第294話


「やっほー、カイリ! 来たよー!」

「ああ。いらっしゃい、ケント。……って」


 夕食が済み、みんなで一息吐いていたところでケントが訪ねてきた。

 もう出迎えでお馴染みになったエディが連れてきたので、カイリも笑顔で迎えたのだが、もう一人別の人物も姿を現す。



「やあ、カイリ君。もう体は大丈夫かな?」

「く、クリスさん!」



 にこにこと、ケントと同じ造形をした顔で朗らかに手を上げて来るのは、クリスだった。のほほんとごく自然に紛れ込んでくるあたり、きっと別の緊迫した場面であったとしても同じ様に滑り込むのだろう。容易に想像が付いた。


「クリス殿。まさか、貴方まで来て下さるとは」

「今回は、隣国の件も関わってきたからねえ。……ガルファン殿の娘殿も預かっていることだし、もう他人事じゃないでしょ?」


 ねえ、とにこやかにウィンクするクリスは、妙に様になっている。言外に「共犯者だろう?」と語り掛けてきているあたり、確信犯だ。レインが「あー」と明後日の方向を向いて口元を引く付かせている。

 もしかして、レインが厄介ごとを持ち込むところまでクリスの計算の内だったのだろうか。ありえないとは思うが、不可能ではなさそうだと思ってしまうあたり、クリスの有能さがよく分かる。


「ふふーん。カイリ、顔色良いね! 昨日の今日だから気になってたけど、良かった!」


 相変わらずの笑顔で突撃してくるケントを、カイリは今日はけずに受け入れる。どーん、と遠慮なく体当たりをされて苦しくなったが、今はこの重みが逆にありがたい。


「……カイリ、今日は素直だね? いっつも僕の愛の抱擁を大体は避けるのに」

「ああ。……えっと、……」


 少し照れ臭くなったが、ケントにも話しておきたい。

 あの植木鉢の事件の時、彼は少し怒っていたからだ。


「あのな。……昨日、助けてくれた時のことなんだけど。……ごめん」

「え?」

「あの時ケント、少し怒ってただろ? 馬鹿にするなって」

「ああ、……」


 合点がいったのか、ケントもテンションを抑えてくる。大事な話をしたい時、彼は話しやすい様に空気を作り出してくれるのだと改めて知った。


「俺、あの時、お前まで巻き込まれるのが怖くて、咄嗟とっさに離れようとした。……自分を守って誰かが死ぬかもしれないのが、恐くて」

「……」

「前世の時も、村の時も、……目の前で俺を守って大切な人が亡くなったから。万が一お前が死んだらって怖くなって、……その」

「うん。知ってる」


 軽く相槌を打ってくるのは、緊張をほぐすためだろうか。

 カイリも、彼はそのことに気付いていると分かっていたからこそ、もう一度きちんと言葉にしたかった。ここで甘えたら、またカイリは恐怖から逃げる。



「でも、そのことで昨日シュリアにも言われたんだ。馬鹿にするなって」

「……え。シュリア殿が?」



 嫌そうに、声が二段ほど低まる。後ろでシュリアも空気が刺々しくなった気がした。

 何故そこで二人とも機嫌が悪くなるのかさっぱり理解不能だったが、取り敢えず最後まで話を続けることにする。


「俺のせいで誰かが死ぬとか何様だとか、世界の中心は俺なのかとか何とか。色々言われて」

「……何だ。そういう意味」

「え?」

「ううん! でも、カイリを中心に世界が回っているのは本当だから、シュリア殿の発言は間違いじゃないよ! 世界の中心はカイリ!」

「おい」

「はいはい。それで?」


 笑いながら先を促される。

 馬鹿にされているのだろうかと思ったが、見下ろしてくる薄茶色の瞳はとても柔らかい。


「……。それを聞いて、もしかしてお前もそう思って怒ったんじゃないかなって予想したんだけど……違うみたいだな」

「うん、違うよ! 僕の場合は、……そうだなあ」


 瞳を閉じて考え込む仕草は、どこまでも優しい。

 レミリアの言う通り、ケントはカイリに甘いのではないかと少し心配になる様なむず痒い様な、複雑な気分だ。


「あの時はね。単純にカイリの方が弱いのに、離れて、より危険になるのは馬鹿なの? って思ったのと」

「ぐっ!」

「あとは、……こういう時こそ頼って欲しいのに、さみしいなあって思ったからだよ。怒ったっていうよりは、頼られない自分が不甲斐ないって。……前世の時よりも強くなったのは、大切な人を守るためなんだから」

「――」


 目を微かに伏せて語る口調は、とても物静かだった。いつものはしゃぐ様な物言いではないからこそ、彼の真剣さが空気を伝って強く響く。

 彼も、フランツと同じことを言う。頼ってもらえないのは淋しいと。カイリだって、常々同じ歯がゆさを抱いているのに、思い至らなかった。

 えて『前世』という単語を用いたのは、きっとカイリを庇って死んだ時のことを指しているのだろう。カイリのトラウマの発端は、間違いなくあの事件だと彼も理解している。


「僕が抱き着くのを避けなかったのは、そのことを伝えるため?」

「それだけじゃない。その、……」


 触れて生きていると実感し、安心したかったのも一つだが、口が裂けても言えない。どれだけ子供なのかと情けなくなるからだ。

 故に、もう一つの目的を白状する。


「俺、ちゃんとそういった不安や恐怖を乗り越えたいんだ。そのためには、大切な人達と一緒じゃないと駄目だって分かったから。ケントにも、頼みたくて」

「え?」

「……俺、これからもまた、あの時みたいに弱ったり、弱音を吐いたりするかもしれない。それでも、……踏み止まるから。一緒に、トラウマを乗り越えるのを手伝ってくれないか?」

「――」


 彼の瞳を真っ直ぐ見つめて頼み込むと、彼は心底驚いた様に目を丸くした。思いも寄らなかったと言わんばかりの反応に、カイリは呆れられたかと肩身が狭くなる。


「その、……早くお前に並ぶくらい強くなるとか、追い付くとか言っておいた矢先に、こういうこと言うと呆れるかもしれないけど」

「……呆れないよ」

「え」


 否定するが早いが、ケントがもう一度カイリに抱き着いてくる。今度はきついくらい強く抱き締めてきて、カイリの息が詰まりそうになった。

 だが、文句が口から出てこない。何故だか、彼が泣いている気配がしたからだ。

 ぎゅうっと更に抱き締めながら、彼はカイリの肩に顔を埋める。



「……僕も。一緒で良いの?」

「……お前が一緒じゃないと嫌だよ」



 静かな声なのに、間近だからかはっきりと震えているのが分かる。

 何故、そんなに弱気なのだろうか。彼は時々カイリには理解出来ないタイミングで弱くなる。

 けれど、カイリは間違いなく彼と共に歩いて行きたいと願っていた。それは最初からずっと変わらない。同じ時間を共に刻める様にと、密かに彼に贈った時計にも願掛けをした。

 どう元気づけようかと迷った矢先。


「……そっかあ」


 ケントが、緩んだ様に微笑んだのが伝わってきた。

 そのまま顔を上げて、ぱっとひまわりの様に笑顔が咲く。


「もちろん! カイリのお願いなら、何だって聞いちゃうよ!」

「……いや、何でもは駄目だろ」

「良いの! それに、僕は一人で強くなれなんて言ってないし。……誰と一緒でも良いから、強くなって欲しいよ」


 最後はささやく様に微笑まれた。

 だが、またも泣きそうな顔になったので、カイリは手を伸ばしてぐしゃっと彼の髪を掻き混ぜる。


「じゃあ、一緒に強くなって欲しい」

「……うん」

「俺も大切な人を守るために強くなりたいから。……頼むな」

「うん」


 はにかみながら、噛み締める様にケントは頷く。カイリが思っている以上に喜んでいるその姿は、やはり不思議でならない。

 だが、彼が嬉しそうに笑っているなら良いかと力を抜く。何だかんだで、カイリも彼に甘いのかもしれない。


「……カイリがそう言うなら、僕も、――」

「え?」

「ふふん。……僕が、何が何でもカイリの不安を払拭しなきゃね!」


 弾ける様な決意表明に、カイリももう聞き返さずに笑って頷く。

 彼が心の内を話したくなるまで、カイリは待つ。彼の中で、何かしらの動きがあったのは見抜けたが、まだ触れられる領域でないのも痛感した。


 ケントに、弱音を吐いてもらえる人間になる。


 彼の隣に並び立つと誓ったからには、やり遂げる。密かに決意し直して、カイリは彼の腕から抜け出した。


「むー。もうカイリの優しさは終わり?」

「当たり前だろ。そろそろ話もしなきゃだし」

「あーあ。そうだった。……面倒くさいなあ」

「ケント?」

「はい! すみません! ちゃんと仕事します!」


 びしっと敬礼して、ケントが着席する。ちゃっかりカイリの隣を陣取るあたりは、通常運転である。

 フランツ達も既に見慣れた光景だからなのか、特にもう驚いたりはしない。ケントに良くも悪くも慣れてきたなと複雑になるが、喜ばしい。

 クリスが授業参観よろしくにこにこして見守っているのが気恥ずかしかったが、すぐに吹き飛ぶ。

 全員着席したところで、ケントの纏う空気ががらりと変わったからだ。



「さて。土曜日のラフィスエム家についてどうするのかを聞きにきました。……色々と情報は入ってきていますが、どの様に対処するおつもりですか?」



 カイリに見せていた顔から一転、団長然とした表情でケントはフランツに切り込んできた。

 クリスはケントの隣に座って、黙している。一応部外者ということで静観するつもりらしい。

 フランツは一度深呼吸をし、緊張した面持ちを見え隠れさせながらも堂々と対峙した。



「まず、ケント殿が存じている通り、フュリー村とルーラ村の領主権はガルファン殿に移っていました。しかし、知らぬ存ぜぬを装い、我ら第十三位はラフィスエム家を家宅捜索することにします」

「――」



 きっぱりはっきり言い切ったフランツに、ケントは無言で応える。クリスは「おお」と楽しそうに笑うばかりだ。

 けれど、二人とも同じ雰囲気で探る様な視線を向けて来る。表情は違っても親子だな、とカイリは密かに感心した。


「家宅捜索とは……随分ずいぶん楽しそうなことを思い付きましたね」

「ガルファン殿を脅して領地経営の権利を無理矢理移したくらいです。もう真っ黒でしょう。秘密裏に行っていることですし、恐らく調査の承諾を下さいと言っても、知らんぷりをしながら承諾はやれん、とか何とか言ってくるはずです」

「……カマをかけるフリをして、ガルファン殿に権利が移っていると突き付けてやれば良いのでは?」

「それだと、相手が本当に脅された様な証拠を作っている、またはある場合に、ガルファン殿を追求すべきだと話の論点を絶対に逸らされるでしょう。ファルエラとの関係性もまだあやふやですし、相手が黒いまま逃げられるというのはご免です」


 フランツの主張に、ケントもあっさり「そうですね」と引き下がった。真実を突き付けるだけでは無意味だと、当然分かっていた様な反応だ。

 そう。今回の件は本当に複雑で扱いが難しい。全体像はぼんやり見えてきているのに、肝心な証拠が何一つ押さえられていないのだ。

 点と点はちらほら見え隠れしているのに、線として繋がらない。時間が無いことがこれだけ苦しいものだと、実際に体験して深々と思い知らされた。


「ですが、堂々と捜索するにも証拠不十分で許可が取れない。なので、俺とカイリが囮となって時間稼ぎをしている間に、他の者が姿を消したまま家探しをすることにしました」

「へえ。囮ですか。カイリとフランツ殿で? そういえば、カイリの発案なんだっけ」

「ああ。……これは、色々分かる前に考えていたことなんだけど……俺、ラフィスエム家に煙たがれているだろ? だから、普通に頼んでも俺のせいで了承をもらえないかもしれないから、永久相続放棄と永久血縁断絶の書類と引き換えに、調査を承諾してもらおうって提案していたんだ」

「え、……」


 カイリの説明に、ケントが何かを言いかけて口をつぐむ。

 すぐに反対の言葉を示さないのは、彼が正しく上に立つ者だからだ。カイリの提案について、効果は抜群だと判断出来るはずだから。

 クリスが少し驚いた様に目を丸くしているのが気になったが、カイリは苦笑しながら続ける。


「でも、それはフランツさん達に却下されたんだ。……だから、その書類二つを見せびらかしつつ、のらりくらりと交渉を引き延ばして時間稼ぎをする。その間にレインさん達に証拠を探してもらおうと思って」

「……。方法は分かったけど、……もし時間内に見つからなかったらどうするの? 書類が完成しちゃうよね?」

「うん。だから、……フランツさん達で偽造書類を作って、更にあらゆる手を使って小細工して、総務に提出しても無効にしてもらう様にする予定だ。明日、総務に書類は取りに行くよ」

「……………………」


 腕を組んでケントが考え込んでしまう。かなり乱暴な方法だし、頷きにくいのかもしれない。家宅捜索だって許可が無いまま行うし、万が一見つかったら言い訳が立たない上に、全てが水の泡に帰すだろう。救いなのが、第十三位に責任を全ておっ被せられる様にしているということだけだ。

 だが、ガルファンの家をレインに捜索してもらっても、ラフィスエム家から脅されたという証拠が出てこなかった。娘を誘拐したのも貧民街の者で、ファルエラの者ではなかった。そこはクリスがいるから、後で尋ねてみなければならない。

 とにかく、何としてでも証拠が欲しいのだ。ガルファンも関与してきて事態がややこしくなってきたが、やることは変わらない。

 フュリー村に張られている結界も解除するし、ラフィスエム家やファルエラの企みも暴く。それが全てだ。


「明日は、ルーラ村にも行こうと思ってる。……遺品も、渡したいし」

「……うん」

「その前に、クリスさんの屋敷に寄らせてもらおうと思っています。……いつも、色々ご迷惑をおかけしてすみません」

「良いよ! だってカイリ君の頼みだもん! お茶とお菓子を用意して待ってるからね!」

「いや、オレの頼み……まあ良いけどよ」


 クリスが拳を握ってにこにこ請け負う姿に、レインが呆れ気味に頬杖を突く。彼はやはり正しくケントの父親だなと微笑ましくなった。


「それから、レインさんは、ガルファン殿の妻の墓をエディやリオーネと一緒に見に行く予定だよ」

「墓? ……」

「そう。……レインさんがこっそり調べに行ったところ、ガルファン殿の屋敷に仕える人達が、ガルファン殿が奥さんについて『いない』っていう言い方をしきりにしていたらしくて。ちょっと変だろ?」

「あー、胸騒ぎがするから、オレが見て来るわ。罰当たりな方法になるが、それについても分かったら連絡する」

「……分かりました。是非お願いします」


 ケントがあごに手をかけ、思案しながら目を伏せる。微かに細められた目つきは、どことなく冷たい光を放っていた。

 今の会話で、何か思い当たるものがあったのだろうか。カイリには見抜くことが出来ないので、取り敢えず話を続ける。


「それで、シュリアは明日の夜に、フュリー村を見張っている間者を捕縛して、そのままそこに待機してもらおうと思う。それで、土曜日に報告をもらいに来る人間が接触してきたら、そちらも捕縛しようって話になった。こっちはどういう結果になるかは本当に分からないけど」

「……、うん」

「土曜日は家宅捜索。調査許可を取れる、もしくは証拠を見つけて突き付けられれば、そのままフュリー村へ行って結界を解除しに行こうと思っているんだけど。……どうかな」

「……。うん。……うーん……」


 ケントが難しい顔で唸り始めた。あまり良い顔をしないということは、やはり行き当たりばったりであることを危惧きぐしているのだろうか。正直、確証を得られた行動ではないので、不安要素は十二分にあるだろう。

 はあっと響く大きな溜息は、どこか疲れた様な重さがあった。何とも言えないケントの横顔に、カイリも居た堪れなくなる。



「……。取り敢えず、第一位団長である僕を前に、謹慎中の貴方達が堂々と調査に行きましたって報告するのは不問に付すとして。思った以上に力技で行こうとしている、っていうのは分かりましたよ」



 怒るというよりは、呆れた様な苦笑いだ。

 フランツも堂々と胸を張りながらも、心なしか目が泳いでいる。カイリも、行き当たりばったりなことは否めないので反論も出来ない。


「……まあ、それも仕方がないのかもしれないですけど」


 一瞬ケントがカイリに視線を移したが、すぐにフランツに戻す。微かに違和感を覚えたが、ケントが話を続けたので霧散してしまった。


「まったく。家宅捜索が失敗した時のことを考えていないのもよく分かりましたよ」

「……。面目ない。正直、ガルファン殿がラフィスエム家に脅され、村の領主権が移ったという証拠を押さえてから動きたかったのですが、結局何も掴めませんでした。……本来、領主権は教皇ないし枢機卿に許可を得てから移るはずなのに、どうやって移したのかも突き止められていません」

「そうですね。結構巧妙だと思いますよ」

「はい。故にラフィスエム家も調べたかったのですが……。あそこは普通に忍び込むだけなら、少し厳しいので。カイリに囮になってもらおうという話になりました」

「まあ、カイリが餌をぶら下げてやってきたら、相手のガードも少しは崩れるかもしれませんね。……それでも、馬鹿息子二人はともかく、当主のネイサン殿は警戒心は強いですよ? どうするんです」

「そこは、カイリが素晴らしく可愛らしい馬鹿ぼんぼんとやらを演じ、色々と惑わせる予定です」

「……は?」


 何故か自慢気に、しかも口元だけでなく表情を最大限に緩ませて誇るフランツに、ケントが恐ろし気に身を引いた。カイリは両手を顔で覆って、テーブルに突っ伏す。レインが思い出したのか、ひーひー笑って腹を抱えたのは本気で殴りたい。


「えーと……カイリ? すっごく聞きたいんだけど。馬鹿ぼんぼんって?」

「……。……ああ。その。……俺が、ものっすごい馬鹿っぽく、アホっぽく、のんびりのらりくらりと喋ったり動いたりしながら、扉を開けさせておきまくるとか、その、……予想外の行動をな?」

「うん。やってみて?」

「……」

「やってみて? 僕に」


 にっこにこととても良い笑顔で催促してくるケントに、カイリは物凄い満面の笑みで対抗した。絶対嫌だ、と全力で無言で笑顔で叫んだが、ケントは当然引き下がらない。それどころか、素晴らしく子供らしい笑顔の背後から、後光が差した様な眩さで圧をかけてくる。

 しばし、笑顔の応酬を続けたが、当然の如くカイリがケントの良い笑顔に勝てるはずもなく。



「…………………………。……、……なーなー、ケントー! 聞いてくれなーい? 俺ってな? 実は、すーっごい大金持ちのおぼっちゃまだったんだってー! しかもー、聞いて驚けー! あの、有名な、ラフィスエム家の血を引いてるんだってー! もう俺、将来が約束されちゃったかーんじー? 良いだろー!」

「………………………………」



 恐ろしいほどの静まり返った沈黙の後。



「……っへー! そうなんだー! カイリってば、すっごーい! さいこーう! かわいいー! だいすきー!」



 がばあっとケントが大笑いしながら抱き着いてきた。カイリは自分で自分へのダメージで抵抗する気力もない。――ケントも同じテンションで答えてくれたはずなのに、いつもと変わらない気がするのは何故だろうか。

 フランツがしきりに「やはり可愛いな……」としみじみ呟いているのは、無かったことにした。やはりフランツは頭も目も腐っている様だ。


「あっはっは! カイリ、最高! ……うん。こんな可愛いカイリなら、みーんな騙されてくれるかもね? ……ぶっ!」

「あー、もう! 良いよ! 笑えよ! 俺だって似合わないって思ってるよ! ……とにかく! これだと、何て言うか……別の意味で腹立たしく思われるかもしれないだろ? ほら、……怒りは色々判断や思考を鈍らせるし」

「そうだね。正しいよ、それ。ネイサン殿よりも、あの馬鹿息子どもが怒り狂いそうだね」

「そうなのか……。いや、ネイサン殿にも効いてもらわないと困るんだけど」

「思考は鈍るんじゃない? 疑心暗鬼にはなると思うよ。……まあ、侵入は出来るんじゃないですか? 皆さん一応優秀な騎士ですし。……力技なことに変わりはないですけどね」


 呆れた様に投げやりに同意するケントに、フランツ達は少しだけむくれた空気になる。この第十三位も、随分ケントとのやり取りに慣れたな、とカイリは変なところで感心してしまった。


「でもさ。……カイリは聖歌騎士だし、ラフィスエム家の後継者には他に聖歌騎士がいない。当主としてはカイリが欲しいかもって思わなかったの?」

「……。考えはしたけど……難しいんじゃないかな。……人の権力や金銭への執着ってさ、強い人はとことん強いんだよ。……それこそ、俺達が普段生活しているだけじゃ想像が出来ないくらいにな」


 自分達は大丈夫。自分達は仲が良いから。


 そんな風に言っていた人達が、ある日突然降って湧いた金銭や権威を前に強欲の鬼となる。ちょっとした不公平を感じただけでも攻撃的になり、そこから火種は広がって骨肉の争いは起きるのだ。

 だからこそ、相続には入念な準備を前もってしておく必要がある。それは、貴族に限らず人類全般に言えることだ。

 今回の場合、当主がカイリに跡目を譲ったとしても、残された伯父二人が素直に従うはずがない。当主の言葉がいくら強くても、虎視眈々と隙を狙い、足を引っ張り、しぶとくカイリを引きずり倒そうとするだろう。決定的な証拠が無い限り、家から排除も出来ない。はなはだ面倒な仕組みだ。


「本当に当主が警戒心が強くて優秀なら、それくらい分かるはずだろ。……俺を当主にしよう、とは思わないんじゃないかな。家が崩壊する危険があるから」

「……まあ、そうだね。聖歌騎士は欲しくても、それで家が壊れたら意味無いし。当主は愚鈍ではないはずだよ」


 ケントの評価に、益々ラフィスエム家は厄介だと窺い知れた。少なくとも当主はケントにも警戒されるくらいの実力はあるらしい。


「ああ、そうそう。私からも少し口を挟ませてもらって良いかな?」

「クリス殿。……ええ。お願いします」

「さっきの永久血縁断絶の書類、細工するって言ってたけどね。やめておいた方が良いよ。ネイサン殿はそれなりに法にも精通しているからね。下手な小細工は通用しないし、バレる可能性も高いから」

「――」


 クリスのさらっとした釘刺しに、フランツ達が一寸息を呑む。

 そして、渋面になって突っ伏す空気を醸し出した。


「……しかし。それでは、万が一相手に書類が渡った場合、カイリの断絶が決定してしまいます」

「まあ、そこは……聞いたからには私が何とかしよう」

「え、……クリスさん。そんなことが可能なんですか?」

「ふっふっふ。まあね。任せなさい。……ああ、書類も私が取って来ようか。明日中に君達に渡すから」


 さらさらっと、とんでもないことを次々と決めていく彼に、カイリは開いた口が塞がらない。フランツ達も聞き流してしまいそうになって、慌てて止めに入った。



「ま、待って下さい、クリス殿。……書類もですか?」

「うん、そうだよ? 信用出来ない?」

「い、いえ。……この上なく頼もしいですが」

「じゃあ、任せておきなさい。……しかし、血縁断絶か。……親子だねえ」



 ぽつり、と吐息の様にささやかれたクリスの言葉を、カイリは聞き取れなかった。

 聞き返してみたが、クリスはにっこりと「とんでもないことを思い付くね」とかわすだけだ。相変わらず謎も多い。


「さて、ケント。どうするの? フランツ君達が考えた作戦でいく?」

「……」

「その前に、……クリス殿。レインが捕まえた貧民街の者達の件ですが」

「ああ、あれね。うん。駄目。期待はしないでいて欲しいかな」


 口調は柔らかかったが、ばっさりと容赦なく切り捨ててきた。クリスほどの人間が、貧民街の犯人から糸口を掴めていない。どれほど相手は用意周到なのかと、カイリは深く叩き落とされる。

 こうなると、本当に証拠が得られないままの強制家宅捜索だ。確率的にも厳しいかもしれないと、めげそうになってしまう。

 だが。



「……。……フランツ殿。行き当たりばったりではありますが、……ラフィスエム家の家宅捜索を許可します。責任は僕が取りましょう」

「――、え!」



 ケントの許可が下りた途端、フランツ達は思わずといった風に驚きの声を上げた。


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