第199話


 クリスに救出を請いに行く。

 そう決めて動こうとしたフランツ達の前に、にこにこと、目の前で当の本人が事もなげに立っていた。胡桃くるみ色の髪を穏やかに流し、落ち着いた茶色の瞳がフランツ達を静謐せいひつに捉える。



 たたずまいだけで、その場全体を支配出来得るほどの威圧感。ただそこに在る、というだけなのに、生存本能が悲鳴を上げそうになる。



 にこやかなのに何処にも隙が見当たらない立ち姿は、圧巻だ。空を覆わんとするほどそびえ立つ山の様な存在感に、フランツ達は膝を折らないだけで精いっぱいだった。

 ただ、逸早く立ち直ったらしいレインが、口元をひくつかせながら切り返す。手には、武器を携えたままだ。


「……どうして、クリストファー殿がここに?」

「もちろん、腐った木の根っこを通って来たんだよ。いやあ、誰も、腐った木の根っこの下に隠された入口があるなんて気付かないよね。……私やケントでなければ、ね」


 含みを持った言い方は、実にあっけらかんとしている。隠し事なんて無駄だよ、と言外に主張する空気に、フランツは敗北を悟る。

 クリスもケントも、騎士としてずば抜けた才能を持つ親子だ。第一位団長の中でも、カーティスを除けば歴代でも一位と二位を独占するだろう。

 彼らの実力は、正直フランツには計り知れない。どんな些細な違和感も見抜いてしまう。そんな能力があってもおかしくは無かった。


「いやあ、ケントが夕方にね、教皇に厄介払いされたって文句を言いに来たから。ちゃんと『使い魔』を飛ばして監視していたんだ。あと、王女からも早急に手紙をもらってね。事態はちゃんと把握しているよ」

「……王女? 厄介払い?」

「そう。今、ケントはこの聖都にはいないことになっているんだ。エミルカとの国境に行って、戦争回避の説得に行かなきゃならないとかでね」

「――何ですって?」


 ケントがこのタイミングで、教皇に命令を下された。しかも、聖都から引き離すという内容だ。

 どう考えても、カイリの状態をケントに知らせないための手段としか思えない。

 だが、そんな見え透いた事情に、ケントが乗るのだろうか。いや、そもそも教皇もその程度でケントを引きはがせると考えたのか。解せない。


「フランツ君が考えている通り、ちょっと教皇は今、おかしいよね。カーティス殿の息子だって知ったからかな?」

「……やはり、知っておいでなのですか。先程レインから、そうかもしれないと耳にはしましたが」

「うん。昼間、ちょうどケントとその話をしていてね。でも、動くにしても早すぎるよね。……何だか、仕組まれているみたいだねって」


 うっそりとクリスが微笑む。その笑い方は、まるで底なしの闇に魅入られた様な色香があって、フランツとしてはどうしても警戒心が頭をもたげてしまう。

 そんなフランツの様子がおかしかったのか、大して気にした風もなく彼は喉を鳴らした。まるで歯牙にも掛けないその態度に、全てが彼の手の平で転がされている様な錯覚に陥る。


「まあまあ、警戒しないで。私は、カイリ君の味方だから」

「……第十三位、では無いのですね」

「当然。私は、家族の味方であり、ケントの味方。そして、ケントを任せられると判断したカイリ君の味方。それ以外は特に必要としていないんだ。今のところはね」


 にこにこと、無邪気に彼は毒を吐く。

 これは、カイリには見せたことのない彼の一面だ。喋り方も、カイリをさとしている時以上に落ち着いている。柔らかい口調なのに、ひどく冷たい。

 この一面を見せないということは、つまり本気でクリスはカイリを気に入っているのだろう。彼もケントに負けず劣らず黒い上に、他人に興味が無い。容姿も性格も本当にそっくりだ。

 ただ、人としての道徳や倫理観を併せ持ってはいる。その辺りが、ケントとの唯一の違いだった。



「でも、第十三位はそれなりに気に入っているんだよ。そうでなければ、カイリ君は何が何でも第一位に移籍させただろうからね。――

「――っ」



 最後の断言が低まった。にこやかな笑みに、冷たい黒さが混じる。

 滲み出る冷え切った微笑に、フランツだけではなく、レインやシュリアも一瞬表情が強張った。エディとリオーネに至っては、蛇に睨まれた様にすくんでいる。

 本当に、カイリには悟らせない様にしている顔を、彼は平然とさらしてくる。この冷酷な側面の見せ方は、息子以上の迫力があって心臓に悪い。


 ケントではなく、クリス自身がカイリを移籍すると宣言した。


 つまり、彼がその気になれば、恐らく息子の意思を無視してでもカイリを手中に収めることを意味している。

 やはり彼は全く気が抜けない。味方となるとこれほど頼もしい存在は無いが、敵に回した時のリスクは計り知れないものがある。


「……喜んで良いのですかな」

「喜んで。私としては、かなり珍しいことだから。教会騎士なんて、基本クズの集まりだからね」


 辛辣しんらつな物言いに、フランツはしかし反論は出来なかった。レイン達も黙って視線を下に落とす。

 そんなフランツ達の反応に満足したのか、それとも興味が無いのか、クリスは淡々と話を進めていく。


「私を頼ろうと思ったことは驚いたけど、嬉しいよ。……成長したね。少し見直したよ」

「……ありがとうございます」

「まあ、そういう事態はあまり歓迎出来ないんだけど。……ケントの危惧きぐした通りのことが起こったね。君達、教皇の所に乗り込むつもりなんだろう?」

「そのつもりです。ただ」

「乗り込むのは、レイン君とシュリア君かな。他は、足手まといになるだろうからね」


 ばっさりと事実を明言する。

 エディ達がむっと押し黙ったが、その通りだからか食いつきはしなかった。クリスは、良くも悪くも正直である。


「教皇の居場所、君達は分かっているのかな」

「最上階だろ。調べてはある」

「近衛騎士が常に半数いることも知っていますわ」

「そう。ゼクトール卿も今はそこにいるだろうね。それに、離れないだろう。何しろ、カイリ君が相手だから」

「……どうして、そう思われるのです」

「おや。それを聞くのかい? 鈍いのかな。それとも考えたくはない?」


 目を細めたその視線は、明らかに馬鹿にしていた。フランツとしては、あまり目を合わせたくない。

 可能性としては考えていた。ゼクトールが、カイリに付きっきりになるという事態を。現在進行形でフランツ達の邪魔を徹底的にした方が、第十三位の拘束もしやすく、結果洗脳が成功させやすいにも関わらず、だ。

 クリスは、なかなか手厳しい。フランツ達が目を逸らしたい部分を明確に突っ込んでくる。


 ゼクトールは敵だ。


 それでも、普段の彼からは想像も付かないほどに、手段に少し穴がある。

 それは――。



「まあ、ともかく。第十位の方は何とかしてあげるよ」

「……え?」



 あっさりと打開策を提案してくれるクリスに、フランツ達は目を丸くする。

 だが、彼は心外だと言わんばかりに肩をすくめて笑って見せた。


「おや。私は、これでも元第一位団長だよ? どうとでもなるよ」

「……そ、それは……ありがたいですが」

「とはいえ、手っ取り早いのはこれかな。流石はカイリ君。手際が良いよね」

「……え?」


 カイリの名前が出てきたことに、フランツが聞き咎めるが。

 次の瞬間、彼が手にした品物を見て固まった。



「第十位が、カイリ君をおとしめ、暴行を加えようとした行為。並びに、住民を危険にさらした罪。私は歓楽街と貧民街を一応管理している身だからね。嫌疑にかけるには充分だよね」

「――」



 彼は、手の中の黒い物をもてあそびながら微笑んだ。

 しかし、その目は笑っていない。奈落の底に突き落とす様に暴力的な殺意が渦巻いていた。

 見るだけで突き刺さる様な殺意の嵐に、フランツは腹に力を全力でこめる。


「狂信者の存在がちょっと気になるけど、今は置いておくよ。……第十位と、ついでに第一位も食い止めてあげる。第五位は国防だから基本国境にしかいないし、他の騎士団は、例え加勢に来たとしても、戦力としては君達にとっては論外だよね?」

「……ええ、まあ」

「なら、大丈夫だよね。君達が陽動して、ある程度集まったのを見計らってから止めてあげるけど……全員止めるのは流石に無理かもしれないから、おこぼれは何とかしてね」

「……はい」

「あと、カイリ君を救出した暁には、ケントがどうとでもしてくれるから、安心して。カイリ君を国外に追い出すなんて、絶対したくないしね」


 結局はカイリありきか。


 つくづくカイリが大好きな親子だ。本気で似た者同士である。

 しかし、クリスらしいと思いつつも、頼もしい。今まで光の一縷いちるすら差さない闇に、一気に輝く扉が出現した様な心地になった。


 カイリ救出のための手助けをしてくれる。


 しかも、王女がクリスに手紙を送って知らせてくれていたという事実が、今になってじわじわと胸に迫った。彼女の誠実さと気持ちが、孤立しているフランツ達にとってはありがたい。

 味方はまだいるのだと。それだけで、背中を押された気分になる。


「んー。……今すぐにでも助けたいところなんだけど……、……」

「……? 何か不都合が?」

「いやね。息子もどうやら企んでいるみたいだから。……うん。にしようか」

「……準備? ……っ、どうして今すぐでは駄目なのです?」


 フランツとしては、目途めどが立った以上今すぐにでも助けに行きたい。

 それを邪魔するとは、何の魂胆があるのか。自然と険しくなる目つきに、クリスはくすくすと口元に手を当てて笑う。


「今すぐに助けることも可能だけど、……それは果たして本当に『助ける』ことになるのかな?」

「何を言っているのかさっぱり分かりませんっ。助けられるというのならば、今すぐにでも動くものではないのですかっ。こうしている合間にもカイリは!」

「君達、カイリ君を助けるだけで終わるつもり?」

「……え?」


 さらっと核心を突く様な発言に、フランツは咄嗟とっさに切り返せなかった。

 そして、それが相手に確信を抱かせる決定的な証拠となる。



「教皇をぶっ潰すだけじゃなくて、?」

「――」



 一瞬、フランツ達は全員押し黙ってしまった。いぶかしげな反応を弾き出せなかった。

 その時点で、こちらの負けだ。クリスが、我が意を得たりとばかりに、涼しげに目を細めて笑う。


「うん。それなら、尚更合図が来てからにしようか」

「……っ、何故、です」

「世界を知るなら、この聖都は欠かせない。出入り出来なくなるなんてもってのほか。そして、そのために現在障害になる現教皇を潰すなら、一緒にいる近衛騎士も何とかしないと。もちろん、『全員』ね」

「――……」


 彼の示す意味に、フランツも気付かざるを得ない。

 教皇直属の近衛騎士は、全員洗脳を受けていると考えるのが自然だ。先程、剣を交えた時に十人が全員洗脳済みだった。当然残りも同じだろう。

 そして、その近衛騎士は普段は全員が一ヶ所に集まることはまずない。教皇を倒した後、洗脳をそのままにしてしまったらどうなるか。


「教皇の手綱が離れた洗脳騎士ほど、厄介なものはないよね?」

「……それは……」

「まさか、知らない者がここにはいる? 洗脳された騎士が、野に放たれたらどうなるか。……もっ?」

「――――――――」


 前触れなく核心を突かれ、フランツ達は一斉に固まった。唯一レインだけが飄々ひょうひょうと流していたが、他がはっきりと反応してしまったら意味がない。現に、レインは「やれやれ」と呆れ顔だった。

 ルナリアでのパリィ――ことパーリーの件を、既にクリスが知っている。どれほどの情報網なのかと頭を抱えたい。

 だが、彼が指摘するのは、まさにその通りだ。

 パリィは、洗脳されたまま世界を彷徨さまよった。その結果、多くの犠牲者が出ていたのだ。

 洗脳の仕方が異なるとはいえ、首輪を失った教皇近衛騎士が、どういう行動を取るのか。予測は不可能だ。



 つまり、教皇を倒すのであれば、洗脳されたままの騎士もどうにかしなければ、被害は尋常ではないほどに拡大する。



 カイリも、自分が救出されただけで満足する人間ではない。騎士達のことを知れば、必ず何とかしようと動くだろう。

 つまり、全員をどうにかして一ヶ所に集めて一網打尽にするか、各個撃破の手段を取るべきだ。クリスは、そう指摘しているのだ。


「カイリ君には悪いけど、逆に言うなら君達が教皇に最も近付ける良い機会だよ。騎士の方もどうにかするべきだよね」

「……っ、しかし」

「……近衛騎士っていうのは、本当に厄介だ。よほどのことが無い限り、教皇以外では騎士同士でしか話が通じない。つまり、彼らを一ヶ所に集めるには、それ相応の手順を踏まなければならないんだよね。時間がかかったとしても、それを成し遂げなければならない」

「――っ、カイリ、……」

「大丈夫。……カイリ君なら、耐えてくれるはず。心苦しいけど、カイリ君を本当の意味で助けるためだから」

「――、……………………っ」

「あとその作戦、ケントにも一枚噛ませてあげてね。きっと、全員何とか集める手段を整えてくれているはずだよ」

「……、……はい」


 クリスの説得に、フランツ達は項垂うなだれる。反論出来ないのは、カイリを助けるだけで終われないと分かっているからだ。

 自分を助けたせいで罪の無い犠牲者が出たら、カイリは絶対に悲しむ。ならば、時間をかけても解決する道を選ぶしかない。

 しかし、クリスの言い方だと、まるでケントもこの作戦に乗っかる様な言い方だ。

 そこまで言われて、ふと気付く。



〝今、ケントはこの聖都にはいないことになっているんだ〟



 よくよく考えると、言い回しがおかしい。

 いないことに「なっている」とは、つまり真実は異なると白状していることに他ならない。

 要するに、ケントは命令に従ったフリをして別の場所に潜伏しているということか。いつでも動ける様に待機している、または暗躍しているのかもしれない。

 カイリを、助けるために。



 ――つくづく、カイリは人脈に恵まれたな。



 カイリの笑顔を思い出しながら、フランツはシュリアが持つ聖書を見つめる。

 最後に見たのは、ゼクトールの腕でぐったりともたれかかっている姿だった。目尻には涙が溜まっていた。混乱と恐怖と、――ゼクトールに襲われた衝撃と悲しみとがごちゃ混ぜになったのだろう。

 カイリは最後に意識を落とす時、どんな恐ろしい景色を見ていたのだろうか。想像するだけで怒りが頭をぶち抜けて、暴走しそうだ。



〝フランツさんが、俺のことを大切に思ってくれている。それ以上に欲しいものなんてありません〟



 フランツの穢い告白を、カイリは真正面から受け止めてくれた。

 自分を心配してくれたことが、ただ嬉しかったと。どんな思惑があれ、ただ思ってくれるだけで充分だと。

 彼は、もっと欲張りになれば良いのに。それなのに、ささやかな思いだけで幸せを感じてくれる可愛い子供だ。



〝どうか俺を、フランツさんの本当の家族にして下さい〟



 突き放し、すれ違い、ようやく歩み寄れた。あの優しい手を、今度こそしっかり握ることが出来た。

 そんな風に、少しずつ近付いて。フランツも、長い長い闇の道のりを突き破ることが叶った。

 彼が、救い上げてくれたのだ。

 自分よりも小さな手で、けれど誰よりも大きな懐で引っ張り上げてくれた。

 だから、今度は。



 ――今度は、俺が彼を引っ張り上げる番だ。



 例え情けなくても。例え直接救いに行けなくても。

 一番可能性の高い道を選んで、人を送り出して、待つべき場所で待つ。

 それが、今のフランツに出来る最大限の道だった。



「……お願いします、クリス殿。力を、貸して下さい」

「――もちろん。よろしく頼むよ」



 頭を下げれば、クリスもにっこり微笑んで承諾する。

 もう、二度と家族の手を離さない。

 フランツはカイリが待つだろう方角を見上げながら、強く誓いを立てた。


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