第102話
ぱちっと、不意にカイリは目を覚ました。
聖歌の訓練が終わってベッドに寝転んだ後、本当に眠ってしまったらしい。窓の外から差し込んでくる光は、既に日差しではなく月明かりに変わっている。
上半身を起こして時計を見ると、もう七時を半ばまで回っていた。
「え、……うわっ。もうこんな時間っ」
夕食の時間は
起き上がる際、ぱさっと体の上から何かが滑り落ちる。
「……、毛布」
いつの間に、とカイリはかけられていた毛布を見て握り締める。人の優しさに触れて泣きたくなったが、今はそれどころではない。衣服を整え、食堂へと急ぐ。
起き立てで覚束ない足取りのまま、扉を開けると。
「おお、カイリ。起きたか」
中に踏み入れると、もう既に全員が席に着いていた。フランツが優しい笑みで迎えてくれたが、食事は開始されている。
食の進み方を見ると始まったばかりに見えるが、遅刻した。激しく落ち込む。
「すみません。遅くなりました」
謝って入ると、フランツが穏やかに首を振った。
「いや、構わない。どうだ、ゆっくり眠れたか?」
「……はい。おかげさまで」
寝るつもりではなかったのだが、本当に気が緩んでいる。
己の情けなさに失望しながら座ると、リオーネがぽんぽんと肩を叩いてきた。
「フランツ様、カイリ様のために今日は好物を作ったんですよ。笑顔で頂きましょう」
「え?」
好物、と聞いてカイリは改めて食事を見下ろした。
席の前の大皿の上には、大量のカツがどでんと偉そうに居座っている。他人の皿と比べてもカイリだけ量が多く、思わず二度見してしまった。
「ん? 好物ではなかったか?」
「い、いえ。確かに大好物ですけど……」
どうして、それを。
今までも出てきたことはあったが、大好物だとは口にしなかった気がする。
だが、疑問はすぐに解けた。
「カーティスの手紙に書いてあったぞ。『俺のカイリは、カツが大の大の大好きでな! そのメニューが出てきた時のあの輝かしい笑顔と言ったら! いつも美味しそうに食べるカイリだが、カツの時は特に極上の天使の笑顔なんだ! そう、天使! カイリは食べる天才だ!』とな。確かに、カイリはカツの時は特に嬉しそうだから、作り甲斐があるぞ」
父さん、何てことを書いてくれたんだ。
朗読する様に暗唱され、カイリは顔を覆って突っ伏した。食べる天才って何だ、と切に訴えたい。
本当に、フランツ宛の五十枚以上の手紙に何が
「ま、食べろよ。団長、お前のために張り切ってたぜ」
「え。……そうなんですか?」
「うむ。少しでも食べて活力にすると良い」
「……っ」
力強い笑みに押され、カイリの鼻の奥がつんと痛くなった。
心配をかけてしまっているとまたも落ち込んだが、同時にその優しさが心に沁みる。いただきます、と手を合わせてカツに
途端。
ざくっと香ばしい食感と、じゅわりと溢れんばかりの肉汁が舌の上に広がった。
さくさくした衣の食感に、溶け合う様にたっぷりの肉汁が染み込んでいる。肉の弾力も素晴らしいのに、噛めば噛むほど柔らかく
「……、美味いっ」
「そうか! ……良かった。成功だな」
「……フランツさん、本当に美味しいです……っ。ありがとうございます……!」
食べる手が止まらない。
もきゅもきゅとご飯と一緒に食べ進めていくのを、フランツが笑顔で見守ってきた。レイン達も微笑ましそうな中、シュリア一人だけが呆れた眼差しを向けてくる。
「まったく……子供ですわね」
「仕方ないだろ。美味いんだから。シュリアがいらないなら俺がもらうからな」
「意地汚いですわ! 誰がいらないって言ったんですの!」
「シュリア」
「言ってません! 全く、本当に生意気ですわ!」
きーっと叫ぶシュリアはもう無視し、カイリはカツを存分に堪能する。
母の手料理も最高だったが、フランツ達の料理も並ぶほどに美味だ。食事を楽しめるという幸せに、カイリは深く感謝した。
「美味しい! お代わりしますっ」
「あ。では、私がつぎますね」
「ちょ、リオーネさあん! は、駄目っす! 新人! ボクがつぎますよ!」
「……ああ、うん。ありがとう」
「あら。エディさん、ほっぺたにご飯粒がついていますよ?」
「え? あ、え? ど、どどどどどどどこ……!」
「じゃあ、カイリ様。もらいますね」
「……ああ、うん。ありがとう」
にっこり笑顔で茶碗を持って行くリオーネに、カイリは同じ言葉しか返せない。エディを手玉に取るその手腕に、心の底から感心した。ああはなりたくない。
結局リオーネについでもらい、真正面から殺す様な眼力を向けてくるエディは無視をしながら、カイリはカツを頬張る。
いつも通りの空気。何も聞かずに、楽しい空気を作ってくれる仲間。
――何だか、泣きたいな。
好物だという以上に、フランツ達の心遣いが沁みる。
美味しくて、温かくて、ぽっかり空いた穴が少しだけ埋まった様に感じた。一人では無いのだと改めて実感する。
そう。
〝君の両親が、君を連れて村を出て行くと言った時、出て行けば! こんなことにはならなかったのに!〟
――そうだ。
一人、では。
「食べながら聞いてくれ。みんな、次の任務だ」
「……っ」
フランツが唐突に報告してくる。一瞬びくりと肩が跳ねそうになったが、根性で堪えた。
任務という単語に、みんなが揃って顔を上げる。
「エミルカの北部の街から、子守りを頼まれた。三日後には出立するから準備をしておいてくれ」
「こ、子守り?」
意外な内容に、カイリがきょとんと目を丸くする。
だが、他の者達は特に疑問は無いのか、それぞれ了承して食事を再開した。
このままだと何も分からないまま任務に突入しそうだ。取り敢えず疑問を提示する。
「あの、フランツさん。子守りって?」
「そのままの意味だ。ル……、あー、レアーナという孤児院からの依頼でな。一ヶ月後……つまり七月初めくらいまで、子守りをして欲しいそうだ」
「へえ……」
子守りまでするのか。第十三位は本当に何でもやるらしい。
確か、気に入らなければ断るとも言っていた気がする。彼らにとっては、受けてもよい依頼ということなのだろう。
一体どんな子守りになるのだろうか。特にシュリアは出来るのかと、少しだけ失礼な想像をしてしまう。
「それで、……任務先は何処なんですか?」
「うむ。……まあ、二週間ほどかかるところだ。子守の期間も厳密には決められていないから、誤差が出ても構わない」
「え? 誤差? えっと」
「なるほど。つまり、少しくらい寄り道したとしても依頼主は文句を言わない。そういうことですわね」
「え……」
寄り道。
フランツは確か、エミルカの北部からの依頼だと言っていた。カイリが住んでいた村も北に位置する。
思わずフランツを凝視すれば、彼は変わらぬ笑顔で堂々と宣った。
「実はな。お前の村にも近いんだ、カイリ」
「……っ」
「エリックの遺骨を納める良い機会でもあるだろう。全員で墓参りをする余裕もある。任務前に行くぞ」
「……フランツさん……」
全員の顔を見渡せば、それぞれが笑いかけてくる。
つまり、任務をダシにして里帰りをする。フランツがその機会を作ってくれたのだろう。
カイリが落ち込んでいたから、取り計らってくれたのか。己の惰弱さに頭を抱えたかったが、彼らの気持ちが嬉しくて目の前が滲んでいく。
――きちんと、折り合いを付けたい。
村に帰り、両親達と向き合って話をしたい。
せっかく彼らが作ってくれたこの機会を、決して無駄にしたくはなかった。
「……ありがとうございますっ」
「うむ。良い里帰りにするぞ」
「はいっ。……山菜とか、美味しいんですよ。案内しますね」
「おー! それは楽しみっすね! 山菜、好きなんすよ!」
「そっか。じゃあ、エディに色々見せなきゃね」
「楽しみっす!」
目をきらきらと輝かせるエディに、カイリも心が弾む。本当に山菜が好きなのだなと、意外な一面を知って嬉しくなった。
そんな風に和んでいると、レインが「でもよ」と肘を突いてフランツに尋ねる。
「よく、都合良く任務があったな?」
「ああ。まあ、前から手紙は届いていたのだが、無視をしていた」
「む、無視!?」
割と薄情な返答に、カイリの体が跳ねる。
だが、フランツは事もなげに「うむ」と頷いて。
「死んだ妻の妹が依頼主でな。子守、というのは口実だろう。少しは顔を見せろ、さっさと来い、無視するな、などなどな。……色々口うるさいから、会うのが面倒だったのだが……まあ、仕方がない。耳を塞ぎ、目を閉じながら二週間を過ごそうと思う」
仰々しく腕を組み、フランツは自慢にもならないことを胸を張って宣言する。
死んだ妻、という単語にカイリは引っ掛かりを覚えたが、手紙が来るということは疎遠ではないのかもしれない。
ホッとしたのもつかの間。
「……死んだら、骨は拾ってくれ」
「……」
物騒な覚悟を述べるフランツに、カイリをはじめとした第十三位の団員は一抹の不安を覚えたのだった。
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