第292話


「さーて。いて来てはみたが、……面倒だなあ、おい」


 遅い朝食を終え、シュリアと共に姿を消して外出したレインは、早々にネット村に到着していた。

 途中、聖歌語をふんだんに使ったせいで、少々体がだるい。全くもって割に合わない仕事だ。


「とは言え、せっかく泣きながらカイリが持ってきた情報だしな。いっちょお兄さんが頑張ってみますか、珍しく」


 ホテルでの顛末てんまつもそうだが、カイリはレインから見てもよく頑張った方だろう。

 子供の魂を助け、真相に近付き、様々な情報をもたらした。心の中できつく閉じていた傷も開いて、己をさらけ出すことも出来たのだ。上々である。

 レインからすれば嘲笑いたくなるほど愚かな不安ではあったが、同時に彼らしいとも思う。憎らしいほどにどこまでも真面目で、臆病で、真っ直ぐに優しい。レインには無い眩しさである。

 そんな風に考えてしまう自分が意外であり、だからこそどうしても影響を受けていることを自覚してしまう。


 カイリは本当に厄介な存在だ。


 離れたくもあり、それ以上に反発しながら傍で行く末を見守ってみたいとも思う。

 それは、同時に離れがたいと感じているからなのか。思い至ってしまってから、うんざりした溜息で消し去った。



「あー……。あいつ、どこまでオレの領域に入ってくんのかね」



 仕事の最中によそ事に気を取られるなんて心外だ。がしがしと頭を掻き、振り切って村の有様へと集中する。


「しっかし、……村も元気ねえな。やっぱ、領主の心ってのは、村に反映されんのかね」


 レインの記憶が正しければ、このネット村は素朴ながらも活気に溢れた村だった。領主一家が自ら農作に精を出すという規格外の人物達で、民との距離もかなり近い。フランクなやり取りが出来る、微笑ましい村だった。

 しかし、今の村にその闊達かったつさは見当たらない。むしろ、暗雲が立ち込め、太陽の光を全て遮ったかの様にどんよりと落ち込んでいた。


「……領主様、……最近お姿見かけねえな」

「無理もねえさ。春に奥方様を亡くしたあげく、今度は」

「馬鹿! ……それ以上言うなっ」

「だって、一ヶ月だぜ! ……誰か、……ああ。何で俺達、こっから出られねえんだよっ」


 すれ違う人々の悲鳴が、控えめに上がる。

 本当は叫びたくて堪らないのだろう。

 だが、どこで誰が聞いているか分からない。しきりに周囲を見渡す彼らは、隠し事には向いていないのが一目瞭然だ。



「確かにガルファン殿の姿もねえな。……娘ってどんな奴だったっけか」



 フランツの方が、彼と顔を合わせた数は多いだろう。何せ彼は貴族だ。貴族同士は七面倒なやり取りがごまんとある。レインには到底無理な世界だ。


「……気楽に暮らせる一人身が一番ってな」



〝――出て行けっ!! 顔も見たくない!〟



 そうだ。

 一人身が一番、気楽で良い。特にレインみたいないい加減な暮らしを謳歌したい人間にとっては、その方が後腐れも無い。他者とは程よく距離を取り、適当に付き合うのが最も楽な生き方だ。

 だから。



〝いつか、もし。みんなが不本意だったとしても。結果、……俺を守って、死ぬ、のは。……嫌なんです……っ〟



 ――あいつの生き方は、何より苦しい。



〝―――っ! 何でだよ! おい!〟


〝お前が! ……俺は! お前だから……!〟



「……あー。だりぃっ」



 遠い昔の声が脳裏によみがえる。

 どの時間軸の叫び声だか分かるのが忌々しい。光景が飛びまくってごちゃ混ぜになり、レインは息苦しさに襟元を開けた。


「ま、気合入れますか。まずは娘だな、娘。……顔分からないと話にならねえな。屋敷に入るか」


 フランツ曰く、ガルファンが娘を可愛がっていたというのならば、似顔絵か写真くらい飾られているだろう。貴族だから、写真代くらいは普通に出せそうだ。

 念のために聖歌語で姿消しを重ねがけし、軽やかに屋敷内に侵入することにする。鍵開けなどお手の物だ。周囲に人がいないこと、遠くに気配が無いことも確認し、堂々と真正面の玄関の鍵を開けて滑り込む。

 屋敷とはいっても、ガルファンはあまり贅沢を好まない様だ。必要な権威のために広さはそれなりにある様だが、それでも聖都に住む貴族達の屋敷の半分である。上も二階までしかないし、調度品もあまり置かれてはいない。


「……儲けは村のために還元ってのは本当みてえだな。まあ、こいつも大概くそ真面目な奴だぜ」


 しかし、そのおかげでこの村の暮らしは困窮している様には全く見えない。ざっと村は見て回ったが、畑も良好、リンゴやブドウの樹木も順調に見える。ここの果物を使ったワインは上等だ。レインの好物でもある。

 それでも、村人の顔ははっきりと沈んでいた。明らかに原因がこの屋敷にある。廊下で時折すれ違う使用人達の表情にも、怯えが走っていた。時折窓の外を気にし、まるで何かに監視されているかの様な素振りも見せている。


「……ま、確実にこれは、村全体が脅されてんな」


 少しでも怪しい素振りを見せたり、誰かに助けを求めに行けば、何かが危険に晒される。ここまで明確だと、いっそ清々しい。むしろ、ガルファンがカイリにメモを残したことに拍手を送ってやることにしよう。

 そして、カイリがきちんとメモの内容を覚えていたことにも。おかげで、様々な違和感が浮き彫りになった。


「二ヶ月前は、ラフィスエム家にフュリー村の領主権移転を断ったのに、一ヶ月前は断れなかった。……だとすると、結構やばいな」


 もし、娘が人質に取られていたとしたら、一ヶ月間も娘は監禁状態、それも極度の緊張状態に置かれているということになる。

 下種げすな話をすれば、娘の全てが無事とも言い切れない。もう、監視している者達の倫理観次第というわけだ。



「……なあ、あの噂って本当なのか?」

「――」



 不意に、通り過ぎようとした部屋の中から声が聞こえてきた。

 レインが細心の注意を払って扉を微かに開くと、声は明瞭になる。

 隙間から見えた人物は二人。一人は執事。一人はメイドだ。ひそひそと、小声で話している。


「しっ! 馬鹿、声が大きいわよ」

「ああ、ごめん。でもよ、……最近のガルファン様、見てられなくって」

「だからって、……奥方様がここにいないとか、そんなこと言わないでよ。幽霊が出たわけでもあるまいし」



 ――いない?



 単語がおかしい。

 ガルファンの妻は、春に亡くなったとフランツから聞いている。文字通り、もうこの世にはいないのだ。

 それなのに、何故改めて「いない」という単語が出てくるのか。

 眉根を寄せてレインが息を潜めていると、執事がちらっと辺りを気にしながらも続けた。


「だって、……ガルファン様が前に部屋で泣いてたんだよ。……奥方様の名前を呼びながら、奥方様が、いないって」

「い、いないって、でも。奥様は、もう……」

「ああ。奥方様は、春に亡くなった。埋葬されたのも俺達全員で見た。もういないんだ。でも、それでもガルファン様は……『彼女がいない』って。しきりにそんなこと繰り返してたから。恐くなって、その場は逃げたんだけど……」


 ――いない。


 ガルファンがそう繰り返したというのなら、信憑性が増す。

 しかも、使用人たちが奥方を埋葬したと言っているのならば、亡くなったのは事実と捉えるべきだ。



 ならば、何が「いない」のか。



 心に留めながら、レインはそっとその場を離れた。あまり長居すると、気配を悟られる可能性がある。

 その後、すれ違う使用人達の顔色や会話に気を配りながら、素早く二階の奥へと辿り着いた。扉の佇まいが他の部屋と一線を画している。厳格さを醸しているし、ここが主の部屋で間違いないだろう。

 誰も周囲にいないことを確認し、聞き耳を立てる。中から気配はしないが、一応の確認だ。

 何も音がしないことを認めてから、レインは扉を少しだけ開いて滑り込む。開ける音も閉める音も消し、部屋を見渡した。

 質素な内装だ。普通は絵画か陶器の一つくらい飾られていそうなものだが、そんな高級品も見当たらない。



 ただ、壁には、子供が描いたと思われる家族の写真が額縁に入れて飾られていた。



 男性と女性の間に、一人の少女が仲良く手をつないで並んでいた。屈託なく笑い、空も大地も華やかで、光り輝いている。

 下手くそな絵だ。カイリが持っていた絵の方がよほど上手かった。

 だが。



 とてもほのぼのとしており、そして幸せそうな絵だ。



 きっと、子供が正しく幸福を感じていたからだろう。

 カイリが持っていた絵と、そこだけは通じていた。みんなが笑い合っていて、幸せそうな空気を全体で伝えてくる。


「……良い絵だ」


 泣きたくなるほどに。カイリがいたら泣いていただろうなと、予想をしてしまう。

 絵から視線を外し、レインは執務机らしき小さな机を見やる。

 その上には、レインのお目当ての写真が飾られていた。絵と同じく、家族三人が笑顔で映っている写真だ。

 いかにもお転婆そうな娘だった。茶色の目は大きく、じっとしているのが苦手なのが見るだけで分かる。後ろで一つにまとめた髪は元気な印象を更に強め、父の手を焼かせていることだろう。

 その横にいた女性とよく似た顔立ちをしている。どちらも美人ではあるが、娘の方がより快活な笑顔だ。男性が一番穏やかで、彼女達に振り回されていそうな情けない笑顔である。



 だが、幸せそうだ。



 それが、この家族の全てだろう。


「……奥さんは、春のいつ死んだっけか」


 確か、まだ日はそんなに経っていなかったはずだ。カイリが来る少し前だった様な気がする。

 だとすると、三月か四月頭か。フランツも顔見知りで、葬儀にはきちんと参加していたはずだ。

 その時に、特に不審がっている素振りは無かった。彼はカイリ馬鹿ではあるが、団長となるに相応しい能力はある。ふざけた態度を取りはするが、洞察力も鋭い。

 最近のカイリに対する判断には、多分に私情や私怨が入りはしていたが、団長として間違ったことを言っていたわけではない。あくまで正論の一面はあった。



「……ま、親としてはまだまだ新米のひよっこだけどよ」



 初めて親になった上に、赤ん坊からではなくいきなり成人している相手が子供だ。それ故か、親としてカイリにどう接すれば良いかまだ戸惑っている節がある。その点はからかい甲斐があり、初々しい。

 むしろ、カイリの方が子供になりたいと歩み寄っているから、現在は少しずつ家族になれている気はした。これでカイリの方も子供として新米だったら、ぎこちなさ過ぎて逆に気まずかったかもしれない。

 あの二人はまだまだ危なっかしいが、ぶつかっているおかげで、少しずつ家族として打ち解けてきている。他の者も何も言わないが、はらはらしながらも微笑ましく見守っていた。

 それに、昨夜の癇癪かんしゃくを起こしたカイリへの対応は及第点ではある。フランツも未熟と開き直ったからか、一皮はけた様だ。


「……って、今はそんなこと考えている場合じゃねえか」


 親としてはひよっこでも、団長としてはそれなりに年季がある。彼がガルファンの葬儀で何かを見逃すとは考えにくい。

 念のために後で聞いてみるかと脳内に刻み、レインは机の引き出しを容赦なく開ける。当然、機密事項ならば見なかったことにするつもりだ。

 しかし。



「……わーお。分かりやすいぜ」



 それとも、誰かが――カイリから聞いた第十三位がここに来てくれると信じていたのか。

 そもそも、領主のガルファンは今どこにいるのだろうか。村だけではなく屋敷内にも気配は無い。屋敷内の人間の数も少ないし、いかにも探って下さいと言わんばかりだ。


「見張りは……大多数はガルファンのところって感じかね」


 ならば、好都合だ。ホテルでカイリと出会ったせいか。ガルファンは見事にカイリをダシに使って誘導してくれた。

 レインは引き出しに仕舞われていた紙束を懐に仕舞う。その文面に書かれていた内容と貼られていた写真には吐き気がした。



 縄で縛られ、髪を乱暴に掴まれた写真を見て、ガルファンは何を思っただろうか。



 父になったことがないレインでも胸糞が悪い。目が据わっていくのが、鏡を見なくても分かった。

 ガルファンが、死に物狂いでカイリにメモを託した真の意味に、レインは頭の芯が冷えて行くのを感じた。

 他にも一通りめぼしい書類が無いかを確かめ、鍵付きの引き出しも漁ったところで引き上げることにした。本当はカイリが言っていた、フュリー村やルーラ村の権利者移転書類が欲しかったが、見当たらない。金庫の類も無いので諦めることにした。長居をし過ぎると、逆にこちらが危うくなる。

 もう一度写真が貼られた紙束を衣服越しに押さえ、レインは前を睨み据える。


「――必ず」


 ガルファンの意思を受け取り、レインは素早く屋敷を出る。

 彼が場所を割り出せなくても、レインなら可能だ。手紙と一緒に入っていた写真は、見事に手掛かりを残してくれていた。

 レインは、貴族ではない。光の当たらない場所も知り尽くしているというもの。



 ――白い目で見られながら、をしていた甲斐があるってもんだ。



「……独断になるが、一足先にやっちまうかね」



 フランツなら、よくやったと言ってくれるだろう。

 それに、保護先は、普段生意気な人間の父親に押し付ければ良い。あそこならば、カイリの名前を出せば渋々でも引き受けてくれるだろう。――カイリなら、きっと同じ行動をするだろうと、分かっているはずだ。



「さあて。……本格的にお灸を据える準備をしようかね」



 村人から話を聞いてみたかったが、監視の目が何処にあるか分からない以上、危険だ。姿を隠したまま話しかければ絶対に挙動不審に陥るし、声もでかくなるだろう。却下だ。

 それに。



「……可愛い後輩に手を出したことも、後悔させて差し上げないと。なあ? 団長」



 愚かだが、眩しいほどに真っ直ぐなあの目を思い出しながら、レインは大急ぎで監禁場所へと向かったのだった。


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