Banka8 俺の歌の初仕事

第86話


 ケントに導かれ、カイリは彼の屋敷に直行した。玄関の呼び鈴も鳴らすことなく、ケントはカイリを連れて扉を叩き開ける。


「お帰りなさいませ、ケント様。いらっしゃいませ、カイリ様。お待ち致しておりました」

「うん、ただいま!」

「こんにちは、お邪魔します」

「――やあ、カイリ君! いらっしゃい」


 扉の前で待機していた執事のセバスチャンに出迎えられて、すぐにクリスがやってきた。ケントが既に手紙をクリスに送っていたらしく、すぐさま屋敷の中を誘導してくれる。


「ケントから緊急事態だと聞いてね。……ああ、ハリー。すまないけど、エリス達と一緒にお茶をしていてくれるかい?」

「はいはいー、承りましたー。……あらあ、ケント様ー、こんにちはー。カイリさんも、こんにちはですー」

「ああ、こんにちは、ハリー。来てたんだ」

「ハリーさん、こんにちは。……もしかして、お仕事中でしたか?」

「ええー。でもー、こっちは急ぎじゃないのでー、大丈夫ですよー? お仕事、頑張って下さいねー」


 別の部屋から出てきたハリーが、のんびりと頬に手を当てて挨拶をしてきてくれた。仕事の邪魔をしたのに、激励までしてくれるとは本当に心が広い。感謝する。

 こういう気が急いている時だからなのか、彼女ののびのびおっとりした雰囲気を見ると少しだけ楽になった。凄い効果だな、とカイリは内心で感嘆する。それに、どこまでも女性にしか見えない部分も凄いと感心した。


「じゃあ、私も色々準備をしてくるから。ケント、カイリ君とこの応接室で待機していてくれるかい?」

「オッケー! 父さん、早く来てね!」

「もちろん! カイリ君のためなら、仕事も全て無に帰してみせるよ!」

「そうだよね! 仕事なんて二の次だよね!」

「うんうん! じゃあね、カイリ君!」

「え、……あ」


 軽やかにうきうきと去って行くクリスに、カイリは何とも言えない表情になる。仕事を無に帰したら駄目だろうと、激しく突っ込みたい。

 だが、この親子には何を言っても無駄だろう。

 それに、クリスは仕事を放り投げてカイリのために動いてくれているのだ。何から何まで親切にしてもらって感謝すると同時に、迷惑をかけたと落ち込んでしまう。

 落ちていく空気を振り払う様に、カイリは入った応接室のソファに腰をかけた。ふわん、と柔らかな感触が体を受け止めてくれる。それが、波立つ心さえも抱き締めてくれる様で、カイリは泣きたくなった。



 ――何だか、かなりまいってるな。



 ソファに救いを求めてしまった自分に、カイリは苦笑するしかない。ケントがそっと背中を撫でてくれるのも、また苦しくて泣きたくなった。

 こんな風に気遣われると、ケントはやはり年上なのかもしれないと思えてくるから不思議だ。普段は同じ年齢にしか見えないのに、懐が深いと思ってしまう。気の迷いだろうか。

 そんな風にケントと共に応接室で待機していると、どたどたとやけに慌ただしい足音が聞こえてきた。

 誰だろう。そう思った矢先。



「……カイリっ‼」



 ばんっ! と、ノックもそこそこにフランツが扉を開けて入ってきた。開口一番にカイリの名を呼び、急いで駆け寄って来る。

 珍しく息を切らした姿に、相当心配をかけてしまったとカイリは申し訳なくなった。

 けれど、同時に喜びも込み上げてくる。本当に急いで来てくれたのだと、またも泣きたくなった。



「フランツさん。……すみません」

「何を謝る! お前が無事だったのだ。……知らせをケント殿の伝書鳩から頂いた時は、肝が冷えたぞ」



 カイリの肩を抱いて、フランツが目を閉じる。

 肩に乗せた手は、微かに震えていた。心が震える様に泣くのを感じながら、カイリはフランツの手に己の手を重ねる。


「大丈夫です。ケントもいました」

「ああ」

「……でも、すみません。俺の厄介事、巻き込んでしまいました」

「謝るな。聖歌騎士である以上、当然のアクシデントだ」

「その通りですわ」


 フランツに引き続き、シュリア達が部屋に入ってくる。

 どうやら、全員でケントの屋敷を訪ねてきたらしい。その事実に、改めて見過ごせないほど重大なことなのだとカイリは悟った。


「村からあなたを保護すると決めた時に、我々第十三位は、もうとうの昔に覚悟を決めていましたので」

「へえ? シュリアは、色々言ってたんじゃなかったっけか?」

「うるさいですわねっ。とにかく! あなたが狂信者の手に渡るわけにはいきません。これは第十三位の意地ですわ!」

「……素直に心配と言えば良いだろう」

「フランツ様は黙っていて下さいませ!」


 ぎゃんぎゃんと吼えるシュリアに、何故怒るのかと言わんばかりに首を傾げるフランツ。

 そのいつも通りの様子に、カイリはようやく強張りがほぐれていった。日常がどれほど大切なものかと深く実感する。


「さてさて、よく来てくれたね、フランツ君」


 フランツ達の慌てっぷりの後に、クリスがゆったりと部屋に入って来る。

 にこやかな笑みなのに、どこか不敵に映るのは、今の状況のせいだろうか。カイリには判断しかねた。


「クリス殿。お騒がせして申し訳ない。今回の任務も、危険度が跳ね上がってしまいました」

「いいよいいよ。狂信者は、極たまにこの教会本部に乗り込んでくることもあるからね」

「……そう言って頂けると」

「うんうん。さあ、カイリ君を狙う不届き者は、協力して退治しようか」


 ぱちんとウィンクするクリスに、だがフランツ達の顔が曇る。

 いきなり不穏な空気になった両者に、カイリは思わず交互に見つめてしまった。

 カイリの隣にいるケントはというと、にこにこと笑うだけで無言だ。笑顔の圧力は怒っている様にも映る。

 あまりに不穏が漂い過ぎていて、カイリは思わず声を出してしまった。疑問もあったので、それを解消したいというのもあるが、とにかく何とか空気を変えたい。


「あの、クリスさん。俺、任務に参加しても良いんでしょうか?」

「うん? もちろん。当然だよ!」

「でも、……俺がいなければ、今回の任務も危なくないかもしれないのに」

「駄目だよ。相手は狂信者だからね」


 きっぱりと断言される。あまりに強い物言いに、カイリは一瞬怯んでしまった。

 クリスはカイリの怯んだのを見て、少しだけ眉尻を下げる。ごめんね、と続けた。


「どちらにせよ、カイリ君を狙う輩がいるのなら、カイリ君が危険なままだ。それに、これは君を狙う相手を一網打尽にする良い機会だからね。逃すわけにもいかないんだよ」

「でも、……その」

「それに、君に任務を頼んだことは相手にも知れ渡っているだろう。ならば、どちらにしろ明日の晩餐会が危険なことに変わりはない。むしろ、おとりの意味合いも含めて参加してもらいたいと思っているよ」


 クリスが淡々と、けれど強い意志をこめて告げてくる。

 そこまで言われれば、カイリも引き下がるしかない。分かりました、と軽く頷いた。


「さあ、フランツ君。カイリ君の了承も得たし、良いよね?」

「……クリス殿」


 フランツは、依然として苦い顔のままだ。声も同じく苦り切っている。

 その原因を、カイリは分かる様な分からない様な、曖昧なまま見守った。

 フランツが無言を貫く姿に、クリスが大げさに溜息を吐く。その溜息は先程のケントと同じく怒っている様にもカイリには聞こえた。


「分かっているよね? 今回の任務、依頼したのは私だ。そして、依頼した相手が狂信者に狙われている。立派に関わっちゃってるよね、私」

「……その通りです」

「ある程度のことなら目をつむるけど、相手は狂信者だ。隠し事、しないでくれるかな? 私や私が招く客の命にも関わることだからね」


 ぴしゃりと言い放つクリスに、フランツ達が揃って苦い顔をした。

 だが、クリスの笑みは深まるばかりだ。優しい顔つきなのに、どこか底知れぬ威圧感さえ頭上から覆いかぶさってくる様だ。

 彼は、元第一位団長なのだと、改めてカイリは思い知らされる。この両者の攻防に、エディとリオーネなどは完全に気圧されている様にも見えた。さっきから一言も発していない。


「……冗談じゃないですわ。第一位といえば、教会の中でもいぬ中の狗です」

「うーん、手厳しいなあ。そうだけど」

「そんな相手に、こちらの事情を全て知らせるなんてとんでもないですわ。万が一、上に……」

「上になんて知らせないよ」

「――」


 皆まで言わせず、クリスがね付ける。

 いぶかしげに眉を寄せるシュリアに、クリスは笑いながら、けれど全く笑っていない冷たい目で彼女達を睥睨へいげいした。穏やかな眼差しなのに、圧倒的な気迫が切れる様に吹き付けてきて、カイリは思わず胸元を握り締める。



「第一位は、確かに狗だよ。現に、教会の目論見もくろみ通り、聖歌を歌えるカイリ君を無理矢理追ったり襲ったり、まあ見苦しいことこの上ない」

「でしたら」

「けれど、あんな連中と一緒にされるなんて心外だ。撤回しなさい」

「――っ」



 クリスの顔から笑みが落ちた。

 凍える様な眼差しに、シュリアが初めて息を呑む。隣で黙ったままのレインは、いつもの飄々ひょうひょうとした笑みを浮かべたままクリスを見据えている。

 一触即発の雰囲気に、クリスはふうっと息を吐いた。それだけで、空気が割れる様に響く。


「何のために、話し合いの場をこの家にしたと思っているんだい? 教会で話したら、それこそ誰が聞いてるか分かりはしないよ」

「……つまり、ここで話を止めるために屋敷にしたって言うのかよ?」

「そうだよ、レイン君。君なら、分かってくれると思うけどね」

「……オレならって何だよ。団長だって分かってるだろうさ」


 にっこり良い笑顔を向けてくるクリスに、レインが呆れ気味にフランツを見やる。

 フランツも、選択に苦悩している様だ。眉間にしわが刻まれて、痛々しい。

 それでも尚口を開かない彼に、クリスは少しだけ目を伏せた。何となく、嫌な予感しかカイリにはしない。


「……本当は、君達の口からきちんと聞きたかったのだけどね」


 腰に手を当て、クリスは目を閉じる。

 次に開いたその眼差しには、獲物を逃さぬ鋭さが熾烈しれつに閃いていた。



「ねえ、フランツ君」

「……何でしょうか」

「黙っているのは、カイリ君がカーティス殿のご子息だからかな」

「――」



 カイリの息が止まる。

 だが、反応は極力しない様にした。フランツ達も、息を詰めた様に黙り込んだままだ。

 誰も、下手に反応をしない。フランツが慎重に、口火を切った。



「何のことでしょうか」

「エミルカは、確かに君と多少は縁がある国だけど。今まで近付かなかった国に、急にふらっと訪ねて行ったりするなんておかしいよね。しかもたまたまカイリ君を見つけて保護してきたなんて、都合が良すぎるし」

「……俺は、ただ手紙をもらって知人を訪ねに行っただけです。近くを巡回していたところで、カイリを見つけたのです」

「フランツ君。カイリ君に、黙ったままでいるつもりかい」

「……。だから、何のことで」

「真実を、他者から聞かせることほど残酷なものは無いよ」

「――っ」



 初めてフランツの空気が揺れた。

 何のことだろうかと、カイリは彼を一も二もなく仰ぎたかった。

 だが、そうすればカイリの父がカーティスだと認めることになってしまう。

 だから、ゆっくりと顔を上げて自然になる様にしたが、クリスには溜息を吐かれてしまった。


「カイリ君は、お母様似だね。ティアナ殿だったか。可愛らしい人だったよね」

「っ」

「でも、瞳はお父様そっくりだ。目は大きいけど、若干つり目なのはカーティス殿譲りだし。それに、頑固でちょっと向こう見ずだけど、真っ直ぐで優しい強さは彼そっくりだ。……優しい強さは、ティアナ殿もだったけれど」


 ねえ、と話しかけられて、カイリの息が詰まる。

 彼はもう確信してしまっている。何がキッカケだったのか分からない。以前カイリが話をした時に、何か下手を踏んでしまったのだろうか。

 後悔していると、クリスが「違うよ」と心を見抜いた様に否定した。


「ねえ、フランツ君。私が、カーティス殿を尊敬していたことくらい知っているよね」

「……ええ」

「その私が、カーティス殿のご子息を分からないとでも? 面影がばっちり残っているのに、分からないとでも?」

「……クリス殿」

「それに、彼は大事な息子の大切な友人だ。その彼を、私が敵に売るとでも?」


 笑顔なのに、怒りをはらんだ口ぶりに、フランツが追い詰められているのが分かった。じわりと、彼の首が汗を掻いていることにカイリは気付く。


「く、クリスさん。俺」

「カイリ、良い」

「……フランツさん」

「……本当に。上には、言わないと」


 約束してくれるのか。

 そう問いかけるフランツに、クリスは今までの激怒を一転、曇りなき笑顔で両手を広げた。


「もちろん! ねえ、ケント?」

「当たり前だよ! カイリを傷付ける奴は、教会ごと抹殺するよ」

「そうだね。私もちょっと昔から腹が立っているし。規則ごと荒野にして、一から支配してみようかな」


 冗談に聞こえない。


 過激な発言をする親子に、カイリは思わず白い目を向けてしまう。「その目、良いね!」とクリスに太鼓判を押されてしまって、カイリはもうどう反応して良いか分からなかった。

 だが、それで腹が決まったのだろう。フランツはシュリア達に視線を回し、彼らが仕方が無さそうに頷いていくのを確認した。



「カイリ。……お前には、辛い話ばかりさせるな」



 頭を撫でながら、フランツが申し訳なさそうに目を細める。

 少しでも彼の罪悪感を軽くしたくて、カイリは「いいえ」とはっきりと口にし、首を横に振った。


「俺の問題です。フランツさん達にも、ご迷惑を」

「……迷惑なものか」


 皆まで言わせず、フランツが頭を小突いてくる。

 その叩き方が温かくて、カイリは無意識に目を閉じた。


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