Banka9 俺の歌は、何処に

第100話


 初任務を終え、三日が経過した。

 昼食も終え、聖歌の訓練も終え、カイリは何となくやる気が出ずに自室に戻り、ベッドの上に寝転がっている。


 エリックが首謀者だったあの襲撃の夜。狂信者は全員始末したことを確認し、クリスやフランツが後処理をしていた。


 カイリはあの後、リオーネと一緒に招待客に囲まれて称賛を受けた。

 彼らは、狂信者との戦闘は知らないまま帰ることが出来たのだ。とても楽しそうな笑顔であふれていて、それだけで頑張った甲斐があったとカイリは安堵した。

 だが。



 ――やる気、起きないな。



 村の仇が目の前で亡くなった。

 嫉妬に狂い、魔が差し、カイリを売っただけではなく村を滅ぼしてしまった。

 彼は、最後まで懺悔ざんげはしなかった。

 だが、カイリには何となくその気持ちが分かる。



 懺悔など、出来はしなかったのだ。



 どれだけ悔やんでも、どれほど苦しんでも、起こった現実は変えられない。心からびたとしても、遅すぎたのだ。

 だからせめて、討たれるならば生き残りのカイリにと最後に零していた。

 きっと、彼がずっとカイリを殺したかったのは事実だろう。あの憎悪と殺意は本物だった。

 それでも。



 心のどこかできっと、もう、楽になりたかったのだ。



 嫉妬から始まり、取り返しの付かない過ちを犯し、絶望し、その上村を滅ぼした相手に恭順しなければならなかった。それが彼の罰だとしても、彼は耐えきれなかっただろう。


 だって、彼もきっと、村がどうしようもなく好きだったから。


 村の人達に認められたかったのは、彼らが好きだったから。もう一度振り向いて欲しかったから、褒められた手ではなくても、彼は掟を破って罪に手を染めたのだ。

 大好きな村をその手で滅ぼした後、彼は憎み、生きることを選び、それでもどこかできっと、終わらせたかったのだ。


「……うん。そうなんだ」


 そうなんだ、きっと。


 彼が死んでから、ずっとこんな問答の繰り返しだった。

 何故、彼がカイリのことを狂信者に告げたのか。村を滅ぼした後も狂信者に残っていたのか。

 何故、彼は死んだのか。



 ――何故、自分は彼を殺したのか。



 彼は、最後に何を思ったのか。



 繰り返し、繰り返し。

 もう返らない答えを探しながら、カイリは心の中でぼんやりと問い続け、そのたびに答えを出していた。

 けれど、いい加減にこの問答も終わりにしなければならない。

 何故なら、彼が死のうと、カイリの目標に変わりは無いからだ。



 村の人達と誓った様に、これからも笑って生きて行く。



 目の前で助けられる命があるなら、誰かの命を奪ってでも助ける道を選ぶ。

 彼の犯した罪から目を背けはしない。一歩間違えれば彼と同じだったかもしれないといましめる。今度こそ前世の様な過ちは犯さない。道を踏み外さず、自分が正しいと思う道を歩いていく。

 初めて人を殺し、彼を殺し、命を奪った重さを背負って生きていく。恐怖に飲まれず、怯えに屈せず、直接手は下せなくても、相手の死から目を逸らさずにこれからも剣を握り続ける。

 奪った命を無駄にしないためにも、自分を助けてくれた両親達のためにも、みっともない生き方など出来はしない。

 だから、カイリは前へ進むのだ。

 それは変わらない。これからも。

 けれど。



 胸にぽっかり穴が開いた。



 その表現が一番近い。

 繰り返し問いながら、答えは返らず。それどころか、己への問いに対しても、言い聞かせる様にしか復唱出来ない。

 もう答えは出ているはずだ。進む道は変わらないはずだ。

 けれど。

 憎悪を向けてくる彼に対して、最後まで冷静に対応してきたけれど。

 本当は。



「……、本当、は?」



 声に出して、カイリはぼんやり首を傾げる。音にした瞬間に想いが霧散したのか、視界がぼやけていった。



 自分は今、彼に何を思っているのだろう。

 自分はこの先、本当はどうしたいのだろう。



 ――今の自分は、心の底で何を思っているのだろう。



 自分の気持ちが分からなくて、カイリはころんと心と一緒にベッドで寝返りを打つ。

 見えているはずの明かりが見えなくて、苦しい。手を伸ばしたら届くはずの距離なのに、伸ばせば伸ばすほど遠ざかっていく。


 この三日間。カイリは訓練をしながらも、ただただ無為に日々を過ごしていた。











「……彼の様子は、どうですの?」


 部屋を出て、食堂に入った途端、レインはシュリアにとっ捕まった。

 今日はフランツが料理当番だ。夕食までまだ時間がそれなりにあるのに、もう準備に取り掛かっているとは気合が入っている。よほどカイリが心配なのだろう。親馬鹿爆発である。


「特に変わりはねえよ。ぼけーっとしてるが、ま、受け答えはしっかりしてるし、時間が解決すんじゃねえの」

「……そうですか」


 気まずそうにシュリアが紅茶をすする。エディやリオーネまで集まっているあたり、彼らも相当お人好しだ。

 エディは何かしていないと気が済まない習性なのか、フランツの手伝いを甲斐甲斐しくしている。レインは休める時には休みたい派なので、一切手伝いはしない。人生の基本だ。

 だが。



 ――カイリが来てから、食堂に集まる様になったなー。



 彼が来るまでは、居間や遊技場に集まるのが常だった。遊び道具もたらふくあるし、グラスもワインも用意されている。それぞれが息抜きをしたり、集まって騒いだりするには最適な場所だったのだ。


 だが、カイリが来てからは、何故か自然と食堂に集まるのが習慣になっていた。


 彼が食べることが好きだからだろうか。

 別に、彼が他の場所に行かない、などということはない。レイン達が居間や遊技場で遊んでいるのを見学したり、自身も興じたりはする。その時だって楽しそうではある。

 しかし、彼は何となく食べている時が一番和んでいる気がするのだ。

 だからだろうか。いつの間にか、居間や遊技場ではなく、みんな食堂に足が向く様になっていた。カイリが酒を飲まないのも一因かもしれない。

 今もきっと、カイリが来るとしたら食堂だろうと誰もが思っている。

 良くも悪くも彼が中心になってきているなと、レインは内心で苦笑した。



「しっかしシュリアも可愛いよなー。カイリがそんなに心配かね」

「違いますわ。早く立ち直ってくれないと張り合いがありませんのよ」

「……それを心配って言うんじゃねえの?」

「違いますと言っているでしょう! 耳が腐ったんじゃありませんの!」

「ひっでえ」



 からから笑うと、シュリアがぐいっと紅茶を一気にあおった。お代わり、とエディに催促しているあたり、誤魔化すのが下手くそである。

 シュリアは、あまり心を許さない人間のはずだが、なかなかどうしてカイリとは良い関係を築けている。

 馬が合う、というわけでは全くもってないだろうが、カイリも彼女相手には素に近いものが出ている。本音を言いやすい仲なのかもしれない。最初の頃にぶつかったのも大きいのだろう。


「そういえば、新人。あのエリックっていう奴の遺骨持ってるんすよね? ……それも良くないんじゃないっすか?」


 エディがフランツの作った味噌汁の味見をしながら、気付いたことを指摘してくる。

 それは、レインとしても気になっていた。

 クリスからの任務の後、仕方がないので狂信者ともどもこの国のやり方で火葬をしたのだが。



 カイリはあろうことか、エリックの遺骨を引き取ると言い出したのだ。



 その場にいた全員が渋ったが、彼は教会に渡したくはないと頑として譲ろうとしなかった。

 本当はレインとしては最後まで反対したかったが、無表情に近い彼の願いをフランツがみ取った。

 おかげでレインは今、カイリと同室であるためにエリックの遺骨と共にいる。正直気分は良くない。


「あれ、何とかしたいんだけどな」

「カイリ様の心境にも、確かに良くはありませんよね。……フランツ様」

「うむ、……」


 何やら考え込んで、フランツが豚肉に小麦粉をまぶしていく。

 いつも思うが、彼のエプロン姿は違和感が酷い。がたいが良いせいもあって、本当にちぐはぐである。


「……村が滅んで二ヶ月近く経つ。ホームシックも入ってきているかもしれんな」

「ホームシックって、……子供ですの?」

「ただのホームシックなら大丈夫だろうが、カイリの場合は故郷を丸ごと失っているからな。おまけに、仇が死んだだろう? 呆けるのも無理はない」


 両親だけではなく、友人もろとも大切な故郷が一夜にして滅亡した。

 その上、すぐに直接の原因である仇が目の前で亡くなったのだ。

 張り詰めていた気持ちが、ぷっつりと糸の様に切れてもおかしくはない。言い聞かせてはいるだろうが、上手く整理がつかないのだろう。



〝――ありが、とう〟



 不意によみがえったのは、『彼女』の最期だ。

 ふざけるな、と声を荒げたかったのに、結局最後まで出来なかったのが心残りだった。

 あの時は、レインもかなりの間茫然自失としていた。どうすれば良いのか、何故生きているのか、答えの出ない迷路に突っ込んだものだ。

 だから、カイリの気持ちは分からなくもない。

 それに。



 ――最後まで、冷静だったしな。



 その前の晩のレインとのやり取りの影響もあるかもしれないが、エリックと対峙したカイリは不気味なほどに冷静だった。

 強いと言われればそれまでだが、彼はまだ十六歳だ。おまけに、あれだけ悪夢にうなされるほど苦しんでいる人間が、そんなにすぐに感情を飲み込めるものだろうか。

 レインが、『あの時』声を荒げなかったのを心残りに思っている様に。

 カイリも、もしかしたら。そんな可能性が脳裏をよぎった。


「……団長。何か、言い訳考えてやったらどうよ」

「……言い訳か」

「一度踏ん切りつけとくのも悪くはないぜ? ……あいつを、これからも第十三位で活躍させたいんならな」

「……うむ」


 そうだな、とフランツの視線が一定の場所で停止した。何か考えがあるのかもしれない。

 少しだけ重苦しくなった空気に、レインが肩をすくめて食堂を後にする。正直、息が詰まるのはご免だ。


「外にでも出るか」


 娼館にでも行って、気を晴らすのも良いだろう。行きつけの場所は気安い仲の人間も多く、深く突っ込んでもこない。非常に楽な場所なのだ。

 思って、その足で玄関に向かう。ついでにと覗いた郵便受けに、いくつか手紙が入っていた。

 その中にフランツ宛へ『アナベル』という人物からの手紙も見つけ、後で届けてやるかと取り敢えず放置する。

 いつも届く女性の名前だなと思ったが、詮索はしていない。定期的にやってくるその手紙を、フランツは絶対人の前で開けはしないから、何かあることだけは気付いている。

 だが、些末事だ。心底どうでも良い。

 他には、カイリ宛ての手紙も見つけた。こちらもよく見るハリエットという少女からの手紙だ。


 ――そういや、初めての手紙の時、あいつ泣きそうになってたんだよなー。


 一緒に届いたくまのぬいぐるみを、時々安定剤代わりに抱き締めているのをレインは当然知っていた。

 今も、抱き締めて心を落ち着けていたりするのだろうか。子供っぽいと何故か思えないのも、彼が苦しんでいる姿を知っているからだろうか。


「……あー」


 部屋にいるだろうカイリを思い出し、レインは思いきりがりがりと頭をく。どうでも良いだろと毒づきながらも、結局彼のことを考えている自分に呆れしか募らなかった。

 レイン自身あまりぱっとしない気分を抱えたまま、玄関を開けた矢先。



「――、……あんた、何してんだ?」

「いやあ、……ははは。こんにちは、レイン殿」



 物陰からこそこそと怪しく窺ってきたのは、第一位団長であるケントだった。その怪しさや、泥棒にでも入るかの様な挙動不審さで、顔を知らなければ即捕えていただろう。

 自然と白い目になっていくレインに、ケントは頬を掻いて、ちらりと中を窺う様な素振りを見せた。彼が気になることなど、一つしかない。


「カイリか? 呼んでくるぜ」

「え? ……い、いいいいいいいえ! ま、待って!」


 がしいっと、戻りかけたレインの腕を全力で掴んでくる。あまりに強い力で、彼の指が腕に食い込んできた。

 遠慮なく振り払えば、にこにことケントが笑う。その笑顔がどことなく焦っていて、益々不信感が拭えなかった。


「何だよ。あいつに用があるんじゃねえの?」

「いやあ。……何だか、顔を合わせづらくて」

「あ?」

「だって、……僕が最後、殺したんだし」

「――」


 殊勝なことを言うものだ。


 団長としての毅然きぜんとした彼を知るレインとしては、意外過ぎて言葉が出てこない。

 確かにカイリといる時は、今まで見たこともない様な子供っぷりだったが、少し演技ではないかと疑っていたのだ。

 だが、少なくともカイリに対する態度は演技ではないらしい。演技も混ざってはいるだろうが、本気で彼を友人だと思っている様だ。



 ――エリックを殺したがってたくせにな。



 ケントの黒い望みは、晩餐会に参加すると言い出した時からレインにもひしひしと伝わってきた。

 だから、最後の引導は彼に任せたのだ。そして、正しく彼が討ち取った。

 それなのに、彼は今になってカイリと顔を合わせにくいと言う。

 思い返してみれば、火葬をしていた時のカイリの様子を眺めていた時、彼は少し沈んだ顔をしていた。あの結末に関して、色々考えているのかと気付く。


 ――随分ずいぶん、矛盾した心を持ってんな。


 黒い望みを貫きながら、後悔はせずとも悩み惑う。

 レインはこの時初めて、彼を人間らしいと思ってしまった。


「……じゃあ、何しに来たんだよ」

「いやあ。……会いたいけど、今は会いづらいって言いますか」

「……」

「……正直、カイリのことだから悩んでいるんだろうなあ、とも思いますし」

「……」

「……。……ああ、レイン殿! 少し、お話しません?」

「ああ?」

「だって、空振りするのも来た意味ないし。――僕のこと、知るチャンスですよ?」


 ね? と良い笑顔で誘ってくるのは、やはりケントそのものだ。彼はただでは転ばない。

 そして、こちらこそ彼の本性だとレインは確信を抱いている。

 とんとんと、彼は自身の胸元を二度、人差し指で叩いた。何の儀式か気にはなったが、どうせ突っ込んでも良い返事はもらえないだろう。故に、その点に関しては無視をする。


「……別に良いぜ」

「そうですか! じゃ、少し歩きましょうか」


 笑いながら、ケントは渡り廊下から跳躍し、外に飛び出す。

 その先にあるのは見晴らしの良い丘なのだが。



 ――野郎と二人ってのもな。



 これが可愛い女の子だったらと嘆きながら、レインは彼の後を大人しく歩くことにした。


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