第5話
「ただいまー」
ラインとの稽古を終え。
くたびれながらも心地良い疲労に包まれながらカイリが帰宅すると、ぱっと母のティアナが後ろ向きに立ち上がった。
「あら、おかえりなさい、カイリ」
「? うん、ただいま、母さん。父さんは?」
「奥にいるわよ。カーティス! カイリが帰ってきたわよー」
慌ててぱたぱたと扉の方へと走っていく母に、カイリは首を傾げた。両手も体で隠す様にしているし、何か持っているのだろうかと疑問に思う。
「おー、帰ったか! おかえり、カイリ」
「ただいま。ねえ、母さん。何か持ってるの?」
「え!? え、ええ、えーと……」
しどろもどろになりながら、母は今度は後ろに手を回して振り返る。明らかに誤魔化そうと必死に取り繕っているが、母は割と嘘が下手だ。態度でバレバレである。
そんな母の様子に、父が苦笑してぽんぽんと母の頭を撫でた。うう、と
「ああ、ティアナ……何て可愛いんだ……。いつでも少年の様なときめきを与えてくれるお前に、俺は、……俺は……っ!」
「カーティス……あなただって、いつでも私を少女に戻してくれるわ。そのたくましい腕に包まれたら、そのままいつまでも寄り添っていたいの……」
「ティアナ……」
「カーティス……」
またも唐突に二人の世界に突入された。相変わらず息子の前で堂々といちゃつく両親である。別に構わないのだが、時折会話が中断されるのが難点だ。
カイリは二人がいちゃついているのを放り出し、テーブルの方へと振り向いた。母が先程座っていた場所には特に道具も置かれていない。予想する手掛かりがゼロだった。
どうしようかな、と思案している間に両親の気は済んだ様だ。どこかほくほくとした様に寄り添って歩いてくる二人に、カイリは自然と半眼になってしまう。
「まったく。息子を放り出していちゃつくとか、相変わらずだよな。いいけどさ」
「カイリ……! お前、
「いらない」
「ぬごおっ! こ、これが、反抗期……」
即座に拒絶すれば、父が致命傷を受けた様にのけ反り、そのまま頭から床に転がった。ごんっとかなり痛い音がしたので、少し心配になる。
だが。
「まあ、カイリったら。照れちゃって」
「照れてない」
「なるほど! 照れているなんて……可愛い子供よ……! むぎゅー!」
「ぶはっ!? く、苦しい、父さん……!」
「あらあら、じゃあ、私も。むぎゅー!」
「ぶふっ! い、いき、でき、……っ!」
即行で復活し、突進しながら抱き締めてくる父と母に、カイリは本気で昇天しそうになった。
父の胸板が厚くカイリの顔を潰し、母の腕が良い感じで首を絞めている。
特に、母は父が時折恐れるほどの物凄い怪力なのだ。まな板も鍋も真っ二つに出来る。真面目に窒息で死にそうだ。
「っ、! い、いかげ、んに……!」
「ふうっ、カイリを
「そうねえ。カイリったら本当に可愛いんだから」
「ぶはっ!」
いきなり体を離して良い笑顔をする両親に、カイリは酸素を求めて口を開いた。ぜえぜえと荒く息を吸って吐き出し、新鮮な空気を美味しく取り込む。
この両親は、憎めないのだが時々よく殺しにかかってくる。これが彼らの愛だと知ってはいるが、いつか本当に死にそうだとカイリは少々危機感を覚えた。
「二人共、もっと力の加減を考えてくれ……」
「まあ。愛の力を加減するなんてできないわー。ねえ、カーティス」
「ああ、もちろんだ。カイリよ、諦めなさい」
それで窒息したら、愛どころじゃないんだけど。
反論したかったが、ラブラブな両親にはどうせ通じない。故に、カイリは早々に諦めた。
それに。
――抱き締められるのも、悪い気はしないしな。
もうすぐ十六歳になるのに子供かと思うのだが、前世で飢えていたのかもしれない。
家族の会話は極端に少なかった家庭だ。両親の仕事の関係で、三人揃っての食事もほとんど無かった。本当に小さい頃、幼稚園に通っていた時は母が家にいてくれたが、小学校に上がってからは母も仕事に本格的に復帰し、夜遅くに帰ってくることも多かった。
童謡を覚えたのも、幼稚園の時代だ。
それ以降は、母に歌ってもらった記憶も無い。幼い頃は、よく母がちゃんと歌って子守りをしてくれていたものだと逆に感心した。
そんな風に育ってきたから、特にカイリは両親に期待することもなかった。つまらない人生を送っていたと思う。
だが、今回の人生では、たっぷりと両親が愛してくれている。
最初は疑ってかかってしまったが、彼らに裏表は無さそうだと判断してからは、素直に受け止めることにした。おかげで、窒息死しそうになったことは両手両足では数えきれない。
「はあ、とにかく。母さん、そんなに愛してくれている息子に隠し事してるの?」
「あうっ!」
心臓を一突きされた様に悲鳴を上げる母に、父が「おお、ティアナ」と大袈裟に抱いて支える。
いつも思うが、この両親は劇の仕事に就けば良いんじゃないだろうか。真剣に推奨したい。
「うう、……えーと」
「ティアナ……駄目だぞ。カイリはとても賢い子だ。例え剣は駄目で狩りも苦手で釣りもなかなか魚が釣れずに踊りも足を踏んでばかりなドジっ子でも、息子は頭が良いんだ。さすが俺たちの子……!」
「ええ……! そうね、さすが私たちの子供ね……! 天才だわ……!」
全く褒められている気がしない。
半眼で圧するオーラを放てば、渋々母が白状――というより、開き直って誤魔化した。
「一週間後のお楽しみよ!」
「そうさ。一週間後、カイリ、お前に新たなる愛を授けようと思う!」
どーんと胸を張って宣言する両親に、なるほどとカイリも納得せざるを得ない。
そう。一週間後。
それは、カイリが十六歳になる日。成人を迎える誕生日だ。
つまり、そのためのプレゼントや用意ということだろう。誤魔化しにもなっていないが、中身が判別出来ないのだから成功と言えば成功だろうか。
これは、どんなリアクションを取れば良いのかとカイリは苦笑いになってしまう。今まではサプライズなどは無かったので、初めての問題だ。すっとぼければ良いのだろうか。
「えーと、……ああ。じゃあ、一週間後、楽しみにしてるな」
「ふふ、もちろんよ!」
「盛大に祝うからな! 楽しみにしていてくれ!」
――暴露しおったよ、この父親。
せっかく
嘘が吐けないのならばサプライズしなければ良いのに。
思いながらも、カイリの胸に笑みが広がっていく。彼らはいつも全力だな、と心が温かくなった。
前世の時は、ケーキを置いてあっただけの誕生日。
けれど、この両親はいつだって一緒に祝ってくれた。
それがどれほど大変なことなのか、カイリも分かっているつもりだ。
前の両親の時だって、
だが、それでも、両親と共に過ごせるというのはカイリにとって奇跡の様な時間だ。
だから。
「……本当に。一週間後、楽しみだ」
幸せだと思うのは、決して罪では無いはずだ。
カイリの言葉に、両親がぱあっと、つぼみが満開になる様な笑顔の花を咲かせたのが一層幸せを芽吹かせる。
だから、これで良い。素直にそう思えた。
「ふふ、カイリ、座って座って。今、紅茶を淹れるからね」
「今日もライン君と稽古をしていたんだろう? 最近、強くなったんだって? 攻撃はできないらしいが」
うぐっと詰まったカイリに、はっはっはと父が豪快に笑った。遊ばれているな、と思ってふて腐れるが、同時にこの家族の時間が嬉しくも思う。
夕飯までにはまだ時間がある。
それまでの
「こ、攻撃は出来なくても良いんだよ。俺が教えてもらっているのは、自衛の剣ってやつだから」
「ああ、防御特化だったな。なるほど、それならカイリにも出来そうだ。ライン君も目の付け所が違うな。
「え?」
村一番という呼称に、カイリの動きが止まる。
一番の剣士は、ミーナの父親のヴォルクだ。何故、ラインに当てはめるのだろうと、父を無言で見つめた。
「ん? ……ああ。もう、ヴォルクの奴も薄々気付いているだろう。ライン君は、少し加減をしているって」
「え……」
予想外の言葉だ。
しかし、カイリとしても時々、ラインがヴォルクを超えているのではないかと考えていたので、黙って続きを待った。
「ライン君は強いけど、八歳だからなあ。類稀なる資質というやつだろうが、本当に大人顔負けだよ」
「ああ、それは俺も思うけど」
「ただ、他の大人の目が気になるんだろう。だから、ぎりぎりの戦いになる様にしている風に父さんには思えるよ」
「……」
「父さんとしては、別に強くたって構わないと思うんだが……まあ、何だ。ライン君もちょっと警戒しているんだろうなあ」
警戒。
ラインが、と思うが、不思議とカイリとしても異論はない。
彼は、時々ふと大人びた顔をする時がある。もしかしたら、カイリより知恵も働く可能性があった。当然推測ではあるが、何故か疑えない自分もいた。
それに、父は昔は剣を
大怪我をして剣を振るえなくなったから、村ではご意見番として活躍している。
他にも屋根や家具の修理をしていたりと、割と色んなことをしているが、父は本当に剣のエキスパートだった様だ。剣を見据える視線が鋭いのを、カイリも知っていた。
だから、父が言うのならその推測も正しいのだろう。
ならば、ラインが剣の腕を隠すのは何故か。ラインが年齢より大人過ぎることを、良しとはしない大人が近くにいると考えているからだろうか。
〝……カイリは、騎士になりたいのかの?〟
一瞬、村長の顔が過ぎる。
それだけではない。他の大人の、特にヴォルクの目も気になった。
子供の頃は気にならなかった。
優しい村。温かい村人。穏やかに成長を見守ってくれて、豊かな自然に囲まれたここでの生活に不満は無かった。今だって、特にあるわけではない。
だが。
最近、気がかりなことが増えてしまった。
どうして今になってそんな風に思う様になったのだろう。今までが鈍感だったのだろうか。
ざわざわと、落ち着かない気分にさせられる。まるで心の奥底で黒い影が
「まあ、とにかく!」
「――」
ぱん、と父が手を合わせる。
その快活な音に、一気に沈んだ空気が弾けた。一緒に心も晴れ渡る。
「ライン君が教えてくれるなら安心だろう。いつか、本当に一人で身を守れる様になるさ」
「ああ、……頑張る」
「うむ。……最近、村の周りを野盗らしき者たちがうろついているかもしれないと言っていたからな。強くなれば、父さんも母さんも少しは安心できる」
「……、え。野盗?」
またも唐突に飛び出した単語に、冷やりとカイリの背筋に嫌な感覚が伝う。
野党が村の周囲にいるとは知らなかった。そういえば、ラインは剣を教えてくれた後、「用事があるから」と家には帰らずにまた出かけていた気がする。
「カイリ。落ち込むんじゃない」
「……、え」
図星を突かれて、がばっと顔を上げてしまった。視線がまともに父とかちあって、頬がかあっと物凄い勢いで熱を持っていく。
これでは、肯定したも当然だ。ポーカーフェイスの練習をしなければならないと、別の意味でも落ち込む。
「ライン君の気持ちは分かるよ。今のカイリは、だんだん剣が楽しくなってきた頃なんじゃないか?」
またまた図星だ。父には敵わない。
今まで散々に大人達からは、剣の才能が無いとレッテルを貼られてきた。カイリ自身、まともに一撃を相手に入れられたこともなく、剣を交えればものの数秒で打ち倒されていた。
だから、ラインに防御特化の自衛剣術を教えてもらって、自分にも剣が扱えるのだと自信を持ち始めてきたところだった。ヴォルクが相手でも数分は持つ様になるなんて、少し前の自分では考えられなかったくらいだ。
だからこそ、今回巡回の一員になれなかったことが悔しくもあったが。
「そういう時が一番危ないんだよ、カイリ」
「……危ない?」
「慢心する。自分が出来ること以上のことが出来ると信じ込んでしまうんだな。欲も出る。実際、カイリ。お前は今、少しだけ参加しに行こうと思わなかったか?」
「う」
更なる図星に、もうカイリは唸るしかない。
ほんの少しだ。行動に出すほど愚かではないが、それでも頭の中では一瞬悪魔が囁いた様に、剣を持って見回りに行けたらと願ってしまった。
そんなカイリの罰の悪さに、父は苦笑しながら腕を組む。
「なら、カイリ。お前は今、野盗に出くわしたらどうする?」
「え?」
野党に出くわしたら。
それはもちろん、立ち向かうだろう。
剣を構え、相手の挑発には乗らず、他の者達が来るまでの時間稼ぎをするのがラインから教えてもらった戦法だ。
もし――もし、本当に可能であるのならば。
相手に打ち込むことだって――。
〝――カイリっ!!〟
「――――っ」
攻撃する自分を想像した途端。
ぐっと、喉元に嫌な感覚が迫る。口元を押さえて必死に吐き気を押さえ、カイリは父から体を背けて顔を上向きにした。
はっと、荒く息を吐いて喉にある異物をやり過ごす。静かに嘔吐感が収まっていくのを待った。
目を瞑ってしまえば最後。ばっと、真っ赤な血が勢い良く飛沫を上げる光景が、まざまざと脳裏に浮かぶのは目に見えていた。目尻に浮かびそうになる涙を懸命に堪え、カイリはひたすらに心を落ち着ける。
――と。
「ほら、大丈夫だ。父さんも母さんもここにいるぞ」
「――」
いつの間にか、父と母が近くに寄り添ってくれていた。父が力強く背中に腕を回し、母が頭を包む様に抱き締める。
――時々、うなされて目が覚めた時、こうして両親は
だから恐らく、彼らは知っている。カイリが何かを――そして攻撃をするのを異様に恐れていることを。
人の血で卒倒したことはないが、自分から誰かを傷付けることは極端にカイリは避けていた。前に料理をする際に包丁を持った時、絶対に誰も近付けさせはしなかった。そのことを、両親が
「ほらな。カイリ、今、自分に出来る以上のことをしようと考えただろう?」
してやったりと言った風に笑う父に、カイリの心が泣く様に震える。
自分の弱点を指摘してくれた冷静さと、自分の反応に突っ込まない優しさに、彼らの愛情を深く感じた。
「だから、今はまだ駄目だ」
「……、うん」
「きちんと剣を物にして、ライン君から合格点がもらえるまで。出来るな?」
それは質問ではなく確認だ。
そして、カイリも十二分に思い知らされた。反論があるはずもない。
「分かった」
「よし! それでこそカイリだ! さすが、我が息子よー!」
「ぐはあっ!?」
がしいっと、力いっぱいに父親が抱き締めてきた。めき、みしっと、父の腕の中でカイリの体が嫌な音を立て始める。
「い、いた……! ま、し、死ぬ……!」
「おお! 死ぬほど嬉しいか……! カイリ、反抗期はもう終わったんだな……!」
「ええ、あなた! 良かったわね! さすがカイリ、私たちの子……!」
どこがどうしてそうなるんだ。
口に出して異を唱えたかったが、両親はまるで聞く耳を持たない。ぎゅうぎゅうに二人でカイリを窒息させにかかる。
――野盗よりも、両親の方が危険だっ。
そんな風にカイリが危機感を覚えるのは、致し方ないことだろう。
そうして、窒息手前でようやく解放された後、父はふうっと満足げな息を吐き。
「あー、カイリを
俺も天国に行きそうだったよ。
そう突っ込みたかったが、
「あら。母さんはまだよ」
まだなのか。
身の危険を感じ、カイリがじりじりと後退していると。
「母さん、カイリの歌が聞きたいわ」
「――」
頬に手を当てて注文をしてくる母に、カイリの目が丸くなる。
父も、「おお、それはいいな」と手を叩いて賛同した。いそいそと二人で椅子を並べ、瞬く間に聞く態勢になる。
「え。あ。……あ、朝も歌っているじゃないか」
「いいじゃないか。何度聞いたって」
「そうよー。それに母さん、カイリが歌ってくれたから、歌を歌える様になったのよ」
嬉しそうに笑いながら、母が誇らしげに自慢してくる。
何故そこで誇らしそうにするのだろうと、カイリには分からなかったが、母も父も無邪気に「はいはい」と手を上げ始めた。
「母さん、故郷の歌が聞きたいわ。それからー……」
「なら、父さんは『もみじ』がいいなー! 後は……」
指折り数えて、母がうきうきと曲目を上げていく。それに父も便乗し、今まで歌ってきた曲を挙げ連ねていった。
そんな楽しそうな両親を見つめ、カイリは不思議な気分になる。
カイリは、そんなに歌が上手いわけではない。
前世の音楽の授業でも、
だが、両親はいつも嬉しそうに聞いてくれるのだ。自分が一生懸命紡ぐ、歌を。
昔、カイリが住んでいた国の歌を。彼らは、幸せそうに聞いてくれる。
何となく、それが嬉しくて。
何となく、落ち着かない感じがして。
何となく、懐かしい様な気がして。
――どこにいても、人である限り。通じるものはあるのかもしれない。
異世界に生まれ変わったカイリだったが、この時だけは前世の世界との
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