第101話


「カイリの様子はどうですか?」


 緩やかな傾斜を上りながら、ケントがそんな風に尋ねてくる。

 こちらを振り向かない背中は、何を考えているかさっぱり理解出来ない。左肩にかけられた短いマントが、ひらりと興味無さげに舞っているのもまた面白くない。

 これが彼の通常運転だ。カイリとの態度の落差にレインは舌打ちしたくなった。


「魂が抜けてる感じだ。ま、受け答えはしっかりしてるし、時間が経ちゃあ治るだろ」

「そうですか」


 短い返事だ。

 本気でカイリを心配しているのかと疑りたかったが、不意に振り返りかけた横顔は憂いを帯びて陰っていた。



 彼は、来る者拒まず去る者追わず。



 それが、レインがケントに抱いた最初の印象だ。それは今でも変わらない。

 だが、例外が出来た。それがカイリだ。

 ケントは、彼にだけは執着している。しかもかなり強い粘着力だ。その事実が不思議で堪らなかった。


「なあ、ケント殿」

「何でしょう」

「あんた、何でカイリと友人になりたかったんだ?」


 わざわざ第十三位の宿舎まで訪ねてくるとは、相当だ。彼からしてみれば、余計な手間でしかない。他人に無関心な彼からは想像もつかない行動だった。

 ケントは少しの間静寂を保っていたが、くるんと良い笑顔で振り返ってくる。穏やかな日差しを背景にすると、後光が差している様にも見えた。詐欺師には打って付けの効果である。


「気になります?」

「そうだなー。オレと話してる時なんかは、ふっつうのテンションなのによ」

「何で貴方とはしゃがなければならないんです。カイリとならともかく」


 さらっと毒を含んだ返事に、違いないとレインは眉をひそめる。彼が無邪気にレインにまとわりついてきていれば、今以上に警戒していただろう。



「ま、気になりますよね。頭は僕の方が上、悪知恵も僕の方が働くし、歌の威力も僕の方が上で、武術なんかは比較にならないほど僕が上。そんな僕が、何でカイリに近付いたんだって普通考えますよね」



 そうじゃねえ。



 突っ込みたかったが、レインは押し黙った。あまりの言い草に、彼は本当にカイリと友人になりたかったのかと疑心暗鬼に陥る。


「あんた、散々な言いようだな」

「事実ですし。実際、カイリもそれは実感しているでしょう」

「は。それだと、カイリはあんたと全く釣り合わねえって言ってる感じがするけどな。下に見てんのかよ」


 最後は軽い冗談のつもりだった。

 しかし、レインが考える以上にケントは敏感に反応してきた。見据えてきた眼差しに、喉を食い破らんとするほどの鋭い牙が混ざる。



「――ご冗談を。彼は、僕なんかより遥かに上をいっていますよ」

「――っ」



 怒りが視覚化できるのであれば、今ほどケントの周囲に立ち上る炎の激しさをレインは知らない。

 彼がその気になれば、今すぐにでもレイピアを抜きそうだ。もちろん負けるつもりはないが、鬼気迫るほどの威圧がレインを押し潰さんとしている。


「まあ、周りは貴方の様に思っているかもしれませんけど」

「思ってねえ」

「そうですか。……まあどっちにしろ、表面的な実力だったら間違いなく僕の方が上ですしね。他の奴らが言ってたら潰しますけど」

「……悪かったよ。あんた、ほんとにカイリ好きだなー」

「はい。彼は、とっても甘いですけどね。……昔から、彼は優しい強さを持つ人だった。そこが好きです」

「……、あ?」


 昔から。


 その単語に引っ掛かりを覚える。

 カイリから前に聞いた話だと、ケントは彼を覚えていない様な口ぶりだった。

 しかし、今の彼はまるで昔から――それこそ遥か彼方から彼を知っている様な物言いだ。話が噛み合わない。


 ――まさか。


 一つの可能性を閃き、レインが油断なく彼を見据えた。


「……あんた」

「貴方なら、言い触らさないとは思いますが。カイリには言わないで下さい」

「……何でだよ」

「喜びを抑えきれなくて、彼を閉じ込めて束縛しそうですから」


 肩をすくめて暴露される。

 軽い口調ではあるが、底知れぬ不穏さが漂っていた。冗談とは思えない。


「――なーんて」


 ふふっと、ケントが人差し指を唇の前に立てて笑う。

 悪戯っぽく微笑む彼の表情は、本気で食えない。レインとしては警戒心が剥き出しになりそうだ。



「まあ、『今の僕』は『今のカイリ』と友人になりたいので。……前世の記憶を話してしまうと、そっちに取り込まれてしまいそうでしょう?」

「……」

「お互いに、ね」



 ケントの口調はなだらかだ。全てを達観した様な言い方は、きっと過去を振り返りながらも現実を見続けようとしているからだろう。

 前世の記憶を持っているというのは、他人が思うよりも遥かに不便だ。現実とごちゃ混ぜになり、境界線が分からなくなることが多々ある。

 カイリも、まだまだ『この世界』という認識が抜けていないのはレインも気付いていた。ケントが危惧きぐしているのは、そういうところだろう。


「ま、束縛しちゃうっていうのも本当ですけどね」


 あはは、と朗らかな笑みはしかしうすら寒い。いつか、本気でカイリが危なくなるのではないかと少しだけ心配になった。


「……束縛って。流石天下の第一位団長殿。言うことが違うなー」

「疑っている様ですので言っておきますけど。僕は、カイリが大好きですよ。……貴方と違ってね」


 挑発したら、返された。

 一瞬目つきが険しくなってしまって、失敗したと今度こそ舌打ちする。

 ケントが、見下す様にレインを見下ろしてきた。傾斜の位置からしても絶妙な角度で、ざわつく黒い感情が逆撫でされる。


「やっぱり。聖歌、お嫌いですもんね」

「……お前」

「三年前、いえ、もう四年前ですか。恋人に裏切られたからですか。彼女の聖歌のせいで、貴方は殺戮さつりく人形になったから」

「っ」


 傷口に手を突っ込まれる様な激痛が走る。

 レインが射殺す様に睨み上げれば、彼は更に馬鹿にする様に目を細めた。


「それとも」


 一旦言葉を切って、ケントは微笑む。悪魔の様に妖しく、残酷に。



「――教皇に洗礼を受け、身も心もぼろぼろにされたことを、殺してから知ってしまったからですか?」

「――っ」



 頭が真っ白になるのと、体が動くのは同時だった。



 がきいっと、目の前で金属が噛み付き合う。

 本気で刺すつもりだった。正確に心臓を狙った。

 だが、そのレインの一撃を、ケントは涼しい顔をしたままレイピアで受け止めている。

 力は互いに拮抗している。押し合いは長期戦になり、その間にレインの頭は波を引く様に冷えていった。

 槍を下ろして畳み込む。懐に入れ、視線を斜め下に放り投げた。


「……、……謝らねえぞ」

「別に。カイリが嫌いだと知って、腹が立っただけなので」


 ――こいつっ。


 全て計算ずくだ。手の平で踊らされる感覚に、レインは腸が煮え繰り返る。

 それに。



 彼にも、そうなる可能性があることを忘れるな。



 そう忠告されている気がしてならなかった。

 カイリも聖歌騎士だ。ミサの時の様に、既に教皇に狙われている。ケントにとっては、少しでも守る手は多い方が良いのだろう。

 彼は、やはりいけ好かない。何もかも見透かして――その実、見透かしているのだろう。その言動が、仕草が気に食わなくて仕方が無かった。



「そういえば、エリックのことですけど」



 しかも、ころっと話題を変えてきた。まるで世間話の続きの様な切り替え方だ。

 この腹の見えない態度も、レインが彼を嫌いな理由の一つだ。――己と重なる部分があって吐き気がする。


「僕達の見解、珍しく一致しましたよね」

「……ま、そうだな」


 カイリから話を聞いた時、何となくエリックは彼に嫉妬しているのではと推測したのだ。

 カイリは全く無頓着であったが、歌を歌える、ということは神聖視されるだけではない。どこかで必ず妬みも買う。

 しかも村は、命を懸けてカイリを守る選択をした。そのことに納得しない者が出てきても不思議ではない。


 だから、エリックは愚かな選択をした。


 その原動力は、もっと己を見て欲しい。己の方が上なのだ。そういう小さな欲だった。

 ちっぽけなプライドであったとしても、認めて欲しくて駄々をこねる。そんな子供の見栄から、カイリを売ったのだと感じた。

 それで自滅した者を腐るほど見てきたし、こればかりは場数の問題だ。

 結果、まさしくその通りだった。

 だが。



「でも、最後に外れましたね」

「……、ああ」



 エリックは、最後の最後にカイリの歌を求めた。



 大嫌いで、憎んでいたはずの彼を――彼の歌を、エリックは好きだと零した。

 レインには意外な最期だった。カイリに討たれたがっていたという本音も含め、エリックの言葉は意表を突かれたものだったのだ。

 確かに、カイリの歌をレインも嫌いではない。時には切なく、どこか優しい気持ちになれる、そんな歌だ。今まで聞いたことのない類の歌ばかりである。

 エリックもそれを感じていたのだろうか。

 カイリの歌は、『何か』が違うと。


「……なあ、ケント殿」


 ぽつりと零したレインの呼びかけに、彼は答えない。

 だが、「何ですか」と目は雄弁に返してきていた。



「カイリの聖歌は、……本当に聖歌なのか?」

「――……」



 初めて歌を聞いた時から抱いていた疑問だった。

 彼の聖歌は、聖歌らしくない。もちろん聖歌としての威力は発揮している。危機感を抱かせるほどに強い効果があった。


 だが、彼の聖歌を、リオーネは上手く使いこなせなかった。


 晩餐会の合唱の時も、彼女は適用範囲の部分しか乗せられなかったと白状していた。威力も効果も持続力も、何もかも彼女には引き出せなかったのだ。

 対して、カイリはリオーネの聖歌は一応使いこなせるらしい。

 それが普通だ。聖歌は、歌い手を選ばない。

 それでも、カイリにとっては己の聖歌の方が効力が桁違いなのは間違いないそうだ。



 彼の聖歌は、彼を選んでいる。



 彼の聖歌が特別なのか。それとも、カイリ自身が特別なのか。

 それとも。


「……。カイリの聖歌は、間違いなく聖歌ですよ」

「……」


 ケントの口から、はっきりと聖歌だと認定された。

 少しの希望が打ち砕かれ、レインはがしがしと頭を掻く。

 だが。


「でも」


 打ち消す様に、ケントが含み笑いを浮かべる。

 その顔が不敵に過ぎて、レインの背筋が凍り付いた。



「彼の聖歌は、彼にしか歌えません」

「……っ、……は?」



 とてつもない断言をされた。

 カイリの聖歌は、カイリにしか歌えない。

 その意味を、何故ケントが知っているのか。顔に疑惑の色が濃くなっていくのを感じ取る。


「僕も試してみたことあるんですけど。あれ、僕も効果が出ないんです。父にも試してもらいましたが、無理でした」

「……何でだよ」

「……。恐らく、あの童謡唱歌は、カイリの心と強く結びついているからじゃないでしょうかね」


 益々ますます分からん。


 そんなツッコミが表情に貼り付いていたのだろう。ぷっと、ケントが小さく噴き出した。


「童謡唱歌は何と言うか、綺麗で切なくて、……まあ、穏やかな良い歌が多いんですよね」

「あー、……まあ」


 カイリは特段歌が上手いわけではない。下手なわけではないが、上手さでいうなら抜群にリオーネの方が上だ。

 しかし、彼の歌を聞いていると、不思議と心が安らいでいく。歌によってはかなり哀愁を帯びているが、何となく気持ちが優しくなれるのだ。


「僕達が聖歌を歌う時って、優しさとかそういうの、あんまり出せないでしょう?」

「いや、知らねえよ」

「……へえ。本当に?」

「――」


 嘘ばっかり、と。彼の目が威嚇いかくする様に細められる。



 ――どこまで知ってんだか。



 痛いところを無遠慮にまさぐられている様な感覚に、レインは誤魔化す様に息を吐く。


「カイリは、あまり歌を攻撃的には歌わないので。童謡唱歌は合っているんでしょうね」

「……、まあ。確かに、攻撃的ではねえな」

「ね? 僕は、どうしても攻撃的になるし。リオーネ殿も、攻撃的ではなくてもあんまり情緒的な光景とか、優しさとか、そういう歌を歌うわけではないでしょう?」

「あー……」


 彼女が使う百人一首は、かなり情熱的だし情緒もある。

 だが、その後に続く彼女が作る適当な歌詞は、その時の効果に合わせて即興で作るのだ。そのため、カイリがこの前歌った様な風情溢れる雰囲気には程遠い。


「聖歌騎士が歌う聖歌は、どうしても実戦を意識する。……でもカイリは、これからも実戦で使ったとしても、情緒や優しさを忘れないでしょう」

「……」

「だから、童謡唱歌はカイリの聖歌です。そして、彼にしか歌えない。……あの歌は、攻撃にはおよそ向いていない」



 優しい彼らしい、彼だけの歌です。



 そう告げる彼の表情も、とても優しかった。遠くに見るその眼差しに、カイリに執着する一端を垣間見た気がした。

 自分には無いものを、カイリに見ているのか。

 昔から、と彼は口にしていた。その優しい強さに、彼は何かを感じ取っていたのかもしれない。

 周りは敵だらけで、悪意に晒され、陥れられ、足を引っ張り合うこの世の中で。



 カイリは確かに、その真逆を行く様な性格だった。



〝俺は! 第十三位の一員だ! 彼らを侮辱する奴らは、俺が許さない!〟



 第十三位の悪意をばら撒かれ、レイン達の過去を暴露し始めた輩に、カイリは真っ向から激怒した。

 軽蔑すると吐き捨て、殴られても立ち向かって、彼は本気で怒った。



 レイン達のために、怒った。



 そういう人間は久々に見た。

 第十三位を逃げも隠れもせずにかばう人間は、初めて見た。

 その上。



〝レインさんが、俺が聖歌を悪用するかもしれないって思ったその時は。貴方が、俺を殺して下さい〟



 ――あの決意表明は、正直



 信頼されていないと知って、彼は宣言してきた。

 あれは、己を信頼して欲しいというだけではなく、レインを安心させるためにも言ったのだろう。

 レインが、カイリを危険人物だと思っているから。

 だから、いざという時は殺してでも止めて良いのだと。

 自分より六つも年下の人間に、何てことを言わせたのか。あの時は流石に罪悪感を覚えた。


 あれからも、カイリはレインに変わらず笑いかける。


 レインが探る様な視線を向けたら、逃げずに真っ向から受け止めてきた。

 あの夜の誓いを、彼は全力で立証しようとしている。それが伝わってくるからこそ、レインは戸惑いばかりを覚える。

 聖歌が嫌いだった。聖歌を歌う人間はもっと嫌いだった。

 けれど。



〝俺は、聖歌が……俺が歌う歌が、好きです。これは、俺の大好きな歌だから〟



 レインは、彼の聖歌が嫌いではない。

 むしろ。



〝私の歌は、貴方のために捧げる。だから――〟



 彼女の歌とも違う、カイリの聖歌が。

 自分は。


「……ふうん」


 物思いに沈んでいると、ケントが面白くなさそうに漏らした。

 何だと見上げると、彼は本気で不満だった様だ。ぷくっとフグの様に膨れている。



「……何だよ?」

「レイン殿って、……カイリのこと、別に嫌いではないんですね」

「――、……」



 即答出来なかった。

 それこそが答えになってしまったことに、レインは今日三度目の舌打ちをする。


「オレは、……」

「ま、良いですけど。好きでも嫌いでも。あ、でも、カイリのことあんまり傷付けないで下さいね」

「……あ? オレは別に」

「結構傷付けてそうですけど」

「……」


 否定は出来ない。


 レインが聖歌に抱く問題のせいで、カイリには時々素直に接することが出来ない。

 いや、ある意味素直になるから、カイリを試す様なことばかりするのだ。よく彼は自分を恐がらないものだと感心もする。

 実際は恐くは思っているのかもしれないが、慕ってもくれているのだろう。頭を撫でると恥ずかしそうではあるが、嬉しそうな空気もかもし出す。

 ああ、とレインは嘆く。

 確かに、ケントの言う通り。



 ――彼は、優しい強さを持っている。



「……ったくな」



 がしがしと頭を掻いて、レインはふと前を見る。

 いつの間にか丘の上に辿り着いていたらしい。ゆっくりと茜色の日差しが街中に沈んでいく姿が、とても眩しくレインには映った。

 ゆったりと穏やかに街中が輝き、茜色と夜を匂わせる紺色が混じり合っていくその光景は、心を震わせるほどに壮大だった。



 まるで、カイリの歌の様だ。



 そう思ったのは、レインだけではなかっただろう。ケントも、眩しそうに目を細めて微笑んでいる。


「……カイリなら、こういう時に歌でも歌うかね」

「そうですね。……この情景にぴったりな歌を歌いますよ」


 誇らしげにケントが言い切る。

 まるで自分のことの様に自慢する彼がおかしくて、レインは遠慮なく噴き出した。



 その夕暮れのおかげだろうか。

 いつの間にかレインの心は、ぐ様に穏やかになっていた。


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