第23話
「フランツ様」
カイリを引っ張る様に階段を駆け上がり、フランツの待つ二階の部屋への扉をシュリアが開ける。
入れば、フランツは既にしっかり臨戦態勢を取っていた。窓際から外を窺っていたらしく、壁に身を寄せて眼下を見下ろしている。
「来たか。一戦交えた様だな」
「ふん。他愛もない輩ですわ。……ですが」
「ああ。カイリがお目当てか。やはり、昨日遭遇した野盗は、狂信者寄りの雇われだろう。村の事件で逃げた奴が報告したのかもしれん」
「それで、しくじった奴は聖歌語で自害を促し、バッサリ……目に見えますわ」
「え、……っ」
はあっと呆れ混じりに溜息を吐き、シュリアがフランツとは反対側の窓際に寄る。
カイリは一瞬どうしようかと迷ったが、身を
それに。
自害を促す。
それは、昨日ハリエットを襲った者達のことだろうか。
彼らは、全員自害したとシュリアが報告していた。
「あの、……雇われって」
「狂信者は、足が付かない様にするためにしばしばその辺りを牛耳る野盗を金で雇う。まあ、失敗したら、強制的に自害を促され生きてはいられないが、野盗の方も莫大な報酬に目が
説明されて、カイリは唇を噛み締める。
あの連中は、カイリを狙っていたのか。ならば、その過程でハリエットも巻き込まれたということになる。高貴な身分だから、欲が出たのだろうか。
どちらにせよ、彼女には悪いことをしてしまった。飛んだとばっちりだったろうと
「……俺の存在がもう他の狂信者にバレたのは、村の事件のせいってことですか?」
「今の『居場所』が割れたのは、先程も言った様に事件のせいかもしれん。だが、……エリックと言ったか。そいつがお前の存在を村に来た狂信者に漏らしたのならば、もう狂信者の大本には知れ渡っているだろう。……そのエリックという奴が生きているかどうかは、本人次第だな」
本人次第。
その解答に、心の片隅に暗い影が落ちるのをカイリは感じ取った。
ぐっと、抑え込む様にカイリは胸に拳を強く当てる。不意に湧き起こりそうだった黒い波が荒れる様に跳ねて、身震いした。
「……カイリ」
「あ、……すみません。あの、……俺は、聖歌を歌えるからこんなに狙ってくるってことですよね」
気分を紛らわせる様にカイリが聞けば、フランツは難しい顔をして頷いた。
「そうだな。聖歌騎士になってからも同じだ。お前だけじゃない。聖歌を歌える奴、特に力の強い奴は、狂信者は捕獲しようと目を付ける」
「ほ、かく」
「だから、聖歌を歌える聖歌騎士は、基本的にはあまり単独行動はしない様に言いつけられている」
「……」
「本当の意味での自由は、一切ない。お前もそうなる」
淡泊に告げる彼の横顔は、無表情だ。あまり感情を交えない様に話しているのは、カイリにも明白だった。
村の者達のおかげで、成人するまでカイリは何事もなく平穏に過ごせた。こうして襲撃されて、しみじみと感じ入る。
あの日々が無ければ、カイリはとっくに絶望で落ちていたかもしれない。
常に恐怖に
「シュリア。下の様子はどうだった」
「騒ぎ声は聞こえませんでした。とはいえ、血生臭い雰囲気も感じられませんでしたから、恐らく眠り玉でも薬でも何でも使って、眠らされているのではないかと」
淡々としたシュリアの報告に、フランツも「ふむ」と淡泊に頷く。
「まあ、今回は俺達教会騎士がいるからな。いきなり
「ええ。騒いでこの人に逃げられても困りますし、かと言って、邪魔者になる宿泊者は黙らせておきたい、というところでしょうか」
「確かに、一般人は突拍子もない行動を取る時があるからな。つまり、単純突撃をしないとなると、雇われの野盗だけではなく、雇い主もいるということか。さて、――」
不意に、フランツの声が途切れる。
不自然な言葉の切り方に、カイリが
「……ふん。面倒ですわ」
「え?」
何が、と聞く前に。
響いた悲鳴に、カイリの目の前が真っ暗になった。
「――何するのよ! ばか! へんたい! 死んで! ばかあああああああっ!」
「――――――――」
それは、日が落ちる前に別れた少女の声だった。
指切りをして、再会の約束をして。
いつまでも手を振って、可愛らしく両親の元へと帰っていったはずの少女だった。
それなのに。
「……っ、なん、で……っ!」
「お供は……ああ、いますわね。あの二人、そんなに弱そうではなかったのですけれど」
「……真偽は知らないが、見たままであるならば完璧な人間はいないということだな。今のところ、お供も草むらから隙を窺っている様だが……、ふむ」
シュリアとフランツが、頭上で冷静に論議を交わす。
だが、カイリにはそれどころではなかった。がたっと、床に突いて体を支えていた腕が、大きく震える。
鼓動がやけに早い。全身が熱を奪われていく様に冷え切っていった。
改めて窓の外を見れば、闇の色を濃くした夜空は、まるでうねる様に
「あれは、……ハリエット、ですか」
「その様だな。……」
言葉を切って、フランツが無言になる。
途端、よく通る声が窓を震わせて部屋の中を叩き込んできた。
「――ごきげんよう、教会騎士。そして初めまして、カイリ君。聖歌を紡ぐ者よ」
「――――――――」
名指しで呼ばれ、カイリの体に糸が巻き付く様な不快感を覚える。
すぐに首を振って散らしたが、ざわざわと周りの空気が意思を持って抱き込んでくる様な感覚に、ぎゅっと己の腕を掴んだ。
「……マイクを使ったか」
「きんきんうるさいですわ……」
二人が鬱陶しそうに耳を押さえる。
だが、カイリにはそれどころではない。吸い寄せられる様に、耳が声の一字一句に集中していく。
「この通り、元気な女の子を客人に迎えてね。君が応じなかった場合は、二度と笑うこともなくなるだろう」
「いや……っ!」
「――っ」
低く這う様な声が言い終わると同時に、ハリエットの悲鳴が夜空を裂く。
瞬間。
〝……、か、い、……――――――〟
「……っ! ミ……っ!」
「十分ほど時間を与えよう。カイリ君、我々の元へ来たまえ。共に、幸せなる未来へ……扉を開こうではないか」
蛇が地を這う様なおぞましい声に、カイリは瞬間的に
幸せなる未来。
扉。
応じなかった場合は、二度と笑うこともない。
――嘘だ。
強く、深く、暗く、カイリは首を振って否定する。
カイリは、あの時出て行ったのに。
自分に用があるからと、飛び出したのに。
それなのに。
結果は。
「……う、そ、……つき……っ」
「……カイリ?」
「――っ! 噓吐きが……っ!」
血を吐き散らす様にカイリは叫ぶ。体中から噴火する様に熱が吹き荒れ、呼吸が上手く出来ない。
噓吐き。噓吐きだ。彼らは――あいつらは、嘘ばっかりだ。
目的はカイリだったのに。
だから、出て行ったのに。
それなのに。
あいつらは。
「ミーナを、殺した……っ!」
「カイリ。おい」
「あいつら、俺が姿を見せた途端、ミーナを殺した……っ!!」
〝じゃ、お前は用済みだ〟
嘲笑いながら、剣を振り下ろす一瞬。
華奢な彼女の体を貫いた狂気。
忘れられない。忘れはしない。
彼女を、彼女を殺した奴らを、絶対に忘れなどしない。
「嘘だ。あいつら、ミーナを殺したくせにっ! 俺が姿を見せたら、彼女だってすぐ殺すくせに! 何が幸せな未来だ!」
「カイリ、落ち着け。おいっ」
「あいつらが奪ったんだ! 両親を、ラインを、ミーナを、リックを、……村のみんなを! 彼らの未来を! 奪ったくせに! なのに、自分達だけ……っ!」
フランツが肩を押さえ込んでくるが、カイリは必死にもがく。窓ガラスを突き破って、今すぐあの憎たらしい声を殴りたい。
幸せな未来など、そんな身勝手許されるはずがない。
許しはしない。例え神が許そうとも、自分が覚えている。
村を焼き尽くす業火を。彼らの無残な姿を。手を伸ばしてカイリの名前を呼んで事切れた瞬間を。
だから。
「あいつら、全員……!」
「殺してやるんですの?」
「――――」
頭上から、やけに冷静な声が降ってきた。一気に頭の中の
ゆらりと見上げれば、冷め切ったシュリアのアメジストの視線とぶつかった。
いつもの皮肉をぶつける顔でも、騒がしい表情でも無い。どんな感情よりも冷えた感情を宿し、見下してくる。
「攻撃が出来ないくせに、あいつらは殺せるんですの」
「……っ」
「まあ、丁度良いですわ。命を奪う覚悟が出来たと言うことですわね。ならば、さっさと腰に差した木刀を握って踊りかかるといいですわ」
「……、なっ」
「ああ、何でしたら」
シュリアが己の剣を抜き、カイリに差し出してくる。
「わたくしの剣を貸して差し上げます。せいぜい狙いを定めなさい。喉元を掻っ
「――――――――」
冷淡に宣告し、カイリに剣を握らせる。
部屋の明かりを弾いた剣身は鈍く輝き、まるで己の心をそのまま写し取ったかの様に揺れていた。
――自分が、殺す。
彼らを、狂信者を。
真っ赤な血飛沫だらけにして。
両親達を奪った者達と、同じ様に。
「……、あ……っ」
かたっと、剣を握った手が震える。だんだんと小刻みに振動していき、止まらなくなっていった。
「……っ、俺っ」
情けない声を出すと、シュリアがさもありなん、とばかりに嘆息した。
「……覚悟が無いものが真剣を握れば、必ず過ちを犯します。だからこそ、命を奪う覚悟が必要なのですわ」
さっと、シュリアがカイリの手から剣を奪う。
だが、手の平に残った感触が忘れられない。目を射る様に煌めいたその鈍い輝きが、焼ける様に痛かった。
木刀とは訳が違う。少しでも皮膚に触れれば、たちまち裂かれて血が流れる。
ミーナが、貫かれた時の様に。
〝――カイリッ!!〟
カイリを
「……っ、――っ!」
喉が、心臓が、全身が悲鳴を上げた。
ぼたっと、嫌な汗が
「……あなたは、勘違いをしていますわ」
何を。
そう問いたかったのに、声が喉で引っ掛かって外に出なかった。こほっと、
彼女の視線が直視出来ない。何から何まで、彼女の言った通りだった。
覚悟が出来ていない。剣を持つ資格が無い。
剣を持つ以上、自分が手を下さなくても、一緒にいる誰かが相手の命を奪う。
充分思い知らされた。ならば、何を勘違いしているというのか。
これ以上、叩き落とされる要素など何処にも。
「わたくしは、命を奪う覚悟を持てとは言いましたが、必ず命を奪えとは言っていませんわ」
「……、――」
言われた意味が、上手く
緩々と顔を上げれば、シュリアは不愉快そうに眉間に
本当は、カイリと話なんてしたくないだろうに。それでも、彼女は続けてくれた。
「剣は、武器です。どう取り繕おうと命を奪う凶器です。剣を持っている限り、必ず誰かを傷付け、命を奪うものです」
「……、それは、もう聞い……」
「ですが、命を奪わなくても良いのなら、その方が良いに決まっています。そんなの、誰だって同じです。あなただけではありません」
「――」
もう良い。
そう
――けれど、辛辣なまでに真っ直ぐな刃を、カイリに突き付ける。
「あなたは攻撃が出来ない。そこの事情など知りませんし、興味もありませんわ」
「……」
「ですが、あなたの師匠という人は、それでもあなたに剣を教えたのでしょう。自衛だか回避だかは知りませんけれど、攻撃が出来ないあなたにそれを教えたのは、その剣があなたに必要だったからです」
「――っ」
強く、はっきりと断言される。
彼女の眼差しは、どこまでも凛々しく真っ直ぐだった。激しく何度も貫く様に、彼女は一切目を逸らさずにカイリを打ち抜く。
「あなたは、今、どうしたいんですの」
「……」
「わたくしにあれだけ偉そうに
まあ、わたくしはそれでも良いのですけれど。
言い捨てる口調は、まさにカイリを嘲る響きを伴っていた。本当にどこまでも馬鹿にしている。
だが。
「……、俺、は」
先程シュリアに渡された剣を握っていた手を、見つめる。
未だに残るあの重さは、カイリに正気を取り戻させるには充分な威力だった。
あれが、命を狩る重み。あの鈍い輝きが、命を奪う時に己に刺さる憎悪。
カイリは、未だに相手に剣を振り下ろす勇気は出ない。
ずっと、それこそ前世の時から、命の奪い合いとは無縁の生活だった。村にいた時でさえ、狩りから外されていたくらいだ。
誰かが傷付くのは見たくない。
誰かが死ぬのを見るのは恐い。
あんな風に無残に目の前で死んでいくのを見るのはもう嫌だ。
もう、誰も傷付けたくなかった。
けれど。
〝――カイリ、に、……手、出してんじゃねえよっ!〟
あの時、ラインに助けられる前。カイリは、狂信者に剣を突き付けた。
手にしていたのは真剣だった。無我夢中だったから頭が回らなかっただけで、自分は確かにあの時、命を奪う武器を手にしていた。
そして。
相手と剣を交えたからこそ、注意を引けたからこそ、瀕死のラインは彼らを倒せたのだ。
カイリはもう、手を汚している。
もうとっくに、誰かの命を奪っていた。
綺麗な世界なんて、何処にも存在はしない。
だが。
〝じえーの剣は、他の人をにがしたり、時間をかせぐのにも役に立つって〟
そんな穢い世界でも、誰かを守れる剣があるのならば。
カイリは、絶対に見て見ぬフリをしたくない。そうでなければ本当に、ラインを侮辱することになってしまう。
何より。
「……みんなに合わせる顔、無くなっちゃうよな」
命懸けでカイリを
自分は、その村の一員なのだ。
ならば、自分の心に嘘を吐いてまで、ここで
「……まだ、剣を振るう覚悟は、本当の意味では持てないけど」
いきなり変われるとは思わない。
まだ剣を握るのが恐い。これからも、しばらくは相手に剣を振り下ろすことは不可能だろう。
けれど、怯えてばかりでは、恐がって逃げてばかりでは、何も守れないから。
両親が、ラインが、みんなが、自分を守ってくれた様に。
今度こそ、自分が。
「助けられる命があるのなら、この手で助けたい」
だから、もう。
「俺の剣で誰かの命を奪うっていう事実からは、もう逃げない。――絶対に」
「――――――――」
例え、直接手を下さなくても、一緒にいる誰かが命を奪う。
その事実から、逃げはしない。卑怯な自分から目を背けはしない。
受け止めて、立ち向かう。
それで助けられる人がいるのならば、自分はこの剣を振るってみせる。
「……、でも」
外の様子に意識を向け、カイリは考え込む。
相手は複数の様だった。フランツやシュリアなら、強いから蹴散らすこと自体は問題ないかもしれないが、今はハリエットを人質に取られている。
それに、ミーナの件もある。カイリが姿を現した途端、またあの時の様に殺されたらと思うと、のこのこ外に出て行くのは得策ではない気がした。
何か無いか。
そう思っていると。
――聖歌。
「……そうだ。歌」
聖歌は、歌い手のイメージを具現化すると教えられた。
今のカイリでは剣で複数を相手には出来ないが、フランツは歌の威力が強いと太鼓判を押してくれた。歌なら何とか渡り合えるかもしれない。
歌を戦いに持ち込むなんてと気分が落ちるが、今はそんなことを言ってはいられない。
助けられる可能性があるのなら、何でも使う。カイリは今、逃げないと覚悟を決めたばかりだ。
ならば。
「……聖歌って、……お二人は、防ぐことが出来ますか?」
二人を仰ぎ、確認する。
思い付いた作戦がある。だが、二人が防げなければ意味が無い。
だからこそ聞いたのだが。
「歌の範囲指定は出来るはずですが、今のあなたには無理ですわね……」
「まあ、これでも俺達は鍛えているからな。不意打ちでなければ抵抗は可能だ」
「分かりました」
未だ震える心。成功するかどうかも分からない。
だが、カイリは一人ではない。
今は、本物の教会騎士が傍にいてくれている。
だから、彼らを信じて動いてみよう。
こんな情けない自分に、発破をかけてくれた彼女を。黙って立ち上がるのを見守ってくれていた彼を、信じる。
自分が、本当の意味で一歩を踏み出すために。
「もうすぐ、十分だな」
「説明している時間がありません。でも、……俺を信じてくれませんか」
強い決意をこめて、彼らを交互に見つめる。
彼らが黙ったのは一瞬。
「構わん。まあ、しくじったら俺達で制圧するだけだ」
「元より、期待はしていませんが。やるというなら、少しだけ待ってあげますわ」
二人らしい回答だ。
こんな時なのに、思わず笑ってしまった。一人でないという事実が、ここまで心強いなんて、少し前のカイリならば気付かなかっただろう。
「俺が歌うまでは見守っていて欲しいです。でも、一応今は全力で止めるフリはして下さい」
「ふむ?」
「は? 何言って……」
かちっと、時計の針が刻む音がしたのを背に。
カイリは、二人の疑問を無視して勢い良くがらっと窓を叩き開けた。
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