第228話


 ジュディスが、秋から教会の学院に留学したいと言っている。


 任務の話から、いきなり話が飛んだ。

 あまりに唐突に過ぎて、カイリは目を点にして反応が出来なかった。フランツ達も同様なのか、何とも言い難い表情をしている。

 だが、一人レインがいるだろう斜め後ろだけ空気が尖った。


「おい、待て――」

「殿下は、内密に調べていることがあります。身内のことです」


 レインの制止にかぶせる様に、ハーゲンは話の続きを進めた。

 フランツが「……ほう」と唸ったが、一番最初の反応と打って変わって、声が一段低くなった様に聞こえる。


「詳細は、もしかしたらいずれ、殿下の方から打ち明けて来られると思います。それまでお待ち頂ければ」

「……話してくれるかは分からないのでは?」

「いいえ、フランツ殿。カイリ殿がおりますので」

「え? 俺、ですか?」


 何故か矛先を向けられ、カイリは泡を食って目を瞬かせる。

 だが、冗談の空気は欠片も無い。至極真っ直ぐにハーゲンは続きを告げてきた。



「カイリ殿は、リオーネ様以外に唯一彼女に見込まれた方。恐らく、必ずお話するでしょう」



 更に意外な事実だ。

 ジュディスはレインがお気に入りで、きゃーきゃーと黄色い声を出してはくっついていた。

 一方、カイリは「イモ騎士」と連呼され、しかもスルーされたり茶化されたりと散々な扱いをされている。護衛だって、結局は一人でこなせなくて馬鹿にされた。


「あの、……どう考えても、レインさんの方が頼りにされていたと思うんですけど」

「いいえ。レイン殿は、囮です」

「お、おと!?」

「ほんっとになー。ムカつくぜ。おかげでオレ、国王や兄殿下に目の仇にされるんじゃねえの」

「まあ、それも狙いでしょうな。最初からカイリ殿一人に注意が向くと、カイリ殿が大変ですから。その点、レイン殿はあしらい慣れているでしょう?」

「……否定はできねーけど」


 げんなりしたレインの表情に、カイリは真実なのかと唖然あぜんとしてしまう。あれだけレインにくっつき、べた褒めし、寄り添っていたのに、あれが演技。

 衝撃を受け過ぎて真っ白に固まるカイリに、ハーゲンはしかし無情にも続ける。


「どうか任務を達成し、第十三位は信用出来ると。そう、陛下並びに王子殿下に認めさせて頂きたいのです」

「……あー、リオーネいる限り無理だろ。だから、この話は――」

「留学先に、信用出来る『教会騎士』が一人でも多くいること。それが、彼らの条件なのです」


 またもレインの言葉を遮って、ハーゲンが続ける。

 あからさまにレインが舌打ちしそうな雰囲気だ。何となく違和感を覚えながらも、カイリは疑問を口にしてしまう。


「……。教会騎士、ですか?」

「そうです、カイリ殿。王家と教会は長年、上辺だけの付き合いが続き過ぎています。特に王家から教会への疑心暗鬼は酷い。だからこそ、護衛任務を成功させた第十三位に、国王ならびに王子殿下二人の更なる信頼を勝ち取ってもらいたい。そして、ジュディス殿下のわがま……いえ、悲願を叶えて頂きたいのです」


 ハーゲンはそこまで言い切ってから、頭を下げた。

 まるで首を差し出す様な礼の仕方だったが、カイリの目にはまるで隙が見当たらない。

 何故、と疑念を抱いたのは一瞬だった。



「今回の依頼、第十三位にというよりは、カイリ殿の一存で決めて頂く様にと仰せつかっております。ですので、現時点でお断り頂いても当然構いません」

「……、え? ……っ」

「ですが」



 カイリに依頼を受ける是非を決めさせる。

 刹那の混乱を突く様に、ハーゲンは言葉を畳みかけてきた。



「……ジュディス殿下をお守り頂いた、賢明なカイリ殿ならば、きっと『我らの意志』をご理解下さると信じております」

「――」

「――どうか、何卒なにとぞご一考下されば」



 最後の言葉はそこまで大きい声ではなかったのに、ひどく腹の底まで響く様な力を感じた。一瞬ハーゲンをまとう空気が鋭く、物騒に重くなったのが分かる。

 やられた、とカイリは内心だけで頭を抱えた。小さな引っ掛かりは覚えたが、それでもすっと熱が頭から津波の様に引いていく。

 レインが何度も制止をかけた意味も、今完全に理解した。――ハーゲンが、無視して続きをかぶせた意味も。

 表向きの理由は、今の説明で十二分に分かった。素直に受け取れれば良かった。

 けれど。



〝賢明なカイリ殿ならば――〟



「……、……………………」



 彼の真意を読み取ってしまい、カイリの心が暗く沈んでいく。

 王族は形骸化しているとはいえ、ないがしろには到底出来ない権力者である。教会といくら仲が悪くても、表向きは手を結ぶ必要だってあるだろう。第十三位が長く、リオーネに対する嫌がらせの任務を受け続けなければならなかった様に。

 故に、依頼はよほどのことが無い限り受けざるを得ない。それは、カイリも覚悟していた。



 だというのに、彼は更に上から脅しをかけてきたのだ。「ジュディスの秘密を知ったのだから、何が何でも手を貸せ」と。



 最後に空気が物騒に変じたのは、圧をかけるためだ。断ればただでは済まさない、と。

 ジュディスの裏の真意は、家族にさえ知られたくない最重要機密事項のはずだ。

 それなのに、ハーゲンは前置きも無しにいきなりカイリ達に漏らした。相互の確認も無く一方的に。

 それでも、ここまでなら、まだ困惑だけで終われたかもしれない。

 けれど。



 ご一考、だなんて。こちらを思いやる一言は形だけだ。



カイリ殿ならば〟



 この言葉選びこそが、最初から彼にとって、カイリの意思など関係なかった証拠なのだから。


「……ハーゲン殿は、……」


 無意識に発してしまってから、カイリは一度口を閉じる。

 だが、誰も彼もが他に言葉を発しない。フランツも団長であるのに、むしろカイリが口を開いたことで更に引く様に体をソファの背にもたれさせた。

 ならば、彼らから制止がかけられるまでは話してみよう。胸に暗く渦巻くものを、このまま放置しておくのはきつい。


「結局、今回は誰の代理で来たことになるのでしょうか」

「それはもちろん、王族です」

「王族というのは、国王や王子殿下だけではなく、ジュディス王女殿下も含めて?」

「……そういうことに、なります」

「単純に、依頼の話『だけ』をしに来ましたか?」

「……。……はい」

「依頼は、国王と王子殿下からでしたね。じゃあ、ジュディス王女殿下の裏の思惑云々を、当然国王陛下や王子殿下二人も知った上で、彼らの意思として俺に話してくれたということですよね」

「……、……それは」


 端的に答えていたハーゲンが、詰まる。

 当然だ。ジュディスが学院に入学したい真の理由を、仮に国王や王子が知っていたとしても、カイリ達に話すはずがない。顔を合わせたこともない者を、上に立つ彼らならば尚更信用するはずがないだろう。

 だから、真意の内容はジュディス側からだけの話。

 もし断ったら、ハーゲンには完全に敵と看做みなされる。そして、第十三位もろとも始末する様に動くかもしれない。圧をかけてくるということは、それが可能な手段があるかもしれないということだ。


 ――こんなやり方をする人と、手を結ばなければならないのか。


 必要だと頭では理解していても、感情的にどうしても割り切れなくて辛い。

 カイリも一度、パーシヴァル相手に無茶な要求をした。

 けれど、あの時は彼が自害やジュディスを害すること以外は全て聞き入れると申し出てくれたから、カイリも思い切って踏み込めたのだ。

 彼が、可能な限り誠実でいてくれたから、協力関係を結びたいと考えられた。事前にフランツ達に目の前で相談することで、彼にも「聞かない」という選択肢を暗黙の内に与えられた。

 しかし。



「違うんですね。つまり、ハーゲン殿は依頼の内容に関係なく、ジュディス王女殿下の秘密を一方的に話してきたんですね」

「……、……」

「そして、判断して問答無用で協力しろと。そう言っているということですよね」

「――」



 彼のやり方は、完全に上から目線で卑怯だ。



 切羽詰まっていたとしても、誠実ではない。権力の嫌いな使い方だ。大いに不満を抱き、カイリの眉根が微かに寄った。

 むっとした表情が、正しくハーゲンに伝播でんぱしたのだろう。申し訳なさそうに頭を下げていたが、カイリとしてはそれすらも卑怯だと感じた。


「……いいえ。そんなことは、決して」

「貴方は『王族全体』の代表でここに来たのですよね。でも、あくまで今回は依頼について『だけ』、話し合いに来た。そうですよね?」

「……はい」

「ならば、依頼のことだけを話せば良かったのでは? それに、本気で俺の判断に委ねるというのなら、ジュディス王女殿下の内情を伏せて話すことはいくらでも出来ましたよね?」


 ハーゲンの顔色がはっきり変わった。

 それだけで、彼の図星を突いたのだとカイリは確信する。


「でも、それをしなかった。おまけに前触れもなく、ジュディス王女殿下は留学で、何か企んでいることを俺達は知ってしまった。しかも、内容としてはかなり危ういものです」

「……、え、ええ」

「聞かなかったことに、とするには、ジュディス王女殿下の立場は高過ぎる。それに、貴方も彼女を何が何でも守る立場に在る。――ここまで教会に『何か』を企てていると知った俺達のことを、黙って看過するはずがない。それくらい、俺にだって分かります」

「……」

「つまり、貴方は何が何でも俺達に、……俺に任務を受けさせる方向に流してきた。受けなければ、きっと貴方は俺達を『どうにかする』のでしょう」

「……それは」

「これは、対等な取引じゃない。……それなら、最初から率直に『断るな』と言われた方がよっぽど潔かったと思います」


 率直に意見を述べれば、ハーゲンは微かに目を丸くした。心の底から驚愕した様な態度に、カイリの気分が益々落ちる。

 先程彼は首を差し出す様に頭を下げていたのに、まるで隙が無かった。それは内心では警戒し、形だけの誠意だったのだということに他ならない。


「俺が相手だったら、知らない内に丸め込めると思いましたか? フランツさん達が口を挟む前に、何も知らずに是と言うと思いましたか? フランツさん達が渋った時、俺が味方側になると思いましたか?」

「……、いや。……その」

「確かに俺はフランツさん達ほど交渉事には慣れていないし、気付けない点も多い。……それでも、少し考えれば分かります。今、俺は独断で否とは言えなくなりました」

「……」

「最初から、俺の意思なんて関係なかった。俺が受けることが前提の話だった。そう解釈してよろしいですか?」


 だんだんと声が低くなっていくのが、カイリ自身分かった。今鏡を見たら、酷い顔をしているだろう。口にしている内容自体に毒が含まれていて、カイリとしては自分で自分を攻撃している気分にすらなった。

 だが、止めるわけにはいかない。突っかかってしまった以上、相手の本音を引きずり出すところまでが、カイリの負うべき責務だ。

 フランツ達は依然として口を挟んで来ない。黙っているということは、今はカイリに任せるという意味だろう。

 そうして、真っ直ぐにハーゲンを視線で貫き続けると、彼はやがて観念した様に項垂れた。そのまま膝に両手を置いたまま、頭を深く下げてくる。



「……はい。仰る通りです」



 静かに、平伏する様に声が床を這った。カイリの足元にまでは届いたが、心にまでは響いてこない。

 土下座を深くしたまま、ハーゲンは心のうちを淡々と語り始めた。


「ご不快にさせたこと、誠に心苦しく思います。確かに、私は何が何でもカイリ殿に任務を受けてもらえる様に仕向けていきました。……貴方が気付かなくても、フランツ殿達ならば必ずや気付く。普通に判断するならば、受けざるを得ない状況に追い込みました。その時の反応でもって、貴方達の信頼の段階を見極めよう、と」

「……」

「正直、見くびっていたところもあります。……カイリ殿は、お人好しな部分が多々あるとお見受けしましたし、貴方が拉致された時の状況判断もあって、……抜けたところもあるし、付け入る隙もある、……と」


 それは、ゼクトールに無防備に近付いた時のことだろう。

 確かに、あの場面だけで判断すれば、カイリは不手際が多い素人に映っただろう。あれは、カイリ自身も反省すべき部分なことは間違いない。


「……。……ジュディス王女殿下も同じ考えですか?」

「――っ! いいえ! 彼女は全く関係ありません! むしろ、もしその話をするのであれば、真っ向から助力を仰げと……、……っ!」


 口が滑ったと、はっきりハーゲンは言葉を切ってしまった。目の前で墓穴を掘る人物を見るのは初めてではないが、ここまで明確だといっそ清々しい。少しだけカイリの気持ちが晴れた。

 ハーゲンは犬の様に唸ってから、のろのろと顔を上げてくる。


「……。これは、私の独断です。彼女は今回のこと、全く感知しておりません。ですから、報復するならば、どうか私のみにっ」


 お願いします、とハーゲンがまたも額を強く膝にこすり付ける。首を差し出す様に深く項垂うなだれる姿は、先程とは違って隙だらけだ。首が欲しいと要望すれば、本気で差し出してきそうである。

 だが、どちらにせよここでハーゲンを斬ったところで、王族を敵に回すだけだ。王族関連は狂信者の疑いもあるし、ジュディスやハーゲンの立場も見極める必要がある。

 それに。



 ジュディスを守りたい。その意志にだけは、嘘は見当たらなかった。



 カイリは甘いだろうか。これも演技の可能性がある。

 判断に迷ってフランツを仰ぐと、彼は、ふむ、と考える様に頷いた。



「カイリ。お前が決めて良いぞ」

「……、え?」



 思い切り決断を放り投げられて、カイリは混乱した。

 今のやり取りを見るに、カイリは断りそうな物騒な雰囲気をかもし出していたと思う。それなのに、フランツは団長であるのに、重要な決断を任せるのか。

 困惑するカイリに、しかしフランツは爽やかな笑顔で歯を光らせてきた。


「お前が売られた喧嘩だ。こいつを煮るも焼くもお前次第というわけだ」

「……、え、でも」

「断っても良いぞ。何せ、お前が侮辱されたのだ。なあ?」


 同意を求める様にフランツが振り返ると、シュリア達も各々大真面目に笑顔で頷いてきた。


「別に構いませんわ。元々第十三位はそういう組織です」

「仲間が見くびられたんなら、オレ達が怒っても当然ってわけだ。その結果、『裏』の奴らが来ようと、返り討ちにすれば良いだけだろ」

「実は少し、カイリ様が怒ってスカッとしました」

「いざって時は、新人のことはちゃんと守りますから。好きに答えて下さい」


 彼ららしく頷き、背中を押してくれる。

 こんな大事な局面を素人に任せるなんてと呆れたが、同時に歓喜も込み上げてくる。


 きっと彼らは、カイリが感情だけで判断しないと信頼してくれているのだ。


 激しやすいが、それでもフランツ達のことを考えて判断する。その上で「否」というのならばそれで良いと、了承してくれたのだ。

 カイリが気負いすぎない様に、心の負担を減らしてくれた。現に、今の彼らの言葉で、爆発しそうになった頭が少し冷えていった。


 ――ああ。助けられてばかりだな。


 第十三位に入れて良かった。

 改めて感謝しながら、カイリはハーゲンに向き直る。



「……任務内容は、今聞けるのでしょうか」

「――」



 ハーゲンが、弾かれた様に顔を上げる。

 そして、くしゃりと顔を歪めた。喜びに弾けた後、すぐに沈んで曇って行く。



「……っ、……申し訳、ありません。私の口からは詳細は話すなと、王子殿下から。貴方達には上手く色々言って……引き受けてくれると約束出来たなら、連れて来いと言われていまして」

「……………………」

「……っ、申し訳ありません。はい。もうそこから策を練っていました。……試すのも丁度良いなとも思い、……ました」



 カイリが眼力に物騒な力を込めると、ハーゲンは平身低頭よろしく上半身を床にすりつける。

 彼の苦しげな吐露に、カイリは大袈裟に溜息を吐いた。びくりと相手の肩が揺れたが、同情するどころか踏み付けてやりたい。

 先程、ハーゲンは体調が回復し、来られる様になったら連絡をして欲しいという言い回しをしていた。

 だが、引き受けると約束してから内容を話すと言っていたのならば、カイリ達が城に向かった時点で更に拒絶出来ない舞台を作られていたということになる。

 しかも、それを知らないまま城で断ったなら、王子殿下達の不興を買っていたのは間違いない。もし彼らが狂信者であるならば、カイリ達は益々危険な状況に立たされていただろう。

 これにはフランツ達も白い目になっていた。ハーゲンは、本当に最初から仕込みに来ていたのだと悟る。


「これ、怒って良いですよね?」

「――、……殴る蹴るはもちろん、切腹をしろと言うのなら」

「俺、血を見るの嫌いなんです。黙って下さい」

「……、はい」


 従順に口をつぐむハーゲンはさておき、カイリは整理する。

 要するに、任務内容については直接王子二人が話をしたい。

 間接的に内容を聞いて、断られたら困るということか。益々、詳細を聞いたら断れなくなりそうな匂いがたっぷり含まれている。呆れるしかない。

 内容を聞いてから判断しようと思ったが、目論見が潰されてしまった。仕方がないと、カイリは頭を切り替える。


「詳細は話せない。なら、話せないなりに話して下さい」

「……っ、……そ、そんな無茶な」

「出来なければ、断ります」

「……っ、ぐ、が、頑張ります」


 さくっと釘を刺して立ち上がる素振りを見せれば、ハーゲンは歯を噛み締めながら唸る様に宣言した。レインが、ぶはっと噴き出したので、更にハーゲンが歯噛みしている。その内、歯が欠けそうだ。同情は全くしない。

 だが、うんうん唸ること数分。流石に待ちくたびれたので、カイリは助け船を出すことにした。


「……その任務は、簡単なものではないですよね?」


 質問形式に、救いを見たのだろう。天の助けとばかりに、ハーゲンは必死に食らいついてきた。


「はい。……いえ、表向きは簡単と言えば簡単なのですが」

「表向き? 裏事情があるってことですか?」

「はい。……ああ、……ぐうっ。ぶっちゃけ、カイリ殿に少し関係することです」

「……俺に」

「ええっとー、……あー! んー、……カイリ殿の素性に関係するといいますかー」

「――」


 素性。


 言われて、さっとカイリの顔から血の気が滝の様に引いていく。フランツも隣で少しだけ揺れた。

 素性と言われて思い付くのは、一つしかない。


 両親の実家。


 母の実家、ゼクトールの家か。

 それとも。


「……どちらの家かは、言えますか?」

「のー! うおーっ! ……くおっ。……ああ、もう、カイリ殿には大変失礼千万なことをしているので! ……ああああ、……ゼクトール卿は関わっておりませーんっ!」


 やけくそ気味に叫ぶ彼に、しかしカイリは反応する余裕が無い。

 ゼクトールが関わっていないのならば、もう一方の実家だ。



 ラフィスエム。



 父、カーティスの実家だ。

 確か、父の実家は家族仲が悪いと話してくれた。カイリのことを気付かれるのは時間の問題だが、なるべく関わらない様にしていこうと話し合いもした。

 それなのに、早速関与することになってしまっている。カイリは頭を抱えてうめいた。


「……。……ちなみに表向き、俺は何をすれば良いんですか?」

「それは、……聖歌です」

「聖歌?」

「聖歌で、その、……自然現象を起こせるとお聞きしました」


 自然現象。


 つまり、雨や雪を降らせたり、風を起こせということだろうか。

 しかし。


〝二、三十分ほど続ければ――〟


「……っ。……ちなみに、どんな自然現象を?」

「ぬー! ほー! ……み、……水、です」

「――」


 水。

 その単語を聞いた瞬間。



 ぴちゃん、と。カイリの耳の中で、追い立てる様に滴が落ちる音がした。



「――っ!」



 がたっと、カイリは大きく震える体を抱き締める。

 すぐにフランツが力強く抱き寄せてくれたが、それでも荒い息を誤魔化すことは出来ない。はっと、怯えを吐き出す様に吐息がフランツの胸を叩く。

 案の定ハーゲンが戸惑った様にカイリを見つめてきた。おろおろと、何か仕出かしてしまったかと体を右に左に動かしている。


「あ、あの?」

「あー、いやー、気にすんな。こっちの問題だからよ」

「……しかし、雨ですの。よりによって、ですわね」


 ちらりと、シュリアが気遣わしげな視線を送ってくる。その視線がいつもより優しくて、カイリの心が撫でられる様に落ち着いていった。

 だが、雨。大量の水。

 それを、カイリが呼び出す。



 ――水に恐怖を感じている自分が、大量の水を召喚する。



 途方もない目的に、カイリの心が迷子の様に彷徨さまよった。


「あ、あの。本当に、……カイリ殿、顔色が」

「少し疲れた様だ。カイリを休ませたいのですが、宜しいでしょうか」

「え、ええ。もちろん。……」


 ふらっと立ち上がるカイリとフランツに、ハーゲンは迷った様に口を開いたり閉じたりする。

 ぎゅっと固く唇を引き結んだが、しかし意を決したのかソファから立ち上がり、顔を強く上げてきた。


「カイリ殿」


 静かに呼びかけてくる声は、どこまでもなだらかだ。

 後悔しながらも、後悔していない。

 相反する様な感情を滲ませる彼に、カイリも踏ん張って立ち続けた。



「……試す様なことをして、貴方の心労を増やしたこと。申し訳ありませんでした」

「……」

「ですが、……試したこと自体には謝罪しません。……どれだけ気分を害されたとしても、これだけは……私にとって譲れないことでした」



 言いながら、ハーゲンは床に正座をする。膝の上で拳を握り締める力強さは、そのまま彼の意思の強さを表している様に思えた。


「私にとって、ジュディス殿下が主です。主を守るためならば、命も懸けます。己を悪に落としてでも、壁となりましょう」

「……、ハーゲン殿」

「彼女は、……とても賢く、厳しくもありますが、時々びっくりするほど甘くなる。私は今回、カイリ殿への判断がそうだと断じました」


 とつとつと語り継いでいくハーゲンの口調は、波立たぬ泉の表面を連想させる。

 それなのに、その深く沈んだ場所では、穏やかとは無縁の激しくうねる熱を感じさせた。


「主が危険な判断をしようとしたのなら、それを正すのが騎士の務め。……カイリ殿が本当に力を借りるに値する存在なのか、真に信用して良い人間なのか、……我々の足を引っ張ることはないのか。どうしても見極めたかったのです。……主が、本気で貴方に真意を語る前に」

「……。それなら尚更、……留学には裏がある、といったことを漏らしてはいけなかったのではないですか?」


 唯一引っかかったのはその点だ。

 ハーゲンが本当にジュディスを危険に晒したくないのであれば、もっと別の試し方があったのではないだろうか。これでは、何が何でもカイリを巻き込むか、もしくは排除する方向へと進んでしまうだろう。

 その疑問をぶつければ、ハーゲンは初めて困った様に微笑んだ。眉尻を下げたその表情は、迷子の様なのに、遥かに洗練された大人びた空気を匂わせる。



「カイリ殿。……貴方は既にもう『捕まっている』のですよ」

「……、え?」

「言ったでしょう。王子殿下は、と私に命を下したと」

「……、――」



 だが、もし、――。



 その後に続く言葉を想像した瞬間。



 ぞっとする様な悪寒がカイリの背中を走る。隣にいたフランツも、守る様に一歩前に出た。

 先程、確かにハーゲンはそう命令されたと明かしてきた。それを利用して、今回カイリを試したとも。

 だが、今の箇所を強調するのには、別の意味合いが含まれている。いくつか予想は浮かぶが、どれも明るいものではない。

 彼が告げる真意に、カイリは震えそうになる体を必死に歯を食いしばって堪えた。


「パーシヴァル殿から告げられませんでしたか。王族には気を付けた方が良い、と」

「……彼がそう注意したと、貴方に?」

「はい。……貴方がジュディス殿下を信用するかどうかは、貴方次第です。ですが、……貴方が生き残る道は、そう多くは無い」

「ハーゲン殿……」


 思わずカイリが名を呼ぶと、ハーゲンは目を閉じて緩く首を振った。

 その顔には案じる様な色が混じっている。複雑な感情が吹き荒んでいると、暗に物語っていた。


「私は、貴方を……貴方達をまだ信頼出来ると考えているわけではありません。ですが、……貴方達が王子殿下に無防備に近付くよりはマシだと考えたのも事実です」

「……」

「もし、対抗策があるのならば本当に断って頂いても構いません。私が雷を落とされるだけに何とか食い止めましょう」


 そう締め括られ、初めて案じた上での試し方だったのだと知る。

 王子二人の方へと何も知らずに連れて行かれるよりは、ジュディスの方へと無理矢理引っ張った形にした方が、カイリ達への警告も叶う。パーシヴァルの言う「王族は危ない」という内容も、より深く知らしめられるだろう。実際、カイリは今、王族に対して不信感が更に深まった。

 ハーゲンはカイリを試しながらも、その中で自由に動ける道筋を作ってくれたのだ。ジュディス達の印象が悪くなり、味方にならない可能性が高かったのに。



 彼は主を強く思いながらも、主の意向を真に反映する。



 もし、これすらも引っくるめて演技をしているのだとしたら、もうカイリには見抜く力は無い。

 ならば、彼のこの親切だけは受け取ろう。


「……ありがとうございます。教えて下さって」

「いえ。……もし、カイリ殿が私の意図を見抜けなかったら、王子殿下の言葉を伝えるつもりはありませんでした」


 主を守るに値しないのであれば切り捨てる。

 そこだけは一貫しているのだなと、カイリは少しだけおかしくなった。彼はひどく不器用で真っ直ぐなのかもしれない。


「それから、……ジュディス殿下から言伝を預かっております」

「え?」

「……、――『護衛の任、大義だった。……よくぞ守り通してくれた』と」

「――」


 ハーゲンを通したジュディスの言葉に、カイリは胸を突かれる様な思いを味わう。不意に泣きたくなる衝動を抑え、ゆるりと首を振る。



「俺は、……最後まで守り通すことは」

「ジュディス殿下は仰っていました。……特に、貧民街での働きは感謝の念に絶えない、と」

「え……」

「自分の我がままに付き合い、最後まで守り通してくれた背中は決して忘れないと。……危険な目に遭わせて悪かった、と」



 真っ直ぐに貫いてくるハーゲンの視線は、そのまま彼女の視線に重なる様だ。

 あの時、カイリは人の死にみっともなく取り乱した。無様に敵に捕まった。最後だって途中離脱した上に、教会の騒動に巻き込んでしまった。

 それなのに、彼女は言ってくれるのか。



 カイリは、最後まで任務をやり遂げた、と。



 彼女は本当によく分からない人だ。

 それでも、彼女の言葉は今のカイリにはひどく重く――そして、染み入る熱を持っていた。


「……もったいないお言葉です」


 やっとの思いでそれだけを絞り出し、カイリはフランツに連れられて応接室を辞した。


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