第24話


 がらっと勢い良く窓を叩き開け、カイリは身を乗り出して下をにらみ据えた。


 地上には、ガラの悪そうな男達が十数人で群がっていた。それぞれ物騒な得物を構え、にたにたとこちらを見上げてくる様が、カイリの背筋と神経を逆撫でする。

 そして。



 ――きっと。あいつが、首謀者。



 荒ぶる心をなだめながら、カイリは一人の男を見定めた。

 男達の中心には、フード付きの真っ黒な外套を羽織った男性が佇んでいた。一冊の書物を携えたその立ち姿は、村に来た偽者二人と全く同じ出で立ちだ。

 十中八九、村を襲った二人の仲間だと確信が持てたこの瞬間、カイリは腹の底から煮え繰り返る激怒を、懸命にふたをして押さえつける。ここで相手の神経を逆撫ですれば、全てが台無しになるのだ。

 落ち着かせ、状況を更に把握するために周りを見渡すと。



「……カイリお兄さん!」

「……っ、ハリエット……!」



 ――予想は、外れて欲しかった。



 だが、現実は無情だ。認識して、窓枠にかけた右手に力がこもる。

 男達に乱暴に捕えられていたのは、昼間別れたハリエットだった。きらきらと、救いを見出した様に見上げてくる瞳に胸が痛くなる。

 彼女は今、二人の男に押さえ付けられ、刃を顔の近くに当てられていた。少しでも手元が狂えば、そのままざっくり彼女の柔い皮膚を裂くだろう。

 その姿を見て、ぐっと喉元から熱いものがせり上がってくるのをカイリは感じた。懸命に飲み込んだのは、助けるという強い決意に他ならない。

 そうだ。



 ――絶対に、助ける。



 決意を両の拳に握り締め、カイリは努めて低い声で相手に呼びかけた。


「……俺を呼び出したのは、あんたか」

「その通りだよ。私はヴォード。君が、カイリ君だね?」


 蛇の様な男だ。

 にたりと口元を歪めたその表情に、長い舌を鼻先まで伸ばされた様な錯覚に陥る。

 一寸顔が歪みそうになったが、奥歯を食い縛ってカイリはあごを引いた。


「あんたは、……村に来た奴らを知っているな」

「ああ、もちろん。リンダとブラッドは、少々己の欲に先走ってしまった様でね。君を救い損ねてしまったが、いやはや、無事に発見出来て良かったよ」


 救い。


 あの惨劇を『救い』と象徴するその傲慢さに、カイリの拳が強く震えた。思わず怒りが喉元に出かかる。

 だが。


「って、あなた! 何なんですの! いきなり窓を開けて……! まさか、狂信者と手を結ぶとか言うんじゃありませんわよね!」

「あー、カイリ。あー、……危ないだろう。あんまり身を乗り出しすぎると、あー、……うむ。とにかく、俺たちを差し置いて敵と交渉するな。あー、危ないぞ」

「――」


 背後の二人の言葉に、カイリの噴火が少しだけ鎮まる。

 彼らは、カイリの先程の要望通り、一応制止する様な素振りを見せてくれている様だ。――むしろシュリアは半ば本気で、フランツはかなり棒読みという対照的な態度ではあったが、格好はつくので今はスルーしておく。

 ざっともう一度下を見渡せば、かなりの数の野盗がいる。剣を抜いたとしても、今のカイリの腕では到底一人ではさばき切れない。ハリエットの元に辿り着く前に、彼女は討たれてしまうだろう。



 ――ならば、やはり方法はただ一つ。



 腹をくくり、カイリはヴォードと名乗った男を真っ直ぐ睨み据えた。


「あんたの要求、条件付きで受け入れたい」

「……、ほう」


 蛇の様な顔が、更に歪む。口を開けて、舌先をちょろちょろと動かす様な気味の悪さに、カイリは踏ん張って声を張り上げる。


「その子……ハリエットが五体満足で俺の元に来て、生き続けてくれることが条件だ」

「……ふむ?」

「それさえ守られると言うのなら、俺はあんた達と一緒に行く」

「……、ふむ」


 少しだけ、ヴォードと名乗った男の顔が改まる。

 見定める様な目つきが、蛇の様にうねっていた。自然と、村で味わった『蛇』を連想させ、カイリは己を抱き締めたくなるのを必死に堪える。


「この娘が、条件かね」

「ああ、そうだ。今、十分与えられた中で、俺はあらゆる自害の手段をこの身に仕込んだ。舌を引っこ抜かれようが、手足をもぎ取られようが、目をえぐられようが、あんた達がどんなことをしたとしても、俺は死のうと思えばすぐ死ねる。彼女がいないなら、意味がないからだ」

「……」

「ハリエットが死んだ瞬間、俺は即座に自害する。それで良いなら、あんたと共に俺は行くっ」


 最後は挑発的になってしまった。殺意が乗らない様に死に物狂いで抑え込んだが、果たして通じるだろうか。

 こくっと喉が鳴る。その音がやけに耳にまとわりついて、カイリは平静を装うので精一杯だった。

 相手の静かに探る様な視線が気持ち悪い。蛇が体内を這いずり回る様な感覚まで思い起こし、膝が砕けそうになる。

 だが。


 ――負けはしない。


 こんな卑怯な手段を使う奴らに、決して引きはしない。

 引いたら、どちらにせよハリエットの命が危なくなる。ここで逃げるという選択肢は、カイリには絶無だった。


「……なるほど」


 くっと嘲る様に男が空気を揺らす。馬鹿にする様な笑い方に、カイリの心が音を立てて冷えていく。


随分ずいぶんと、この娘にご執心の様だな」

「悪いか?」

「そこまでして助けたいとは、浅はかにしか思えないが……理由を聞いても良いかね?」

「……っ」


 まるでカイリの思考など透けていると言わんばかりに、今度は男が挑発してくる。

 彼は、カイリの言うことなどまるっきり信じてはいない。手元に来れば、どうとでもなると考えているのだろう。

 そして、彼らはきっと。カイリが外に出た瞬間、ハリエットを殺す。



 用済みだ。



 そう告げて、彼女を殺すのだ。



〝……、か、い、……――――――〟



「――っ」



 がりっと窓枠を指で引っ掻く。指先に痛みが走ったが、気にしてなどいられない。

 冗談ではない。死なせてたまるか。

 ミーナの時の様にはさせない。



 今度こそ。



「……俺、は……」



 ふるっと、一度窓枠に額をこすりつける。どうすれば良いかと、必死に知恵を振り絞り――思わず頭を抱えた。浮かんだ案が、あまりに酷すぎたからだ。


 だが、これしか思いつかない。


 故に、覚悟を決める。助けるためなら、どんなことでもするのだ。

 そのままぶるぶると窓枠を握り、カイリは頭に閃いた言葉をかすれた声で絞り出した。


「……ハリエット」

「……、は、はい」


 呼びかけられ、ハリエットが思わず敬語で返事をしてくる。

 その可愛らしい声に罪悪感を覚えながら、カイリは窓枠をへし折るくらいに握り締めた。



「――昼間、本当はな。俺は、君と別れるのが嫌で嫌で堪らなかった」

「……、はい?」



 間の抜けた声を出したのが、当人ではなく隣にいたシュリアだということに突っ込みたかったが、この際わきに置いておく。

 今は、理由だ。何でも良いから理由を話せと自分自身に強く命令した。


「別れたくない、離れたくない、ずっと傍にいて欲しい。……辛くて狂おしくて悲しくて。遠ざかる君の背中を見ながら、俺は、死にたくなるほど心が痛くてたまらなかったんだっ」

「……はい?」



 だから、何故君が返事をする。



 そうシュリアに突っ込みたいのを死に物狂いで飲み込み、更にカイリは脳内の辞書を猛スピードでめくりながら続けた。


「君と初めて森で出会った時、俺の体にはこの世のものとは思えない衝撃が走ったんだ」

「……、え?」


 ようやく、ハリエットが呆けた様な声を出してくれた。

 もうどうにでもなれと、カイリは口からほとばしった言葉を思い付くままに告げていく。


「雷に直撃する様な……いや、そんな表現では生温なまぬるい! 雷が直撃するよりも激しく荒れ狂った情熱が、俺の全身を焼き尽くす様に駆け巡ったんだ……」

「……え、……え?」

「君の姿を視界に入れるたびに動悸どうきが激しくなり、体温もゆだった様に上昇した。君の濡れた様にきらめく夜空の瞳を見るたび、俺は天にも昇る勢いだった。いや、間違いなく昇天していた! このまま死んだって良いって何度思ったか分からないよ」

「……あなた、何を言っていますの?」



 ――それは、俺が聞きたい。



 シュリアの白い眼差しに心の中でツッコミを入れるが、突っ込みたいのはきっと彼らだろう。

 もはや周囲の目が点になっている。野盗すら目が点になっている。それを止めることは出来なかった。


「艶やかな黒髪は夜空を司る女神の様に。華奢きゃしゃで可憐なその姿は、まさしく天上から遣わされた俺の、……そうっ! まさしく! 俺だけの、女神!」

「か、カイリ……お兄さん……」

「たった一日しか傍にはいられなかったが、そんなことは関係ない。俺にとって、その一日はこの十六年間生きてきた中で、最高に! バラ色の! この上なく幸せな人生だった!」


 拳を握り締めて、カイリは空を突き破って何処までも届く様にえた。

 吼えるしかなかった。これが吼えずにいられるだろうか。泣きたい。


「だが、俺はしがない村人。一方、彼女はきっと高貴な身分」

「きっと、ってあなた」

「こんな身分不相応な恋はない! だからこそ! 俺は、断腸の思いで彼女を見送ったんだ。そう、もういっそ死んでしまおうかと思っていたところに! あんたが来たんだ! 救世主!」

「は、はい?」


 シュリアの淡泊なツッコミに負けず、びしっとカイリが人差し指を突き付けてやると、男は間の抜けた声を出した。唐突に矛先を向けられ、戸惑いしか見当たらない。――狂信者なのだから、もう少し何か良い感じのリアクションをして欲しかったと、カイリは心の中だけで涙目になった。


「あんたが、何と! 都合良く! 彼女を人質に取ってくれたおかげで! 俺は穢い手段を使うことが出来る! 彼女を一生傍に置いておく手段をな!」

「は、はあ」

「ハリエット! すまない、俺はもう、このたぎる思いを抑えておくことは出来ない……! 君がどんなに嫌がろうが突き放そうが、離してなどやるものか! どれだけ逃げても追いかけて、俺の腕の中に閉じ込める!」

「お、お兄さん……」


 ぽおっと彼女が頬を真っ赤に染めて口元を手で覆っているのは、おびえているからだろうか。

 本当に申し訳ないとカイリは穴を掘って土下座したい気分だ。これではもうストーカーである。


「おい、ヴォード! とか言ったか! 俺の要求を受け入れろ! 彼女と一緒でも、幸せな未来とか何とか! 行けるんだろ!」

「あ、……ああ! もちろんだとも」

「なら、条件を呑め! 彼女と一緒にいることを叶えられるのなら、俺はどこまでもあんた達についていく! 何故なら、……彼女こそが! 俺の運命の相手なんだからな!」


 最後に叩き付ける様に絶叫すれば、男も、そして他の野盗達もぽかーんと口を大きく開けてカイリを見上げてきた。

 思いつくまま片っ端から並べ立てた言葉は、きちんと文章になっていただろうか。それだけが心配だ。



 ぜえ、ぜえっと肩で息をして待つこと数秒。実際は、数分だったかもしれない。



 男は、はっと我に返った様に目を見開き、一度物凄い形相でハリエットを凝視した。

 彼女はというと、頬を両手で押さえて無言。顔が赤いのは、夜風に当たり過ぎて風邪を引きかけているからだろうか。申し訳なくて本気で土下座したくなった。

 そうして、更に数秒が流れ。

 ぎぎぎ、と錆びた蝶番ちょうつがいの様に男は首をカイリの方へと向け。


「……、……、……、……分か、った」

「……よし! 聞いたぞ! 聞いたからな! ――というわけで、お前達も! 聞いたな!」

「……、は、はあっ!?」


 突然カイリが振り返ったところで、シュリアが驚きと怒りと戸惑いをごちゃ混ぜにして声を荒げる。フランツはというと、もうぽかんと形容するしかない表情だ。もうあちこちに土下座をしたい勢いである。

 だが、ここでカイリに止めるという選択肢があるだろうか。いや、無い。むしろ止まれない。


「止めるなよ、お前達! いいか!? 止めるなよ! 俺と彼女の仲を邪魔し、引き裂き、挙句の果てに殺された時は! 俺は、この身を山よりも高く、海よりも深い絶望へと身を投げ、彼女と無理心中するからな!」

「は、はあ? ……な、何を言っていますの!?」

「俺の人生は今、この時にこそあった! 教会なんていうケチくさい輩に邪魔されるくらいなら、俺は! 死を選ぶ!」

「……、そ、そうか」


 フランツも気圧され気味に肯定した。もはや何も言うことはない、そんな悟りを開いた様な表情だ。

 カイリは泣きたい気持ちになりながら、くるんとまた狂信者の方へと振り向く。びくっと、心なしか男の肩が跳ねた様な気がした。


「そういうわけだ! 今から教会騎士二人を連れてそっちへ行くからな!」

「あ、……は、はあ」

「どこかで二人が不意打ち狙っているとか、いちゃもんを付けられたら堪ったもんじゃないからな! いいか! 約束は守れよ!」

「あ、ああ、……もちろんだ。君さえこちらに来れば、私たちとしても異論はない」

「よしっ!」


 ぴしゃーんと、カイリは開けた時と同じく勢い良く窓を閉める。

 そうして、数秒。



「…………………………………、……俺っ、……ロリコンじゃないからな……っ」

「いえ、立派なロリコン発言でしたわよ」



 コンマ単位で瞬殺された。流石はシュリアである。四つん這いになって、さめざめとカイリは泣いた。



「しかし、まあ、六から八歳くらいの差だろう。大きくなれば問題はないぞ」

「……フランツさん、まさか本気にはしていないですよね?」

「お? 本気ではなかったのか?」



 あれで誤解をされるのか。



 いや、フランツを騙せているのならば、かなり信憑性がある宣言だったのかもしれない。カイリの何かが失われた気がしたが、これなら男も半信半疑であってもハリエットを殺さないだろう。


「……全部終わったら、ハリエットに謝らないと」

「……ロリコン発言をしたことにですの?」

「そうだよ。気味悪いと思われただろうし、乙女心ってやつをもてあそんだことにもなるだろうしな。……ミーナがいたら、殴られてそうだな」


 ふっ、とミーナの怒った表情が脳裏をよぎる。

 彼女はいつだって明るくて元気で、自分の妻になると宣言し、いつも笑っていた。

 きっとハリエットを助けるためとはいえ、カイリが嘘を吐いたことを激しく怒っただろう。女心を分かっていないと。



 ――いっそ、出て来て怒ってくれれば良いのに。



 そんな風に思う自分は、ひどく女々しい。

 これこそ怒られそうだと、カイリは軽く己の両頬を叩いた。


「さ、ここからだ。……二人共、お願いします」

「ああ。まあ、何をやるかは知らないが、好きにやってみると良い」

「乗りかかった船ですわ。泥船な気がしますけれど……歌うまでは付き合ってあげますわよ」


 二人らしい回答に、カイリは気合を入れる。



 ――今度こそ。



 その誓いを胸に、カイリはハリエットの元へと急いだ。


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