第154話
「さて。本日から、カイリには新たな訓練を行ってもらう」
第十三位の宿舎の中で一番広い中庭に呼び出され、カイリはフランツの朗々たる宣言を真っ向から浴びていた。
本日の武術の訓練を終え、あと二時間ほどで昼食の時間となる頃合いだ。いつもなら自主練をしたり、世界の歴史について勉強したりと自由に過ごしているのだが、今日からは異なるらしい。
ここには、フランツとカイリだけではなく、第十三位の面々が全員集合している。久々だなー、とレインやエディは少し楽しげだ。
「訓練、ですか? でも、全員でどんな?」
「ああ。午後はいつも通り、聖歌と聖歌語抵抗の訓練をしているが、そろそろ体力もそれなりに付いてきただろう。体も、ほぼ完治したと見て良いな?」
「はい。そこまで無茶をしなければ、もう大丈夫です」
「……新人の無茶って、ちょっと恐いっすから。無茶『は』しないで欲しいっすね」
エディのツッコミに、カイリは苦笑いを浮かべて縮こまる。
あの切り裂き魔の一件以来、彼も過保護になった気がする。負い目など感じなくて良いのにと、カイリは申し訳なくなった。
「まあ、エディの言う通りだな。カイリ、自覚してくれ」
「はい……気を付けます」
「うむ。それで、だ。カイリには今日から、気配察知と気配消しの訓練を追加する」
「気配察知? 気配消し?」
「ああ。要は、かくれんぼだな」
かくれんぼ。
急に可愛らしい遊戯に変換されてしまった。
確かに、村ではよくやった遊びだ。ライン達ともよくかくれんぼをして、楽しんでいた。
――何故かいっつも、ラインには見つかってたけど。
ラインが鬼になるたび、カイリはいつも最初に見つかってしまっていたのも苦い想い出だ。何故、ミーナやリックではなく、カイリが真っ先に発見されていたのだろうか。解せない。
「でも、かくれんぼって、……遊ぶんですか?」
「ふん。かくれんぼと侮るあたり、まだまだひよっこですわね。ひよっこどころか、卵からも
「は? つまり、シュリアはその卵に押し潰されたいの?」
「はあ? 何でわたくしが押し潰されなければならないんですの! ありえませんわ!」
「あらあら。二人共、仲が良いのは分かっていますから、今は説明を聞きましょう?」
「仲良くない!」
「仲良くないですわ!」
カイリが否定すると、シュリアも同じタイミングで否定してきた。思わず互いに顔を見合わせ、むぐっと口ごもってしまう。
レインに「はもってんなー」と思い切り茶化されると、互いに
「ふっ……。流石はカイリ。ハモる天才でもあるのか……。俺は、今、猛烈に感動している……」
「はい。フランツ団長、親馬鹿モード入りましたー。仲良いっすー」
「それはどうでも良いですから! さっさと説明して下さいませ!」
「む。仕方がない。……まあ、カイリ。かくれんぼと言っても、ちょっと特殊でな。まずは真っ黒な布で両目を覆ってもらう」
「……はい?」
両目を覆う。
益々不可解な要素に、カイリは疑問符を大量にばら撒いた。カイリの顔が困惑に染まり切っているのを見て、フランツは力強く頷く。
「そして、その状態で、隠れた俺達を見つけるのだ」
「え? 見つける? 目隠しで、ですか?」
「そうだ。視覚に頼らず、耳と肌で感じるのだ。それには、かくれんぼが一番効率の良い訓練となる。俺達も本気で気配を消して隠れるから、多分最初は全く見つけられないだろうがな」
「それに、障害物とかも全部、目が見えないまま自力で避けなきゃなんねえ。最初は結構大変だと思うぜ」
「なるほど……」
言われて納得だ。確かに普段の生活では、人は視覚に頼りやすい。目に見えていないからと、安心して油断することもあるだろう。
集中力や注意力を磨くには、これ以上ないほど有効的だ。
しかし、逆にカイリは不安になる。少し前まで、ただの村人として過ごしてきたのに出来る様になるのだろうか。
そんなカイリの不安を読み取ったのか、フランツが大仰に頷いた。
「大丈夫だ。お前は、武術に関してはかなり勘が良いからな。俺達が想像していた以上に
「え……」
「最初の訓練でも、オレ、避けられたしなー。加減はしてたが、結構ビックリだったぜ。風読みも全体把握も、それなりに出来てる」
「後は、聖歌と剣を一緒に扱えたら最高っすよね。そういう意味では、この訓練、役に立つと思うっすよ」
「一つの感覚だけに頼らず、他の感覚を磨き上げることは、それだけ出来ることも増えますから。カイリ様はそれなりには器用ですから、頑張って下さい」
各々からエールを送られ、カイリは曖昧に頷く。良く分からないが、褒められた様な気がした。
だが。
「でも、一人で戦闘に出すのは不可能ですから。さっさと鍛えて半人前になって下さいませ」
流石はシュリアと言うべきか。落としてくるのが憎たらしい。清々しくもある。
「よし。じゃあ、これを巻いてくれ。いや、俺が巻こう」
「あ、はい。お願いします」
フランツが大きな黒い布を、カイリの目に巻いていく。何重にも巻きつけ、落ちない様にしっかりと後頭部で縛られる。
遮光性があるのか、本当に世界が闇に閉ざされた。光の
「では、十数えてくれ。その間に、俺達は隠れる」
「分かりました」
途端、がさがさっと、周囲に散らばっていく音がする。
カイリが今立っている地点はだだっ広い草むらだが、周囲には池があったり、木々に覆われていたり、
心の中で十を数え、きょろっと辺りを見渡す。
耳を澄ませば、木々を優しくこすり合わせていく風の音だけが吹き抜けていった。先程まで見えていたはずの宿舎の建物や緑の楽園も、布に遮られて見えない。
まるで、世界に一人だけ取り残された様な気分になる。
真っ暗な夜の中、誰も彼もがいなくなってしまった、あの日の様に。
「……っ。……とにかく、今は探さなきゃ」
ふるっと嫌な想像を振り払い、カイリは歩き出す。
一歩、二歩と踏み出せば、つま先に何か大きな塊がぶつかり。
すってーんと、豪快にその場にすっ転んだ。
「……い、いたっ! いいいいいいいい、いたっ……!」
思い切り地面に転がり、カイリは激痛に苛まれる。何とか腕を突いて顔面強打は免れたが、酷い幸先だ。先行きが、もうはや怪しくなってきた。
だが、これで
よろよろと覚束ない足取りで歩き、両手を前に突き出して振る。前に障害物があるなら、この手で掴めるはずだ。
しかし、直後。
ばっしゃーん、と盛大なる水飛沫を挙げて池に落ちた。
「つっめた……っ! ちょ、冷たい、池! 冷たいから!」
池に八つ当たりをしながら、カイリは手探りで地面を探し、何とか這い上がる。泳いでいただろう魚達に謝りながら、びしょびしょに濡れた衣服を呆然と見下ろした。――否、見えないので、見下ろす気分になった。
最初に推定石ころに
かくれんぼで、誰かを探す以前の問題だ。ここまで要領が悪いのかと相当へこむ。
「……これ、絶対笑われてるな」
特にレインあたりは爆笑していそうだ。
しかし、耳を澄ませてみても何も聞こえては来ない。本気で隠れている様だ。凄まじい能力である。
ならば、こちらも負けてはいられない。
四苦八苦しながら歩き回り、ようやく深い茂みに入ってきた。隠れるとしたら、木々も乱立しており、身を隠しやすい場所が怪しい。
手を前に突き出して、大木の幹を確認しながらカイリは慎重に歩いた。足元の石や枝にも気を配り、そろそろと、忍び足をする様に歩き続ける。
だが。
ごおんっ! と、顔面から大木らしきものに猛烈にぶつかった。
「い……っ!! い、……たっ……、……っ!!」
あまりの激痛に
右手で確認した大木のすぐ左前に、またも大木が立っていたのだ。少ししか前後にズレが無かったので、手の動きの隙間を掻い
しかも。
「……っ! か、
突然、左手の甲が痒みを訴えてきた。ひりひりと熱を持っている上に、痒みが強いとなると、何か良くない草花に触れてかぶれてしまったのかもしれない。山には時折山菜を取るという目的で入ったことはあるので、いくつか思い当たる種類はある。
だが、薬は持っていない。今は訓練の最中だ。後でもらわなければと、
踏んだり蹴ったりな中でも、カイリが健気に立ち上がると。
ぶんっと、すぐ耳の傍で何かが横切る音がした。
「――っ!」
カイリが反射的に
震えそうになる心を落ち着けて耳を澄ませば、それは虫の羽音だった。山の中ではよく聞く類だと、カイリは無理矢理
しつこい、と手で何度も振り払えば、ぶうんっと煩わしい音は遠ざかっていく。
けれど。
「……っ」
はっと、震える様に吐息を漏らす。無意識に羽音を拾い上げた右の耳を押さえてしまった。
かたかたと腕が小刻みに振動しているのが分かって、己を踏み付けたくなる。
――恐い。
そんな感情に支配されるなんて、どれだけ臆病なのだろうか。
何より。
目の前が、真っ暗だ。
視界は真っ暗で、光一つ差さない世界。
何も見えない、誰の気配も感じない。
何も見えないのは、――苦しい。
真っ暗な中、一人でいるのは、嫌だ。
教会騎士の偽者に聖歌語で攻撃された時。
母を置いて行かなければならなかった時。
父と別れなければならなかった時。
友人が目の前で殺された時。
みんなを見送らなければならなかった時。
全部、――全部。真っ暗な夜の中だった。
「……はっ、……っ」
ぎゅっと胸を押さえて座り込む。
何故、こんなに怯えているのだろうか。ここは、第十三位の宿舎だ。フランツ達もみんな隠れているだけで、近くにいる。この真っ暗な闇も、目隠ししているだけの偽物の闇だ。夜眠る時だって、あの日を思い出してもこんなに怯えたりはしない。
それなのに、何故だろうか。今は一人だからか。
〝だが、俺たちはお前を置いていかなければならないんだ〟
本当は、今までの出来事は全て夢で。
目が覚めたら、自分は今も一人なんじゃないか、なんて。
そんな、馬鹿みたいな妄想が止まらない。
この布を取り払ったら、誰もいないのではないか、と。
真っ暗なあの夜の中に、一人取り残されているのではないか、と。
――けれど。
〝あの時、ようやく深く思い知らされた。……俺にとって、お前は本当に大切な存在なのだ、と〟
――違う。
〝俺は、お前の傍にいたい。お前と家族になりたい。……お前と、離れたくない。お前の笑顔を守りたい〟
――夢なんかじゃないっ。
「……そうだ。違うっ」
今、カイリは一人ではない。フランツが――みんなが傍にいてくれる。現在進行形で見守ってくれている。
両親達も、もうあの惨劇の夜の中で苦しんでなどいなかった。カイリの幸せを願い、笑って見送ってくれた。
いつまでも、みんなあの真っ暗な闇の中に囚われているわけではない。
だったら、生きているカイリが囚われてどうするのだ。また、両親達が心配して出てきてしまう。
「……、立て」
言い聞かせ、無理矢理に立ち上がる。はっと息が切れたが、固く拳を握り締めてよろよろ歩いた。一歩一歩、着実に前へ進んで行く。
未だ、視界は真っ暗だ。あの日の絶望が今もカイリを覆い尽くす。
だが、ここで立ち止まるわけにはいかない。
例え、まだ本当の心の夜明けが遠くても。
「……あなた、馬鹿ですの?」
「――」
きっと、必ずその先に――。
不意に、横合いから一筋の声が飛んできた。
光が差し込んだ様な音に、カイリは思わず顔を上げる。
「……、……シュリア?」
「さっきから、何ふらふらしていますの。それじゃあ、またぶつかりますわよ」
呆れた溜息が降ってきて、カイリは細く吐息を漏らした。その呼気も震えてしまって、目の前の気配が
「どうしましたの」
「……っ、い、や。何でも」
声が不自然につっかかったが、カイリは気合で足の震えを止める。振り払う様に、頭を振って更に前進し。
ごんっと、またも顔面から大木の幹に突っ込んだ。
「――――――――――っ!!!!!!」
「……あなた。やっぱり、馬鹿ですわ」
顔を押さえて再び蹲るカイリを、無情な一言で切り捨てる。シュリアはどんな時でもシュリアだな、と変な感心をしてしまった。
だが、会話が出来たことで実感する。情けないが、どうしようもなくホッとしてしまった。
――ああ、ほら。俺は、一人じゃない。
暗闇の中にいるけれど、大切な人達が傍にいる。
歯を食いしばって歩き続けた甲斐があった。だからこそ、深く温もりを握り締めた手応えがある。
馬鹿にされているのに、今彼女が傍にいることが、カイリの心に抱えきれないほどの安堵を広げていった。
「ごめん。ありがとう」
「はあ?」
「ほら! 訓練再開しないとね。あちこち痛いけど、まだ誰も見つけていないし」
シュリアがこうして痺れを切らして出て来てしまったのだ。みんな、さぞかし待ちくたびれているだろう。
だから張り切って前に進もうとしたのに、物凄い力で腕を取られた。ぐいっと引っ張られ、強引に隣に立たされる。
「えーと。シュリア?」
「あなた、闇雲に探してどうするんですの。これは、気配察知の訓練だと言ったはずです」
「あ、うん」
「それなのに、手探りで歩くとか馬鹿ですわ。子供みたいなことしてどうするんですの」
「ぐぬ……っ」
「良いですか。耳を澄ましなさい。肌で感じなさい。あなたが、普段武術で相手取る時、風を読む様にしてみなさい」
「……風を読む様に?」
指摘されて、カイリは考える。
相手の攻撃を捌く時、カイリは視覚だけではなく、確かに直感や唸る違和感を拾い上げていた。
それと同じということか。
しかし。
「……それで、木とか池とか避けられるのか?」
だが、シュリアは事も無げに肯定した。
「当たり前です。木も池も、
「……、音の大きさ。角度」
「それに、石ころなどの障害物は、それこそ気配を感じ取るのです」
「え? 気配?」
石に気配などあるのだろうか。
よく意図が掴めなくて首を傾げると、シュリアが「こんなことも分からないのか」と言いたげに溜息を吐いた。
「万物にはどれだけ微細であっても、それ自体の『気配』というものがあります」
「気配が……」
「気配は人だけのものには
丁寧に説明をしてくれるシュリアの内容に、カイリは必死に耳を傾ける。
視覚に頼らず、他の感覚で気配を悟るということか。集中力や注意力を磨くだなんて、浅はかな考えだったと気付かされる。
集中だけしていれば、注意だけしていれば、気配を悟れる様になるわけではない。本気で、視覚以外の五感を頼りに拾い上げていくのだ。
その訓練中に他のことに気を取られるとは。まだまだ甘いなと、カイリは己の未熟さを改めて痛感した。
「……俺、本当にまだまだだなあ」
「あら。今頃気付いたんですの」
「いや、元々気付いてはいたけどさ。……うん。俺はいつか、みんなを守れるくらいに強くなるんだから。欠点もちゃんと克服しないと」
「――」
未だ、あの失われた日々に涙することもある。
大切なものを奪われた絶望に恐怖する日も続くだろう。悪夢だってまだ見ることもある。
それでも、カイリはもう逃げない。向き合って、受け入れて、前に進んで行くと決めたのだ。
そして。
今までみんなが守ってくれていた様に、今度はカイリがみんなを守る。
果てしない道のりだとしても、やり遂げてみせる。フランツ達と世界の謎を解き明かすという目標も出来た。ここで
故に、両拳を握り締めて空を見上げる様に顔を上げれば、シュリアがやれやれといった風に溜息を吐いた。
「……はあ。大丈夫そうですわね」
「ああ! シュリアにコツも教えてもらったし。みんなのこと、見つけてみせるよ」
「いいえ、無理ですわ。まず、無理ですわ。ど素人のあなたに発見されるなんて、末代までの恥ですわ」
「何でだよ!」
心の底から本気の声で断言され、カイリはむくれる。声だけでも、大真面目な彼女の表情が透けて見えて腹立たしい。
確かにカイリは気配の読み方はど素人ではあるが、何かまかり間違ってでも見つける可能性だってゼロではない。
絶対見つけてやる、と息巻いていると、シュリアがふっと肩の力を抜いた様に笑った気がした。
「……あなたは、もう充分強いですわね」
「え? 何か言ったか?」
「いいえ。さっさと半人前にならないと割に合いませんと言っただけです」
「わ、悪かったな! ちゃんと一人前になってみせるさ!」
散々「半人前になれ」と言われ続けているので、結構ぐさぐさ胸にくる。シュリアはいつも手厳しい。
だが。
――やっぱり、優しいよな。
きっと、カイリが
カイリがあまりに無様なので出てきたという確率も大いに高いが、それでも「大丈夫そうだ」というその言葉は、カイリの状態に配慮したものだと思えた。
例えそうではなかったとしても、勝手に思い込んでおこう。
シュリアが来てくれた時、カイリの真っ暗な視界に、ささやかながらも明るく照らす光が確かに差し込んだのだ。
その照らされた先の未来を、彼女と共に歩いていきたい。
「ありがとう、シュリア」
「はあ? 何がですの?」
「やっぱり俺、シュリアのそういう優しいところ、好きだな」
「っ!? は、はあっ!?」
馬鹿ですの! と中庭中に響き渡る叫び声を聞きながら、カイリは闇が晴れ渡っていくのをゆっくりと感じ取った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます