第193話


「よく来てくれた、ケント」


 短い挨拶と共に、教皇がケントを出迎える。

 豪奢ごうしゃな長椅子に座った姿は、ひょろっとした姿であるのに不気味な貫禄だけは呆れるほど放たれていた。

 だが、ケントにとっては取るに足らない貫禄だ。周囲にお気に入りの司教と、半数の教皇近衛騎士を並べ立てるこの状態も滑稽にしか映らない。無駄に権威を見せびらかす輩は、総じて大したことが無いというのがケントの見解である。


「ただいませ参じました、教皇猊下げいか。晩餐会まで、まだ二時間くらいあるんですけど。何の用です?」

「ケント殿! その様な口の利き方は……!」

「良い。ケントらしい」


 控えていた司教が激怒するのを、教皇が軽く手を振っただけで止めてしまう。

 司教は渋々と引き下がったが、未だ不満そうだ。ケントを食い破る様な目つきに、遠慮なく笑って見せた。


「相変わらずの忠犬ですね。僕にはいないから羨ましいですよ」

「犬呼ばわりとは、……っ」

「ケント。頼みがある」

「はあ」


 噛み付く司教を視線だけで黙らせ、教皇が本題を切り出してくる。

 いつもなら、もっと会話を楽しもうとするのに随分と性急だ。裏があるなと、ケントは今から面倒になった。



「ケント。エミルカとの国境へ赴いて欲しい」

「――」



 エミルカの国境。

 その単語だけで、ケントはカーティスの件とフランツの件を思い出す。どちらも、教皇が大義名分を掲げて派遣し、邪魔者を亡き者にしようとした事件だ。

 ケントも遂にその対象に入ったのか。

 思ったが、予想とは少し違う内容だった。


「国境がどうかしたんですか?」

「戦を仕掛けそう。第五位から連絡、入った。それなりの地位の者も一人、混じっている」

「それなりの地位?」

「騎士団長。……ケント。戦を回避したい。適当に選んだ数人のみ引き連れ、説得。頼む」


 説得と来たか。


 ケントとしては、一番面倒な仕事だ。説得するくらいなら叩き潰す。

 正直、この国がどうなろうが――もっと言えばこの世界がどうなろうがケントには全く関係が無い。

 滅びるなら滅べ。家族とカイリさえ生きていれば、ケントには本気でどうでも良い。

 しかし。



〝どうして、今回のタイミングで晩餐会を開いたんだろうね?〟



 直前の、父の言葉が脳裏をよぎる。

 ケントは、例え洗脳された人間が束になってかかってこようと、涼しい顔で切り抜ける自信がある。それに、万が一命を落としたとしても、それまでかと素直に受け入れられるだろう。

 だが。



 ――カイリが、絡んでいると言うのならば。



 話は全く変わってくる。ケントは受けざるを得ない。

 そう。



 彼が関わっているというのならば、教皇に今、ここで計画を狂わせてもらっては困るのだ。

 絶対に『途中までは』成功してもらわなければならない。カイリを守るために。


「良いですよ」

「――」


 あっさりとケントが頷くと、一瞬空白が生まれた。教皇の表情は変わらなかったが、明らかに驚いているのは火を見るより明らかだ。


「……真か」

「だって面白そうですし。言ったでしょう? 面白そうなことなら協力しますって」


 挑発する様ににっこり笑えば、司教の目がとがった。全身をまとう服も一緒に逆立っている。器用だな、とケントはある意味感心した。

 教皇は無言だ。警戒しているのだろうか。ケントにこの案に乗ってもらいたいはずだが、すんなり行くと逆に不安になるのかもしれない。


「だって、騎士団長がいるんですよね? 猊下の言い方だと、エミルカの中でも相当の手練れを配置してきたということでしょう?」

「……左様」

「だったら、さっさと殺すか、それとも気に入ったらエミルカ支配しちゃって引き抜くか。色々考えが膨らみますし。刺激があって良いじゃないですか」

「……支配」

「そうです。ま、支配するとしたら国中で暴れなきゃならないから面倒なので、しないですけど」

「……」

「でも、少し戯れるくらいなら構いませんよね? ……最近、退屈してましたし」


 暗に、大した任務が無いとぼやけば、教皇も納得した様だ。あからさまに安堵しているのが空気の緩みで伝わってくる。

 ケントとしては、もう彼に付き合う義理も無い。ならば、存分に暴れさせてもらおう。


「……行ってくれるか」

「良いですよ。あ、僕一人で行きますね。他がいると、説得するにも色々都合が悪いし。僕一人の方が、相手も話を聞いてくれますよ。戦う意思なしって見てくれるでしょう」

「……、うむ」

「じゃ、ちゃちゃっと終わらせて帰って来ますね。カイリにも会いたいし!」

「……うむ」


 カイリに会いたいと言っておけば、信憑性は植え付けられる。

 教皇は簡単だ。それもそのはずか。



 ――どうせ、彼もだ。



 分かっているからこそ、ケントはカイリを巻き込んだことに腸が煮えくり返りそうである。

 だが。


 ――僕も同類か。


 心の中だけで無表情になり、ケントは上っ面の笑顔を貼り付ける。


「じゃ、失礼します。晩餐会も失礼を。……司教も、あんまりかっかし過ぎると、血管千切れて死にますよ?」

「……っ、余計なお世話だ!」


 神経質な怒鳴り声を、ケントは飄々ひょうひょうと背中で流し、扉をくぐる。

 去り際。



「……これで、安心」



 教皇がささやく様に呟いたのを聞き、ケントは表情を失くした。

 何も知らなければ、国境の憂いが無くなったと取れるだろう。

 しかし、そんな楽観視などするはずもない。

 教皇の計画に乗れば、カイリが傷付くのは確実だ。一生癒えない傷を負わせることになるかもしれない。

 だが、もしカイリがそれで立ち直れなくなったならば、それも良いだろうと思っている。カイリがこの教会を離れ、普通に一般市民として生きたいと言うのならば、それでも構わない。ケントがあらゆる手段を使って、彼の行方をくらまそう。

 ケントの願いを叶えてはもらえなくなるが、カイリにはカイリの人生を歩んで欲しい。

 だって。



「……カイリのこと、守るって決めた」



 今、教皇の計画を潰してカイリを守るのは簡単だ。

 しかし、それは単なるその場しのぎにしかならない。

 カイリを本当の意味で守るのならば、是が非でもこの計画を利用し、ケントは会わなければならない存在がいる。むしろ、教皇が現段階でカイリに対して計画を立てた時点で、逃れられない。



〝最初から、『カイリ』が欲しかったんですよ〟


〝――になってくれますね?〟



 転生する時に決めた。

 ケントは、必ず、今度こそ。カイリを絶対に守ってみせるのだと。

 カイリの道はカイリが決めるべきだ。

 けれど、その道を貫くためには、カイリが強くなるか、もしくはの二択しかない。


「……。……後者は、きっと無いね」


 ケントは知っている。彼が、どれほど強い人なのか。

 何だかんだで、結局彼は戦う道を選ぶのだろう。

 彼は、前世でも最後まで優しさを失うことはなかった。優しい強さを持ったままだった。



〝――俺も。一緒に行く〟



 彼は知らない。――きっと覚えていない。あの様子だと、やはり記憶はケントよりも穴だらけだろう。

 だが、ケントは覚えている。忘れるはずがない。

 最後の最後に、彼はケントの穢いところも醜い部分も弱い面もどうしようもない罪も、全て丸ごと受け入れて、歩こうとしてくれていたこと。

 自分の愚かさも弱さも認めて、もう一度やり直そうとしていたこと。

 二人で、襲い来る向かい風に逆らってでも未来を歩こうとしていたこと。



 全部、――全部。覚えている。



「……。……僕の命が在る限り」



 カイリの道の憂いは少しでも晴らす。

 教皇の計画を利用して、道を作る。

 そのために。



 早々に片付けなければ。



 素早く身をひるがえし、ケントはすぐさま自分の屋敷へと向かった。











「ジュディス王女殿下、お帰りなさいませ!」


 日も完全に落ち、夜が密やかに世界に広がって行った時間帯。

 ジュディスがカイリ達と共に城へ入ると、一斉に帰還の歓迎を唱和された。

 その奥で、王室近衛騎士団長のハーゲンが佇んでいる。

 そわそわと待ち焦がれていたのか、彼女の顔を見てあからさまに安堵した様に表情が緩んだ。


「ジュディス殿下! よくぞご無事で」

「ふん。わたくしがこれしきで亡き者になるなんてありえないわよ。そうでしょう、ハーゲン?」

「ええ、ええ! ……フランツ殿。第十三位には、感謝してもしきれない。殿下を守り抜いてくれたこと、心より感謝致します」


 頭を下げて、ハーゲンが礼を尽くす。

 カイリから見て、本当に彼はジュディスを大切に思っているのだと熱気が伝わってきた。こういう親身になってくれる者が彼女の傍にいるのには、少しだけ胸を撫で下ろす。


「ハーゲンは過保護ね。ところで、お父様は? 何処にいるのかしら」

「陛下なら、パーシヴァル殿に守られて政務を果たしておられますよ。第十位も、こうして安全確認のために一足先に戻って来られたとか。いやはや、殿下に突き放されても職務を貫き通すその姿勢、見習いたいものです」

「そう」


 ハーゲンの持ち上げに、ジュディスは取り合わない。短く返事をしただけで、ファル達をぐるりと睥睨へいげいする。

 彼らは明らかに不機嫌そうだ。ジュディスの視線に気付いていながらも、うやうやしく頭を下げて膝まで付いている。理不尽と感じているらしいが、それでも王族には一定の礼儀を払わなければならないとわきまえているのかもしれない。

 しかし。



 ――何だか、さっきから見られている様な。



 ファルの、いや、第十位の一部の視線がカイリに向いている気がする。カイリと目が合うことが多いのに、ばちっと視線がかち合うと明らかにらされた。

 出発前もあまり良い雰囲気ではなかったが、今は更に空気がよどんでいる。特にファルがカイリを見る目は尋常ではなく、何かに憑りつかれているかの様に真っ黒に沈んでいた。

 ざわざわと、嫌な胸騒ぎがする。

 フランツ達も感じているのだろう。さりげなく、カイリへの視線を遮る様に立つ位置をずらしてくれた。


「イモ騎士。お父様の所に行くわ。一緒に来なさい」

「え? あ、はい」

「――ちょっとお待ちください、王女殿下」


 カイリが慌てて動こうとすると、ファルが率先して邪魔をしてきた。出発前と同じだなと、ぼんやりカイリは一歩引く。


「何かしら。まだ言いたいことがあるの?」

「もう、彼らの役目は終わりですよ。王女殿下、お忘れですか。カイリ殿は、狂信者に狙われたのですよ」

「な、に? 狂信者!?」


 ハーゲンが敏感にその単語に反応した。

 何も知らされていなかったのだろう。仰天して、さっとジュディスとカイリの間に体を滑らせる。


「どういうことですか! 殿下、怪我は!」

「無いわ。イモ騎士が守ってくれたのよ」

「ですが、その原因を作ったのはそこの彼ですから。この城だって、彼がいるだけで下手をすれば狂信者に狙われるかもしれない。彼には即刻帰ってもらうべきです」

「う、むむ……」


 ファルの滔々とうとうとした説明に、ハーゲンが唸り始める。

 確かに、狂信者と言えばその名の通り狂った者達の集まりだ。そんな危ない人間が狙っているカイリが、大切なジュディスの傍にいるとなると、ハーゲンとしては切り捨てたいだろう。気持ちは理解出来た。


「……ジュディス王女殿下。確かに、ファル殿の言う通りです。俺は――」

「貴方に拒否権は無いわ。言ったでしょう、守り通しなさいと」

「でも」

「陛下に報告するまでが任務よ。来なさい」


 取り付く島も無い。てっきりハーゲンが異論を唱えると思ったのだが、訴えることもなく黙ったままだ。

 何となくその態度が引っかかったが、カイリが言われた通りに歩もうとすると。



「……何故、そんな奴が良いんです」



 暗く、地を這う様な声がカイリの耳を貫いた。

 まるで心臓に達する様な獰猛どうもうさに、カイリは一瞬呼吸を奪われた様にあえぎそうになる。


「何かしら。文句でも?」

「文句、ですって? 大ありです。……大ありだっ!」


 える様に、ファルがジュディスに牙をく。

 いきなり咆哮ほうこうを上げられ、しかし彼女は眉をしかめるだけで終わった。そのことが一層彼の怒りを跳ね上げる。


「……そいつは、まだ入りたてのひよっこですよっ!」

「そうね。だから、何かしら?」

「何かしら? ですって⁉ どうもうこうもないでしょう! こいつは、剣術の腕も大したことがないし、聖歌語も打ち消されたら終わり。聖歌だって、いくら強くたって、歌い始めて即座に効果が出るわけじゃないっ。つまり! 近距離に持ち込まれたら終わりってことですよ! 下手したら、何も分からないまま死んでる! こいつは、そういう奴です! 弱いんですよっ!」


 地響きを鳴らす様に、ファルが怒鳴り散らす。

 カイリとしては、全くその通りなので反論のしようが無い。耳が痛いがその通りで、カイリもジュディスが何故自分にこだわるのか不思議でならなかった。

 ジュディスは無言だ。ただ、面倒くさそうに溜息だけを一度吐き出した。

 それが、更に彼の怒気をあおったらしい。かっと、彼女――ではなく、カイリの胸倉を掴み上げた。突然間近に現れた彼に、対応が遅れる。


「っ、ファル殿……っ」

「何でお前なんだよ! 何でお前ばっかり! ただ聖歌騎士ってだけのくせに! ふざけんな!」

「……っ」

「オレは、……オレは、……オレは! オレの方が! 何倍も何十倍も何百倍も! 役に立つ! お前なんかより、ずっとずっと優秀なんだよ! 分かるかっ⁉ 聖歌騎士なんかより、ただの教会騎士の方が、ずっとずっと強いんだよっ‼」


 至近距離で罵倒をぶつけられ、カイリの心臓が悲鳴を上げる様に震えた。

 歓楽街の時とは逆だなと、一方で冷静な頭が現状を分析する。


「剣の腕もオレの方が上だ! 懐に飛び込まれたって、すぐに捕まったりしない! 首が飛んだからって、お前みたいに取り乱したりなんてしない!」

「……っ」

「……そうだよ。お前なんか、パニック起こして、みっともなくわめいて! 一瞬でも守る対象を意識から外してさ! 騎士失格だよ、失格! 聖歌歌えるだけのど素人が、偉そうに命令するな! お前の方が失せろよ!」


 どんっと、思い切り突き飛ばされた。

 よろけてしまったが、何とかカイリは踏み止まった。ただ、ひたすらに彼の悪意を耳に流し込む。

 彼の言い方は悪意に満ち溢れているが、正論だ。

 カイリは、まだ剣の腕はそれなりにしか無い。懐に飛び込まれて、狂信者にはすぐに捕えられてしまった。目の前で人の首が飛んで、悲鳴を上げた。



 守るべき者がいたのに、カイリは一瞬混乱の境地に陥ったのだ。



 護衛としてはとんだ失態である。ファルの言うことは正しすぎて、反論の余地も無い。


「それが、何だよ。……ケント様とちょっと友人だからって、かさに着て。その上、その父親とも仲良し? しかも、ちょっと困ったら、父親の名前を出して脅すとか、お前何様だよ」

「……、あれは」

「オレが悪いって? 自分のこと棚に上げんなよ。あれくらいのことも一人で対処出来ない奴、この先騎士として生きていけるわけないだろっ」


 にべもなく切り捨てられた。

 棚に上げているのは彼の方だと切り返したかったが、続きの言葉でカイリは抵抗をへし折られる。


「それなのに、助けてもらうのが当然って顔してさ。結局護衛だって、お前一人でやってたわけじゃなかった。周りにいたんだよな、先輩達が」

「……、はい」

「はっ! やっぱり。結局この王女守れたのだって、お前じゃなくて、周りの力じゃん。……一人で何にも出来ない奴が、口だけ偉そうなこと言って良い子ぶんの。一番ムカつく」


 吐き捨てる様に笑われた。

 彼からすれば、ケントやクリスと繋がりがあることが気に入らない様だ。

 おまけに、彼の言う通り、任務一つ自力でこなすことが出来ない。助けてもらうのが当たり前だとは思っていないが、結果的に力を借りてばかりだ。

 妬みはあるだろう。逆恨みも入っている。



 だが、それ以上にカイリは、彼の偏見を払拭出来ない無力さに打ちのめされた。



 もし本当にカイリに実力があるのならば。

 例え周りの助けを借りるとしても、彼が文句を言えないほど剣術の腕もあって、聖歌語も完璧に使いこなせていたのならば。

 彼に、ここまで言わせっぱなしではなかった。少しずつ積み重ねていくしかないとはいえ、そんな己の弱さが腹立たしい。


「お前、もう消えてくれよ。目障りなんだよ」

「……っ」

「一人で何も出来ないくせに、聖歌歌えるってだけでちやほやされてさ。……前からそうだよ。聖歌騎士ってのは、ほんと、我がままで、ろくでもなくて、使えない」

「……、待って下さい。俺はそうでも、他の人は」

「おんなじだよ! みんな、お前とおんなじ! お前、本当、こんな時まで良い子ちゃんなんだな! 腹立って、腹立って、仕方がないよ!」

「……、俺は」

「もう喋んなよ! 腹立つ……腹立つっ‼ お前なんか、聖歌が歌えなければただの足手まといなのに! 何で、お前ばっかり……っ!」


 再び、ファルの腕がカイリに伸びる。

 避けられるはずだったのに、カイリは縫い付けられた様に動けなくなった。彼の手が、己の首を捉えようとするのを見つめてしまう。

 そして、彼の手が届く寸前。



「――もう止めるっす、ファル」

「――」



 目の前で、ファルの右手が捕えられた。

 驚いてファルが見上げるのと、カイリがつられて見上げるのは同時だった。


「……、エディ、先輩」

「見苦しいっす。……新人を妬んだって、現実は何も変わらないっすよ」

「っ」


 ぐあっと、ファルの目が牙を剥く様に大きく見開かれる。

 だが、エディは淡々とした表情だった。いっそ清々しいほどの無表情が、かえって彼の痛みを如実に物語っている。間近で触れ、カイリの心が潰されそうだ。


「ファル。あんた、確かに強いと思うっすよ。まだまだ未熟ではあるっすけど、そのまま磨けば、将来有望でしょう。第十三位にいるよりは、ずっと良かったと思うっす」

「っ、それはそうでしょうよ! 問題児だらけの、しかも! ……、……っ、……男娼なんて雇う様な騎士団! それこそ評判はガタ落ちだし、出世なんて絶望的でしょうね!」

「――っ、ファル殿……っ!」


 あんまりな言い様にカイリが激昂しかけるが、すっとエディが後ろに押しやる様に前に出た。

 その堂々たる振る舞いに、ファルの方も一瞬気圧された様だ。すぐに気付いて恥辱で真っ赤になっていたが、エディはやはり淡泊だった。


「確かに新人は、まだ一人で任務なんて受けられないっすよ。剣術だって、勘は良くても人並みより上程度だし、聖歌語もまだまだ自由自在とは言えないっす。頼みの聖歌は歌い出しを潰されたら終わりだし、戦闘慣れもしていない。総合的には、遥かにあんたの方が上っすよ」

「……っ、そうでしょうよ! さっきから、何当然のことばっかり!」

「でも。……ボクは、王女が新人の方を信頼するのは当たり前だと思うっすよ」

「――――――――」


 平坦に、エディが告げる。

 その平坦さが、ひどく現実を際立たせた。

 いつも元気で明るく、表情も回る彼が、無感動な顔で無表情な声を表している。

 その事実に、ファルにだけではなく、カイリも胸を圧迫される様な激痛を訴えられている気がした。


「ファル。あんたが新人に勝てない理由、教えてあげるっすよ」

「……っ、か、てな、い、理由?」

「そう。新人にあって、あんたに無いもの」


 エディがファルに注ぐ視線は涼やかだ。むしろ、寒気を呼び起こす様な冷たさで、ファルの顔も次第に熱気が冷めていく。



「新人は、絶対人を馬鹿にしない」

「――、は?」



 呆けた様なファルの返事が、静けさの中に無慈悲に木霊する。

 だが、エディは何ら気に留めない。淡泊に、――どこまでもひたすら淡泊に続けた。



「新人は、人を馬鹿にしない。人の痛みをちゃんと考える。それでも傷付けたら謝るし、誰かに対して感謝の気持ちを忘れない」

「……は……」

「不都合なことが起こっても、無闇むやみに人のせいにしたりしない。自分に足りないことと向き合って、必死に顔を上げて努力をし続ける。新人は――カイリは、そういう人間っす」

「……」

「あんたは、人を馬鹿にするし、人の痛みを喜びすらする。誰かを傷付けても知らんぷりで、感謝もしない」

「……っ」

「何か起これば誰かのせい。己のことはまるで顧みない。……ねえ、ファル。あんただったら、どっちの方が信頼できると思うっすか?」

「……っ、……それは」

「ボクなら、間違いなくカイリっすね。あんたじゃない。ボクは、……あんただけは、絶対選ばない」

「――――――――」



 断言して、エディはきびすを返す。行きましょう、とカイリの肩を叩いて促した。

 愕然がくぜんとしたファルの表情が気になったが、エディはもう振り向かない。フランツ達も話は終わったと言わんばかりに、ジュディスの方へと向かい始めた。

 何となく、カイリはファルが気にかかる。

 確かに憎たらしいし、関わりたくない。その気持ちは今でも一ミリも変化はない。

 けれど。



 どうして、そんなに愕然とした表情をするのだろうか。



 エディのことを、一番標的にしていたはずだ。任務を話しに来た時だって、彼は第十三位を、特にエディのことを攻撃していた。

 それなのに、攻撃していた彼に少し言われたくらいで、そこまで衝撃を受けるのか。

 弱者だと思っていた人間に反撃されて、ショックを受けたのだろうか。

 だとしても、カイリは彼の反応は尋常ではない気がした。

 そう、まるで。



 親に見捨てられた子供の様な。そんな泣きそうな顔をしていた。



 何故そんな感懐を抱いたのかも分からない。このまま二人を離してはいけない予感もした。

 だがそれでも、上手い対応策が見当たらない。

 焦りだけが先走ったまま、カイリがエディに連れられて移動しようとすると。



 がしゃあんっと、遠くで、何かが盛大に割れる音が響き渡った。


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