第198話


 月も星も無い、底なしの沼を思わせるほどの真っ暗な夜。

 がたん、ばん、と、一つの建物の中で騎士達が一斉に家宅捜索を行っていた。


 真夜中に叩き起こされ、安眠を妨害された建物の主のリーチェは大いに憤っていた。花柄の可愛らしいネグリジェを身にまとい、肩から透き抜ける様な浅葱色のショールをかけた姿は、リーチェにとっては好みの男を誘う勝負服の様なものだ。

 しかし、今、経営しているプレジャー兼自宅を荒らし回っている騎士達には、およそ食指が動かない。それどころか、今すぐ頭から叩き飛ばし、背中を蹴り飛ばし、即刻建物から放り投げたいくらいだ。


「……ちょっとー。アタシ、もう眠いんだけどおん。早くしてよねえん」

「うるさい! 第十三位と仲が良いんだ。疑われて当然だろう!」

「仲が良いだなんてえん。それはもう、レインちゃんなら、いつでもだ・い・か・ん・げ・い♪ だけどー。あなた達なんて、死んでもお断りよおん」

「お、おおおおおおお俺だってお断りだ! うん! お、お断りだからな!」


 騎士の一人が激しく拒絶しながらも、ちらちらと、リーチェの方を見てくる。

 リーチェは、黙っていれば絶世の美女と間違うほどの整った細い顔立ちだ。切れ長の蒼い瞳で流し目をくれれば、何も知らない男性なら大体落とせる。

 だからこそ、性別が男だと分かっていても、気にしてくる男性がいるのは事実だ。

 しかし、狙いたいのは決してこの不躾ぶしつけで無礼な者達ではない。


「おい、あったぞ! この床!」

「――あらあん」


 商品を乗せる台を乱暴に動かし、その下にある隠し床を発見した様だ。

 だが、リーチェとしては見つけるまでに欠伸あくびが出るほど遅かった。

 いきなり第十位が押しかけてきて、家探しを開始してから優に三十分。リーチェが捜査を担当していたら、落ちこぼれの烙印らくいんを押していたところだ。


「……おい。何だこれ、金塊か?」

「そうよおん。もしもの時様にい、隠してあるのおん。あ、ちゃーんと報告は上げてるわよおん? 脱税なんてしてないからあ、安心してえん」

「……そ、そうか。……いや、待て」


 複数の金塊の下に、何かを見つけたらしい。

 ごとん、ごとっと丁重に避けて、騎士達が床に見入る。一応、金塊ということで傷付けない配慮はしてくれたらしい。そこだけはリーチェも認めてあげることにした。


「おい、これ……何か変だな?」

「押すのか? ……いや、引いてみるか?」


 金塊を取り上げると、へこんだ床いっぱいに広がる丸いでっぱりが姿を現した。

 それを何とか押したり引いたりしているが、当然何も起こらない。リーチェはやはり欠伸が出た。

 そうして、試行錯誤すること十五分。


「あ、……回せるぞ?」


 ようやく、回せることに気付いたらしい。そろそろリーチェとしてはふっかふかのベッドに入って眠りたかった。


「でも、回しても何も起こらないぞ」

「……いや、回して、もう一回押して……引いて? ……っ!」


 色々試す内に、がこんっと壁に異変が起こった。

 がががっと、壁が横にスライドしていく。騎士達の目が血走ったのを、リーチェはやはり眠たげに見つめる。

 そして、壁が重々しい音を立てて開いた先には。



「――――――――」



 実にきらびやかな商品が所狭しと並んでいた。



 それもそのはずだ。

 そこは、特に金額の高い商品をストックしておく隠し部屋だからだ。店を閉める時に、ガラスケースに入れた高額の商品をそのままにしておくわけが無い。盗人に入られた時のための対応策は当然施してある。

 最初は、隠し床を見つけ、金塊を見せつける。それで満足する者は、それまでの盗人ということだ。

 だが、それに満足しない者は、このボタンで試行錯誤する。

 ただし、回したり押したり引いたりを上手く組み合わせないと、時間がかかり過ぎる様になっている。その間に気配に敏感なリーチェに見つかる、という算段だ。

 当然、盗みに入った者は、リーチェの裁きに遭う。逃がしてやるはずもない。


「あの、……これは」


 部屋を物色して、呆然と騎士達がリーチェを振り向く。

 肩透かしを食らったのだろう。かくまう部屋でもあると考えたか。


「それはあ、この店の中でも特に高額の商品を隠しておく部屋よおん」

「……は、はあ」

「盗人対策ってやつねえん。……ここの店の秘密を知ったからにはあん。も・し、商品が一つでも無くなっていた場合、真っ先にあなた達を通報するから。――そのつもりでいてねえん? き・し・さ・ま?」

「――っ」


 笑いながら睨み据えれば、騎士達が一様にびしっと背筋を伸ばした。

 うふふ、と艶やかに笑んで見せれば、彼らは一瞬だけぽうっと魂を抜かれた様に呆け。


 次には、びしっと敬礼をして入口まで移動した。


 引くつく様な笑みは、乙女の秘密を垣間見て後悔したかの様な、怯えの混じった汗を感じさせる。


「――で、では! 失礼する!」

「い、異常なーし!」

「良いか! いくら仲が良くても、情けは無用! 反逆者を見つけ次第、即刻通報すること!」

「……アタシぃ、今は眠いのおん。さっさと帰ってくれるかしらあん?」

「……っ、し、失礼いたしました!」


 ばたん、と出て行く時とは反対に、逃げる様に彼らが去って行く。少し殺気を乗せすぎただろうかと、先程の笑顔をリーチェは振り返る。

 だが、仕方がない。リーチェは、元第一位に所属していた教会騎士だ。在籍期間は短かったし、教会に嫌気が差した上に怪我をしたから引退したが、当時はエースだった。あの程度の腕前では、欠伸をしている間に殺せてしまう。


「……し・か・も。ツメが甘々ねえん。……行き当たりばったりで、発見出来るわけないじゃなあい」


 このボタンは、もう一つ仕掛けがある。

 適当な回し方だと、途中で自動的に今の部屋が開く様に施されている。

 正式に扱うには、正しい手順を踏む必要がある。



「金塊を持ち上げた時点で、ア・ウ・ト、よおん? 馬鹿ねえん」



 これは、トラップだ。

 大体盗人はこの大きな金塊の数々に目がくらむ。盗人ではなくても、金塊が意味ありげに置かれていれば、一つくらい手に取ってしまうだろう。

 それがもう間違いだ。既にその段階でリーチェの罠にかかっている。


「……それにぃ、正しく、右、左、右、左の順に回さないと、ねえん?」


 アの段を1、イの段を2、と数えていき、リーチェの本名の順番で、右、左、右、左と数字の回数分回さなければ『隠し通路』は開かないのだ。

 かなりの手間ではあるが、これくらいしなければ『秘密部屋』とは呼べない。

 リーチェはひっそりと視線だけを床下に向け、誇る様に微笑む。



「……アタシはぁん、手は出さないけど。場所だけは提供してあ・げ・る♪」



 頑張ってねえん、と。誰もいない場所にひらりと手を振って、リーチェはふあっと可愛らしく欠伸をしながら階段を軽やかに上がっていった。











「……行ったみてえだな」


 リーチェの店の遥か下。第十三位の緊急避難場所兼集合場所。

 上の様子を息を潜めてやり過ごしていたレインは、フランツ達に向かって合図を出す。

 そこでようやく、フランツ達も張り詰めていた息を吐き出した。それなりに広い部屋の中で、縮こまった様にしゃがみ込む彼らに、レインは少し呆れる。


「おいおい、しっかりしてくれよ。これから、カイリ救出に乗り出すんだろうが」

「……ああ」


 答えるフランツの声は、底なし沼を連想させるほど暗かった。聞く者全てを道連れにして、深く、永遠に眠らせる様な凍え方だ。

 当然だろう。目に入れても痛くない大切な、ようやく共に進もうと誓ったカイリが目の前で連れ去られたのだ。どれだけ己を奮い立たせても、自責の念は津波の様に次々襲い掛かってくるに違いない。

 シュリアも、カイリの聖書を抱えながら無言だ。いつも強気なアメジストの瞳が微かに陰っている。己を責めている、というよりは、遠くにいる何かを睨み据えているかの様な雰囲気だ。



 ――日頃から、素直になりゃあ良いのにな。



 シュリアは、それなりにカイリのことを気に入っているはずだ。

 だからこそ、カイリが連れ去られたのを知った時、彼女は真っ先にあの場から離脱することを宣言した。

 一晩で一気に大切な者を失ったカイリは、これ以上誰かを失いたくないと願っているはずだ。その願いはきっと、他の誰よりも強い。目の前で失ったからこそ、尚更。

 もしあそこでフランツ達がごねて粘っていたら、確実に誰かが囚われるか死んでいた。


 それを知った時、カイリの心はまた破滅に近付く。


 それを瞬時に弾き出せるほど、カイリのことをよく見ている。

 カイリは彼女にあまり良く思われていないままだと思っているだろうが、そうではない。もう少し素直になれば、心の距離も、より近付くだろうにと考えると、いっそ憐れである。今のシュリアの表情も映像付きで見せてやりたいくらいだ。


「……今頃、もう新人、教皇の元ってことっすよね」

「そうだろうな」


 エディの確認に、レインがなるべく淡泊に答える。

 だが、すぐに重苦しい沈黙が場を支配した。彼らは身を屈めたまま縮こまっているし、顔が暗すぎてレインは今すぐ見捨てて救出に走りたくなる。彼らの近くにいると、こちらまで心が陰って沈みそうだ。


「お前らなあ……」

「……カイリ様を助け出すには、第十位の他に、あの、洗脳された教皇近衛騎士の波も突破しなければならないのですよね? それに、第一位も捜索に当たっている様でした」

「……まあなあ」

「どう考えても、私や……失礼ですが、エディさんでは突破出来る気がしません。救出組の他に、陽動組を作らなければならないですけど、……」


 言いよどむリオーネの気持ちは分かる。

 つまり、救出組で動けるのはレインとシュリア、フランツも恐らく行けるだろう。陽動組はエディとリオーネに振り分けられる。

 だが、明らかに陽動組が不利だ。近衛騎士が数人混じるだけで、エディはリオーネを守るために後手に回らなければならない。

 洗脳された騎士は、厄介だ。痛覚が明らかに鈍り過ぎているし、骨が折れても立ち向かってくる。まるでゾンビの如く這い上がって迫るあの光景は、経験したことがある者でさえおぞましい。



〝――レイン〟



 ――あの時と、一緒だな。



 三年前の忌まわしい記憶と共によみがえる声を、レインは強引に打ち消した。

 今、レインはカイリを助ける。それだけに専念すれば良い。

 そうだ。



〝私の歌は、貴方のために捧げたい。だから、――〟



 ――教皇に囚われ、ぼろぼろに使い古された者の末路を知っているからこそ。



 レインは、何が何でも彼を助けなければならない。教皇の思い通りにさせてはいけない。

 もう、二度と。彼女の様な犠牲者を出すわけにはいかないのだ。



〝レインさんが、俺が聖歌を悪用するかもしれないって思ったその時は。貴方が、俺を殺して下さい〟



 あんな風に、悲しいまでに強い決断をさせてしまう様な人間を。レインは、見捨てる様なクズにだけはなりたくなかった。

 もし、仲間がここで二の足を踏む様なら、レインだけでも先陣を切るかと考え始めていると。



「……俺も、陽動組に回った方が良いだろうな」

「……フランツ団長? 何言ってんすかっ」



 静かに、フランツが方針を切り出す。

 その内容に、驚いた様にエディが声を荒げる。リオーネも信じられない様な眼差しで彼を振り返った。

 だが、フランツは至って平静だった。むしろ平静過ぎて、懺悔の深さが滲み出ている。


「俺は団長ではあるが、シュリアやレインほど戦闘力が高いわけではない。確かに、前は第一位にいたし、彼らにも劣らぬ自信はあるが。……あの洗脳騎士を相手に、二人ほど長く持つとも思えない」

「……フランツ様、でも」

「さっきは、ゼクトールへの怒りであいつらを振り切れたが、カイリを救出するまではともかく、その後、脱出となると……。俺は足手まといになる可能性が高い」

「でも! 新人は、フランツ団長の家族なんでしょう!? 息子なんでしょう! 言ってたじゃないっすか! 失うのが恐いって! 大切だって! だったら……!」

「だから、だっ」

「――っ」


 エディが上げる抗議にも、フランツは冷静に切り返す。

 だが、彼の口からは――口の端からは、真っ赤な色が鮮明に滲み出ていた。その鮮やかな紅い色だけが、彼の憤怒と無念を如実に物語っていて、エディはそれ以上先を紡げなかった。



「カイリに会ったら、……俺は、カイリのことしか考えられなくなる」



 瞬きもせずに、フランツはただひたすらに床を凝視する。

 拳を握り締め、鬼気迫る様な眼差しなのに、声だけが平坦なちぐはぐさが彼の悲憤をくっきりと浮き彫りにしていた。


「……きっと、カイリは酷い目に遭う。いや、これから確実に遭う。だからこそ、カイリの姿を見たら、俺は頭に血が上る。団長ではいられなくなるっ」

「……っ、フランツ団長」

「それでは、冷静な判断が出来ない。……シュリアやレインなら、判断を間違えないだろう。だから、……俺は、……俺はっ。俺に出来ることをするしかないっ! ……カイリが、帰って来た時のためにも。第十三位全員で無事に残る方法を選ばなければならないんだ……っ!」


 血を吐く様な決断だった。ほんのりと、声に血の匂いが混じっている気がする。

 どれほど悔しいだろうか。己の手で、大切な家族を取り戻しに行けないことが。

 しかし、フランツの判断はこの時ばかりは正しい。



 教皇の元には、二十人の近衛騎士の内、半数は常に傍にいる。



 その洗脳された十人を相手にしながらカイリを救出するとなると、相当な試練だ。ゼクトールもいるし、きっと教皇の聖歌も加わる。下手をすれば、聖歌隊も合流するかもしれない。聖歌で邪魔をされた上で、尚戦力になる人員でないと突破は不可能だろう。

 それには、第十三位の中でも聖歌語の扱いに長け、かつ武術も一等級のシュリアとレインしかいない。


「……ですが、救出した後、どうしますの? 国外に逃げるしかなくなりますわよね」

「教皇を敵に回す時から覚悟はしていたことだ。どうにでもなる」

「そうっすよね。世界の謎を巡る良いキッカケにもなるっす」

「はい。全ては、カイリ様を助け出してからです」


 シュリアの疑問に、フランツ達が展望を語る。

 確かに、教皇を敵に回すのならば、反逆者になるだろうと予想はしていた。

 しかし、シュリアの顔は晴れない。彼女の心情が手に取る様に分かって、レインとしては「変わったな」と思わざるを得なかった。



「……カイリの居場所を、また奪うことになりますわね」

「――……」

「ケント殿とも、せっかく会えましたのに。……せめて、彼を味方に付けられれば」



 救出した後のカイリの心のケアとは、シュリアは本当に変わった。

 シュリアの言葉に、フランツ達も歯噛みする。レインとしてはどちらでも構わないが、それでもケントという存在が大きいのは同意した。

 ケントは、カイリの親友だ。レインが見る限り、彼はカイリにかなり執着している。

 この状態を、彼がどう思うのか。そもそも、今どうしているのか。

 教皇の傍にカイリがいることになるのならば、ケントはそれを好機と見て一層彼を手元に置こうと執着するのか。

 それとも――。



「……クリス殿の元へ、行ってくる」



 レインの思考を中断する様に、フランツが唐突に立ち上がる。

 シュリア達がそれを視線で追いかけるが、彼はもう決断したのか迷いが無かった。


「彼なら、もしかしたら救出に力を貸してくれるかもしれない」

「……ま、可能性はあるわな」

「一時間で戻るつもりだ。……もし戻らなければ、速やかにこの場を離れてくれ」


 それは、クリストファーが敵側に回ったという合図となる。

 理解して、レイン達は沈鬱な面持ちで頷くしかなかった。今の時点でレインとシュリアが分断されると、一層カイリの救出が難しくなる。

 だから、フランツが行く。団長らしいと、レインは内心で呆れと称賛を送りたくなった。

 だが、決断した直後。



 ――かっ。



「――――――――」



 不意に奥から、高らかな音が木霊する。

 ばっと、レイン達は一斉に扉の方を見やった。

 音が聞こえたのは、上からつながる階段では無い。レイン達が通ってきた隠し通路からだった。


 ――まさか、バレた。


 そんなはずはない、と言いかけたが、レインは首を振る。

 とっくの昔に、カイリの素性は教皇側に伝わっていた。王族であるジュディスにもだ。

 ならば、巧妙に隠したこの通路を、彼らに掴まれていてもおかしくはない。


 互いに顔を見合わせ、各々武器を手に取る。


 広い部屋とはいっても、所詮は一室。大勢で雪崩込まれればあっという間にぎゅうぎゅう詰めになり、身動きが取れなくなる。

 要するに、相手は自然と少数にならざるを得ない。少数なら、シュリアやレインが一刀で切り伏せて対処可能だ。

 その間に、上の様子を見ながら脱出も出来る。

 かつ、こつ、と静かに、だが着実に足音がこちらに近付いてくる。こくっと、誰かのつばを飲み込む音が小さく響いた。

 そうして扉の前で、かつん、と綺麗に足音が響き渡り、緊張が膨れ上がった。

 その時。



「――おやおや。私の気配、読めないのかな。動揺し過ぎじゃないかい?」

「――――――――」



 のんびりした声が聞こえた瞬間。レイン達の目が、大きく見開かれた。

 だが、驚きに浸る間もなく。



「やあ。やっぱりここにいたんだね。みんな無事で良かったよ」

「――っ、……クリス殿っ!?」



 にこにこと、一見すると人が良さそうなのに、その実人を食った様な笑顔が、のびやかに扉の向こうから姿を現した。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る