第142話
楽しい一騒動が終わった後。
長話でカイリの体力が尽きかけ、一度休憩を挟んでから全員で夕食を取ることになった。
子供達と会いたかったが、今のカイリでは彼らが暴走したら受け切れない。故に、もう少し日を置いてからということになった。
「……そういえば」
フランツに起こしてもらい、支えられながら食事をしていたカイリは、ふと疑問に思ったことを口にする。
「第一位との試合の時、俺、打ち消しの聖歌を歌ってしまいましたけど。……あの中に、洗脳された人はいなかったんでしょうか」
先程、教皇側の洗脳は解けないとフランツは話してくれた。
だが、カイリはパリィの洗脳を解いてしまった。聖歌を聞いた途端、彼は悶え始めたのだ。
もし、あの場にそういう不審な輩がいたら大変なことになっていたのではないだろうか。気付かれたのではと、不安になった。
「……あの会場で、そういう話があったとは聞いていないが。どうだ?」
「んー……オレも聞いてはいねえな。一応全体見渡しておいたが、怪しい素振りの奴らはいなかった。ただ、流石に教皇の周りは見えねえし……どうだかな。近衛騎士は大抵いるが、……確かに、洗脳された騎士がいたならまずいかもな」
レインが腕を組んで考え込む。
騎士の中にも、洗脳された人々がいるかもしれない可能性が出てきた。もし教皇の周囲でカイリの聖歌の効果が発揮されていたら、最悪の事態に陥るかもしれない。
「で、でも、別に新人は試合の後すぐに捕らえられるってことは無かったっすよね? だったら、大丈夫じゃないんすか?」
「まあ、普通はそう考えて良いだろうが……。しかし、第一位の試合が終わった後で、教皇はカイリに興味を抱いて勧誘してきた。今すぐにどうこう、というのは無いだろうが……気は配っておいた方が良いな」
「洗脳されている人が身近にいるとして……他に洗脳されている人っているのでしょうか。ねえ、シュリアちゃん?」
リオーネに話を振られ、シュリアも「そうですわね」と唸る。探る様に視線を滑らせ、口を開く。
「近衛騎士以外に、となると聖歌隊も考えられますが」
「せ、聖歌隊が?」
「ええ。あそこは完全に教皇の
指揮隊長、と言われてカイリはミサの時を嫌でも思い出す。
盲目だと明かされたのに、何故か心の奥底まで覗き込まれる様な視線を感じた。無遠慮に内側を探られる感覚は気味が悪く、未だに振り返ると感触が
だが、特殊な立ち位置とは聞いていたが、そこまで怪しい存在なのか。試合に聖歌隊は見当たらなかったが、注意をしようと肝に銘じる。
「ただ、正直、今の騎士団内で教皇に反抗的な人間はなかなかいませんわ。洗脳するまでもなく、教皇至上主義は多いんですのよ」
「後は、この街の腐った教会騎士みたいな奴っすよね」
エディが溜息交じりに肉に
真剣な話をしているのに、カイリの目はそちらに目が行ってしまう。程よく火を通した牛肉の切れ身を美味しそうに頬張るのを見て、カイリはごくりと喉を鳴らした。
今のカイリは、とても体に優しい病人食だ。いきなり肉を胃袋に入れたらビックリするというお達しの元、じっくり煮込んだ野菜のスープを
だが、肉も食べたい。
そんな悲しい欲求に、カイリは泣いた。
リオーネが、ふふふ、と楽しそうに
だが、カイリの嘆きは届かないまま話は真面目に進んで行く。
「どちらにせよ、試合の件は注意する程度で良いだろう。もし洗脳された奴がいたとしたら、もうとっくに動いていてもおかしくはない」
「俺を、……捕まえるためにですよね?」
「そうだ。……だが、ケント殿の存在もある。もし知られているとしても、ケント殿がストッパーになるのならば、正直どう動くか予測を立てにくいな」
ケントは教皇のお気に入りらしい。
彼と仲の良いカイリを、教皇は目障りだと思えば排除はするだろう。
だが、それでケントの機嫌を損ねたら分が悪いのかもしれない。ケントは、教皇の言いなりにはなっていないと断言していたし、ミサの時も明らかに彼の方が圧していた。
つまり、教皇側がケントに入れ込んでいる可能性もある。カイリに手を出すなら慎重になるかもしれない。
「前世の関係性が役に立った様だな」
「……いえ。例え前世のことを覚えていたとしても、ケントはそれだけで俺と友人になりたい、という奴ではないと思います」
前世でも不思議ではあったが、彼は彼なりに理由があってカイリと友人になったのだろう。
来る者拒まず、去る者追わずの彼が、唯一しつこく話しかけてきた相手がカイリだった。理由は最後まで分からず仕舞いだったが、彼は理由も無く自ら進んで誰かと友にはならない。はずだ。
ならば、今回も同じだろう。
友人になりたいと思ったから、なった。それが、一番の理由だと推測している。
「しかし、問題はパリィの処遇だな。死んだことにするのは良いが、どう証明するか……。名前もどうする?」
「……影になってからの名前、……パーリー、にします」
「え?」
唐突に偽名を発表され、カイリは戸惑う。しかも、ほとんど本名と変わらない。
だが、パリィはというとマイペースに肉をがじがじと頬張っていた。のぼーっとした様子はどんな時でも変わらない。
「パリィ、はもう使えない。死んだ」
「そ、そうですね」
「だから、伸ばしてみた。リッパーと迷った、けど、……元気っぽいのが、面倒くさい」
「……は、はあ」
独特の決め方だ。元気っぽいとは、「ッ」が入っているからだろうか。カイリには判断が難しい。
しかし、フランツはもちろん、シュリア達もパリィが一緒に食事を取ることを忌避していない。あれだけ事件が大きくなった犯人なのに、背景の問題だろうか。
彼が侵した罪は、決して消えることはない。
フランツの彼への憎しみも、パリィのメリッサへの憎しみも底を尽くことは無いかもしれない。
それでも、今は輪に入って食事をしている。そのことがカイリには一歩前進した様で嬉しかった。
「問題点は他にもあるな。パリィが、何故狂信者に監視されていたか、だ」
フランツが神妙に
確かに、詰所の騎士を問い詰めた時、彼らは狂信者に『通り雨だから見過ごせ』という様なことを言われたと白状していた。
つまり、パリィは狂信者と関りがあることになる。
だが、当人はぼんやりと首を傾げていた。まるで心当たりは無いらしい。
「だんちょう……。それ、本当なのか?」
「ああ。ゴミクズ騎士は狂信者に『通り雨』的なことを言われたと暴露した。あのゴミクズ中のゴミクズの言葉を信じるのは業腹だが、パリィは別に狂信者と共に行動していたわけではないのだろう?」
「ご、ゴミクズ……」
あんまりなフランツの物言いにカイリは絶句したが、彼は至極当然といった風情で堂々と胸を張っている。
パリィも特に突っ込まずに「うん、そう」と頷いたので、何事も無かったかの様に話は進んでいった。
「狂信者、特に、話してない。……確かに気配は感じること、あった。でも、それだけ。何も、してこなかった」
「……ふむ。実験と言っていた様だし……一番可能性が高いのは、お前に洗脳を施した奴が狂信者だったというものだが……」
「何のためにだよ? あいつらが求めてんのは、聖歌騎士だろ? パリィは確かに強いけどよ、わざわざ洗脳してまで引き入れる理由にはならないと思うけどな。しかも、制御出来てない感じだったし」
フランツの推測に、レインが反論する。
しかし、カイリも理由はまるで推測は出来なくても、フランツの指摘が一番可能性が高く思えた。そうでなければ、パリィを監視する意味が本気で闇の中になってしまう。
何かあるだろうか、と考えて、カイリは一つの疑問を提示した。
「あの……。教皇と狂信者って、手を結んだりするんですか?」
「……」
カイリの質問に、フランツが生ごみを飲み込んだ様な顔になった。あまりに酷い表情になったので、カイリは慌てて付け加える。
「あ、いえ! その、レインさんが疑問視した理由を考えてみたんですけど! そういう可能性はあるのかなって、思っただけで」
「……直接手を結ぶ、か。聞いたことはないが……
「見過ごす……?」
「あー、つまりは都合の悪い人間を葬りたい、とかな。そういう場合は、狂信者が狙っていても特に動かない、てのはあると思うぜ」
「……。そうですか……」
聞けば聞くほど、教皇がどうしようもない存在に思えてくる。絶対に放置してはならないと、カイリは改めて強く誓った。
「まあ、狂信者の点は仕方がない。置いておくか……。パリィが狂信者の情報を全く持っていないのならば、狙われる危険性は低いだろう。それに、……推定監視役も、既に全員死んでいる様だしな。ここでパリィを死んだことにすれば、奴らの目も誤魔化せる」
「……パシリが見回りに出る原因になった奴らですわね」
シュリアがパンを千切りながら反応する。話をしながらも黙々と凄い勢いで食べているあたり、よほどお腹が空いているらしい。
一瞬微笑ましくなってしまったが、カイリは無理矢理思考を目の前の話に戻した。
「狂信者は、全員死んでいたんですよね? でも、パリィさんの仕業ではない……んだよね? エディ」
「そうっすね。切り口がまるで別物っす。どれも同じ手口でしたから、同一人物のものだとは思うっすけど」
「……正直、何の手がかりも得られなかったし、よほどの手練れの様だが。狂信者を
「甘いですわ。ただ始末したという可能性もありますわよ」
「何のためにだ? 仮に始末したのが狂信者の仕業として、だ。狂信者がパリィの洗脳に関与しており、証拠隠滅のために監視役を始末したとしても、パリィに手出しはしていない。しかも、現在狙っている存在は見当たらない……だな? リオーネ」
「はい。聖歌を歌って確認しましたけど、全然引っかかりませんでした」
そんなことをしていたのか。
カイリが寝ている間にも、着々と事態は進行していた様だ。頼もしい仲間だと、カイリは感嘆する。
「つまり、相手はパリィを狙っているわけではない、ということだ。ならば、益々パリィの生存を助ける結果にしかならない。狂信者がやったならば、相手に利益はあるのか? むしろ、パリィの行く末を気にして、一層警戒しそうなものだが」
「それは……そうですけれども」
フランツの反論に、明確な理由をシュリアも示せず押し黙る。
結局この点については、堂々巡りだ。確かな手掛かりがないため、全てがあやふやな憶測でしかない。
ただ、監視役が全員亡くなったおかげで、パリィの生存が教皇や狂信者に知られる可能性がぐっと低くなった。
そのことだけは、不幸中の幸いと思うべきか。
しかし、この事件の裏にはまだ何かがある。言い様もない黒い思惑が、ねっとりとたゆたう感覚に、カイリは背筋にうすら寒いものを覚えた。
何とも言えない結論が出て、静かに食事を進めていると。
「ちょっと、フランツ兄様。お客さんだよ」
ばーんとノックもせずに、アナベルが扉を叩き開けてくる。
不機嫌そうではあるが、彼女はフランツの方を直視していた。珍しいこともあるなと、カイリが首を傾げていると。
「……誰だ?」
「教会騎士だよ。何でも、緊急に話したいことがあるってさ」
「分かった。行こう。レインも来てくれ」
「あいよ」
フランツはカイリの体を枕を何個も挟んで支える様にした後、軽やかに立ち上がってレインと出て行く。
何があったのかと気になりながら、カイリ達が夕食を食べ進めていると。
「……エディ。来てくれ。これから、詰所へ向かう」
フランツとレインが厳しい顔で戻ってきた。エディを名指しし、呼び寄せる。
「どうしたんすか?」
「狂信者と関係があったゴミクズ二人がいただろう。カイリにちょっかいを出した後、詰所で厳重に監禁していたのだがな。――死んだ」
「――っ」
淡々としていたが、戦慄が走った。カイリは思わずスープ皿を落としそうになる。
カイリが孤児院を一人で飛び出した時、謹慎だったはずの教会騎士二人に
その二人が、死んだ。
急転直下の知らせに、カイリの背筋が凍える。
「唯一狂信者と繋がっていた奴らも死んだ。……都合が良い。そこでだ。パリィの死を偽装する」
「――、え?」
フランツの宣言に、カイリはきょとんと目を瞬かせる。
理解が追い付く前に、更に彼は
「狂信者の死体を、氷漬けにして保管していた甲斐があった。騎士と狂信者の死体と合わせ、こちらで引き取って処理をするぞ。……首を
「――っ、え?」
カイリの怯えた様な声に、フランツが厳しい目を向けてくる。
その突き刺す鋭さに、びくりとカイリの肩が跳ねた。皿を今度こそ落としそうになって、シュリアが素早く引っ
「フランツさん……、……首、……え?」
「カイリ。お前はこれから、秘密を抱えて生きていくことになる」
「ひ、みつ……」
「きっと、これだけでは終わらない。第十三位にいるということは、……教皇を相手にするということは、これから黒いことに手を付ける機会が次々と出て来るのと同義だ。……耐えられるか?」
簡潔ではあるが、覚悟を問う強い
教会騎士や狂信者の死体を利用する。
それはある意味、その人の死を冒涜することにも
これから第十三位として相手をするのは、教皇を始めとする教会でも上位にいる者達だ。加えて、狂信者の脅威にも対処していかなければならない。
恐らく、この黒い幕開けは序の口なのだろう。裏の世界を知らないカイリにも、それくらいは予想が付く。
ぎゅっと、カイリの胸が痛みを訴えながら縮む。呼吸が不規則になりそうなのを懸命に整えた。
だが、もしここで
――父さんも、こんな葛藤を抱えていたのだろうか。
教会騎士になって欲しくなかったと、父は手紙に書いていたという。恐らく、こんな風に穢いことに手を染めることが分かっていたからだろう。
父は、第一位の団長だった。上に立つのならば、例え清廉潔白な気質であろうとも、後ろ暗い背景だって抱えていたはずだ。教皇を相手にしようとしていたならば、尚更。
本当は、嫌だ。どんな相手であれ、故人を侮辱する様なことはしたくない。
だが。
〝た、の、……む、……今、の、う……っ! ――っ!〟
殺して。
そんな風に、悲しいまでに狂ってしまった人達が、他にもいるというのならば。
カイリは、絶対に彼らを許してはおけない。
例え、どれだけこの手を血に染めようと。
「……分かりました」
きゅっと、入らない力を入れて拳を握る。
かたかたと、無様に震えるのは抑えられない。恐いものは恐い。葛藤だって激しい。
だが、必要があるというのならば、カイリは悩みはしても迷いはしない。
「黒幕をぶっ飛ばすのに必要なら、俺はこの手を真っ黒に染めます」
「……っ」
「自分の手で殺せなくても、もう真っ赤なんです。今更です」
赤くなり、黒くなり。
それでもカイリは前へ進む。自分が進みたい道を歩むために。
聖歌を正しく扱える人で在り続けるために。
フランツが何かを堪える様に目を閉じる。
しかし、次には冷静な目をした彼がそこにいた。第十三位団長としての、冷厳なる立ち姿だ。
「分かった。……レイン、エディ、行くぞ」
「……おうよ」
「……、はいっ」
フランツが厳然たる振る舞いで、部屋を出て行く。
ちらりとレインとエディがカイリに目を向けてきたが、すぐにフランツに続いて姿を消した。
彼らの足音が遠ざかるごとに、がたがたと震えが大きくなっていく。
今、自分は、故人を
その罪が、襲いかかる様に背後からのしかかってくる。歯までかちかちと鳴り始めて、カイリは怯える様にシーツを握り締めた。
「……カイリ様」
「っ」
リオーネが、手を重ねてくる。
無様なほど跳ねてしまったが、人の温もりが恋しい。払いのける気力はなかった。
「カイリ様。……貴方は、とても優しい人です」
「……違う。優しくなんか、無い」
本当に優しかったら、ここで断固反対している。
だが、リオーネは「いいえ」とぴしゃりと
「優しいです。私達は、……久しくそんな感覚を忘れていました」
「……、え?」
「第十三位の目的を押し付けておきながら、こうお願いするのは酷かもしれません。ですが、……カイリ様にはそのままでいて欲しいんです」
訳が分からない。
そのまま、とはどのままだろうか。裏のことに手を染めることを、恐れて臆病なままでいろということだろうか。
それではいつか、足手まといになりそうな気がする。慣れなかったとしても、平然といられる様に努力するべきではないだろうか。
「私達は、もう戻れません」
「……。戻れない? ……どうして?」
聞き返してみたが、リオーネは儚く微笑むだけだ。
ふわりと花開いた様な笑みが、泣いている。錯覚してしまった。
「ですから、……貴方の様に、道徳倫理観がまだ正常な人が第十三位にいて欲しいんです。……そうまでしなくても良い時に、立ち止まって考えられる様に」
「……立ち止まる」
「他の手段がある時にまで、その選択をしないでいられる様に。だから、カイリ様。その気持ちを、どうか忘れないでいて下さい」
心がすり減る感覚のまま、忘れずに生きて欲しい。
なるほど、確かに酷な願いだ。つまり、彼らよりも遥かに神経をすり減らす人であって欲しいと言うのだから。
けれど。
「……、分かった」
「……カイリ様」
「俺も、……慣れる人でいたいとは思わないしな」
人として持ち合わせている感情を、捨て去りたいとは思わない。
カイリが、彼らの唯一の道徳で在れるのならば、喜んでその位置に在ろう。
彼らが、決して道を踏み外さない様に。本当の意味で、逸れてしまわない様に。
第十三位が穢れながらも、正しい方向へ歩いていける
故に決然と宣言すれば、リオーネはやはり泣きそうな顔で笑った。
シュリアが一言も発しないまま見つめてきていることを感じながら、カイリはしばらく己の震えを止めることに専念することにした。
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