第180話


「あーあ。カイリがいない晩餐会なんて、つまんなーい」


 本日の夜は、教皇が開く晩餐会がもよおされる。

 第一位団長であるケントは当然強制的に出席だ。正直退屈で仕方がないのだが、今は教皇ともコンタクトを取っておきたい。故に、ケントはぶつくさ文句を連ねながらも出ることにした。


「こら、ケント。一応団長としての義務だよ。教皇にも好かれているんだから、存分に利用しなきゃね」


 隣を歩いていた父が、ケントを苦笑しながらなだめてくる。頭を撫でてくれるその感触が心地良くて、ケントは一度不満を切った。

 昼を過ぎたばかりの時刻は、まだ自由時間だ。ケントは父と一緒に、気分転換に商店街を出歩いていた。本当は母や弟や妹も一緒のはずだったのだが、揃って風邪で寝込んでいる。看病をしたかったのに、本人達と使用人に追い出された。万が一うつって倒れられたら困る、と。


「もう! 今日の晩餐会が終わったら、たっくさん看病するんだからね!」

「もちろんだよ! あーあ、俺は会に出るわけではないのになあ」

「父さんは、買い出しもあるんでしょ。使用人を恐怖の笑顔で説得して、果物を買う権利を得たんだから」

「ふふ、当たり前だよ。愛しいエリス、セシリア、チェスターのためなら、夫父親権限を最大限に利用させてもらうからね」

「さっすが父さん! 僕もそこまでの人物にならないと」

「息子に目標にされるのは嬉しいな。ありがとう」


 よしよしとまた頭を撫でてくる父は、顔が緩み切っている。嬉しくて仕方がないと全身で表現してくる父に、ケントは少しだけ照れくささを覚えた。


 両親も妹も弟も、本当にケントを愛してくれている。


 前世では得られなかった家族愛だ。ケントも、まさか家族にここまで執着する様になるなんて生まれたばかりの頃は夢にも思わなかった。

 けれど、とても充実している。

 カイリに出会えない日々は落胆し、悲しみは絶えなかったが、それを家族が補ってくれていた。


 暖かくて、優しくて、笑顔が絶えない家。


 ケントにとっては、大切な宝物の一つだ。

 だからこうして、父と共に歩く時間もケントのお気に入りの一つである。


「ふっふー。ねえ、父さん。手、つないでも良い?」

「もちろん! ケントに甘えられるのは最高に幸せだよ!」

「うん! 僕も、父さんに甘えられるのは最高に幸せだよ!」


 堂々と公言しながら、ケントは父と手を繋ぐ。もう二十歳を超えているだろうと指摘されようと関係ない。

 大切なものは、いつ失くしてしまうか分からないのだ。

 ならば、伝えられる時に伝えておくのは、後悔しないための秘訣である。言わせたいものには言わせておけば良いというのが、ケントの持論だった。

 そして、この幸せな時間があるからこそ、ケントは退屈なことも面倒なことも何でも乗り越えられる。


「ところで、ケント。カイリ君のことなんだけどね」

「うん?」


 少しだけ父の声がひそまった。ケントは聖歌語で【はばめ】と軽く周囲と声を遮断する。


「ごめんね。ちょっと気になる噂を聞いたから」

「うん、なになに? もしかして、教皇絡み?」

「そう。……ねえ。カイリ君も、今回教皇の晩餐会に招待されたんだよね?」


 瞬間、ケントのテンションが地に落ちた。落ちるどころかめり込んで奈落の底に沈んでいく。

 そんなケントの地雷を踏み抜きながら、父は楽しそうに笑って――酷薄こくはくに微笑む。



「どうして、今回のタイミングで晩餐会を開いたんだろうね?」

「――……」



 父は、なかなかどうして意地が悪い。にこにこ微笑んだ後に、うっすらと目を細めていく変遷へんせんは一種の恐怖である。

 そうだ。ケントもその点は十二分に警戒していた。今回、カイリの任務に日程をかぶせたのも大いに気になっている。十中八九わざとだ。



 つまり、この突然の晩餐会はカイリのために開かれた。



 ケントだけではなく、父も早々に結論付けていた。父が想定するのならばもう間違いはない。溜息が深くなる。

 前に、一度ミサで教皇がカイリを呼び出したが、その時は『ケントのお気に入り』という意味合いが強かった。



 だが、今は違う。本気で教皇が動いている気配があるのだ。



「ケント。カイリ君には招待を断る様に勧めたんだってね」

「むしろ、教皇に頼まれた時点で却下したけどね。……手紙だけは渡せって結構ごねたから、見せるだけ見せたよ。フランツ殿に」

「そして、さっさと破り捨てた、と。……ふーん」



 やるね、と父が意味ありげに称賛する。

 その父の企んだ様な、見守る様な微笑に、ケントは頭が自然と下がっていった。――父には本当に敵わない。やることなすこと全てお見通しだ。

 本当は、カイリのことを思うのならば却下はするべきではなかった。むしろ、教皇が手紙だけはと言った時点でカイリを出席させるべきだった。


 そうしなかったのは、ケントのエゴだ。


 カイリを大事と言いながら、彼を利用する。千載一遇のチャンスをみすみす逃すわけにはいかないからだ。

 穢い人間だとつくづく思い知らされる。カイリには絶対知られたくない一面だ。

 教皇がカイリと接触するならば、教皇を排除する良い機会である。むしろ、それは願ってもいない絶好の機会だ。



 教皇を排除すれば、『会える』のではないかと予想しているからだ。



 故に、教皇がカイリに目を付けること自体は構わない。それを機会に動くだけだ。例え、それでカイリが傷を負ったとしても。本当の意味で彼を守るのならば、避けては通れない道だ。

 しかし。


「……予想以上に早いよね」

「うん、それなんだ。俺としては、少し不自然なほどだよ」


 懸念材料はそれだった。

 もう少し順を追って接触するだろうと考えていたのだが、教皇はもうカイリを取り込もうとしている様に見えた。いつもと違って性急過ぎるなと、ケントは首をかしげざるを得ない。


「教皇が焦る原因かあ……。父さん、思いつくことってある?」

「……。……もし思い当たるとするなら、カイリ君のご両親を知った、とかかな」

「……両親」

「今の教皇は、彼の父親をひどく嫌っていたからね。その上」

「……ああ。ゼクトール卿」


 ゼクトールは枢機卿の中でも一番位が高い。おまけに、教皇とは昵懇じっこんの中とまで揶揄やゆされるほどに近しいのだ。

 ゼクトールが教皇に情報をもたらしたのは不自然ではない。

 ないのだが。


「……ゼクトール卿って、……カイリのこと」

「うん!? け、ケント? あ、あれ!」

「え?」


 父が物凄く慌てた様子でケントの腕を引っ張る。

 思考を中断し、何だろうとケントは父の指し示す方向を見て――流石に目を丸くした。



「か、カイリ!?」

「え? ……って、ケント!」



 ケントが叫ぶと、カイリの方も気付いたらしくこちらに手を振ってくれた。

 しかも、その隣にいる人物は、カイリ達第十三位の本日の護衛任務対象である。

 だが、カイリの他には誰も見当たらない。気配はするが、姿を隠している様だ。

 一体どんな流れになっているのだろう。気にはなったが、取り敢えずケントも父も隣の王女に頭を下げた。


「これは、ジュディス王女殿下。ご機嫌麗しゅう」

「あら、クリストファー殿、ありがとう。隣にいるのはケント殿ね。二人とも顔を上げてちょうだい」

「では、失礼しまして。お久しぶりです、王女殿下」

「ええ。ケント殿は相変わらず真っ黒な笑顔ね。魅力的だわ」

「それは王女殿下もでしょう。……ところで、本日は確か母君のお見舞いに来られていたのでしたね」

「二人とも耳が早いわね。そうよ。でも、終わったからこのイモ騎士に護衛を頼んで案内してもらっているの」

「……イモ騎士?」


 ぴくっと、ケントの耳が不穏に動く。父が苦笑いをして、ケントの背中を軽く撫ぜた。


「カイリ君、こんにちは。ジュディス王女殿下とは、面白い関係になっているみたいだね」

「こんにちは、クリスさん。……いえ、その、……罰ゲームみたいなもので」

「あら。本当に彼らと仲が良いのね。新人なのに、随分と顔が広いじゃない」


 感心した様に、けれどどこか含んだ様に王女が冷たく笑う。

 カイリはというと、苦り切った表情しか見せない。あまり口を開かない様にしているあたり、もしかしたら既に失態を犯した後なのかもしれない。

 カイリは自分のことだと耐えるが、他人が攻撃されるとなかなか口を滑らす割合が高いのだ。なので、今回もそれだろうとケントは当たりを付けた。


「王女殿下はカイリのこと、よく調べているみたいですね」

「あら、……そうね。第十三位のことは、ちゃんと調査済みよ」

「……、え?」


 そこで初めて、カイリの空気が変わった。

 いぶかしげに王女を振り向くあたり、何か引っかかったのだろうか。カイリは頭の回転がそれなりに早いし、注意力もある。矛盾か違和感かは判断が難しかったが、機会があれば追及に乗り出すだろう。

 良い話題提供が出来たと自画自賛しながら、ケントは一応話を切った。


「じゃあ、お邪魔をしては悪いので、この辺で。……カイリ! 頑張ってね! 教皇に会う前に君に会えて良かったよ! おかげで、充電出来たから!」

「――」


 ぎゅっとケントはカイリに抱き付く。王女が隣で目を丸くしていたが、無視である。

 カイリは今回は避けはしなかった。王女がいたからかもしれない。少し弱った顔で、それでもおかしそうに笑ってくれた。――「教皇」という部分に微かに眉をひそめたことには、気付かないフリをしておく。


「……何だよ、それ。会っただけだぞ?」

「それが大事なんだよ! ねえ、父さん!」

「もちろんだよ! カイリ君、ありがとう。ケントってば、さっきまでふて腐れてたから。どんどん背中を蹴り倒してやってね!」

「……それは、何かあった時には蹴り倒しますけど」


 苦笑しながらカイリが肯定するので、ケントは満足である。

 一方、王女は少しだけ変な顔をしていたが、更に無視だ。カイリをイモ騎士呼ばわりする輩は、見る目が無い。

 ぷんっと心の中で盛大に膨れ、表向きだけ満面の笑みを浮かべるケントに、父は苦笑してもう一度背中を撫でてくれた。父にはケントの心境は全てお見通しらしい。流石は父である。


「じゃあね、カイリ君。……ああ、そうだ。もし何かあったら、私に連絡してね。ケントは晩餐会だけど、今日一日、私はフリーだから」

「え? あ、はい。ありがとうございます。助かります」

「うん。これ、連絡手段ね」

「え?」


 流れる様に、父がカイリに笛を渡す。

 銀細工の綺麗な笛が、カイリの手の平できらきらと嬉しそうに輝いていた。流石はカイリ。どんな品物でもカイリの手の中では一層輝きを増す様だ。ケントとしても誇らしい。


「あの、クリスさん。これは?」

「それは、私が飼っている鳥にしか聞こえない笛なんだ。一回吹いたら、君の元へ。二回連続で吹いたら、私の元へ来る様になっている」

「……、え?」

「私を呼び出したい場合は、二回吹きなさい。鳥がちゃんと道案内してくれるからね」

「……え、え? いえ、こんな貴重なもの、受け取れません!」

「駄目だよ、カイリ君」


 カイリが突き返そうとするのを、にっこり笑って父が右手で押し止める。その笑顔は有無を言わさぬ迫力を放っており、カイリの顔がびしっと石化した。

 父は、相手に威圧をかける時、真顔の時と笑顔の時の二種類がある。

 前者は、相当怒り狂っている時。後者は、更に二種類あって、好意を持っている相手に強制する時と、完全に敵意を持つ相手を頭から叩き潰す時だ。見分け方は難しいが、息子のケントなら容易に悟れる。

 今回は、笑顔の前者の種類の笑みだ。ということは、父にとってカイリは保護対象らしい。ケントとしても、父がここまで誰かに目をかけるのは珍しいと目をみはる思いだ。


「カイリ君には、死んでもらったら困るからね。ケントが泣き叫んで世界を滅ぼしちゃうよ」

「……いや、あの、それは。……はい」

「ちょっと! カイリ、酷いよ! 流石に世界を滅ぼしはしないよ! 荒らすだけだよ!」

「いや、駄目だろ」

「そういうことだよ。今回じゃなくても、いつでも。もし、手を貸して欲しくなった時は、吹いてね。約束」

「……あの」

「約束」


 笑顔で繰り返され、カイリは拒否を諦めた様だ。にこにこと渦巻く父の空気は、朗らかなのにどこか圧する様な重さがある。

 別に、それに負けたわけではないだろう。カイリは、どうしても譲れない時は、誰が相手であろうと頑固に己の意見を通す。

 だから。


「分かりました。……ありがとうございます、クリスさん」

「うん」


 今、父の好意を受け取ったのは、カイリがそうしたいと判断したからだ。

 カイリも、父のことを好ましく思っている。彼の感情の真っ直ぐさが、自分の父を認めてくれている様で誇らしくなった。


「頑張ってね。ジュディス王女殿下の護衛は、大変だと思うけど。いるんでしょ?」

「はい。一人じゃないですし、……いざとなっても、守り通します」

「うん。君なら出来るよ」


 ぽん、とカイリの頭を撫でて、父が勇気付ける。

 お世辞ではないのは、声の調子で分かる。父は、それなりにカイリのことを認めている。それも、父が彼を受け入れてくれた証でケントとしては誇らしい。


「じゃあね、カイリ! また休日、お話しようね!」

「ああ。……ケントも。気を付けてな」

「! うん!」


 気にかけてくれたことが嬉しくて、ぶんぶんとケントは手を振りまくる。

 そのまま、カイリが王女と一緒に商店街の奥へ姿を消すのを、少し複雑な気持ちで見守った。


「……あっちって」

「歓楽街だね。王女の要望だろうね」

「……ふーん」


 わざわざ、早々に見舞いを切り上げて歓楽街へ赴くとは、王女も何を考えているのだろうか。

 正直、彼女は王族の中でも特殊な位置にいる。

 別に、王や跡継ぎの兄に逆らうわけではない。不満や異を唱えるわけでもなく、ただ好き勝手に日々を謳歌おうかしている。



 ――というのは、恐らく表向きだけだろう。



 それが、ケントの見解だ。父も同意見だろう。


「カイリを巻き込もうとしているのかな」

「だとしても、だよ。王女の在り方を見極める良い機会かもしれないね。第十三位や俺達にとって、悪い話でないことを祈るばかりだ」


 冷静に分析しながら、父は「ほら」とケントの背を叩く。



「何があっても、カイリ君は守り抜くんだろう?」

「――」



 父が、笑ってケントの心を貫く。

 父は、もう知っているのだ。ケントが何故カイリへの手紙を処分する様に誘導したのか。ケントが一体何を企んでいるのか。

 ケントのやろうとしていることは、とてもではないが褒められた手段ではない。フランツ達に万が一にでも知られたら、ケントは敵意という単語など生温いほどの殺意を向けられるだろう。

 それでも父は、ケントの方法を止めはしない。

 父は、手厳しいが優しい人だ。非道だと罵らずに、ケントを信じてくれる。


「……、うん。もちろん」

「なら、大丈夫。……俺からも保険は渡した。今回に限らず、彼が上手く使ってくれるならば、俺も喜んで彼を守るよ」

「父さん……」


 父が頭を撫でて微笑む。その笑みは柔らかくて見守る様な温かさがあった。

 父は基本的に、何も請われなければ見守る姿勢を崩さない。

 それでも、笛を渡してカイリを守る手を添えてくれたのだ。カイリのために――ケントのために。守る手段は一つでも多い方が良いと理解しているから。

 本当に父には敵わない。ケントが父を超える日はいつになるのか。


「……ありがとう、父さん」

「うん。俺の友人のため、何より可愛い息子のためだからね。……さあ、そろそろ気持ちを切り替えなさい。今後に備えて、今はちゃんと休息を満喫しなきゃね」


 ぽんぽんと背中を叩かれ、ケントは背筋を伸ばす。

 そうだ。気を揉み過ぎても、どうにもなりはしない。

 ならば、きたるべき時に備えて英気を養うだけだ。父が促す通り、家族への果物を探すことにしよう。


「早くしないと、時間無くなっちゃうね!」

「そうだよ! だから、行こう、ケント。……鬱陶しい輩も、カイリ君はもちろん、フランツ君達なら、何とかするよ」

「うん!」


 うきうきと、ケントは父と再び手を繋いで歩き出す。

 一瞬だけ、歓楽街へ消えていくカイリのことが気になったが、仲間もいるのだ。見張っている輩も大したことは無い。

 大丈夫だと言い聞かせ、ケントは今日の予定に集中することにした。


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