第178話
ジュディスと一悶着があった以外は、
馬車の中では、最悪な空気を払拭する様に、ひたすらジュディスがレインにひっついて語りかけていた。レインもそれを適当にあしらい、適当に場を取り持ってくれたことを申し訳なく思う。
だが、それでもカイリは会話に入る気にはなれず、リオーネと小さく言葉を交わし合うことになった。
ジュディスの手前、話が最初の頃ほど弾むわけではなかったが、リオーネがどこかホッとした様な顔色を見せてくれたのが唯一の救いだ。結局カイリの恥ずかしい話――村の中で迷子になったという不名誉な過去である――を話す羽目になったりもしたが、ころころと悪戯っぽく笑う彼女を見れた。良かったと思う。
リオーネは、強い。
断片的に聞いただけの過去だが、それでも人と笑顔で話せる彼女をカイリは尊敬する。
カイリが同じ立場に立たされたら、どうだっただろうか。
幼い頃に拉致され、監禁された挙句に、尊厳を踏みにじられる様な暴行を受けそうになったりなどしたら、どうなってしまうだろう。
カイリだったら人が――特に男性が恐くて、まともに外を歩けなくなっていた様な気がする。人に触れられるのも恐ろしくて、世界を拒絶する様な絶望を味わっていたかもしれない。
だが、リオーネは人と交流を持っている。
第十三位と普通に言葉を交わし、笑っている。第十三位以外には、確かに人見知りの様な反応を見せる時もあるが、交流を完全に断っているわけではない。
そして、それはエディも同じ。
二人はやはり人生の先輩なのだと、カイリは改めて痛感させられた。前世のカイリは本当に弱かったと思い知らされる。
今まで以上にリオーネに敬意を抱きながら言葉を交わすカイリを、ジュディスは時折盗み見してきていた。視線には気付いていたが、先程のやり取りが心の端に
つらつらと考え事をしていると、馬車が完全に停止した。それを確認し、レインの死んだ顔が少しだけ
「おっし、着いたな。……さて。お手をどうぞ、お姫様?」
「まあ! 流石紳士ね。気が利くわ。どっかのイモ騎士とは大違い」
清々しく毒を吐き、ジュディスが先に降りたレインの手を取って優雅に馬車から降りる。ふわりと風に舞う様な仕草は、そこかしこから気品が溢れていた。流石は王族といった風情で、カイリは一瞬だけ見惚れてしまう。
カイリも続いて降り、リオーネに手を差し出した。
「リオーネ、どうぞ」
「あら。カイリ様も紳士ですね♪ ありがとうございます」
ふふっと楽しそうにカイリの手を取り、リオーネが軽やかに降りる。ふわりと広がるスカートの裾が、まるで一凛の花の様で可愛らしい。やはりリオーネも立ち居振る舞いに品があるよなと、しみじみと感じ入ってしまった。
――が。
「しいいいいんじいいいいいいんん……。馬車の中では、
「――ひっ⁉」
物凄くドスの
「え、エディ⁉」
「なかよく、てをつないでえ。いちゃいちゃしてえる」
「えっ⁉ って、いや、これは当たり前だろ⁉ 馬車から降りるんだから! 危ないだろ⁉」
「あら。カイリ様ってば、酷いですね。さっきまで私と『人には言えないとっても恥ずかしいお話』をお互いに打ち明けたばかりじゃないですか♪」
「はっ⁉」
「はずかしいおはなしい。なるほどお。はずかしいことしてたあ」
「だ、だから違うぞ⁉ おい、リオーネ! どうしてエディを
「まあ。つまり、護衛中でなければ良いんですね♪」
「なるおどお。ごえいおわったら、リオーネさんをおしたおおすう」
「違う! 違うから! あああ、もう! フランツさんもレインさんも! 笑ってないで止めて下さい!」
がしいっと両肩を逃がさない様に掴むエディに、本気でカイリは泣きたくなった。遠巻きにフランツ達が良い笑顔で見守っているのが腹立たしい。しかも、フランツは「仲が良いな」と朗らかに親の顔をしているので更に居た堪れない。――レインは完全に面白がっているだけなので、いつかその顔面に拳をめり込ませたかった。
「まあ、仲良しは良いことだがな。カイリ、リオーネ。何か変わったことは無かったか?」
取り敢えず団長らしく、フランツが道中の確認をしてくれた。
ようやく恐怖から解放されるとホッとしていると。
「はい、フランツ様。何も。途中で、カイリ様がタコの話をして興奮しちゃったくらいですよね♪」
「えっ!?」
「タコを話題にした瞬間のカイリ様、本当に燃え上がって生き生きしていたんですよ♪ どれだけタコが好きかと存分に語り合い、素晴らしいタコ愛を見せ付けてくれました♪」
「へっ⁉」
「ね? カイリ様?」
「はっ⁉ あ、ああ、……うん! そう! タコ、タコな! タコは特に生が良い! タコ刺しは、本当に美味いんだ! あの、ぷりっぷりの、しゃきっしゃき! 歯ごたえが堪らなくて癖になる! 俺は、ポン酢派だな!」
何故か、リオーネが間髪容れずにアドリブをぶっ込んできた。おかげでカイリは、脊髄反射でタコ刺しについて熱く語ってしまう。
拳まで握り締めて叫べば、フランツは一瞬だけ呆気に取られた様に目と口を丸くし、次には笑ってカイリの背中を叩いた。
「そうか。俺は、わさび醤油も好きだな。あの、ぴりっとした辛味が酒に合うんだ」
「ああ、良いっすね! ボクはレモンとコショウも好きっす」
「あら。わたくしは、断然ゆずコショウですわ。あれが無ければ始まりません」
「っほーう。お前ら、分かってねえなあ。やっぱタコ刺しって言ったら、塩だろ、塩。素材の甘みを存分に引き出す、あれが無けりゃ始まらねえよ」
「皆さん、熱いこだわりがありますね♪ 私はポン酢に一票です♪」
「あ、リオーネ、気が合うね」
「はい♪」
「し、ん、じ、ん……!! よくも、よくも! リオーネさんと、おそろいいいいいいいいいいいっ!!」
「……わっ⁉ い、いや、因縁はいらない! もういらないから!」
ごごご、と地鳴りの様な音を背負い、炎を勢い良く吹き荒らすエディに、カイリはさりげなくフランツの背中に隠れる。彼は、フランツを救世主の様に称していた。彼を盾にすれば、そこまで激しい攻撃はしてこないに違いない。
そんな風に
馬車の一件で、カイリは一度彼女に怒鳴ってしまっている。恐らく原因はそれだろう。やはり、もう一度謝罪をしなければとカイリが頭を下げようとすると。
「……えっと。ジュディス王女殿下」
「仲が良いのは結構だわ。でも、そろそろ病院へ行くわよ。レイン、案内してちょうだい」
「……へーへー、お望みとあらば」
カイリの言葉は華麗に無視し、ジュディスはさっさと差し出しされたレインの腕を引っ張って歩き出してしまう。
引きずられる形だったが、レインはすぐにエスコートする様に優雅なリードをしていた。堂々たる振る舞いは、流石女性慣れしているだけあって、ひどく様になっている。カイリは逆立ちしたって真似出来ない。
「……レインさん、カッコ良いよな」
ぼそっとカイリが
「カイリ……。任せておけ。俺も、父親らしく頼もしいカッコ良さを見せてやる」
「……え、はい? フランツさん?」
「しかし、レインよりもスマートに、かつ洗練された振る舞いか。ふむ。こうか?」
ぐっと、左手を腰に当て、少しだけ左腕と体の間にフランツは空間を開け始めた。彼の前方を見やると、ちょうどレインの左腕にジュディスが腕を絡めている姿がカイリの目に映る。
つまり、レインの真似をしているということか。ぎしっと、
「ふむ。それから歩き方だな。あいつは、うーむ、こう、流れる様に、けれど弾む様な足取りで鳥を意識しながら羽ばたき、かつしっかりと足を地面に付けて――」
「いや、あの、フランツさん。待って下さい、千鳥足にしか見えません」
かつん、ふらん、ぺたん、とどうにもフランツの歩き方が、腰を回しながらくねんくねん歩いている様にしか見えない。しかも、一歩進むたびによろけるので、危なっかしくてカイリは思わず彼を支えてしまった。
おまけに、この歩き方は何となくリーチェを思い出してしまう。一緒にならないで欲しいと、カイリは全力で首を振った。
「ふ、フランツさん! フランツさんは、いつも通りで良いんです!」
「だが、しかし……。カイリにとっては、レインみたいな男がカッコ良いのだろう? ならば、父親としては負けていられん」
「だ、だから! 普段のフランツさんもカッコ良いです! だから、真似しないで下さい! むしろ、真似しないで! そのままが好きです! フランツさんの歩き方が好きなんです!」
「む、――そうか」
懸命に弁解すれば、フランツは満足した様に元に戻った。現金ですわ、というシュリアの皮肉はまるで聞いておらず、上機嫌でスキップまで始めてしまった。
フランツの対抗意識は、一体どこで火が点くのだろうか。両親再来だ、と頭を抱えずにはいられない。
「ですが、すっかり嫌われたようですわね、王女殿下に」
「……う」
シュリアが容赦なく、ざっくりと真実を貫いてくる。タコで騙されるわけが無い。
「……ごめん。やっぱり俺、もう少し社交界に通じる様に頑張らなきゃな」
「今更ですわ。そんなの、誰もあなたには期待していませんわよ」
更にざっくりと急所をハチの巣にされた。うごっと、思わず
やはり、カイリに交渉事は危険すぎると仲間全員に判断されているらしい。分かってはいたが、益々悲しくなった。
だが。
「まあ、あなたには、あなたの真っ直ぐな心こそが必要の様ですから。良いんではないですの」
「……、え?」
「本気でまずい時は、事前に誰かが止めますわ。だから、あなたはあなたらしく、堂々と無礼なことを無様に宣言していれば良いのです。わたくしに盾突く様に」
「――」
シュリアの言葉に、カイリは虚を突かれた。ぱちぱちと、二度、大きく瞬いて彼女を凝視してしまう。
もしかして、これは励まされているのだろうか。晴れ渡る空に、突然雷が襲来した様な衝撃に、カイリはこてんと首を傾げてしまった。
「えーと、シュリア」
「何ですの」
「ありがとう」
「はあ?」
お礼を告げたら、
だが、それこそ彼女らしい。だから笑ってもう一度「ありがとう」と告げれば、「馬鹿ですの」と突き飛ばされた。理不尽である。
けれど、これがカイリとシュリアの距離感だ。それが何となく嬉しくて、カイリは先程までの薄暗い曇り空が、晴れ渡っていく様な感覚に満たされた。
そして、病院でジュディスの母である王妃を見舞い、親子水入らずの会話を数時間繰り広げる。
当初の予定では、確かそんな風に聞かされていた。
はずだった。
――のだが。
「さあ、行くわよ。ちゃっちゃと商店街に案内しなさい」
病室にジュディスが入ったのは、十分程度。
その後すぐに彼女が出てきたので、カイリ達は揃って「何かあったのか」と身構えた直後の発言が、これだった。
当然、カイリ達は全員呆気に取られる。親子水入らずの会話は何処へ行ったと、本気で疑った。
「失礼ながら、ジュディス王女殿下。王妃殿下と、お会いには」
「会ったわよ。でも、手術が終わったばっかりなのよ。そんなに長く話せるわけないじゃない」
「……、はあ、まあそうですな」
「だから、城下に行くのよ。ああ、そうね……」
言いながらも、ジュディスはさっさとカイリ達を置いて歩き出していた。
慌てて付いて行きながらも困惑を隠せない一同に、彼女は何故かカイリを挑発的に睨みつけて来た。
何だ、と身構えていると、彼女は薄く笑って。
「イモ騎士」
「え? は、はい」
「貴方。これから一人で、
「は、はい。……って、えっ!?」
頷き、了承しかけた直後。
ぐんっと、カイリは顔を豪速で上げてしまった。
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