第264話


「いやあ、一時はどうなることかと思ったけど。カイリ君が無事で良かったね」


 第十三位の宿舎からの帰り道。

 声だけは聖歌語で遮断し、ケントは父と長い渡り廊下を歩く。吹き抜ける夜風が気持ち良く、ケントの髪や頬を優しく撫でていった。

 ほくほく顔の父とは真逆で、ケントはあまり気分が晴れない。もちろん、カイリが自力で神の支配下から抜け出したこと、あそこまでケントのことを思って怒ってくれたことは涙が出るほど幸せだった。

 だが。


「……どうしたんだい、ケント」


 頭を撫でながら、父が柔らかく聞いてくる。

 父の前だと、どうしても弱音ばかりが出てしまう。親子だからだろうかと、呆けた様に頭を父に預けた。



「……ごめんなさい」

「うん?」

「……カイリが、フュリーシアに乗っ取られたの。僕がキッカケを作ったから」



 ケントの懺悔に、父は「うん」と頷くだけだ。ただ黙ってぽんぽんと肩を優しく叩かれる。

 もっと責めても良いのにと、ケントは自嘲してしまう。全てはケントの弱さが招いた失態だ。


「僕が、カイリに転生の時のことを覚えていないのかって聞いちゃったから。カイリは、自分の記憶が穴だらけなことに気付いちゃった」

「そうか。……聞いてしまったんだね」

「うん。カイリを教皇から救い出して、父さんがゼクトール卿を連れてくる前に。……本当はこらえなきゃならなかったのに」


 思い出して欲しいと願ってしまった。自分だけ覚えていることがさみしくなった。

 まだその時ではないのに、ケントは急ぎ過ぎたのだ。何のためにカイリを覚えていないフリをしたのか。全てが水の泡となってしまった。


「カイリが全てを思い出すためには、カイリが『柱』を根付かせていなければならなかったのに。……」

「そうだね。ケントの失態だ。導くのは早いに越したことはないけど、飛び越えてはいけなかったね」

「……。うん」


 父は息子だからと言って甘やかしはしない。ケントの失敗はその通りだと正しく指摘する。

 だからこそ、ケントは父を誰よりも信頼していた。ケントの気が急いている時、やんわりと、けれど厳しく示唆しさして止めてくれるから。


「でも、遅かれ早かれ、一度カイリ君はこうなっていたと思うよ」

「……。さっきも言っていたよね、それ。どうして?」

「カイリ君の聖歌は、この世界と同時に、前世とも強く結びついているから。『柱』を持たないカイリ君は、歌い続ければ続けるほど無意識に前世を思い出し、そのたびに引っ張られやすくなっていただろう」

「……聖歌が、童謡唱歌だから?」

「そうだよ。故郷や人々が無事であれば、そんな心配は無かったけど」

「……」

「まあ、一度経験した方が良かったのは事実だ。カイリ君がそれを身をもって知れば、本当の意味で前世を昇華し、この世界で生きることと向き合いやすくなるはずだからね」


 父が朗らかに言い切るあたり、その通りなのだろう。

 カイリは今回のことで、自分が如何にまだ前世に縛られているかを痛感したはずだ。ケントへの決意表明も、今までとは違った雰囲気を醸し出していたから、軌道修正は成っただろう。

 それに引き換え、ケントは本当に愚かだ。


〝だってこの者は、私のものになるためだけに転生してきたのだから〟


 ケントが、ずっと恐れていたこと。

 カイリが、カイリでなくなるという恐怖。

 無様に動揺して、神と上手く駆け引きが出来なかった。教皇拉致事件の時は上手く出来たのにと、自然と頭が垂れる。

 いや。



 ――拉致事件直後のあいつは、さっきや転生の時とは少し違った。



 口調は同じなのだが、別人の様な――まとう空気と言えば良いだろうか。今なら話が通じやすいと、ケントはあの時直感したのだ。

 実際、話してみた感触はやはり違った気がする。あの時のフュリーシアは、少し人間味が見え隠れした。

 それに。


「……父さんは、あいつと知り合いなの?」


 フュリーシアは、ひどく父を警戒していた。

 あれだけ優位に立っていたはずなのに、父と言葉を交わす時だけ緊張し、みっともなく取り乱していたのだ。

 それだけではない。


「父さんは、あれがどうやって生まれたか知っているんだよね」


 他の者達には聞こえなかったかもしれない。

 だが、ケントは父にすぐ傍で抱き締められていたから届いた。微かな吐息の様な父の言葉は、フュリーシアを揺さぶるには十二分に過ぎるほどの致命傷だったらしい。実際、あの一言でフュリーシアは余裕を失った。

 フュリーシアが、一体何から生まれた神なのか。ケントは図らずも知ってしまった。



「……うーん。まだ、お前の質問には答えられないけど。取り敢えず、俺はあのくそじじいと顔を合わせたのは初めてだよ」

「え……」



 飄々ひょうひょうと言ってのける父の声に嘘の響きは無い。本当に初対面の様だ。

 ならば、何故フュリーシアは父を知っており、父もあいつを知っているのか。

 考えてみれば、ケントはまだまだ父のことを何も知らない。

 とても家族思いの父親。母を愛している。息子であるケントはもちろん、セシリアやチェスターのことも大きな愛で抱き締めてくれる。

 ケント以上に情報通で、恐らく世界で並ぶ者はいないほどの傑物。聖歌だけではなく、武器の扱いも一流で、誰も父には勝てないだろう。――恐らく、父が敬愛していたカイリの父であるカーティスよりも強い。

 そして、ケントは一度だけ、父の聖歌を聞いたことがある。

 だが。



「……父さんの聖歌が、誰も聞いたことが無い様な聖歌なことって。関係している?」



 父の聖歌は、



 いや、正確には聖歌だと思う。

 きちんと聖歌としての力を発揮している。その能力は比類なきもので、カイリもまだ到達していない領域だろう。



 しかし、ケントだけではなく、誰も父の聖歌の内容を聞き取れないのだ。



 前世でいう日本語の様にも聞こえ、この世界の言語にも取れる。文献を漁ってはみたが、未だに正解には辿り着けてはいない。

 とは言っても、この世界は不都合な歴史書や古書は抹消されていたり、厳重に隠匿されている。ケントが探し当てられていない可能性が高い。第十三位の隠された図書室の棚の件もあるし、もう少し本腰を入れて探してみようと誓う。

 父は無言のままだ。ただ優しい笑みを浮かべ、ケントの頭を撫でる。


「ふふっ。……教えてあげるのは簡単だけど、それじゃあ強くはなれないよね?」

「……うん」

「じゃあ、駄目だ。自力で辿り着きなさい。……いずれ、カイリ君と共に辿り着けるはずだよ」

「カイリと……?」

「そう。頑張りなさい。二人で扉を開くその日を楽しみにしているよ」


 ぽんぽんと頭を撫でてくれる温もりは、父としての眼差しと、先駆者としての頼もしさが入り混じっていた。これだけ危なっかしくてはらはらするケント達に、それでも全幅の信頼を置いてくれる強さが眩しい。

 ケントは、フュリーシアが降臨した時、一瞬でもカイリが帰ってこないのではないかと動揺してしまった。フランツ達も思考を停止し、固まってしまっていた。

 そんな中、父だけは最初から一貫して落ち着き払っていたのだ。カイリが帰って来ると信じて疑いすらしていなかった。

 本当に、父には敵わない。こんなにも自分は弱いのかと思い知らされる。

 おまけに。



「……僕。また、カイリに嘘吐いちゃった」

「……ケント」



 自分でも、苦しげな声に響く。

 父がぎゅっと頭を抱き寄せて慰めてくる。きっと、父には何を言わんとしているか見透かしているのだろう。


 父には、少し前に前世のことを全て打ち明けた。


 ケントが犯してきた罪も、家族に強要されたおぞましいことも、全て包み隠さず話した。

 カイリには嫌われるのが恐くて――最後の最後にしか話せなかったのに、父は絶対に突き放したりしないと信じられたのだ。

 そんな歪んだケントの性格を知って尚、全力で愛してくれている。他の家族にまで前世を知られているとは思わなかったが、それでも受け入れてくれた彼らには感謝しかない。沁み渡る様にケントを包み込んでくれたのは記憶に新しかった。


「僕、本当はカイリと前世の色んなこと、話したい。確かに思い出したら腹立たしいけど……それでも前世の家族なんてどうでも良いほど、カイリのことしか頭にないもん」

「うん」

「でも、そんなことしたら……僕はきっと歯止めが利かなくなる。ただでさえ独占したいっていう欲求が強いし、……それで今回失敗してるし」

「うん。そうだね」

「……。……僕が、カイリの柱になれたら良かったのに」


 だが、それは無理な話だ。

 ケントも、そしてカイリも、互いの存在が転生の強い動機になっている。今の世界を生きる柱とするには、前世の繋がりが強すぎた。

 互いにのめり込みすぎれば、前世に飲み込まれる確率も高くなる。ケントは父をはじめとする家族という大切なものが出来たが、カイリには『今は』まだそこまで強い柱はない。

 だからこそフランツ達が鍵なのだが、不甲斐ない上にもたもたしているので、ケントは怒りと苛々が募って仕方がない。カイリを守れるだけの力もまだまだ足りないし、不安しかなかった。

 唯一気骨があるとすればシュリアだが、それを認めるのもしゃくだ。レインに至っては正直頭から潰してやりたい。

 そんな風に、悶々と拳を握り締めて呼吸と共に吐き出していると。



「……お前は、本当になれないと思っているのかな?」

「――――――――」



 父の柔らかな、けれどどこか含んだ様に笑う響きに、ケントは顔を上げて身を離す。

 よく意味を飲み込めなくて、ケントは眉根を寄せてしまった。


「父さん? 何の話?」

「お前は、本当にカイリ君の『柱』になれないと思っているのかな?」

「え? だって、……」


 何を言い出したのだろうか。父は、ケントがカイリの『柱』になれるとでも本気で考えているのだろうか。

 そんなことは無理だと、誰よりも父が一番分かっているはずだ。先程の、カイリが神に飲み込まれた現状を見ただろう。カイリは前世のケントに対する記憶が強すぎる。実際、一時いっときでも思い出したせいで一種の洗脳状態におちいり、飲み込まれた。

 もう二度とそんな状態を生み出すわけにはいかない。カイリには、この世界で今度こそ幸せに暮らして欲しいのだから。


「僕とカイリは、前世の結びつきが強すぎるよ。『柱』は、この世界と己を繋ぐための確固たる絆の様なもの。だから」

「なら、お前達の今の繋がりは、所詮前世の延長上でしかない?」

「――っ、そんなこと!」

「だったら、可能性はあるよね? お前達が、今のお前達を見ているのならば。――『出来ない』なんて、そんなことは言わせないよ?」

「……っ」


 ぞっとする様な冷たく凄惨な笑みだ。背筋をぞくぞくと恐怖が駆け巡る様な衝撃に侵される。

 父が、本気で怒っている。一体どこで地雷を踏んだのだろうか。いつもならよく回る思考が、錆び付いた様に音を立ててちっとも動いてくれない。

 こつ、と。父が一歩踏み出す音が、闇よりも濃い夜気に散った。びくりと、ケントの体が訳もなく震える。



「ケント。お前は、本当にカイリ君を幸せにする気がある?」

「……、……当たり前で」

「だったら、お前が『柱』の一つになるんだ。……互いを、『柱』にしなさい」



 まるで諭す様な口調だ。首を振ることは絶対に許さない。実質決定を告げる様な強制力を父はまとわせている。

 何故、そんな幻想を抱かせるのだろう。何故、ひどく儚い希望を見せるのだろう。

 だって。



〝――ケントくんが言ったんだよ〟



 だって――。



「だって、僕、は。……カイリを」

「カイリ君を本気で幸せにする気があるのなら、お前が『柱』にならなければ意味がない。……この世界に来た時の様な軟弱な決意を未だに持ち続けるつもりなら、今すぐにカイリ君から離れなさい」

「っ、父さん!」

「カイリ君に叶わない希望を抱かせることほど、愚かで残酷なことはないよ」

「――……っ」



 ――ああ、何故だろう。



 父に、転生の時の全てを話したわけではない。契約のことが無くたって、話せるはずもなかった。

 それなのに、父は恐らく奥の奥まで見抜いている。最後の最後に、ケントが何をしようとしているのか。

 前世のケントは、カイリが大切だった。カイリだけが自分の世界だった。

 カイリ以外何もいらない。カイリの傍にいられるのならば、どんなことでもする。例え犯罪を犯したとしても、彼の唯一無二になれるならばそれで良かった。

 けれど。


「……ケント」

「っ」


 今は――。



「……お前は、良い子だね」



 よしよしと、父がケントを抱き締め、頭を撫でてくる。まるで幼子にする様な温かな手つきに、不意に泣きたい衝動に駆られた。

 ケントは何も良い子などではない。ケントが選ぼうとしている道は、カイリだけを思うもの。家族を大切とのたまいながら、傷付ける行為であることを知っている。


「ねえ、ケント。カイリ君のことが大切なんだよね?」

「……うん」


 素直に吐露する。疑い様の無い事実に、何を躊躇う必要があるだろう。

 いつの間にか父の肩に顔を預ける様な形になっている自分が情けない。それを責めない父は甘すぎると熱を持ちそうになるまぶたを閉じた。



「だったら、お前がカイリ君を幸せにしなさい」

「……だからっ」

「ちゃんと最後まで生きて、それこそカイリ君より長生きする決意を持って幸せにしなさい」

「……っ、……父……」

「お前の世界にカイリ君がいないと色が付かない様に。カイリ君の世界から、また色を消すつもり?」

「……っ、え」

「お前が死んだ後のカイリ君を、お前は『見て』いるんだよね?」

「――――――――」



 父の言葉は、質問ではない。確信だ。

 何故、と愕然とするケントの空気に容易く気付いたのだろう。馬鹿だね、と愛しそうに笑みを落としてくる。


「俺も転生しているんだけど? ……転生した時のことも、よく覚えている」

「……っ」

「だから、知っている。……転生をするまでの間に、時間があること。……死んだ後、現世を見る時間があること。……カイリ君のあの様子だと、……お前が死んで、随分と憔悴しょうすいしたんじゃないかな? どう?」


 父がにこにこと急所を容赦なく突いてくる。

 そうだ。父は、ケントよりも遥かに強い。つまり、前世の記憶もかなり明確に持っているということだ。

 ならば、転生時の記憶を持っていても何ら不思議ではない。転生の仕組みも、加護の受け方も覚えているだろう。

 ケントの場合は、神に目隠しをされている部分も多かったが、父の言う通りだ。

 ケントは、自分が死んだ後のカイリのその後を一部だけれど見ている。



 ケントが死んで、抜け殻の様に生活していたこと。


 ケントの葬式で、家族に対してひどく怒り狂っていたこと。


 学校でケントの机に花が飾られていたのを見て、度々屋上へ逃げていたこと。



 屋上は、いつもケントがカイリを強引に引っ張ってお弁当を食べていた場所だ。

 カイリは泣きたくなる時、学校からは進入禁止とされている屋上にいつも足を踏み入れていた。

 ケントが亡くなってからも、お弁当は必ずそこで食べていた。

 そして。



 必ず、卵焼きを最後まで食べずに残していた。



 ケントの好物で、いつも奪っていたから食べなかったのだろうか。そんな風にケントが考えながら眺めていたのは、逃げだ。

 本当は。



〝――ケント……っ、――……っ!〟



 本当は――。


「……ケント。カイリ君が、信じられない?」


 静かな問いかけに、ケントは緩く首を振る。

 カイリを信じられないわけがない。彼の打ちひしがれる様子を見て、疑えるはずがない。

 それに、本当は知っている。カイリは忘れているけれど。



〝――俺も、……一緒に行くっ〟



 一度、ケントはカイリに全てを話した。

 死ぬ直前。ケントは家族にされたこと、犯してきた罪、カイリに対する懺悔、全て吐き出した。

 全部終わらせるつもりだった。カイリに嫌われるのが恐くて、だから嫌われてももう構わない状況で、ケントは幼い頃からそれまでの全ての罪を告白した。

 カイリは黙って聞いてくれていた。何度も息を呑む様な音を発していたけれど、逃げずに最後まで聞いてくれた。

 そして。



〝もう、絶対。絶対……っ、二度と、お前一人で――――――――しないっ〟



 そして――。


「……っ、……カイリは、強いんだっ。……変わらないっ。ずっと、……ずっとっ、変わらない……っ!」

「……うん」

「僕が全部悪かったのに! 僕のせいなのに! 全部知っても、……っ、僕が、……僕が、カイリをっ!」



〝どうして今もケントくんは、あいつなんかと一緒にいるの?



「……カイリを……っ」



〝せっかく、ケントくんのために私がぬいだのに〟



 カイリを、孤独に追い込んだ様なものなのに。



 ――全てが狂ったのは、あいつに聞かれてしまったこと。



 ケントが望まないことを、あいつは笑ってやってのけてしまった。ケントを全ての理由にし、せせら笑いながらクラスを支配し、カイリを蹂躙じゅうりんした。

 助けたくて、奔走して、それでもどうにもならなくて。事態は何も変わらないことに絶望した。

 何度、カイリの傍にいてはいけないと――いる資格は無いと打ちのめされたか。

 けれど。



〝ありがとう、ケント。……ありがとうっ〟



「……っ。それでも、……僕は、――」



 カイリは、分かっていない。

 自分がどれだけ強くて優しいか。

 カイリは自分のことを酷い奴だとずっと責めていたけれど、嫉妬が混じったって彼は優しいままだった。

 最初から一貫して変わらない。ケントが周りに悪口を言われるたびに、一層突き放して離れようと躍起になっていただけだ。

 自分といるとケントまで酷く言われると怯えて、一部の頭の悪い奴らの言動だけが気になって、カイリは必死にもがいていた。

 ケントが罪を告白した時こそ、突き放すチャンスだったと思う。本気でカイリが嫌で酷い奴ならば、あの時にこれ以上ないくら痛めつけて、突き飛ばせば良かった。

 それなのに、カイリはそんなことはしなかった。



〝もう一度、ここから――〟



 死ぬ前に。抱き締めて強くささやいてくれたあの時の光景を、ケントは一生忘れることはないだろう。



「父さん……っ、僕は、……」

「幸せにしなさい。……本当に償おうと思うのならば、カイリ君を生きて幸せにしなさい」

「……っ、でもっ」

「ケントは、もう対抗できる力を持ちつつある。……さっき、カイリ君を通して補助の力も与えた」

「……」

「この意味が分かるね? ……何のために俺が色々手助けをしたと思っているのか。よく考えなさい」



 父の言葉が、ケントに落とす様に染み込んでいく。

 父は、いつから考えていたのだろう。ケントに他の道を選ばせるために、様々な手段を講じることを。

 初めて前世の話をした時からだろうか。父はとても聡いから、ケントの腹黒い願いなどお見通しだったのかもしれない。

 武術でも敵わない。頭脳でも遠く及ばない。存在自体は足元にも及ばない。

 ケントは、いつだって父の背中を追いかけ続けている。遥か先まで――それこそ誰も知らない世界の果てまで見通す様な在り方に、ケントは舌を巻いて頭を垂れるばかりだ。

 カイリのことはもちろんだが、父は一番にケントのことを考えてくれている。だからこそ、今回もカイリの力を使ってケントを守る手段をまた一つ与えてくれた。


 ――『柱』に、なる。


 そんなこと、今の今まで考えもしなかった。絶対に不可能だと決めつけていたのだ。

 ケントとカイリは前世の結びつきが強い。それは、この世界に根を張るには致命的な欠点だ。前世に未練を強く持つほど足元は揺れ、崩れやすい。

 けれど。



〝お前達が、今のお前達を見ているのならば。――『出来ない』なんて、そんなことは言わせないよ?〟



 父は、本気で出来ると信じているのだ。

 ケントとカイリは、互いに未来を歩いて行けるのだと。二人は最後まで共に生きていけるのだと。

 ケントがとっくの昔に諦めてしまった未来を、父は強く思い描いている。



 カイリが、昔みたいに受け入れてくれるかは分からない。



 それでも、この世界で出会ったカイリはケントがよく知るカイリだった。むしろケントが知るよりも更に優しい強さを兼ね備え、成長していた。己の至らなさを真っ直ぐに見つめ、一回りも二回りも大きくなっていた。

 ケントはどうだろうか。あの頃よりも手段を選ばず、強さも手に入れたが、カイリにはいつまで経っても敵わない気がする。

 けれど。



〝必ず追い付く。……だから、待っていてくれ〟



 カイリが、ケントと共に生きる決意をしてくれたのだ。

 ケントも、腹をくくる時が近づいているのかもしれない。


「……ねえ、父さん」

「うん?」


 なあに、と父が甘やかす様に頭を撫でてくれる。ぽんぽんと背中を叩いてくれるリズムも心地良い。父はケントを甘えさせる方法を熟知し過ぎている。


「僕、カイリのこと。幸せに出来るかな」

「出来るかな、じゃない。するんだよ」

「……誰にも渡したくない。独占したい。他の人達と話していると腹立たしい。僕の方だけ見ていて欲しい。そんな風に思っているのに?」

「そう。なら、尚更共に生きなきゃね」

「真っ黒い執着を抱いているし、閉じ込めて誰とも会わせたくないとか思っちゃうのに?」

「カイリ君なら、そういうケントの背中を張り倒して、叱り付けてくれそうだよね」

「……、……うん」


 カイリは大人しくケントの言いなりになる様な人物ではない。むしろケントが暴走したら、背中を叩き、正座をさせられ、説教雷フルコースだろう。そして、各方面に土下座をして回らされるかもしれない。

 だが、そんな日々も楽しそうだ。自分を全て曝け出して、それをカイリが受け入れてくれたら、どれだけ幸せだろうか。

 都合の良い夢かもしれない。カイリは聖人君子ではないのだ。前世より遥かに真っ黒に染まり上がったケントを、果たしてどこまで許容してくれるか。

 それでも。



 ――カイリと、共に生きてみたい。



 願いが溢れて止まらない。きつくふたをして閉じ込めていたはずの、決して訪れない未来を止めどなく描き始めてしまう。

 まだ、再び全てを打ち明ける勇気はないけれど、いつか話してみたい。

 そんな風に心が傾き始めたこと自体、父の思惑通りなのだろう。

 だが、それでも良い。

 顔を上げた先では、悪戯っぽく笑む父の瞳とぶつかった。その視線が「大丈夫だ」と断言している様で、ケントは胸の中の強張りが解けていくのを感じる。



「……。……分かった」

「うん」

「……僕、……もう少し、頑張ってみるよ」

「それでこそ、俺の息子。……ケントは俺の自慢の息子なんだ。万が一にも、カイリ君が拒絶をすることなんてありえないよ」

「……父さん」



 真っ直ぐに断言してくれる父に、ケントは少しだけ勇気付けられた。父に諭されると、本当に大丈夫な気がしてくるから不思議だ。

 誰かに大丈夫だと言ってもらえることがこんなにも心強いことを、ケントは家族を得てから初めて知った。怯えてうずくまっていた心が、立ち上がろうと奮起しようとするくらいだ。愛は偉大だ。


 愛してくれている。


 そんな風に思えることが、嬉しい。前世のケントには得られなかった感情だ。今触れている温もりも、優しさも、今のケントが手に入れた掛け替えのない宝だ。

 ケントは、転生の時には自分の命はどうでも良いと思っていた。カイリのためなら、捨て去るつもりでもいた。

 けれど。



 ――大切な人達と、生きていきたい。



 それは、ケントが生まれて初めて持ってしまった弱さであり、――強さでもあった。

 それが、今はとても誇らしい。違う道を歩んでみたいと、本気で願い始めることが出来たこの心を信じてみたかった。


「父さん……大好きだよ」

「……うん! 俺も大好きだよ、ケント!」

「うん、……うん。――ありがとうっ」


 絶え間なく注がれる愛情に泣きそうになりながら、ケントは己が定めた未来が微かな音を立てて亀裂が入っていくのを確かに感じ取っていた。


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