第9話


 ざっざっと、規則正しい足音が、山々に囲まれた細い道なりに響く。

 真っ黒な外套がいとう羽織はおった金髪の壮年の男性が黙々と、豊かな自然に満ちあふれた小道を涼しい顔で歩いていた。その姿は悠々としており、どこにも一切隙が無い。


 だが、少し離れた後ろを歩く少女は違った。


 頭にすっきりまとめていた淡い紅藤の髪は今やほつれ、羽織る外套もよれよれだ。黒いロングスカートもどこかくたびれており、顔には若き未亡人の様な哀愁が漂っていた。

 そんな彼女は、既に虫の息の様にいつくばりながら歩いている。剣を杖の様に突いた立ち姿は、顔を見なければよぼよぼの老人である。

 それが、数分ほど続いた頃。どんどんと先を進んで行く男性を、少女はとうとうすがる様に止めた。


「お、お待ち下さいませ、フランツ様! み、水……ののの、のどが、乾き、ましたわ……っ」


 ぜえ、ぜえっと少女が息も絶え絶えに音を上げる。

 フランツと呼ばれた金色の男性は、最初無視をした。構わず前へと進み続ける。

 だが。


「も、もう駄目ですわ……」

「……」

「ああ、こんなど田舎で、わたくしとあろうものが……」

「……」

「それもこれも、ぜんぶ、フランツ、様、……いいえ。わたくしの不徳といたすところ、……くっ、恨めしい、です、わあ……っ」

「……」


 延々と恨み節が続いた後、遂には崩れ落ちる音がしたため、仕方なくフランツは立ち止まって振り向いた。

 泥水の様にへばっている少女を目の当たりにし、フランツは溜息を吐いて歩み寄る。腰にぶら下げていたかばんから水筒を取り出し、少女に手渡した。


「あ、ありがとうございます」

「だから、俺一人で良いと言っただろう。これは俺の勝手な休暇なのだからな」


 呆れた様に嘆息するフランツに、水をがぶ飲みしながら少女はぎっと彼を睨み上げた。ぷはーっと生き返った様に息を吹き返す彼女に、フランツは眉根を寄せる。


「何故にらむ」

「当たり前ですわ! 団長ともあろうものが、一人旅など!」


 罪人を断罪する様な剣幕に、フランツはしかし顔色一つ変えられない。

 彼女はいつもよく分からないことで怒る。彼女ももう十八歳。短気は損気だということをいい加減覚えるべきだ。


「怒るな、シュリア」

「怒りますわよ! 少しは自覚して下さいませ! 第十三位の団長ということを! あなたは! 第! 十三位! 団! 長! オーケー! ですの!?」



 充分自覚している。



 だが、そう突っ込んでも彼女はどうせ止まらないだろう。猪の様に真っ直ぐだ。仕方がないので、フランツは彼女の前に座り込んだ。


「いいですか! いくら超人で周りに敵無しで鬼だの悪魔だの罵倒され泣いて許しを請われて土下座されて震えて気絶されるくらい超絶に強くても! お供の一人もつけないなんて! 殺してくれと言っている様なものですわ! 自覚なさいませ!」


 気絶されるほど強いのに、殺される。しかも、鬼。悪魔。

 言っていることが滅茶苦茶な気がするが、一応彼女の言うことに耳を傾ける。正直彼女の話は明後日の方向に飛ぶことも多いが、的を射ていることもたまにある。聞かないという選択肢は無い。


「大体、どうして徒歩なんですの! 一応あちこちに街がありましたのよ! 都市もありましたのよ!」

「そうだな」


 事実、いくつか街を経由した。この国、エミルカの街も当然通り過ぎた。

 しかし、何故今そんな単純な確認事項が必要なのだろうか。フランツは盛大に首を傾げた。


「何故! 徒歩! ですの!」

「? 歩く必要があるからな」

「ですから! 何故! 馬車を! 馬を! 使わないのです! もう十日もずっと! 歩きっぱなしですのよ!」

「そうだな」


 軽く頷いて、それの何が問題なのかと考える。当初の計画通り、遅くとも明日までには目的地に着くだろう。件の日より一日も早い。至って順調だ。

 だから、何故そんなに彼女はご立腹なのか。フランツにはさっぱり理解不能だ。


「何かおかしいか?」

「おか! しい! ですわよ! 馬車や馬なら、もう少し楽して行けたものを……。毎日毎日14時間近く歩き続けるなんて……! 死にますわ! 普通、一般人は死にますわ……!」


 きーきーと騒ぎ立てる彼女の抗議に、フランツは更に首を傾げる。

 街や都市には必ず立ち寄り、昼夜到着した時間を問わずに風呂に入り、そしてベッドで眠った。起きたらすぐに補給をして出発したから、体力も物資も何ら問題は無い。

 それに。



「シュリア」

「何ですか!」

「我々は、教会騎士だ。一般人ではない」

「…………………………」



 呆れた。



 そんな一言を彼女の顔がでかでかと物語っていた。今、フランツの目には彼女の顔が「呆れた」に見える。


「それに、体力作りにもなるだろう。教会騎士は体が基本だからな。俺は今回の旅は、全て徒歩と決めていた」

「……」

「シュリア、お前は遅れてくると良い。俺は、腐れ縁の息子に用事がある」

「……」

「まあ、お前の腕ならばそこらの盗賊など足元にも及ばないだろう。心配はない」

「……、……はあ」


 額に手を当てて溜息を吐かれる。何故そんな反応をされなければならないのか。つくづく彼女は理解不能だ。


「……、そんなに腐れ縁という方は、フランツ様にとって大事な方なのですか」

「……」

「一ヶ月もいきなり休暇を取って。上が許したのも驚きでしたけれど」


 彼女の言葉から、まだ彼女自身が今回のフランツの行動に納得していないのだと知った。そういえば、この旅に最後まで反対していたのは彼女だ。

 確かに、任務が入っていないとはいえ、騎士団の長が一ヶ月も私事に割くのは異例だ。団員達も不思議そうにしていた。

 だが、フランツにとっては特に不思議なことは無い。上だって、別に第十三位が長く休暇を取ったとしてもどうでも良い話のはずだ。


「……あいつは、国にいた時は何にも言わない奴だったからな」

「……、何にも」

「だから、今回頼ってきたその事実をまずからかってやりたい」

「……、か、からかう?」


 実際、彼は同じ都市に住んでいた時、人の世話ばかり焼いて己のことは何一つ言わない人間だった。親友だと散々抜かしていたフランツにさえ、弱みを見せない様にしていたくらいだ。

 頭を張り倒してやりたいと何度思ったか。



 そんな彼が、泣き付く様な手紙を出してきた。



 手紙に書かれていたのは、自分の息子の秘密と将来への不安。

 そして――。


「……国を出て行く時も真っ直ぐで情熱的だったが、ここまで子煩悩になるとはな」


 手紙の大半は、大量の息子自慢話に溢れていた。


 見た時は、彼らしい、と笑みが止まらなかったものだ。

 昔から真っ直ぐで、思ったことはすぐ行動。言いたいことも言って、良くも悪くも人の目を惹きつけてやまなかった。

 そんな彼だからこそ、フランツは腐れ縁を続けている。今回の頼みも、彼だからこそすぐ受け入れるのだ。


「さあ、行くぞ。もう休んだだろう」

「はあ……。……もう、何を言っても無駄ですわよね」

「別にここからは一人で良いぞ」

「そんなわけにいかないでしょうが! ああ、もう! 会ったらぶん殴ってやりますわ……!」


 あっさりかわされるのがオチだろう。


 思いはしたが、口には出さないことにした。そろそろ静かに歩きたい。

 街や都市から外れ、緑豊かな大地が目の前に無限に広がっている。

 硬質な壁や賑やかな喧騒に包まれた都市も嫌いではないが、こうして落ち着ける場所が溢れた空気もフランツは気に入った。

 だが。


「……森が、少々騒がしいな」


 長年騎士をやっている者特有の勘ではあるが、無視は出来ないだろう。

 手紙にある通り、あまり良くない動きがあるのかもしれない。

 しかし。


「……まあ、急げば良いだけの話か」


 直近の街で聞いた話だと、村までは丸一日くらいの距離だとか。

 ならば、急げば後半日で着くだろう。それまでに騒ぎの種を片付ければ良いだけの話だ。

 そして、親友に会う。


 ――さて。久しぶりに会う旧友に、何と声をかけようか。


 どんな顔で再会出来るか楽しみにしながら、フランツはこれまで以上に意気揚々と細い道なりを歩き出した。








「ほうほう。では、エリックからこの村のことを?」


 いつまでも立ち話は何だと、村長の家に巡回騎士だという女性と男性を招いた。

 村人達が何だ何だと物珍しげに覗く中、村長の問いにリンダと名乗った女性が「ええ」と艶やかに頷く。


「エリックさんとは旅をしている途中に知り合ったんです。目的地が同じ時は、私とブラッドが護衛をする形で、少しずつ仲良くなっていったんです」


 ねえ、とリンダが話を振ると、ブラッドが無言で仰々しく首を縦に振った。

 寡黙らしく、カイリが知る限り彼は一言も言葉を発していない。顔に大きな傷が刻まれており、無口なのも相まって威圧感が強く漂っていた。


「しかし、エリックも手紙で教えてくれれば良いのに。こんな美人さんとお知り合いになっていただなんて」

「あら、お上手ですね。ありがとうございます」


 エリックの母親の言葉に、リンダが恥ずかしそうに小さく笑う。

 口元に手を当てて微笑む様は優雅だ。リンダという女性はシンプルな黒いローブに外套を羽織っただけの装いだったが、ブラッドと同じ服装のはずなのに滲み出る色気が凄まじい。現に男性陣が鼻の下を伸ばし、それぞれの伴侶に叩き飛ばされていた。


 カイリの父はというと、自分の隣で腕を組んで神妙な顔をしている。


 他の男性と違って、真剣に彼女達を判断していそうな姿に頼もしさを覚えた。――もし心の中では鼻の下を伸ばしていたらどうしよう、という余計な懸念けねんよぎったが、カイリは無視をすることにする。


「しかし、エリックが教会騎士団に入ると興奮していたのは、貴方たちとの出会いがあったからなのですな。いきなりどうしたのかとビックリしていましたが」

「あら、そうだったのですね。では、最近彼と会わないのは、教会騎士団に入団したからなのかしら。今度総本山に帰ったら聞いてみることにしますね」


 ころころと笑いながら、リンダが村の者達と和やかに談笑している。

 だが。


「……、――……」


 無言でいる父に声をかけようとして、すぐにカイリは取りやめる。

 何となく、今の父に話しかけてはいけない気がしたからだ。

 父は依然として、腕を組んだまま静かに彼女達を見守っている。いつも村の外の者が来るとそういう姿勢を取るから珍しくは無いのだが、今回は少し様子が違う様に見えたのだ。

 それに、何となく今、父の目が一瞬細められた気がした。何に反応したかも検討が付かない。


 父は、何を探っているのだろう。


 剣は振るえなくとも、父は気配にはとても敏感なのだ。何を感じ取っているか聞けたら良いのにと、カイリは早く家に帰りたくて仕方が無かった。


「しっかし、おねーさんたち、きょうかい騎士の人なんだな!」


 案の定というか、ラインが堪えきれない様に声を上げる。ミーナも彼の背後に隠れながら、興味津々といった風に二人を見上げていた。普段は賑やかな彼女は、割と人見知りだということを、こういう時になってカイリも思い出す。

 二人に振り向いて、リンダがしとやかに微笑んだ。ブラッドは視線だけでライン達を見た。一応話は聞いているらしい。


「そうよ。もしかして、エリックさんと同じく?」

「おお! 大きくなったら、騎士になりたいんだ! でも、おねーさんたち、そういうしょうめいってどうやってするんだ?」

「あら。そうねえ……例えば」


 訪ねてきた時から持っていた書物を、おもむろにリンダはテーブルの上に置いた。


「へー、どれどれ、……――」


 興味深そうに近付くラインとミーナの表情が、一瞬止まった。

 すぐに眉根を寄せてまじまじと凝視する彼らが気になって、カイリも少しだけ近付いた。何が書いてあるのだろうと、遠くから覗き込み。


「……、え、……」


 どくん、と心臓が殴られた様に跳ねる。

 本の表紙から――否、正しくは書かれた文字から、カイリは目が離せなくなった。

 それは、カイリにはとても見覚えのある文字だった。

 この世界の言語では無い。

 だが、記憶があるのならば誰もが見慣れ、読める文字。



「あらあ。三人共、そんなにこの本が珍しいのかしら?」

「――」



 楽しそうな声が耳にじ込まれる。

 はっと我に返り、カイリは誤魔化す様に頬を掻いた。弱った様に眉根を寄せて、肩をすくめる。


「ああ、はい。俺、……十五年も生きているのに、この文字、読めないんですけど」

「おれも見たことないぞ! 何て書いてあるんだ?」


 カイリの言葉に、ラインも乗っかってくる。ミーナもこくこくと後ろで頷いていた。

 彼らの心境はともかく、カイリとしてはハッタリだ。かなり古い書物なのか、潰れてほとんど読めないが、生き残っている文字はとても身近なものだった。

 そう。表紙に書かれていた文字。

 それは。



 ――『日本語』に、間違いなかった。



「そうねえ、……」



 質問を受けたリンダが、考え込む様にあごに手をかける。少し俯き加減なのは、どう答えようか迷っているからだろうか。

 何故、この異世界に日本語があるのだろうか。確かにこの世界の文法は日本語と全く同じルールだったし、英語の代わりの様な文字や単語も多くある。

 だが、文字は全く違うものが使われている。いかにも異世界っぽくて、日本とはかけ離れたものだった。

 それなのに。


「これはね、一応企業秘密なの」

「……えー……」

「ごめんなさいね。でも、この教会が管理している文字が、一応私たちの身分証明ってこと。だから、これで納得していただけるかしら?」

「……しかたがないなー」

「って、こりゃ、ライン! 大人に向かってそんな口の利き方をするでない!」

「はーい。ありがとうございまーす」


 ふて腐れた様に外向そっぽを向くラインに、リンダは微笑ましそうに見つめるだけだ。

 だが、ブラッドは鋭い視線をラインとミーナに、そして次にカイリに注いでくる。あまりに狂暴な鋭利さに、心臓を貫かれる様に激痛が走った。まるで剣で絶えず串刺しにする様な獰猛どうもうさを感じ、カイリの足が知らず震えてくる。

 だが。


「お二方。エリックに聞いていたとしても、教会騎士がこんな辺境に来るなど珍しい。何かあったのですか?」


 ぽんっと父がカイリの肩を叩きながら、彼女達に話しかける。

 触れられた途端、どっとカイリの体から力が抜けた。緊張と恐怖に支配されていたのだと知って、父に心から感謝する。

 しかし。



「実は、この村から『歌』が聞こえてきたと、言っている人がおりまして」



 ざっと、空気の温度が冷え切っていく。カイリの全身から、血の気が滝の様に引いていった。

 歌。村から。聞こえた。

 カイリは言い付けを破ったことは無い。村の外の者が来たら、村を巡回していたり見張りに立っている者が知らせてくれることになっているし、ここ数日は歌を口ずさむことも止めていた。

 なのに。


「そうでしたか。しかし、歌ですかの。わしらは聞いたことが無いのですが」


 のう、と村長が振り返ると、他の村人達も不思議そうに頷いている。

 演技が上手いなと、カイリは感心してしまった。自分も不思議そうな顔が出来ているか心配になる。


「それに、歌は世界でも一部の者しか歌えないはずですじゃ。それこそ、教会騎士の様な方々でないと」

「ええ。ですから、真偽を確かめに来たのですけど……そうですか。空振りでしたね。せっかくスカウトに来ましたのに」


 はあっと残念そうに溜息を吐くリンダに、「申し訳ございません」と村長が丁寧に頭を下げている。

 一見和やかに進んで行く会話は、しかしカイリには刺々しく思えてならない。今聞いた話を整理していくと尚更だ。


 歌は、世界でも一部の者しか歌えない。

 しかも、歌を歌える者を教会騎士はスカウトする。



〝村の外の者が来たら、な〟



〝殺されるぞ〟



 あの時は、村長は大袈裟だと言っていたけれど。

 もし、殺されるというのが比喩でもなく本当だったなら。


「……っ」


 一層気を付けなければならない。

 せめて二日後の誕生日、父の親友という人物が来るまでは。


 決意して、カイリは己を今以上に戒める。

 そんな自分を見定める様に、教会騎士二人が観察しているのを感じながら、カイリは無意識の内に隣の父の手を握っていた。


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