Banka20 俺の歌は、誰かのために

第265話


 図書室の黒い騒動があった翌日。

 カイリは、ゆったりと食堂で朝食を取っていた。本日はレインが食事当番のため、朝から豪華だ。ビーフストロガノフは、朝食のメニューでは無い気がする。

 だが、カイリには関係ない。このとろっとした酸味がたまらないのだ。結構本格的なもので、サワークリームの酸味とバターライスの香ばしさの調和が、カイリの口の中で楽しそうに踊った。


「ああ、美味しい……! 俺、本当に第十三位に入って良かったです」

「ははっ。お前、ほんっと美味そうに食うよな。てか、第十三位に入って良かった理由が食事って」

「食事は一日の基本ですよ。一日の始まりは食事から。これは、俺の両親も言っていた言葉です。食事を馬鹿にする奴は、人生の十割を損しているって」

「……それ、全部っすよね」

「カイリは流石、分かっているな。そうだ。体の資本も食事から。何を置いても食事から。食事が無い人生など、死んだ魚の様にただ死を待つだけだ」

「……全く食べなかったら死にますから。当然過ぎる結末ですわ」


 呆れた様に、シュリアがバターライスを食べながら突っ込む。「朝からこんなヘビーなものを……」とぶつくさ文句を垂れているが、食べる手はそれなりに早い。実は喜んでいるのではないかと疑ってしまう。

 しかし、ここの食事は本当に美味しい。毎回食事の色や味が変わるからだろうか。ふと郷愁に駆られて母の手料理が恋しくなることもあるが、衣食住に不自由しない暮らしは幸せだ。

 それに。



 ――みんな、変わらないな。



 昨夜、ケントやクリスが帰った後も、彼らのカイリへの態度は何ら変わらなかった。フランツと一緒にお風呂へ入り、寝る前にエディがホットミルクを淹れてくれて、最後はレインに茶化されながら眠りに就いた。

 今朝だって、楽しく食事をしている。まるで昨日の出来事など幻だと言わんばかりの平穏さだ。


 ――俺のこと、不気味だって思わないのかな。


 危険視したり、恐がったり、そんな人が一人くらい出てもおかしくないとカイリは思う。

 実際、カイリはフュリーシアに短時間でも乗っ取られたのだ。ケントを冷たく攻撃し、カイリを手に入れて高笑いしていた。

 クリスはカイリの魔除けの力は強いし、前世に呑まれなければ乗っ取られる心配はないと言っていたが、絶対かどうかは分からない。現に、次は無いと断言された。ある日突然入れ替わっていたらと、不安にならないのだろうか。遠ざけたいとは思わないのだろうか。

 そう。


〝カイリ君。もう、学校に来ないでよ〟


 ――あの時、みたいに。



「どうした、カイリ。手が止まっているぞ」

「――」



 つらつらと思案に沈んでいたら、フランツに心配そうに声をかけられてしまった。

 慌てて顔を上げると、全員の視線がカイリに集中している。どうしたんだと豪語する様な表情に、カイリは「あー」と誤魔化す様に適当に声を出した。


「えー、と。……俺、昨日話していても、結構記憶が飛んでいるんだなって。思っていたんです」

「ふむ……」


 カイリの苦し紛れの誤魔化しに、フランツは複雑そうに片眉を跳ね上げる。顔によく出る傾向にあるから、薄々は見抜かれているかもしれない。

 それでも、フランツはカイリの話に乗ってくれた。腕を組んで視線を少し下にずらす。


「クリス殿の話によると、カイリは転生時の記憶が最初から封印されていたそうだからな。それに繋がると危険な記憶も、まとめて忘れていたのではないか?」

「……そう、なんでしょうけど」

「不安か?」

「不安、というか……」


 このもやっとした不安定な気持ちをどう表現したものだろうか。誤魔化すための話題だったが、これも紛れもない悩みだ。

 例えば、カイリがケントを無視していた理由は、彼への嫉妬で酷いことを言いたくないからだと思い込んでいた。

 だが、彼によればそれは直近の話だという。本来は、ケントまで巻き込まれて孤立しない様に、わざと突き放していたのだと。


 言われてみれば、そうだったと納得してしまった。


 けれど、長い間そういう理由で彼を邪険にしていたのならば、流石に覚えていても良さそうだ。それなのに覚えていないのは不自然極まりない。

 つまりは、突き放していた理由まで転生時の記憶に関連しているということだ。そう考えると、転生時の一週間ほどの記憶は、かなり幅広い想い出に影響を及ぼしていることになる。


「俺が覚えていることは、本当に正しいのかなって。ケントから前世の話を少し聞いてからは、どうしても疑問も持ってしまって……」

「あー……。気持ちは分からなくもねえが、別に間違ってるってことは無いんじゃねえの? ま、人間誰しも記憶違いとかってのはあるけどよ。少なくとも、ケント殿はお前の記憶を否定はしなかったろ」

「……はい」

「あの腹黒がどこまで本当のこと話してるかは知らねえけど、例外的にお前のことは大好きみたいだからな。吐かなくて良い嘘までは吐かないだろうし、大きな記憶の齟齬そごは無いんじゃねえの」


 レインの確信的な発言に、カイリはどう答えて良いか迷う。何故か彼はケントと険悪でも、変な部分では通じ合っている様だ。少しだけ嫉妬する。

 しかし、腹黒だとか大好きだとか、なかなかはっきり言い切るものだ。腹黒はともかく、大好きという評価は大袈裟な気がした。

 ――が。


「うふふ。ケント様、傷になってでもカイリ様の心に残りたいとか。熱烈でしたね?」

「……、え?」

「あー、……そうっすねー。ある意味、すっごい告白だったっすね」


 リオーネが楽しそうに、エディが苦笑いしながら茶化してきた。

 そういえば昨夜、ケントはそんなことを言っていた気がする。カイリとしては、あまり違和感が無かったので流したのだが、他の者達にとってはそうでは無かった様だ。感覚がよく分からない。


「……いや。あれ、ケントの通常運転だから」

「……。……それで流せるあなたが変人ですわ」

「そうかな? 昔からあんな感じだったから。今更って感じなんだけど」

「……からかい甲斐ねえよな、お前。いや、ある意味大物だなー」


 シュリアとレインが呆れ交じりに半眼になる。カイリとしては不服だが、価値観は人それぞれだ。

 話が落ち着いて再び食事を再開する。やはり、ビーフストロガノフは美味だ。至福の瞬間である。

 それに。


 ――みんな、あったかいな。


 昨夜のことがあっても、態度一つ変えない。内心は不安に思っているかもしれないが、それでもカイリを気遣って普段通りに接してくれる。考え込んではしまったが、それが今の真実だと理解していた。



〝カイリ君。良い子だから、みんなと仲良くしましょうね〟



 あの時みたいな冷たさは、どこにもない。



 そんな彼らが仲間で良かった。彼らを心から仲間と信じる自分がいる。

 素直にそう思えることに、カイリは喜びで頬が緩む。



「そういえばよ、団長。少し前にパーリーから報告来てたんだろ。どうなんだ?」



 レインがココアを飲みながら、フランツに話を振る。

 パーリーことパリィは、今はファルエラにいるらしいのだが、報告ということは進展があったのだろうか。カイリも気になって耳をそばだてた。


「ああ。昨日届いたのは、ファルエラに行く前に頼んでおいた、ラフィスエム家の報告だ」

「……、え」


 ラフィスエム家とは、カイリの父の実家だ。

 そういえば、前にフランツが、カイリに何とかして家族と会わせてやりたいからとパリィに調査を頼んでいた気がする。まだ続けていたのは、今回あの家が依頼に関与していたからだろう。

 しかし、何となく前の報告の時のことを思い出して、カイリの心が自然と沈んでいく。あまり関わりたいと、自分で思っていないというのも拍車をかけていた。


「村の陳情を無視したというのは間違いない様だ。息子二人が実質治めていた、というのも本当の様だな」

「ふん。職務怠慢なのか、狙いがあるのか、はこれからの調査次第ってことですわね」

「ああ。パーリーには、すぐにファルエラに発ってもらう事情も出来てしまったからな。あまり深入りは出来なかった様だが、……それでも少し違和感を覚えたということだった」

「違和感かよ? 何だ?」

「分からん。……だが、はっきり分かった違和感といえば、やはり陳情の無視だな。この二ヶ月は本気で村を放置している様だ。狙いがあるとはいえ、そこまで放置するとなると、抜き打ち査察が入ったら怪しまれる。せめて取り繕う必要があるはずなのだが、その素振りも無いそうだ」

「……それって変っすよね。わざわざ疑ってくれって言っている様なもんじゃないっすか?」


 エディの疑問に、カイリも頷く。フランツも同意らしく、首を捻っていた。


「そうだな。確かにおかしい。だが、それを深く調べている暇は無かったから、すまないと添えられていた。……後は、やはりカイリのことを徹底的にいないものとして取り扱う様な感じだそうだ」


 最後の報告に、カイリは顔を背けてしまった。それを聞いて悲しいと思う前に、フランツが残念そうに口にする響きが、やけに胸に刺さる。

 しかし、レインは別の方角から苦い顔を見せた。


「それって、ちょっとまずくねえか。カイリがいる第十三位オレたちのことも煙たがるだろうし、調査の許可をもらいに行っても、門前払いされねえ?」

「ああ。……何か手を打たねばならんか。だが、……孫だぞ。せめて当主くらい」


 フランツのぼやきに、カイリは苦しさを紛らわせるためにレインの言葉を反芻する。

 カイリの存在が足を引っ張るかもしれない。それは確かに一大事だ。カイリのせいで依頼が進まないということになったら、申し訳なさで憤死する。



 ――何か手を考えなきゃ。



 別に、ラフィスエム家に受け入れられなくても良い。

 ただ、依頼の許可をもらうためには、カイリという存在自身を何とかしなければならない。

 相続争い。家督の問題。

 それは、カイリが最初から法律上家にいないということになれば、きっと――。


「……ああ。そういえば」


 もぐもぐと無表情でカイリがビーフストロガノフを食していると、フランツが疑問を口にしてきた。手紙の話題は終わったのか、それともカイリの気落ちに気を遣ったのかは、判断は出来ない。



「昨日、クリス殿がけんどーとか、きゅーどーとか、そういうことを言っていたが。カイリ、あれはどういう意味だ?」

「え? ……、あ」



 本気で話題が転換され、カイリは一瞬呆けてしまった。すぐに思い出して、ああ、と納得する。

 フランツの話は、クリスが精神鍛錬に良い武道の話をした時の内容だ。

 カイリは当然の様に頷いたが、考えてみれば、フランツ達はあまり前世の記憶を持っていない。当然知っていただろう物事も、大半は忘れていると言っていた。火葬の方法も忘却の彼方だったのだから、剣道や弓道を知らなくても不思議ではない。


「剣の道と書いて、剣道。弓の道と書いて、弓道。どちらも、武道のことです」

「武道、ですの。わたくし達の武術とは何が違うんですの?」

「えっと、……歴史の始まりはともかく、基本的に命の奪い合いは目的としていないんだ。剣道や弓道を通して心身を鍛え、礼節を学び、信義を重んじる……とか。そういった、人として大事なものを磨き、つちかっていくためのもの、……のはずだよね?」

「はい。私も同じ覚え方です。剣道は、竹刀というものを使います。カイリ様の木刀に似ていますね。弓道も、矢は竹のものを使います。弓道も人格を磨き、礼節を大切にしろと教えられてきました。私は弓道部でしたから、カイリ様にお教え出来ますよ?」

「へえ、そうなんだ。だから、弓が武器なんだな」

「やはり、使い慣れたものが一番ですから。……争いに使用しない、という理念に反しますが、それでも足手まといにはなりたくなかったので」

「……そっか」


 笑ってはいるが、リオーネの伏せた目は一瞬さみしそうな色を宿していた。

 この世界は、カイリ達が生きてきた日本と比べて遥かに物騒だ。日本の法律でいう殺人罪はこの世界にもあるが、身を守るためや戦の時は例外など、適用されない範囲もかなり広い。

 生きていくためには、前世での価値観をえて引っくり返さなければならない時もある。カイリはもちろんだが、恐らくリオーネもかなり苦しい決断をしたのだろう。


「でも、新人って普段は剣術やってるっすよね。弓道よりは、剣道の方が馴染みありそうですし、そっちの方が良いんじゃないっすか? ……リオーネさんと、二人っきりにさせたくないし」

「結局それなんだな……」

「あら。私はカイリ様と二人っきり、なりたいですけれど」

「しいいいいいんんんじいいいいいいいいんん! 表に、出ろおおおおおおっ!」

「嫌だよ。……けど、……」


 前に、レインに剣道を教えてもらう約束をしたし、出来るならカイリもそちらの方が良い。

 しかし、未だに教えてもらえる日は来ていない。彼の条件をいつまで経っても満たせていないからだろう。

 どうしようかと困り果てていると、レインが不意に立ち上がった。かたん、という小さな音が何となく心臓に悪い。

 カイリが見上げると、彼はコップを手にキッチンに向かうところだった。どうやら、水を汲むための行動だったらしい。敏感になり過ぎていると恥じる。

 だが。


「カイリ」

「え? はい」


 唐突に呼びかけられ、カイリは反射的に背筋を伸ばした。

 レインは、カイリの方をまるで見ない。じゃあっと勢い良く水を汲みながら、冷めた視線をコップに注いでいる。

 きゅっと蛇口をひねる音が、彼の覚悟を決める様に響き渡った。


「今日、聖歌の訓練終わったら付き合え」

「え? はい、良いですけど……何ですか?」


 何処に付き合うのだろうと疑問を抱くと、レインは疲れた様に息を吐き。



「剣道」

「――」



 今し方、話題にしたばかりの単語を口にした。

 フランツ達も、わずかに目を見開いてレインを振り仰ぐ。


「お前、前からやりたいって言ってただろ」

「……、はい」

「教えてやる。……お前が前に進むために必要って言われたら、教えないわけにいかねえだろ」

「それは、……でも」


 条件は、カイリがそれなりに剣術が上達してからだという話だった。

 カイリは、最初にこの第十三位に入団してから、そこまで爆発的に強くなったとも思えない。

 けれど。


「……狂信者を複数相手にしても、一人でそれなりに耐えるくらいだ。上手くはなってるだろうよ」

「……レインさん」

「ただ、お前は相変わらず攻撃出来ないみたいだからな。面打ちなどは教えねえ。……最終的には、小手打ちくらいは出来る様になってもらう」

「小手打ち……」

「相手から武器を叩き落としたり、払い落としたりするのに有効だ。お前にとっての唯一の攻撃方法になるだろうよ」


 攻撃。

 相手になかなか剣を振り下ろせないからこその、苦肉の策と言うべきか。

 カイリは殴ったりすることも出来ないが、すねを蹴り上げたことはある。そう考えると、カイリのトラウマにも抜け道があるのかもしれない。

 小手打ちなら、レインは大丈夫だと判断した。

 彼が嫌そうにしながらも、教えてくれると決断を下してくれたのだ。カイリは胸が詰まって喉に力を入れてしまった。


「はい、……はいっ。ありがとうございますっ」

「分かったら、とっとと食え! 空腹でぶっ倒れたとか言ったら、二度と教えてやらねえぞ」

「はいっ!」


 満面の笑みで返事をすると、レインが益々苦虫を潰した様に顔をしかめた。

 一体、どんな練習になるのだろうか。


 午後が楽しみだと胸を躍らせながら、カイリはビーフストロガノフを更にお代わりした。


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