Banka11 俺の歌は奈落に沈む

第120話


「ごめんなさい……」


 真っ黒なドレスを着た女性が、むくろの山の中でうつろに頭を下げている。

 ああ、またこの夢だ、とカイリは悲しくなった。

 あの悪夢を見て以来、毎日彼女の夢を見る様になったのだ。

 初めの夢の様に、彼女が仲間を刺して回る場面は無くなったけれど、それでも彼女が行った結果は無残にも目の前に広がっている。


 ――村の時のことを思い出して、喉が絞られる様に苦しくて辛い。


 この地獄絵図を目にするたび、あの日全てを失った時のことを思い出さずにはいられなかった。体中から血が溢れ出す様に激痛が走るのに、どうしてもここから逃げられないのだ。

 だからこそ、こんな夢からは早く覚めて欲しい。

 けれど。



 一方で、この夢にどんな意味があるのかと考えてしまう自分もいた。



 故に、今日も直視してしまう。泣き出す様に悲鳴を上げる心に目を伏せて、カイリは彼女を眺め続ける。


「ごめんなさい、……ごめんなさい」


 ひたすらに謝りながら、彼女は剣を握り締める。

 既に剣身に元の輝きは欠片も見当たらない。仲間達の真っ赤な命がこびり付いて、到底落ちそうには無かった。

 オレンジ色の綺麗な太陽の髪は、既にくすんで荒れ果てている。まるで彼女の命の灯まで消えかかっている様な錯覚を抱き、カイリは無駄だと分かっていながら、声をかけずにはいられない。


「……っ。……貴方は、……どうして」


 どうして、こんな残酷なことをしたのか。

 どうして、泣いているのか。



 ――フランツさんと、どういう関係なのか。



 もう彼女の正体に予想は付いているのに、思わずにはいられない。

 フランツから話を聞く『彼女』は、とても心優しくて気立ての良い女性に聞こえた。

 だが、今の彼女からは、その気立ての良さや優しさは微塵も感じられない。

 否。正確には面影があるが、どうしてもこの残虐な行為とつなげることが出来なかった。


 一体、何があったのか。


 知りたいのに、カイリは彼女に触れられない。声すら聴いてもらえない。

 それなのに、何故こんな夢を繰り返し見るのだろうか。

 やり切れなさと重苦しい痛みで押し潰されそうになっている合間にも、彼女は懺悔ばかりを一心に続ける。


「……フランツ、……アナベル。―――」

「……」

「ごめんなさい、……ごめんなさい」


 虚ろな紺色の目は、もはや何も映してはいない。

 それでも、彼女の大切な人達の名前を口にする時、彼女の目尻から最後の感情が零れ落ちる。

 いつもなら、それで終わる。今回もそのはずだった。

 けれど。



「――、……あなた、も」

「――」



 ゆっくりと、彼女がカイリの方を振り向いてくる。

 初めての反応に驚愕し、カイリが何も打ち返せずにいると。



「―――、さん」

「……、え」

「……ごめんなさい」

「――――――――」



 確かに、カイリの目を見つめながら、彼女が謝罪を告げてくる。

 初めてかち合う紺色の瞳には、悲痛な思いが押し寄せる様に溢れ出していた。











「じゃあ、カイリさんは、つい最近聖歌騎士になったんですね。わー、なのにあんなに素敵な歌が歌えるなんて……」

「い、いや。リオーネの方が歌、上手いからな。俺、村にいた頃も出来にムラがあるって言われたし、笑われたりもしてたし」

「でも、……うた、すき……」

「……うん。ありがとう、テリー」


 テリーの頭を撫でながら、カイリはナハトやテリーと孤児院の外で談笑を楽しんでいた。シュリアは壁に寄りかかって全体を見渡し、エディやリオーネは、ミックやヴァネッサと楽しそうに遊んでいる。



 事件があってから、既に三日が経過していた。



 しかし、あの晩以降、特に何事もなく日々は過ぎ去り、手掛かりすら見つけられない状態だ。カイリがシュリアやレインと巡回じゅんかいしても、あの襲撃者の影も形も見当たらないのである。


 拍子抜けはしたが、気も抜けない。


 故に、今日も全員で代わる代わる行動を開始していた。

 昼間はフランツとレインが街中の聞き込みや、詰所との連携を確認するために二人で出ることになった。犯行は今まで全て夜に行われているため、昼間は情報収集に専念するためである。

 一方のカイリ達は、孤児院で待機組だ。アナベルからの依頼が最初の目的だったのだ。子供達の面倒を見るのも立派な任務である。

 孤児院から出て外の開けた場所は、街の中心地から少し離れているのもあって、ちょっとした庭の様なものだ。ちょこんと丸太が置かれていたり、小さな花壇があったり、子供達の遊び場や休息を堪能するにはちょうど良い場所だった。

 だから、だろうか。


「エディー! よわいぞー!」

「エディってば、弱いのね! きょうかいきしなのに情けないわ!」

「ぐっへ。子供相手に、全力出せるか……っ」

「あらあら、エディさん。そんなこと言って、本気で潰れていますよ」

「リオーネさぁん……! く、そんなシビアなリオーネさんも、好きだ……っ!」

「きゃ、告白!?」

「すっげえ! おれ、なまのコクハクって、はじめて見たぞ!」

「そうよね、ミック! これが告白なのね! それでそれで? リオーネお姉さま、お返事は?」

「ごめんなさい」

「ガーン!」


 リオーネの笑顔の即答に、エディが真っ白になって無残に潰れた。ミックやヴァネッサに上から潰されているのも相まって、深刻なダメージに見える。

 だが、エディは打たれ強い。今回も何とか乗り切るだろう。

 判断して、カイリは見捨てた。子供達が楽しそうなことが一番である。

 それよりも。



 ――フランツさん。大丈夫かな。



 カイリの心は今、彼のことでいっぱいだった。

 三日前のアナベルとの衝突を立ち聞きしてしまったのが原因だ。あの夜、カイリは水を飲みたかっただけなのだが、まさかキッチンで二人が言い争いをしているとは思いも寄らなかったのだ。

 足音を立てることも出来ず、だが離れるには内容が気になり過ぎた。結果的にアナベルを激怒させてしまったことには、項垂うなだれるしかない。

 しかし、それだけではない。


 ――フランツさん、最近様子が変なんだよな。


 正直、アナベルとフランツの会話は遠くて全てが聞こえてきたわけではない。特に、フランツはアナベルほど大きな声を出していなかったら、本当に途切れ途切れにしか聞こえてこなかった。

 それでも、カイリ、という単語を出していた気がする。

 カイリについても話していたのだろうかと、胸がざわつく様な、もやもやする様な、思い出すたびに不可思議な感覚に囚われた。

 結局フランツは、カイリには何も喋らせないまま別れたし、その後も話題には触れられなかった。

 しかもそのせいか、カイリはあの日にとんでもない悪夢を見てしまい、跳ね起きてしまったのだ。

 夜遅くに起こしてしまったにも関わらず、みんなが気遣ってくれたのだが。



 その時フランツは、カイリから不自然に目を逸らした。



 気のせいかと思い込もうとしたが、あの苦しい笑顔を目の当たりにした後だとそんな風に片付けられはしない。

 あの、アナベルと衝突した日。その夜に悪夢にうなされたカイリを見たあの時から。


 フランツは、時折カイリを見る眼差しに憂いや苦みを混ぜる様になった。


 カイリと普通に話はする。笑って頭も撫でてくれる。任務にも誠実に取り組んでいるし、カイリと組む時も率先して気遣いながら守る布陣を整えてくれていた。

 それでも、何となくカイリとの間に薄い壁の様なものを感じる。薄いのに、果てしなく高く積み上がった壁に思えてならなかった。


「……、……」


 何かしてしまっただろうかと考えたが、答えなど出るはずもない。何も問えないまま、普段通りに過ごすしかなかった。

 しかし、今のフランツはとても危うい。そんな風に思えて仕方がない。

 それに。



〝あたしを言い訳に逃げてんじゃないよ! この弱虫野郎!〟



 ――アナベルさんを見ていると、とても胸が締め付けられて、苦しい。



 フランツを見る彼女の目は、憎しみで渦巻いていて『てられる』のだ。胸が圧迫され、えぐられ、悲鳴を上げる。

 だが、憎悪で氾濫はんらんしているのに、その奥底では泣いている様にも思えた。子供の様に泣きじゃくって、どうすれば良いのか分からなくて、まるで真っ暗な暗闇の中で手探りで居場所を探す迷子の様だ。

 彼女がフランツに憎悪を叩き付けるたび、怨嗟えんさで刺すたび、――慟哭どうこくを撒き散らすたび、カイリは苦しくて、痛い。

 彼女が憎む姿を見るのが、激情の声を聴くのが、苛立ちを感じるのが、辛い。

 それは、まるで。



〝何で、村のみんなを巻き込んだんだ! 何でみんな死んだんだ! 何で! ……何でっ……!!〟



 ――まるで。



「そういえば、カイリさん。歌の中で、遊びになるような歌ってありませんか?」

「――」



 思考から、一気に引き戻される。

 慌てて振り返ると、ナハト達が期待に満ちた目で見上げてきていた。



「……、え? 遊び?」



 遅れて理解したところで虚を突かれ、カイリは首を傾げる。

 ナハトは少し照れくさそうに頬を掻いて、その、と俯きながら切り出してきた。


「カイリさんが歌っていた歌がとても楽しかったので」

「……っ、あ、……ありがとう」

「みんなとも、あれから話していたんです。あんな風に楽しめる歌があるなら、歌えなくても、リズムを取って遊んでみたいって」

「……あそべるうた、ない?」

「遊べる歌……」


 まさか、歌をそこまで気に入ってくれるとは思わなかった。カイリはじわじわと全身が静かに熱を持っていくのを感じ取る。

 村にいた頃にせがまれた歌を、今度は孤児院の子供達が求めてくれる。

 それが懐かしくて、切なくて、カイリは少しだけ遠くを見つめてしまった。一度目を閉じて、騒ぎそうになる気持ちを静めていく。


「……遊べる歌……。リズムは取れるんだな?」

「はい。『うさぎとかめ』も、覚えやすかったです」

「たのしい……」

「そっか。……じゃあ。――シュリア! ちょっと来てくれないか?」


 壁に寄りかかって難しい顔をしていたシュリアに、カイリは遠慮なく呼びかける。

 途端に彼女が不機嫌そうに顔を歪めたが、律儀にこちらに歩いてきてくれた。彼女は文句を言うだけ言って、付き合いが良い。この二ヶ月強でカイリが学んだことだ。


「何ですの」

「ナハト達が、遊べる歌が無いかって言ったから。シュリア、付き合ってくれないか?」

「何でわたくしが」

「だって、暇だろ?」

「……。暇ではないですわ」

「暇だよな?」

「……あなた、ほんっとうに良い性格していますわね」


 カイリが笑顔で繰り返せば、シュリアが引くついた笑顔で睨みつけてくる。

 だが、観念したのか近くの丸太に腰をかけた。ぶつぶつと文句を垂れ流しながらも話を聞いてくれるらしい。やはり彼女は付き合いが良い。


「手遊び歌を教えようと思うんだ。これ、二人でやるやつだからさ、相手をして欲しいんだ」

「わたくしよりも、リオーネやエディの方が適任でしょう」

「んー。だけど、ほら、あれ」


 カイリが指を指すと、それを辿ってシュリアも視線を向けた。

 そこには、ヴァネッサとミックに潰されたエディと、それを微笑んで見守っているリオーネがいた。実に賑やかで、邪魔をするのも億劫おっくうである。


「な?」

「……あなた、割といい性格していますわよね」

「シュリアほどじゃないぞ」

「一緒にされたくありませんわ! ……はあ。本当に年上への敬意がなっていませんわ」

「尊敬はしているぞ」

「……」


 素直に吐露したら、黙られた。時々、不意に黙られることがあるが、理由がよくカイリには掴めない。

 シュリア? と呼びかければ、はあっともう一度大袈裟に溜息を吐かれる。こいつ馬鹿ですわ、と雄弁に物語っていて、カイリは膨れそうになるのを堪えるのに苦労した。


「仕方ないですわね。それで? どうすれば良いんですの?」

「今からやるのは、『アルプス一万いちまんじゃく』っていう、山の歌なんだ」

「山?」

「そう。アルプスっていう、……架空の物語の中に出てくる山の名前が曲名になっていて」


 名前のせいで誤解している人もいるこの曲は、日本アルプスを指したタイトルだ。曲自体はアメリカの民謡だが、歌詞は全て創作で、原曲とは関係ないらしい。

 しかも、二十九番まで歌詞があるらしいが、カイリは当然覚えていない。

 だが、子供達に教えるなら、一番だけで充分かと割り切った。


「それでな。こう、手を最初に合わせて……」


 シュリアの隣に移動して、カイリは両手を合わせる。

 怪訝けげんそうにするシュリアの顔には、「何故移動してくるんですの」とでかでかと書いてある。「こうする方が教えやすいからだ」と、カイリも顔に書き殴った。


「『アルプス』の、アで両手を合わせて、ルで右手を斜め前に出して、――」


 シュリアにゆっくり歌いながら、手の動きを教えていく。

 彼女は歌に慣れているせいか、呑み込みが早い。あっという間に一連の作業を覚えてしまった。彼女の頭の回転の速さに秘かに舌を巻く。


「こんな感じだ。これを最後まで繰り返すんだ。お互い向き合って、手を合わせたり、肘に手をやったりって」

「……なるほど。それで、先に失敗した方が負け、ということですわね」

「何でもかんでも勝負にするなよ……。まあ、そういうのもあるけどな」


 呆れ混じりにカイリが肯定すれば、にやりとシュリアの目が光った。嫌な予感しかしない。


「では、勝った方がデザートをおごる、でどうです?」

「……奢る」


 何とも可愛らしい賭け事だ。

 勝ち誇った様に胸を張る彼女に、カイリは少しだけ毒気を抜かれた。てっきりもっとあくどいことを要求されると思ったが、彼女は意外にまともである。


「何ですの。負けるのが恐いんですの?」

「え? いや」


 答えずにいると、シュリアが腕を組んで睨み上げてきた。

 勘違いをされた様なので、カイリは首を振って挑戦状を受け取る。


「良いよ。じゃあ、最初はゆっくりで、次から素早く繰り返していくってことでどうだ?」

「良いですわ。じゃあ、やりますわよ」


 ふふんと得意げに意気込む彼女に、カイリは内心で安堵した。あの夜以降少し元気が無かったが、やはりこうして何事にも挑んでいく方が彼女らしい。

 そうこうしている内に、他の子供達も何だ何だと寄ってきた。結局全員に囲まれ、カイリとシュリアは両手を構える。

 すっと、カイリは息を吐き、軽快なテンポで旋律を紡いだ。


「アルプス 一万尺」


 ぱんぱん、と小気味良く軽快にカイリはシュリアと手を重ね合わせていく。

 子供達の目が楽しそうに輝いたのを視界の隅で見て、カイリは良かったと笑みを広げた。


小槍こやりの 上で」


 手を叩き、肘を叩き、相手の肘に手を乗せていく。

 シュリアが真剣に重ねていくのが珍しくて、カイリは内心噴き出してしまった。


「アルペン踊りを さあ踊りましょ」

「ランラ ララ ララララ

ランラ ララ ラララ」


 シュリアも一緒にいつの間にか口ずさんでくれている。

 彼女と歌うのは初めてだな、とカイリはやけに落ち着かなくなった。彼女も歌うのかと、新たな発見をする。


「ランラ ララ ララララ」

「ララ ララ ラ 」


 最後に、手と肘を互いに重ね合って終わる。

 それを見届け、子供達が全員喝采かっさいを上げた。ぱちぱちと、物凄い勢いで拍手してくる。


「おー、たのしい! なにこれ!」

「手遊び歌なんだ。リズムを取って、手で遊ぶやつなんだけど。どうかな、ナハト」

「はい! すっごく楽しそうです! やってみたいです!」

「そっか、良かった。じゃあ、教えるな。シュリアも頼む」

「はあ。良いですわ。その後、勝負ですわよ」

「わ、分かってるよ」


 デザートを奢るという可愛らしい賭け事を思い出して、カイリの頬が緩む。少しでも元気になってくれたなら良かったと、カイリが子供達に教えながら胸を撫で下ろしていると。



「あの、……ご、ごめんください」



 か細い訪問の声がカイリの背中を打った。


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