第293話


「よう、ただいま」

「今戻りましたわ」


 夕方頃、調査のために出かけていたレインとシュリアが戻ってきた。

 ちょうど食堂の入り口近くにいたカイリは、ぱたぱたとスリッパを走らせて玄関に向かう。


「お帰りなさい。道中、大丈夫でしたか?」

「だーれに物言ってんだよ。首尾はばっちりだぜ」

「はあ。わたくしは、……ええ。ハリーはとてものんびり丁寧に憎たらしいほど親切でしたし、リーチェは……ええ。相変わらずパワフルで憎たらしくて訳が分からない美学を振り撒いて通常運転でしたわ。うるさかったですわ。ありえませんわ。……何故! わたくしがあなたと!」

「は?」

「っ! ま、まったく! あなたはどうしてリーチェまでとりこにするんですの! わたくしが疲れますわ!」

「は?」


 話の途中でいきなり睨まれ、カイリは疑問符しか浮かばない。リーチェを虜とは一体何の話だろうか。

 しかも急に我に返り、思い切り視線を逸らすシュリアに、そんなにリーチェとの会話は大変だったのだろうかと首を傾げた。あまり相性は良くなさそうではあったが、八つ当たりしてくるとはよほどだ。――レインが何故か「ぶっは!」と腹を抱えて噴き出していたが、取り敢えず見なかったことにした。


「シュリア姉さん、レイン兄さん、お帰りなさい! ちょうど、フランツ団長が新しいお茶を追加したところっすよ」

「あらあら。お帰りなさい。どうでしたか?」

「あー、色々収穫はあったぜ。そっちはどうよ。ゆっくり休めたか?」

「こちらもちょっとした訪問客があった。お互い、情報をり合わせよう」


 レインとシュリアがいつもの席に着き、全員が揃う。フランツがみんなの前に湯呑を置いたところで、一息吐いた。



「よし。まずは俺達側からの情報にするか。昼間、ジュディス王女殿下とパーシヴァル殿が来た」

「……マジかよ」

「何をしに来たんですの?」

「カイリ様に会いにですよね♪」

「え? いや、違うよ。教会学院の下見が終わって、殿下の目的を告げに来たって言ってたじゃないか」

「あら、そうでしたか? てっきり秘密の逢瀬だと思っていました♪」



 リオーネが口元に手を当てて、良い笑顔で見つめてくる。カイリとしては、何故そんな発想になるのだろうとはなはだ疑問だ。どう考えてもリオーネに会いに来たと思う。

 カイリが困った様に首を傾げていると、何故か横から物凄い白い目を感じた。

 振り返ると、リオーネの隣に座っているシュリアだ。両腕をテーブルに乗せたまま、まるで軽蔑した様に半眼で凝視してくる。


「……えっと。何?」

「いいえ。流石はパンケーキタワーを食した仲ですわ」

「は? パンケーキタワー?」


 口にしてから、屋台街のことを思い出す。確かに、ジュディスとはパンケーキを食べた。なかなか苦戦していたのを思い返し、自然と頬が緩む。


「あの時はジュディス殿下、珍しく色々困ってたなあ」

「楽しそうでしたよね♪」

「ああ、まあ。……リオーネも今度、彼女と食べに行けたら良いね」

「……そうですね。実現出来たら、ですけど」

「実現させるんだ。任務を成功させて、王子殿下達を説得してさ」


 リオーネが身を引く様に静かに微笑むので、カイリは即座に断言する。彼女は少し目を見開いていたが、すぐにいつも通りのふんわりとした笑顔に戻った。「そうですね」と、今度は静謐せいひつだがはっきりと頷く。

 そんな風に語らっていると、レインが「へえ」と驚いた様に目を丸くした。


「お前、お姫様の呼び名、変わったな」

「え? あ、はい。えっと、……別れ際に言われたんです。『いっつもジュディス王女殿下ジュディス王女殿下、長ったらしいわ。イモ騎士のくせに飽き飽きするわ。殿下にしなさい』って」

「……へえ」

「だから、ジュディス殿下とか、殿下って呼ぶことになりました。……何がどうなって『イモ騎士のくせに』になるのかは分かりませんけど」


 普通に「長いから」だけで理由になっている気がするのだが、ジュディスはジュディスで何か思うところがあるのだろう。彼女の思考回路はさっぱり読めない。流石はリオーネと親戚なだけある。

 そんな風にレインの疑問に答えていると。



 益々ますます横合いから吹雪ふぶく白い目が強くなった。気がする。



 何だろうとカイリが見たくもないのに振り向くと、シュリアは大層不機嫌そうに睨んできていた。何故だか殺意まで乗っている気がする。まともに受け取ると心が死にそうだ。


「……シュリア? さっきから何?」

「いいえ。何も。全く。何も。……というより、不可解ですわ。ありえませんわ。意味が分かりませんわ」

「は?」

「何でもありませんわ! ……ええ、別にあなたが誰とくっつこうと構いませんわ! 例え爬虫類だろうがミジンコだろうが構いませんわ! だから、この展開は至って正常ですのよ! わたくしが変なのですわ!」

「は?」


 頬杖を突いて、呪詛の様にシュリアが大声で吐き出す。外向そっぽを向いてはいるが、その背中はどす黒い炎が激しく燃え盛っていて、カイリは疑問符を浮かべるしかない。

 今の会話のどこに地雷があったのだろうか。シュリアはやはりよく分からない。


「……姉さんって、もしかしてツンデレっていうより超鈍感?」

「ジュディスちゃんも大概たいがいですけれど、彼女の方がまだマシかもしれませんね」

「ま、良いんじゃねえの。カイリも超鈍感だしな」


 ひそひそとささやき合う三人に、カイリは更に疑問符を大量に撒き散らす。フランツなどは、何故か大仰に満足そうに恍惚こうこつと頷いていて、「カイリ、青春だな」と悟り切った風に呟いていた。

 よく分からないが、何となくあまりカイリに得をしない内容の気がしたので、話を先に進めることにする。飛んで火にいる、というやつだ。


「それで! 前にハーゲン殿が言っていた内容を正式に言われました」


 強引にカイリが話を戻せば、レインもシュリアも興味深げに視線を戻してくる。彼らはどんな時でも、真面目な話になると空気が変わるなと、カイリは感嘆した。


「正式にってことは、身内のことってやつか?」

「はい。……殿下は、家族の誰かが狂信者に関わっている、または狂信者なんじゃないかって言っていました」

「――狂信者。推測通りですが、やはり疑っていましたのね」

「オレ達も疑ってた部分の再確認ではあるが、お姫様がとなると、信憑性が増してくるわな」


 二人の感想に、カイリ達も深く首肯する。

 ジュディスが昔に襲撃を受けた時のこと、カイリを伴って歓楽街に赴いた目的などを話すと、二人の表情は益々厳しいものになっていった。


「なるほど。彼女は彼女なりの戦いをしていたということですわね」

「いやはや。色々根性あるとは思ってたが、なるほどね。……そんなに昔からパーシヴァル殿も一枚噛んでいるとは、面白くなってきたじゃねえの」


 シュリアが目を閉じ、レインが皮肉気に頬杖を突いて受け入れる。

 それでも二人の表情からはあまり歓迎の色が見られない。何故だろうとカイリが疑念を抱いたが。



「ま、だからと言って、ウチの後輩おとりにしたのは頂けないけどな」

「まったくですわ。……貴重な聖歌が失われるところでした。わたくし達がいるからと言って、絶対なんて言葉はありませんのよ」

「――」



 二人の口から、カイリを気遣う言葉が出てきたことに驚いた。

 まさか、そんな風に思ってくれるなんてと、少し恥ずかしくなる。さりげなく俯いたが、カイリは目線が泳がない様に必死だ。


「仕方がない。目的のためならば、多少の犠牲はと考えているだろう。王女殿下がカイリを餌にした様に、我々も目的で必要だったならば、他者を餌にと考える」

「……ま、そうっすね」

「ジュディスちゃんは王族ですから。例えこちらがそのことを非難したとしても、大義のためならば決して引いたりはしないでしょう。……代わりに、私達が彼女を囮にしても、謝罪は受け取らないと思います」


 冷静な分析に、カイリも黙って口をつぐむ。今回餌にされたのが自分自身だったから、特に何も言うことはないという意味合いもある。

 だが、それでもフランツは耐えかねたのか、冷静な分析をした直後なのに、どす黒いオーラをふんだんに解き放っていた。


「しかし、カイリを囮にするのはやはり腹が立つな。くっ、次は絶対に何を差し置いても阻止するぞ。可愛いカイリがあいつらの餌食にと思うと、……ああ。久しぶりにまた剣が振るいたくなってきたな。素振りをするしかないだろう」

「フランツさん。……その笑顔、恐いです」

「な、なぬっ!?」

「……団長の過保護っぷりは置いておいてよ。ま、とにかくお姫様は、教会との繋がりも含めて探りを入れるために、教会学院に留学したいと。任務に一層精が出るなー」

「結局わたくし達が良い様に扱われているだけの気もしますが……、……事は思った以上に重大です。関わった以上、責任は持ちますわ」


 全員が任務の遂行の再確認をする。カイリも異論は無い。

 あの、犠牲になった子供達の痛ましい姿を見てしまったのだ。フュリー村の件も、下手をすると誰かが犠牲になった跡があるかもしれない。


 ――あの結界に触れた時、無意識にでも『声』を握り潰してしまって、申し訳なかったな。


 憎悪の果てに握り締めた『あの声』が、もし誰かの魂の一部だったならば悔やんでも悔やみきれない。そうだとしたら、カイリは確実にこの手で、直接人を殺したことになる。

 そうだ。



 ――人殺し。



「……っ」


 小さく息を呑んで、カイリは俯く。

 情けない。人の命を奪う覚悟をしておきながら、いざ己の手で直にという可能性を考えて怖気づいている。これでは、今まで奪ってきた命に申し訳が立たない。

 もう既に、間接的にでも命を奪っていることに変わりはないのだから。後戻りはしない。


「カイリ? どうした」


 フランツが逸早く気付いて声をかけてくれる。

 カイリは慌てて顔を上げたが、笑う気にはなれなかった。

 故に、代わりに誓いを立てる。


 もう決して、これ以上悲しい犠牲者を出さないと。


「俺、……フュリー村の件、全力で解決します。……ルーラ村にも、子供達のことをちゃんと伝えたいと思っています」

「……」

「出来ればフュリー村は、ホテルの時みたいな仕掛けでないことを……祈りたいです」


 カイリが胸元に手を当てて決意を込めると、フランツ達も神妙な顔になる。声には出さなくとも、全員同じ気持ちだと如実に伝わってきた。



「突き止めるためにも、成果を上げないとならんな」

「はい!」

「よし。では、次だ。レイン。ガルファン殿の娘はどうだった」

「無事に救出したぜ。今は、クリストファー殿の屋敷にいる」

「え?」



 レインのさらっとした報告に、カイリは一瞬湯呑を傾けたまま硬直する。エディやリオーネは、仰天し過ぎて危うくせそうになっていた。

 ただ一人、フランツだけが「うむ」と腕を組んで満足気に頷く。


「よくやった。それで、何処にいたのだ?」

「貧民街だよ。灯台下暗しってな。机の引き出しに入ってた手紙と写真で分かった。日付は8月21日。昨日だな。……写真は悪いけど、見せらんねえぜ」


 レインが淡々と結果を口にするその仕草は、いつも以上に冷徹に研ぎ澄まされていた。

 写真は見せられない。

 恐らくそれが手掛かりになったのだろうが、カイリ達に見せると不都合があるのだろうか。

 それとも――。

 嫌な想像をしそうになって、カイリは目を閉じて思考を中断する。レインが見せないと判断したのならば、それが全てだ。


「構わん。……ガルファン殿には」

「何も。一ヶ月っていう長い期間だったのもあるだろうが……娘も口がなかなかけない状態でな。本当は会わせてやりたいが、芝居出来そうにねえし」

「ああ……。まあ、あの御仁は良くも悪くも真っ直ぐだからな。むしろ、よくぞカイリにメモを渡せた。……ぎりぎりといったところだろう」


 フランツが眉をひそめるが、それでも無情に判断を下す。

 カイリとしても、一刻も早く親子の再会をさせてはあげたいが、それで村の問題等の解決に支障をきたせば、被害が拡大する恐れがある。反論は出来なかった。


「しかし、貧民街か。よく見つけたな」

「ま、普段オレ様が歓楽街行くついでに、貧民街も見て回ってる功績かね。……貴族ってのは、貧民街なんか間違っても足運ばねえからな。盲点だろうよ」

「確かに。……写真に写っていたか」

「ばっちりな。上手く隠したつもりだったんだろうが、端っこに鏡の破片があってよ。それに映ってたのが、貧民街の家屋の中の一つを根城にしてる奴の服だったんだわ。……拉致は、ファルエラじゃなくて、貧民街に住んでる奴ら雇ってたみてえだな」

「……彼らに人権は無いに等しい、か。……彼らはどうしたのだ?」

「まとめて縛り上げて、クリストファー殿に投げた。今頃、命乞いでもしてんじゃねえの? 間者じゃねえしな」

「……。……最近、彼を便利屋扱いしている気分になってくるな」


 フランツの苦笑いに、カイリも苦笑で返すしかない。

 最近、クリスには世話になりっぱなしだ。いつか彼に無茶な要求をされても、応えないわけにはいかないだろう。それくらい恩が溜まってしまっている。


「だが、彼なら犯人の証言を無かったことにはしないだろう。証拠が掴めるかもしれない」

「そうだなー……。……ちょっと気になんのは、捕まえた奴らは、貧民街の中でも比較的常識人ってところか」

「うむ? 常識人だと?」

「ああ。ま、食べてくために悪事はまあ……それなりにな。けど、……拉致監禁する感じには思えなかったんだよなー。……娘も意外と、……」

「何だ? 他にも何かあったか?」

「ああ、いや。……ちょっとオレだと先入観が混じってるし、クリストファー殿に聞いてくれ。彼の方が正確に色々見抜いてくれるだろうよ」


 レインが微かに難しい顔で唸るのが気になったが、それ以上は口をつぐんで黙してしまう。

 カイリはもちろん、フランツも引っかかった様だが、確証が無さ過ぎると理解を示したのか話を進めた。


「ならば、明日クリス殿に聞いてみるか。後は……フュリー村の見張りか」

「だな。ルーラ村は、今のところ見張りっぽい奴の気配はしなかったし」

「そうか。……ならば、フュリー村の見張りを何とかするのを優先するか」

「……なあ、団長。明日の夜、オレかシュリアが、そいつらさっさととっ捕まえて、土曜日に来るっていう連絡役を待ち伏せするのはどうよ?」

「ふむ……」


 レインの提案に、フランツは軽く黙考する。

 総務に書類を取りに行くことや強制家宅捜査をすることは大雑把に決めていたが、見張りや連絡役をどうするかは、確かにまだ決めていなかった。


「レインは、日付が変わった直後に連絡役が来ると踏んでいるのか?」

「ま、可能性だけどな。やらないよりマシじゃね? まだ団長とカイリ以外の明日の予定は曖昧だったしよ。どうだ?」


 レインの話は確実性は無いが、なかなか有効かもしれない。

 現に、フランツは頷いて承諾した。


「良いだろう。では、どちらかに行ってもらうとしようか」

「なら、わたくしが。……そろそろレインばかりではなく、わたくしも動きたいですわ。体が鈍って仕方がありません」


 シュリアがぱきぽきと指を鳴らして獰猛どうもうに笑う。二日間、姿を消しての隠密行動ばかりで鬱憤が溜まっているらしい。

 カイリが口元を引くつかせると、エディも一緒に引いていた。


「……姉さん。うっかり殺さないで下さいよ」

「誰に物を言っていますの、パシリ。加減は間違いませんわ。ただ、完膚なきまでにぶちのめすだけです」

「シュリアちゃん、それを『うっかり』って言うんですよ♪」

「黙りなさい、リオーネ。大丈夫ですわ。ファ……他国との戦争が起こるかどうかの瀬戸際ですので」


 一瞬、シュリアの声のトーンが落ちた。

 不思議に思ってカイリが見つめると、彼女の横顔にも少し影が落ちている気がする。

 引っ掛かりはしたが、フランツが話を進め始めたので聞くタイミングを失った。


「では、暫定の予定だ。シュリアには明日の夜、ファルエラの間者をぶちのめしてもらい、待機してもらう。俺とカイリは……そうだな。総務へ行った後に、クリス殿の屋敷に捕虜の情報を聞きに行くとしよう」

「はい。あ、あの。……出来ればその後、ルーラ村へ行きたいです。遺品を、届けてあげたくて」


 ルーラ村に監視役がいないのならば、きちんと顔を見せて早く渡してあげたい。色々罵られるかもしれないが、子供達の最期を伝えるのは、立ち会ったカイリの義務だ。

 フランツも汲み取ってくれたらしく、そうだな、と優しい眼差しになった。


「分かった。ならば、その後ルーラ村に視察に行こう。エディも付いてきてくれ」

「……はい!」

「分かったっす!」

「レインとリオーネは、一応フュリー村の様子を見てから、ルーラ村にも顔を出してくれ。特にレインは顔が知られているから、繋ぎ役としてカイリの話もスムーズに運べるだろう。その後、レインはラフィスエム家も監視してくれるか。夜には一度戻って報告して欲しい」

「おうよ」

「分かりました」


 それぞれがそれぞれらしい返答で請け負ってくる。彼らのこういう一面が、カイリには頼もしい。尊敬する先輩達だ。


「あと今夜は、これからケント殿と話し合いをするが……。明日、クリス殿にも面倒をかけると伝えておこう。今日の分も含めてな」

「はい、そうですね」

「土曜日は、俺とカイリがラフィスエム家に調査の承諾を取りに行くフリをする。実際、もう領主権はガルファン殿に移っているそうだが、秘密にしておきたい様だしな。我々が気付かれていると思われるのはまずい」

「そうですわね。油断させるためにも良いでしょう」

「その間に、レイン達三人は家探しをしてくれ。不審に思われても構わん。全力でやれ」

「ああ、もちろんだ」

「新人のためにも、絶対不審物を見つけるっすよ!」

「違和感探しは得意です。任せて下さい♪」


 三人は本当にどこまでも彼ららしい。カイリも早くその域に達したいと目標が増えていく。

 きっと必ず見つけてくれるだろうと信頼出来る返事に、フランツも満足げに頷いた。


「うむ、頼もしいな。シュリアは、そちらの件が片付けば俺達に合流してくれ。片付かなければ、そのまま待機だ」

「分かりましたわ」

「土曜日はこんなもんかね。ああ、雨は降らすのか?」

「状況次第だな。……だが、ホテルの件を考えると、村を覆う結界なのか呪詛なのか、そういうのを何とかするだけで精いっぱいな気がするが」


 フランツの予想に、カイリも頷くしかない。正直、ホテルで子供達の魂を救済する時は全力で歌った。その後、しばらく動けなかったくらいだ。

 フュリー村を覆う何かは、ホテルの件と比較してもかなり強力だ。リオーネに補佐してもらうにしても、カイリ一人で何とかすることになるだろうし、雨をぶまでは行き付けない気がする。


「すみません。翌日に回してもらった方が、確実に雨を喚べると思います」

「そうか。ならば、日曜日、晩餐会前に雨乞いをするとしよう。晩餐会はどうなるかまったくの未知数だが……行動について、他に質問はあるだろうか」


 フランツが全員を見渡し、カイリ達は無言で頷き合う。

 それを確認した後、フランツが小さく息を吐き出した。



「じゃあ、最後だな。シュリア。ガルファン殿の奥方について何か分かったことはあるか?」

「……」



 フランツが話を振ったが、何故かシュリアは押し黙ってしまった。何かを射殺す様な目つきに変貌していったのが、何となく恐ろしい。相性の悪いリーチェとのやり取りを思い出したのだろうか。


「しゅ、シュリア?」

「……。奥方は、ファルエラの出身で間違いありませんわ。ですが、……」


 はあっと溜息を吐き、シュリアは目を閉じて腕を組む。どこかバツが悪そうな表情に見えるのは気のせいだろうか。


「……申し訳ありません。ただの平民ではない、ということしか掴めませんでしたわ」

「……ただの平民ではない、か。確かに情報が少なすぎるが、上々ではないか?」

「確証をもらったわけではありません。こちらはリーチェから何とかもぎ取った情報です。とはいえ、彼女が言うには、仕草や振る舞いから『最低貴族だろう』という推測をもらっただけです。その後、話題にした時のハリーの反応からそれが確定しただけですわ」

「ふむ、……」


 苦々しい声に、彼女が悔しそうなのが手に取る様に伝わってくる。

 本当はもっと他の情報も持ち帰りたかったのだろう。何しろ、今のところ依頼達成のための証拠がとぼしいからだ。


「……シュリア。それは、情報が無かったという意味ではなく、情報を引き出せなかったということで間違いないか?」

「……ええ。申し訳ありません。わたくしの力不足ですわ」

「ふーん……。どっちかって言うと、ハリーからもらえなかったってところか」


 レインの追い打ちに、シュリアがぐぬっと顔を潰してから頷く。反論しないのは、彼女が本気で項垂うなだれているからだろう。

 しかし、ハリーはそんなに情報通なのか。


「あの。ハリーさんは、そんなに情報を持っているんですか? お店が騎士達御用達だからとか、そういう関係で?」

「ん? ああ、……そうだな」


 カイリが昨日から抱いていた疑問をぶつければ、フランツは一瞬虚を突かれた様に目を丸くし、次いであごを撫でて目を伏せる。


「カイリには話していなかったな。ハリーは確かに教会の制服全般を請け負っているが、それだけではなく、あの店の衣服は国外でも評判で、直接オーダーメイドに来る観光客も多いのだ」

「へえ。凄いですね!」


 ハリーは仕事にはとても熱心で、カイリが作ってもらった制服はぴったりと自分に馴染んで着心地が良い。レインやリオーネに見繕ってもらった私服もセンスが良いものばかりな上、どれも丈夫で体に馴染む。

 深く納得していると、フランツは更に補足してきた。


「それに、春にクリス殿がトラリティの正式なオーナーになる前から、彼御用達でもあったしな。彼の後ろ盾があるからか、客も色々探ってくるとぼやいていたことがある」

「……それは、大変ですね」

「ああ。だが、ハリーは口が達者だからな。上手く会話を繋いで逆に相手の情報を引き出し、あらゆる世界に精通していると言っても過言ではない。故に、他の者でも知らない情報を隠し持っていることもあるのだ」

「なるほど。だから、ハリーさんに聞きに行ったんですね」


 それほどまでに情報網が広いならば、収集には打って付けの相手だ。

 リーチェに関しても同じ様な理由で聞き込みの相手に選んだのだろう。彼――彼女も、少し話しただけでも相手を和ませ、場を明るくするのに長けた人だった。

 しかし。


「……ハリーさんは、何も教えてくれなかったってこと?」

「……そうですわね。まあ、リーチェがくれた推測をあれこれ広げてみて、反応をくれたのがサービス、というところですわ」


 つまり、口は堅かったが、シュリアの質問には曖昧に答えをくれたということか。ハリーから情報収集をしたことがないカイリには、それが普通なのかどうかも分からない。


「すみません。わたくしが、彼女を満足させる対価を差し出せなかったのですわ」

「対価か……。……確かに、今の俺達では少し難しいな。レインが行けば違ったかもしれないが」

「レイン様は、口だけはお上手ですから♪」

「おいおい。オレが口先だけの人間みたいに言うなよ」

「ですが、……」


 ちらっと、シュリアがカイリの方を見つめてぐぬぬっと歯噛みする。

 また八つ当たりをされている気がして、カイリはげんなりしながらも対応した。



「……何?」

「……。ハリーが言うには、またしても! ……あなたがいたら、少しは違ったとか言い出したのですわ!」

「え? 俺? 何で」

「……! 知らないですわよ! というか、……あなた、色々虜にし過ぎではありませんの?」

「はあ?」



 何故、ここでもカイリが虜にした云々の話になるのだろうか。

 本格的に混乱してきたところで、レインが「あー」と納得した様な生温かい様な、複雑な笑みで見つめてきた。


「確かになー。こいつ、今までに付き合ったことないタイプっぽいからな。まあ、虜云々とは違うかもしれねえけど、……カイリ行かせた方が良かったってのはあるかもな」

「レインさんまで……。どういう意味ですか?」

「新人、パーシヴァル殿やハーゲン殿とも渡り合いましたからね。多分、そういう意味だと思うっすよ」

「そうですね。カイリ様、真っ直ぐに押したり引いたりしますから♪ そこがやりにくいのかもしれませんね♪」


 リオーネが先程から、毒の混じった称賛を挟んでくる。「♪」喋りが絶好調だ。昼間にジュディスと話せてよほど嬉しかったのかもしれない。

 だが、とにもかくにもガルファンの妻はファルエラの中でも貴族以上の地位を持っていたかもしれないという情報は得られた。それだけでも今は充分な気がする。

 しかし一方で、ハリーの言葉が気になる自分もいた。


「……俺、明日ルーラ村に行く前に、ハリーさんの所へ行ってみた方が良いですか?」

「……。いや、やめておこう。理由が分かったところで、それが今回の任務の解決に重要かどうかは分からないからな。あまり時間も無いし、ルーラ村でどれほど拘束されるかも予測が付かん。そちらが最優先だ」


 難しい顔で唸ってから、フランツが無情に切り捨てる。

 ルーラ村には遺品を返しに行くだけではなく、調査もしなければならないだろう。聖都からもある程度距離が離れているし、寄り道している暇は無い。


「まあ、ガルファン殿の妻が平民ではなかった、というだけで満足しておこう。ファルエラが本格的に関与していると確証を得られたら、改めて調査して交渉材料の一つとして握っておけば良い」

「へーへー。……ま、ガルファン殿がもしかしたら脅されてるだけじゃないかもっていう推測が出来るくらいかね」

「脅しの更なる材料の可能性もありますわよ」

「……。そうだったな。そういや、忘れてたことがあるわ」


 ぼそりと呟いたレインの声に、フランツが逸早く反応する。


「何をだ?」

「いや、……屋敷の使用人達がこそこそ会話してたんだけどよ。ガルファン殿が、奥方のことを『いない』って言ってたんだと」

「――」



 ――いない。



 春に亡くなったという妻に対して、『いない』という言い方は変だ。

 カイリだけではなく、フランツ達全員の疑問が表情に出ていたのだろう。レインが苦笑しながら、続きを告げる。


「オレも最初は変だなって思ったんだけどよ。使用人が、ガルファン殿がしきりにそう呟いていたのを聞いたんだとよ。春に埋葬してとっくに亡くなっているのに、どうして『いない』っていう言い方をするんだって」

「……いない、か。……生きていた、……とは考えにくいな。俺も葬儀には立ち会ったし、奥方の最後の姿を見たが、とても生きているとは……」

「仮死状態? っていうのはあり得るっすか?」

「いや、……無理だろう。火葬をしている。骨になって生きていられる人間はいない」


 フランツの言葉に、レインも頷く。カイリ達も不審な点に心をあおられた。


「それって、……やっぱりガルファン殿が脅迫されている一因かもしれないってことですよね?」

「そういうこったな。団長。オレ、明日先に墓場行って確かめてくるわ。……罰当たりだが、放置は出来ねえだろ」

「ああ、頼む。シュリアは夜のために宿舎で待機をしてもらうぞ。エディ、リオーネ。予定を変更してレインと一緒に行ってくれ。鎮魂歌も必要になるかもしれん」

「分かりました。歌ならお任せを」

「力仕事なら、任せて下さいっす!」


 各々が力強く承諾するのを見て、カイリは頼もしさを覚える。

 だが。



 ――いない。



 その単語がやけに不気味に聞こえて、カイリの胸の内は昏い荒波に揉まれた様に、しばらく震えて止まらなかった。


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