第184話


「……まずいですわ」


 フランツ達が今まで見守りながらカイリと王女を追いかけていた中で、シュリアがぼそりと漏らす。

 リオーネの聖歌語の重ねがけのおかげで、姿を消し、かつ仲間同士のみで会話が成立する様に風と光で調整が入っている。何処に誰がいるかも手に取る様に全員が理解していた。

 そんな中で、彼女の焦りを耳にし、フランツも苦く息を吐き出した。確かに、あまり良い状況では無い。


「仕方がない。カイリに、聖歌を歌うなとは言えなかった」


 一人で護衛をしろと無茶な要求をされた時点で、十中八九こうなることはフランツも予想していた。

 カイリは、武術だけでも弱くはないが、かと言って飛び抜けて強くもない。戦闘経験が絶対的に不足していることもあって、聖歌語や聖歌無しで切り抜けるのは難しいし、使うなとは言えなかった。

 歓楽街と貧民街は、狂信者が仰ぐエミルカ神話が浸透している地区だ。



 この二つの区は、基本的に人権が無いに等しい。



 どんな犯罪が起こっても、教会は滅多に介入しない。教会に不利な事故が起こった時や、騎士個人が動き出さない限りは彼らに救いは無いのだ。

 殺されても、犯人探しはなされない。人攫いが起こっても、素通りされる。助けを求めても、誰も見向きもしない。


 教会にとって、この二つの地区に、人間はいないのだ。


 ただの極潰し。犯罪者の掃き溜め。税を払えない輩は、守るに値しない。それが、教会の考えだ。

 正真正銘、教会の暗部だ。どの国にも存在するが、この聖都は特に明暗が激しい。

 出来ることなら、カイリにはあまり残酷な一面を見せたくはない。必要最低限で止まれるなら、止まって欲しかった。

 そんな風にカイリにどこまで伝えるか迷った時点で、フランツ達の負けだった。ジュディスは全て承知の上で、彼を巻き込んだのだ。


「ったく。団長が過保護過ぎんだよ。カイリは、ショックは受けてもちゃんと前には進むだろうよ」

「そう思うならレイン、何故お前は伝えなかったのだ」

「……ちょっと気になることがあってな」

「ほう?」


 レインが鬱陶しげに頭を掻いている音が聞こえる。

 珍しく苛立った様子に、フランツ達も興味が湧いた。



「あの王女、とんだ食わせ者だぜ。最初から、カイリを歓楽街に連れてくとこまで計算してたんだ」



 レインの嘆息に、フランツは眉が吊り上がった。

 カイリの安全を脅かす事柄は、叩き潰すに限る。


「……カイリが目的ということか?」

「オレ達のことなんざ、とっくに調査済みだろうしな。実際、クリストファー殿との会話で言ってたわけだし?」

「確かにな。王女は我がまま放蕩ほうとう娘と噂だが、表向きではあるだろう」

「……どういうことっすか?」

「そうでなければ、消されるかもしれんということだ。……父と兄二人が、どうもきな臭いからな」


 前国王が崩御してから、王族は前よりも教会に従順になった。

 一瞬だったが、噂が流れたことがあるのだ。前国王は、現国王に消されたのではないか、と。

 根拠は側近が握っていた様だが、すぐに行方不明になった。死んだと見て間違いないだろう。


 故に、すぐに噂は消し飛んだ。触らぬ神に祟りなし、と皆が判断したのである。


 現国王もそうだが、前国王もかなり黒い噂がある人物だった。リオーネの父親ということが信じられないくらい、今でも謎に包まれている。

 王族は教会よりもかなり下に見られてはいるが、彼らの腹の中は底が知れない。下手をすれば教会以上に厄介かもしれないとフランツは睨んでいた。


「じゃあ、王女は無知で我がままな娘を演じてるってことっすか?」

「表向きだけでも演じておけば、立場をわきまえていると判断されるだろう。実際、国王や王子二人は彼女には甘いそうだからな。殺さなくても良いなら、それに越したことはない」

「……ジュディス王女殿下は、どうしてカイリ様を歓楽街に連れて行ったんでしょう」


 リオーネが沈んだ声で疑問を零す。

 彼女は、ジュディスに複雑過ぎる感情を抱いている。そのジュディスが、仲間であるカイリを巻き込んだことで不安に駆られるのは自然の流れだ。


「ふん。どうせ彼の『聖歌』の力を聞き付けたのでしょう。彼の聖歌は、他のどの聖歌とも少し……違う感じがしますし、良くも悪くも餌になりますわ。……彼女が、どのカードを引き当てたいのかは知りませんが、聖歌を餌にするとなると、自然と絞られてきます」


 シュリアが腕を組んで吐き捨てるのが目に浮かぶ様だ。姿が見えなくても彼女は彼女らしいと、フランツは感心する。

 だが、あまり内容に同意はしたくない。

 それでも、同意せざるを得ないのが、フランツとしても苦々しいところだ。


「……狂信者か、教皇か」

「どっちでも最悪だなー。……今のところ、接触ねえけど。うっさいハエどももいるし、めんどくせえな」


 心底面倒そうに文句を漏らすレインは、一瞬だが殺気を遠くに飛ばした。

 恐らく、直撃した第十位はうずくまっていることだろう。彼らが狙っているのも、カイリだ。正直、フランツは今すぐにでもカイリの傍に駆け寄り、がっちり抱き締めてやりたい。



「しかし、……お前がカイリの心配をするとはな」

「……。……失礼だな。オレだって、可愛い後輩の心配くらいするぜ」



 不機嫌を隠しもせずに返してくるのは、本心だろう。

 何だかんだで、レインも丸くなった。普段、カイリと一体どんな話をしているのか問い詰めたい気分である。是非とも、「聖歌を悪用したら云々」の誓約についても締め上げたいくらいだ。


「レインがデレ始めたのは、心底どうでも良いですが」

「おい、シュリア。お前が言うな、お前が」

「彼はてっきり嫌われたのだと思っていましたわ。レイン、リオーネ。そうでは無かったんですの?」


 シュリアの示す箇所は、馬車のくだりだろう。

 フランツ達は外にいたので詳細は分からないが、一度カイリが大声を上げていたのは知っている。馬車を下りた後も、ジュディスはカイリを無視していた。

 確かに、少し気にはなっていた。

 だが、シュリアの言葉をレインが馬鹿にする様に喉で笑う。


「ばーか。ありゃ、試してただけだ。……カイリが本気で従順だったら、計画は実行しなかっただろうよ」

「は? 従順? って何ですの?」

「カイリ様は、私のことで怒ってくれたんです。その、……昔の拉致事件のことで」

「……」


 飛び出てきた単語は、随分と胸糞悪い命題だった。

 なるほど。第一位相手にもブチ切れて喧嘩を売ったカイリだ。ジュディス相手にも同じ様に怒鳴り付けたに違いない。――さぞかしカッコ良かっただろうと、フランツはこの目で息子の勇姿を見れなかったことを残念に思う。


「……つまり、彼はそのことで爆発していましたの?」

「はい。王女殿下は、明らかにカイリ様を挑発していました」

「無言だったり、ましてや肯定したりしたら、すぐに興味は失せただろうによ。カイリの奴、いつもどーり自分の意見貫いたもんだから、良い玩具おもちゃ扱いだぜ」


 やれやれ、と言わんばかりにレインが肩をすくめた。様な気がした。姿が見えなくても、彼らは実に分かりやすい。

 しかし、挑発をし、合格した。そういうことかと、フランツは頭を抱えた。カイリのカッコ良さは誇りだが、結果的に今危険な目に遭い続けている。彼に穏当な生活は訪れないものかと嘆きたい。

 そんな風にフランツが葛藤していると。



「……玩具、ですの。……あれだけ楽しそうにしていたくせに」

「……うむ?」



 ぼそっと、シュリアが不服そうに漏らした。

 何故か、彼女の声は怒っている様に聞こえる。心なしか、気配も不穏にゆらりと揺れ動いている気がした。

 一体彼女は何の逆鱗に触れたのか。心当たりが無くて、フランツは首を傾げるしかない。


「楽しそう、とは何だ?」

「商店街でのことですわ。パンケーキなんか仲良く食べ合っていた上に、笑顔が可愛いとまで言っていたじゃありませんの」

「……ふむ」

「しかも、腕を組むだけで真っ赤になるとか。ヘタレにも程がありますわ。やはり男として情けないことこの上ありませんわね。先が思いやられますわ」

「……ふむ」


 辛辣しんらつな彼女の評価に、フランツは反論しようか迷う。

 パンケーキを食べ合っていたのはジュディスが命令したからだし、可愛いとカイリが告げたのは本心だったからだろう。

 それに、腕を組むのも、好きな人とが良いと堂々と拒否していた。あれだけ真っ直ぐに叫んだのだ。情けないとは到底考えられない。

 ふーむ、とフランツが悩んでいると。



「あらあら。シュリアちゃん、焼きもちですか?」

「……は、はあっ!?」



 なるほど。焼きもちか。



 リオーネの茶化す様な響きに、フランツは思わず納得してしまった。

 カイリは、可愛いのにカッコ良く、優しくていざという時に頼れる強さを発揮する、素晴らしい息子だ。惚れないわけがない。

 しかし、シュリアが。感慨深いと、フランツの目がにこやかに遠くなる。


「って、何でそうなるんですの! 違いますわ!」

「……シュリア姉さん、往生際が悪いっすね」

「ちょっと黙りなさい、馬鹿パシリ! その舌引っこ抜きますわよ!」

「まあ、でもそうだなー。確かにカイリ、王女のこと可愛いって言ってたし? 王女も満更でも無さそうだったし?」

「はあっ!?」

「案外お似合いかもなー。ありゃあ、王女が落ちたら、一気に距離が縮まるぜ」

「な……っ!」


 ぱくぱくと、酸欠の様にあえいでいるシュリアが目に浮かぶ様だ。うむ、と実に満足してフランツは頷いてしまった。青春とは素晴らしい。フランツには過ぎ去りし時代である。


「ば、ば、ば、馬鹿言わないで下さいませ! あ、あ、あんな情けない腰抜け! だ、誰とくくくくっつこうが知りませんわ!」

「なるほどなー。じゃ、オレとくっついても良いわけだ」

「馬鹿ですの? あなた、馬鹿ですの?」

「混乱すんなよ。てか、否定しろよツンデレ」

「ツンデレじゃありませんわ! あなたとくっついても、……、……あ、ありえませんわっ!」

「あら、素直になりましたね」

「大体! あ、あ、あのヘタレは! ミーナというりょーさいけんぼがいますのよ! こ、こ、これでは! ふふふふりん! ですわ!」

「……姉さん。頭、大丈夫っすか?」

「はあっ⁉」

「混乱ここに極まれりってな。……じゃ、このパニックツンデレは役に立たねえから、次はオレが行くかね」


 エディの呆れたツッコミに、きーっとシュリアが金切り声を上げている。レインが楽しそうに馬鹿にしながら、カイリ達の方へと近づいて行った。

 彼らの会話は、実に青春だ。聞いていて微笑ましい。フランツも、もう十歳ほど若ければ入れただろうが、今は見守っている方が楽しい。年を取ったものだ。

 そんな風に、ぎゃいぎゃい騒いでいるとも知らず、カイリは順番にジュディスと娼館に出入りしていく。だんだんとカイリの顔が青褪めていくのが遠目でも分かった。

 一応、何事も無いことはシュリアやレインが交代で一緒に入って確認はしているが、気分の良いものではないだろう。正直、今すぐカイリを引き上げさせたかった。

 だが。


〝迷惑をかけて、ごめんなさい。……お願いします。力を、貸して下さい〟


 己の力量を把握した上で、頼み込んできた。

 カイリのその意思をフランツは尊重してやりたい。レイン達も同じだろう。

 どちらにしろ、カイリはあらゆる方面で経験が不足している。強引ではあるが、成長するためには無理にでも力量以上の任務を数多くこなさせるしかない。

 それでも、心配が尽きることは無い。はらはらと見守るのがもどかしくなる。


「……はあ。息子を持つ父親とは、こんな気持ちになるものなのか」

「今更ですの。どれだけ覚悟が足りなかったんですの?」

「……違いないな」


 冷静さを取り戻したシュリアに突き放され、フランツは苦笑するしかない。



 始めの頃は、ただカイリと家族になれればそれで満足だった。



 だが今は、彼と共に笑って、隣を歩いて、見守っていたい。彼が成長するのを目の当たりにするたび、胸に喜びが満ち溢れる。

 いつの間にこんなに大切な存在になっていたのか。過ごした年月は短いが、存在が大きくなるのは時間の問題ではないのかもしれない。

 いつか、フランツなどあっという間に飛び越えて先を歩いていくのだろう。その日が来たら、嬉しいと同時にさみしさを覚えるだろうと今から物悲しくなってしまった。


「だが、息子の成長は親の糧。このまま、何事も無いことを祈って見守るか」

「フランツ団長、すっかり父親っす!」

「もちろんだ。……ん?」


 先を行くカイリが、ジュディスに引っ張られる形で最後の娼館に辿り着く。

 遠くで不思議そうに見上げるカイリを観察していると、エディのうめき声が上がった。


「……、……あそこ」


 愕然がくぜんとした声に、フランツ達は察する。

 エディは、歓楽街から救出されてから――騎士団に入団してからは益々歓楽街に出入りすることがなくなった。

 だが、時折この娼館のことを気にしていたのは知っている。さりげなさを装って、この娼館に足を運んだレインに色々聞いていた。ただ、知られたくなさそうだったから、見て見ぬふりをしていただけだ。


 あそこには、かつてのエディの同僚達がいる。


 カイリは、エディの過去を知らないはずだ。下手をすると、両者共にえぐられる様な衝撃を受ける結果となるかもしれない。

 しかし。



「……次、ボクがあそこに入っても良いっすか」



 エディが静かに、だが確固たる意思を秘めた強さで申し出てくる。

 今、その横顔が見れたらさぞかし凛々しい輝きが宿っていたことだろう。見れなかったのが残念だ。


「……良いのか? カイリと彼らの会話を止めることは出来んぞ。王女との約束がある」

「新人には、もう過去は話してあります。……だから、大丈夫っす」

「――。……そうか」


 事もなげに言ってのけたエディに、フランツは咄嗟とっさに切り返せなかった。レイン達も少しだけ戸惑う様に気配が揺れている。

 エディが、カイリに過去を打ち明けていたことが衝撃だった。知られたくなかっただろうに、彼に話したそのこと自体が不思議でもある。


 ――いや。不思議でも無いか。


 カイリは、今まで散々に第十三位をかばう発言を繰り返していた。初めてこの聖都に着いた日から、彼は第十三位に悪意をぶつける者達に、真っ向から立ち向かっていっていた。

 みんなの過去の一端を知っても、カイリの態度は変わらなかった。それを知っているからこそ、他の者達も少しずつ彼を無意識にでも信頼していったのかもしれない。

 そんな中でもエディは、既にカイリに過去を打ち明けていた。

 それでも、フランツ達の目から見て、カイリは彼に対して態度が変わった様子は無かった。



 ――カイリに出会えた奇跡を、心から幸せに思う。



 それが、フランツの胸に一番に湧いた感情だった。


「分かった。……行って良いぞ」

「ありがとうございます」


 頭を下げている気配がする。

 着実に前に進み始めている彼らに、フランツはやはり誇らしい気持ちを抑えきれなかった。今はこの第十三位にいられて良かったと、心から思える。



 ――さて。鬼が出るかじゃが出るか。



 この無法地帯の歓楽街で、唯一『例外』を許された娼館。

 そこで起こることを想像しながら、フランツは離れていくエディの気配を見送った。


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