第229話


「ほら、カイリ。これを飲むと良い」


 フランツに連れられ、彼の自室にカイリが入った後。

 彼は簡易キッチンで、お湯を沸かして茶を淹れてくれた。ふわりと甘苦く香る湯気が、ベッドに座ったカイリの鼻先を通って心を温めてくれる。

 香りに誘われて一口飲むと、じんわりとした熱がまた喉元を過ぎて心に落ちる。フランツの優しさが、そのまま香りと熱に表れている様で、カイリの目の奥が沁みた。


「ありがとうございます。……美味しいです」

「それは良かった。……ふむ。俺は父親だからな。こういう時こそ、頼れる父親アピールをしなければ」

「……それ、口にしたら意味無いと思いますけど」

「ぬおっ!? そんな馬鹿な……。カーティスからの手紙では、『カイリが、父さん、父さん、と頼ってきてくれることこそ至上の喜び! これぞ父親冥利に尽きるというもの! 聞け、カーティス! 俺の息子は、世界一可愛いぞ! 俺は更なる発展を遂げ、世界一頼もしい父親になろうと思う!』と、散々頼れる父親アピールをしまくり、見事カイリのハートを捕えたと、でかでか書きつづられていたが」



 父さん。本当に何を書いてくれたんだ。



 思わず真顔で突っ込みそうになるのを、カイリは渾身の努力で堪えた。いつでもどこでも小っ恥ずかしい両親のおかげで、カイリは随分と忍耐力の強い人間に成長したと思う。褒め称えたい。

 だが、二人はこんな風にくだらないことも語り合える仲だったのだと、カイリは再度痛感する。二人が揃って楽しく会話をするところを見てみたかったと、叶わぬ願いを抱いた。


 けれど、想像は容易だ。きっと、楽しくて賑やかで、笑いの絶えない時間を過ごせただろう。


 今、カイリがここにフランツの息子としていることは、運命としか言いようがない。

 さみしいと思う反面、今の状況も悪くないと思ってしまう自分もいた。右隣に腰を下ろしたフランツの気配を、肌で感じ取る。


「そういえば。……あの、フランツさん。戻らなくて良いんですか? 俺、もう落ち着いて」

「カイリを一人にするわけにはいかない。一瞬の隙が命取りだと、もう王城で学んだからな」

「……、はい」

「そんな顔をするな。俺としては、お前と二人の時間が過ごせるのは幸せなのだ。……あまり親子らしい会話も出来ていないから嬉しい」


 にかっと笑って、フランツがカイリの頭を撫でる。

 その力強くも優しい手の平に、カイリの顔がほころんだ。

 考えてみれば、確かにフランツと二人きりでゆっくり話をする機会はあまり無い気がする。お風呂に入る時も大抵レインやエディがいるし、食事も全員でだ。

 基本、カイリは一人で行動が出来ない。だからこそ誰かしらが傍にいて、フランツとは最低でも三人で、となることが多かった。


「……確かに。俺達、あんまり二人で親子の会話ってしたことないですね」


 意識すると照れくさい。

 両親の時とは違って、生まれた時から一緒にいなかった。改めて親子になったのだという事実が妙にむずがゆい。

 だが、フランツが傍にいると何となくほっとする。最初の頃は父とフランツを重ねていたこともあるが、日々を重ねていく内に、彼らはやはり異なる一面が多いのも見えてきた。


 父には父の、フランツにはフランツの優しさがあり、頼もしさがあり、弱さがある。


 父に似ている部分も、違う部分も、カイリにとっては全てが欠けてはならない大切なものに思えた。


「……とはいえ。いざ、そうなると何を話して良いのかも分からんものだな」

「……え?」

「いや、こうして改まると、一緒にいるだけで満足してしまうというか。俺は沈黙が嫌いではないが、……退屈ではないか?」


 フランツが罰が悪そうに頬を掻く。まさか、そんな悩みを抱えていたとは、と意外過ぎて目と口が丸くなってしまった。

 フランツはいつだってお茶目で、気さくで、話しやすいとカイリは親しみを覚えていたのだ。親子の会話らしい会話について苦悩しているとは、微塵も気付けなかった。


「えーと。……フランツさんでも、そんな風に悩むんですね」

「う、うむ。子供がいたことはないし、俺には兄弟もいなかったからな。メリッサと夫婦の時は、いつも彼女の方が話の取っ掛かりを作ってくれていたし、こうして親子のとなると……結構緊張するものだ」


 ごほんと咳払いをして、フランツが照れを誤魔化す。その横顔が何より人間らしくて、カイリは自然と頬を緩ませてしまった。

 カイリだって、改めて『父』と何を話すかと問われると、困ってしまう。

 だが。


「……きっと、何でも良いと思います」

「……うむ」

「俺も、両親と話していたことって、本当に他愛のないことばっかりでした。……今日は何があった。何をしていたの。晴れてた。また剣が駄目だった。花が綺麗だった。料理が美味しい。皿のソースが犬みたい。……くだらないことも、たくさん話していました」


 真剣な話をする時もあったけれど、一日の大半はどうでも良い話が多かったと思う。

 だが、それが楽しかった。他愛のない話で、笑い合える。きっと、それが一番大事だったのだと今なら分かる。


「それは、また色々話していたのだな」

「はい。母さんがまな板を割った日は、父さんと一緒にどうやって母さんの機嫌を直そうかと計画を立てたり」

「……ティアナ殿は、変わらなかった様だな」

「そうなんですね。あとは、ケーキは、どの部分が一番美味しいかで談義したり」

「どの部分?」

「そう。えーと、俺はふわっふわのスポンジ部分でしたけど、父さんはクリームで、母さんはお酒でした」

「……。ティアナ殿は、相変わらずだった様だな」


 フランツが遠い目をして笑う横顔に、カイリは声を上げて笑ってしまった。両親とフランツは、どんな会話をしたのだろうか。想像したら楽しそうだ。


「三人とも譲らなくて。結構白熱して、いつの間にか夜ご飯の時間すっかり過ぎていたり。懐かしいな」

「ふむ。なかなか、カイリの家は賑やかだった様だな」

「そうですね。父さんは暑苦しいし、母さんも窒息死する勢いで抱き締めてくるし、歌はせがまれるし。……フランツさんの言う心地良い沈黙の時間もありましたけど。賑やかだったかもしれません」


 思い出すと、まだ少し辛い。

 それでも、最初の頃よりは随分と楽になった。隣に、誰かがいてくれるからだろう。

 横を見上げると、フランツも「何か、何か」と考え込んでいるのが伝わってきた。

 彼は、他の者達が会話をしている時に普通に混じっているから気付かなかったが、確かにあまり他愛のない話題を先んじて提供したりはしないかもしれない。

 新しい発見が、カイリには嬉しい。

 一つ、一つ。少しずつ、ゆっくりと知って、家族になっていけたら良いなと思った。


「……、あ」


 手にしていた湯呑ゆのみを見ると、水面に茶色い棒が立っている。しかも二本だ。

 くだらないけれど、フランツと共有したい。その思いで、カイリは彼の腕を引っ張った。


「フランツさん」

「うむ? どうした」

「このお茶、美味しいです」

「ああ、それは良かった。カイリのために淹れたのだからな」

「それと……見て下さい。茶柱が、二本も立っています」

「何?」


 驚いてフランツがカイリの手元を覗き込み、笑みを広げていく。本当だな、と愉快そうに笑った。


「どれどれ。……おお。この茶、わざと茶柱を立てる様に作られているそうだ」

「え? そんなのあるんですか?」

「ああ。この説明書きを見るとそうだな。……見たことが無いものだから試しに買ってみたのだが、ふむ。面白い茶もあるものだ」


 茶筒を持ってきながら、それに添えられている説明書を二人で覗く。

 そこには、本当に「茶柱が必ず立つ様になっています」という一文が書かれていた。どういう構造になっているのか知りたいが、茶葉を眺めてみても、カイリには違いがよく分からない。


「これ、何か特殊な仕掛けがしてあるんですよね?」

「そうだな……。うーむ。製造方法は秘密だろうから、店主を問い詰めても駄目そうだな。……いや、実に面白いことを思い付くものだ」

「本当に。でも、あんまりありがたみは無くなるかも」

「ん? ありがたみ?」


 フランツが不思議そうに瞬く。

 どういうことだと問われて、カイリは逆に戸惑った。あれ、と首をひねる。


「茶柱を見ると、良いことがあるって。言いませんか?」

「良いこと、か?」

「はい。茶柱が立つのは本来、非常に珍しいことだから。そういうジンクスというか、言い伝えみたいなのがあるんですけど」

「そうなのか。知らなかったな。……カイリは、本当に色々知っているな」


 頭を撫でられて、カイリはくすぐったくて首を竦める。

 しかし、この世界か国かは分からないが、そういうジンクスめいたものは伝わっていないのだろうか。他の人達にも機会があったら聞いてみようと心に決める。


「なら、二本立ったということは、俺とお前の両方に良いことがあるということだな」

「確かに。そうですね。得した気分です」


 再び湯呑を覗いて、笑い合う。

 こんな穏やかな時間が、カイリには幸福を感じるひとときだ。フランツの緊張も解けている様だし、良かったと思う。

 しばらくフランツと茶について語り合っていると、ノックと共に勢い良く扉が開け放たれた。――この開け方は、シュリアだ。相変わらずノックの意味が無い。


「フランツ様。ハーゲン殿が、帰られるそうですが」


 カイリ達が笑っているところを見て一瞬止まったが、シュリアはすぐに用件を切り出してきた。

 楽しい時間がすぐに終わってしまった。フランツはカイリの隣で一瞬残念そうにしたが、切り替えは早い。表情が団長のそれに変わった。


「……、ああ。ならば、シュリアはここにいてくれるか」

「……フランツさん、あの」


 立ち上がるフランツに、カイリは頭を下げる。



「すみませんでした」

「……」



 カイリが謝罪すると、フランツの空気がわずかに揺れる。シュリアも少しだけ気配が変わった。


「……俺、ハーゲン殿に素直に怒りを出してしまいました。……彼のやり方だって、交渉の一つに過ぎないのに」


 カイリの嫌いなやり方ではあるが、採れる手段が少ないのであれば有効だ。相手には不快な印象を与えるが、場合によっては効果的だろう。

 ただ、カイリがまだ割り切れないだけだ。どうしても真っ直ぐ誠実で在りたいという思いを拭い切れない。

 それにケントだって、もしかしたらフランツ達も止むに止まれず使っていた方法かもしれない。実際、正攻法だけでは生き残れない場面も多々あっただろう。


「それに、彼が留学の話をし始めた時、レインさんが二回も止めようとしたのに、俺は話を続けてしまいました。……レインさんが止めようとする意図も見抜けなかったせいで、結果的に第十三位を強引に巻き込ませることになってしまいました。……断れない状況の決定打を作ったのは、俺です」


 もし、レインが、そしてカイリも気付いて強引に制止をかけていたならば、ハーゲンが言葉を続けることを回避出来たかもしれない。そうなれば、改めて別の交渉の仕方もお互いにあったはずだ。

 しかし、カイリがまんまと策略にかかってしまったせいで、ハーゲンの敷いた道筋にあっという間に乗せられた。カイリが途中で見抜けたから少しはハーゲンが譲ってくれたが、ほぼ彼の思い描いていた通りの結果だろう。

 情けないと消沈してしまう。交渉事はやはりフランツやレインに任せた方が良いと反省していると。



「……いや。すまないが、俺はわざとそのまま進行させていた」

「――」



 フランツの暴露に、カイリは「え」と思い切り顔を上げてしまう。上げ過ぎて少し首が痛くなった。シュリアに白い目で見られたことが悔しい。

 だが、シュリアもフランツの告白自体には驚いていなかった。

 どういうことかと、カイリは困惑しながら言葉の続きを待つ。


「レインは止めたかったみたいだが、俺はお前の交渉の練習になると思ってわざと放置した」

「え、……でも、そのせいで」

「確かにお前は最初に下手を踏んでしまったが、その後はまずまずだ。怒りを真っ直ぐにぶつけたのも良かった。毎回それが通用するわけではないが、激情するのではなく、挑発に乗るのでもなく、怒りを静かにぶつけるやり方は、相手を怯ませたり引かせたりすることも出来る」

「そう、なんですか」

「事実、ハーゲン殿には通用した。……交渉というのは、大体は腹の底の真っ黒くろすけを、うまーく表面上では隠しながらも、隠す気なんてまるで無いと言わんばかりに青筋刻んだ笑顔で『早よ譲れやボケ』『貴様が譲れこのハゲ』『ああん? この性格バーコードハゲが』『んだとこのナルシスト俺様ハゲ』と、言葉の裏で殴り合いをするものだからな。お前の様に真っ直ぐ静かに向かって来るのは変化球になる。つまり、不意を突けるのだ」

「は、はあ」


 言葉の裏と言いながら、全然裏になっていないの殴り合いがはなはだ物騒ではあったが、いつものフランツのお茶目だろう。故に聞かなかったことにした。

 しかし、カイリはポーカーフェイスを保つべきだと考えていたが、必ずしもそうではないのか。交渉はつくづくパズルの様だ。難しい。


「最後のハーゲン殿の意図は見抜けなかったが……それは俺達も同じだ。お前が自分自身で彼の脅しに気付き、王族の企みも引き出せた。最後に彼が依頼を断っても構わない、という言葉は本物だし、最終的には痛み分けに持っていけたのだ。よくやったと俺は思うぞ」


 ぽんぽんとフランツが頭を撫でてくれる。

 シュリアは何も言わない。だが、その表情に険しさは見当たらなかった。

 足を引っ張ってしまったのは事実だが、軌道修正はつたないいながらも何とか出来た様だ。その事実に崩れ落ちる様に安堵する。


「……良かったです。……少しでも挽回出来たのなら」

「ああ。……というわけで、依頼については今の時点ではどうにでも出来る。カイリ、返事は先延ばしで良いか? ……雨が関わってくるなら、受けられるかどうかも」

「……、いえ」


 フランツの言葉を遮り、カイリは微かにうつむく。

 確かに、雨を呼び寄せるのはカイリにとってはかなり荷が重い。水を克服出来ていないこの身で、任務を達成出来るかどうかは厳しい。

 だが。



「……受けます。そう、伝えて下さい」

「――」



 カイリが断言した瞬間、二人が息を呑んだ音が重なった。


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