第45話


 ケント信者を振り切って、カイリ達は何とか商店街へとやってきた。

 賑やかに行き交う人々の中に、華やかな雰囲気の店が並び、色彩が豊かに踊っている。

 何度足を運んでも、カイリには未だに別世界に思えてならなかった。村とは本当に何もかもが違う。


「……本当、大きい都市だよな」

「まあね! 世界の中でも一番栄えている国の都市なわけだから。全てを知り尽くすのは、それこそ一年以上かかると思うよ!」


 無邪気にとんでもない事実を暴露され、カイリは苦笑いするしかない。冗談には全く思えなかったからだ。


「はあ。でも、これから住むんだから、少しずつでも全体、把握していかなきゃな」

「うん! もっちろん! 案内するよ!」

「いや、自分でも探しながら歩かないと覚えないだろ」

「えー。だって、カイリとのせっかくのランデブーが!」

「は? 何だそれ」


 言い方が酷くて、カイリは思わず噴き出した。ケントがぷくーっと膨れていたが、最後には笑っていたので、自分でもおかしいと感じたのだろう。

 改めて周囲を見渡すと、女性がちらほらとケントの方を振り返っていた。頬を染めている人もいるあたり、ケントの顔の良さに目を奪われているのだろう。



 レインもかなりの美形だが、ケントもまた違う方面で顔が良い。



 やんちゃで活発な顔立ちをしているのに、笑顔は甘い。そのくせ、今みたいに子供の様に無邪気に笑ったりもするものだから、そのギャップが良いと、前世の頃もきゃーきゃー女性陣が騒いでいた。カイリにはすっかり日常の風景である。

 ただ、ケントは女性達に囲まれてもちっとも良い気になっていなかったし、彼女の影の「か」の字も見当たらなかった。その辺りだけは不思議である。


「そういえばさ。お前って、ここでは騎士って認識されてるんだよな?」

「うん? まあね、僕も一応第一位団長だし。戦にも駆り出されたことがあるし、みんなに知られてるよ!」

「戦……」


 ケントの口から何気なく出てきた単語に、カイリの心に陰が落ちる。

 やはり、この世界は表のきらびやかな雰囲気の裏に、血生臭い命の奪い合いが確かに存在しているのだ。

 カイリもまだ経験していないだけで、いつか戦というものに身を投じる日が来るのだろうか。


 ――もう、村の惨劇を体験しているから、今更かもだけど。


 カイリの存在が漏れて、村は血と火の海に呑まれてしまった。

 黒い感情が今でも渦巻いていないと言えば嘘になる。思い出しては、暗い渦にのみ込まれそうになったことも一度や二度ではない。

 けれど、両親が願ってくれたから。



〝だから。……今は無理でも、どうか、……笑って、幸せに生きてくれ。それが、父さんたちの最後の願いだ〟



 友人が、村のみんなが願ってくれたから。

 カイリは、決して飲み込まれない様にいましめる。彼らが望んでいない道には走りたくない。

 それに、やはり戦など無いに越したことはない。命が奪われて、カイリの様な人間を多く生み出す戦は嫌いだ。回避出来る道があるのならば、全力でそちらを目指したかった。



「まあ、今では世情も落ち着いているからね。戦は、しばらく起こらないと思うよ」

「っ」



 カイリの心情を見透かした様に、ケントが付け足してきた。

 思わず見上げると、ケントは苦笑いしながら首をこてんと傾げる。


「ごめんね。カイリはそういうの、慣れてないんだよね」

「……いや。ごめんな」

「ううん。僕は生まれた時からここにいるから。慣れちゃってるだけだし。……慣れなくても良いんだからね」


 後ろで両手を組んで、ケントが遠くに視線を飛ばす。

 彼も、命の奪い合いはあまり好きではないのだろうか。心情を推し量ることは出来ないが、慰められているということだけは理解出来た。


「……ありがとう。大丈夫だ」

「……そっか」

「でも、街中の人達って、ケントのことを盲信してるって感じはないよな。……教会の中の騎士達が特殊なのか?」

「んー……?」


 噛み締める様に、ケントがあごを人差し指で掻きながら上目遣いに宙を見る。んー、ともう一度長く声を出してから、うん、と咀嚼そしゃくした様に頷いた。


「多分ね、街中の人にとってはさ、教会騎士も聖歌騎士も同じ様なものなんだよ」

「同じ?」

「そ。ただ歌えるか歌えないかってだけでさ、教会の騎士に変わりはないし。教会より縛りが少ないから、僕に対しても普通なんだと思うよ」

「ああ、なるほど」


 民にとって軍人が全員同じ様に見えるのと同じだろうか。彼が上司、彼が部下と言われても、見た目的には区別があまり付かないし、誰であろうとかしこまる人は畏まってしまうだろう。

 それに、少し前のカイリなら、教会騎士だの聖歌騎士だの言われても、何がそこまで違うのかよく分からなかったかもしれない。今でも少なからずそうだ。街の人達にとっても同じなのだろう。


「なら、少し安心だな。変に声をかけられなくてすみそうだし」

「ふふ、うん! さ、そろそろ目的地、行くよ!」

「ああ。それで? 何処に……って、あ」

「あ」


 カイリは予定を聞こうとしたが、すぐ目の前に気を取られてしまった。ケントも同じだったのか、一緒に歩みを止める。

 横を走り抜けていった小さな男の子が、どたん、と派手に転んだのだ。痛そうだな、とカイリの身が少しすくむ。

 肩から掛けたお財布を見ると、どうやら一人で買い物に来たらしい。よほど痛かったのか起き上がれず、ふえっと泣きそうな声が届いた。周囲の人達も、声をかけるか駆け寄るか、少し迷っている様に見える。



〝ほら、カイリ〟



 不意に、幼い頃の情景がよみがえる。

 あの日、父がしゃがみ込んで笑ってくれたその姿に、カイリは胸をつかまれた様な気がした。


「……」

「カイリ?」


 そのまま男の子に向かってカイリは歩く。背後から不思議そうなケントの声が聞こえてきたが、構わずに男の子の前でしゃがみ込んだ。


「やあ。こんにちは」

「……っ、え?」


 声をかければ、今にも泣き出しそうだった男の子の顔が上がった。うるんだ瞳が痛みを訴えていたが、カイリはにっこり笑顔で応える。


「大丈夫。君なら立ち上がれるよ」

「……」

「俺がいるから。立ってみようか」


 手は差し出さない。あくまで見守るだけの姿勢を貫いた。

 男の子はぱちぱちと大きな目を瞬いていたが、やがて決心したのか、ぐっと唇を噛み締めて両手を地面に突く。

 そうして、ゆっくりと膝を立て、立ち上がる。拳を握り締めた姿はまだ痛々しかったが、それでも泣かずに堪えていた。


「うん! やったな。強いな、君は」

「……、うん! ぼく、おとこの子だから!」

「ああ、そうだな。ちょっと待ってて。……すみません!」


 近くで呼び込みをしていた店員に事情を話し、応急処置をお願いする。

 一部始終を見ていたらしい店員は、快く引き受けてくれた。そのまま店の中に入って行こうとする男の子が、くるんとこちらを振り向き。


「ありがとう、お兄ちゃん!」


 屈託のない笑顔を向けて、中へと入っていく。

 それを見届けて、カイリはケントの元へと戻ってきた。もう大丈夫だろうと、胸を撫で下ろす。


「ごめん、お待たせ」

「うん。……、……うん?」


 ケントが受け答えしながら、眉根を寄せる。心なしか、目がカイリを見ている様で遠くを見ている気がした。

 どうしたのだろうとカイリが疑問に思っていると。



「……あの」



 後ろから声をかけられた。

 何気なく振り向いて――カイリは見事に硬直する。



 振り返った先。そこにいたのは、全身黒ずくめの怪しい男女二人組だった。



 真っ黒な帽子に、真っ黒なサングラス、口元は真っ黒なタートルネックの首の長い部分ですっぽり覆い隠し、見るからに怪しさが大爆発している。はっきり言って、お近付きにはなりたくない。

 そんな男女二人組を見上げ、カイリは唖然あぜんと口を開きっぱなしにしてしまった。これが敵だったら、もう秒殺されている。不覚に過ぎる。

 ケントもどことなく呆然と見つめたまま、笑顔で小首を傾げた。


「……ねえ、カイリ。この人達、攻撃しても良いと思う?」

「え、っと」

「あ、ああ! ま、ままま待って下さい! 我々、怪しい者ではないんです!」



 充分怪し過ぎるわ。



 物凄く突っ込みたいのを根限りに我慢して、カイリは彼らの行動を見守る。

 二人は慌ててサングラスを半分だけずらし、口元もがぽっと外す様に服を落とした。

 そこから見える目元や口元は、とても優しい。確かに怪しい人物では無い様だ。格好さえ何とかしてくれれば。


「あの、あ、ありがとうございました」

「え?」

「さっき、転んだ子供の親なんです」

「……、ああっ」


 種明かしをされて、ようやくカイリは合点がいく。ケントも「へえ」と無感動に声を漏らした。

 肩からかけた財布。小さな子供。まるで犯罪者の様な変装をして子供を尾行する両親。

 何となく話が見えてきて、カイリは苦笑してしまった。なるほど、と頷く。


「もしかして、心配で?」

「は、はい。初めてのおつかいを頼んだんです」

「けれど、あの子、なかなかおっちょこちょいなので。心配で見に来てしまったのです。……本当に、もう。誰に似たのかしら?」

「え、ええ? 君にだろ?」

「あら。あなたじゃないの?」


 悪戯っぽく笑う女性に、男性が弱り切った顔で頭を掻く。なかなか微笑ましい夫婦の様だ。


「さっき、見守っていて下さってありがとうございました」

「あの子のあんなに強いところを見られて、母親としても嬉しかったです」

「い、いえ! 俺は、本当に見守っていただけなので。……おつかい、成功すると良いですね」

「……、はい!」


 カイリが笑いかけると、両親も照れくさそうに頷いた。

 何度もお礼と共に頭を下げながら、男女が去っていく。こそこそと物陰に潜んでいる姿は、本当に怪し過ぎる。注意しなかったことを今更ながらに後悔した。

 けれど。



 ――自分も、やったな。



 初めてのおつかい。

 カイリも村にいた時に、初めて母に頼まれてハチミツを村長の家からもらいに行ったことがあった。これが『おつかい』だと認識して、何となく照れくさくなったのも覚えている。

 両親が出かける前に「ハンカチは」「くついた?」「服は、裏返しではないな!」「目は開く?」「足は痛くないか!」「ああ、日射病が心配だわ」「怪しい奴がいたらすぐに逃げるんだぞ! 父さんが二度と日の当たらない場所に送ってやろう!」とだんだんヒートアップしていったので、逃げる様に出かけたのも懐かしい。

 ああ、そうだ。


 帰って来た時も、酷かった。


〝カイリ! お帰り! どうだった! 初めてのおつかいは!〟

〝おかえりなさい、カイリ! 大丈夫? 途中で転んだり、不審人物に会ったり、さらわれそうになったり、馬車に引かれそうになったりしなかった?〟

〝なぬっ!? そんなことが!? どこのどいつだ! こんな天使で可愛くて最高なカイリを攫……いたくなる気持ちはよく分かるがな! そんな不埒な輩は、俺がぼっこぼこのぎったぎたのべっきべきにした後に、縄で全身を縛り上げて湖に放り投げ――たら湖が汚れるからな! そこら辺の野盗が出る道に転がしてくれる!〟

〝うん、だいじょうぶ。村だから、ぜったい無い。母さん。ハチミツ、これであってる?〟

〝ああ、カイリ……! 何て賢いの……! 初めてなのに、こんなに正確にきっちりとおつかいをこなしてしまうなんて……!〟

〝ああ、流石はカイリ! 俺達の子供は天才だ! 最高の天使だ! ご褒美にむぎゅーっとしてやろう! むぎゅーっ!〟

〝母さんも! むぎゅーっ!〟

〝く、……くる、……し、……むぐっ〟


 怪しい人影よりも、両親の方が危険だと、何度思ったか分からない。カイリは事あるごとに窒息死しそうになっていた。

 だが、本当に懐かしい。

 あの時は、両親もあんな風に後ろからついてきていたりしたのだろうか。あの二人ならやりかねない。同じ村の中なのにと、笑ってしまう。

 それでも。


 ――嬉しかったな。


 おつかいを終えて、褒められること。笑顔で抱き締められること。カイリにはどれも新鮮で、ほんのり心が温かくなったのを覚えている。

 あの子供も、帰ったらあの過保護な両親に笑顔で抱き締めてもらえるだろう。その時が楽しみだ。


「ねえ、カイリ」

「……ん? ああ、ごめんな、ケント。そろそろ行こうか」


 じれったくなったのか、ケントが声をかけてくる。

 つい懐古にふけってしまったと反省して振り返ると、だがケントは立ったまま不思議そうに首を傾げていた。

 何だろうとカイリも同じ様に首を傾げると。


「……あのさ、聞きたいんだけど」

「ん?」

「どうして立たせてあげなかったの? その方が楽なのに」

「ああ、……」


 立たせてあげなかったというのは、先程の子供のことだろう。

 不思議そうに聞いてくるケントに、カイリは苦笑した。

 全て父の受け売りなのだが、話すのは少し照れくさい。



「えっと、前に父さんが言ってたんだ。人生、歩いていればどこかで必ず転ぶ。そんな時、自力で立ち上がれる痛みなら、己の力で立ち上がるべきだ、って」



 人は、一人では生きてはいけない。



 一人で生きていけるという考えは傲慢ごうまんだ。普段口にしている食べ物一つ取っても、必ず誰かの手を介しているのだ、と。

 助けて、助けられて、そうして人は生きて行く。


「でも、助けられることに慣れ、それが当たり前になってしまったら、いざという時自分の力で立とうとしなくなる」


 助けてくれるのが当たり前。

 助けてくれなかったら、何故助けてくれないのかと憤慨ふんがいし、どんどん怠惰になり、傲慢になっていく。


「だから、何でもかんでもすぐ手を出してはいけないって。辛抱強く見守ることも大事なんだって。そう言ってたんだ」

「……さっき、彼の前で声をかけたのに?」

「どんな時でも、最終的には自分で立たなきゃならない。でも、それは孤独に生きろってことじゃないから」

「……」

「君には味方がいるよ。だから大丈夫だよ。一人ぼっちだって思い込まないで欲しい、気付いて欲しいって。そういう存在は必用だって。父さん、そう言ってたんだ」


 昔、転んで一人で立ち上がったカイリに、よくやったな、と号泣しながら頭を撫でてくれた父。りむいた膝はとても痛かったけれど、父がいると思っただけで痛みが和らいだ気がした。

 だから教えられた通りに実践してみたのだが、ケントは何故かおかしそうに笑っている。変だっただろうかとカイリが不安になると。


「甘いけど、甘くない、か。でも、……君のお父さんは、優しい人なんだね」

「……ああ、そうだな。俺も、そう思う」

「うん! ねえ、カイリ。お父さんのこと、大好きでしょ」


 にこにこしながら言い切られ、カイリの顔に熱が集中する。赤くなっていないことを祈るばかりだ。


「……、あ、ああ。父さんだけじゃなくて、母さんも、みんなも大好きだよ」

「そっか! じゃあ、僕と同じだね!」

「そうなのか?」

「うん! 家族のためなら、僕は命をけたって惜しくはないよ」


 断言したその横顔には、強い決意が灯っていた。

 真っ直ぐだったが、何となく暗いものも感じて、カイリは即答出来なかった。一瞬の間を置いて口を開こうとすると、既にケントの中で話は終わった様だ。



「さ、行こうよ! 僕、お腹すいちゃったよ」

「……そうだな。先に食事をするのか?」

「うん! こっちこっち」



 ちょいちょいと手招きをして、ケントがある場所へと真っ直ぐ向かっていく。

 カイリもどこの店に入るのだろうとついて行き、少し道をれた場所に入って、わっと目を丸くした。


「……ここ、屋台か?」

「そう! 屋台街って別名が付くくらいでね! 屋台が並ぶエリアなんだよ!」


 ケントの紹介通り、開けたこの場所では屋台がずらりと鮮やかに並んでいた。

 フランクフルトに餅、焼き鳥におやきなど、ここだけ見ると日本に舞い戻った様な感覚に陥る。


「屋台は屋台でも、食事だけなのか?」

「そう! ここだけでも百種類はあるよ」

「ひゃ、ひゃくしゅるい?」


 とんでもない数を提示された。改めて屋台街を見渡せば、確かにそれくらいはありそうな勢いで屋台は奥まで連なっている。

 教会も宿舎も規格外な広さだったが、それはこの商店街の一角でも当てはまる様だ。本当に一年では把握しきれないかもしれない。


「僕のお勧めはね、まずはクレープだよ!」

「クレープ?」


 いきなり甘いものに行くのかと不思議に思ったが、目的地に着いた時点でカイリの予想こそが甘かった。

 目の前に並んでいるメニューには、がっつり肉が入ったものや、野菜やツナのヘルシーなもの、ソーセージやクリームチーズを使ったり、とにかくどっしりとした食事内容が多かった。

 てっきりデザートなのだと思い込んでいたカイリには新鮮で、少し目が輝く。


「お、いらっしゃい! ケント坊ちゃんじゃないですか!」


 クレープ屋の主人が、威勢よく声をかけてくる。「坊ちゃん」という言い方に親しみがこもっていて、カイリも自然と笑顔になった。

 ケントも心なしか顔が綻んでいる。そのまま、にぱっと嬉しそうに口を開いた。



「こんにちは! 今日はお友達を連れてきたよ!」

「……えっ!?」



 ケントが言い放った直後。

 思い切り驚愕され、次の瞬間辺りには奇妙なほどの静けさが走った。


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