第4話


 静かに、カイリはラインと木刀を構えて対峙する。


 じりじりと、ラインが視線で誘う様にカイリを強く攻め立ててきた。

 ゆらり、ゆらりと剣先を緩く揺らす様に、カイリはじれったくなって今にも誘いに乗ってしまいそうになる。



 ラインは、無言で相手を挑発するのが上手い。



 彼から手ほどきを受けてから、それに気付く様になった。

 時折、何故ヴォルクが無謀に突っ込んでいくのだろうとはたから見ていて不思議だったが、こうして長く向き合う様になってから理解した。思わず動きたくなる様な空気を彼はかもし出すのだ。

 些細な呼吸の変化、剣先の揺らぎ、間合いの取り方、時々わずかに上がる彼の土を踏み締める音。

 どれも挑発に乗りたくなるのを懸命にこらえ、カイリはひたすら待った。

 そうして、どれだけ相対しただろうか。


「――――」


 笑う様に、ラインが目を細めた。

 瞬間。



 唐突にラインの顔が目前にまで迫っていた。



「――っ!」



 思い切り右斜め後ろに飛びながら、左に持っていた剣のさやを前に滑らす。がつん、と衝撃が手から肩にまで響いて、カイリは顔をしかめた。


「受け止めない! 流して!」

「……、くっ!」


 受け止めた木刀を水に流す様に鞘で滑らせ、カイリはその力を利用して彼の後ろへと回る。

 そのまま足が止まりそうになるのを、ラインが更に叱咤しったした。


「カイリ、間合い! 間合いに気をつけて!」

「お、おう!」


 くるんとラインがすぐさま反転してくる。そのままぎ払われた彼の剣をかわしながら、カイリは咄嗟とっさに後方に跳躍ちょうやくした。

 そのまま突っ込んでくる彼の剣をすくい上げる様に己の剣で弾き、素早く剣を突き出しながらすぐさま距離を取った。右半身を前に出し、足にも意識する。

 今まではつま先で着地するのを主としていたが、ラインに今教えてもらっている剣術だとかかとから着地した方が勢いを付けられるからだ。

 何となく前の世界のフェンシングに似ているなと思ったが、正確かどうかはカイリには分からない。専門外だからだ。

 そうして、数秒ほど睨み合った後。



「よし! もういいよ、カイリ!」



 剣を下ろして、ラインが拳を上げる。

 彼なりの合格点だということは、この一ヶ月でカイリにも伝わってきた。どさっと、崩れ落ちる様に地面に座る。


「はあっ……疲れた」

「カイリ、なさけないなー。おれだったら、もう二時間いけるぞ!」

「お前の体力と一緒にしないでくれよ。……これで八歳か。大人になったら末恐ろしそうだな」


 苦笑しながら、カイリはラインに水の入ったガラス瓶を差し出す。「ありがとなー」と引っ手繰たくる様に受け取ってがぶ飲みするラインに、でもやっぱり子供だよなと微笑ましくなった。



 ラインに自衛の剣術を教えてもらい始めてから一ヶ月。



 体力がなかなかついていけずにへばることも多かったが、何とか形になってきた。

 間合いに気を付けろ。手が下がり過ぎ。反応が遅い。左ががら空き。背中を向けるな。――。

 鬼の様に厳しい指導ではあったし、何度も足が絡まって転がったりと忙しかったが、カイリは意地でも食らい付いた。今までの剣術よりもはるかにやりやすかったからだ。

 おかげで、毎日泥の様に眠る日々が続いたが、最近は体力に少しだけ余裕も出てきた。それもこれもラインのおかげだろう。感謝しかない。


「ライン、ありがとう。何か、今までで一番剣やってる感じがするよ」

「そうだろー? おれは、将来きょーかい騎士になる男だからな!」


 えっへんと胸を反らして威張るラインに、カイリも「そうだな」と同意する。

 こうして指導を受けて、改めてラインの腕の凄さを実感した。いつものラインが得意とする攻撃主体の剣術はもちろんだが、こうして防御の方にまで精通しているとは驚きだった。

 おかげで、最近の朝稽古ではすぐに打ち倒されることも無くなった。村一番のヴォルク相手にも数分持つ様になったくらいだ。驚きで目を見開いていたあの顔が忘れられない。


「ヴォルクさんもかなり驚いてたし。父さんも母さんも、家に帰って報告したら涙流して喜んでたんだ」

「お、おお。さすがカイリのりょーしん。親ばかだなー」

「はは。……まあ、村長とかは複雑そうだったけど」

「……」


 思い出して、カイリは頬を掻く。少し俯き気味になってしまったのは、心が苦くなり落ち込んでいるからだろうか。

 考えてみれば、村長は前に騎士団の質問をした時に恐い顔になった。カイリに強くなって欲しくないのかもしれないという予感はあったが、今回のことでほぼ確信になってしまった。



 ――何故、ラインは外に出て良くて、カイリは駄目なのだろう。



 何が原因なのかさっぱり分からないので、対策のしようもない。


「……あのさ、ずっと聞いてみたかったことあるんだけどよ」


 思考に沈んでいると、ラインがぼそぼそと尋ねてきた。

 いつも快活な彼にしては珍しい。なので、カイリも背筋を伸ばして向き合った。


「ああ、何だ?」

「カイリはさ、……外に出たいって思ったことあるか?」

「――」


 どきりっと心臓が小さく跳ねる。

 今まさに考えていた問題に、カイリとしてもうなるしかない。

 正直に言えば、最近まではあまり考えたことがなかったのだ。今だって、村の外に出たいかと問われれば、首を傾げざるを得ない。今の暮らしに満足しているからだ。

 しかし。


「んー……あんまり考えたことはないんだけどな」

「そっか」

「でも、……街とか都市とか、どんな風になっているのかは見てみたいって思う時があるかな」


 実際この世界の常識がカイリには未だよく分かっていない。

 まず、この世界に国がどれくらい存在するのかを知らない。

 それだけでも変だなと思うし、歌を村の外の人達に聞かせてはいけないという意味も教えてはもらえなかった。

 単位やこよみは日本と同じものを使っているし、一年の行事は新年やクリスマスなど、何故か日本にいた頃と同じ習慣は存在しているが、文明レベルは時計や水洗トイレはあるのに移動手段は馬車しかないなど、結構滅茶苦茶だ。

 畑作も機械は使わないし、ビニールハウスなども使わない。正直都会がどんな風に広がっているのか興味があった。


「ふーん……」


 とはいえ、まさか前世の知識と照らし合わせての理由だとは言えず、簡潔に伝えるとラインは考え込んでしまった。髪の色と同じルビーの様な紅い目を細めて思案する横顔は、息を呑むほど大人びている。

 何故だろうか。ラインは本当に、時々この場にいる誰よりも大人なのではないかと思わされる時がある。

 大体、八歳になる前から――そう、四歳くらいのまだ体の資本も出来上がっていない内から、天才的な剣技を身に着けていた。只者ではないのかもしれない。


「はっ……!」



 ――まさか、チート能力っ!



 そこまで考えて、カイリの頭に一つの結論が浮かび上がる。



「ほわあああああっ! ちー! ちちちちち、ち!」

「は? ち? おい、カイリ、どうしたんだよ。ケガでもしたのか?」



 ラインが心配そうに聞いてくるが、カイリはそれどころではない。頭を抱えてのけ反り、天にえたくなるのを全力で我慢した。

 そうだ。チート。いかさまの様な手品師の華麗な能力。それがラインに備わっているのであれば、この反則的な強さにも説明がついてくる。

 それに、チート能力があるということは、前世の記憶があるということ。それならば、大人びた顔をしていても何らおかしくはない。何故なら、前の記憶が大人であるのならば、精神的にも大人かもしれないからだ。


「ああああああ、あのさ、ら、ららららライン?」

「お、おお? ど、どうしたんだよ」


 急激にどもってしまったカイリに、おびえる様にラインが身を引く。

 だが、彼の怯えなど知ったことではない。もし本当にチート能力ならば、赤ん坊の頃に夢にまで憧れた華麗なる手品師の能力が今まさに目の前にあるのだ。


「えーと、えーと、ら、ラインは、……ラインは……!」

「な、なんだよ!? カイリ、こわいぞ!」

「恐いのは当たり前だ! だって、ぐ、えー、あー、ライン、チート……! チートなんだろ……!」

「は? ちーと?」


 呆れた様に目を丸くするラインに、カイリはぐぬぬと押し黙るしかない。

 元々、彼がチート能力を持っていると決まったわけではない。

 それに、もし万が一チートではないのだとしたら、カイリが前世について質問をすると頭がおかしくなった奴と馬鹿にされかねないのだ。


 ――いっそ、近くにごろごろと前世の記憶を持った奴がいたら良かったのに。


 一人で抱えるのは孤独だ。

 本当にあったことも理解してもらえず、あまつさえ一笑に付されたら、何ともさみしい。


「うう、……共有できないって、悲しいな」

「は、はあ。何だかよくわかんないけど、カイリが泣いてんのだけはりかいしたぞー」


 ぽんぽんと慰める様に背中を叩いてくる彼に、カイリは一層惨めになる。

 この、大人な対応。普段はやんちゃな子供なのに、彼は自分より大人だ。そう痛感する時がある。

 だが。


 ――いつか、この記憶について、誰かと話せる時がくるといいんだけどな。


 良い想い出などほとんどない。

 しかし、それでも「こうだったな」と馬鹿みたいに笑いたくなることはある。

 こんな時。



〝カイリ! 聞いて聞いて! この前読んだ『異世界あざらし奮闘記』ってやつなんだけどさ〟



 いつも鬱陶うっとうしいくらいに話しかけてきてくれた、あの幼馴染がいれば。


「じゃあ、いつか村から出ていくために、もっと強くならないとな」

「――――」


 ラインの発破に、カイリは過去から浮上する。

 村から出て行くため。

 その考えは今の今まで抱いたことがなかったので、微かに困惑で心が揺れた。


「え? えーと」

「村の外はとーぞくとか変なやつもいるし。カイリ、自分の身をまもれないとすぐ死んじゃうぞ」

「え。あ、まあ、それはな」


 時折、この村の近辺でも野党がうろついている時があるそうだ。

 その度に村の男達が警戒して夜回りをしたり退治をしているのは知っていた。その一団にはラインも既に加わっている。つくづく彼の能力は凄まじい。


「それに、今教えてる剣は、他の人をにがすためにもやくに立つしなー」

「え?」


 そうなのか。

 他人を逃がすための剣技でもあるとは知らず、カイリは前のめりになって聞き入ってしまう。


「ぼうぎょ専門になってさ、どんなごーそくのいちげきも全てはじき、かわし、こうげきが当たらない。そういうのはオトリに向いてるんだ」

「オトリ……囮?」

「そ。数分でも数時間でも時間をかせいで、他の人をにがして自分もにげる。または、誰かが助けをもとめてもどってくるまでの時間をかせぐ。こうげきはできなくても、そんな風に人のやくに立てる剣術だとおれは思うんだ。だから、カイリにはぴったりだなって」


 一つ一つ噛み砕いて、カイリはじわじわと頬が熱くなる。

 攻撃が出来ない。防御のみに特化している。

 それは、己の身を守ることにしか役立てないと思っていたが、そんな風に誰かのために役立つことも可能なのか。

 ラインに導かれ、カイリは自分に眠る可能性を見出した様な心地だった。

 別に、チートな能力が無くても。攻撃が出来なくても、狩りが出来なくても。



 こんな弱い自分でも、人の役に立てることがある。



 そう思わせてくれたことに、震え上がるほどの喜びが湧き上がった。


「そ、そっか。……そうなんだ」

「そ! だから、カイリはだいじょーぶだよ!」


 はげまされて、カイリの口元に笑みが浮かぶ。

 彼は、そこまで考えてこの防御特化の剣術を教えてくれていたのか。ただの子供ではない感じもしたが、周りが思っている以上に他人をよく観察しているのかもしれない。

 自分も、もっと大人にならなければ。

 そう誓いを立てながら、カイリが感謝と共に口を開こうとすると。


「あーあ。本当はダガーを左手に持った方がぼうぎょ力ますんだけどなー。カイリは血を見るのが嫌いだって言うし」


 んーと唇を尖らせて、ラインが唸る。

 色々と考えてくれているのに、足を引っ張ってばかりの様だ。己の情けなさに、カイリは眉尻を下げた。


「ごめんな。わがままだけどさ」

「わがままじゃないよ。トラウマなんて、だれにでもあるし」

「え」


 どきっと、何故か盲点を突かれた様に心が刺された。

 トラウマ。そんな話はしたことがあっただろうかと、カイリは思いながらも笑い飛ばす。


「あ、いやー。トラウマ……か?」

「まあ、剣のさやでも代用できるからいいんだけどさ。んー……、どうせ木刀を使うんだったら、けんど――」


 言いかけて、ふっとラインは押し黙る。

 どうしたのだろうとカイリが首を傾げていると。


「……でも、こうげきはカイリできそうにないもんなー」

「? あ、ああ。まあ、木刀でも何となく、な」


 困った顔で指摘され、カイリも頭を下げるしかない。

 しかし、木刀を主に扱う剣術もあるということだろうか。カイリは剣に関してはど素人なので、口を挟むことが出来ない。


「ま、いいか! カイリもそのうちもっと剣がうまくなるよ。だって、おれが教えてるんだからな!」


 ふふんと得意げに笑うラインに、カイリの意識が浮上する。

 彼はいつでも元気だなと、少し羨ましくなった。見習うべき性格かもしれない。



 ――少しだけ、あいつに似てるな。



 思いながら、カイリは笑って感謝を告げる。


「ああ。……ありがとな。これからもよろしく、ライン」

「おう! まかせとけー!」


 拳を握って請け負うラインに、カイリは己の拳を彼に合わせた。

 こつん、とぶつかったその彼の拳は、何故か年齢よりも大きいものにカイリには思えた。


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