第35話


「ここが食堂です。応接室の向かいなのは、団同士で仲良い人達が時折来るのを想定して、なんです」


 リオーネが早速カイリに向かって説明を始めてくれる。

 フランツからも聞いてはいたが、宿舎にはその団の機密事項が多い。だからこそ、入口近くで足を止めさせる必要があるのだろう。食堂もその役割とは、色々考えられている。


「中、見ても良いのか?」

「はい。いくらでもどうぞ」


 かちゃっとドアを開けて、リオーネが促す。

 そのままカイリも扉をくぐり――あごを落としそうになった。



「……っ、ひ、ひろ……っ!」



 踏み込んだ先には、長テーブルが二十卓ほど置かれていた。

 その向こう側には高級レストランかと思われるほどのだだっ広いキッチン、しかもオーブンやコンロなども家庭用ではなく、プロの料理人が使う様な本格的なものばかりだ。棚も広く、様々な調味料や料理器具が入っているのも容易に想像が付いた。

 その上。


「……なあ、リオーネ」

「はい、何でしょう」

「冷蔵庫が十個くらいある気がするんだけど」

「はい。皆さん、大食らいですから」



 そういう問題じゃない。



 しかも、冷蔵庫も業者用だ。無駄に大きい。

 驚いていると、リオーネはトドメを笑顔で刺してきた。


「あ。でも、冷凍室は別にあるんですよ」

「別!?」

「はい。これくらいの広さのが隣の部屋に」

「これくらいの広さ!?」

「取ってきた肉や魚、冷凍が必要なものなど、色々ありますから」


 もう開いた口が塞がらない。


 この都市に来てから、どれだけ口が開きっぱなしになっただろうか。カイリは数えるのも諦めた。


「ふふ。まあ、私たちは五人でしたから。この入口に一番近いテーブルで食べているんですけど」

「は、はあ」


 この長テーブルも、ざっと二十人くらいは座れそうだ。どれだけ無駄に広いのだと、カイリの驚きがそろそろ飽和しそうだ。


「昔は、この第十三位にもたくさん人がいたそうですから」

「……そうなんだ」

「ええ。賑やかだったみたいですよ」


 にこにこと笑うリオーネの顔に、曇りは無い。

 特に感慨にふけっているというわけでもなさそうだ。伝え聞いただけなのだろう。



 ――なら、どうして今はこんなに人が少ないのか。



 他の団から毛嫌いされている理由に含まれるのかな、とカイリはぼんやり考えた。


「食事当番は、交代制です。明日はレイン様ですね」

「え? 俺たちで作るのか?」

「はい。他の者を雇って、毒殺されても嫌ですし。掃除も、私たちでやるんですよ」

「へえ……」


 意外に家庭的な団だと、カイリは感心する。

 とはいえ、ここまで広い宿舎だと、食事はともかく掃除は一苦労しそうだ。一人でやるのだろうかと考えていると。


「まあ、掃除は大抵エディさんが率先してやってくれます」


 掃除は当番制ではないのだろうか。

 疑問に思ったが、それよりも気になったこともあった。



 ――エディは、「さん」付けなんだな。



 彼女にとって、彼は身近な人間なのだろうか。

 微笑ましく思いながらも、先程の疑問を聞き返してみた。


「掃除は、エディが率先? どうして」

「何故でしょう? 私がやろうとすると、何故かエディさんが興奮しながら猛ダッシュするので」

「ふーん……」


 カイリにもよく分からない。

 エディは、リオーネが大好きだと公言してはばからない。原因があるとしたらそこだろうかと思うが、『大抵』彼が掃除をするのであるならば、シュリア達の代わりにも行うのだろう。実質、ほぼエディ一択らしい。

 この第十三位は謎だらけだと、カイリは少し笑ってしまった。彼ららしいと言うべきか。ここで過ごすのが楽しみになる。


「では、そろそろ他の場所へ」

「ああ、うん」

「応接室の隣は、居間です。くつろいだり、遊んだり、ゲームをしたり、みんなの憩いの場ですね」

「へえ。どれどれ……って、どわっ!」


 開けられた先に、またもカイリは目をいた。

 ふっかふかの高級そうなソファは、応接室よりも高そうだ。クッションも様々に取り揃えられており、触り心地が抜群そうだと、見るだけで伝わってくる。

 大型の冷蔵庫が一台置かれており、小さなコンロにポット、硝子ガラス戸のお洒落な棚にはティーカップなどが一式揃っていた。可愛らしい花柄やシックな紋様など、実に品が良い。

 ソファやテーブルの向こうには、ビリヤード台らしきものが置いてあった。



 ――ここ、本当に何処だ?



 そろそろ口を開きすぎて顎が落ちそうである。


「では、次へ」

「……、はい」

「あ、距離を置いて次の部屋は、みんなの自室です」

「自室……」

「危機管理のため、基本一つの部屋を二人で使っています。恐らく、カイリ様はレイン様と同じ部屋になると思います」

「え?」


 レインというと、先程自分が取り乱してしまった視線を投げてきた青年か。

 一番下っ端になるカイリは、てっきりエディと同室になるのかと感じたが、そうでは無い様だ。


「どうして、レインさんと?」

「カイリ様が聖歌騎士だからですね」


 あっさり言われて、言葉に詰まる。

 先程彼女は危機管理のためと口にした。カイリは狂信者に狙われている。エディよりも遥かに強そうなレインと組ませるのは当然の帰結なのだろう。


 ――やっぱり足手まといだよな。


 現実を早くも突き付けられて、少しだけへこむ。

 早く強くなりたいと、秘かに誓いを立てていると。


「私も聖歌騎士としてここに来た時、教会の人達が恐かったんです」

「――」


 カイリの心を覗いた様に、リオーネが話しかけてくる。

 横を振り向けば、ふふ、と相変わらず花の様に彼女は笑っていた。

 けれど、見た目に反して割と良い性格をしていそうだと、先程の団のやり取りを見て感じていた。彼女の言葉の意図を探る様に、耳を傾ける。



「実は私は、最初から第十三位に行けと言われたんです」

「え?」



 カイリとは真逆だ。

 いぶかしげなカイリの視線に気付いて、リオーネは少しだけ目を伏せた。


「ちょっと、色々ありまして。聖歌を歌う者は教会に欲しい。でも、私を置いておくのは忌々しい。だから、掃き溜めとも呼ばれているこの第十三位に、教会の上から指令が下ったんです」


 掃き溜めという単語に、カイリの眉根が寄る。

 総務の時も思ったが、本当に気分が悪くなる。この調子だと、陰口も相当叩かれているのだろう。


 ――卑怯な奴らだ。


 色々言っておきながら、この団を存続するのには意味がある。

 恐らく、カイリにはまだ明かされていない何かがあるのだろう。最初から、この団が清廉潔白だとはカイリも思っていない。

 狂信者のことがある。教会の上のこともある。そして、カイリを追いかけてきた騎士達のこともある。

 この教会自体に何かやましいことの一つや二つ、それ以上あろうとも、驚きはしても意外では無い。


「ちょうど十年前でした。フランツ様には、ずっとお世話になっています」

「十年って……じゃあ、六歳の時から? そんな」

「聖歌騎士の場合、この世界では珍しくもなんともありません。むしろ、カイリ様の方が奇特です。今まで、この世界から隠れていられたのが」

「……っ」


 淡泊だが、鋭利な言葉だった。一瞬、彼女の言葉の奥に暗いものがちらつく。

 確かに、カイリは幸せな方なのかもしれない。

 村の者達が全員命懸けでカイリをかくまってくれていたからこそ、誰にも狙わずにいられた。教会の目からも隠されていた。

 幸せに育った。愛されて、育てられた。



 感謝してもしきれない。あの故郷は、カイリにとってかけがえのない宝だった。



「カイリ様が、少し羨ましいです」

「……」

「人を信頼できると言った、その一言は。私には縁の無いものですから」

「――――」


 微笑みながら立つその姿は、相変わらず花の様にふんわりとした空気をまとっていた。黒いスカートも花が咲く様に広がって、見る者に落ち着きを与えていく。

 だが。


 ――彼女の心も、服と一緒で黒く囚われているのかもしれない。


 カイリは、彼女に何があったのか知らない。理解だって出来ないかもしれない。

 だが、一つだけ分かっていることがある。



〝カイリー! おはよう! 今日もむっすりしてるね! 笑って笑って!〟



 彼女は、自分とは違う選択を採っていた、ということだ。



「……リオーネは、それでも人と関わっている」

「――」



 不可解そうに、彼女が目を丸くして見上げてくる。

 カイリは前世の時、笑って手を振り続けてくれていたケントを遠ざけた。

 けれど、彼女は今、フランツ達と一緒にいる。それが例え、逃れられないことだったのだとしても、確かに彼女は一緒にいるのだ。

 それに。


「シュリアのこと、友達だって言っていただろ」

「……、はい」

「信頼していない?」

「……」


 一瞬言葉に詰まっていた。それは、彼女の中での黒いほころびの一つなのだろう。

 確かに信頼しきってはいないのかもしれない。心を預けるまでには至っていないのかもしれない。

 それでも、彼女はシュリアを確かに「お友達です」と言い切っていた。

 それは、紛れもない彼女の本音だ。


「別に、人を信じろとか綺麗ごとを言うつもりはない。俺もさ、前世の頃、人のこと全く信じていなかったよ」


 くだらない嫉妬心で陥れられ、クラスの全員が敵になり、あることではなく、無いことばかりを言いふらされた。

 誰もカイリの言葉など聞いてくれなかった。届くどころか、聞く耳さえ持たなかったのだ。

 だから、カイリは人と関わるのを諦めた。距離を取って、友人だったはずのケントまで無視をして。



「俺は、最後までたった一人の友人にも『友人だ』って言えなかったんだ」

「……、え」

「だから、俺はリオーネの方が羨ましいな。ちゃんと、シュリアに友達だって言えているんだからさ」



 カイリは、もう二度と伝えることは出来ない。

 今のケントに伝えても、意味は無いのだ。だって、今のケントは前世の幼馴染ではないのだから。例え彼が記憶を持っていたとしても、それは同じだろう。

 だから、今が大事なのだとカイリは考えている。そして、リオーネは間違った道は進んでいない。


「別に、信頼しきっていなくても良いし、これからも信頼しろとは言わないよ。俺だってそんな大人じゃないし、善人にもなれない。……間違うことだってたくさんあるし」


 カイリだって、この第十三位の人達に、まるっきり心を預けているわけではない。それは、リオーネ達も分かっているだろう。

 それでも、カイリはこの道を進むことにした。

 強くなりたい。手が届く範囲の人達を助けたい。



 人と、関わることを諦めたくはない。



 信じるのは、未だに恐い。時々、前世の恐怖が襲ってくる。

 それでも、カイリはもう二度と、本当は届いたはずの手を払いたくはない。

 だからこそ、信じると決めた人を、道を、信じるのだ。


「リオーネは、俺なんかよりよっぽど大人だよ。強いと思う」

「……」

「俺は、死んでからじゃないと気付けなかったから。……それに! 聖歌では、リオーネの方が大先輩だからな! 色々教えてもらわないと」


 ね、と笑って吹き飛ばすと、リオーネは目を丸くしたまま見上げてきた。

 マリンブルーの綺麗な瞳が、カイリの深淵を暴く様にもぐってくる。海に吸い込まれる様な深さに、カイリは一瞬息をするのも忘れてしまった。

 そうして、しばし見つめ合った後。



「……カイリ様は、一筋縄ではいきませんね」



 観念した様に、リオーネの方から視線を外した。緩く頭を振るのに合わせ、さらりと長い彼女の蒼い髪が揺れた。


「第十三位に相応しいと思います」

「そ、そうか? ありがとう」

「褒めてはいませんよ?」

「はあ」


 くすくすと笑う彼女は、もういつも通りだ。その横顔にも、先程感じた影は無い。



 だが、少しだけ――ほんの少しだけ、花が嬉しそうに輝いた様な匂いがした。



「さ。残りも案内しますね。お風呂は男女別になっているんですけど……カイリ様、一緒に入りますか?」

「はっ!? い、いや、遠慮するよ!」

「ふふ。残念です♪」


 その後、わざと女風呂の方の扉をリオーネが思い切り開け、シュリアに見つかって大激怒されることを、この時のカイリはまだ知らないままだった。


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