第181話


「……何なんだよ、あれは……」


 商店街の物陰から、カイリ達のやり取りの一部始終を覗いていたファルは、同僚達と怒りに声を震わせながらうめいていた。



 第十位は必要ない。



 王女にそう切り捨てられたからと言って、はいそうですかと引き下がれるわけがない。

 だが、事の次第を団長のパーシヴァルに報告すると、「知らん」の一言で片付けられた。

 団長は、己の頭で考えない輩を極度に嫌う。ただ報告をするだけで、今後の予定を立てていなかったことに腹が立った様だ。話は無いと言わんばかりの背中に、ファル達は打ち震えるしかなかった。

 話し合って、一部の同僚と一緒に結局王女を追いかけることにした。正直、王族に下に見られることほど腹立たしいものはないが、体面もある。もう一度掛け合ってみようかと渋々決断したのだ。

 そして追いかけて来てみれば、あっさりと病院から出ていく王女を目撃した。

 見舞いはどうしたと思った矢先、ファルは目を見開いて慟哭どうこくした。

 王女は、護衛をたった一人しか引き連れていなかったのだ。



 しかもその護衛は、よりによってあの生意気な新人であるカイリ。



 この屈辱と言ったら、無い。ただでさえ教会にいい様に扱われ、身分などもはや形骸けいがい化されているはずの王族に下に見られた。

 それだけではなく、あの第十三位者が――しかも、あの生意気な役立たずの新人がたった一人で護衛に取り立てられるなど、侮辱以外の何物でもない。


 ファル達にとっては、裏切り行為にも等しかった。


 王族のくせにと、見下す気持ちが止まらない。

 憤懣ふんまんやる方ない気持ちで、それでも接触の機会を窺っていると、今度は第一位団長と元団長の親子に出くわした。

 カイリと実に楽しそうに話す親子に、殺意が湧いた。

 だが、カイリにはそれ以上に殺意が湧いた。ぐちゃぐちゃにして引き裂いて、尊厳を踏みにじってもまだ足りない。


 何故、あんな輩ばかりが良い目を見るのだ。


 ファルは、三年も先輩だ。聖歌も聖歌語も扱えないが、だからこそ実力だけで教会騎士となり、第十位にも入団出来た。少し、ある方の『お手伝い』をして、その分の加点も確かにあったが、今は任務の成功率も上がっている。



 対して、あの新人には聖歌しかない。



 実力も無い。経験も実績もない。

 それなのにちやほやされる。誰も彼もが彼に注目するのだ。

 聖歌しか取り柄が無いくせに、何がこんなに違う。一番腹が立って、憎たらしい。

 だから、認めさせるのだ。

 彼よりも、自分達の方が優秀だと。それに第十三位など、所詮は問題児の集まりでお荷物でしかない。改めてそれを突き付ける。

 そのためには。


「お? あいつらが向かう方角って歓楽街か?」

「マジかよ! あそこ、あんまり入りたくないんだけどなー」


 同僚達のうげっと吐き出す様な愚痴を聞き、ファルは好機だと発想を転換させる。

 どうせあの新人は、歓楽街の実態を知らない。王女も同じだろう。好奇心や薄っぺらい偽善で足を向けるに違いない。


 だったら、世の中の不条理というものを十二分に押し込んでやれば良いのだ。


 それが先輩としての責務。

 あの生意気な新人へも良いクスリになるし、一石二鳥だ。


「ちょうど良いじゃない。……王女もあいつもさ。危険な目に遭っても、本当にぎりぎりまで手出しはしないことにしようよ」

「はあ? 見てるだけかよ。ファル、それはちょっと退屈だぞ。一応護衛任されてんだしさあ」

「そうだね。だから、……もし何事も無さそうだったら、ちょっとそこら辺の輩をけしかけたり、貧民街に犠牲になってもらったり、色々あるよねえ。そして最後はオレ達が助ければ、……面目躍如めんもくやくじょじゃない?」

「ああ、なるほどなあ。あの王女も、俺達の偉大さを痛感するってな!」

「それに、犠牲になるのも……貧民だしな」

「そうだよ。貧民だもん」



 所詮、歓楽街と貧民街の住民は、家畜以下だ。



 生きているだけで役に立たない生き物。どうなろうと、崇高なる身分を持つ教会騎士とは天と地ほどの差がある。

 だから、駒になってもらおう。騎士の役に立てるのならば、彼らだって喜んで涙を流すはずだ。


「あー。早くあいつら、ひっどい目に遭わないかな」


 頬杖を突くポーズをしながら、ファルは先を進むカイリと王女の顔を見つめる。

 ファル達を侮辱し、裏切った代償は重い。涙でぐちゃぐちゃになった顔を踏み付けてくれる。助けを請う彼らを裏切った時、どんな顔でいてくれるだろうか。



 考えるだけで、ぞくぞくする。上からさげすんできた彼らが、自分に踏み潰される瞬間は最高だ。



 三年前のエディの時もそうだった。

 黙っていれば整った顔が、明るく笑っていたあの顔が、憤怒と苦痛と悲哀にまみれて歪んでいくさま

 当時のファルは、まだ彼よりも実力が無かった。何度挑んだって叩きのめされ、力が足りないことをまざまざとこの身に沁み込まされたものだ。



 しかし、相手より実力が足りなくても、自分は相手を支配出来る。



 それを示してくれたエディには感謝だ。例え実力が下であろうと、逆転出来る最たる例を示してくれたのだから。

 故に、先日再び応接室で出会った時、泣きそうな、苦しそうな顔でファルを睨みつけてくるその表情にどうしようもなく安堵した。



 もっと見せろ。もっと泣け。もっと怒って、ファルだけを恨んで憎んで傷付け。



 自分には、それだけの価値がある。他を見るな。自分だけを意識すれば良い。

 自分より下の者達は、自分に踊らされて打ちひしがれているのがお似合いだ。



〝ファルは器用だし素早い連撃が得意っぽいすから〟



「――……そう。お似合いだ」



 馬鹿な先輩。騙されているとも知らず、のうのうと笑って、それが殊更気分が良かった。

 だからもっと踏み付けて、その笑顔を踏み潰そうと、応接室で畳みかけた。

 だが。



〝……ううん。――謝らなくて良い〟



 ファルに踏み付けられたはずのエディは、あの生意気な新人によって怒りを納めていった。

 むしろ、それだけで止まったことに驚きを覚えた。



〝ファル殿、流石。俺より長くこの教会にいるだけあって、よく分かっていらっしゃいますね。――第十三位の良さを分かち合える人がいて大変光栄です〟



「……あの生意気な新人」



 よりによって、ファルに真正面から喧嘩を売ってきた。それだけでは飽き足らず、あのエディの感情さえなだめて制御してのけたのだ。

 他の者達も、カイリがファルに切り返した時に少しだけ――本当に少しだけだが、表情が和らいだ。

 あれだけ怒りに満ちていた空気が、彼の存在で丸くなった。

 おかしい。彼らの感情は、ファルだけが支配できるのに。

 何故、あのぽっと出の新人如きに上書きされるのだ。


 許せない。――許せない。


 ファルが彼らの感情を支配していたのに、あの飛び入りのせいで台無しだ。

 邪魔をするな。

 ファルは、誰よりも上に立つ。感情を支配し、もてあそび、全ての上に立つのだ。



〝おやがさ。おまえみたいな、へーみんとは遊ぶな、だって〟


〝ゲヒンがうつるーって。だから、おまえ、もうくんなよ〟



 例え出自が何であろうとも。

 ファルは、彼らを踏み潰す。



〝お前、何でここにいるんだよ〟


〝―――は――らしく、――でも―――ればいいのによ!〟


〝教会騎士だなんておこがましいんだよ! 平民風情が、この世界を穢すな!〟



 侮辱する奴らは許さない。侮辱される無能も許しはしない。

 ファルは上に立つ。いずれ教皇に認められ、その教皇さえも凌駕りょうがするほど一目置かれる存在になって、全ての奴らをひれ伏させるのだ。

 だって、自分は選ばれた存在。

 騎士になる資格を得たばかりの時に、『あの方』から依頼をされたのだから。



〝犯罪者の集まりなのですが、同情的な声もありましてね。……ですが、所詮犯罪者は犯罪者。盲目的になっている者達を目覚めさせるためにも、是非とも協力して頂きたいのです〟



 第十三位を潰すための先駆者となって欲しい。



 そう請われたからこそ、ファルは新人になってすぐにあの団に入ったのだ。

 全ては、上を目指すために。あの方の覚えもめでたくなれば、足掛かりともなるだろう。

 そのためだけに、依頼を引き受けた。第十三位の信心が足りないとか他にも文言を色々並べ立てられたが、ファルにはどうでも良かった。

 ただ、頂点に立つために。

 そのために。



〝みんな、朝昼夜二十四時間、いつでもどこでも優しいですよ。俺には、ほんっ! とうに! 天国の様な場所です〟



 生意気にも、第十三位の前に盾の如く立ちはだかったあいつを。



「……あいつも、屈服させてやる」



 暗い欲望を笑みに溶かし、ファルはぎらついた目でカイリを見やる。

 その背中がずたずたに引き裂かれるのを妄想しながら、ファルは同僚達と共に足音も無く追いかけた。











「ふむ。あれは丁度良い駒になるのである」


 憤怒と嫉妬に駆られて暴走しかけている愚者達を、ゼクトールは遠くから眺めていた。

 どうやら彼ら第十位の一部は、随分とカイリを目の敵にしているらしい。己に力が無いからと言って、力のある者をただ妬み、憎むことほど愚かなことはない。


 確かに、彼は聖歌を歌える故に聖歌騎士となった。騎士として特殊な地位に就いてはいる。


 だが、聖歌以外の能力は、村で暮らしていたという情報に違わず、突出しているわけではない。武術のセンスはあるが、まだまだ未熟過ぎて半人前にも達してはいないだろう。

 聖歌だって、まだ伸びる余地を残している。体力の無さも問題だ。

 しかし。



 己の能力を十二分に理解しているからこそ、彼は日々努力を怠らない。



 彼が毎日武術も聖歌も絶えず訓練していることを、ゼクトールは知っている。宿舎近くに足を運べば、遠くから彼らの掛け声は聞こえるし、彼の聖歌も耳に出来るのだ。

 そのおかげか、少しずつ実は結んでいる。初任務の時も、それなりに狂信者に奮闘していた。聖歌の力も目をみはるものがあった。間違いなく、彼の日々の努力の成果だ。

 けれど。


「……妬む奴らには関係は無い、であろうな」


 羨み、嫉妬ばかりする人間達は、相手のたゆまぬ努力など見ようともしない。

 いや。



 本当の本当は心のどこかで気付いているはずなのに、気付かないふりをしているのか。



 己のちっぽけで役に立たない矜持きょうじを守るために。己が存在を奮い立たせるために。

 そして、己の立場を飾り立てるために、彼らは上にいる者を引きずり落とそうと邪魔をする。

 今回もその様な浅知恵極まりない愚劣な策を立てている様だ。カイリにとってはかなり苦しい道程になるかもしれないが、周囲の補佐もある。切り抜けるだろう。

 それに。


「……あの子は、やはりただ者ではない」


 どんな状況に置かれても、彼ならきっと己の足で踏ん張る。

 ルナリアで、殺されそうになっても、相手に手を伸ばした様に。例え命を奪われる危機に陥ろうとも、彼は彼らしく真っ直ぐに信念を貫くだろう。

 それこそが、彼の本当の力。何よりも生き抜くほことなる。



 彼の青年ちちおやの様に。



〝ゼクトール殿! 今日こそ勝ちます! そして――〟



 今度こそ。――今度こそ。



 毎回決まり文句の様に口にしながら、いつもいつも挑んできた、かつての青年の姿がカイリに重なる。

 カイリは、青年の様に挑んでくるわけではない。相手を傷付ける剣を持つことが苦手で、相手の命を奪うことを極度に恐れている。

 けれど、何故だろうか。



〝なかなか認めてくれないのは悔しいですけどね。でも、ゼクトール殿とこうして一緒にお菓子を食べられるだけ進歩しましたよね! 嬉しいです!〟



〝でも、お土産を渡しただけなのに、一緒に食べられるなんて嬉しいですから〟



 生きた年月は違うはずなのに。

 あの親子は、同じことを言ってきた。



「……親子揃って、救いようがない」



 青年を毎度毎度あしらっていた日々。たまに嫌々仕方なくお菓子を共に食べれば、青年は犬の様に尻尾を振って喜んでいた。

 カイリは子猫の様だが、青年は大型犬の様な存在だった。うるさいほど付きまとわれ、頭が痛くなった回数は数えきれない。邪険にしていたのに、りずに近付いてくる彼はいっそ鋼鉄の心臓の持ち主だった。

 カイリも、ある意味そうかもしれない。本当によく似ている。


 ――本当に、よく似ている。


 己の信念を貫き通すため、カイリは誰かを守るために剣を取り、命を奪う覚悟を持った。

 青年も、己が見上げる未来のため、大切なものを守るために剣を取り、命を奪うとがを全て背負った。

 何故、親子は同じ道を行こうとするのだろうか。険しく、道なき道を掻き分け、ある意味孤独な生き方をする。


「……。……とにかく。第十位を上手く使うのである」


 頭を振って、思考を戻す。

 第十位はカイリを捕らえるくらいの役には立つ。壁になる程度の力はあるだろう。

 後は――。



「あ、ゼクトール卿!」

「――」



 能天気なほど明るい声が背中を打つ。

 振り返ると、教皇近衛騎士の一人である青年がにこにこと、声と同じく能天気に歩み寄ってくるところだった。確か、ギルバートという名前だったはずだ。

 そう。


 情報によると、カイリと何度か接触して顔見知りのはずだ。


「ギルバート殿であるか」

「はい! お疲れ様です。ゼクトール卿自ら見回りですか?」

「……うむ。少々気になることがあってな」


 本日は教皇が開催する晩餐会がある。

 本来なら、その準備に追われてゼクトールはこの場にはいないはずだ。不思議に思われても仕方がない。

 故に適当にもっともらしく頷けば、ギルバートはあっさりと騙された。彼は少し警戒心が足りない。


「そうでしたか。俺にも出来ることはありますか?」

「いや、……確認は終わった。そろそろ戻るところである」


 厳かに切り上げれば、ギルバートはまたも騙された。軽く敬礼し、ほがらかに会話を続ける。


「俺は今日は夜勤なので、今は空き時間なんです。もし何かあったら、お申し付けください」

「うむ。……夜勤?」


 嫌な予感がした。

 だが、ギルバートは何も察しないまま、あっけらかんと「はい」と笑顔で肯定する。


「今日は晩餐会が終わった後、夜中は教皇の部屋の前で待機なんです」

「――」

「何事も無く平和に終わることが多いんですけど、夕方に一度仮眠を取ってから向かう予定です」


 邪気もなく言い切る彼の顔には、どこにも嘘は見当たらない。

 当然だ。彼は本来こういう人間だ。腹の探り合いが苦手な部類で、あまり教会の騎士には似つかわしくない性分である。

 ただ、それなりに腕が立ち、天涯孤独で、いなくなっても誰も心配しない。だから教皇の近衛騎士に選ばれただけだ。

 教皇近衛騎士の者達は全員、家族というものを持たない集まりである。



 いつ、どんな時にも『不具合』が起きた時、簡単に取り換えられる様に。



 それが教皇の方針だったから。

 ゼクトールも、何度ひっそりとした交代劇を見守ってきたか知れない。本来ならどこかで秘密裏に逃がすべきだった者達も、人知れず教皇の餌食となった。

 全ては、教皇の信頼を得るため。

 長年の願いを叶えるため。

 ゼクトールは、心を痛めることを止め、修羅の道を貫いた。

 だから。



〝俺、おじいさんと出会えて嬉しいんです〟



「……」



 だから、せめて。


「……ギルバート殿に伝えることを忘れていたのである」

「え? はい、何でしょう」

「……夜勤の時間帯だが。教皇の部屋で待機ではなく、この市内の方を見回って欲しいのである」

「え?」


 きょとんと瞬いて疑問を惜しみなく前に出すギルバートに、ゼクトールは表情を変えない。ただひたすらに淡白に告げる。


「この頃、よからぬことを企む輩が水面下で動いているという情報が入っているのである」

「え! ……って、もしかしてゼクトール卿、その証拠を確かめに?」

「そんなところである。……少しでも人手が欲しいのである。民を守るのも、騎士の務め。当然教会騎士達にも見回ってはもらうが、教皇近衛騎士が見回れば、士気も上がるであろう。……頼むぞ」

「はい! そういうことなら、こちらに回ります! 誰一人として怪我人は出しません!」


 どんっと勢い良く胸を叩いてごほごほせるギルバートに、一抹の不安を覚えながらも安心した。彼はなかなか単純だ。しかも良い方向へ勘違いして、勝手に話を誘導してくれる。

 ようやく復活したギルバートが、じっとゼクトールを見上げてくる。話は終わりかと思ったが、まだ彼の中では終わっていないらしい。


「……あの」

「む? 何かね」


 他に仕事についての質問があるのかとゼクトールは気楽に尋ねた。

 しかし、それが間違いだった。



「……そういえば、ゼクトール卿ってカイリ殿と親しかったですよね?」

「――」



 一瞬。

 本当に一瞬だが、ゼクトールの心臓が嫌な風に飛び跳ねた。気取られていないことを切に願う。

 何故、ここでカイリの名前を彼が出すのだろうか。確かに付き合いはあると把握しているが、そこまで仲が良いとは予想だにしなかった。


「……親しいかどうかは分からぬが、時々話はするのである」

「あ、はは。そうですよね。……実はこの前、カイリ殿とお話して。晩餐会、出ないって聞いたんです」

「……うむ。任務が、あると」

「はい。……でも、カイリ殿があそこにいたら、何でしょうね。いつもと違う晩餐会が見れたのかなーとか。ちょっと残念なんですよ」

「……」


 いつもと違う光景が見れたかもしれない。


 カイリは一度、ミサで教皇と接触している。その時は危うく連れ去られそうになったところを、ケントが介入して事なきを得た。

 そのことを彼は知らない。だからこそ、そんな風に言えるのだろう。無知とは時に幸福だ。

 しかし、何故カイリのことをゼクトールに話題として振ってきたのだろうか。彼は目上だからと物怖じするタイプではないが、不思議でもある。


「……そんなに、カイリ殿と親しかったのであるか」

「ああ、いえ。……でも俺、彼とあんまりお話したことってないから。もう少し長くお話してみたいなーって」

「……、……ふむ」

「でも、……不思議ですよね」

「……。……何がかね」


 聞いてはいけない。

 そうがんがんに鐘を間近で鳴らされた様に警告が降りてきているのに、ゼクトールは勝手に尋ねてしまう。


「カイリ殿って、一見するとどこにでもいそうな普通の人じゃないですか。特別見目が良いってわけじゃないし」

「……否。子猫である」

「え?」

「何でもないのである」


 思わず否定してしまい、我に返って咳払いをする。

 ギルバートは不思議そうに瞬いていたが、特に気にならなかったのか勝手に話を続けた。


「聖歌は凄いみたいですけど、武芸は一目置かれるほど突出してるってわけでもないらしいですし」

「……」

「話していても極々普通っていうか。基本穏やかだし、優しいし、……ちょっと良い性格してるなーくらいで。聖歌が無ければ、取り分け注目される人って感じがしないのに」


 それなのに。


 ぽつりと落とした彼の声は、どこか遠くを見る様に響いた。

 何かを求めている様な、迷子の様な、当惑した感情が瞳の中に見え隠れしている。



「……何故でしょう。何となく、気にかかるんですよね」

「――……」

「もう少し一緒にいてみたいっていうか。もうちょっと何か話してみたいっていうか。……別に、特別なこと話しているわけじゃないし、利があるとかそういうわけじゃないんですけど」

「……」

「彼も色々辛いこともあるって分かってはいるけれど、はたから見ていると恵まれている様に見えて。すっごく羨ましくなって。でも、……」

「……」

「……でも、……一緒にいたら、少しだけ固くなっていた心が柔らかくなるというか。休まる感じがして。……俺のこと凄いとか訳わかんないこと言うし、……彼の方が、ずっと凄い様に見えるのに」



 ゼクトールに話しかけているはずなのに、彼の言葉は内面に跳ね返っている。

 笑っているのに泣きそうに思えるのは、彼の声が揺れているからだ。必死に保ってきた静かな水面が、ゆっくりと波立っている風に聞こえる。


「ケント殿だけじゃなくて、クリストファー殿やゼクトール卿と仲良いの、実を言うと結構不思議だったんですけど。……もしかして、ゼクトール卿も同じ様なことをカイリ殿に感じていたのかなあって」

「――」

「すみません。どうしても、確かめてみたくなって。……俺自身、ちょっと困惑していて。こういう風に他人のことを思うの初めてで。ですから、人生の先輩に、相談? ……いや、……ちょっと、聞いてみたくなったんです」


 お仕事中にすみません、と深々と頭を下げる彼に、ゼクトールこそ困惑した。

 カイリと共にいて、休まる。

 ぶつけられた疑問に、足元から激震が襲い掛かってきた。ぐらぐらと天変地異が起こったかの様に目の前が揺れる。

 そんなはずはない。



 彼に、そんな感情を抱いているはずがない。



 例え昔の繋がりがあったとしても、ゼクトールは彼との付き合いが浅い。毎日接しているわけでもないし、目的を叶えるために近付いた。餌に丁度良いと思って、今も利用しようとしている。道化として踊ってくれればそれで良かった。

 ただ、その過程で広場にいる鳩に一緒に餌をやっているだけで。

 ただ、外国から帰ってきた時に、お土産をもらう仲になっただけで。

 ただ。



〝俺、祖父母っていないから。……本当のおじいさんがいたら、こんな感じかなって思う時もあるし〟



 ただ――。



「……うむ。……、……わしにも、実を言うとよく分からんのである」



 やっとの思いでそれだけを告げる。苦々しく、重々しく、厳かに言い切った。

 すると、ギルバートはあっさりと「そうですか」と引き下がる。ですよねー、と頭を搔きながらからっと笑った。


「俺も、まだよく分からなくて。だから、混乱しているんですけど。ゼクトール卿も同じなんですね」

「……、うむ。あれだけ若い者と接する機会があまり無いのでな」

「一応俺も、彼とは五歳くらいしか違わないですけどね。……でも、きっと話していけば分かる日も来るんでしょうね」

「……、うむ」

「ははっ。変なこと聞いてすみませんでした。――それでは! 巡回に戻ります!」


 びしっと敬礼して去って行く彼の背中は、やはり賑やかだ。声を出さずとも揚々ようようとしているあたり、人柄が如実に表れている。



 だが、そんな彼も、ここぞという時に駒となるのだ。



 嫌な制度だ。鬱々と影が心に沈み込んでくる。

 しかし、目的を達成するためにはその鬱蒼とした闇の中を突き進まなければならない。

 だから、多少の感傷くらい目を瞑って欲しいものだ。



〝でも、きっと話していけば分かる日も来るんでしょうね〟



「……っ」


 一寸だけ、ゼクトールは目を閉じる。目の前に繰り広げられる世界を断絶する様に。

 今から行う計画は、彼らの行き先をどういう風に変えてしまうだろうか。

 ギルバートを巡回側に回したことだけが、本当にせめてもの恩情だった。


「……さて。滑稽な愚か者どもが、一体何を企んでいるのか」


 見物であるな。


 カイリを追いかけ、良からぬことを計画する第十位の姿を密かに追い求める。

 そのまま、ゼクトールは人ごみの中に溶け込む様に消えていった。


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