第179話


〝貴方。これから一人で、わたくしの護衛をしなさい〟



 とんでもない宣言に頷きかけて、ぐんっとカイリは顔を豪速で上げてしまう。フランツ達も度肝を抜かれ、目をいていた。

 もうそろそろ、病院を出る地点まで来てしまっている。あまり時間が無いために、カイリはぶんぶんと物凄い勢いで首と両手を振って辞退を示した。


「む、無理です! 俺一人でだなんて! ジュディス王女殿下、死にますよ!」

「あら。殺されるのかしら」

「ち、違う! いや、違います! 俺、まだ、入って三ヶ月程度の新人なんです! 俺の剣術は囮戦法だし、多人数ならともかく、一人だと今のところ聖歌以外まだ役立たずなんです! 敵が……特に狂信者が複数で来たら、即行で袋叩きに合う自信があります!」

「……貴方、自己評価低すぎなんじゃないかしら?」


 呆れた様にジュディスに引かれ、カイリは地味に傷付く。

 だが、事実だ。カイリは第十三位の中で一番弱い。武術は未熟だし、聖歌と剣術をまだ完全には一緒に扱えない。

 聖歌の力は強めだと言われていても、それだけが強くても護衛は駄目だ。実際一人で護衛となると到底無理な領域なのは、火を見るよりも明らかである。

 どう考えても、レインやシュリアという双璧や、フランツ達の方が適任だった。

 しかし。


「何を言う、カイリ! お前は、木刀もきちんとそれなりに扱えているぞ! 師匠の教え通り、防御特化、回避特化! きちんと囮の役割を果たし、凛々しい姿はまさしく騎士そのもの! 聖歌も万能! 聖歌語も最強! そう! お前は万能だ! 自信を持て!」

「フランツ様。過剰評価し過ぎですわ」

「フランツ団長、本当、親馬鹿まっしぐらっすね」


 フランツのえる様な宣言に、シュリアとエディが遠くを見る様に半眼になる。カイリとしては居た堪れない。リオーネが生温い笑みで見守ってくるのが更に居た堪れなかった。


「あー。まあ、確かにカイリは言うほど弱くはねえけど、それでも一人で護衛となると厳しいぜ? 実際、この中では一番……ではなくとも弱い。王女殿下、それでもカイリ一人に付いて来いってことか?」

「そうよ。イモ騎士。貴方が適任だわ」

「え、ええ……っ」


 何故、そうなる。


 断言までされると、益々理解が及ばない。

 弱り切った顔で渋っていると、ジュディスは更に続けた。


「私、見るからに王女でしょう?」

「は、はい。まあ」


 派手できらびやかな真っ赤なドレスは、どう足掻あがいても人目を引く。お忍びにはおよそ向かない格好だ。

 そういえば、服装もそのままで行くつもりなのか。流石におかしいと、カイリの中で疑問が頭をもたげた。


「つまり、どっかの悪い輩が暗殺とか拉致とか狙ってきてもおかしくないわよね」

「は、はい。だったら、益々俺じゃない方が」

「イモ騎士。歓楽街を歩くわ。付いてきなさい」

「……は、はあっ!?」

「――って、歓楽街っすか!?」


 トドメとばかりに爆弾を放り込むジュディスに、カイリだけではなくエディも叫んだ。フランツ達も、声を上げないまでも表情がしっかり絶叫していた。リオーネも、不安そうにジュディスを見守っている。

 何故、歓楽街。

 一番城下町で危険な領域に思える地区だ。カイリは信じられない思いでジュディスの言葉を聞き続ける。


「歓楽街は、欲望のはけ口や、上客を接待するために欠かせない場所なんでしょう? あと、その奥にある貧民街も行き場の無い孤児や貧民を受け入れるのにも格好の場所だわ」

「……っ、そうっすね」


 エディの苦々しい同意に、しかしジュディスは意を介さない。それどころか、あおる様に挑発的に、艶っぽく笑った。


「そんなところに、私が行ったらどうなるのかしら」

「危ないに決まっているじゃないですか! しかも、何で俺を」

「イモ騎士。レインやフランツ殿ならともかく、貴方一人だったら、きっと舐められるでしょうね。王女を誘拐するなり売るなり暴行するなり、良いチャンスだって飛びつくわ。……それに」


 ジュディスが不意を突いて右手をカイリの頬に伸ばしてくる。

 反射的にのけ反ったが、それでも彼女は逃がしてはくれなかった。するっと顔の表面だけを触れる様に撫でられ、背筋に刺激が走る。


「っ。な、に」

「貴方、可愛い顔をしているから。一歩突っ込んだ奴らだったら、貴方も一緒に売ったり暴行したりと考えるかもね」

「……、……それが、何か」

「良い、イモ騎士。これから、私は商店街、歓楽街、そしてその奥にある貧民街も回るわ」

「――はっ⁉」

「私はこれから、下種な輩の格好な餌食になる」


 だから、と。

 危険な地区の羅列に絶句するカイリの首を、ジュディスは撫でる様に指を這わせた。ぞわりと足元から這い上がってくる感覚に、堪らずカイリは悲鳴を上げる。



「っ、でん、か! やめて下さいっ!」

「貴方。最後まで私を守り抜きなさい」

「――――――――」



 間近で、真っ直ぐに翡翠の瞳に貫かれた。

 瞳から心臓まで一直線に撃ち抜く様な暴力に、カイリの体が震える様に跳ねる。

 挑発的に、蠱惑こわく的に、ジュディスの瞳がカイリの中を暴いていく。

 カイリが必死に押し止めようと足を踏ん張っている最中さなか



「ボクは、反対っす」

「――」



 横槍が入った。

 ジュディスが苛立たしげに、邪魔をした張本人を刺す様に睨む。


「貴方の意見は聞いていないわ」

「新人は、ボクの後輩っす。口出ししても構わないっすよね」

「もう一度言うわ。貴方の意見は」

「新人を歓楽街に行かせるのは反対だって言ってるんすよ! 黙って下さい!」


 彼女の言葉を遮り、エディが激昂した。今までほとんど口出ししてこなかった彼に意外性を感じたのか、ジュディスは目を丸くして口をつぐむ。怒りどころか怯えも一切見られないあたりが彼女らしいと、カイリは変に感心してしまった。

 だが、ぐるんとエディが振り向いてきたことで、カイリは小さく跳ねてしまう。ジュディスの様な泰然たいぜんとした心が欲しい。


「新人、断って下さい。あそこは、あんたが行く様な場所じゃない」

「……エディ。でも」

「あそこは! 新人が行く場所じゃない! あんな、……あんな、人とも思えない様な穢い場所、濁った場所、……暗い場所っ! ……あんたじゃ、潰れる……っ」


 悲鳴の様な訴えだ。そこまで聞いて、エディの過去をカイリは思い出す。

 彼は、娼館で奴隷の様に扱われている様な言い方をしていた。逃げ出すことすら叶わなかった、と。

 そして、その元凶は歓楽街。



〝……っ、すみません。やっぱり嫌っすよね。こんなボクに触れられるの――〟



 過去を打ち明けてくれた時、彼は笑みと共に手を引っ込めた。

 自分に触られるのは嫌だろうと、勝手に決め付けてカイリから離れようとしたのだ。あの時は怒ってしまったが、きっとそれが大半の者の反応だったからだろう。


 歓楽街は、エディにとって鬼門なのだ。


 知られたくなかった過去。思い出したくない過去。

 そして、忌まわしき場所なのだ。

 カイリに頑なに行かせたくないのは、エディが闇の部分をたらふく知っているからだ。カイリだって、闇が濃過ぎて吐き気がする場所に、大切な人を行かせたいとは思わない。

 けれど。



「貴方、そうやって彼に綺麗な世界しか見せないつもりかしら」

「――何ですって?」



 馬鹿にした様なジュディスの問いに、エディの声も剣呑けんのんとがる。

 だが、彼の射殺す様な殺意にも全く動じず、彼女は鼻で笑って見せた。


「彼は、聖歌騎士よ。教会にいるの。保護者はそこのフランツ殿でも、身柄は教会あずかりになるのよ」

「そうっすね。それが?」

「教会の暗部が関わっているのに、何も知らせないままこれからも教会で過ごさせるのかしら。とんだ茶番ね」

「……っ」


 ジュディスの訥々とつとつとした口調に、エディが喉に詰まった様に押し黙る。

 カイリとしては、「教会の暗部」という単語が気にかかるが、口出し出来る雰囲気ではなくなってきた。故に、黙って見守るしかない。


「貴方がいくらイモ騎士に綺麗な世界だけ見せようとしても無駄よ。だって彼、聖歌を歌えるんだもの」

「はあ? それが何だってんすか」

「聖歌を歌えるのならば、いつか教皇と顔を合わせることを避けられない。教皇と対面してしまったら、嫌でも闇に触れるでしょう。その時、綺麗な世界しか見ていないイモ騎士は、果たして耐えられるのかしら」

「……、……っ」

「耐性の付いていない人間は――無菌で飼われた存在は、もろいのよ。あっという間に死滅するわ。可愛い後輩がそうなっても良いのかしら」


 だんだんと、エディが追い詰められていく。陰る様に、彼の空気が光を拒む様に落ちていった。

 カイリは何かを言いたかったが、その前にエディががなる様に叫んだ。


「でも! あの歓楽街が、どんなところだか知っているんでしょうが! あそこは、人の住める場所じゃない! 新人が! ……真っ当な価値観と心を持った奴が! あそこに行ったら、どうなるか! あんただって分かってるはずだ!」

「そうよ。だから、連れて行くの」

「はあっ!?」

「――そうでないと、意味がないもの」


 一瞬、ジュディスの瞳からあらゆる感情が姿を消した。

 すぐに不敵な笑みに戻ったが、底が知れぬ闇を垣間見た様にカイリは動けなくなる。

 エディも同じだったのか、飲まれる様に口を閉じた。ただひたすらに、拳を握り締めながら彼女を見つめる。


「真っ当な価値観と心を持っているイモ騎士が、そのまま変わらずにいられるか見物みものね」

「……新人は、あんたの玩具おもちゃじゃない」

「ええ、そうよ。だから、行くの。心が潰れるなら、それまでの人間だわ。ねえ? イモ騎士」


 くるんと可愛らしく振り返ってくる姿は、勇ましい。妙な二面性を綺麗に備えたその姿は、王族がなせるわざなのだろうか。カイリには不思議でならない。



「来なさい、イモ騎士。貴方に、世界を見せてあげるわ」



 世界。

 また大層な目標を掲げられた。

 だが、彼女の言うその『世界』は、決して綺麗ごとだけではない。それだけは理解出来る。


「別に、完全にイモ騎士一人に任せるわけじゃないわよ。他の者も尾行するなり、姿を隠して堂々と付いてくるなりしても良いわ。何でも良いから、私を最後まで守り通せば、それで良いのよ」

「……。……どうしてか、聞いても良いですか」


 カイリのしぼり出した質問に、ジュディスは凄惨に微笑む。


「未来の王族と、教会のためよ。表向きだけでも、両者は友好的なんだって民にアピールする良い機会じゃない。教会も、遠慮なく王族を利用できるでしょ?」

「……」

「お兄様やお父様じゃ、臆病過ぎて話にならないもの。私だったら、万が一があっても王族側にとって痛くもかゆくも無いわ。何とでも言い訳しなさい。王族だから、教会も私達を見捨ててくれるわ」

「……っ、そんな」

「だから」


 くっと喉で笑うジュディスは、恐ろしいまでに真っ暗な顔をしていた。

 まるで闇の底から這い上がる見上げ方に、カイリは触れてはいけない深淵に迫ったかの様に飲まれそうになる。



「私を、守り抜きなさい」

「……」

「出来るわよね、イモ騎士。……私に喧嘩を売ったんだもの。やってもらうわよ」

「――」



 挑発的に微笑まれる。凄惨を極める笑い方に、カイリの腹の底が波打つ様に打ち震える。

 本当なら、引き受けたくはない。正直、カイリでは力不足だ。ジュディスを危険な目に遭わせる確率が高すぎる。

 だが。



〝私だったら、万が一があっても王族側にとって痛くもかゆくも無いわ〟



 どうしても、カイリには彼女の言動が引っかかって仕方が無かった。

 最初から、よく分からないもやが彼女の前にかかっている。時折見える光景は、今見ている彼女の姿とは少しズレていて、脳や心を乱して落ち着かない。


 彼女は、一体何を考えているのだろう。

 彼女は、一体何を見ているのだろう。

 彼女は、一体――何を目指しているのだろう。


 行き付く先を見届けたい。

 危険な香りに誘われている。罠を張られている予感は、きっと正しい。

 けれど。



「……、……分かりました」

「……」

「やります。ジュディス王女殿下。貴方を、城に着くまで守りきります」

「……カイリ」



 腹から声を出して断言すると、フランツが心配そうに声をかけてくる。

 振り返れば、彼の瞳が少し揺れていた。それは、カイリが失敗する不安ではなく、ただひたすらに自分を案じる顔だ。

 彼は本当に過保護だ。団長なのだからしっかりして欲しいと、カイリは精一杯笑って見せた。


「お願いです、フランツさん。やらせて下さい」

「……。……意思は、変わらないんだな」

「はい。……これは、俺の馬車の中での失態への罰です。だから、やり遂げます。……その、当然のことながらフランツさん達には力を貸してもらわなければならないですし、……貸してもらわないと無理だと思うんですけど」

「あ、ちゃんとある程度離れてよね。当然、加勢は構わないけど」


 きっちりジュディスが釘を刺してくる。

 フランツが少しだけ疲れた様に溜息を吐いた。心労をかけてしまったのを申し訳なく思うが、カイリも引けない。


「……すみません」

「いや。……分かった。だが」

「……新人」


 フランツの言葉を遮り、エディが割って入ってくる。

 彼の心は、奥の方で震えていた。過去を想起させてしまったかと、更に頭を下げたくなった。


「エディ、……ごめん」

「……もう、良いっす。新人、言い出したら頑固っすからね」


 疲れた様な笑みは、泣いている。

 こんな顔をさせたかったわけではないのに、カイリはいつも接し方が下手くそだ。せっかく案じてくれたのにと、申し訳なさで潰れそうになる。



「まったく……新人は、人の心配し過ぎっす。もうちょっといつもみたいに図太い方が新人らしっすよ」

「……エディ」

「だけど、……新人。歓楽街も貧民街も、あんたの常識は通じないっす。ある意味狂信者よりもたちが悪い。……それだけは、肝に銘じて下さい」

「……うん」

「……っ、……ボクも、絶対守りますから。だから」



 負けないで。



 最後の言葉は、声にはなっていなかった。

 だが、吐息だけでも如実に物語っている。固く握りしめた拳が、彼の心を代弁してくれている。

 だから、カイリはエディの言葉に力強く頷いた。

 次いで、フランツ達に向き直る。

 無茶を言っているのは重々承知していた。我がままばかりで本当に申し訳ないが、譲れない場面でもある。


「迷惑をかけて、ごめんなさい。……お願いします。力を、貸して下さい」


 頭を下げて頼み込めば、各々疲れた様に溜息を吐いてきた。彼らは実に容赦が無い。

 けれど。


「分かりましたわ。あなた、言い出したら聞かないですし」

「ったくよ。リオーネ、聖歌語重ねがけで身隠し頼むぜ」

「もちろんです。……カイリ様。全力でサポートします。ジュディス王女殿下のこと、よろしくお願いします」

「……カイリ。後ろは任せておけ。だから、……お前の力を存分に見せてやると良い」


 それぞれが彼ららしく賛同してくれた。

 彼らは、本当に頼もしく、優しい。泣きたくなる気持ちを根性で飲み込み、カイリはジュディスに向き直る。



「行きましょう、ジュディス王女殿下」

「……ええ。頼もしいこと」



 真正面からカイリが挑むと、ジュディスも挑戦的に挑み返してくる。

 彼女の笑みは今まで見た中で、一番生き生きとしていて残酷な輝きを放っていた。


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