第278話
「ようこそ、当ホテルグレワンへ。ケント様、カイリ様、レミリア様、感謝致しますぞ」
部屋に入った途端、ダンディなおじさま――もとい支配人にカイリ達は迎え入れられた。片手を胸に当ててウィンクするあたり、なかなか気さくな性格の様だ。ケントも楽しそうに手を上げて笑っている。
スタッフに導かれて案内されたのは、ホテルの最上階――ではなく、その三つ下の階だった。
途中でケントの指示通り、聖歌で全員に刷り込んだ幻の姿を最上階へと向かわせている。聖歌で、「カイリ達三人は、スタッフの男性と常に行動を共にする」と刷り込ませたので、歌を聞いていた者達には、カイリ達がスタッフから離れても、変わらず自分達がいる様に見える。はずだ。
スタッフは、カイリ達に「この階で支配人はお待ちです」と告げて、最上階の本来の支配人の部屋へと向かっていった。
彼は一人芝居を上手くやってくれるだろう。何者かに追跡されていても、これで一旦は振り切れるはずだ。
幻がきちんと機能するかハラハラしたが、スタッフが「大丈夫の様です」と幻がいるだろう方角へ向かって頷いたので、上手くいったのだろう。そう信じるしかない。
カイリ達自身は、ケントが聖歌語で姿を隠してくれた。この中で、一番聖歌語の威力が高くて持続するのが彼だからだ。むしろカイリは歌ったのだから、少しは働いて欲しいという願望もあった。
そして、今に至るわけだが。
「初めまして、カイリ様。支配人のダーティと申します。ケント様からはいつも貴方の事を聞かされていたので、一度お会いしてみたかったのですよ!」
「え? 俺のこと、ですか?」
「ええ。四月頃からだったでしょうか。ご家族で来られるたびに、にっこにこと貴方のことを話されましてね。というより、ご家族全員が貴方のことを話されるので、興味が湧いたといいますか」
「えっ! ぜ、全員……!」
「しかも、先程は聖歌を歌われたとか。いやあ、私も聞いてみたかったですなあ。ケント様からは常々自慢をされているのですよ。カイリ様の歌は最高だと」
「えっ!? ……おい、ケント!」
「えー。だって本当のことだし。ねえ、支配人?」
「はっはっは。そうですな」
「……お前なっ」
肩を
そして。
「……悪い奴には、……こうだっ!」
「え、……いひゃいっ!」
完全に無防備だったケントの両頬を思い切り引っ張った。「いひゃいいひゃい!」と泣き言を言っていたが、無視をする。
支配人の言動やケントの砕けた口調を見るに、ここではそこまで人目を気にしなくて良い様だ。故に、先程引っ張り損ねた分まで、両頬を存分に引っ張り倒す。
「ひょっ、ハイリー! ひゃにひゅるのひゃ!」
「お前、さっき俺に何て言ったか覚えているか?」
「……、……へーと」
ついっと、ケントの視線が横に逃げた。みるみる血の気が引いていくということは、自覚はあるのだろう。
しかし、逃がしてはやらない。更に引っ張ると、ケントがばたばたと両手を高速で動かす。隣では、「ああ、快感……っ!」とレミリアが快楽に打ち震えていたが、気にしたら負けだ。
「童謡唱歌が、何だって?」
「うっ! ……うひょでひゅ! ごめんなひゃい!」
「反省してるか?」
「ひてまふ!」
「――よしっ」
ぱっと、ゴムから手を離す様にカイリは一歩引く。
ケントは己の両頬を手でさすりながら、涙目でカイリを見下ろしてきた。はっきり言って、迫力は無い。
「……酷いよ、カイリー」
「ん? 誰が酷いって?」
「……はい。僕です。ごめんなさい。……だんだん、カイリの意地が悪くなっていく……」
「それは、第十三位にいるからな。鍛えられるんだ」
「ぶー。カイリ、可愛くない」
「可愛く無くて結構。……別に、歌えないのは構わないけど。童謡唱歌を知らないとか言われたら……
「――」
カイリが素直に吐露すれば、ケントの顔が少しだけ改まった。申し訳なさそうに落ち込んでいく。
「……ごめん。もう言わない」
「そうしてくれ」
「うん。……いつか、一緒に歌いたいしね」
「……ああ」
ちゃんと、彼は約束を覚えてくれている。それだけで今は充分だ。
一通りやり取りを終えると、支配人――ダーティがにこにこしながら見守っていた。まるで親の様な眼差しだと、少しだけ屋台街の人達のことを思い出す。
「ケント様、なかなかユニークな友人が出来たのですな」
「ええ、もちろん! カイリは、僕の大切な親友だよ」
「それは良かった。……幼い頃からケント様を知っている身としましては、やはり感慨深いものがありますぞ」
ダーティが目を細めて
そういう居場所を知るたびに、カイリの心に笑顔が灯った。ケントが少しでも楽しそうに生きているのなら良かったと、どうしても思ってしまう。
「失礼します。――支配人、ケント様、最上階への誘導が終わりました。ガルファン様も、別の者にお部屋へとご案内しております」
ノックと共に中に入って来たのは、先程カイリ達の世話を焼いてくれていたスタッフだった。艶やかな黒髪をなびかせ、疲れなど感じさせないにこやかな対応は、完全にプロである。
「ご苦労だったね、キーファ。今は雑談をしていたところだよ。楽にして良い」
「では、お言葉に甘えて。……ケント様、これがガルファン様がいるお部屋の鍵になります。番号は鍵に」
「うん、ありがとう。助かったよ」
ケントの口調が彼に対してもフランクになる。支配人と一緒で、彼も長い付き合いなのだろうかと予想した。
そして、ガルファンの部屋の鍵を渡されたということは、やはりケントが先程手を回したらしい。会いに行くということを知り、気合を入れる。
「改めまして、私は副支配人のキーファと申します。カイリ様、レミリア様、本日はよろしくお願い致します」
「カイリです。こちらこそ、よろしくお願いします。キーファ殿」
「どうか、もっと気楽にお呼び下さい。ハリー様やリーチェ様と同じ呼び方をして頂ければ」
「おお! では、私も! ダーティと!」
「え、……あ、はい。じゃあ、キーファさん、ダーティさん。……よろしくお願いします」
「はい」
「もちろんですぞ!」
ふわっと花が開く様に柔らかく微笑むキーファと豪快に笑うダーティに、カイリもつられて頬を綻ばせる。
ハリーやリーチェと言えば、カイリ達第十三位が懇意にしている店の店長だ。その二人と仲が良いのかと推測が叶って、少し嬉しくなる。同時に横の繋がりもしっかり見えた。
「では、お言葉に甘えて。ダーティさん。キーファさん。第二位からの要請、受けて頂き感謝致します。早速仕事の話に移りたいのですが」
「かしこまりました。……キーファ」
「はい。……皆様、この地図を見て頂きたいのですが」
中央に配置されたテーブルに、ざっと、何枚もの紙面が広げられる。
紙に書かれていたのは、どうやらホテルの案内図の様だ。少し設計図に似ている。一フロアごとに一枚割かれており、実に二十三枚の案内図が用意されていた。
「へえ……地下は、三階まであるんですね」
「その通りです。会員制の娯楽室や、レストラン、美容院、クリーニング、温泉、つまりはエンターテイメントに溢れた設備となります」
「……前の知識だと、最上階に高級レストランとか、バーとかあるイメージだけど。このホテルは違うんですね」
「カイリ様の仰る通り、以前は高い位置にそういった娯楽施設があったのですが、教会の様にエレベーターというものがありませんからな。『階段を上るのが辛い』という苦情が出てしまい、一度全面的に改装されたのです。何しろ、ここは二十階までありますからなあ」
「それと、……地下だと何やら秘匿感とか特別感がある、と考えるお客様が改装当時には多かったのです。それで、倉庫やスタッフの休憩室だった地下が今ではおもてなしの場となっております」
「な、なるほ、ど?」
地下というと秘密組織とか、そんな雰囲気が味わえるということだろうか。カイリにはよく分からない感性だが、とにかくこのホテルは客のことを第一に考えているのだろう。
災害の種類によっては、地下の方が危険な場合があるけど、と考えていると、キーファが見越した様に説明を追加してきた。
「ちなみに、地下にはスタッフのみが知る逃げ道もございますので、そこからホテルよりも遠い外へと誘導する手筈となっております」
「最上階付近は、それこそ我らスタッフのみの仕事場や休憩所ですな。この階も同じですぞ」
二人の説明に、色々と虚を突かれる。どちらかというと、VIP客は最上階から見る景色が良いとか、そういう中途半端な知識がカイリにはあったので、かなり意外な構成だった。
けれど、確かにエレベーターがほとんど無いこの世界だと、上に行けば行くほど上るのが辛くなるだろう。
とはいえ、宿泊する客が上にいるならあまり意味は無いのではないかと邪推してしまうが、そこはやはり風格という見栄が必要になってくるのかもしれない。カイリには理解出来ないが、貴族達に舐められないためには、ある程度の威容も防衛手段の一つだ。
しかし。
「……レミリア。あのさ、これ、全部見て回るの?」
「はい」
事もなげに言い切るレミリアに、カイリは目と口が線になってしまった。途方もない労力だと、天井を仰ぎたくなる。
だが、直に確かめるのは大事なことだ。腹を括って、カイリは案内図を確認していくことにした。
「これ、全部頭の中に叩き込むのか? 機密事項だし、持ち出し厳禁だよね?」
「そうなります。お任せ下さい、それは私の役目です」
「レミリア殿は、記憶力がずば抜けて良いんだよ! だから、後で複写して渡してくれるから」
「複写? これ、全部?」
「ええ。第二位の中でも、ケント様の指示のもと、見る者を限ります。ご安心を」
淡々と平然と断言するレミリアに、カイリはほわっと変な声が出た。
この二十三枚もある設計図の全てを頭に叩き込むとは、かなりの記憶力の持ち主だ。彼女は凄いのだなと、感心してしまう。
「あと、皆様。先程、ガルファン様を案内したスタッフから、彼からの伝言を承りました。……カイリ様へ、とのことです」
「え? 俺ですか?」
カイリ達の視線がキーファに集中する。ガルファンからの言付けとは、あまり穏やかではなさそうだ。しかも、カイリを名指しにするのは少し変な気がする。
そして、キーファの顔色が微かに悪くなった。思い出したからなのか、慎重に口を開く。
「――ラフィスエム家には、もう漏れている、と」
「――――――――」
一瞬、カイリの頭が真っ白になった。
ケントやレミリアも、顔から表情が落ちる。鋭く探る様な視線に変遷し、カイリも背筋を冷えた手で撫でられた様に身震いした。
「……キーファ。それ、どういう意味?」
「申し訳ありません。スタッフも、ガルファン様と会話出来た時間が短かったということで、不自然にならない時間で切り上げるしかなかった様です。ただ、ひどく怯えた様子で、……けれどカイリ様のことをとても心配しておられた、と」
「俺を、ですか?」
「はい。ガルファン様には、具合が悪くなってお部屋でお休みになっているという
それは、先に会うか、ホテルの下見を優先するかという質問だ。
カイリはケントと顔を見合わせる。彼もかなり判断に悩んでいる様だ。即座に返事をしないあたりに、迷いが見られる。
「んー……。先に、この案内図をざっと見ちゃおう。ガルファン殿との会話がどれくらいかかるか分からないし」
「了解しました。では、拝見しましょう」
レミリアが、言うが早いが案内図に目を通し始める。ケントも真剣な目つきで眺め、カイリも一枚一枚慎重に見つめていく。
最上階から数階は、支配人とスタッフしか行けない様になっているらしく、階段の位置がそれまでと変わっている。どうやら扉で厳重に仕切られている様だ。
カイリ達がいるより下の数階は、VIPルームらしい。スタッフが常時待機していて、サービスが行き届いているという説明をしてもらった。
「へえ。四階から十七階までは客室なんですね。……三階が、結婚式場。二階が、……宴会用か」
「で、地下一階が温泉などのリラックスに特化した設備で、地下二階がビリヤードなどなどの遊び場。……地下三階がカジノなんだよね! 僕はあんまり興味ないけど」
「……ふむ。ダーティさん。賭け事は適度でしょうか」
「ええ。行き過ぎたお客様を制止するのは骨が折れますがね。……まあ、どうにもならなくなった場合は、最終手段、クリストファー様を召喚しますが」
「僕の父さん、便利屋扱いしないでよ!」
「ははは。だから、最終手段ですよ」
にこやかに
裏を返せば、このホテルは特定の家とは懇意にしないと
それを暗に明かしてもらえるのは、信を置いてくれているからか。初対面なのに良いのかと疑問に思うが、人を見る目はありそうな支配人なので心に秘めておく。
カイリは、彼らが会話をしている間にも、じっと案内図を眺める。じーっと、穴が開くほど、それこそこの紙全てを見透かしてやるという気概で見つめまくった。
それを五分ほど続けた後。
「……ぜんっぜん分からない……」
がっくりと、カイリは敗北感と共に項垂れた。テーブルに両手を突いて頭を垂れるカイリに、ぽんぽんとケントが軽く叩く。
「なになに? カイリってば、ここから怪しそうな場所を探してたの?」
「……そうだよ。何か、一見すると何でも無さそうな場所に仕掛けられているとか、物語とかでは聞くし」
「あー……まあ、確かにね。現実にも多々あるよ」
「でも、……経験も知識も何もない俺じゃ、この図面を見てもさっぱり分からないし。俺、役に立てることあるかな……」
客が宿泊する階は全て同じ造りになっているし、施設が中心の場所も疑問を抱く点が無い。大体ホテルを少し見て回った感じ、柱や階段、テーブルに椅子など、それこそ仕掛けられる場所など何処にでもあるだろう。素人のカイリでは、当然ちんぷんかんぷんである。
今回はケントやレミリアの仕事ぶりを観察して勉強するしかないと切り替え始めたところで、ケントが「大丈夫」と笑顔で請け負ってきた。
「あるよ。カイリが役に立つこと」
「え?」
「僕が元気になる! ……あ、ちょっと待って! カイリ! 何か拳が震えてるよ! 待って! 笑顔が恐い! 冗談! 冗談じゃないけど! 冗談だから!」
カイリがとてつもなく満面の笑みで拳を握り締めて凄むと、ケントが嬉しそうにしながら両手を広げて弁解し始めた。どうでも良いが、怒られて嬉しそうにするとは、やはりケントはマゾなのかもしれない。
「カイリ、このホテルに入った途端、何か感じてなかった?」
「え? ……ああ。あれな」
ぴっと人差し指を立てて示唆するケントに、カイリも頷く。
一瞬――いや、一階にいる間は絶えず足の裏をちくちくされている様な嫌な感覚が離れなかった。食事も美味しかったし、十二分に堪能していたのだが、ふと我に返る時に足元が気になって仕方が無かったのだ。
「何だか、……下の方から嫌な感じがしたんだ。絶えず、足元から小さく針先みたいなので攻撃されている様な……いや、侵入をしようとして俺の足元が拒んでいる様な? そんな感じかな」
「ああ、……なるほどね」
「あれは、何だか、……日曜日と同じ様な感じがする」
村、と言った方が話は早かったが、ダーティやキーファに任務の内容を漏らすわけにはいかない。
故に曜日を指定すれば、ケントは簡単に拾い上げてくれた。少し眉根を寄せて視線を下げる。
「あれかあ……。僕も、遅れて嫌な感じには気付いたけど、カイリの方が早かったし、強く感じてたみたいなんだよね。だから、そういう感覚的なものの察知で、カイリに一緒に見て回って欲しいかな」
「え……。でも俺、この前は鈍かったと思うんだけど」
「……。多分だけど、あれはカイリの魔除けの力が、特に強く働いたんだと思う。ほら、僕、かなり具合悪くなったでしょ? 動くのが苦しくなるほどの力だから、それに対抗するためにパイライトががっつり守ったんじゃないかな」
「……パイライトが」
「それに、カイリはちゃんと学習するからね。そういう嫌な感覚にきちんと反応する様に注意してるでしょ」
ケントにずばり的中され、カイリは頭が下がる。
確かに、村ではケントを危険な目に遭わせてしまったと反省し、以前よりは注意を払う様にはなった。
しかし、それだけで感知速度が変わるのか。あまり実感が無くて戸惑うしかない。
「あとは……今日のカイリは、日曜日の時みたいに魔除けの力が垂れ流されてるって感じじゃないからね。勝手に解除とかもしない分、それも今回の調査では助かると思うよ」
「え? 垂れ流し?」
一体何を言い始めたのだろうか。カイリは特に今、意識的に力を使ってなどいない。
そんなカイリの疑問符に気付いたのか、あー、とケントがこめかみを軽く押さえながら考え始める。
「えーとね。カイリ、拉致事件の後くらいからかな? はっきり分かったのは日曜日なんだけど、魔除けの力が結構垂れ流されてるなーって感じだったんだよね。そもそも聖歌の力も強くなってきていたみたいだし、急激に力が増すと、そうなる人が多いんだよねー」
「……何度も言う、その垂れ流されてるって何だ?」
「んー。ほら、血液って体内で循環されて完結してるでしょ? それと同じで、聖歌語を使う力とか、カイリみたいな魔除けの力とかっていうのは、普通は体内で血液みたいに循環する様になってるんだよ。体内から全身を膜で覆う、っていう言い方が近いかも」
「へえ……そうなのか」
「でも、カイリは力が最近急に強くなったからなのか、体内で収まる方法を知らないで外に漏れちゃってたんだよね。図書室の結界を知らない内に解除したのもその影響。これは父さんも言ってたけど、抑える訓練が必要なくらい」
ケントに説明されて、カイリは改めて己の内を顧みる。
周りには最近、カイリは聖歌の力が強くなったと言われているが、本人にしてみれば自覚が無い。何か変わったかと言われても、首を捻るくらいだ。
だからこそ、抑える術が難しいのかもしれない。昨日今日とリオーネと一緒に少しだけ聖歌を扱うための力の制御を訓練してみたが、いまいち要領が掴めなかった。
「でも、今はちゃんと抑えられてる。……カイリ、自分の内面に集中してみて。何か温かいものが体の中をゆーっくりと循環しているのが分からない?」
「え? ええっと、温かいもの?」
「そ! 目を閉じてみると良いよ。視界を真っ暗にして」
言うが早いが、ケントがカイリの両目を塞ぐ様に右手を乗せてくる。言われた通りに目を閉じれば、確かに視界は闇に満ちた。不安は微塵もなく、どこかホッとする様な温かさえ感じる。
「気配察知の練習してるんだっけ? 確か、石とか大木とか、そういったささやかな気を感じられるようになったんだよね?」
「あ、ああ」
「それと同じ! ……自分の中に意識を凝らして。光るものが見えるか、感じられない?」
石や大木の気配と例を挙げられ、ようやくカイリもぼんやりとだが合点がいった。力も気配と思って意識を内側に潜らせていくと、微かにだが何かが感じられる。
血の巡りとは違う。自分に溶け込む様な、けれど包み込む様な温かな感触が、己の全身の皮膚の真下を覆う様に巡っている様な気がした。
「……。確信は無いけど、多分、っていうのは感じた」
「うん! よし! 意識出来たなら進歩だよ! その感覚、忘れないでね。いつまでこの状態が続くか分からないし。意識しなくても保てる様にしないとね」
「ああ、……」
満足気に頷くケントを尻目に、何故、とカイリは思う。
意識して出来たものではない。それなのに、今はつい最近までと違って力を制御出来ている。
「……ケント。今日の俺は、制御出来てたのか?」
「うん? そうだね。昨日はまだ駄目だったし。……そうだなー。アーティファクトに会いに行ったくらいからかな?」
「アーティファクトに?」
一体何かしただろうかと思いかけて、はっと強く閃く。
――パイライトっ!
あの時、アーティファクトは去り際にパイライトを舐め上げていた。
後はいつも通りぐりぐりと頭を擦り付けてきたりと、変わった様子は無かったから、きっとあの行為に違いない。
慌ててパイライトを見下ろしてみるが、変わらずに静かな光を放って鎮座しているだけだ。
アーティファクトはただの馬ではないが、パイライトもただの石ではない。何か呼応するものでもあったのだろうか。
もし考えていることが事実なら、どれだけ多くの存在に助けられているのだろう。力を得るための助言や助力を受けて、感謝してもしきれない。今度、アーティファクトに好物を持って行こうと心に決めた。
「ま、ともあれ! ホテルに仕掛けられた何かも、今はカイリを侵すほどの威力じゃないから、カイリ自身の魔除けの力で対処しているって感じじゃないかな。だから、そういう地味ないやーな感じが付き纏っているんだと思うよ」
「そうか……。でも、それって物理的なものには反応出来ないってことだよな?」
「そこは僕達がいるから!」
「ええ。カイリは安心して黙々と神経だけを張り巡らせて下さい。倒れたらケント様が抱き抱えてくれます。むしろそうさせて下さい。私が癒されます」
「いや。謹んで遠慮する」
「えー。抱き抱えるのに!」
「俺、情けなさすぎだろ……」
レミリアのとんでもない提案やケントの抗議に、呆れて物も言えない。むしろ、そんな事態に陥ったら悶死する。
「さて! やることは決まったね。まずはガルファン殿のところに話を聞きに行く。それから、……うーん。先に地下から行こうか? カイリが
「そうですね。……一番下のカジノから行きましょう。今も営業時間中ですか?」
「いいえ。ここの営業は、夜七時から朝方の四時までとさせて頂いております。朝からカジノへの入り浸りは品格を落としますし、朝もぎりぎり四時までとして、睡眠時間を最低でも三時間以上は取ってもらう様にとお帰り願っております」
「へえ……じゃあ、今は無人なんですね」
「ああ、いや。スタッフは準備や掃除があるのでいますが、……確かめてみる必要はあるかもしれませんな。しかし、立ち会いが必要でもあるので……何とか取り繕って、私もカジノへ足を向けておきましょう」
顎をしきりに撫でて、ダーティが眉根を寄せる。どことなく不安そうに見えるのは、何故だろうか。
ケントも不審に思ったのだろう。さっくりとぶつける。
「支配人。何かあるの?」
「う、うーむ。……そういえば最近、地下の方でトラブルが起こる回数が増えておりまして」
「ふーん? トラブル?」
「ええ。一ヶ月ほど前からでしょうか。お客様がよくお怒りになられて……」
だが、内容的にはかなり他愛のないことだと言う。おまけに、普段は温厚な人までキレるそうで、ダーティも首を捻るばかりだとか。
益々きな臭くなったが、ここで押し問答をしていても始まらない。
故に、すぐに動くことにした。時間も有限だし、本当に全ての階を回るのならば気合を入れなければならない。
「まあ、道すがら色々聞くよ。支配人はカジノね。キーファは姿を消した僕達と一緒に、各階の見回りの
「そうですね。私がここに来た時間から逆算して、……三十分といったところでしょう」
「体調を崩して一時的にっていう形にしてあるから、あんまり会話にも時間はかけられないかな。尾行してる奴がいるかも確認しないとね」
「ああ。……でも、キーファさんが入るって怪しまれないか? 俺達も、姿隠して移動するんだよな?」
「そこは、ガルファン殿を案内したスタッフの出番だよ! キーファは副支配人だし、言い訳は何とでも! キーファ、出来るよね?」
「当然でございます」
「よし……じゃあ、早速行こうか」
「かしこまりました」
「いえ、お待ちを。……カイリ様」
腰を折ってキーファが先導し、カイリ達も続こうとしたところでダーティが声をかけてきた。しかも名指しをされたので、カイリは驚いて振り返る。
そこには、背筋を伸ばしたダーティが相好を崩して佇んでいた。カイリを見つめてくる瞳が、微かに潤んでいる気がする。何かあったのかと心配になった。
だが。
「……ケント様のこと、よろしくお願い致します」
「――」
頭を下げられて、カイリは一瞬戸惑った。ケントも隣で珍しく神妙な顔をしている。
だが、この雰囲気をカイリは知っている。
一度目は、屋台街の時。二度目は、ケントの屋敷で。
みんな、ケントのことを大切に思って頭を下げていた。癖があるし、冷たいところもあるが、どうか背中を叩いて一緒に歩いて欲しいと。
カイリは、彼らが頭を下げるほどのことをしているつもりはない。当然の様に話して、当然の様にど突き合っている。それだけだ。
けれど。
――きっと、それすらも難しかったんだよな。
貴族や教会の世界に少し触れるだけでも、息苦しい。
だからこそ、カイリにとってもケントの様な友人は貴重だ。言い合えて、叩き合って、笑い合って、共に歩ける存在が。
だから。
「……はい。俺の方こそ、よろしくお願いします」
カイリだって、ケントに助けてもらってばかりだ。
その意味をこめて頭を下げると、ダーティも、そして静かに見守っていたキーファも、嬉しそうに頬を緩ませた。
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