私自身が迎えに行きたいと思います」


 背筋を伸ばし、凛とした光を瞳に宿してルーシーは真っ直ぐフランツを見つめた。

 その表情にさみしさは宿っていたが、迷いはない。本気で悔いはない様だ。彼女のけじめの付け方なのだろう。

 とても強い人だ。カイリは、彼女を尊敬する。


「じゃあ、ルーシーさんがそう言っていたって伝えておきますね」

「ふふ。分かりました。元気にやってるから心配しないで、とだけ」

「母親譲りの強さだな。これは、父親も頑張るだろう」


 フランツの茶目っ気な物言いに、ルーシーも屈託なく笑う。彼女と今も、こうして笑って会話が出来ることにカイリは心の底から安堵した。

 あの晩、最後に母と言葉を交わせたのも大きいのかもしれない。たくさんの後悔はあっても、前を向ける強さを持つ手助けが出来たのなら幸いだ。


「カイリさんは、これからフュリー村へ?」

「はい。王族の依頼、果たさないといけないので」

「雨、でしたっけ。……カイリさんの聖歌、とても素敵な響きだったから。私ももう一度聞いてみたかったです」

「あれで良ければいくらでも。俺の聖歌は、特別でも何でも無いから」

「いいえ」


 またも、ルーシーははっきりと否定する。

 カイリが怯んでいると彼女は悪戯っぽく微笑んだ。



「私達家族の、大切な想い出ですから」

「――」



 万感のこもった断言に、カイリも「そっか」とだけ返す。

 あの晩の歌の効力は、口外しないと約束してくれた。死者の魂が一時的にも実体化すると知られるのは、色々と面倒なのだと彼女達もすぐ了承してくれたからだ。

 けれど、今回の件でその秘密がバレてしまった人が、片手の人数ほどいる。フランツ達に心配かけ通しだなと、カイリは人知れず首をすくめた。


「……じゃあ、俺達、そろそろ行きますね」

「え? もうですか? 良ければ、お茶でも」

「いや。ここの復興はまだまだこれからだろう? よそ者の俺達がいたら集中出来ないはずだ。……今は、力を合わせる時なのだ。雑念は必要無い」


 フランツの示唆しさに、ルーシーは一瞬だけ泣きそうに顔を歪めた。

 すぐに笑顔に戻ったが、彼女も今必死に立ち続けようとしている。ここにいる村の者達なら、絶対に彼女の支えになってくれるはずだ。カイリ達を気遣う負担は与えたくない。


「じゃあ、ルーシーさん。また」

「また、来月な。……とはいえ、任務が入ったら一月に一度は無理かもしれないのだがな。その時は、俺達の信頼出来る者が来るはずだ」

「ふふ、忙しそうですね」

「いいえ。今月が特別。普段は暇なんです」

「あら」


 冗談と事実を交えながら、笑い合う。

 それが、別れの合図となった。カイリはフランツと一緒に村の入り口に取って返す。



「フランツ殿、カイリさん。――本当に、ありがとうございました」



 ルーシーが頭を下げて見送るのに合わせ、村の者達も深々と頭を下げる。

 彼らは今、悲しみに渦巻かれているだろう。表面上は気丈に振る舞っているが、慕っていた優しい身近な領主が大罪人にされたのだ。衝撃は計り知れない。

 けれど、きっと立ち直ってくれる。ガルファンは、今は全てを供述しているとケントも教えてくれた。情状酌量と、その重要な情報を加味して、死刑だけは免れそうだとも。

 いつか帰ってくるかもしれない元領主と、その娘の笑顔を支えに、この村は生き返るだろう。それは、カイリ達とルーシーの会話を心配そうに見守る村人達の視線を受ければ明らかだ。

 だからこそ、カイリは安心して背を向けられる。もし今度何かあったなら、その時は力になろう。

 その決意と共に、フランツと一緒に村を後にした。



 次は、フュリー村だ。



 のどかな田園風景を乗り越え、カイリ達は馬車に乗る。振動に揺られながら、カイリは窓から遠くを見つめた。


「……しかし、カイリ。本当に良かったのか?」


 フランツが控えめに問いかけてくる。

 馬車に乗ってからは会話をしていなかったので、何の話だろうとカイリは首を傾げた。


「何がですか? フランツさん」

「……、ラフィスエム家のことだ」

「ああ、……」


 あの事件の夜は、カイリは聖歌で力を使い果たしたため、マナを見送ってからすぐに意識を落としてしまった。

 次に目覚めたのはその日の遅い朝で、フランツが物凄い形相で見守っていたのが最初に映った光景だった。思わず悲鳴を上げそうになったのは、致し方ないことだろう。

 ゆっくり休みたかったが、速やかに事件を処理していたケントが、カイリの元へ遅い昼食を取っている時にやってきた。



 案件は、ラフィスエム家の家督と財産。



 当主は資格そのものを剥奪され、息子二人は死亡。親戚筋も全員亡くなっていたため、相続権がカイリにしか無かったのだ。ネイサンは、本当に全てを綺麗さっぱり終わらせるつもりだったと改めて突き付けられた瞬間だった。

 カイリが放棄するのならば、全てが国に寄与される。


 問題は、フュリー村とルーラ村の領主権のことだった。


 脅されていたとはいえ、流石に問題を二ヶ月も放置していたガルファンの元に、その権利を留めておくことは出来ない。村の心証的にも、ガルファンの娘が領主になるのは耐えられないはずだ。実際、ルーラ村は、ライオネット家がネット村をそのまま統治することには納得したが、自分達の村はとんでもないと譲らなかった。

 なので、脅迫という事実があったことを理由に、領主権移転の話を『無効』という形で処理したのだ。

 だが、今度はラフィスエム家の当主がいなくなってしまっている。

 そうなると、カイリが相続を放棄すれば、二つの村は国に帰属することになる。

 ただその際、王族にではなく、教会にというのがまた厄介だった。カイリも知って驚いたことだ。



 基本、このフュリーシアでは教会が直接管理する土地が無いというのである。



 敢えて言うのならば、国全域が教会のものであり、同時にそれぞれを貴族が『教会のために』管理しているのだ。

 教会が直接管理するということになると、あまり事例が無い。隣国との厄介事がくすぶっている今、余計な手間を増やされたくないのが教会の本心であり、二つの村が雑に扱われる可能性が高くなる。

 そこまで言われて、カイリは簡単に「放棄する」とは言えなくなってしまった。継ぐ、という意味では確かに揺らいだし、このまま家が無くなって父や祖父の生きた証を消し去ってしまうのも嫌だった。

 しかし。



「……フランツさんは、俺にラフィスエム家に行って欲しかったですか?」

「……っ」



 少しねた様に告げれば、フランツが分かりやすいほどに慌てた。目が忙しなく右に左にと動き、一分ほどして観念した様に顔を歪める。


「それは……」

「息子として傍にいてくれないかって言ったのに。あれは、嘘だったんですか?」

「いや、そんなわけがない! 俺だって、お前とこれからも親子でいたい! だが、……しかし」


 迷う様に視線を彷徨さまよわせるのは、フランツが父であるカーティスへの引け目を感じているからかもしれない。親子の縁を切らせるのは嫌だと何度も聞いた。

 確かにカイリと血がつながっているのは、カーティスという名の父の方だ。フランツでは無い。

 けれど。



 元々家族というものは、血が繋がっていない夫婦から始まるものだ。



 だったら、親子で血が繋がっていなくても、家族になれる。家族であることに間違いはない。

 カイリは、心からそう思う。



「俺は、父さんの息子であると同時に、フランツさんの息子です。確かに血が繋がっていて、長い時間たくさん愛してくれたのは父さんの方ではありますけど、でも、フランツさんだって、いっぱい愛情を注いでくれました。それを俺は知っていますし、これからも注いで欲しいです」

「……カイリ」

「俺は、ヴェルリオーゼ家の子供です。まだたった三ヶ月だけですけど。俺は、フランツさんの子供をやめたくありません」


 だから、と。

 カイリは微かに緊張しながら、フランツを真っ直ぐ見上げる。ぎゅうっと膝の上に乗せた両手を握り締め、決心してこの呼び方を告げた。



「俺は、これからもフランツさんと親子として生きていきたいんです。ヴェルリオーゼの名を継ぎたいんです。貴方と親子だって、みんなに胸を張って一緒にいたいんです」

「……」

「だから、もうそんなさみしいことを言わないで下さい。……、――お父さん」

「――――――――」



 フランツが、これ以上ないくらいに目を見開いた。ぱかっと、口も大きく開いてそのまま固まる。

 そんな彼の反応に、カイリは恥ずかしくなって下を向いた。あまりに仰天されたので、早まっただろうかと後悔する。

 確かに、まだこの呼び方は慣れない。これからも、まだ余程のことが無い限り、「フランツさん」と呼び続けるだろう。

 だが、それでもカイリはフランツを「父」と呼んでみたかった。少しずつ、本当に少しずつだが、彼を第二の父として慕っている自分に気付いたからだ。



 彼と二人で、穏やかに話す時間が、カイリは好きだ。



〝子供がいたことはないし、俺には兄弟もいなかったからな。メリッサと夫婦の時は、いつも彼女の方が話の取っ掛かりを作ってくれていたし、こうして親子のとなると……結構緊張するものだ〟



 いつもはもっともらしく自信満々に断言したりするのに、いざ二人になると、何を話して良いか分からないと、素直に白状する不器用さが微笑ましかった。



〝どれどれ。……おお。この茶、わざと茶柱を立てる様に作られているそうだ〟



 何でもないことなのに、彼と話しているとそれが楽しいと思えた。



〝お前は俺にとって、大切な息子だ! カーティスから託されたというだけではない! 大事な大事な、……誰でもない俺の! 息子だ! そんなお前に、この先絶対に苦しむのが分かっている決断をさせるわけにはいかん!〟



 自分のために本気で怒ってくれたことが。泣いてくれたことが。カイリは苦しくて恐かったけれど、同時にどうしようもなく嬉しかった。

 フランツとカイリは、まだまだ傍から見れば親子とは言えないかもしれない。ぎこちなくて、およそ家族とも映らないかもしれない。

 それでもカイリは、フランツと家族になりたかった。親子になりたいと思った。



 彼を、父と呼びたかった。



 しかし、それはカイリだけだったのだろうか。

 先程から、フランツからは恐ろしいまでに反応が返って来ない。何故だろうと考えて。



 ――もしかして、「お父さん」がまずかったのだろうか。



 思って、カイリは青褪める。何がまずかったのだろうと必死になって思考を回転させた。

 まさか、他人行儀と受け取られたのだろうか。何故、「父さん」じゃないのかと怒っているのかもしれない。

 だが、「父さん」だと、どうしても長く一緒にいた父の方を思い出すから「お」を付けてみたのだが、それが間違いだったのだろうか。逆鱗に触れて、声も出ないといったところか。

 いや、そうではない。



 ――むしろ、「父上」が正しかったのかもっ。



 かっと目を見開き、カイリは愕然とする。

 そうだ。フランツは貴族だ。

 故に、呼び方も上品でなければ駄目なのかもしれない。「父上」とか「父様」と呼ぶ方が、嬉しかった可能性が高い。むしろ、息子と認めてもらえなくなったとかそういう話だろうか。

 いや、だがフランツはとても茶目っ気がたっぷりな性格だ。

 ならば、上品よりも、いっそ。



 ――「親父いっ!」と男らしく、かつ距離感ゼロの呼び方の方が良かったのかもっ。



 そうすれば、唖然あぜんとすることもなく、「息子よー!」と手を広げて号泣しながら答えてくれただろう。そうだ。フランツなのだ。そうに違いない。

 完全に混乱しながら、カイリは頭を抱えた。

 しかし、今更「お父さん」呼びを撤回するのは困難だ。出てしまったものを消し去ることは不可能である。

 故に、出来ることはただ一つ。素直に、率直に、黙っている理由を聞き出すことだ。

 カイリは、すっと息を吸い。


「あ、あああああ、あの! ふ、フランツさん、えっと。今のは、……父と呼びたかった様な気がするけど心の底から湧き出る様に口走ってしまったと言いますか! 父さんお父さん父上父様親父ー! の、どれが良いか教えて頂ければ俺はそれを確実に遂行する所存でありまして!」


 混乱した思考をそのまま叫んでしまっていた。

 何故、そうなる、とカイリは心の中で盛大に突っ伏す。


「えーと、えー、だ、だから! そうではなくて! えっと、その、フランツさん、何で、名前、いや、黙って、えー、――、……?」


 全く理由を聞き出せないまま愚かなことをまくし立てまくる口を、カイリは途中で止めてしまった。先程のフランツと同じく、ぱかっと口を大きく開けてしまう。

 カイリが、急いで顔を上げた先。



 フランツが、口を右手で覆い隠す様に押さえていた。



 視線は斜め向こうに逸らし、硬直している。何かを堪える様に、震えそうになるのを懸命に押さえている空気さえ感じた。

 しかも心なしか、うっすらと瞳に滲むものが見える気がする。

 え、と今度はカイリが押し黙る番だった。何故、そんな反応をされるのだろうと、困惑していると。



「……いや。……父と呼ばれるのが、これほど嬉しいとは思わなかったのでな」

「――」

「……お前の意思で、父と呼んでくれる日がくるとはな。……想像以上に感慨深く、幸せなものだ」



 口元を押さえながら、フランツが声を押さえてささやく。何となく震えている気がするのは、昂ぶる何かを必死に押さえているからかもしれない。

 彼のそんな反応に、カイリも何故か目の奥が熱くなってきた。ぐっと目元に力を入れ、唇を引き結ぶ。


「ありがとう、カイリ」

「……っ」

「まだまだ慣れないだろうが、……時々でも呼んでくれると、嬉しい」

「……、はい。……、……お父さん」

「……っ、ああ」


 フランツが感極まった様に笑みを広げる。手を外した口元は、歓喜に溢れていた。


「……前の時は、カーティスと混同しているのだと思っていたが。ああ。嬉しいな」

「え?」

「こっちの話だ。存分にお父さんと呼んでくれ」

「は、はい。……ま、まだ慣れないので、しばらくはフランツさん呼びだと思いますけど」

「ああ、それで良い。……ゆっくり、親子になろう。俺も、良き父となれる様にこれからもカイリを褒め称える」

「い、いや。褒め称えるのは止めて下さい」


 誰彼構わず、突然熱弁を振るうのだけは勘弁して欲しい。

 それだけは切に願って、カイリはフランツと共に馬車の窓から目的地を見据えた。新しく、カイリとフランツの管轄となった土地を。

 カイリは、ヴェルリオーゼ家の者として未来を生きていく。

 けれど。



 ――ラフィスエム家が歩んできた証も、受け継ぐ。



 確かに、ラフィスエム家の跡継ぎとして生きていくことはしない。家に入ったり当主になったりというのは、カイリとしてはやはりしっくりこないし、フランツの息子でなくなるのも嫌だ。

 しかし、一方で父や祖父が歩いてきた証を潰すのも嫌だった。

 勝手過ぎる願いだったが、それでも諦めたくなかった。

 故にクリスにどうしたら良いかと相談したら、じゃあ、とにっこり悪巧みと共に明かされた内容に、カイリは驚いたのを覚えている。


 だが、同時にそうしたいと願った。


 我がままだろう。世間からすれば、単純にラフィスエム家を蹂躙じゅうりんしたと思われるだけかもしれない。

 だが、ネイサン自身受け入れた上で、遺言の内容を変えてくれた。生前贈与に変更してくれた。

 最初はラフィスエム家を根絶させ、財産や権利も全て国に返すつもりだったのに、取りやめてくれたのだ。

 クリスの提案は、次の二つ。

 一つ目は、財産や領主権などの権利はヴェルリオーゼ家が吸収し、受け継いでいくこと。ラフィスエム家の屋敷も使用人も残し、引き続きそこで働いてもらうこととなった。

 そして、二つ目は。



 カイリ・ラフィスエム・ヴェルリオーゼ。



 祖父ネイサンの孫として、父カーティスの息子として、ラフィスエム家の生き残りとして、ラフィスエムの名をミドルネームとして継承する。

 そして、二人の父の息子として、全てを背負って生きていく。


 それが、カイリの想いけついを込めた、新たな名前の誕生となった。


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