第266話


 聖歌の訓練を終えて、体力もかなり尽きてしまったが、カイリはレインに言われた通り近くの中庭へと移動した。

 そこには既にレインが木刀を腰に差して待機していた。何故か、周囲にはフランツ達も揃っている。そういえば、リオーネも面白そうについて来たし、これは見学ムードということだろうか。


「よう。カイリ、終わったか?」

「はい。お待たせしました、レインさん。……あの」

「あー、こいつらはほっとけほっとけ。新しい武道が見れるってんで、興味津々なんだよ。子供か」

「見たこともない剣術を見れるのならば、見学するに限りますわ。もしかしたら、わたくしの剣術にも応用出来るかもしれませんし」

「こういう形で、前世の武道というのを目の当たりに出来るのはありがたいな。カイリ、頑張れよ。お前ならカッコ良く、かつ優雅にレインの頭をかち割れるだろう。楽しみにしているぞ」


 別に、かち割るのが目的では無い。


 フランツのきらっきらとした期待の眼差しに、カイリは居た堪れないプレッシャーを覚える。レインが呆れ交じりに半眼になっていたが、無視をすることにした様だ。


「カイリ。木刀出せ」

「は、はい」


 腰に差していた木刀を抜き、カイリは右手で持つ。

 それを観察しながら、レインは冷静にいくつか質問をしてきた。


「お前、ラインって奴に剣道は習ってないのか?」

「はい。……他の奴に教えてもらえって。遺言です」

「そうか。……一応確認しとくか。今まで、どういう風に剣を持ってた」

「えっと……」


 ラインに言われた通りの自衛の剣は、基本的に右手で真っ直ぐに剣を構える姿勢だ。左手はさやを握るので、両手で持つことは全くと言って良いほどない。


「こんな感じですね」

「ふーん。足は、右足を前に……。足の着地の仕方も……やっぱ心持ちフェンシング系に近いか。……完全に真逆を教えろってか。お前のお師匠様は結構鬼畜だな」

「え?」


 言われた意味が分からず、きょとんと目を丸くする。ラインは確かに指導は厳しかったが、鬼畜とはほど遠い単語である。


「二種類の剣術を身に付ければ、相手を翻弄ほんろう出来るって言っていましたけど」

「……なるほどなー。全く違うスタイルを即座に使い分けられたら、確かに相手は混乱するだろうよ。……となると、お前、期待されてたのか? かなり難しいぞ」

「……そう、なんですね」


 言うは易し、行うは難し。

 恐らく、この言葉を地で行く様な内容なのだろう。レインが難色を示すとなると、余程である。

 だんだん不安になってきたが、後戻りなどするはずもない。カイリは覚悟を決めて、真っ向からレインに挑んだ。


「お願いします。……頑張って付いていきますから、どうか教えて下さい」


 深く頭を下げて懇願すれば、レインは気が重そうに空気を落とした。やはり気が進まないのだと知って、胸が痛くなる。

 だが。


「……ああ。ほんとに死ぬ気で付いてこい」


 レインは、低く静かな声で応じる。

 その声に、カイリとは別の覚悟が内包されているのを感じ取る。

 カイリは一旦顔を上げ、もう一度頭を下げた。


「……、あ、ありがとうございます!」

「……ったく。ほんとにたちわりいお師匠様だぜ」

「え?」

「まずは、どうすっかな。竹刀……もとい木刀の持ち方からやっか。俺の手、見てろよ」


 レインがカイリの隣に並び、目の前で木刀を握り締める。

 左手は柄の先の部分をいっぱいに持ち、小指を柄の頭に半分ほど置いていた。右手はつばに近い位置に在る。


「こ、こうですか?」

「んー、……ああ、駄目だそれは。横からは握んな。あと、右手の人差し指は、こう鍔にくっつけるんだ。……あんまりくっつけすぎんなよ。親指はくっつけないで、……そうだ」


 レインに直に手を直され、カイリは四苦八苦しながらも正しい持ち方を習う。

 いつもと違う握り方で、どうにも慣れない。これはしっくりくるまでに時間がかりそうだと、早くも嘆きそうになった。


「で、だ。握る力の配分だけどよ、左手の方に力を入れる様にしろよ」

「え? 左手、ですか?」


 利き手と逆の方に力を入れる様に指導され、カイリは疑問に思う。利き手の方が主導するのではないのかと、不思議に思ったが。


「剣道は、とにかく真っ直ぐに綺麗に打ち込むことを重視すっからな。右手と左手の筋力のバランスってーの? 利き手は当然持つことに慣れてっから、右手に力を入れ過ぎると、どうしても素振りをする時に偏るんだよ。それを防ぐためだな」

「へえ、……そうなんですか」

「後は、柄を真っ直ぐに持つイメージな。柄の中心に芯が通っているっていうか……ま、その方が強く、素早く打ち込めるんだよ。余計な力みも入れんなよ。ぶれるし、逆に力の伝わり方が鈍くなるからな」

「あら。……何だか、楽器の弾き方に似ていますね?」

「あ? そうなのか?」

「はい。私はピアノでしたけど。肩や腕に力が入っていると、大きな音が出せないんです」


 リオーネとレインが分野の壁を越えて楽しそうに話している。

 よくは分からないが、武術も音楽も通じるものがあるということだろうか。カイリはレインに教えられた型を復唱しながら、木刀を握り締める。


「よし。次は足捌あしさばきな。今までのお前は、かかとで着地する様な感じだったと思うが、剣道は逆だ。踵より前を地面に着けるんだ」

「なるほど……。踵はどうするんですか?」

「踵は、常に少し浮かせた状態にするんだ」

「え? 浮かせるんですか?」

「ああ。とはいえ、構えの時は、右足は見た目ではそこまで分からない程度の、ほんの僅かだけどな。左足はもう少し上げるけど」

「え、え。……こ、こうですか?」

「んー。ま、そのくらいだな。で、右足を前に、左足を後ろに。左足は、右足の踵の位置くらいな。この時、両足の距離感覚は、……そうだな。拳一つ分ってところか」

「え? え? ……こう、ですか?」


 よたよたしながら、カイリは何とか指導された通りに位置を固定する。レインが「んー」と唸りながら、カイリの肩を掴んで姿勢を正していった。


「肩の力は抜け。それで、この足の構えのまんま、もう一度木刀を握れ。構えは、体の中心を意識しろ」

「は、はい」

「もう少し下だな。そう、……このままの姿勢を維持しろ」


 肩を持ったまま固定され、カイリは言われた通りに構える。

 何となくだが、重心がきちんと中心を通っている様な感覚に陥った。正しい姿勢だと、こうも感じ方が違うのかと新鮮だ。

 ゆっくりとレインの手が離れていく。離れてからも、カイリは姿勢を維持し続けた。肩の力をなるべく抜き、木刀を握る時に左手の方に比重を置く。


「ん、よし。姿勢はそんなもんだ。そのまま、十分な」

「えっ!? 十分!?」

「何だよ。もう音を上げんのか?」


 挑発的に笑われ、カイリはむっと口を引き結ぶ。付いていくと決めたのだから、ここで屈するわけが無い。大体、挫折するには早すぎる。


「大丈夫です。出来ます!」

「おーし、言ったなー。じゃ、今から十分な。……ところでよ、今日の夕食はどうするよ?」

「え? 夕食?」


 いきなり世間話を振られて、カイリは動揺した。

 途端。


「肩、力入ってんぞー」

「っ、……は、はい」


 慌てて力を抜けば、レインがおかしそうに喉を鳴らした。まるで芸を見物するかの様な眼差しに、カイリは反論したいのを根限りに押さえて唇を引き結ぶ。

 そんなカイリの表情に、本格的にレインが落ちた。ぶはっと思い切り噴き出して、縁側に転げ落ちる。理不尽だ。


「カイリ、大丈夫だ。今のお前のその姿勢は、太陽の光を照り返してきらっきらに輝いている。あたかも天上から天使が舞い降りてきた様に素晴らしく綺麗だぞ」

「フランツ様。目医者に行った方が良いですわ。今の彼の顔、ひっどいですわよ」

「新人、銅像の様に固まるんだったら、表情だけでもにこやかにした方が良いっすよ! ま、リオーネさんに嫌われるなら、ボクは構わないですけどね!」

「あらあら。私はカイリ様の今の顔も、愛嬌があって好きですよ?」

「……新人……っ! 一度、決着をつけた方が良いっすよね……。訓練後、裏庭に来て下さいっす」

「嫌だよ! 絶対、この訓練でへっとへとになるに決まってるし!」


 外野の好き勝手な発言に、カイリは怒髪天をきそうになるのを、死に物狂いで沈めた。感情が高ぶると、どうしても構えがぶれるのだ。

 まさか、この姿勢を保つのがここまで大変だとは思いも寄らなかった。なるほど、精神鍛錬に相応しいと言われた意味がよく分かる。これでは普段の剣技も、激昂している時は危ういかもしれない。


「いやあ、笑った笑った。カイリ、ま、頑張ってる方じゃね?」

「……レインさんは、絶対楽しんでいるだけですよね」

「まあなー。せっかく教えるんだし、対価が無いと割に合わねえだろ?」


 理不尽だ。


 もうその一言しか出てこない。レインは一度、顔面からぶん殴られて欲しいとこの時ほど思ったことは無かった。

 憮然とした表情で姿勢を保っていると、レインは笑いながらも質問を投げてくる。


「で? どうよ、その姿勢を保っている感想は」

「……。見た目よりも、ずっと大変です。でも、……背筋が伸びる感じがするし、重心の位置も一番意識出来る気がします」

「お。そこに気付いたんなら、クリアだな。……そろそろ十分か。もう構え、解いて良いぞ」


 お許しが出たので、カイリは木刀を下ろして足も楽にする。

 思ったよりも普段使わない部分を使っている気がして、カイリはぐるぐると腕を回してしまった。素振りの時は両手を使うが、基本的に戦闘訓練は木刀は右手でばかり持っている。やはり変な感覚だ。


「よし。それで、もう一度構えてみろ」


 だが、休憩はほぼ挟まずに、すぐに指示が飛んできた。

 言われた通り、カイリは木刀の持ち方や足の構えに気を付けて同じ姿勢を取った。視線はひたすら真っ直ぐにし、全体を見渡せる様にする。

 すると、意外そうにレインが感嘆の息を漏らした。ふーん、と面白そうに口の端を吊り上げたのがぼんやり見える。


「様になってんじゃん。視線はどうしてる?」

「真っ直ぐ前を見ています。でも、全体は常に見渡す様にしています」

「……それは、お師匠様の教えか?」

「はい。視線は下に向けるな、常に相手を見据えろ。……でも、一点に集中するな。常に全体を、それこそ相手以外の風景にも気を配れ、って」

「……。……ふーん。腹は立つが、同意見だな」


 ぼそりとレインが囁く様に感懐を口にする。何故腹が立つのだろうと疑心が湧いたが、すぐに払拭する様にレインが手を軽く叩いた。


「よし。じゃあ、そのまま……そうだな。二、三回素振りしてみろ」

「素振り、ですか?」

「ああ。肩の力を抜いたまま、足は動かすなよ」


 注意点を上げながら、レインが横に立つ。てっきり、剣道流の素振りを教えてもらうのだと思っていたが、思惑が外れた。

 いつも通り――ではなく、この剣道独特の足の構えのままというのは初体験だ。カイリは言われた通り、上に振り被り、素早く下ろした。



 ぶんっと、いつもよりも空気が鋭くうねる。



 素早く、けれど力強さも感じられ、カイリは目が見開かれるのを感じ取った。


「……、……軽い」

「他は?」

「いつもより、振りやすいです。あと、……力強い気がします」

「んー、そうだな。お前、普段の素振りって、力抜いてるか?」

「はい。でも、……いつも右の方だけで振ったりしているので、いつもと手応えが違います。今までも、軸先がぶれていたのかもって思ってしまいました」

「んー。まあ、片手だけと両手だと、また違った感じになるだろうけどよ。後で片手も改めて見てやる」

「あ、ありがとうございます」

「両手の場合だと特に利き手と逆の方に力を入れないと、ぶれるんだよなー。これで割と失敗する奴は多い。変な癖が付きやすくなるからな」


 ばちんっと華麗にウィンクされ、カイリはなるほどと納得した。先程も同じ説明をされたが、やはり実際に行動してみると納得の仕方が段違いだ。


「ま、今までの剣技だと、足運びとか、視線とか、そっちの方がどうしても重視されがちだしな。……お前のお師匠様も、剣道を教える段階に入ったら、応用的に色々教えようと思ってたんだろうよ」

「……、はい。きっと」


 間合いの取り方、相手の呼吸や剣先の変化など、本当に自衛のための訓練を強化してくれていた。剣を振ることがどうしても苦手なカイリのために、ラインは合わせて指導してくれていたのだろう。



 ――ラインは、どんな気持ちだったんだろうな。



 辛抱強く見守ってくれていただろう彼には頭が上がらない。もし、遠い未来、あちらで会うことがあったら目一杯感謝を告げなければと心に誓う。


「これから、素振りはこの剣道の構え方式でやれ。力の入れ方、重心の取り方、軸のぶれなさとか、自然と意識出来る様になる。……本当は、踏み込みと一緒にやるんだが、まだ難しいだろうしな。オレが良いって言うまでは、素振りと足捌きの訓練は別々にやれ」

「は、はい。あの、さっきも言ってましたけど、足捌きって?」

「前後左右の踏み込みだ。一回見てろよ」


 言うが早いが、レインが木刀を持って剣道の構えに入る。無駄の無い洗練された動きに、思わずカイリは見惚れた。

 そのまま、レインは大きく右足で前へ踏み込んだ。だんっと大きな音がした後、すぐに左足を引き寄せて同じ姿勢に戻る。

 その後、すぐに左足を後ろへ伸ばし、すぐに前足を引き寄せ、またも同じ姿勢に戻った。

 今度は右に踏み出し、やはり同じ姿勢に戻る。左の場合は、左足から踏み出して足が逆の位置になっていたが、構えに支障はない。

 あまりに素早い動作だったが、とても滑らかで綺麗だった。まるで舞いを見ている様な錯覚に陥る。


「ふわ……凄い」

「あー、最初は踏み込んじまったけど、こんな感じだ。後は、斜め前と後ろもある」

「へえ……」

「剣道の足捌きの基本中の基本だ。次の段階に進むには、これをマスターしなきゃ無理だろうな。前へ進む時は、左足で体を前へ押し出して、右足を前に出す。逆に後ろに移動する時は、右足で体を後ろに押して、左足を下げる」

「は、はい」

「じゃ、やってみろ。まずは前後だけで良い。踵をべったり付けんなよ。常に浮かせろ。腰も落とすな。滑る様に移動しろ」


 簡単の様で難しい注文をいくつか受けながら、カイリは言われるままに右足を前に踏み出した。そのまま、左足をずるっと引きずる様に引き付ける。


「……お前、滑んのと引きずんのは違うぜ?」

「うぐっ。……も、もう一回」

「あと、視線は固定しろよー」

「は、はいっ」


 真っ直ぐ前を向いたまま、右足をもう一度前に踏み出す。そのまますぐに左足を引き寄せ、爪先が右足の踵に当たる。


「拳一つ」

「……っ、はいっ」


 その後、何度か試し、ようやくスムーズに前へ踏み出し、同じ姿勢に戻れた。

 だが、ほっとしたのもつかの間。次の後方への移動で、再び足の間隔が不安定になる。


「ま、今日はこれが出来るまでなー」

「え……」

「音、上げないんだよな?」

「……っ、も、もちろんっ!」


 にやっと意地悪く笑うレインに、カイリは拳を握り締めて噛み付く。おー、威勢の良い、とからかう口調に、ぐぬぬっと唸ってしまった。


「ま、これが基本だからなー。しばらくはこれの訓練になりそうだな」

「が、頑張ります……」

「ふん。情けないですわ。これくらい、基本ですわよ」

「って、え!?」


 シュリアが無造作にカイリの横に並び、あっという間にレインが指導した足捌きを披露して見せた。あまりに華麗な足運びに、カイリはまたも見惚れる。


「え、……って、何で!?」

「これくらい、普通ですわよ。レインもわたくしも、この程度の足捌きは剣術に取り入れています」

「え、……そうなんだ」

「ま、素早く動くには適してるしな。重心のバランスとかから考えても、強い奴なら知ってる理論だと思うぜ?」

「ですが、なかなか面白い訓練ですわ。レイン、わたくしも取り入れさせてもらいますわよ」

「シュリアが改めて習うことなんて無い気がすっけどな。ま、歓迎するぜ?」


 レインとシュリアが、何やら挑発的に火花を散らしていた。

 彼らは流石、武の頂点に位置するだけはある。カイリとしては、遠すぎる背中だ。


「ほほう。俺もやってみるか。何より、カイリと一緒に訓練が出来るとなると、なかなか楽しそうだ」

「え! フランツさんもですか?」

「あ! じゃあ、ボクもボクも!」

「私もやってみたいです。……カイリ様? 今度、はかまをモチーフにした制服を作ってみませんか? 袴、……良いですよね」

「え?」

「新人……っ! ちょっとそこに居直るっす! 闇討ち……ではなく成敗するっすよ!」

「何でだよ!」


 エディの嫉妬のとばっちりを受け、カイリは心身ともにへとへとに疲れ果てる。

 だが。



 ――今まで、武術は対戦以外は孤独な訓練だったしな。



 何だか楽しいなと、カイリは口元が緩む。

 フランツ達と同じ武道の訓練が出来るのは、とても嬉しい。願ってもいない構図だ。

 後は置いて行かれない様に踏ん張るだけだと、カイリは楽しそうにレインに剣道を習う彼らを見つめながら、もう一度足捌きの訓練を開始した。


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