第230話


「……受けます。そう、伝えて下さい」

「――」



 カイリの迷いの無い言い切りに、フランツだけではなくシュリアも息を呑んだ。眉間にしわを刻み、ぶった切る様にシュリアが突っかかってくる。


「あなた、馬鹿ですの? さっき、水という単語を聞いただけで震えていましたわよね」

「……、うん」

「それなのに、引き受ける。正気ですの?」

「ああ。俺は、正気だよ」


 躊躇いなく断言し、カイリは恐怖を吐き出す様に息を漏らす。遠くに聞こえる水の音にずきりと胸が痛んだが、気付かないフリをして続けた。


「断るのは簡単だけど、……でも、ケント達が言っていたんだよね? 王族、もしくはそれに近しい者が、狂信者と通じているかもしれないって」

「……、ええ。まあ」


 歯切れが悪いのは、カイリの言わんとしていることが予想出来たからだろう。フランツも苦い顔になったが、口を挟んでは来なかった。


「つまり、王族側を探るには、王族側とのパイプをつながなければならない。今なら、一度接触しているジュディス王女殿下が一番だ。彼女とのパイプを、より太いものにすればするほど、探りやすくなるかもしれない」

「……、あなた」

「それに、パーシヴァル殿がいないと、王女殿下もハーゲン殿も、とっくに身動き取れなくなっていたかもしれないって言ってたよね。……それって、あくまでも推測だけど、……彼女もケント達と同じことを考えて探っているんじゃないかな」


 王族が、もしくはそれに近しい者が狂信者と関係がある、と。

 パーシヴァルはジュディスの目的は話せないが、話せないなりに「狂信者や王族と教会の関係」を調査していると伝えてくれた。言い換えれば、それはそのままジュディスが調査していることに他ならない。ハーゲンも「身内を調べている」と言っていた。ほぼ確定だろう。

 それに、彼女はリオーネの十年前の拉致事件の真実も調べていたという。恐らくカイリが、そして家族が考える以上に彼女は聡明な人間なのだろう。

 そして。


「貧民街で狂信者に襲われた時、狂信者は、王女殿下には手を出さないって言っていました」

「……、何だと?」

「何もしなければ、という条件付きでしたけど。王女殿下も、『やっぱり』という言い方をしていて。……彼女が、狂信者について不審を抱いていたのは間違いないです」


 根拠は少ないかもしれないが、材料としては十分に説得力がある。

 考えてみれば、ジュディスは歓楽街では襲われることを望んでいた様に思う。それは、『何か』と接触出来るかもしれないという、期待の裏返しだったのかもしれない。

 そのためには、強すぎる護衛では意味が無い。

 故に、カイリを選んだのだろう。実力的には、どうしたって下に見られる。


「それに、ジュディス王女殿下は拉致事件の時、俺のために、……多分危険を冒してクリスさんに手紙を送ってくれたんですよね?」

「……」

「教会が俺を捕まえたことに反対するということは、教会へ反逆の意思ありと捉えられてもおかしくはない。そんなことをしたら、最悪破門にされるという結末もあったはずだから」


 破門を言い渡されれば、法による守護が無くなる。

 そうなれば、ジュディスがどんな残酷な犯罪に巻き込まれても、罰せられるどころか放置だ。人としても扱われなくなってしまう。

 それでも、ジュディスは踏み越えてカイリに手を差し出してくれた。第十三位やケント達以外で、危険を冒してまで味方をしようとしてくれる彼女を信じてみたい。


「王女殿下には借りがあります。恩を返しておきたいです」

「……借り。そうか、そういう話になるか」

「はい。ハーゲン殿には、正直腹が立って仕方がないし、一度顔面に蹴り入れてやりたいくらい怒り狂ってはいますが」

「……。……あなた、攻撃出来ないくせに、割と暴力的ですわよね」

「でも、攻撃が出来ない俺では、それは叶わないし。ハーゲン殿も、最後の最後には王子殿下の企みを教えてくれたので、今回は相殺にします」

「……あなた、さらっとスルーしてくれましたわね」

「そして、ジュディス王女殿下に借りを返し、同時に恩を売ります」


 つん、とカイリがシュリアのツッコミを無かったことにすると、シュリアはむきーっと右手をぶんぶん振り回した。両手ではなく右手だけというところに、彼女の感情の抑えが見られる。笑うことで、少しだけ心が軽くなった。

 こんな心強い彼女達がいるからこそ、カイリは強く前を向ける。



「だから、任務は受けます」



 ジュディスを足掛かりにし、彼女の目的を話してもらう。それと同時に、カイリ達は狂信者――その背景にある『エミルカ神話』についても探っていかなければならない。

 だからこそ、今回の任務は断れない。どれだけ不利であろうとも、受けるしかないのだ。


「でも、……条件は付けたいです」

「……、聞こう」

「任務の内容によっては、調査期間が欲しいということ。期間設定が短すぎる場合は受けないということ。聖歌を歌う時は、第十三位全員が俺の傍にいること。俺が水にトラウマを持っていると伝えても構いません。いずれバレる気がしますし」

「……、ふむ」

「任務内容や裏事情に関して隠し事をしていたと発覚した場合、ただちに任務は降りるということ。それで暗殺とか諸々企ててくるなら、こちらはあらゆる手段や人脈を使って抵抗するということ。……要は、誠実さが欲しいということです」

「……お前らしい条件だ。そこは強く伝えよう」


 フランツが腕を組みながら、ふっと笑う。

 そんなに変なことを言っただろうかと焦ったが、彼の表情は穏やかに誇らしげだったので、続けることにした。


「後は、……俺達は謹慎中だから、それが終わってからでないと動けないということを注意事項で伝えて下さい」


 条件としてはこんなところだろうか。急ごしらえ過ぎて穴があり過ぎる気がするが、カイリとしては他に思いつかない。

 そして、早速シュリアが溜息を吐いた。ふん、と腕を組んで吐き捨てる。


「後は、第一位団長であるケント殿に、任務内容を公表して良いか確認しなければなりませんわ」

「……、ケントに?」

「彼は、第一位としてあらゆる任務を把握している義務がありますの。王族依頼の護衛内容も把握していたでしょう? 今回も当然そうします、と伝えますのよ。その反応次第では、牽制けんせいもかけられます」

「その通りだ。彼らにまで内密にとなるならば、こちらも受けないという選択の理由が強固になる。俺達は教会あずかりの騎士だからな。断っても仕方がないという口実が作れるのは大事だ」


 任務を聞く前に、断れる口実を明確に作る。

 そこまで思考が及ばなくて、カイリは感嘆してしまった。調査期間や誠実さの有無では、確かに断る口実としては弱い。

 それにケント達に事前に伝えられるということは、何か不都合が生じた時に話す手間も省ける。ケントやクリスなら、簡単に事の次第を把握するだろう。


「……やっぱり凄いなあ。俺も早く二人みたいになりたいです」

「は? 馬鹿ですの? 無理ですわよ」

「む。……それは、シュリアから見たら、俺はまだまだヒヨッコの『ヒ』の字も取れていない新人に見えるかもしれないけどさ」

「そうではなくて……、……はあ。あなた、本当に……」

「な、何だよ?」


 無理と言われたり馬鹿にされたり散々だ。カイリは先程下手を踏んだから仕方がないのだが、それでも多少はへこむ。

 むーっと少しだけ膨れっ面になると、シュリアがあからさまに溜息を吐いた。



「……今回。任務を受けることにそれだけ多くの条件を付け、ハーゲン殿を帰すことが出来るのは、あなたが彼の企みを見抜いたからですわ」

「……、え?」



 予想外の方向から衝撃で殴られた。

 咄嗟とっさに反応出来ずにいると、シュリアは更に馬鹿にする様に目を細める。


「わたくし達も気付きましたが、あなたが気付いたことに意味があります」

「……。どうして?」

「依頼相手があなただとはっきり明言されたからです。受けるも断るもあなた次第。わたくし達も指摘したとは思いますが、最終判断をするあなたが気付けなかった場合、相手はあなたを内心で見下していたでしょう」

「……確かに。ハーゲン殿は、俺を見くびっていたって言っていたし」

「そうです。つまり、例え今みたいに条件を言い渡したとしても、あなたなら騙せる。隠し通せる。むしろ、のらりくらりとかわして、いつの間にか条件を無かったことにされかねませんわ」

「……、あ」

「そもそも、条件を受け付けないと強気に出られていたかもしれません。……王子殿下二人の威光も使われていたかもしれませんわ。形骸化してきているとはいえ、王族は一応第十三位よりは権力はありますのよ。ついでに、他国相手ならもっと力がありますわ」

「……なるほど」


 そこまで言われれば、カイリにも伝わる。

 要するに、ハーゲンに舐められたままだと、いざという時にまた隠し事をされたり、不利な仕掛けをされていたかもしれないということだ。フランツ達を出し抜く方法を事前に準備されたなら、防げる可能性が低くなる。


「あなたは企みを見抜いた上に、相手を問い詰め、そして本来なら話せない部分まで口を割らせた。ハーゲン殿は、あなたを感服なり警戒なりしたでしょう。一目置く……とまではいかなくても、あなたは自力で立場を対等近くに持っていった。そのことは、評価すべきです」

「……」


 滔々とうとうと語るシュリアに、カイリは呆然とした様に見上げる。

 そのまま、じっと彼女を穴が開くほど見つめ続けると、彼女は「あー、もう!」と苛立つ様に、ともすれば照れ臭さを隠す様にびしっと人差し指を突きつけてきた。


「つ、つまり! 今回の交渉は、あなたがあなたであなたらしかったからこそ出来たやり方ですわ! わたくし達だったなら……恐らくもっと、それこそハーゲン殿が見せた方法の意趣返しの様なやり方をしていたでしょう」

「……」

「ですからっ。……正攻法で彼の守りを破ったあなたには、あなたなりのやり方がある。必ずしもわたくし達の様にならなくても良いということです!」


 ぷんっと腕を向いて外向そっぽを向くシュリアに、カイリはじわじわと腹の底から頬へと、熱が上がっていくのを感じる。

 カイリはハーゲンに腹を立てていたし、正直そこまで計算はしていなかった。

 けれど、シュリアは不機嫌そうにしながらも言外にこう言っているのだ。「よくやった」と。カイリのやり方で良いのだ、と認めてくれた。



 ――彼女に認められると、ちょっと照れくさいな。



 こそばゆさで胸がいっぱいになりながら、カイリは零れる喜びのままにはにかんだ。


「ありがとう、シュリア」

「……ふんっ。分かったなら良いですわ」

「……うむ。シュリアも大人になったな。カイリを褒め称える日が来るとは、少し前までなら考えも」

「フランツ様は黙っていて下さいませ! わたくしは! 自己評価が低い人間が嫌いなだけですわ!」


 ほろっとフランツが涙を流すのを、シュリアは怒鳴り散らして制止する。

 だが、そんなことには全く気にかけず、フランツはカイリの頭を満足そうに撫でた。誇らしい、と満面の笑顔が物語っている。


「よし、条件はそんなところだな。ケント殿の名前もそれなりに効くだろう」

「ケント達に頼りっぱなしなのは気が引けるけど……そうも言っていられないですよね」

「ああ。……もう少し、俺達だけでも対処出来る様に色んな強さを身に付ける必要はあるがな。……だが、方針は決まった。カイリの条件はしっかり認めさせる。安心すると良い」

「はい。お願いします」

「では、シュリア。頼むぞ」


 浮き足立つ様に、フランツが部屋を出て行く。

 途端、部屋が静まり返ってしまった。シュリアが渋面になって仁王立ちしているのに対し、カイリはベッドに座ったままだ。果てしなく気まずい。


「えーと、……シュリア」

「何ですの」

「立ったままだと疲れない? 座ったら?」

「別に平気ですわ。あなたの様に軟弱な鍛え方はしていないので」


 悪かったな。


 とはいえ、カイリは既に軟弱っぷりを如何いかんなく発揮してしまっている。ぐうの音も出ないとはこのことだ。

 しかし、落ち着かない。カイリは座っているのに、目の前で立たれていると気が気では無いのだ。


「あのさ、シュリア」

「何ですの」

「俺、落ち着きたいんだ。……だから、座ってくれないか」

「……」


 何甘いこと言ってんだこいつ、と雄弁に物語る彼女の視線に、カイリは心臓を串刺しにされる。

 分かってはいた。彼女は、こういう人だ。カイリが頼んだとしても、彼女は取りたい姿勢を維持するだろう。

 はあっと俯いて悲しげに溜息を吐くと、シュリアのスリッパが揺れた。

 え、と顔を上げると、彼女は非常に――非常に不満そうな顔を前面に押し出したまま、あろうことかカイリの右横に座ってきた。

 ぼすんっと、座り方まで不機嫌そうだ。そこまでして座って欲しいとは、流石にカイリも思わない。


「あ、あの。嫌なら」

「あなたが座れと言ったんじゃありませんの」

「……うん。そうだけど」



 まさか、隣に座るとは思わなかった。



 普通、男のベッドに男女二人で座ることには危機感を持つのではないだろうか。カイリがいくら戦力として底辺でも、もう少し配慮するべきだ。一応、カイリも男なのだから。

 シュリア、と注意のために振り向いた瞬間。



 ふわり、と軽やかな甘さがカイリの鼻先をかすめた。



 ほんの一瞬だったが、この部屋には馴染みのない匂いだ。間違いなく彼女の香りだろう。どこか清々しい透明感があるのに、ほんのりと甘い。

 ささやかで、けれど彼女を高潔に際立たせる香りに、カイリは自然と心惹かれた。彼女が使っているシャンプーの匂いだろうかと興味が湧く。


「なあ、シュリア。君、良い、――」


 良い匂いがするな、と思わず口にしようとして、カイリは笑顔で固まった。

 いきなり「良い匂いだな。凄く素敵だ。どんなシャンプーを使っているんだ?」などと不躾ぶしつけに聞き出すこの構図。



 ――これって、ただの変態じゃないかっ⁉



 不可抗力とはいえ女性の匂いを嗅ぎまくり、強引に乙女の秘密を暴こうだなんて、どこの変態だろうか。そうでなければ、ただの女慣れした最低ナルシスト口説き魔だ。乙女の師匠のミーナに知られたら、真っ先に世界一恐ろしい笑顔の説教フルコースである。

 レインなら良い感じに決めて、周囲の女性の目を全てハートマークにするかもしれないが、カイリが口にしてもただの痛い変態である。

 当然、シュリアに質問したら、ナメクジやゴミでも見る様な目つきになって、張り手をかまされるかもしれない。絶対にご免だ。


「? 何ですの?」

「えっ⁉ い、いや……!」


 シュリアがいぶかし気な目を向けてくるが、まさか正直に「君の匂いが好きだ」などと話せるわけがない。完全に変態扱いされた上、丹念に頭から踏み付けられて終了だ。口も利いてくれなくなるかもしれない。

 故に、匂いは忘れようと断固として決意した。

 だというのに。



 ――シュリアの匂いが、離れない……っ!!!!!!



 もう一度追い打ちをかける様にふわり、ふわりと清潔な香りがカイリを襲ってくる。何て透き通る様な素敵な香りだろう、などとは口が裂けても言えない。

 普段は他人の匂いなどまるで気にしないのに、何故今に限って彼女の匂いが気になるのだろうか。まるで彼女の匂いが好きみたいな結論に、ぶんぶんと思い切り首を千切れんばかりに振った。ついでに両手で顔を強く覆って、左右に上下にと忙しく振り回す。


「……な、何ですの? 犬か馬みたいに頭を振って。馬鹿ですの?」

「い、いや! べ、別に! ただ、煩悩を打ち払おうと思って!」

「はあ?」


 案の定、シュリアが思い切り眉尻を上げて胡乱気うろんげに見つめてくる。更にぶんぶんと首を振るカイリに、益々不審者を見る目つきになった。

 大体、カイリがここまで匂いを意識している方がおかしいのだ。匂いなどしない、匂いなどしない、と念仏を唱える様に暗示をかける。



 だが、一度意識してしまうともう駄目だ。



 少し動けば触れ合いそうな距離なのも相まって、がちっと右腕ごと緊張してしまう。それどころか、右腕が直接彼女に触れてしまった様な錯覚まで起こし始め、妙に彼女の気配が濃くなった気がした。益々変態だ、とカイリは両耳を押さえて頭を抱えた。

 だが、こんなにカイリが苦悩して不審者一歩手前の挙動をしているというのに、当のシュリアは飽きたのか、不機嫌そうに真っ直ぐ前を見つめている。ちらりと視線を寄越すカイリの方など見向きもしない。



 ――何っで! 俺ばっかり意識しなきゃならないんだっ!



 何となく面白くない。シュリアのせいなのに、彼女はまるで他人事だ。解せない。

 だからこそ、八つ当たりの様にどうにか距離を取ってもらおうと決意した。匂いさえしなければ、こっちのものである。



「えーと、シュリア。あの」

「……あなた。本当に馬鹿ですわね」



 おまけに馬鹿呼ばわりされた。



 何故このタイミングで、またも馬鹿にされなければならないのか。カイリが変な行動ばかり取っているからだろうか。

 だとしても、理不尽な気がして、ぶすっと膨れてしまう。ぷいっと外向を向いて不機嫌な声を出した。


「馬鹿って、何がだよ」

「任務ですわ。……あなた、結局第十三位を選びましたわね」

「……え?」


 一瞬、何を言われているのか理解出来なかった。

 任務の話に戻ったことは数秒遅れて理解したが、何故第十三位を選んだ云々の流れになるのだろうか。

 困惑が表情に書かれていたのだろう。シュリアが更に馬鹿にする様に、半眼でこちらを見つめてくる。


「わたくし達は、断っても良いと言いましたのに。……本当に馬鹿ですわ」

「……え、でも」

「あれだけ取り乱したあなたを見て、心配しないとでも?」

「え」

「任務を失敗したら、それこそこちらの威信に関わるのです。もう少し考えて欲しいものですわ」


 ――やっぱり、そっちだよな。


 一寸、カイリのことを心配してくれたのかと思ったが、流石はシュリアである。ぶれない。

 だが、彼女の危機感はもっともだ。カイリとしても考えなかったわけではない。


「だからさ。聖歌を歌う時は、みんながいるのが条件なんだ」

「それは分かりましたわ。ですが、わたくし達がいるからと言って」

「一人じゃない」


 シュリアの反論を打ち切り、カイリは静かに目を閉じる。

 水責めに遭った時、カイリは一人だった。一人で恐怖に耐え、痛みを堪え、懸命に落ちない様にと闘った。それがひどく心細くて、苦しくて、辛くて、何度駄目だと思ったか分からない。

 だが、今回は一人ではない。

 傍にはフランツが、シュリア達がいる。心細ければ隣にいてくれて、苦しければ背を撫でてくれて、辛ければ支えてくれて、駄目だと思ったら引っ張り上げてくれる。

 それがどれだけ心強いことか。これは、弱いカイリだからこそ余計に実感出来るのかもしれない。


「シュリア達が傍にいてくれるなら、いざって時、頼れるだろ? 一人じゃないってことは、それだけで心の支えになるしさ」

「……」

「実際、お風呂だって、誰かがいるから入れている。だったら、聖歌も同じかもしれない。……ちょっともったいないけど、シャワーを雨に見立てて訓練したり、聖歌が歌えるくらい回復したら、雨を呼んで慣れていく。……出来る限りのことをしてから、ちゃんと挑むから」


 以前、みっともなく取り乱したところを、シュリア達は目にしている。不安はカイリの比ではないかもしれない。

 それでも、受けると決めた以上、カイリは挑みたい。――逃げたくない。



 水が恐いという事実に、立ち向かっていきたい。



「それに俺、ちゃんと一人でもお風呂に入れる様になりたいからさ」

「……、お風呂」

「うん。お風呂好きだし、いつも誰か一緒にって楽しいけど、やっぱり彼らを縛り付けている様で心苦しかったりもするからさ。……負けないで、ちゃんと克服したいんだ」


 ただでさえ、聖歌以外の戦力が頼りないのだ。

 これからも第十三位の一員であるのなら、カイリはやはり望み過ぎだとしても彼らの隣に立ちたい。

 守られるだけではなくて。



「……いつか、シュリア達のことを支えて、守れる様に」

「――」



 シュリアが驚いた様に目をいた。ハチの巣にするほど強く凝視されたが、カイリはひるむことなく微笑んで見つめ返す。

 ルナリアで見回りをしていた時シュリアに宣言した通り、カイリの目標はあの日から変わらない。

 以前はシュリアに「弱すぎるあなたが」と否定されたし、一度は渋々撤回したが、今はそんなことは関係ないと強く言える。

 大切な人達を、自分の手で守りたい。

 そう願う自分の気持ちは、紛れもなく本物なのだ。もう二度と譲ることはしない。


「あなた……」

「武術に関しては、やっぱり途方もない差があるけどさ。だからこそ、俺に出来ることで力になりたいんだ。隣に、……そう。守られるだけじゃなくて、隣に立って、一緒に前の景色を見ていきたい」


 シュリア達の背中ばかりを見るのではなく、彼女達と共に、前へ。

 今は無理でも、努力は無駄にはならないはずだ。カイリなりの戦い方を模索して進んでいきたい。

 そのためにも、この任務は――第十三位にとって利益のあるこの任務は、絶対に成功させたい。



〝ええっとー、……あー! んー、……カイリ殿の素性に関係するといいますかー〟



 それが例え、カイリに新たな傷を刻むことになったとしても。



 逃げずに、背を向けずに、立ち向かっていきたい。

 第十三位に恥じぬ自分で在りたい。彼らを守れる存在になりたい。

 それが、カイリの当面の願いであり、目標だ。


「だから、……不満も心配も多々あるだろうけど。一緒に、任務を受けて欲しい」

「……」

「駄目と言われても、俺はやるから」


 今更駄目だと拒絶されても、フランツは受けると返事をしているはずだ。カイリは最後まで諦めずにやり遂げる。

 視線を真っ直ぐに貫いてシュリアに向かい続ければ、彼女は疲れた様に額に手を当てた。溜息も「馬鹿ですわ」と響く様で、少し笑ってしまう。溜息まで彼女らしい。


「まったく……あなたは、ほんっとうに頑固ですわ」

「うん。あと、向こう見ずなんだよな?」

「そうですわ。……良いでしょう。はっきり言って、かなり無謀な上に、夢のまた夢と言うのもおこがましい目標を掲げている様ですが。……わたくし達に利がある以上、この任務を断るのももったいないので」


 彼女らしい言い分である。

 それに、カイリの目標を無謀と言い切るあたりも彼女らしい。

 けれど。



 鼻で笑ったりはしない。



 馬鹿と言いながらも、本気で在り方を否定はしてこない。

 彼女のそういう性格が、カイリは好きだった。

 そして、それは彼女の在り方にも表れている。

 真っ直ぐに輝き貫くアメジストの瞳は、本当に綺麗だ。いつでもその輝きと同じく真っ直ぐに見つめてくるその色が、カイリにはとても心地良い。


「ありがとう」

「……何故お礼なんですの」

「何でも。……俺、任務、頑張るよ。みんなが、……取り敢えず、今はシュリアが助けてくれるって約束してくれたから」

「誰も約束なんて、……ああ、もう」


 腕を組んでがなり、シュリアはぎっと凄い勢いで睨んでくる。その視線は岩をも貫通しそうな攻撃力で、カイリは少しだけ首を竦めてしまった。

 だが。



「やってみなさい」

「……、え」

「あなたが、わたくし達を守れる日なんて永遠に、というか死んで生まれ変わっても無理そうですが。あなたは、頑固ですから。……万が一、億が一、いえ、それ未満の可能性でもやるというのならば止めはしません」



 だから、やれるものならやってみなさい。



 挑戦状を叩き付ける様に笑われた。真っ向から、受け止めてきた。

 真っ直ぐに認めてくれた。

 その事実が、ひどく嬉しい。

 けれど、今思えば、以前も彼女は「馬鹿」とは言いながら、カイリが撤回したら少しだけ不満気だった。

 もしかしたら、その後認める様な言葉を言ってくれるつもりだったのかもしれない。今みたいに、カイリの未熟さを指摘しながらも激励しようとしてくれていたのかもしれない。


 だとしたら、これほど嬉しいことはない。


 口元がにやけて止まらなった。じわっと滲む様に目の奥が熱くなる。

 しかし、何故こんな時まで上から目線なのだろうと、カイリは堪らず噴き出した。ぶはっと肩を揺らし、腹を抱える。


「って、何で笑うんですの!?」

「い、いや。……シュリアは、やっぱりシュリアだなあって」

「何ですの、それは! まったく、年上をもう少し敬いなさい! あなた、年下でしょう!」

「年齢なんて関係ないから。……ははっ。シュリア、……良いなあ」

「何がですの!」

「うん。やっぱり好きだな、ってことだよ」

「はあっ!? す、すすすすすすすすす、す……⁉ す、す……! ……ほ、ほほほほほほ本気で意味が分かりませんわ……っ!」


 カイリの言葉に、何故かシュリアが上擦った声で慌てる。ほんのりと耳が赤い気がするが、カイリは笑ってそれどころではない。


 しばらくカイリが笑い続け、シュリアが意味の無いわめき声を上げ続けるという構図が出来上がり、それをフランツ達に目撃されて更に笑われることになるのだが、それはまた別の話である。


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