第87話
実を言うと、カイリにはエリックとの想い出がそれほど多くは無い。
カイリが六歳になった頃、エリックは成人してすぐに一人前の行商人になるために旅立っていったからだ。
年に数回帰ってくるだけの彼だったが、いつも優しい笑顔だったことは覚えている。
村の人に可愛がられ、愛されていた人だと思う。
何をさせても器用で、そつなくこなす。困っている人がいたら手を差し伸べて、多くの人に感謝をされる。そんな人だった。
争いごとは苦手で、誰かが喧嘩をしていると進んで仲裁に入っていたのもよく覚えている。
けれど、前から外に出ようとは思っていたのかある程度は鍛えており、三ヶ月も一人で山籠もり出来るくらいには
それでも顔立ちはとても剣を振るう雰囲気ではなく、優男と言っても良いくらいだ。
およそ、戦とは縁が無さそうな青年。
それが、カイリの記憶の中の彼。エリックという人だった。
「カイリ」
当時、チート能力が無いと落胆していた頃。何をしても落ちこぼれのカイリに、エリックは何かと世話を焼いてくれていた。
優しかった。一人で悩んでいたら進んで声をかけてくれて、相談に乗ってくれて。兄がいたらこんな感じなのかなと、想い出が少ないながらも兄の様に慕っていた気がする。
彼と接する機会は、それほどなかったけれど。
「ねえ、カイリ。……歌を、歌ってくれないかい?」
時折、彼はカイリに歌を求めてきた。
理由は知らない。
ただ、カイリは彼の前ではあまり歌いたくないと、いつの頃からか思う様になっていた。
何故なら。
彼はカイリの歌を聞く時、とても苦しそうだったからだ。
歌を聞かせて欲しいと願うのに、いざ耳にすると辛そうに顔を歪める。表情は小さな変化でしかなかったが、カイリは前世の経験上、人の負の感情には敏感だった。気付かないはずがない。
だが、求めてくるのなら応えたい。
そう思っていつも、カイリは彼が求めてくれば歌っていた。
けれど。
何故、彼は歌を聞く時、いつも優しそうな目の奥で苦しそうにするのだろう。
その理由を知ることを、カイリは小さなしこりの様に、ずっと少しだけ恐れていた。
「それで、カイリ君。君の村を襲った元凶がいるかもしれないっていう話だったね」
椅子に座って、改めて話し合いが開始された。
クリスの質問に、カイリは小さく頷く。
「はい。エリックさん、と言います。俺より十くらい上で、同じ村出身の行商人です」
「行商人か。……何故、彼が元凶だと分かったのかな?」
直球な質問に、当然な流れであるのにカイリは詰まった。
一度大きく息を吐き、カイリは腹の底に力を入れる。
「俺の村では、決まりがありました。それは、俺の歌は決して村の外の者には聞かせてはいけない、というものです」
「……」
「みんな、俺の歌が好きだと言ってせがんできてくれたけど、村の外の者がいることが分かった時は、歌うのを禁止されていました。……理由は知らなかったけれど、今思えば俺の存在を教会や狂信者から隠すためだったんですね」
小さい頃から、世界のことも必要最低限以下にしか教えられてこなかった。歌のことはもちろん、村の外に出るなと暗に言われてきた。
それは、こういう事態を避けるためだったのだと今なら分かる。
カイリが話す隣で、フランツが
だが、覚悟を決めたのか、はたまた先程のクリスとのやり取りで観念したのか、ゆっくりと口を開いた。
「カーティスからの手紙を読んだが、カイリについてはかなり慎重になっていた様だ。……お前が歌を歌えると知った時、お前の両親は最初、村から出ると決めたらしい」
「え?」
初耳だ。そんな素振りはまるで無かったのに。
カイリが声を失くしていると、フランツが続けてくれた。
「だが、村長や村の大人達が、それに大反対したのだそうだ。子供に、そんな迫害される様な窮屈な暮らしをさせてはいけない。ならば、狭い箱庭でものびのびと育って欲しいと」
「……っ」
「教会はともかく、狂信者に知られれば、ほぼ確実に全滅だ。よほどの覚悟が必要だっただろう。だが、村は最終的に全員でその選択をした。……子供達には、悪いことをしたと苦渋の念を抱いていた様だが」
「……、そうですか」
どれだけ村の人達に愛されていたか、身を
泣きそうになったが、懸命に噛み殺した。今は、話が先だ。
「話を戻しますね。……ある日、教会騎士と名乗って村に男女がやってきました。狂信者です」
「……カイリ君を狙って?」
「はい。エリックさんからこの村のことを聞いたのだと。……色々あって、もう、俺に狙いを付けていたのは明らかでした。それで、村の協力を受けて逃げることになったんですけど、……」
母と別れ、連れられた父に逃がされ、村は焼かれ、目の前でミーナが死に、ラインも命懸けでカイリを守って死んだ。
あの業火と真っ赤な血が、目に焼き付いて離れない。
自分がいたから、みんなは死んだ。
その事実が、身を焼く様に追い詰める。
「カイリ」
「っ」
「大丈夫だ」
とんとんと、フランツに優しく背中を叩かれる。
そのおかげで、落ち着きを取り戻した。情けないと落ち込みながらも、カイリは食い縛って続ける。
「その後、エリックさんがどうなったのかは知らなかったんですけど。さっき、ケントと広場にいた時にそれらしき人物を見かけました。それを追いかけたら、狂信者が俺を襲ってきて、ケントが撃退してくれました」
「……うん。なるほど」
「彼が本当に狂信者に身を寄せているかは分からないんですが……」
「寄せているだろうね。じゃなきゃ、とっくに死んでいるよ」
甘い考えを切り捨てる様に、クリスが結論を下す。
他の者達も追従する様に頷いたので、確定なのだろう。カイリは、唇を噛み締めて
「前に言いましたわね。騎士に無条件でなれる方法が二つあると。一つ目は、聖歌を歌えること」
「うん。だから、俺は聖歌騎士になれたんだよね」
「そうです。そして二つ目は、聖歌を歌える者の存在を教会に進言することですわ」
「……っ」
唐突に真実を暴露され、カイリは打ちのめされる。
フランツもシュリアも、以前エリックはのぼせた、おだてられたと口にしていた。
それは、これが理由だったのか。
エリックが教会騎士になるために、カイリは、――村は生贄にされた。その事実が、今まで以上に重くのしかかる。
「聖歌語で歌ったことはありましたの?」
「いや、無いよ。あの、……みんなを送る時に歌ったのが初めてだった」
「はあ。ほんっとうに踊らされましたわね。ただ歌を歌えるだけでは、条件は満たしません」
聖歌の定義を知った今のカイリなら理解出来る。
騎士になる無条件の二つ目は、『聖歌を歌える者』だ。
フランツやシュリアは、聖歌語を扱え、歌も歌えるが、『聖歌』は歌えない。カイリはたまたま聖歌を歌えたが、もし歌えるだけならばエリックは騎士にはなれなかった。
どちらにせよ、人を道具の様に売り飛ばす制度に、カイリは嫌悪しか抱けない。
そして、その制度に便乗して悪用する狂信者も。
「あの、新人。……そのエリックっていう人。そんなに教会騎士になりたかったってことは……強いんすか?」
「ああ。これからぶつかる相手だからな。実力は知っておきたい」
エディの問いに、フランツも頷く。
しかし、エディの聞き方がかなり遠慮がちだ。カイリの故郷を滅ぼした原因だからだろう。
気まずげな空気に、カイリは笑い飛ばそうとしたが――出来なかった。やはり、エリックのことを思い出すのはまだ辛い。
「……三ヶ月くらい山籠もり出来るほどではあったけど。でも、エリックさん自身は多分、そんなに。いや、俺よりはずっと強かったと思うけど」
「あなたは武術は底辺なんですから、基準にしてはいけませんわ」
「ぐっ……そ、そうだけど」
シュリアの話の腰の折り方に、カイリはむぐうっと唸る。その通りなのだが、やはり図星を突かれると腹立たしいし、情けない。
しかし、基準をと言われるとカイリとしても困る。カイリの図る基準となると、ラインや第十三位しかいない。
「……エリックさんは元々、争い事があまり好きじゃなくて。畑仕事に貢献したり、作物の育ち方を研究したり、本当に穏やかで……」
「……何かそう聞くとよ、あんまり『騎士になりてー!』って感じじゃねえな」
「ははっ。……はい。だから、三ヶ月……もう、四ヶ月前か。彼からの手紙で騎士になると書かれていた時、彼の両親もビックリしていて。……強さで言ったら、ラインの方が、……えっと、俺の師匠の方が遥かに強かったです」
「おー、八歳の師匠なー」
「え? 八歳?」
きょとんと、ケントがレインの茶々に目を丸くした。
確かに、剣の師匠が八歳と聞いたら驚くだろう。クリスの
「そう。村一番の剣士。将来は教会騎士になるんだーって、張り切ってた」
「へー。そんなに強いの?」
「ああ。俺の父さんも、大人の目を気にして加減してるって気付いてたみたいだし。……うん。ラインは、多分エディ……と同じ、いや。……うーん。エディより上? いや、でもやっぱり下かな……」
「え! ボクっすか! って、ボクが基準すか!」
実際、第十三位と手合わせをする様になってから、本当にラインは強かったのだと気付いた。彼から発せられる覇気は、第十三位に並ぶものだった。
むしろ――。
「……気迫は、レインさんに近い……かも」
「……オレか」
「はい。腕前は、……レインさんの方がかなり上だと思いますけど。……うーん。ライン、俺相手には実力全然出せてなかったと思うし。正確には分かりません」
「そうか。ならば、俺も手合わせをしてみたかったな。八歳でそれほどの腕前なら、成長したら、――」
フランツが不自然に言葉を区切る。しまったと、空気が揺れたのが分かった。
気を遣われた。
分かったのに、カイリの思考は止まらない。
〝――カイリ、に、……手、出してんじゃねえよっ!〟
あの時。
カイリが素直に逃げていれば。
ラインは、瀕死の状態で、無理をしなくても良かったのに。
〝……記憶、少しだ、け、……あったから、な。……本当は俺、が教え、たかったけ、ど〟
そうしたら、彼は今でも生きていただろうか。
カイリに剣道を教えてくれただろうか。
あんな風に、カイリの腕の中で息を引き取らなくても良かったのだろうか。
彼にも、未来はあったのだろうか。
〝そうだろー? おれは、将来きょーかい騎士になる男だからな!〟
彼が常々笑顔で宣言していた様に。
彼が、立派な教会騎士になる道も――。
「――――――――っ」
ぶわっと、一気に熱が込み上げてくる。腕に残った彼の温もりを思い出し、両手が震えた。
喉元から嫌な音がして、カイリは
「あ、……か、はっ!」
不規則に咳き込んで、カイリは懸命に悲しさを吐き出す。何度も何度も吐き出して、死に物狂いで涙を止めた。
フランツが隣で背中を撫でてくれるのに気付いて、何とか荒くなった呼吸を落ち着けていく。いつもと違って、おっかなびっくりな触れ方がおかしくて、自然とまた涙がこみ上げてきた。
「す、みませ……」
「いや、……すまない。もう――」
「……駄目だよ、カイリ君」
フランツの言葉を遮り、クリスが制止する。
何を、とカイリは顔を上げた。視界が滲んでいて苦しくなったが、真っ直ぐにクリスが見つめてきていたので、カイリも負けじと見つめ返す。
「それだけ大切な人達だったんだ。悲しみを堪えてはいけない。ましてや謝るなんて、
「……っ、でも」
「君の原点だ。君の
厳しい言い方なのに、口調はひどくなだらかで優しい。
彼は、そうして乗り越えてきたのだろうか。言葉の響きに深みを感じて、カイリは聞き入ってしまった。
「まあ、時と場合にもよるけど。今は、泣いても良い場所だから。泣けば良いよ」
「……っ」
「泣きたくなるほど大切な人達と出会えたことは、とても幸せなことだよ。……誇りなさい。君は、とても良い出会いをした」
にこにことクリスが両手を組んで微笑む。その柔らかな笑みが温かくて、カイリはぼろっと大きく何かが零れ落ちたのが分かった。
とても良い出会いをした。
それは、両親を、友人を、村の人達を認めてくれている気がして、非常に誇らしい。
そんな風に言ってくれるなんて、思いも寄らなかった。ぼろぼろと次から次へと溢れる雫は、傷口から溢れ出た悲しみを洗い流してくれる様だ。
「……っ、ありがとう、ございます」
「うん。お礼を言われる様なことは」
「俺、教会に来るのはとても恐かったけど。……フランツさん達に出会えて、ケントやクリスさん達に出会えて、とても幸せです」
「――」
人が大切にしているものを、大切にしてくれる人達だ。
簡単なようで、なかなか難しいことを彼らはカイリに与えてくれる。至極当たり前の様に。
何て果報者だろうか。父の言う通り、確かにカイリには良い出会いが待っていた。
ようやく止まりかけてきた涙を
「……うーん。やっぱりカイリ君、眩しい」
「え?」
「ううん。……はあ。ケントが惚れるのも分かるね」
クリスが横にいる息子を見やると、彼は気難しい顔をしてカイリを見据えていた。
何だかとても顔つきが険しい。男なのに人前で泣いてみっともないとか、怒っているのだろうか。
「……、け、ケント?」
「――ねえねえ」
カイリが呼びかけると、今まで黙っていたケントが肘を突いて首を傾げる。
全員の注目を浴びてから、彼は目を
「村、滅びたんだよね?」
「……。……、……ああ」
確認してくるケントに、カイリは苦しげに肯定する。
それを認め、ケントは更にすっと目つきを鋭くさせた。
「そのエリックってさ、つまり、騎士になりたくてカイリを売って、しかも挙句に失敗して村全滅させて、今は保身のために狂信者にいるってことになるよね?」
「……」
「……。まあ、そうっすね」
かなり
誰もが肯定を
その答えに、ケントは「ふーん」と別の方角を見やる。肘を突いた両手を組み、口元を隠す姿は、何処か不穏な空気を
「ケント? どうかしたのか?」
「うーん……。……ねえ、父さん。僕も、晩餐会出ても良いかな」
カイリの質問を流し、ケントがクリスを仰ぐ。
予想はしていたのだろう。困った様に笑ってはいたが、難色を示すことはなかった。
「構わないけど。どうするの? 間に合うのかい?」
「えー、簡単だよ! だって、晩餐会って、仕事終わった後だし! 父さん大好きだから僕も出席するって言えば良いよ! かんたーん!」
「……確かにそうだね。簡単だね! ケントなら、定時で仕事を終わらせられるよね!」
「もっちろん! 例え終わらせられなくても、部下に押し付けるよ! だって、カイリのためだもん!」
「そうだね! 流石私の息子だよ! 一緒に叩きのめそうね!」
「うん!」
きゃっきゃと手を合わせて飛び上がる親子に、カイリは無表情になった。フランツ達も同じく目が棒になっている。この親子のノリに、彼らもついていけないに違いない。
ただ、先ほどまでの湿った空気は綺麗に吹っ飛んでいた。それだけはカイリも感謝する。
「うん! 方針も決まったところで、話をそれで進めようか」
「……感謝致します」
フランツが代表してお礼を言う。取り敢えず、ケントは何故かやる気満々だということだけは理解した。
しかし、カイリの心はなかなか晴れない。そもそも、カイリは教会に来てから宙ぶらりんにしていた現実があった。
今まで、心理的な負担が大きいから、簡単な説明だけ聞いて終わらせていた。カイリから尋ねることもしなかった。
けれどもう、目を逸らし続けるわけにはいかない。
「あの……」
カイリが声を上げると、全員の視線が集中した。一斉に注目されるというのは結構な暴力だなとカイリはひどく緊張する。
「話の腰を折ってすみません。でも、……聞きたいことがあって」
「うん。何だい? この際だから、カイリ君の疑問は明らかにしておこうか」
にこにこと人懐っこい笑みを向けてくるクリスに、カイリはフランツを一度見上げる。
フランツも、構わないと力強く頷いてくれた。その同意が背中を押してくれて、ようやくカイリは一歩勇気を握り締めて踏み出す。
「狂信者っていうのは、……一体、何なんですか?」
「――」
瞬間。
場は、一瞬にして静まり返った。
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