第99話


 終わったか。


 第十三位の聖歌とクリスの誘導により、招待客に混じって移動したゼクトールは、終焉しゅうえんを悟った。今は一人離れ、喧噪けんそうからは遠ざかっている。

 遠くの庭にいる招待客達は、未だ聖歌の素晴らしさに興奮している様で、しきりに褒め称えていた。普段は第十三位を忌避しているのに、現金な連中である。


 だが、彼らの感想に異論はない。


 あれは、恐らくカイリが主導した聖歌だろう。リオーネという少女の聖歌は、全く雰囲気が異なるものだったはずだ。

 あの郷愁を誘う様な切なくも優しい雰囲気の歌は、今まで聞いたことがなかった。ゼクトール自身、聞き惚れてしまったのは間違いない。

 しかも。


「……随分と、力が強い」


 第一位との試合でもそうだったが、相手の聖歌を打ち消すだけはある。

 食らってみるまでは分からなかったが、今回の歌には二重の効果が表れていた。

 一つは、ゼクトール達に対する紅葉の幻覚を見せるもの。

 もう一つは、別の者達に対して幻覚を見せるもの。

 歌を『探って』みなければ理解は出来なかったが、ゼクトールは探るのが得意だ。自分にかかってはいない効力でも、見ようとすれば『見れる』。


「……まあ、この石のおかげではある」


 普段は衣服の中に隠れて見えない胸元に、手を当てる。ころっと、膨らみを指の先で確かめ、ほのかな熱を噛み締めた。

 そこには、家に代々伝わる石がぶら下がっている。ゼクトールの家、ロードゼルブ家は、生まれた時に自分に一番相応しい石を授かるのだ。

 当然、同じ石を授かる者もいる。――ただ一つの例外を除いては。



「……、カイリ、か」



 泣く子も気絶するほど怖い顔をしているらしいゼクトールに対して、笑いかけてきた少年。


〝おじいさんは、いつも彼らに餌をやっているんですか?〟


 広場での会話を思い出し、渋面になってしまった。自然と眉間にしわが寄る。

 純朴で真面目そうに見えるが、かなり頑固で真っ直ぐだ。それに、予想外にも自分の意見をはっきりと言えるらしい。

 流石は。



「――こんにちは、ゼクトール卿」

「――」



 声をかけられ、ゼクトールは思考を中断する。

 微かに気配はしたが、完全に隠すつもりは無かった様だ。振り向いて、挨拶の主を見据える。


「ケント殿であるか」

「はい。こんなところで、一人黄昏てどうしたんです? カイリの歌の余韻に浸っているのでしょうか」


 目を細めて笑ってくるケントは、無邪気とは程遠い表情をしていた。

 人を食った様な、刺す様な、それでいて全てを掌握する様な不敵な笑み。

 カイリに見せるものとは、まるで種類が違う。弱冠十八歳にして第一位の団長になった、底の見えぬ不気味な圧迫感が取り巻いていた。



 ――本当に、彼の前では随分と猫をかぶる。



 屋台街や広場では、ゼクトールに圧倒される様な演技をしていた。

 だが、本来ケントは枢機卿であるゼクトールに対してもいつだって不遜な態度だ。それが、カイリの前ではそれなりに普通に振る舞うのだから、やはり彼は食えない。


「……そうではあらん。……どうせ、もう知っているのであろう」

「ええ。第十三位の監視役に選ばれたそうで。おめでとうございます。流石、教皇と昵懇じっこんの間柄なだけありますね」


 にこりと笑う目は、笑っていない。

 彼は年若いが、ゼクトールとしては油断ならない相手だ。彼に、胸中を悟られる愚かな真似はしたくなかった。


「本当にそう思っておるのか」

「さあ。どうでしょう?」


 とぼけた様に、ケントがほくそ笑む。目を細めて笑う顔は、ゼクトールがよく知る笑みだった。

 むしろ、カイリの前ではしゃぐ彼を見た時は、一瞬目を疑ったものだ。あれだけ子供の様にじゃれる彼など天変地異が起こってもありえないと思っていた。

 しかし、実際に起こった。今回の任務に率先して参加したことといい、ゼクトールには意外なことだらけである。


「……無事、狂信者は始末出来たようであるな」


 驚天動地の一点を口にすれば、ケントは「ああ」と興味なさげに笑顔を落とした。

 冷たい、というよりは心底どうでも良さそうな眼差しである。彼が常に他人に向けているのと同じ類の瞳だ。


「貴方が始末したのも含めて、ええ、全て」

「……うむ。一人、逃げようとしていたのでな。余計なお世話ではあると思ったが、潰しておいたのである」

「本当は父がやるつもりだった様ですけどね。……最初から、あの上司っぽいのは逃げるつもりだったのでしょうから」


 つまらなさそうな響きに、ゼクトールも同意する。

 今回の襲撃は、最初からかなり雑だった。いくらカイリの聖歌の力を欲していたとしても、普段の狂信者ならもっと慎重に行動する。しかも、クリスやケントといった、狂信者の中でもかなり警戒されている者達がいる任務に突っ込むなど文字通り自殺行為である。

 それでも、カイリを知る青年を使い、実行した。



 要するに、邪魔者を切り捨てるための作戦だったということだ。



 あの青年が、よほどの剣の使い手だったり、情報収集に長けているというのならば、狂信者も取り入れるために至れり尽くせり手を貸しただろう。カイリを確実に手に入れる算段も一緒にしたかもしれない。

 だが、ゼクトールの目から見ても、平々凡々。何の取り柄も無い、極々普通の青年だった。

 狂信者にとっては、どうでも良い存在だったのだ。しかも、最重要事項である捕獲対象の聖歌騎士を憎み、殺しかねない人間を手元に置くなどもってのほかである。

 故に、体裁だけ取り繕い、教会の人間に抹殺させた。一緒に、適当に手に余る底辺の者達を見繕って、カイリにけしかけたのだ。その見繕う様指示された上司でさえ使い捨ての駒だったのかもしれない。



 だが、敵にお膳立てされていると分かってはいても、カイリと仲の良いケントやクリス、そして第十三位が黙っているはずがない。



 己の手を下さず尻尾切りも出来るし、教会側を不愉快な気持ちに落とせる。

 なかなかに憎い嫌がらせをしてくれたものだ。少なくとも、ケント達にとっては不快極まりないだろう。


「相手も、とっくにカイリの周辺は洗っていたでしょうしね。捕まえたエリックから情報を聞いた時点で」

「うむ。……自分の手は汚さず、か。ここが聖地だから、というのもあるであろうが」

「まだ自分勝手な行動を起こす輩は多いようですが。……ここ数年の狂信者は、すぐに捕獲者を殺さなかったりなど、ある程度知恵が回る様ですね。頭が変わったのでしょう」

「ケント殿が、まんまと乗らざるを得ない程度には、であるか」

「ええ。実に腹立たしいですが。カイリのためなら、悪くはありませんよ」


 いけしゃあしゃあと言ってのけるケントに、ゼクトールは目を細める。ここまで彼が誰かに入れ込むとは珍しい。


「まあ、カイリをこれ以上煩わせる様なら、そろそろ本格的に殲滅の計画を立てなければなりませんが」

「……冗談に聞こえないところが恐ろしいのである」

「冗談ではありませんからね」


 肩をすくめ、ケントはうっすら笑う。目がまるで笑っていないあたり、彼は本当に不穏の塊だ。正直敵に回すのはしんどい。

 そして、彼はこんな雑談をするためにわざわざ時間を割いたりする人間ではない。



「……わしに用があるのであろう。何であるか」

「じゃあ、単刀直入に。どうして、カイリに近付いたんです? それも、教皇の指示ですか?」



 さて、何と答えようか。

 迷って、ゼクトールは彼の瞳を探る様に距離を保って覗き込む。

 彼の瞳はある意味純粋だ。どんな人物も信頼せず、真っ黒な感情を抱きながら突き進む。

 その真っ黒な感情をカイリにさえ向けているのに、それでも『カイリ』という例外を作った。家族以外であんな風に無邪気な笑みを向ける相手を、ゼクトールは他に知らない。


「……どちらでも、ケント殿には変わりないであろう?」

「いいえ、変わります。答えと理由如何いかんによっては、遠慮なく排除するつもりなので」


 あっけらかんと、爽やかに言い切られた。

 隠すということをまるで知らない子供の様に、彼は宣戦布告をしてくる。

 おかしい。彼が、ある事柄に関して水面下で機会を窺っているのは知っている。それは、ゼクトールにも通じるものだ。

 故に、お互いに動向は見て見ぬふりをしていたのだが、カイリに関してだけは異なるのだろうか。



 それほどまでに、カイリは、彼にとって価値ある存在なのか。



 普段の他者に対する反応からはかけ離れ過ぎていて、原因が想定しにくい。これほどやりにくい者はいなかった。

 思考を散らしている合間にも、ケントの笑顔の刃がゼクトールを寸分なく捉えてくる。気を抜けば、頭から足元まで一刀両断されそうな殺意に、観念する様に嘆息した。


「……教皇のお気に入りとは思えん所業であるな」

「ご冗談を。教皇は、僕の手綱を最初から握れていない。そんなこと、ゼクトール卿だってお分かりでしょう」

「そうであるな。確か、初対面で……『面白いから、言うことは聞かないけど協力してあげる』だったか」

「そう! 流石、ゼクトール卿。……まあ、あの程度だったら、僕の足元にも及ばないから。あんな変態じじいじゃ、何も出来ないでしょう?」


 ねえ、と確認というよりは、核心を抱いて念押ししてくる。ゼクトールとしても異論は見当たらない。

 教皇は、この国で最高権力の持ち主だ。絶対的な権威を持ち、逆らえば『洗礼』で強引に調教し、言うことを聞かせる。または、人質を取る。または、――禁忌の手段に手を染める。

 身分も絶対的に上なので、逆らう者はそうはいない。それこそ、教皇だけではなく、教皇を守るあらゆる者達をねじ伏せるだけの圧倒的な力が無ければ、異を唱えることは不可能だろう。



 ケントの力は、凄まじい。彼は、第一位と教皇、近衛騎士団全員を敵に回しても、涼しい顔で切り抜けてしまうだろう。



 これで父親の方が強いというのだから、このヴァリアーズ家は化け物揃いだ。

 教皇も、彼らに関してのみは一目置き、ある程度自由を許している。――恐怖を抱いているのは間違いないが、体面的に断言出来ないのが権力者の歯がゆいところだ。

 ケントは、他人がどうなろうと全く興味が無い。今までは、家族に火の粉が降りかからなければどうでも良いというスタンスだった。

 だが。


「……ケント殿は、もし教皇がカイリを取り込もうとしたら、どうするかね」

「――」


 素朴な疑問をぶつけてみる。こちらから、回答は打ち出さない。

 ケントもそれは充分気付いているだろう。

 それでも乗ってくるのは――警告のためか。



「当然、首をねますよ」

「――」

「彼は、僕のものだ。……ああ。教皇にはこの発言、伝えないで下さいね」



 にっこりと、彼は悪戯っぽく人差し指を唇の前に立てる。とても可愛らしく無邪気に微笑む彼は、二十歳とは思えないほど子供っぽい。

 しかし。


「……、……よかろう」


 吹き荒れてくる殺意の乱舞が、肌を切る様に熱い。斬られた傍から灼熱が走り、ゼクトールも気合を入れて足に力を入れる。

 彼は本気だ。それが分かっただけでも収穫である。

 しかし、彼はそれほどまでにカイリに執着を抱いているのか。真っ黒な感情のまま、彼の傍にいたいと思っているのか。

 それならば、好都合だ。



 ――こちらの考えている計画が、ようやく整う。



 内心でほくそ笑んで、ゼクトールはきびすを返す。

 ケントは追って来ない。用事はもう済んだのだろう。ある意味彼は分かりやすい。カイリのことだけで考えるならば、これほど乗せやすい人材は無いだろう。

 とはいえ、彼も全てを承知した上で乗ってくるのは確実だ。どちらにせよ、一筋縄では行かない人物である。

 だが、やらねばならない。


「……エイベルよ」


 古き友の名を唱え、ゼクトールは静かに目を閉じる。

 幼き頃から共に覇者を目指し、この国のために戦い続けてきた無二の友。



 彼は、もういない。



 それが分かっているからこそ、ゼクトールは前へ進むのだ。


「さて、カイリよ。……お前には、何としても生きてもらわねばな」


 頑固で真っ直ぐで、けれど両親譲りの優しさを持った彼。

 果たして、ゼクトールが目指す道でどの様な道化を演じてくれるのか。



「楽しみにしておる。――カーティスの息子」



 届かない声を夜風に乗せ、ゼクトールは今度こそその場を後にした。


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