第185話


 散々に腐った娼館を見て回り、カイリは精根尽き果てそうだった。

 しかも、カイリが聖歌騎士だというお触れは瞬く間に広がってしまった様だ。足を踏み入れた途端、気持ち悪いほどのねちっこい歓迎を受け、その上娼婦や男娼をてがおうとしてきたのだ。

 圧倒的に娼婦が多かったが、男娼の数もそれなりに多い。男も女も生きて行くのに必死な振る舞いに、カイリは次第に胸が圧迫されていった。息が出来なくなりそうなほど苦しくなっては外に出てを繰り返し、もう足もふらふらである。

 だが。


「……あれ」


 空気が変わった。

 不思議な現象に顔を上げると、ジュディスがある建物の前で立ち止まる。



「ここが、最後の娼館よ」

「……娼館」



 ジュディスに道案内され、最後に辿り着いた娼館は洋館と言って差支えの無い出で立ちだった。

 今まで見て回ってきたどの建物よりも広く、高さも相当だ。窓の数から計算して、六階建ての様である。

 真っ白な外観は高潔な雰囲気を匂わせ、玄関もそれなりに豪奢だ。壁に格子は見当たらないし、乱れた女性の姿も視界には入って来ない。空気も他に比べて清潔で、カイリは思わず深呼吸をしてしまった。清浄な空気に長らく触れていなかった様に、酸素を求めてしまう。

 今までとは一線を画した建物に、カイリは安堵を覚えながらも首を傾げた。


「あの。ここ、本当に娼館なんですか?」

「そうよ。ただ、ここは地区の中でも唯一教会の加護が届く場所」

「え?」

「法に守られた場所。人が住まう聖域。この歓楽街の中でも、群を抜いて地位がある場所ね。大抵、国賓を招く場合はこの娼館になるわ」


 ジュディスの説明を聞いて、思わずカイリはもう一度娼館を見上げてしまう。

 ここだけは、法に守られている。だから、空気も綺麗なのかと納得してしまった。

 しかし、何故。

 疑問しか湧かない頭でぐるぐる思考を回していると、さっさとジュディスが中に入って行こうとする。慌ててカイリも追いかけた。

 扉を開けると、涼やかな鈴の音が迎えてくれる。可愛らしく、透き通った音色はカイリの耳を癒してくれた。本当に娼館らしくない。



「ようこそお越し下さいました。当館を、――」



 玄関に入ってすぐの場所から、出迎えの声が聞こえたがすぐに中断される。

 何だろうとカイリが顔を上げると、出迎えてくれたのは一人の若い男性だった。

 年の頃はケントと同じくらいだろうか。大人びてはいるが、人懐っこい表情で、身なりもきちんと整っている上に洋装だ。今までの娼館とはやはり異なる雰囲気をまとっている。

 男性は、ぱちぱちと二度瞬いた後、頬をほころばせた。今までの様にへりくだった態度でないのも印象的だ。


「おやあ、もしかして王女様ですか?」

「そうよ。わたくし、貴方とは初対面のはずだけど、よく分かったわね」

「ははっ。それだけ堂々と生きていらっしゃる上に、王族の証を見せつけてくれりゃあね。ようこそ、当館へ。それで、そちらの方は……、先程から噂の聖歌騎士様で?」

「あ、はい。カイリ、……と言います」

「カイリ?」


 王族の証というのが気になったが、取り敢えずカイリは挨拶をした。ファミリーネームを名乗るか迷ったが、ここがどの様な場所か判断がまだ付かない。故に、なるべく情報を絞ることにした。

 すると、名前に反応して男性が目を丸くする。この歓楽街で名乗った記憶は無かったのにと、カイリが反射的に身構えると。



「おお、なるほど! あなたが、レイン様が仰っていた新人ですか」

「え?」



 ここでレインの名前が出てくるのか。

 ならば、この娼館は彼の行き付けということになる。彼の知り合いなら、他の場所よりも信頼出来るかもしれない。


「いやあ、レイン様にはいつもお世話になっていましてね。お得意様ですよ」

「そ、そうなんですか」

「五月頃ですかね。面白い新人が入ったって、珍しく上機嫌だったもんで。時々話題に上っていましたし、どんな人かと思ったら、まあまあ思った以上に可愛らしいお方で」

「ぐっ」


 また可愛いと評された。

 確かに童顔ではあるが、若干つり目だし、それで少しは男らしく見えないだろうか。

 ぐいぐいと目尻を秘かに指で上げていると、男性が楽しそうに喉を鳴らしていた。かあっと、頬が熱を持つ。


「自己紹介がまだでしたね。オレは、ロディと申します。この娼館の支配人です」

「え、……ロディ、さん。……、初めまして。よろしくお願いします」


 一瞬言葉に詰まったが、カイリはすぐに頭を下げた。

 何だかエディと名前が似ているなと思ってどもってしまったが、不自然に思われただろうか。

 そろそろと頭を上げると、何故か彼は少しだけ目を細めていた。ぎくりと、カイリの顔が強張る。


「はっは。オレの名前、どうかしましたか?」

「あ、いえ。……えっと、知り合いに、よく似た名前がいるなって。それだけです」

「ああ、エディのことですか」

「えっと、はい。そうです。俺の、頼もしい先輩です」

「そうなんですか、ははははは」

「そうなんです、あはははは」


 あっさりと指摘され、カイリは返事をした後押し黙ってしまった。両者の間に、奇妙な沈黙が流れ落ちる。

 レインだけでなく、カイリのことも知っていたのだ。エディのことだって当然知っているだろう。

 故に頬を掻いて誤魔化したが、ロディの視線が面白がる様に瞳を覗き込んできた。追及する様な感触に、カイリは笑顔で対応する。引きつっている気はしたが、気にはしない。

 しばらく無言で笑顔の応酬を繰り広げたが、根負けしたのはロディの方だった。やれやれと、肩をすくめて白旗を振る。


「なるほど。確かに、カイリ様は面白い方だ」

「あの、……様付けは」

「ここで教会騎士様を様付しなかったら、殴る人もいるんでね。勘弁して下さい」

「……、分かりました」


 そんなことをされるのか。

 法に守られている場所のはずなのに、それでも他の地区よりも立場が弱い様だ。教会騎士に逆らったら、すぐに罰が飛んでくるのだろうか。

 不安になっていると、ロディが更に楽しげに喉を鳴らした。何故笑われるのだろうと、カイリは首を傾げる。


「いや、なるほど。レイン様が上機嫌になるわけだ」

「は?」

「いや、こちらのことで。……それより、エディは元気にしていますか」

「……エディと、知り合いなんですね」

「ええ。むかーし、ちょっと同じ仕事をしていましてね。六年前から会ってはいませんが、……噂でしか便りが聞けないもんで」


 同じ仕事。

 つまり、彼も男娼だったと言うことだ。六年前と言えば、エディがフランツに助けられた年だ。

 彼も、そうなのだろうか。ジュディスがいる手前、聞けないのがもどかしい。

 けれど、伝えることは可能だ。彼が何を聞きたがっているかは分からないが、胸を張って元気でやっていると、それだけでも届けたい。



「……俺は、四月の末に入ったばかりですけど。エディには、たくさんお世話になっています。いつも元気で明るくて、ちょっと好きな子のことで喧嘩を吹っ掛けられることもありますけど」

「ほうっ! 好きな子!」

「はい。最初の頃はぶつかったりもしましたけど……今は、一緒に笑って歩くことが出来る。それが、俺には嬉しいです」

「……っ」

「エディは、俺にとってとても強くて頼もしい、自慢の仲間です」



 教会騎士として、立派に過ごしている。



 少しでも伝わるだろうかと願いを込めれば、ロディはほんのわずかに目を細めた。泣きそうだなと思ったのは、彼の空気が泣く様に揺れたからだ。


「そうですか。……そうですか」

「はい」

「オレは、結局この世界から足抜け出来ませんでしたが、……そうですか。彼は、ちゃんと今、夢を持って歩いているんですね」

「はい」

「……、……そうですか」


 満足そうにロディが笑みを崩す。目を閉じたのは、高ぶる感情を制御している様に見えた。

 ジュディスは一切口を挟まない。必要性を感じていないのか、気を遣っているのか。カイリには判断が付かなかった。


「実はオレ、生まれたのは娼館でね。名前が無かったんですよ」

「え?」

「娼館では、みんな番号で呼ばれていました。二十三番、とかね」

「に、……っ」


 名前ではなく、番号。

 まるで道具だ。人とも思わない扱い方に、カイリの中に激昂が走る。

 必死に抑え込んだが、顔には露呈していたかもしれない。ロディが苦笑しながら話を続けた。


「地獄の様な日々からフランツ様とクリストファー様が助けて下さってね。潰した娼館を使って新しく生まれ変わる時に、当時第一位団長だったクリストファー様が保証人になって下さいました」

「え、……クリスさんが?」

「おお、クリストファー様とお知り合い……って、そうか、ケント様とご友人でしたっけね」

「あ、はい」


 レインはどこまで話したのだろうか。

 迂闊うかつなことを言わない様にと気を付けてはいるが、口走ってしまいそうだ。なるべく落ち着こうと言い聞かせる。


「潰しただけだと、オレ達の身元って保証されないし、教会にも助けてもらえないんでね。クリストファー様が教会に、歓楽街にも秩序は必要だし、利用する価値がある建物が一つくらいあった方が良いって説得してくれたんですよ。乱れすぎると、他の地区に悪影響が広がるってんでね」

「……、そうなんですか」

「そう。だから、実を言うと、これでも治安はまだ昔より良い方なんですよ。昔は、……もう一般人が歩くなんて、絶対無理な地区でしたからね。馬車と護衛は必須でしたよ」


 つまり、カイリやジュディスがこうして表を歩けないほど乱れていたということだ。

 今だって散々絡まれたが、それでもまだ周囲を見渡す余裕がある。正直、治安が良いとは全く思えないが、マシだと言うのだから本当なのだろう。


「この娼館が出来上がる時、クリストファー様に言われたんですよ。戸籍を持ちなさいって。それで、……名前をロディにしました。……教会騎士を目指すって出て行ったあいつの名前を、参考に」

「……エディの」

「はい。バレたら怒られそうですがね」

「……、……いいえ」


 エディなら、きっと怒ったりはしない。何を思うかは、関係性が分からないから安易に決め付けられないが、それでも怒ることは無いだろう。

 エディは、優しい人だから。逆境からもう一度立ち上がろうとした人だから。

 こうして、ロディが娼館の支配人として頑張っている姿を見たならば、文句を口にするとは考えられなかった。



「ロディさん!」



 奥の方から、可愛らしい声が聞こえてくる。

 見ると、こちらの方へと男の子が走り寄ってくるところだった。手に折鶴を持って、一目散にロディへと体当たりする。


「おい、どうしたサイ! お客様がいるんだぞ」

「ご、ごめんなさい。でも……」

「ロディ、あんまり怒らないでちょうだい。これでもあっちの角の方でずっと駆け寄るの我慢してたんだから」

「……お前ら、この人達が怒らなさそうだからって、甘やかすんじゃねえ。いざって時、しつけがなってないんじゃどうしようもないぞ」

「はいはい。ごめんなさいね」


 他の大人達が子供をかばう様な発言をするのを、ロディは厳しく叱り付ける。

 だが、それでも子供であるサイには甘い様だ。カイリ達に頭を下げてから、抱き上げる。


「わーい! ロディさん、みてみて! これ、おれたの!」

「おお、そうか。上手じゃねえか。早く母さんに見せてやらねえとな」

「うん! おはなしがおわったら、みせるの!」

「そうだな。多分、あと一時間くらいでお話も終わるから、ちゃんと待てるな?」

「うん!」

「よし、良い子だ」


 頭を撫でて、ロディがサイを下ろす。

 サイはにこにこと満足そうに見上げて、カイリの方を振り向いた。それから、きらきらした瞳で笑う。


「こんにちは! ぼく、サイです!」

「こんにちは。俺は、カイリ。こっちのお姉さんはジュディスって言うんだ」

「ジュディスよ。初めまして、小さな騎士様」

「きしさま? ちがうよ! ぼく、しょうらいは、だんしょうになるんだよ!」

「――」


 サイの屈託ない笑顔に、カイリは言葉に詰まってしまった。

 ジュディスも表情は変えなかったが、返事をしない。もしかしたら、戸惑ったのかもしれなかった。


「おい、サイ……。別に、お前はそんなんにならなくても良いんだぞ」

「えー。でも、ロディさん、かっこいいんだもん! ぼくも、ロディさんみたいに、なりたい!」

「……っ」


 一瞬、ロディが言葉を飲み込んだ。激昂したい様な、泣きたい様な、入り乱れた表情が瞬きをする間に駆け巡るのが見える。

 だが、すぐにぎこちなくも笑ってサイの頭を撫でた。言葉を発する前に吐息が震えていたのは気のせいではないだろう。


「……そうかい、ありがとよ。……でもな。お前にはまだまだ時間があるからな。大人になって、将来なりたいものが決まったら、また教えてくれや」

「うーん? わかった」

「……ほら、奥へ行ってな」

「はーい。じゃあ、またね、カイリさま! ジュディスさま!」

「ああ。……またね」

「うん! こんど、あそんでね!」


 カイリが頭を撫でれば、サイがにぱーっと嬉しそうに笑った。元気良く返事をして、サイは他の大人達に連れられて奥へ引っ込んだ。

 それを見送るロディの横顔はひどく揺れている。子供を見守るその顔は痛ましげで、カイリは見ているのが辛くなった。


「……この娼館は、クリストファー様の加護のおかげでね。他の娼館よりは色々自由なんですよ。学校には行けないが、教養は会話に必要だって、週に一度は『教師』を派遣してくれています」

「教師、ですか」

「ええ。流石彼が見込んだ教師で、こちらに偏見も無い人達でしてね。非常に助かっていますよ。レイン様も、ここに来た時は色々教えてくれていますしね」

「そうですか。レインさんが」


 色々言いながら、やはりレインは面倒見が良い。再確認して、カイリの胸が少しだけ温まる。


「客とも、基本は『会話』で終わるんですよ。それ以上を求める方は、金額を跳ね上げた上で、客と、求められる娼婦や男娼と応相談って感じでね。……ま、そういう行為はどちらにせよ、避けられることじゃあありません」


 ぼかしてくれているのは、カイリのためか、ジュディスのためか。

 どちらにせよ、他の娼館よりもこの場所は思考や価値観がまともに見えた。

 それでも、常識が他の地区よりはズレている。カイリは実感せざるを得ない。


「子供達には、将来を自由に選ばせてやりたい。ここを出て、騎士でも大工でも何でも良い。そういうのになりたいんなら、オレ達は全力で応援するし、信頼できる人に預けるつもりなんですよ」

「……それは、素敵ですね」

「はは。……この娼館に集まった奴らは、地獄を見てきた奴らばかりだ。それでも負けたくなかった奴らが、……光に戻れなかった奴らが、せめてあの地獄は再現しないと誓い合って出来た場所です。……本音を言うなら、こんな場所、無い世界が一番良い」


 最後の吐露は、彼の血を吐く様な叫びに聞こえる。

 カイリは、自然と目線が下がっていった。自分の立ち位置がいかに恵まれているか、感謝せずにはいられない。

 エディもロディも、必死に足掻いている。過去は、簡単には塗り替えられない。

 それでも這い上がろうとする彼らの精神を、カイリは心の底から尊敬する。

 けれど。



「カイリ様。あなたは、早く帰った方が良い」

「……」

「ここに来るまでも、絡まれたりはしたんでしょう」

「……はい」

「出来ることなら、あなたみたいな人には、この世界を知って欲しくはない。オレは、あなたと会えて嬉しかったが……それでも、相応しくない場所ってのは、人にはあるもんですからね」

「……」

「あなたは、綺麗すぎる。オレにはちょっと、……毒になるくらいにね」



 穏やかな笑みだったが、緩やかな拒絶だ。

 この娼館にだって、人に触れられたくない絶対的な闇がある。

 思い知らされて、カイリは打ちのめされるしかなかった。










 カイリと王女が出て行くのを見届け、ロディは苦い気持ちが広がって行く。

 最後のカイリの表情は、とても薄暗いものだった。胸を痛めているのは嫌というほど伝わってきて、優しすぎると吐き捨てたくなる。


「レイン様が、毒突きながらも認めるのが分かる気がするね」

「確かに。あれは、エディも放っておかないでしょうねえ」


 ひょっこり角から顔を覗かせた女性が、ロディに相槌を打ってくる。

 嫌な奴に絡まれた。思って、振り向かずに悪態を吐く。


「何だよ、リア。用が無いなら来るんじゃねえよ」

「荒れてるねえ。あの子に、これ以上関わらせたくなかったくせに」

「……キレー過ぎんからな」

「そうだねえ。……放っておいたら、きっと気になって覗きに来ちゃうもんねえ」


 図星を突かれて、ロディは唸るしかない。

 確かに、カイリは釘を刺さなければレインと一緒に足を運んで来そうな人間だった。この娼館は他よりも健全だとは思うが、それでも『娼館』なのだ。一般の常識論は通じない。

 必要があれば、やることはやるのだ。――『どの』方向性であっても。


「ったくなあ。とんでもない奴が第十三位に入ったもんだ」

「そうだねえ。ま、おかげでレイン様をはじめとして、変わりつつあるみたいだけど」

「エディが懐いたってんなら、そうだろうよ。あいつ、一時期、人を信じられなくなったらしいからな」


 レインから、エディのことは一応報告は受けていた。

 だから、カイリとのトラブルのことも当然把握している。カイリが知っている以上のことを、ロディは聞いているわけだ。

 それでも、彼の口からエディと仲良くしていると聞けるのは嬉しかった。本当なのだと、ようやく心の底から信じることが出来たわけだ。

 エディは、ここから足を洗えた数少ない一人である。共に地獄を生き抜いた仲間として、応援したかった。


「もう来ないことを祈るね。綺麗すぎて目が潰れそうだ」

「はいはい。あんたも、人が良いねえ」

「馬鹿言うなよ。オレは」

「ロディさーん!」

「あー、またかよサイ! ――、いらっしゃいませ。ようこそお越し下さいました」


 廊下から、またサイが駆けてくるのと同時に、背後で扉が開く音がする。

 反射的に営業スマイルで振り向いて――思わず内心で眉をひそめてしまった。

 見たことのない顔ぶれだ。それは良いのだが、服装はレインやカイリと同じく、全員教会騎士の制服である。

 何故、騎士がここに。しかも、複数で。

 思う間も無く。



「こんにちは! オレ、ファルって言います! あ、この子借りますね」



 言うが早いが、ひょいっとファルと名乗った少年がサイの腕を掴んだ。あまりに自然な流れなため、サイが奪われるのを呆然と見届けてしまった。


「って、……あの、ちょっと待って下さい。何ですか、あなた達はっ」

「あれ? 教会騎士に逆らうんですか? 良いんですか? オレ達の一存で、この子、罰則与えちゃいますよ?」

「ろ、ロディさん!」

「サイ!」

「……うるさいなあ。静かにしてよ、ガキのくせに」


 ファルに抱き込まれ、サイの首筋にナイフが当てられる。サイが懸命に手を伸ばしてロディを求めるのを、鬱陶しげに頭を叩いて黙らせた。

 ひっ、と涙で顔が歪むサイにロディや周りの大人達から血の気が引いていく。


「ま、待ってくれ! 一体、何だって言うんです!」

「大丈夫、大丈夫! ちょっと借りるだけですから! ……ねえ、サイ君。この人達のこと、助けたいよね?」

「い……っ!」

「ねえ? ――返事は」

「……っ! ……は、い……っ!」


 ぎらりと、鈍い輝きをサイの目元で見せられる。低い声でささやかれ、恐怖で息も絶え絶えになるサイは、人形の様に頷くことしか出来なかった。

 ロディは、そのナイフがサイの頬の皮膚を薄く裂くのを見逃さなかった。つ、と流れ落ちる一筋の赤い線に、かちかちと歯が鳴り響くのが止まらない。


「待ってくれ。やめてくれ。サイは、オレ達の」

「大丈夫ですよ。ただ、あの生意気な新人ぶっ潰すだけですから」

「し、んじん?」


 言われて閃くのは、カイリの顔だ。

 彼らは、カイリを狙っているのか。何故、と思ったが、ファルの笑みが狂気で歪んでいくのを見守るしかなかった。



「終わったら、ちゃーんと返しますから。……この子、借りますね?」



 逆らったら、命は無い。

 言外に宣言され、ロディは目の前が真っ暗になっていくのを止められなかった。


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